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所詮「小羊たちの市長選であった」

kage

2007/11/27 (Tue)

 老生が有権者の無判別な票の流動によって態勢が動くのを知ったのは投票日3日前の夜であった。
いまだから言う。 いまから30年も前になるが高橋幸翁とクラスメートである老生に投票日3日前になって高橋が老生に頼んだことがある。「オレは負けた。敗戦処理を頼みたい」老生は「あれだけ体育館に支持者を集めた決起大会だ。私にはとても敗戦を信じることが出来ない」高橋は沈痛な顔で重苦しい顔で私に言った。「コンテツに裏切られた。東京にいるコンテツからの電話が入って陣営は長指示ということに なっている」
半信半疑のまま、マサカの気持ちで開票の日を事務所で待っていた。結果は高橋の予想通りに「長市長の完勝」となった。

 投票日3日前は老生にとって 「選挙の鬼門の夜」となってきた。案の定、米沢第一ホテルから電話が入ってきた。投票日3日前の夜のことである。電話の主は「創価学会」の有力者が東京からの指令を受けてきた人物からである。
 「右向けッ」といわれれば一斉に「右向く学会の信者たち」である。こうして学会 の連絡網を通じて学会の票は大挙して安部陣営に流れたのが真相のようである。 学会を動かす裏にはもうひとつの影があったようだ。安部候補とは伯父甥の関係にある県会議員の後藤源の動きである。
後藤は安部市政の悪評判のために初めは動かないと表明していた。接近戦になってくるや「血は水よりも濃し」である。後藤はあれだけ評判の悪い遠藤武彦でも甥のために頼ったとの噂が流れている。
 開票の夜、老生は早めに床に入り「点と線」のドラマを見ていた。開票の結果を妻が教えてくれた。老生の読んだ通りの結果であったことが証明され慨嘆しながら選挙民というものは、所詮小羊であり「議員たちの動向によって簡単に流される」未成熟な主権在民であることに納得させられたものであった。

 老生は終戦を白鷹町の農家で知らされた。敗戦の痛みは相当なものだったが、崩落した日本の復興を子供心に誓ったことを今でも覚えている。教師たちはスコップを肩に担ぐことさえ禁じた弱腰だった。生神様であった天皇はただの人となり、少年たちのバックボーンはからくも崩壊した。
 昨日が老生74歳の誕生日であるから問題の昭和8年組である。貧困の生活を余儀なく課せられた老生でも心だけは腐ってこなかった。だから与えられた投票権を老生なりに大切に扱ってきたものである。
 よしんば投票権が己れの分身として民衆に扱われていたら、このような結果は生み出せないはずであったと考えている。残念なことに米沢市は「限りなく滅びの道を選んでしまった」と考えている。
 市政を演出し汚したのは「己れの立場」だけしか眼中にない議員たちの見事な腹芸の結果であると考えている。こうして選挙民は能力の薄い為政者を選出するのである。米沢市の負債総額を知るがよい。気の遠くなる金額である。それを黒字市政であるとウソを宣う市長に報酬はあるが責任はないのだ。

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