老生が市長選挙にこだわり続ける、その心情とは?

2007/10/27 (Sat)
端的に申すならば老生の見識と勇気であろうか。老生は青年時代に吉池慶太郎市長の都市計画と実践の勇断を知っている。昔から政治家の終焉は「井戸塀政治家」だといわれていた。吉池元市長の家は文字通り井戸塀だけがようやく吉池家の存在を残しているに過ぎない。「きれいな政治家とはそうしたものだ」とは言い難いが、吉池元市長は米沢市の復興伸張に、構造不況で稼業が疲弊してゆく現状をよそに、自分に与えられた重責を全うされた市長であった。老生に限らずその思いは多くの市民各位が今以てもちつづけている尊敬の念であろう。
吉池氏は20年の長期市政を担当してこられたことから、一部社会党の盛り上がりによって失脚されることになったが、社会党の市政になって市役所に贈収賄が発覚、官憲の導入を許したばかりか、赤字財政陥落の市となったことは忘れることのできない米沢市民の恥部露呈だった。苦節8年の月日を経て、社会党市政からの奪回をめざしてわずか18票という僅差で高橋幸翁市長が誕生した。無論、老生が仕事を投げうって選挙運動に没頭したことは申すまでもない。
老生は当時米沢ロータリーに所属していたが、ロータリーの大部分の会員は時の政権たる長俊英市長に傾いていたから、老生は孤独な会員として選挙運動に命を燃やしつづけていた。
高橋は老生の級友で苦学をともにした仲間であり、高橋には学生時代から政治に対する感覚が優れていたことから、文学の徒であった老生が一目おく学友であったからだ。
「死力を尽くした戦い」という文言があるが文字通り、劣勢を挽回するための努力は容易なものではなかったのだ。社会党市政からの奪還のためには考えられることのすべてを為した選挙戦であったと今では懐かしく思う。
選挙となると多くの有権者は「現職」に票を投じるものだが、それは有権者自身に市政を見つめる眼力が欠けていることと、変革に臆病な風土が米沢にあるからだ。いわく「長いものには巻かれろ」が市民感覚の拠り所であるからだが、折角、血も流さずに手にした民主主義であり、男女同権であり国民総投票という特権を与えられているのだから、その有り難みを「人間の尊厳を認められた」証しとして、人間の誇りとして行使すべきが有権者の義務であることを踏まえ、英知をもって投票場に急ぐべきであろう。
投票日が日曜日であるがために遊び優先の若者たちの投票行為が少ないのはどうしたことであろうか。自分の権利も行使できない若者に優れた男女が集うわけがないではないか。投票場に足を運ばないような親につつがない子育ての出来るはずがないではないか。
こう書いてくると「カラスの勝手でしょ」とか、投票に行けなかった理由を用意しているものだ。
老生たちは戦前、戦中、戦後と社会の激変に流され揉まれてきた歴史があり、激動の変遷の中から獲得してきた「自由」がある。「自由主義」も「投票権」も国民等しく与えられた特権であり、この喜びは形容しがたい歓喜に包まれたものであった。
老生の母校米沢一中に「自由の快翼を張り、責任の重荷を負う」の掲額がある。これは老生が二年生在校当時、時の天野文相が揮毫されたものだ。以来、自由と責任との相関関係を学びつづけてきた思いがある。「自由」はだれにもあるが「責任」を認識し実行する人物になることが老生らの真髄にしみ込んでいる学びである。恐怖と貧しさの社会から、老生たちが学びとってきたものは「初志貫徹」の心意気であり「真っすぐに生きる」ことの正しさである。
老生にとって米沢はかけがいのない「ふるさと」である。74年間、一度たりとも故郷米沢を離れず大舞台をめざして創作活動をつづけている老生である。
故郷をこよなく愛する老生だから米沢の市長を選ぶのです。

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