今に生きる武士道

2007/10/22 (Mon)
古くさいと嗤う勿れ。日本人たる所以は武士道と叙情性にある。日本人の精神文化を支えてきたのが武士道である。「忠」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」にそれぞれの人の生きるべき道を教えてきた。
「義」は武士道の光り輝く最高の支柱だとされ、いま更に申し上げるまでもないだろうから「人の上に立つ人物の条件とは何か」について「仁」とはどのように教えであるかを4人の市長候補者に知っておいてもらいたい。
愛・寛容・他者への同情、憐れみの情はいつの世でも至高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきた。 それには二つの意味で王者らしい徳と考えられてきた。それは高貴な精神をもっている性質の中でもっとも王者らしいものであり、また王者にこそもっともふさわしい徳であった。孔子も孟子も共に「仁とは人なり」と定義している。わかり易く申せば、上杉鷹山公が世継に伝えたとされる伝国の辞に改めて触れてみる。「国家人民の立てる君にして、君のために立てる国家人民にて之無候」と在民国家主義を唱えている。それはリンカーンがゲデスバークで唱えた民主主義から遡ること200年も前に米沢10代藩主鷹山公によって、すでに民主主義は唱えられていたのだった。
米沢市の歴史に「伝国の辞」はあったにせよ、時の軍国政治はそれを抹殺した教育を施す必要があったのであろう。したがって、米沢市内に伝国の辞の碑はなかった。戦後50年にしてライオンズCが松岬神社境内に建立したものである。当時、老生は教育委員会の無能さに新聞投書したものであるが、教育委員会ならぬライオンズCが意を受けてくれたものだと聞いた。
さて、候補者4人の顔触れをみると必ずしも武士道に叶う人物であるといいきれない部分がある。その中でも安部候補は市長在籍中の行動を鑑み、武士道の教えとは相反した思想の持ち主のように感じた。なぜならば彼の言動に嘘が多く、嘘だと承知しながら平然と「88の改革」を有権者に配り続ける神経を常人だと考えにくいのだ。
彼は事あるごとに歴史を話題として取り上げるそうだが、どのような歴史本を愛読しているかは知る由もないが、米沢市のトップならば武士道を読み平家物語などに目を通してもらいたいものである。そこには人としてむしろ指導者の心得として持つべき気概が書かれているからだ。
日本人の心を支えてきたもう一つの文化は「叙情性」に集約される。
現代は演歌ばやりで、国民総演歌愛好者らしいが、出ては消えてゆく演歌の寿命の哀れさを感じないのであろうか。日本には叙情歌としてすばらしい日本の歌曲がある。日本を訪れる演奏家が好んで演奏する曲目を分析してみた。「荒城の月」をはじめとして「砂山」「平城山」「赤とんぼ」であり「宵待草」や「出船」であった。すべてマイナーの曲である。日本の歌曲にメジャーな曲は少ない。日本人には底抜けに明るい曲は似合わなかった歴史的過去があった。
卒業式に涙を流して歌った「仰げば尊し」の曲は過去のものとされたが、老生たちには涙なくして聴けない歌曲のひとつである。このように青春時代に習い覚えた歌曲の数々に一人々々の思い出が集約されていて、現代の演歌や歌謡曲には素直になれないような気がする。日本人にはその風土や環境に育った歌曲があるはずだ。終戦と同時に叙情性を捨てる教育から、経済至上主義によって歌詞不明な曲が蔓延していることは日本人の叙情性の崩落を意味しているのではあるまいか。
同じように米沢市はあくまでも米沢市民であるために、武士道と叙情性にあふれた市民でありたいと願うのだ。それを破綻させるような米沢市長は選びたくない。
自由とは市長の権利を手前勝手に行使することではない。武士道は厳しく戒めていることを安部候補は知っているのであろうか。

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