米沢市長選 №10 裁判官に自らを裁く権利があるか?!

2007/10/17 (Wed)
米沢市長室入口に「自由の風」なる選挙用のぼりが飾られてある。この「自由の風」なるのぼりは、安部三十郎氏が前回の市長立候補時に使用した選挙用旗である。米沢市には「庁内規則」とした定めがある。その規約には「何人なりとも庁内に選挙関連のボスター・看板などの掲示を禁じる」旨が記載されて永年守られてきたものだ。したがって歴代市長は庁内にはそれら個人の選挙運動と誤解されるような展示をするようなことは無かった。
しかし安部三十郎市長によってその規約が破られた。
本議会において、「自由の風の庁内持ち込みと展示は庁内規約に反するものであるから撤去すべきではないか」との議員の追求に答えて安部市長は笑顔でこう答えた。「市長が許可すればその限りではない」
いやしくも米沢市政のトップになった時点から、市長であることの自覚と責務を重んじて、まずは「庁内規約」を遵守すること肝要であったろう。
その点で安部市長は違っていた。「自由の風」なる選挙時ののぼりを庁内のしかも市長室入口に展示して4年間「庁内規約違反」の声にも悪びれることもなく職権乱用をし続けてきたのである。
「裁判官は自らを裁くことはしない」ものであろう。同じことである。己れの選挙時に行使した「のぼり」の庁内展示は、明らかに市長の権利を己れのために悪用した行為以外のなにものでもない。 裁判官は己れの犯した罪をみずから裁くことはできない。正常な意識を持った市長ならば、与えられた権利を乱用することをためらうものであろう。それを何もためらうことなく平気で実行する安部市長は常人と異なる感覚の持ち主だといえよう。
佐藤病院米沢進出計画を阻止してしまう感覚の持ち主なのだ。これらの行為から米沢市長として最適な人物であるかどうか、正常な常識をもった有権者ならばその是非の判断はつくものであろう。
過去に米沢市政が「経済的波及効果50億円」とした南部土地区画整理事業の失敗があった。そしてこの度の「佐藤病院米沢進出事業撤退」である。
上杉藩以来、失政を重ねてきた伝統がここに、米沢市伸張策の「長蛇を逸した」失政として具現化したのではあるまいか。市政とは「米沢市民の為になるかどうか」に判断基準を置かねばならぬものを、その前面に「己れの欲や立場」を先んじるからであろう。
人間の意志とは弱いものである。「金欲・名誉欲」という本音が建前論を駆逐することがある。
これが現実となって米沢市の疲弊の度合いがますます拡大して行くことに成るのではないか。
止まれ! 米沢市民の有権者の皆様方、本年74歳を向かえる老生には米沢市政の遅滞さは息苦しいのだ。不肖戯曲作家として米沢市政を見つめると「市政にそのチンケさを通用させている議会も無能極まるものだ」と断じなければならない老生自身が恥ずかしさに苛まれるのだ。
「何も悪いことしたわけでもない。一期だけでは可愛想だ」との安部候補同情論が蔓延しているやに聞くが、そんな安直な同情論でおられるならば、血を吐くような「米沢市政再生論」を唱える老生の文言に耳を貸していただきたい。このままでは米沢市は時流からとり残されてしまうのだ。

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