どうなる米沢市長選

2007/09/20 (Thu)
今月商用で韓国を訪れ、ソウル会議に出席したが元高級官僚の講演内容はショックだった。「官僚というのは常に国民ごときもの--」という国民を蔑んだ目で見ながら執務しているものだという。まして代議士ともなれば建前では国民の側に立っているかのように見えるが、それは選挙時の建前論であり、常に国民の側に立った政治を心がけていたならば実入りが少なく選挙戦に勝てないばかりか立身出世も不可能になるのだともいう。
ちなみに大臣を拝命しただけで月々38万円也の終身年金がつくのだ。遠藤元農相にしても就任7日半日の短期在職銀メダル大臣だがキッチリと終生年金が入るシカケだ。
国の歳入の乏しさを熟知しながら、法人税を引下げた結果はどうだ。「トヨタ自動車の利益は2倍でも、納税額は同じ」という不公平さだ。しかも足らない分は定率減税の廃止や配偶者特別控除の廃止などでキチンと埋め合わせる官僚政治の我が国である。それでいて激怒しない不思議な国民性とはなんであるか?
日本国民は権力に対してまったく抵抗や批判をしない遺伝子を持ちつづけているかのようである。権力とはかくも非情なものであり、したがって権力を持たせてならない人物を選挙で炙り出す必要が国民にはあるのだ。それは選挙民の見識以外にはない。
さて、米沢市長選挙、立候補を表明している3氏に加えて、新に「兵庫等」氏の出馬が取り沙汰されている。候補者の数が多いことは選択の幅が広がることから歓迎しなければなるまい。兵庫等候補は県会議員選挙に失敗してから、福祉事業に精通して米沢市に県下一の福祉施設建設に成功した人物だ。感覚的に伸張するであろうとする未来形の新事業を捉えることについては抜群の才能の持ち主だ。その点においては安部現市長などの遠く及ぶものではない。
かつて老生は安部市長に個人的に面談を申し入れたことがある。安部は「会いたくない」と人を通して断ってきた。そこで老生は「市民に会いたくないとはどういうわけだ」と内容証明文を書いて送ったが、いまだに返事がない。
現職の市長が市民に内容証明を突き付けられた事例はかつてないと聞く。かように人の意見や提案に耳を傾けようとしない安部市長なのだが、だからといって己れの確固たる意見を持たない人物なのである。
米沢市が疲弊をつづける元凶は安部市長に哲学もなければ市に活況を呼び込む知恵も勇気もなく、己れの責任になることは極力避けようとする臆病に帰来するからだ。
そこで老生はこの機に本音をブチまける決心をした。今のところ3名の候補者と1名の候補予定者で合計4名の市長選になるだろうが、安部現職以外の3名については、少なくとも安部を凌ぐ見識があると断言しておこう。
安部陣営は野村候補に対しては「いつ再発するかわからない健康上の不安がある」と喧伝しているようだが、武士道の風上にもおけない文言を弄しているのが実情だ。事実、安部候補を永年支えてきた斎藤氏は安部にあいそをつかし前回は自ら立候補して落選するという悲憤を味わっているのだ。「安部だけは許せないッ!」とする反安部陣営はますます健在だと思ってよい。
選挙戦が近づくにつれて態勢も自ずと判明するのであろうが、遠藤陣営の崩壊によって遠藤頼みの陣営はさぞ困惑しているだろうが運動方針を巡って各陣営の去就は有権者にとって関心の的ということになる。

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