鬼のひとり言 わが町は上杉の城下町であるか

2007/07/25 (Wed)
かつて木村莞爾は議員時代「米沢市に哲学がない」と言った。12年前の県会議員の選挙時に「環境問題」を選挙テーマにしたいと老生に話した。 環境を懸念していた老巽はさっそく「環境を主題」にした栞を書いたが選挙事務所の評判は冷ややかなものだった。木村の先見の目にはすばらしいものがあったと今になって考えている。議員引退を決意したある日、木村が「頼みたいことがある」と言って老生の事務所にやってきて言うことには「息子が県会に出るよう説得してもらえないだろうか」。息子木村忠三はしばし驚いていたが老生の説得に首肯いて帰っていった。数日後、決意した旨を報告してきた。やはり血は水よりも濃かったようだ。
そこで老生は約束の後援会向けの文章を書いて決意のプレゼントとした。それまでのことだったが、懸命で政治稼業の木村家を継承しようとしているようだ。
さて、莞爾だが老生の出版記念会の席上で「米沢市に哲学がない」と言ったことを思い出す。
彼の言う哲学とは「米沢市の方向舵があいまいだ」という意味であると老生は理解していた。級友の当時市長であった高橋幸翁に「米沢市の哲学論」について語り合ったが莞爾の言を高橋は理解できないでいた。
さて、再来年は大河ドラマ「天地人」だということで米沢市の行政は沸き上がっているようだ。
観光客に対処する方策をいかにすべきかという会議も開かれたようである。止まれ! 米沢市はいつまで上杉の亡霊に取り憑かれているというのであるか? それならばそれで良いが、上杉といえば豊臣家の五大老であったことは多少の歴史観のある人たちならば知っている事実だ。イコール現在も残されている城下町の風情を慕って観光客が押し寄せてくるのであろう。
米沢市の何処に城下町を彷彿とさせる場所があるのだろうか。木村が喝破した哲学とは「城下町の風情ある町つくりをするのか、それとも都会思考の田舎都市づくりに走るのか」どちらかに的を絞った米沢市にすべきだ。中途半端な町づくりをしていたのでは米沢市の未来は開けないとした市の哲学であったと思う。
広報では「景観賞」として建築物を表彰している。建築物は見事だが、城下町に不似合いなものである。米沢市は今こそ「城下町としてふさわしい建造物」群をもって「景観賞」の対象とすべきである。それには市条令化が大前提となる。
老生が企画した「文学と美術の里を訪ねて」の旅行に参加した市民は延べ300人はいる。それら参加した人たちは、いかに米沢市の町並みに哲学がないかに気づいているはずだ。だが、表面に出て発言する人はいない。井戸端会議の域を出ていないのだ。無論、行政にその感覚はない。
シャッター通りを考える時、行政は何をすればよいのであるか? まず、飛騨の高山、木曽の馬籠・妻籠その他町並みの整備によって観光客を誘致している現地を見てくることだ。議員にしても野球拳だけが観光であるまい。米沢市の町並みづくりのために研修してはいかがなものであろうか。米沢市の首長に都会思考があるとすれば市民として誠に迷惑なことになる。米沢市は「田舎都市であり、整備した城下町の風情づくりに撤すべきであろう」文化を心底理解する人物の出現が望まれるゆえんだ。

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