鬼のひとり言 高畠名所「半田御殿]と噂される安房社長邸

2007/07/19 (Thu)
高畠住民から「御殿」と呼ばれる安房氏の自宅が駅近くにデンと建っている。高畠の人たちは別名で「半田御殿」と呼んでいる。「半田」とは安房氏が社員に命じて会社がシャープから仕入れた「半田」を横流しして建てた安房邸を椰楡してそう呼んでいるという。得意先の清水建設の手になる建築であることも一層の疑惑を深める原因とされているようだ。安房氏がトップで経営するタカハタ電子株式会社が発注する工事は一切清水建設になるものだからだという。人は「会社が仕入れた半田を横流しして、収入を簿外にして脱税するような会社で、しかも不名誉なことに仙台国税局の査察を受けるような会社経営者だから「清水建設との灰色の繋がり」は当然あるとみられているのであろう。
老生も物見遊山の気持ちで評判の「安房邸・人呼んで半田御殿」を拝見してみた。周りを塀で囲みこんだ自宅はやはり御殿と呼ばれるにふさわしいものであるか? 老生の目には失礼ながら「趣味の悪い田舎者の成り上がり御殿」としか映らなかった。老生のひとりよがりの趣味からすれば「塀をめぐらした館」には全く興味がわかない。閉鎖的な住人を想定するからだ。老生には眺める価値もなく早々に引き上げてきた。
安房氏自宅の電話は常に「留守でご用の方はファックスにどうぞ」である。老生は-度だけ電話が繋がったことがある。応対に出た人物は「おれは兄だが、弟は栃木県に行っている」と言い「ファックスに用紙が入っていないのでファックスは届いていない」と老生が用件を伝えたファックスが到着していないと嘘らしき発言をして電話が切れた。
会社のトップ経営者というもの「留守電話を多様するためのファックスであれば用紙が切れるようなことはしないものだ」老生にはその不誠実さから安房氏の人物像が想定された。後日、秘書に促されたのであろう安房氏本人から事務所に電話が入ってきた。 老生の用件は文章で伝えてある。「貴殿の名誉を毀損するような投書が本会に届いている。その是非を貴殿に聞きたい。できるならば穏便な処理が望ましいと考える」という文面である。
本人の電話は「読みました。面会する意志はない」という返事。ムットした老生は「私も貴殿同様会いたくはない。問題は商工会議所の副頭取と公的な名誉職についておられる。そのことが市民として問題にしなければならないのだ。貴殿がそのような態度であるならば、提供されている会社の秘密文書を公開するがいいか」しばし沈黙があって電話が切れた。
投書してきた元社員と思われる人物は「世の中であんな悪はいない」と書いているのだ。「会社の仕入材料の横流しは会社に対する背任行為である。会社のためにならない」として内部告発を試みようとしたが「残念ながら株主でなかった」と残念がる。
「棒半田横流し」とは、半田(金属をつなぎ合わせる時に溶かして使用する。錫と鉛の合金)はシャープから用材として適量のセットとして納入されてくる。が、半田の使用量は手作業から機械作業によって激減することになる。当然、半田の量が備蓄されることになる。そこで会社は堂々と表舞台で売却し帳簿に乗せればそれだけで問題は起きないが、安房氏は「半田を売った金額を会社の帳簿に乗せないで、裏金処理を実行し多額の不明使途金を作った」という禁じられた行為が国税局に漏洩したという経営者としてあるまじき行為を成したということである。
その人物が戦国時代さながらに下剋上よろしく社長の椅子に昇りつめたということだ。しかも商工会議所副会頭の名誉職に鎮座している。ここまで昇れば「過去の悪さやあがきは問題になるまい」慇懃無礼な電話の語り口で老生には直感的に察知された。
現代は「経済至上主義時代」であるが「なんでも有りの時代」ではあるまい。社長がいて従業員がいる。それが組織というものである。が、中には「おれがいるからお前たちが食えるんだ」という不埒な考えをもつ社長族は田舎企業にはいるものだ。働く従業員たちに「愛情と感謝」をこめて接するトップこそが社員に慕われ、やる気を喚起させる社長だといえよう。「一将成りて万骨枯れる」式の会社社長が公的な名誉職につくようでは社会の汚濁は増幅するだけではあるまいか。
友は言う「相手社長は恐喝されたと思っているのさ」意外な反応が返ってくる。「恐喝ッ? 冗談じゃない!。金と社会的名誉に毒された人物はそう考えるものか」。 老生は積年の怨念をもつ元社員たちに「安房氏が謝罪して互いに過去を払拭することが両者にとって最良の方法だと考えたから中に入ろうとしたのだが、心貧しい人物には老生の正義がわからないのかッ!」。 止まれ、老生は人の触れたがらない行政についても痛烈な批判を率直に書いてきた。それは己れの誇りを信じてきたからだ。少なくとも泥棒や内情を知る元社員に塗炭の苦しみを課すような卑劣な行為は論外というもの。格好つけるわけではないが「兼好法師」じゃないが塀をめぐらし狭い社会に閉じこもっているよりは、垣根を作らず広々とした自然を隣人と共有しながら暮らすことの有意義さを老生は味わっている。 とかく高い壁を作りたがっている人物は、何に怯えて暮らしているのであろうか。壁は昔流にいえば防壁である。壁を以て何を防備するというのであるか。単なるプライバシィの保護であるか。老生にとって「塀」は刑務所や動物園ぐらいに限定される人間社会であってほしいと願っているのだが。「個人の勝手でしょう」といわれればそれだけのことであるから、老生が勝手に人種を疑うだけのことである。
安房氏には会社経営の卓越した手腕があるのだろう。だれにも大成するには人に語れないような辛苦もあっただろう。だからといって人に犠牲を強いた過去の上に建立した金字塔は否定する。
どのような豪邸でも「金」さえ出せば、造るのは大工の仕事だ。 同じように相撲取りの迫力と痛みは力士だけが知るのであって評論家に分かろうはずがないのだ。社員の悩みや痛みに気を配れるトップが必要な時代である。やがて、経済至上主義や拝金主義を越えて、働く者と経営する者が共有できる幸せを追求する社会が訪れるであろうが、それには地方の中小企業が範を示すべきなのだ。それには「一将功成り」だけではあまりにも淋しい。地方の企業家には安房社長のような人物だけが存在するのではない。尊敬にくらいする経営者の多くは不遜な態度はとらない。
政治も同じく行政能力に欠け、指導力にも欠けた米沢市長の例もある。安部市長は人の意見に耳を貸すことなく違った意見をもつ職員に激怒する悪癖をもつ。したがって、定年を前にして部長クラスの大量退職が生まれる。しかし、市長は市民が選んだものである以上、責任は市民側にある。
企業のトップは社員の互選によるものではない。したがって、トップの資質だけが企業の生命なのである。後ろ指を指されながら企業界の「裏街道」を突っ走るだけのトップであれば、そのしっぺ返しをもろに被るのはトップではなく、企業に生活を託した社員たちである。
安房社長に告ぐ、過去の悪しき行為を猛反省し、元社員に詫び状の一通も書くことを提案する。それによって永年消えることない怨念の払拭を図ることであろう。

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