鬼のひとり言 37 会津の猟奇事件

2007/05/23 (Wed)
またもや高校生による母親殺しが発生した。史上稀に見る生首をさげての警察署への自首だった。
会津出身の県知事だけに緊急会議を開いたが会議の結論は?
県知事の召集によって開かれた会議の結論は「制度と結びつけるべきでない」と県教組は結論づけた。懸念される連鎖反応については一切のコメントを控えたまま。
全国の親たちを震憾させた「猟奇的な母親殺し」に福島県、とくに会津地方には驚愕的な事件として一様に声もない。
そんな最中、24日「日教組大会」が開かれる。大会を阻止しようとして全国から集結してくる右翼団体の街宣車による騒音は容易に想像されるものだ。
福島市の中心街は大会期間中、日がな一日騒音に悩まされるのが通例だとしても、この度の事件は福島県の高校生によるものだから、福島県右翼団体の日教組攻撃はすざましいものになるだろう。現実に福島市の右翼団体から本会の事務所に電話が入りその意気込みのほどが知らされている。
日教組は国旗国歌を否定し拒否してきた団体である。右翼団体の論理は「道徳教育」を否定してきた日教組によって一貫した教育を受けざるをえなかった児童生徒たちが起こした事件であるから、道徳教育すらもおざなりにしてきた日教組の責任であるとして糾弾は激しさを増す。
当該高校生の出身地は新潟県境にほど近い寒村金山町である。この種の青少年犯罪は都市を中心とした地域に限定されてきた犯罪であるが、会津で起きた母親殺し事件は、寒村で育った少年犯罪であることは日教組による歪んだ教育の波及は全国津々浦々の児童生徒にまで浸透していたことになるのだと言う。
会津地方には「ならぬことはなりませぬ」という藩訓が、現在も生き続けている誇り高い地方である。その誇りがこの度の事件によって一瞬に崩落したショックは大きい。
老生は会津との交流があり、なかんずく会津復古会との繋がりは強い。会津に行けば復古会の大御所(五十嵐会長)の肝煎りで「米沢がきたぞ」との号令によって、メンバーが集まり飲み会がはじまるという具合だ。
会津名物「カーデルマエ・パーティ」がある。蚊が出る前の野外パーティを意味する会津造語だ。
会津は行動が早い。「新選組」の放映が決まるや「新選組と会津の関連」を観光客誘致の道具に頭を絞っているという具合だ。その点で「直江兼継」の放映が正式に決定した現在、米沢市の観光客対策はいかがなものであろうか。
さて、会津で起きた猟奇的事件は右翼の論理では日教組の歪んだ教育の責任にしているが、敗戦と同時に戦勝国によって「家族制度の破壊」が行なわれ、それに従属することを余儀なくされた「日本人の伝統的魂の喪失」が今になってマイナスの要因となってきたものであろう。
古来わが国には「三つ子の魂百までも」という故事があるように「人間教育は幼児から」が原則である。現在の親は教育することを知らな過ぎる。
老生は三人の娘と五人の孫に恵まれているが、教育なかんずく「情操教育」には力をいれた教育をしてきた。家庭教育の根幹は「社会に順応できる人間」と「人間らしく豊かな情操に包まれた人間」そして女性なら「女性の特質を生かした人間」づくりと、子への教育は老生の役割であった事を自負しそれが間違いでなかったと信じている。
人間教育の原点は幼児期における「家庭教育」につきる。
他に責任を求めるべきではあるまい。

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