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鬼のひとり言 31 コラム自由の風?

kage

2007/04/27 (Fri)

4月13日付米沢新聞を市民が本会に持ち込んできたものだ。
「読者の声」に掲載の"市長コラム"をフェアプレーの精神から中止しては如何というものだった。

 11月の市長選挙を目論んだものがどうか、米沢公報誌には指摘のように「市長のコラム」欄が掲載されている。
投稿者の鈴木氏と同じ思いで、老生はいつも苦々しく読んでいるが、「市長のコラム・自由の風」なる欄とは別に老生の手元には「三十郎月影日記」第一集なる小誌がある。
これも市民から届けられたものだ。だれの手によって作られたものか読むに耐えない内容だけに名誉のために他人の目に触れないところにしまっておいた。
 鈴木氏同様「自由の風」に記されている内容は恥ずかしげもなく周囲のお世辞を真に受けたものとかだけの羅列に、ほとほと読み続けることができない内容の小誌だった。
「三十郎月影日記」という名称もおぞましいが、内容はもっと破廉恥なものだ。少なくとも米沢市の市長の作文とは思えない稚拙な文章で、しかも自分を良とした内容だけが綴られているのだ。
読んでいてこちらが赤面するような自己表現をしている。

一文をご披露してみよう。
 5月2日(火)雨のち曇り
上杉まつり午前9時、米国の姉妹都市、モーゼスレークから、ミスーモーゼスレークと付き添いの方(彼女の祖母)が来訪。毎年の行事である桜の記念植樹を成島のワクワクランドでする。
夜、国内の姉妹都市および友好都市を迎えて、武てい式観覧の後、第一ホテルにて交流会。なお、明日の川中島合戦開始時の市長挨拶原稿は以下のとおり。
 「市民の皆さまはもとより、全国からお集まりの皆さま、ようこそ米沢上杉まつりにおいでくださいました。心から歓迎いたします。
 その昔、武田信玄公が北条・今川の連合と戦った折、太平洋に面した北条・今川は、山国甲斐へ塩を送らないという作戦に出ました。いわゆる「塩止め」です。
 人間は塩がないと生きてゆけませんから、困ったのは甲斐の人々です。これを見て上杉謙信公は「いくさは合戦場でするもの。敵国といえども領民を苦しめてはならない」として、日本海の塩を送り続けました。これが「敵に塩を送る」という有名なこと わざの由来です。また、上杉二代景勝公は、徳川幕府がキリスト教を禁じキリシタン処刑を諸国の大名に命じた時、実際には米沢領内には三千とも六千ともいわれるキリスト教信者の方々がおられましたが、「当領内には一人のキリシタンも御座なく候」という手紙を幕府に出して、キリシタン処刑を拒否しました。
 領民を大切にし、義を重んずるというのが上杉の精神であり、ひいては米沢の魂でもあります。
武てい式も川中島の合戦も、上杉の精神、米沢の魂を表現する野外劇です。
 皆さまには米沢の心をお土産としてお持ち帰りいただきたいと思います。本日はありがとうございました。(原文どおり)

■ キリシタンの処刑場といわれる「北山原」「李山」を一体どう説明するのだ?
■ 当時、3千~6千人のキリシタンが米沢周辺にいたという事実は甚だ疑わしい。

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kage


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