鬼のひとり言 ⑥ 雄弁な議論を

2007/03/06 (Tue)
議員に求められる資質と条件とは !?力強く、よどみなく、明確に 自分の意志を 議会に響かせる議論をすることだ!
時として人は[雄弁]と[冗舌]の区別さえつかなくなることがある。話術の面白さにつられて、つい[冗舌]を、さも[雄弁家]と錯覚することが住々にしてあるものだ。
講談師・落語家、漫談家などにみられる話術には、よどみがなく、たしかに人を引きつける力をもっている。それは才能にもよるだろうが、なんといっても長年の修業によるところが多い。
彼らの話術をもって[雄弁]とはいわない。
[雄弁]と[話術]は区別すべきものだ。[雄弁]とは常に内容に責任をもったもので[政界や学会]などで、明確に相手に伝える技術として発揮すべきものである。
米沢市の議会を傍聴する度に感じることは、質問する議員も答弁に立つ市の職員ともに[雄弁]にはほど遠いものだ。まず、小学生でもあるまいに原稿の棒読みに必死の形相なのだ。まず、議会を見回し議会の反応を確かめる余裕などはサラサラ見受けられないのだ。そこに「明確に自分の意志を相手に伝えようとする話術に欠けている」からだ。
雄弁家といわれる人物は「伝えるべき内容を頭の中に叩き込んである」から、目線は常に相手の反応を探っている…原稿に目を落として一字一句読み違えまえと必死になっているのは解しても、オドオドして自信なげに映るのは得策だとは思えないのだ。
議場での態度は、胸を張り、力強い声で、議場を睨みつけるようにして聴衆の反応を確かめながら「主張」すべきが議員の能力であり品格というものであろう。
かつて米沢市にも[雄弁家]と称された政治家がおった。議論によって国事を動かすという伝統は、西洋ではローマ帝国以来のものである。シーザーが暗殺された直後に、アントニウスがローマ市民の前で演説して政局の混乱を一気に鎮めた話はシェイクスピアの戯曲にもなっている。
弁論術を徹底的に尊重したことはローマ文明の特徴というべきだろう。近年のアメリカ大統領の中で弁論の巧みさではレーガンであろう。彼は野党からの批判に対して鮮やかに切り返した演説がある。「大統領に立候補した時、わたしは4つの公約をした。インフレを止める・失業を無くすこと・ソ連に勝つこと・国家財政の赤字をなくすこと。公約どおり、わたしはインフレを止めた。貿易を自由化した結果、アメリカに安い品物がどんどん流れインフレは収束したのです。
税金を安くし、国内産業を活性化させ失業も減らしました。そして今やソ連の負けは明らかです。国家財政の赤字こそ今でも残っているが、わたしは4つの公約のうち3つを果たした。7割5分の打率は大リーガーのバッターでも、なかなか出せない成績だとおもいませんか」拍手は止まなかったと聞く。

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