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鬼のひとり言 ⑤ 雄弁と議論

kage

2007/03/04 (Sun)

某国会議員のTVでの発言「勝つことが民主主義を護り抜くことである」この発言を有権者は傲慢な発言とするか立候補者の理念とするか。

 議員のもっとも重要な責務は[議論]することにある。かつて日本には演説の輝く伝統があった。
現在の日本はどうであるか、[弁論]の稚拙な首相を輩出することによって、就任早々、言葉尻をつかまれている首相がいる。日本の国会は弁論の場でなく、言葉尻を捕らえ、それを反政府的マスコミに利用させる場になっている観がある。官僚の作文を棒読みする風景が延々とつづくのがわが国会中継であり、政府と野党との論戦など望むべくもない。だからといって「日本人には最初から演説は不向きである」と決めつけるのは、即断すぎるのではあるまいか。
 過去には、尾崎行雄翁は桂首相を蒼白とさせる弾劾演説を国会で行い、民間でも憲政養護大会が開かれ、そこでも桂内閣を弾劾する演説を行なっている。
さすがの超権力者桂太郎も、演説による攻撃の矢面に立たされて辞職に追い込まれざるをえなかったのである。
 後年、明治政府に清々しい印象を感じるのは、明治の指導者たちが何事においても弁論を戦わせて政治上の方針を決めていったことが大きく関係しているといえるであろう。彼らは決して[寝業]や[談合]を中心とした陰湿な政治を行なわなかったからだ。政府内の議論は本物の議論を戦わせる場であった。議論によって根本政策が決められていったのである。これは日本人にとって誇るべきことであった。弁論を尊んだのは明治の指導者ばかりではない。現在の講談社はかつて[大日本雄弁会講談社]という名称であり創始者野間清治が最初に成功したのは「雄弁」という雑誌だった。創刊にあたり野間は「雄弁衰えて正義衰ふ。雄弁は世の光である。雄弁に導かざる社会の世論は必ず腐れている。雄弁を崇拝する事を知らぬ国民は必ず為すなき国民である。文化燦然たる社会にはつねに雄弁を要する。また、雄弁を貴ぶ気風がなくてはならぬ」
考えてみれば、雑誌[雄弁]が発刊されていた時代が、日本が本当に栄え、国際的に重きをなしていた時代だったといえる。雄弁の習慣が次第に消えていき、雑誌[雄弁]が廃刊になった二ケ月後に日本は亡国の戦争に突入するのだ。議論が栄えなくなれば必然的に倫理構築の能力も衰え明晰さがなくなる。[雄弁]の終刊は老成小学二年の年であった。政治を志す者は[辻説法]を基本に、感動ある雄弁をなすことだ。

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kage


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