長年の「平和ボケ」から「美しい日本づくり」ヘ

2007/01/28 (Sun)
戦前、戦中、戦後を小中高校で過ごしてきた老生は、日本の国民性ともいうべき豊かな叙情性に育まれてきた思いがする。だから生活の貧しさにも、戦後の荒廃した国土再建にも誰もが汗を流すことが国民の義務だと信じてきた。その結果日本は「アッという間に」世界第二の経済大国になるような土壌と国民性を備えていたはずだ。大正末期から昭和初めにかけて駐日フランス大使を努めたポールクローデルは大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和十八年にパリでこう言い切っている「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」。
幕末の開港策によってイギリスもアメリ力もこぞって日本を植民地化しようと企んでいたのは事実だが「江戸の町に来て、町民があちこちで本の立ち読みしている姿を目のあたりにして、とてもこの国は植民地には出来ない」とあきらめてしまったのも事実だった。
このように日本人は品格というものを外国人に感じさせていたのだ。「国民のもつ品格」が国防にも繋がっていたのである。
さて、日本人が品格を失いはじめてきた時期とは、バブル時代とそれが崩壊した時期に直結してはいないだろうか。
本年は元旦から親族殺人などの怪奇な報道が連日のように画面を独占し雑煮を不味くしてきた。
これらの要因はいったい何処からくるのであろうか。日本人ならば一人々々が真摯に考えてみる必要があると思われる。
老生は考える。アメリカ流の自由も平和も長年の間に「日本人にはボケ症状」が蔓延しつつあるのではあるまいか。国民が血を流しながら勝ち取った「自由と平和」ではないだけに、国民全体からそれを維持する責任と緊張感にたるみが出てきてものと思われる。
安倍首相の「美しい日本」づくりの前途はきわめて困難な作業であろうが、日本人は古来持ち続けてきた「品格」ある民族を今こそ奪回しなければならないであろう。
わが国の品絡の骨子となってきたものに「武士道」がある。経済至上主義の現在では想像もつかないであろうが、武士には精神性を尊ぶ誇りがあったのだ。町民が金持ちだった江戸時代に武士は貧しい暮らしをしていた。が「武士は食わねど高揚子」として武士の品格を大切にしてきた。
イギリスも武士道と同じように「精神性を尊ぶ風土」が息づいている国で、金銭や世俗的なものを低くみる風土であり、イギリスの紳士階級の人々は一般的にそうで金銭を低く見ている。
遺憾ながら、米沢藩になかった「武士道」といえば会津藩の藩校日新館に「什の掟」というのがある。
「什の掟」
① 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
② 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
③ 嘘言を言うことはなりませぬ。
④ 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
⑤ 弱いものをいじめてはなりませぬ。
⑥ 戸外で物を食べてはなりませぬ。
⑦ 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
これら七カ条はこんな文句で結ばれている。「ならぬことはならぬものです」
戊辰戦争に破れてから、西軍であった長州と会津の間に「怨念の断絶が見え隠れしている」ことから、安倍首相といえども会津の教育となっている「什の掟」を素直に教育改革の指針とはできないだろうが、時代を超越した優れた教育指針のように思えるのだ。
一年生のランドセルが「金箔」であったり「錦蛇の皮」を貼ったものまでが商材となる異常な日本だ。問題の「学校給食未払い」も笑止千万だが、「いただきます、ご馳走さま」の挨拶は余計な教育だと抜かす親がいるというなら、学校給食を中止して母親に弁当づくりを回帰させ本来あるべき母子の絆を取り戻させるべきであると考える。食事時に家族が食卓を囲むのが世界の常識であるならば、ひとり日本だけが家族別々の食事であること事態が家族制度の崩壊を意味する。
各家庭の事情によって異論はあるだろうが、老生らは弁当の中身によって、家庭の経済状態を知り、幼い頃から貧富の差を感じとりながらも、母親の弁当にこぼれんばかりの愛情を噛みしめて過ごしたものである。子供にも幼少にして武士道はあったのだ。

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