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「いじめ」の実態を隠蔽する教育界現場。家庭教育は万全か?

kage

2006/11/08 (Wed)

 連日、いじめによる学童の自殺が報じられ、当該学校長らによる隠蔽体質が白日に曝されようとしている。一方、政治においては県知事らの犯罪的な辞任劇と、国民に実感の無い「いざなぎ景気」を超える好景気に浮かれている。

 申すまでもなく「いじめ」は社会の縮図というもので古今東西を通じて消滅するものではない。
人間社会も動物社会同様、弱肉強食の世界に暮らしている。その世界は国家の利益を最優先とする外交によって成立しているのが実情だ。だから強者と弱者がいるかぎり「国家間のいじめ」が絶えないのが常識でありこれを「悪の論理」という。
 人類と動物との違いは唯一「宗教の存在」にある。肝心な宗教も多種を極め神同士の対立が国家間の紛争を巻き起こしている元凶となっているから誠に厄介な人類社会だといえよう。
 そこで国際的な「いじめ社会」をどう是正するかに観点を膨らますことの前に「日本国家が滅びない方策」に視点を絞りこむことが急務であろう。
 故事に「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。現在はどうであろうか。「衣食は十二分に足りている」が、「礼節を忘れた社会」に成り下がってしまったわが国である。子育てに必要な条件は無論「衣食」であろう。が、子育ての中で肝心の「礼節」を教えてこなかった大人全員に責任があると老生は考える。礼節を学んでこなかった人間に正常な社会性が育つわけがない。まして遠大な世界観に寄せる哲学がである。
 明治にはそれがあった。大正のデモクラシイーは頓挫し、昭和には悪の論理から武力による派遣があり大戦を起した末に崩落した。そして崩落した国家の再建は経済至上主義であり、結果として学歴偏重主義国家となった。その主義遂行のために差し当たって入試に必要のない履修科目を疎外し、入試合格数を増やすことが学校の名誉と狂奔してきた。高校教育は予備校化していたのだ。このように場当たり主義が氾濫する教育界である。この現状を無視して「学童のいじめ」対策が正常化するはずがない。
 最近の報道では学校全体の隠蔽策と、文科省の「いじめの原因は家庭教育にあり」とする責任のすり替えが発覚するなど、教育界は原因の盥回しの形相だ。教員といえども立身出世を望まない人間はおるまい。したがって責任逃れのための老獪な隠蔽策を繰り返しながら、それでも「鉄面皮な聖職者」でありたいと願う愚かな教職者に社会は鉄槌を加えなければなるまい。「学童のいじめ問題」がこれだけ表社会に出されたからには親権者も己れの「家庭教育の実態」を振り返ってみる必要がある。まず、家族全員で「食卓」を囲む食事風景がわが家にあるか否や。この食事風景を取り戻すことによって家族の健康状態や会話によって子供の心底が読み取れることにもなろう。
学校行事には父親が率先して参加することが望ましく、母親によるPTA参加は意味をなさないものであると老生は断言できる。これらの弊害を直し男性権の復活によって教職員らの緊張を高め「学校教育」と「家庭教育」との間に「責任の擦り付け」を排除し、互いの責任分担を理解し履行することが「いじめ」解決への初期段階だと思われる。わが国の敗戦によって失われてきた「恥辱」という文言の深さに大人たちはもう一度思いをいたすことが肝要。

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kage


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