図書館構想の白紙撤回こそが米沢市再生の鍵だ

2012/08/22 (Wed)
市長が執拗に遂行しようとしている図書館構想には「疲弊著しい中心街の活性化標榜」があるようだが、その裏には一企業人への利益供与が見え隠れし意図する問題に取り組む姿勢に無理があるのではないか。あくまでも中央商店街の弥栄を願うのであれば、その地に住み土地を所有している人達の自助努力に期待するのが当然の摂理というものであろう。
にも関わらずその地で営業を続けている店舗数は何何店舗あるのだあろうか。片手に余る店舗数ではないか。
かつて、この商店街には、市役所・税務署や消防・警察・商工会議所等が有り、自然と賑わいのある地域となっていた。
ところが。吉池市長時代に都市機構改革となって市役所をはじめとする官庁が中心地から移転し商店街構想のもとに解放したのが当初の目論みだったようだ。
大沼百貨店が出店し地元企業家らの努力によってジャスコをはじめとする大型店が連立し中央商店街の面目は立ったかに見えたが人口の減少化には行政も気づかなかったようである。
さて、市長は「米百俵」を例にとり図書館の建設は次世代の教育のために必要だと力説しているが、印刷媒体が知識吸収の主力で有った時代と平成の現代では大きく様変わりしている現況をご存じないようである。
加て、「図書館のもつ集客力」と「中央商店街を繁栄させる」という意味あいを併合して市政を誘導するには無理があるようだ。
図書館建設と中心商街の再興とは別の次元で考える必要がある。
図書館の環境を考えるとき街の雑踏からは避けることが絶対に寛容な条件であるはずだ。
図書館建設に適当な場所は老生が考えるには北村公園はどうだろうか。
侯補にもあがっていない不思議さを老生はいまでも思っているのだ。
市長は図書館建設地をポポロ跡地に拘泥、現在のまちの広場を潰してまで活用したい考えで調査費用他2千万也を議会に求めているのだという。どう考えても市長の執拗さは論外だ。
現在のまちの広場を取り壊し、歴史公園予定地に仮のまちの広場を作り、その後仮のまちの広場を取り壊し、再度ポポロ館跡地にまちの広場を作るのだという。
議会がこのような無駄な拠出を認めるのてあれば議会の馬鹿さ加減が周辺地域に露呈するばかりでは無く、大きな借財を次代に残すものだ。
それは市民としてどうしても防ぐ必要がある。
市長よ、巷の噂を要約すると図書館建設の裏側には酒井彰商工会議所会頭との裏約束があってその遂行のたにヤッキとなっているのだと知った。連日の行動を見るにつけどうもそうであろうとの結論に達している。
山本有三の「米百俵」を例にとるならば、同作者の「路傍の石」を読んでみるがいい。登場する恩師が金持ちになった教え子の要求に血を吐くように叱咤するのだ。「いくら金があるかにと言って、人生をかけて書いた小説を連載させるわけにはいかない。君はそれで金になるだろうが、私の思いはどうなるのだ。君が出版しようとしている書籍の程度さに私の人生を埋没させるわけにはいかないのだ。人には誇りというものがある。金に魂を売るような真似はすべきでない」

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