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なせばなる秋まつり

kage

2022/09/28 (Wed)

なせばなる秋まつり

 以前は鷹山公まつりと称していたと記憶するが、第9回なせばなる秋まつりが、10/24~/25に開催された。祭の構成は「草木塔祭」「棒杭市」「昔遊び体験」「今に伝わる伝統市」「米沢丼まつり」「交流物流展」「益子陶器市」「ステージイベント」と多彩だ。
 25日は好天に恵まれたことから午後2時に「米沢丼まつり」の丼を食しようと出かけたが売り切れで口に入らなかった。又、出店で丼を買う前に別の場所で売っているチケットを求めるシステムはどうも馴染めない。

 なせばなる秋まつりとは別に、24日には「松岬神社秋期大祭」が行われ、神社境内に「初代米澤藩主上杉景勝公」の石材レリーフを4月に寄贈した、大阪市在住・逆瀬沢石材店の櫻井融(とおる)氏への感謝状贈呈が行われた。寄贈のことは山新の令和4.4.19で報じられたので紹介したい。

『桜井さんは、米沢ゆかりの戦国武将・前田慶次に引かれたのをきっかけに7年前、初めて米沢市を訪れた。同市の人との交流が生れ、歴代藩主が眠る上杉家廟所への石柱設置などを続けてきた。景勝には「寡黙で冷静というイメージがある」と桜井さん。「あこがれの武将たちのゆかりの地に自分の名を残せるのはこの仕事ならでは。米沢の観光の役に立ちたい」と話す。』

 以下にレリーフの写真を載せるが、是非神社の実物を見て貰いたい。

なせば1 なせば5 なせば3

なせば2 なせば4 なせば6

 

四公法要に参列して②

kage

2022/09/13 (Tue)

四公法要に参列して②

 10/11に法音寺にて、行われた四公法要の喪主は、上杉家十七代当主・上杉邦憲様だが、法要には十八代当主(予定)の裕憲様、そして裕憲様の嫡男(十九代当主予定)も参列し、上杉家の世継ぎについては参列者一同安堵したのではないか。

 案内には、法要の後グランドホクヨウにて「お斎」と書かれており、「おさい」と読むのかと思ったが念の為Webで調べると、「おとき」又は「おとぎ」との読みであることが分かった。通夜に持っていく「伽見舞い(とぎみまい)」は知っていたが、「お斎」を「おとき」と読むとは、恥ずかしながら七十余年にして初めて知った。
 そんなことは知っていると言われる方もいるだろうが、以下にWebでの説明を掲載する。
【お斎】(おとき)
お斎の由来
 お斎の「斎」という字は、仏教用語である「斎食(さいじき)」からきています。これは、正午や決まった時刻にとる食事のことを指す言葉ですが、法要を行なった際の食事という意味も含みます。
 お斎(おとき)とは、葬儀・法事の後に行われる食事会のことです。地域によっては葬儀の朝に故人と一緒にとる最後の食事を指すところもあります。また別の地域では、「出立ちの膳」と言って出棺前に振舞う食事のことをお斎というところもあります。通夜振る舞いや精進落としもお清めと呼ばれ、お斎に含まれます。お斎や御斎と書くこともあります。
 読み方は、一般的には「おとき」と読みますが、地域によっては「おとぎ」と読むところもあります。お斎は、施主からお坊さんや参列者に対する感謝の気持ちを表すための席で、食事をしながら思い出話をして故人を偲びます。お斎は一般的に、自宅や葬儀場などのホール、レストランや料亭などで行われます。以前は、お斎で振舞われる食事は精進料理が定番でした。時代とともにお斎のスタイルは変化していて、現在は懐石料理や仕出し弁当が主流になっています。
(https://www.koekisha.co.jp/chiebukuro/funeral-meal/ 


四公法要に参列して①

kage

2022/09/12 (Mon)

四公法要に参列して①

 10/11に法音寺にて、上杉家二代藩主 景勝公400回忌・六代藩主 吉憲公没後300年・十代藩主 鷹山公没後200年・十一代藩主治広公 没後200年、の四公法要が執り行われ、小生はこの法要に参列した。
 上杉家では、歴代藩主が亡くなられた後、50年毎に法要を行う慣わしと言うから、次回は50年後となると、今回参列された殆どの面々に次回のチャンスはなく、今回参列することへの喜びを感じたのではないか。

 市民にとって景勝公や鷹山公は馴染みのあるものの、吉憲公や治広公に付いては全く知らないと言うのが実状ではないか。そこで簡単に吉憲公・治広公ついて紹介したい。

【第6代吉憲公】
・生誕:貞享元年11月8日(1684年)米沢城にて生誕。
・死没:享保7年5月1日(1722年) 39才
・生涯
 元禄15年(1702)赤穂事件により、祖父の義央公が命を落とし、弟の義周公が信州諏訪の高島藩に幽閉され、父君(綱憲公)は心痛のあまり、病床に就かれ隠居された事から吉憲公は第6代目の藩主となる。
 その翌年、6月に父君(綱憲公)、8月に祖母(義央公正室)、その2年後には弟(義周公)が亡くなられるという大変悲しい出来事が続く。
 宝永元年(1704)幕府から江戸城石垣修理が命じられたため、領内商人や家臣から物成借り上げを実施して費用を作る。

【第11代 治広公】
・生誕:明和元年7月11日(1764)米沢城にて生誕
・家督相続:天明5年(1785)鷹山公隠居に伴い家督を継ぐ
・死没:文政5年(1822)米沢にて逝去 59才
・生涯
 家督相続に当たり、鷹山公から藩主の心得三ヵ条が贈られた。その内容は「君主たるものは国家(藩)・人民を私物化してはならない。君主は国家・人民のためにあるのであって、君主のためにある国家一人民ではない」というもの。治広公が藩主となった天明年間は大飢饉と改革の指導者たちの引退で改革が中断するも、鷹山公や莅戸善政の積極的な指導もあり、養蚕・織物等の産業が興隆し、農村の復興も軌道にのって藩財政が好転する等、改革の成果が表れた時代であった。
  
【続く】

上杉衆 これぞ芋煮会

kage

2022/09/10 (Sat)

上杉衆 これぞ芋煮会

 幾多の地区が「芋煮会発祥の地」としてPRしているが、小生が属する「米沢御堀端史蹟保存会」では下記の謂(いわ)れから、昨年「上杉衆これぞ芋煮会」を企画し、町おこしの一助にしようと計画したが、コロナ禍の影響で中止を余儀なくされた。

 今年は、国・県とも移動に制限を課していないことから、10/10に実施する計画を進めている。 小生が若い頃は自分で調理したものだが、近頃殆ど見られずに出来合いの芋煮で済ましているようだ。 そこで、竈に火を熾して自分達で調理する昔ながらの芋煮会を実施するものだが、9/25迄申し込めば誰でも参加できるので090-3643-1232迄申し込んでほしい。
謂れ
ポスターA4用