上杉衆 これぞ芋煮会

2021/05/21 (Fri)
上杉衆 これぞ芋煮会秋の風物詩として、山形市の馬見ヶ崎河原で行われる大鍋芋煮が全国的に有名になったが、小生としてはショベルカーがお玉の代わりと言うのは馴染めない。
当地の芋煮会と言えば、松川河川敷などで石の竈を作り、鍋に材料を入れ各自で味付けしたものをグループで食したものだが、最近は業者に頼んで出来上がった芋煮を椀に盛るだけの芋煮会が主流のようだ。
米沢には次の伝承がある。
応永三十一年(1406)八月十五日大井田経宗は、尹良親王を奉じ、一族を率いて諏訪から三河に向かう途中、野武士に襲われ戦死する。尹良親王は自刃し、羽川刑部他二十数名が親王に殉じたという。
その後、大井田氏は上田長尾氏と同盟関係結び、御館の乱では上田衆として出陣して上杉景勝の下で活躍した。
時を経て、一族が先阻の地「魚沼」を去った日は旧暦八月十五日とされており、その別れを惜しむ人々が里芋等を持ち寄り、一族の息災と、戦で亡くなった先人の鎮魂を願って、野外で芋煮の宴を開いたとの伝承があり、末裔は現在でも旧八月十五日に芋煮の宴を開いている。
小生の属する米沢御堀端史蹟保存会では、この伝承を米沢衆芋煮の発祥と捉え、来る10月10日に昔ながらの芋煮の会を開こうとゆうことになった。
初期費用の捻出はクラウドファンディングで行い、全国的にPRすることにより町の活性化に繋がればと願っている。
ネットで「上杉衆これぞ芋煮会」と入力するとファンディングのサイトに入れるので、是非ご覧頂きたい。


新庁舎オープン②

2021/05/16 (Sun)
新庁舎オープン②5/14に初めて新築の市庁舎に印鑑登録証明書を貰いに訪れた。申請用紙に記入する台の一番東側テーブルは人がいるので2番テーブルで申請書に書き込もうとしたが印鑑登録証明書の申請用紙がない。係員に尋ねると「一番東側テーブルにだけ置いております」とのこと。 旧庁舎ではどの申請記入台には用意されていて便利だったが、新庁舎でこうしたのは何故か後で尋ねてみる。
小生は本市の人口動静に興味があり、月に一度は旧庁舎ロビーの掲示板を常に注視していたが、新庁舎にはそれがない。係員に尋ねると「ここに掲示しています」と指さしたのは、何とペラのA4用紙に印刷したもので、その前にはその数字を隠すが如く観葉植物の鉢が置いてあった。
中川市長は「人口減少に歯止めをかける」と選挙公約で謳ったが、豈図らんや(あにはからんや)本市人口は減少の一途を辿り、有効な具体策も示されない状況から、市民に余り知られたくない心境の表れか?
新市庁舎西南にあるレリーフ像に気づいた市民もいると思うが、これは直江兼続公である。この像は数十年前に米澤新聞社が市に寄贈した物だが、旧庁舎西側の人目に付きにくい場所に設置されていた為、市民の多くは気づいていない。
そこで市の、財政課に「庁舎が新築されるのを機会に、米沢市のまちづくりを行った公であるから人目に付く良い場所に・・・」と要望していたところ、現在の場所に設置された。
一説によると「直江公は冑山を目印に町割りを行った」とあり、その公が冑山を眺めてのレリーフ像の設置場所に満足して、過日財政課を訪れ感謝の意を表してきた。



新庁舎オープン

2021/05/06 (Thu)
新庁舎オープン米沢市・長井市・川西町の庁舎が同じ時期に新築され、同じ時期に開庁式が行われたが、これは新耐震基準導入前に建設され、耐震化が未実施の市町村の本庁舎の建て替え事業(令和3年度完成)に国が補助金(井戸副市長からは建築費の22%と聞いている)を支給する制度によるものだ。
本市の旧市庁舎は、吉池慶太郎市長時代の昭和45年に建設され、耐震化は施されていないことから建て替えられたものだが、新庁舎の西側の敷地に吉池慶太郎氏の半身像が新庁舎に向かって(東向き)に設置された。このことに異議はないのだが、銅像の向きに関しては・・・・
松が岬神社の東側に「上杉鷹山公座像」があり、以前は参道にお尻を向けていたが、現在は参道を向いている。これに関して小生が関わったので述べてみたい。
参道にお尻を向けて設置した経緯は、30数年前に小生が属する米沢松岬ライオンズクラブが周年事業として「上杉鷹山公座像」を市に寄贈することになった。市の担当者は「県の助成金を貰って整備した公園で、メインは噴水だから、それに背を向けることはできない。像が噴水向きに設置するのが条件」と言うので不本意ながら参道にお尻を向ける格好となった。
上杉神社を訪れる観光客の多くが、ボランティアガイドに「何故参道にお尻を向けているのか」との質問に答えるに窮して「鷹山公は市庁舎の方向を向いて職員の働きぶりを監視しているのです」と説明していた。
その後、小生が米沢松岬LCの会長のとき、高橋幸翁市長に「市の予算で参道向きに変えていただきたい」旨の陳情書を提出した。市長は「今は予算が取れないので何れ」との回答に余り期待はしていなかったが、数年して「予算が付いたので工事を行う」との連絡が入り現在の向きになった。
このように、国・県の助成金や補助金を利用した事業には、お上の顔色を窺いながら業務を進めることから、国の補助金を導入しての新庁舎に、お上の威光は如何なものかと「上杉鷹山公座像」の向きの経緯を思い起こした。
間もなく見納めとなる新旧庁舎の揃い踏み


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