桜花爛漫

2021/04/22 (Thu)
桜花爛漫世はコロナ禍で不要不急の外出を自粛するよう叫ばれているが、各地の桜は「我関せず」と本年も見事に開花した。そうなると桜見に出かけたくなるのが人情である。
昨年計画していた福島県猪苗代町の「観音寺川の桜並木」はコロナ騒ぎで中止したが、本年は三密を避ければ感染の恐れはないと独断し、4/16桜見に行くことにした。
混まない早い時間に到着するよう米沢を午前6時に出発し、現地には8時前に到着すると、案の定人はまばらで、ゆったりと花を観賞することができた。
写真のように、川幅5mほどの堤防両側に並ぶ桜は人が植えたもので、苗木からこのように育つのは30~50年の年月を要する。
ところで、米沢の桜は殆ど老木が目立ち、その状況を心配した上杉家第17代当主の上杉邦憲氏が、一般社団法人霞会館にお声をかけた結果、2018年に桜の苗木200本が本市に贈呈されることになった。
植樹や更新は米沢市が主体となって行う計画とのことで、先ず、旧愛宕小学校界隈から始めると言うが、見応えがあり多くの見物客が訪れるようになるには数十年を要し、果たして米沢市の職員によるお役所仕事でどうなるものかと危惧する次第。
(観音寺川の桜並木) (松川河畔敷の桜並木)



山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ⑤

2021/04/20 (Tue)
山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ⑤後藤幸平町長が掲げた「飯豊電池バレー構想」に専門職大学の誘致がある。
内容は仙台の赤門自動車整備大学校を経営する学校法人赤門学院が飯豊に私立4年制大学の「モビリティシステム専門職大学」を開校し、「電池」「駆動」「車体」「情報」を柱に、電池とモーターで動く様々なシステムを学習するのだという。 そして専任教員の4割以上は実務家教員(企業などで活躍した優秀な方)で、最新の活きた知識と技術を学べるとある。
開学に向け、2019年10月に文部科学省へ申請し、本年4月に開校すると広報していたが、未だ開校したとは報じられていない。山形大学xEV飯豊研究センターのつまずきで「飯豊電池バレー構想」が大きく揺らいでいるように思えるが?
新しく大学を開学し運営するには相当難しい問題をクリアしなければならず、まして永年に亘り継続するには高度の経営ノーハウを必要とする。
30数年も前の話になるが、時はコンピューター時代の草創期で、各企業が自社に合ったアプリケーションソフトを求めていた。それに伴い、各地にコンピューターアプリケーションソフトの開発会社が設立され、システムエンジニア(SE)がもてはやされていた。
当地、米沢にも白布温泉に向かって泉町踏切を越えた右手にソフト(アプリ)開発会社の高層ビルが建設され、それに付随して同敷地内にアプリを学ぶ学校も開学された。
開校間もなくして、知人より「学校運営に手を貸してくれないか」との依頼があったことから、早速校長と面接し小生のやるべき仕事内容を尋ねたところ、学校運営には金が掛かるので「企業からの資金集めが仕事」だと言う。
企業が学校に資金を提供するには、開発しているアプリが優秀であるか、卒業生が優れたSEとして採用できるか等のメリットを期待するものなので、その辺を質問したが、とても小生が考えるレベルに開きがあったので丁重にお断りしたことがあった。そして間もなく学校は倒産した。
その頃、特許保有件数世界一の西澤潤一教授が東北大学にいて、多数の企業が資金提供を申し出ているテレビ番組が放映されていた。そして西澤教授の指導を求めて入学した学生に、舛岡富士雄氏、江刺正喜氏、小柳光正氏等がいて、その後、世界に名を馳せる研究者となった。
自動車無しでは考えられないこの時代に、電気自動車や自動運転の車の草創期を感じ、それに伴う技術者の養成を目的とする飯豊町の「モビリティシステム専門職大学」の開学は時代にかなった計画だが、小生は30年前の経験を思い起こし、飯豊町はこの「難事業」をどう達成するか興味津々であり、成功することを祈る。
【完】

山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ④

2021/04/15 (Thu)
山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ④当初、Y教授が研究を進めるリチウムイオン電池を核に、飯豊町の後藤幸平町長が掲げた「飯豊電池バレー構想」はすばらしいものと評価したが、今となっては飯豊町のお荷物となるのではないかと懸念する。
社会通念として、大学教授といえば「高度な知識」で「良識の府」ととらえられ、彼らに話を持ち掛けられれば疑うことなくその話を信用してしまう場合が多いが、小生が大学教授と関わった実体験から必ずしもそうとは言えない事例を以下に述べたい。
【舘山城の事】
米沢市の文化課が数年前に、舘山発電所が伊達政宗の城跡(主郭)であると大々的にピーアールを行った。しかし政宗は17歳で家督を譲られると福島に侵攻して統治下に治めた為、舘山にちっぽけな城を築く理由がないとして、文化課にクレームを申し出た。
すると文化課のA職員は「山形大学のI教授もそのように述べている」というので、I教授と面談すると「市当局がそう言っているので、私もそのように言ったまで」と全く無責任な返答だった。
【ナセバ建設の工事遅延】
市が発注した工期よりナセバ完成は3ヶ月の工事遅延を来たした。市は、この工事遅延に対して「豪雪の為の不可抗力」名目で約3,000万円を増額して工事代を支払った。
この事案に「工事遅延は壁柱工法に対処できなかったJVの技術不足であり、公金支出は不当である」として住民監査請求を行ったところ、困り果てた市当局はH工学博士・O工学博士等に意見を求めて調査報告書が提出された。
報告書は工学博士とは思えぬ稚拙な物で、冒頭に「法律及び財政的な観点は含まない」と前置きしながら、延々と法律及び財政に関する記述が続き、肝腎の「工事遅延はJVの技術不足か否か」に付いては「壁柱工法は特段特殊な工法ではない」と表記するばかりで、JVの技術評価に付いては触れていない。(この調査に市は約30万円を支払った)
【加冶川重油汚染問題】
福島県沖地震の後「加冶川に重油が流出したが、廃業した染色業者の地下タンクが流出元と思われるので調査を望む」として、住民が議会に請願書を提出して採択された。
それを受けて市は「地下水技術検討会」を組織し「Y山形大学名誉教授」・「YNE山形大学名誉教授」等が委員となって検討の結果「地下タンクから約100メートル北に井戸を掘って汚染するか見守る」との結論を出し、市は井戸掘削に約80万円を福島の業者に支払った。
請願提出の市民は「地下水汚染を心配して、原因特定と原因の撤去を請願したのに、汚染されるのを待っているとは支離滅裂な検討結果だ」と教授肩書きに不信感を露わにした。
かように○○教授の肩書きが有るからと言って安易に信用してはいけない。
【続く】

山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ③

2021/04/12 (Mon)
山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ③山形大学工学部に於けるリチウムイオン電池の研究はY教授だけでなく、2015年4月に着任した森下正典教授は従来の液体に代わる固体化したゲル状の電解質を研究し、2020年2月には全固体型リチウムイオン電池で容量を2倍にする実用化技術開発に成功したと発表し、2年以内の製品化を目指しているという。 よって、Y教授の液体型リチウムイオン電池の研究は以後無価値となる為、2020年1月に山形大学の小山学長は後藤町長にセンターの撤退を伝えたのではないか?
外部の小生から見ると(想像を含めて)、山形大学は2011年民間企業を退職したY氏が液体型リチウムイオン電池の研究の第一人者と考え、教授として招聘したが、世界の潮流は固体型に移行しつつあったところに、2015年森下正典氏が教授に着任して固体型の開発が進むと、Y教授の存在は山形大学に取ってお荷物となった。
しかし山形大学が招聘したのだからY氏を退官させる訳にもいかず、苦肉の策として自治体から空き工場提供と出資を仰ぎ、山形大学xEV飯豊研究センターが設立されたのではないか。
このように考えれば、小山学長の「撤退する理由などについては説明できない」の弁は理解できる。
飯豊町の後藤町長は「山形大学xEV飯豊研究センター」を核とした「飯豊電池バレー構想」を発表し、リチウムイオン電池関連製品製造の為に添川地内の東山工業団地に貸し工場の建設に着手した。
それに加えて「モビリティシステム専門職大学」を誘致し、「電池」「駆動」「車体」「情報」を柱に、電池とモーターで動く様々なシステムを学習するとして2019年10月、文科省に大学開設の申請を行った。
「飯豊電池バレー構想」が計画通りに事が進めば、近隣自治体が羨むようなまち作りが実現するのであろうが、Y教授のパワハラ問題からどうも上手くいっていない話を耳にする。
山形大学は小山学長から玉手学長に代わり「山形大学xEV飯豊研究センター」には今後も協力するとのコメントを発しているので、東山工業団地は森下正典教授の全固体型リチウムイオン電池関連の製造工場として稼働できるのであれば将来に希望も持てよう。しかし、有望な研究には企業の金銭的支援が付きものゆえに、大学の一存とも行かないであろう。
【続く】

山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ②

2021/04/08 (Thu)
山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ②ところで「山形大学xEV飯豊研究センター」は、成長分野であるリチウムイオン電池の研究開発拠点として2016年に開設され、パワハラをしたと認定されたY教授が、開設当時からセンター長に就いている。
この教授は、2011年に民間企業を退職して山大工学部の教授に就任したが、目立たない存在だったというのに同研究センター所長に抜擢されたのは山形大学のある理事との個人的な関係からだと噂されている。
このセンターは山形大学から飯豊町に開設を提案し、センター開設の総事業費15億円のうち7億円を町が負担したものだが、Y教授はスタートしてわずか2年あまりで複数のパワハラ事案を起こし、被害者は大学側に伝えているにも関わらず、事案を隠蔽するような態度で対応は極めて鈍かったという。 しかしパワハラ問題がマスコミにも取り上げられると、大学側は考えられないような軽い処分をY教授に科し、お茶を濁そうとした。
そして2020年1月に山形大学はセンターの撤退を町に伝え、Y教授は2020年の春に大学を退職した。
詳しいことは『「パワハラ教授」に甘すぎる処分を下した山形大学の不可解」』としてネットに掲載されているので参照願いたい。(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57112)
数年前、山形大学のリチウムイオン電池研究所が飯豊町に決まったことに「米沢市で受けるべき事案ではなかったか」と飯豊町に持って行かれたことを悔やんだが、今となっては「後藤飯豊町町長は“好い面の皮”」と同情するばかり。
山形大学ともあろう知的集団が、15億円も投資した研究施設をわずか4年で放すとは? これはY教授と大学側で巧妙に仕組まれた罠に、飯豊町が掛かったのではないかと疑いを持つ程に奇っ怪な事案である。
そんなことからリチウムイオン電池とは何ぞやとの興味を持つようになり、ググると、液体型と固体型があり、吉野氏がノーベル賞の対象となったのは液体型で、この型はプラス極とマイナス極のイオンの伝導を担う電解質として液体を用いるため、その蒸発や分解・液漏れ等により、破裂・発火するといった心配があるが、全固体電池はその電解質が固体となるため、液漏れの心配がなく、安全性が格段に向上し「耐久性」「温度耐性」「サイズ」そして「充電時間の短縮」にメリットがあると言う。
【続く】

平洲椿の開花

2021/04/05 (Mon)
平洲椿の開花関根の普門院は上杉鷹山公が、江戸から細井平洲師を迎えに出向いた寺院とされ、師が江戸より椿の苗を持参して当寺院に植樹されたのが「平洲椿」である。
この椿は「千重」と称されるほど花弁の数が多く、新種ではないかと「日本ツバキ協会」に申請して認可されたことを記念し、2018年6月苗の頒布会を行った。
50名ほどの応募者があり、その後の生育が気になっていたが、先日「平洲椿が開花しました」と弾んだ声の御婦人から電話があり、早速カメラに収めたのが下の写真である。 小生も苗を育てているが蕾みが付いていないから今年は期待できない。 50名ほどの応募者の殆どが枯らしているので、開花まで育てられるのは数人ではなかろうか。
下右の写真は本家本元の「平洲椿」だが、蕾はまだ堅く開花は2週間程先と思われる 諸兄も是非「普門院」を訪れ「平洲椿」を鑑賞いただきたい。



山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ①

2021/04/04 (Sun)
山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ①世界的に脱炭素社会の実現を目指す計画が発表され、なかんずく自動車はEV(電気自動車)化に加速している昨今だが、その原動力となるバッテリーに付いては改良に各社鎬(しのぎ)を削っている現況にある。
現在の「ナセバ」建設が議会で討議されている頃、山形大学ではリチウムイオン電池の研究センターを設立すべく、土地と資金の提供を自治体に打診していた。
当然、本市にも話が持ちかけられたが、「ナセバ」建設で頭が一杯の安部三十郎市長は、議会に報告をすることもなくスルーとした。
この話に飛びついたのが飯豊町の後藤幸平町長である。おりしも町が誘致した照明機器の大手メーカーが工場撤退を表明して途方にくれていたところに、山大から「空いた工場をリチウムイオン電池の研究開発を進める拠点施設として利用したい」との申し出があったから、大乗り気(おおのりき)で話は進められた。
後藤町長は「ピンチをチャンスに変える」と張り切り「飯豊電池バレー構想」を提唱して、2013年に飯豊町・山形大学・山形銀行の連携協定のもとに山形大学xEV飯豊研究センター事業が開業に向かって進められた。
2016年に次世代電池研究拠点として研究センターは総事業費15億円のうち7億円を飯豊町が負担して開設され、山形大学は飯豊町へ年間1,000万円払う10年間の賃貸契約を締結した。
研究を牽引するのは山形大学が企業からヘッドハントしたY教授だが、2018年にパワハラ問題で世間を騒がせ、研究センターに暗雲が立ちこめたが、翌年の2019年には吉野彰氏がリチウムイオン電池の開発功績が認められノーベル賞受賞者となったことから、後藤町長はテレビにも出演してリチウムイオン電池開発の「飯豊電池バレー構想」を熱く語った。
ところがである!! 2019年12月に後藤町長が山形大学の小山清人学長を訪れた際、翌年3月に研究センターは撤退する意向を告げられ、そして2020年1月に山形大学は山形大学xEV飯豊研究センターからの撤退を表明したが「理由などについては説明できない」としている。
【続く】

| HOME |