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諸橋近代美術館

kage

2020/10/20 (Tue)

諸橋近代美術館

 コロナの影響で旅行を控えていたが、近場で3密が避けられる所として裏磐梯高原の北塩原村方面に出かけた。そこには諸橋近代美術館があり、「若きセザンヌの挑戦」と題する企画展を開催しているので、紅葉と美術展を楽しもうと洒落込んだ。

 北塩原村で個人名の美術館なので、民家に毛の生えた程度の施設と高を括って出かけたが、あに図らんや下の写真の如くれっきとした美術館であることにビックリした。
 パンフによると、創設者の「諸橋廷蔵氏」はサルバドール・ダリの作品を主に、ルノワールやゴッホなど410点のコレクションと、美術館用地・建物を財団法人に寄付し、裏磐梯五色沼入り口にこの美術館を開館したのだという。
 コロナ禍で入場制限が行われていることもあり、入館するに30分ほど待たせられたが、ゆったりとした雰囲気で作品を堪能することができた。

 本市には諸橋廷蔵氏のような傑出した経済人が出なかったこともあるが、上杉氏が会津120万石から、1/4の30万石に減封されて米沢への国替えと言うこともあって、芸術にまでまつりごとが及ばなかったのではないか。

 米沢市に美術館のないことは致し方ないとしても、せめて上杉博物館でビッグな企画展を開催してほしいと思っているが、現在の経営陣ではそれも不可能だろうと常々思っている。
 そんな折、「米沢印象派の会」主催による「世界の名画とワインの晩餐」と題する印象派巨匠の作品が上杉伯爵邸大広間で展示される。
 世界の巨匠作品が上杉伯爵邸大広間で展示されるなどは、設備上・警備上通常考えられないが、主催会の山田氏は「ある富豪よりの好意で、一日だけ借りることが出来た」とのこと。

期日 11月7日  会場 上杉伯爵邸大広間  会費 3,500円 
お問合せ 090-2880-8345 (山田)

諸橋美術館2 00000076.jpg 00000077.jpg 山田2



日本学術会議のこと

kage

2020/10/15 (Thu)

日本学術会議のこと

 このところ日本学術会議の会員候補6人が任命されなかったことについて、議論が過熱している。 小生はこれまで日本学術会議の存在には関心がなかったが、内閣府の「任命されなかった理由」には違和感を覚え、にわか勉強で日本学術会議とは何ぞやと調べると、日本学術会議法というものがあり、目的を次のように定めている。

◆第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

 そして日本学術会議のメンバー選出と任命については次のように定めている。

◆第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
◆第七条 2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

 今般の菅総理は、日本学術会議の推薦に基づかないで「任命するに相応しくない」として6名を外したのだから、その方たちは「優れた研究又は業績がない科学者」と言うことになる。 しかし、外された6名は優れた研究又は業績がある科学者として広く知られているので外に理由があるはずだが、総理は
「総合的、俯瞰的に見て」6名を外したと答えにならない理由をのべ、挙げ句の果てに日本学術会議の推薦したメンバー表を「見ていない」と答弁している。
 推薦者の顔ぶれも見ないで「総合的、俯瞰的に見て判断」とは余りにも国民を馬鹿にした態度ではないか。 総理は6名を外した理由に「科学者としての業績や、思想信条を評価したものではない」と言っているが、その外にどのような理由があるというのか?

 菅総理は東北出身で、元官僚や世襲議員ではないので好感を持っていたが、今般の日本学術会議任命騒動には、小生が行政訴訟で米沢市と裁判で争ったときに抱いた「お上は偉いのだ。平民の分際でお上にもの申す不埒なやつ」という行政・法曹界の対応を思い起こして「日本は民主主義の国家であらず、官主主義の国家」を彷彿させる一件である。


町名変更

kage

2020/10/06 (Tue)

町名変更

 江戸時代の封建的身分に士農工商という身分制度があったことは多くの国民の知るところであろうが、その下の身分に穢多非人(えたひにん)があったことは、現代では殆ど知られていない。

 穢多は斃牛馬(へいぎゅうば)処理、皮革の加工、農業や雑業的手工業などを行い、非人は主として乞食(こじき)をしたが、刑場の特にむごい下役には非人が従事させられ、一般庶民との交際を禁じられるなど、厳しい差別を受けた。
 このような封建的身分は明治維新の改革で廃止されたが、蔑視(べっし)と迫害は続き「部落差別」として今日にまで禍根を残している。

 全国各地に穢多非人の住む地区があり、米沢も御多分に漏れず存在したので、小生が幼少の頃は「その地区に近づくな」と諭されことを覚えている。

 1962年5月10日に、町をわかりやすくしたり、郵便物を配達しやすくしたりすることを目的にした住居表示に関する法律が施行され、それまでの通り名である町名が区画名に変更になった機会に、「部落差別」を受けていた町名を変更した自治体が多かったが、何故か本市では「部落差別」の町名がそのまま残ってしまった。
 桜木町や丸の内と町名を変える前に、部落差別を受けた町名を変えるのが妥当と思うが、何故旧町名が残ったのか今でも疑問に思っている。

 現在その地区に住まわれている、ある御婦人から「町名変更をしたいから調べてほしい」との依頼があったので、市役所の案内係に尋ねたところ担当部署は財政課とのことなので財政課のA係長と面談した。すると「うちの課ではないので調べて御返事を差し上げます」とのこと。
 その日のうちに返事が来て「担当部署は市民課です。町名を変更するにはその地区住民の承諾をとり要望書を出してください」とのことだった。

 早速御婦人に報告申し上げたが、今の若い人には穢多非人を知る人も少なく、60年近く使用している町名を変えることに住民の賛同が得られるかどうかは疑問に思った。