小国川ダム完成と法の矛盾

2020/08/21 (Fri)
小国川ダム完成と法の矛盾アユ釣りの名川として知られる山形県最上小国川のダム竣工式が8/3に行われた。
2012年度に着工されたこのダムを巡っては「鮎の生態系に影響がある」として、工事費支出差し止めを求めた住民訴訟が提訴され、激しい反対運動の最中、県と組合員との板挟みとなった小国川漁協の組合長が2014年に自殺するなどの経過を経て、8年間の争いは今年6/30に組合側敗訴の控訴審判決が下った。が、組合側はこの判決を不服として最高裁に上告を行い、現在係争中である
以上の経過を経て完成した最上小国川ダムであるが、疑問に思うのは組合側の訴訟目的である「工事費支出差し止め」の裁判中でもあるに関わらず、約88億円の工事費が支払われてダムは完成してしまったことである。すると、万が一に最高裁判決が組合側の逆転勝訴となった場合はどうなるのであろうか?
組合側は「工事費支出差し止め」を求めての提訴だが、工事費はすでに支出済の現況に「差し止め」は現実的に不可能である。それでは吉村県知事に対して「支出した工事費を県に返還せよ」との判決を下せるかと言えば、訴訟目的が「工事費支出差し止め」であるから「返還せよ」の判決はあり得ない。よって最高裁の判断は「棄却」となることは明々白々である。
10何年か前まで「工事差し止め」を提訴された公共工事は、判決が下るまで工事を中断しなければならなかったが、「円滑な行政活動が阻害される」ことを理由に工事を中断しなくても良いとの法改正が行われた結果、理不尽な公共工事でも住民の工事反対の思いは反映されなくなった。
それでは、住民が理不尽と思える公共工事を阻止するにはどうすれば良いのだろうか?
公共工事は予算を議会で審議され、承認されなければ工事費を支出することができないから、議員は住民の意を汲んで的確なる賛否を投じてくれれば良い。 しかし、行政提案を深く審議もせずに賛成票を投じる議員が多く、小生が長年感じているのは「議会は行政の追認機関」ということだ。
人口減の本市は、今般のコロナ騒ぎで予期せぬ出費があった外に、新庁舎の返済・新市立病院の返済と大型支出を控え、間もなく9月定例会が開かれるが各議員の質問に刮目する。

芋煮会のこと

2020/08/10 (Mon)
芋煮会のこと里芋が日本に入ってきたのは縄文時代と言われ、焼く・蒸す・炊く等の調理法で各地で食されていたが、野外で里芋鍋を多くの人で食べる「芋煮会」はいつ頃から行われるようになったのだろうか?
これには諸説有るが、米沢温故会の会誌「温故」の38号に会員の大和田瑩氏は次の文章を投稿している。
【芋煮の謂】
応永三十一年八月十五日大井田経宗は、尹良親王を奉じ、一族を率い諏訪から三河に向かう途中、野武士に襲われ戦死する。尹良親王は自刃し、羽川刑部他二十数名が親王に殉じたという。いつの頃の事か、当家では一族が先阻の地「魚沼」を去った日は、旧暦八月十五日とされており、その別れの宴が芋煮だったとの伝承があり。火急のこととて準備もままならず、別れを惜しむ人たちが里芋等を持ち寄っての屋外での宴と思われる。野外での大勢の会食は、現在の「芋煮会」に通じる。当家では毎年旧暦八月中旬に一族縁者を一堂に招き、無礼講で、昔時を語る芋煮の宴を年中行事として現在に至っている。
おそらく一族の苦難の歴史、祖父の地を忘れないための、或いは困難に負けず、一族の再起を期すための、代々伝えられてきた催しではないだろうか。
平成元年より開催された山形市の「日本一の芋煮会フェスティバル」で全国的に知られるようになり、馬見ヶ崎河川敷での「芋煮会」が本家本元と思われがちだが、小生は祖父より次のように聞いている。
「霞城公園には明治29年から終戦まで歩兵第三十二連隊の本営があり、米沢地区から招集された兵は、たまの休みに馬見ヶ崎河原で数人で芋煮を食したが、それを見た山形市の連中もそれに習って野外での芋煮を楽しんだ」
「米沢人はピーアールが下手」と言われるが、前述の伝承もあることから「日本一の芋煮会発祥の地」と銘打った催しを松川河川敷で行ったらと思っている。
山形の日本一は鍋の大きさであるが、米沢はグルーブ毎に竈に鍋をしつらえ、鍋の数で日本一を謳い、故人の「鎮魂の宴」と意味づけし、醤油・米沢牛肉仕立ての芋煮鍋を全国的にピーアールしたらどうだろうか。

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