鷹山公入部250年

どうなる米沢、どうする米沢

2019/05/16 (Thu)
どうなる米沢、どうする米沢米沢市の将来に悲観的な投稿諸兄だが、かく言う小生も同感である。
「どげんかせんといかん」をキャッチフレーズに、宮崎の特産物をアピールし県内行政の改革に尽力した東国原氏のような市長の出現を望むも、夢の又夢でしかないようだ。(「なんとがさんなね」と芳賀道也氏が今参議院選に名乗りでたが・・・・)
市議選も終わり新たに24名のメンバーで議会が開催されるが、彼らへの期待は全く無い。これまでのような議会運営では投稿の尚山氏の「議員は8名」ならず小生は4名で足りると思っている。
24名が妥当とする議員側の言い分は「減らせば地域住民の声が行政に充分反映しない」とか「委員会を5人程で構成しなければ充分な論議が出来ない」などと御託を並べるが、地域住民の声は地区委員が行政に言えば良いだけだし、委員会設置は必須ではない。議場で討議すれば良いではないか。
ナセバ建設で揉めた時、予算承認に賛成議員と反対議員が議会で討論し、その時は議会に足を運ぶ市民が多数いて、議会・議員への関心が高まったが、その後は出来レースで「議案の追認機関」との感が否めない。
行政の無策も議員の低能も住民のレベルに比例すると言われる。すなわち市民のそれに対する無関心が「遅れず休まず働かず」と揶揄される公務員気質を増長させ「働かなくとも給料は同じ」の議員根性を醸し出すのであるから「物言う米沢市民」であってほしい。
愚痴ってばかりいても何の生産性も無く「どうする米沢」に、小生は「観光は産業である」との思いから「平洲椿」が観光客の増員に繋がると期待して上杉伯爵邸にそれを植樹する催しを計画した。
平洲椿は関根の普門院に約220年前、上杉鷹山公が教えを請うた細井平洲師が手植えした椿で、市のシンボルツリーとして認定されたうえ、日本椿協会に新品種名「平洲椿」・「優秀古木椿」として山口氏(遠山)によって登録されたのである。
その苗を山口氏が育てて4/30に17代当主手植えの植樹祭が行われた。
普門院は国の文化財に指定され、この度庫裏の補修改築工事が終わったが、普門院・平洲椿が観光に寄与する事を願っている。
17代当主 上杉邦憲様手植えの植樹祭



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