ポポロを廻る奇々怪々!! ④

2018/10/31 (Wed)
ポポロを廻る奇々怪々!! ④覚書をみると、ポポロ跡地の売買条件は”地権者に利益の生じない取引価格”と解される。当時の当局は「解体費用で市が購入する」と説明し、議会では建設部長が「解体費用は2億円相当」と答弁している。
即ち市の買い取り価格は約7万円/坪と想定されていた。これはあづま会が天満神社界隈を地上げのために買い付けた7万5千円/坪、うどん市隣の取引価格6万5千円/坪と近似値であり、妥当な坪単価と考えられる。
しかるに、将来市がポポロ跡地を求める事態となれば、覚書が破棄されたのであるから、市の天満神社界隈の買い取り価格16万円/坪をベースに価格設定が行われると想定される。
それでは、将来市がポポロ跡地を求める事態が生じるか否かであるが、現在米沢商工会議所は中川市長に「ポポロ跡地を買い取り、そこに市役所の支所を設けよ」と進言している。
中川市長の性格から「はい、分かりました。坪16万円で市が買い取ります」とは言わない公算が大であるが、海老名悟市議が市長となればその可能性は大と見る。
何故なら、海老名市議は”あづま会”の買い取り価格7万5千円/坪の土地を、1か月後に市が坪16万円で買い取るシナリオの立役者であったからである。
それに奇妙に思えるのは商工会議所の市への進言である。ポポロビル跡地に市役所支所を建設する事が市民の利益と考えるなら、何故新庁舎設計段階で「市役所支所を設ける事により、新市役所庁舎の簡素化を図るべし」と進言しなかったのか? ここに来ての進言に「裏があるのでは?」と勘ぐりたくなる。
因みに、商工会議所の吉野徹会頭とポポロビルの実質オーナーは”刎頸の友”とも噂され、実際に平和通り駐車場跡を二人で約9万円/坪で購入した後、市は天満神社の土手法面(斜面)を16万円/坪で購入している。 かように、安部市政では特定の市民には極めて寛大な扱いを行っていた。
来年の市長選で誰が選ばれるかは分からないが、現在出馬を噂される、どの候補者が市長になっても、本市の未来に希望が持てない小生である。

ポポロを廻る奇々怪々!! ③

2018/10/30 (Tue)
ポポロを廻る奇々怪々!! ③市民のために機能している「まちの広場」を壊してのナセバ建設には、多くの市民が反対運動に立ち上がった。
安部市政はこれに対し、「ポポロビルのテナント問題が解決したら、その跡地に”まちの広場”を造ります」と議会・市民にアナウンスして議決を得て建設されたのが、現在の”ナセバ”である。
しかしながら、中川勝市長は世論に問う事無く、この市民・議会との約束を勝手に反故にして、後日議会に報告した。
市民との約束を破った理由が、①西條天満公園が有るから広場は要らない。②市庁舎・市立病院の建替がある、とするものだ。
余りにも市民を小馬鹿にする中川市長であり、それを容認するとはなんと能足りんな市議団ではないか。
小生はこの事象に怒り心頭であるが、訪問諸兄も拱手傍観(こうしゅぼうかん=何もしないで、なりゆきにまかせたまま見物していることのたとえ)を決め込まず、一緒に考えて貰いたい。
①「西條天満公園が有るから広場は要らない」の不条理。
そもそもの事の起こりは、「ポポロビル跡地に図書館を建設し、まちの広場との相乗効果を持って中心市街地活性化を図る」であり、西條天満公園は、「まちなか歴史公園として整備し、上杉神社等に訪れる観光客を中心市街地に誘導する」というものであった。
これから分かるように、公園と広場とは使用目的が違うし、法的縛りも個別のものである。広場と公園を同一視するのであれば、「広場が有るのに同じ使用目的の無駄な公園を作った」と言うことになるではないか。
よって議会は、無駄な公園を作った市職員の責任追及と、それを容認した議員団の猛省が必要なのに、海老名悟市議に倣(なら)い「もう終わった事」と涼しい顔である。
②「市庁舎・市立病院の建替がある」の不条理。
まちの広場への図書館建設に反対運動華やかし頃、安部市政は17地区での説明会を開催した。その折り、「南部コミセン事件」が起こったのである。
16億円予定の図書館建設であったが、その後の予算増額に増額が続き、南部地区の説明会では「財政面で大丈夫か?」の質問が有り、これに対して当局は下図のグラフを示して、「このように建設債が減少するので何ら心配御座いません」旨の返答を行った。
これに「これは何も建設を行わない場合のグラフだ」「市は老朽化した施設の建替を行わないのか?」の質問が続いた。
すると司会者は「10分間休憩を頂き、その後に返答致します」と告げたが、驚いたことに10分後には「安部市長が帰られましたので閉会致します」とのたまった。
是には会場騒然となり、「安部市長を連れ戻してこい」と、担当市職員を取り囲み、いまにも殴りかからんばかりの事態を招いたが、職員は這々(ほうほう)の体で会場を逃げ出した。
このようにナセバ建設以前より、市立病院や市庁舎が老朽化し建て直しが必要であろうことは市民の認識であり、市当局も意識していたはずの事柄で、天変地変により急に市立病院や市庁舎が老朽化した訳ではない。ましては「安部市政時代より、財務内容が改善した」とアナウンスする中川市政であるから、急に財政が悪化した訳でもない。
市立病院や市庁舎の建替に反対し、絶対にポポロビル跡地に広場を造れとは言わないが、議会制民主主義の市政運営とは、市民との約束を違(たが)えるには、市民に対しそれなりの丁寧な説明が必要ではないか。
「公園が有るから広場は要らない」とか、「市立病院や市庁舎建替の必要が生じた」などの詭弁に対し、「契約を反故にしてポポロ側に訴えられないか?」などとトンチンカンな質問をする議員団は何を考えているのだ。
「当事者の双方合意」が有れば、契約解除や更改に何の問題も無い事ぐらい常識ではないか。今般の市民無視の契約解除に、この程度の議論しか出来ない議員団に年700万円の報酬と議員数が果たして妥当であるか、市民は考える時期にある。
【続く】


シュウ氏へ

2018/10/25 (Thu)
シュウ氏へ◆質問の「酒井彰ってそんなに市政に影響力あるのですか?」について。
酒井氏の市政に対する影響力については分からないので一般論を述べたい。
日本のトップ企業、トヨタ関連の豊田章男氏の言動は経済界に限らず、我が国の政治・行政にも大きな影響力があると思っている。
米沢経済界に限って見れば、酒井氏はそのトップであることは大方の周知するところで、市政に対する影響力は豊田章男氏程ではないにしろ、あると考えるのが常套ではなかろうか。
◆質問の「市議会議員で酒井彰に小判鮫のように付いている議員」について。
これ又、確たる情報を持ち合わせてはいないので、天満神社にまつわる経緯から察して貰いたい。
社会福祉法人の松田元理事長は、平和通り商店街の駐車場と天満神社界隈に、まち中「あづま会」の施設建設を計画していた。
歴痴の安部前市長が「天満神社は歴史的価値のあるもの」として購入を計画しているとの噂から、松田理事長は計画の有無を市に打診した。
海老名悟市議がその答えを持って「あづま会」を訪れ「市には計画が御座いません」と答えたため、松田元理事長は土地の購入を進め、契約金を含め約5,000万円の出金を行った。
しかし、この出金は正式な理事会承認を得ていない事が咎められ、松田氏は理事長の座を追われることとなり「嵌(は)められた」と側近に漏らしたという。
その後「あづま会」は残りの土地を購入し、一ヶ月後に購入価格7.5万円/坪の土地を16万円/坪で市に売却した。
海老名悟市議が誰のために、何故このような行動を取ったかは、聡明なシュウ氏であるから察しがつくと思っている。

ポポロを廻る奇々怪々!! ②

2018/10/25 (Thu)
ポポロを廻る奇々怪々!! ②前回掲載の覚書条文中、以下に刮目願いたい。
1 甲は、中心市街地活性化事業としてビル用地を取得し、交流広場整備事業を行う。」
3 協力は、乙に利益が生じないことを基本とした土地等の取引により行うものとし、その内容は、甲、乙協議の上定める。
上記1 の条文から、市はポポロビル跡地に「まちの広場」を造る計画であった事が理解出来る。 又、3 の条文には、ポポロ側に利益の生じない取引と明示されている。これは、以前に口頭で契約された「ビル解体費用で土地の売買」と考えられる。
以上の条件を踏襲して現在のナセバが建設された訳であるから、市はこれを実行する責任がある。
【経過2】
①中川市長は市民には何の説明も無くポポロとの契約を破棄し、議会には、H29.11に「旧ポポロビル用地について」と題する書面をもって説明した。
議員からは「契約破棄を行うに、相手から訴えられるような事はないか?」などの質問があったが「弁護士に相談して問題ない」と返答し、他に議員からの突っ込んだ質問は無かったという。
②今年になって、海老名悟市議は定例議会で「ポポロとの覚書を破棄したが、市として跡地活用をどのように考えているか」と中川市長に質すと、中川市長は「跡地活用は民間が考える事」との見解を示した。
H29.11に議員に説明した「旧ポポロビル用地について」と称する文書を以下に掲載するので良く眼を通してほしい。
次回は此の二通の公文書から、摩訶不思議を指摘し、深慮してみたい。
【続く】


ポポロを廻る奇々怪々!! ①

2018/10/24 (Wed)
ポポロを廻る奇々怪々!! ①現在ポポロビルの解体が進んでいるが、この地所を廻っては余りにも摩訶不思議な事態が続いている。海老名悟元議長のように「もう済んだ事」と"臭い物には蓋"ではなく、改めて検証してみたい。
【経過1】
①ポポロビルオーナーから、安部元市長に対し「中心市街地活性化に役立つなら・・・」と当該ビル及び敷地無償譲渡の申し出があった。
②是を受けて、安部元市長は同地に図書館建設を議会に諮ったところ「ビルを壊して更地にしてもらい、その解体費用で市が購入する」案が採択され、此の条件で「市とビル側は口頭にて合意した」
③ビル側はテナントに対して「現在の契約を最後に再契約は行わないので退去を求める」との内容証明郵便を発送した。
④内容証明郵便を受け取ったテナントの「魚民」オーナーは「内容証明郵便で通達するとは何事だ」と立腹し、退去しない事をオーナーに伝え、その事が市側に伝わった。
⑤魚民が退去しない噂から、小生は当時担当の我妻課長に噂の件を質すと「契約は単年度なので何ら問題はありません」と涼しい顔であった。
しかるに、此の時点で「魚民」オーナーの立腹は相当なもので、市が求める期日までの退去は望めるものではなかったが、議会・市民には「交渉は進んでいる」との虚偽のアナウンスを行い、調査費や設計料が支払われた。
⑥結局期日までの退去交渉は決裂し、図書館建設地を「まちの広場」に変更せざる事態となった。その結果それまで支出された公金約3,000万円が無駄金となった。
⑦まちの広場への図書館建設には、多くの市民参加の反対運動が湧き上がった。ポポロ側は魚民退去を裁判で争うこととし、市側は「裁判の後にポポロビル跡地にまちの広場を造る」と議会・市民(市報)に説明し、中村圭介市議などからの「ポポロ跡地を市は確保すべき」との提言を受け、以下の契約書を取り交わした。
【続く】


市長選へのある異聞!!

2018/10/18 (Thu)
市長選へのある異聞!!二期8年を任期と公言して当選した中川市長も、一期目の約3年が経過した。そろそろ次期の市長選を考える此の期に「海老名悟市議」が出馬を表明した。
これに選挙雀は、
・「2期を表明している中川に、同系の海老名が出馬とは義が無い」
・「海老名は市議の評判が悪く、応援する議員はいない」
・「中川の実績に見るものがなく、将来の青写真も無い。海老名に期待する」
・「中川は歳を感じ、海老名は若さを感じる」
・「あるお方が海老名に出馬を促し、応援するといった。海老名有利」
・「利権がらみの業界はこぞって海老名を押すだろう」
などなど口うるさいが、「もし中川・海老名の戦いになるなら、安部前市長が再度出馬する」とのもっともらしい噂がこのところボリュームを上げている。
安部前市長は自叙伝を出版し、パーティーを開いて人を集め、その後も本を売り込もうと各家庭を訪問しているし、加えて「雲井龍雄の銅像を建てよう」と運動を起こしている。
そこで、中川・海老名の戦いを見据えて「中川・海老名なら票はあまり偏らない。自分には基礎票があるから有利と安部は踏んでいるのさ」と・・・。
空白の安部市政が12年、それに暗黒の中川市政が4年間続き、次は利権傀儡の海老名市政か、はたまた空白の安部市政の再現かと選挙雀は口さがない。
[選挙雀の雀とは]
雀が両足をそろえてチュンチュンと跳ぶさまが、軽はずみなことをして踊って喜んでいるさまの比喩。
[口さがないとは]
他人の事について、節度なく言いふらす態度。

滅び逝く街

2018/10/17 (Wed)
滅び逝く街かつて繁栄を誇った「平和通り商店街」であったが、車社会と共に大型店舗が郊外に出店するに至って「滅び逝く街」の体を晒し、繁栄の象徴であるアーケードは、この度撤去されることになった。
当会は、一昨年前から「老朽化したアーケードは倒壊の恐れあり」とその危険性を進言していたが「市所有の施設ではない」を理由に静観を決め込む行政であった。
商店街は、かつて多数の組合員も現在では数人となり、撤去する資金難からアーケードは放置されていたが、「危険である」との世論の高まりから、この度商店街有志と市の費用負担で撤去に至ったのである。


「これで一件落着、めでたし・めでたし」とはならないであろう。
安部施政は平和通り商店街付近を「中心市街地」と銘し、図書館(ポポロ跡地)・まちの広場・歴史公園(天満神社)の整備による相乗効果による活性化を謳い、30億円もの投資を行った結果の「アーケード撤去」である。
安部施政を引き継いだ中川市政であるから「中心市街地の方向性」を示すべきであるが、「民間が考える事」と我関せずである。
それに、安部構想を承認した市議団は「もう過去の事」と責任感のかけらも無い。
今は亡き、かつての「社会福祉法人あづま会」松田俊春理事長は下図の構想を提示した。正に中心市街地活性化構想ではないか。

しかし、此の素晴らしい構想を市・商工会議所・平和通り商店の誰もがな「見たことがない」と口を噤(つぐ)むのである。是には「使途不明の公金があり、公になると困る人が多数居る」との情報から調査を行ったが当会の手に負えるものではなかった。
かように、有志が本市の発展を望み種々の進言を行った場合、「闇の力」が働き、計画は潰されるのが過去の例であり、これが「ザワ衆根性」と言われるものであろうか?
小生のこれまでの行動から「足を引っ張る人は多数いるが、手を引っ張ってくれる人はまずいない」との実感を強く抱く昨今である。

雲井龍雄を想う10月14日

2018/10/15 (Mon)
雲井龍雄を想う10月14日戊辰戦争が終結して明治の世となると、維新のために戦った士族(武士)は職を失い路頭に迷う事になる。米澤藩志士・雲井龍雄は、新政府に彼らの救済策を提示(嘆願書)した事から、雲井の元に多くの士族が集まり、暴動を懸念する新政府は、雲井を見せしめのために処刑することを考えていた。
このような場合には自藩の雲井を擁護すべき米澤藩であるが、新政府に諂い(へつらい)、「政府転覆を企てた在任」との冤罪に異議を申し立てることなく雲井を差し出した。
以後、米澤藩では雲井龍雄を語る事はタブーとされ、市民間には「明治政府転覆を企てた謀叛(ぼうはん)者」としての認識が定着したようだ。
戊辰戦争150年の此の機に雲井龍雄に光を当て、10/14に北村公園の「討薩之檄碑」に於いて碑前祭と、「戊辰雪冤」(戊辰戦争での濡れ衣を晴らすの意味)の著者「友田昌宏」東北大助教の講演会を企画した。
式には会津より18名が参加し、詩吟・剣舞を奉納した。





ふるさと納税と「道の駅米沢」

2018/10/12 (Fri)
ふるさと納税と「道の駅米沢」平成29年(1月~12月)に本市へのふるさと納税額は約25億2千万円で、返礼品の経費を差し引くと米沢市には6億円の自由に使える収入があった。
そこで、その使用内訳を調べてみると、「道の駅米沢の運営支援など」として1億円が計上されている。これには驚き、そして腹が立った。
「道の駅米沢」は、開業半年も経たないのに100万人の来場者が有ったと誇らしげにアナウンスしている米沢市である。これだけの入場者の施設であれば、人間にたとえれば成人した「一人前」と見て良いだろう。
その大人に年間1億円のお小遣いを与えると言うのであるから、「親馬鹿」の誹りを受けて当然と、女優三田佳子が息子に月450万の小遣いを与えていた親馬鹿振りを連想した。
三田の息子は成人しても真面目に働きもせず、親が与える小遣いを充てにして覚醒剤に手を出し、逮捕された。このように独り立ちすべき子に小遣いを与える事が本人の為にならないのは世の認識である。
三田の息子のように「道の駅米沢」を甘やかせば、麻薬に手を出す事は無かろうが、上杉城史苑同様に特定個人の懐を暖め、市民への利益還元は望めないであろう。
米沢市は早急に親馬鹿を改め、「道の駅米沢」には自立を促すばかりで無く、親(米沢市)に喰い前(家賃)を納めさせるのが筋であろう。
飯豊町には「道の駅 いいで めざみの里」があり、駅長の安達氏は「年間3千万円を町に納めている」と胸を張った。「道の駅米沢」の入場者数なら、1億円を米沢市に還元しても良いのではないか。
中川市長も誇らしげに「入場者100万人」の挨拶は止めて、如何にして「道の駅米沢」への投下資本を回収するかに腐心し、その道筋を市民に示すべきと諫言する。

戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ②

2018/10/11 (Thu)
戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ②新政府軍に立ち向かった東北諸藩であったが、武器の優劣が勝敗を決し、東北勢は新政府軍の軍門にくだることとなった。
明治新政府は、維新の為に戦った士族(侍)の地位を蔑ろにしたことから多くの武士が生活に窮する状態を招き、新政府への不満が高まっていた。
これに対し、雲井龍雄は嘆願書にて「彼らを救済すべし」と新政府に申し出たことから、多くの士族が雲井龍雄のもとに集まると、暴動を危惧する新政府は雲井龍雄を捉え、罪状も定かでないにも関わらず、見せしめのため斬首刑に処したのであった。
「歴史は勝者によって語られる」や「勝てば官軍」が示すように、歴史は勝者に都合良く伝えられ、真実・事実は闇に葬られる。そこで、戊辰戦争150年を期に下記の「上杉メモリアルフェスタ 戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・」を企画し、雲井龍雄と明治維新を多くの市民に知ってもらいたいと願った。無料なので10/14(日)は是非会場に足を運んでいただきたい。


戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ①

2018/10/10 (Wed)
戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ①今から150年前、テロ行為にて政権を奪取しようとする薩長は、東北諸藩に会津・庄内藩の討伐を命じた。此の命に米澤藩・仙台藩を中心に「薩長の行いに義は無い」と「奥羽越列藩同盟」をもって立ち向かったのが東北の戊辰戦争である。
この時、米澤藩士雲井龍雄は、薩摩の行動が如何に理不尽で義の無いものであるかを書にしたため諸藩に送った。これがいわゆる「討薩の檄」で、これにより「奥羽越列藩同盟」参加藩の士気を大いに鼓舞したという。
戊辰戦争150年を期に、教科書とは違う「薩摩藩の悪行」を下記の雲井龍雄による討薩檄から認識してもらいたい。
【討薩檄】(大意)
はじめ、薩摩の賊はもっぱら尊王攘夷を主張したが、兵乱の末、政治を勝手に取り仕切るに及んで、急に外国に迎合しその歓心を買い、万国のあざけりとあなどりを受けるに至る。尊王攘夷の主張は、ただ幕府を倒すための悪だくみだったのか。
薩賊が権力をほしいままにして以来、ついに皇国の制度や定めは、跡形もないように廃れるに至った。摂家や清華家をしりぞけ、皇子・皇室を奴僕視し、みだりに己におもねるものを登用して、綱紀は乱れその極に達している。
もともと、力ある者が軍隊を動かす場合は、公平な議論の結果、罪科を決めたのちに討つべきにも拘らず、突然、錦旗を掲げて幕府を朝敵におとしいれ、征東の軍を起したのは、私ごとの怨みを晴らすための悪だくみでなくてなんであろうか。
薩賊が東に兵を進めて以来、土地を侵し財産を掠め、鶏牛を盗み婦女を犯し、むごたらしく人を殺して恥じることなく、官軍の名を藉りて太政官の規則だという。これは、今上陛下に暴虐無道の君主の汚名を被せるようなものといえる。
また、徳川の親族及び勲臣を使って、その主君を討たせるのは、薩賊も人として守るべき、君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信など五つの道と、君臣・父子・夫婦の三綱を破滅させ、今上陛下の治世のはじめに、大きな乱れを生じさせるものだ。
これらの罪のすべては、どうして問い糺さずにおられようか。
以上の諸点からすれば、薩賊の行動は、幼帝をおどし従わせて邪悪に走り、天下をあざむき、至るところで残忍かつ乱暴にふるまい、人の道を破壊し古くからのおきてを絶滅するなど、古今にその類をみない。
わが列藩はこれを傍観するに忍びず、幾度も京都において上奏するも、宮廷に達することはなかった。ここで勇を奮って賊徒を征伐しなければ、天下は何によって暗黒の闇から解放されようか。
あえて勝敗や運不運を問題とせず、奮ってこの正義のための企てに、同調してくれるよう主張する。およそ四方の諸藩で忠誠の志をおなじくするものがあれば、願わくはわが列藩を助け、皇国のために誓ってこの賊を破り、もって天上にある歴代の天皇の霊を慰め奉ろうではないか。
【続く】

村上市のまちづくり

2018/10/09 (Tue)
村上市のまちづくり新潟県村上市は人口61,000人程の城下町である。米沢は大正の大火で上杉風情の街並みは消失したが、村上市は今なおその情緒を残し、400年程前から各家庭伝わる屏風を9月15日~10月15日まで無料で披露している。



400年も前の物が受け継がれている事と、1ヶ月もの間各家庭が無料で開放する村上市民の心意気に感動するが、それ以上に「まちづくり」に取り組む姿勢に関心を覚える。
下の川越を彷彿させる写真は、かつてシャッター通りと化した地域を各商店がセットバックに協力のもとに道路を拡幅して、かような街並みを形成し、逐次その範囲を広げるのだという。それには国の助成金利用との事。



各家並みには竹に花が生けられ、もてなしの感を醸し好感が持てる。又、その普及には街角で製作を実演して、希望者に無料で配っている。
村上市独自の「まちづくり」は、他の地方自治体が参考にする程で、国の金を利用して町を作り替える行政力には感心するが、それに引き換え、本市の行政力は如何なものか? 尚山氏の指摘の如く、あまりにもお粗末である。
道の駅米沢はオープン以来、入場者数100万人を突破したと鼻息が荒い当局だが、反面、上杉城史苑は10%売上減と聞いている。
小生は元大門警察脇で観光客対象の「よねおりの店」に関わっていたが、上杉城史苑がオープンするやいなや赤字に転落し、閉店に追い込まれた。
それをよそ目に、特定市民はその懐を肥やして悦に入っているが、公金が投入され、官地が利用される事業であるから、その果実は市にもたらされ、市民に還元されるべきだが、N氏・S氏への利益供与が実情であると、善後策を当局に進言するも「馬の耳に念仏」・「蛙の面に小便」の行政である。
道の駅入場者数100万人を喜んでばかりいないで、米沢市の投下資本を如何に回収して市民貢献を行うかが肝要である。

藩校サミットのこと

2018/10/08 (Mon)
藩校サミットのこと淡路島氏・尚山氏より藩校サミットについての投稿があったので、戊辰戦争150年の節目に少し調べてみた。
◆全国藩校サミット
藩校が存在した自治体と漢字文化振興協会が主催して2002年から毎年開催され、藩校教育を現代の教育に活かし、日本各地の地方創生に繋げる取組みとのこと。16回目の今年は9月29~30日、京都府舞鶴市で開催された。
近隣では、会津若松市の「会津藩・日新館」が第2回(2003年)、鶴岡市の「庄内藩・致道館」が第6回(2007年)に開催している。
第12回全国藩校サミット行田大会、第13回全国藩校サミット福岡大会には上杉邦憲様が参加されたようだ。
戊辰戦争150年に当たる今年のイベントに藩校サミットを計画したが、小生の力では全国規模のサミットは当然無理なので、米澤藩・日新館・致道館に限定した「三藩校サミット」を企画し、スポンサーに当たってみたがうまくいかなかった。
2020年は栃木県壬生町(人口4,000人弱)で開催されるので関心を持って注視し、何らかのアクションをと思っている。

平洲椿のこと

2018/10/05 (Fri)
平洲椿のこと関根の普門院にあるユキツバキは、上杉鷹山公の先生である細井平洲師の手植えと伝えられ、俗に「平洲椿」と称されている。
数年前から「此のツバキは、図鑑にも収録されていない品種ではないか」との話題が持ち上がり、識者が品種登録を日本ツバキ協会に打診したところ「一本だけの椿では枯れてしまえば無くなるので、登録には多くの同種を要する」との教示から、米沢市の植物研究家「山口邦彦氏」は普門院の許可を得て挿し木を行った。
今年6月に植え付いた苗木を市民に頒布し、正式に日本ツバキ協会に登録を申し込んだところ、過日、下記の認定書が届いた。
・品種名:「平洲椿」(別名:師弟ツバキ)
・学 名:Camellia rusticana Honda 'Heishu tsubaki'
・優秀古木ツバキ第10号「平洲椿」(本年度第1号)
小生は、これを観光に寄与すべく①上杉伯爵邸の庭②上杉家御廟所に植える事を関係者に打診したところ了解を得た。
米沢藩17代当主「上杉邦憲」様にもこの事を報告すると、
「ようざん桜の杜としての整備の始まった愛宕地区にも植樹が可能でしょうか?」「米沢のシンボルツリー、よねざわのたからものとして平洲椿が広まることを祈念しております。」とのメールを頂いた。
「歴史のまち米沢」とのキャッチフレーズも「歴史を感じる所は何処?」と首を傾げてしまう。
来年は上杉鷹山公入部250年に当たるので、「平洲椿」のイベントを考えている。
ある市会議員にイベントの協力方を打診すると「市民パワーでやるべきで、議員はそれには関与せず、予算の審議を行えば良い」とのことであった。

「TH市議」と呼ばれた者氏へ

2018/10/02 (Tue)
「TH市議」と呼ばれた者氏へ貴氏の10/1コメント、『請願後日談(2017/10/02)にて,申し上げた通りの状況になりました。一新会の対応に対して,鬼の会様は今でも「非難には値しない。」とお考えですか?』の「申し上げた通りの状況」とは如何なる状況なのか具体的に述べていただきたい。
又、『今でも「非難には値しない。」とお考えですか?』との質問ですが、小生は(2017/10/02)のブログでは次のように述べている。
◆TH市議は、『具体的でない請願を採択した「一新会」の方が無責任です。』と述べるが、請願者はボーリング調査による早期問題解決という具体的な口頭陳述を行っている。請願採択に賛成した市議は、請願者の説明(口頭陳述)を聞き、納得して採決に臨んだ訳であるから、非難には値しない。
それどころか「米沢市議会基本条例」第12条2に定める「議員間討議」を怠り、委員会の場で賛成議員と議論を尽くさなかった高橋壽市議が、請願を採択した「一新会」を無責任と非難するのであれば、それこそ「無責任」の誹(そし)りを免れない。
よって、請願の要旨である「①鍛冶川の油膜発生源を特定すること。②油膜発生源にある残油が、将来市民生活に影響を及ぼすか否かを調査すること。」に賛成した「一新会」は、当然今でも「非難には値しない。」と思っている。
一新会に限らず非難すべきは、議会で採択された事案を無視する当局(行政側)を擁護する議員団(議会)にある。
議会は行政の追認機関ではないし、市民からの苦情を排除する行政のポチでもない。
議会が自ら定めた米沢市議会基本条例には、「第11条2 議会は、本会議等における審議、議決等を通じて、市民に対して市長等の事務の執行についての評価を明らかにする責務を有する。」とある。しかるに条例に背いた今般の市議団であるから、非難されて当然である。
米澤新聞は今般の事件を「珍事」と表現したが、小生同様に「米沢市議団の低能と無責任」と書きたかったのではなかろうか?

花と樹木におおわれた米沢市とは?

2018/10/01 (Mon)
花と樹木におおわれた米沢市とは?本市は、平成20年に「未来に残そう緑の米沢」をテーマとして、30か年期間の「花と樹木におおわれたまちづくり計画」を策定したが10年経過した現在はどうであろうか?
バブル経済華やかし平成元年、当時の内閣総理大臣竹下登は「ふるさと創生一億円事業」を実施し、地方公共団体が自ら主導する地域づくりということで、創意工夫し地域の振興を図る動きが各地で試みられた。
米沢市は松川堤防に芝桜を植え「なせばなる」の文字を表掲したが一年で姿を消した。竹下総理は「創生資金の使い方によってその地域の知恵と力がわかる」と言っていたから、米沢市の行政力はその程度と評価されたであろう。
南陽市にはバラ園、川西町にはダリア園、長井市にはアヤメ・白ツツジ・萩園、飯豊町には百合園があるが、9/29にそれらを陵駕する「やくらいガーデン」(宮城県加美郡加美町)に行ってみた。
やくらいガーデンは総面積15万平方メートル、栽培植物400種類からなる広大な庭園で、広大な敷地に色とりどりの花が植えられ、チャペルもある。経営は某大手企業がバックの株式会社である。

同じ9/29には、米沢で発祥した帝人株式会社の創業100周年を記念するイベントが行われた。そこで「やくらいガーデン」同様に米沢市でも、帝人をバックとする事業展開が出来ないものであろうかとの思いが浮かんだが、ふるさと創生資金の使い方から地域の知恵と力がわかり、それは夢の又夢であろう。
使い方によってその地域の知恵と力がわかる「ふるさと創生一億円事業」と同様に、「使い方によってその地域の知恵と力がわかる」のが「ふるさと納税制度」である。
この制度は事実上税の使い途を国民が選べる訳であるから、地域の知恵と力で有効活用が可能だが、これに関していらだちを隠せないのが官僚(官僚の感化を受けた野田総務大臣)だ。もともと税とは政府(官僚)が徴収し、政府(官僚)が配分し、地方を支配する仕組みだが、「ふるさと納税」が大きくなると政府(官僚)の支配力が弱まる事を懸念してのことであろうが、いずれにしても知恵と力のない為政者の米沢市であるから「ふるさと納税」の使い道も「松川堤防の芝桜」になるのでは?

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