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でもしか市議

kage

2016/11/29 (Tue)

でもしか市議

 教師が不足しており、志願すれば誰でも先生になれるといわれた、今から40~50年前、「でもしか先生」という言葉が流行した。
 意味は、他にやりたい仕事がないから「先生にでもなろうか」、あるいは特別な技能がないから「先生にしかなれない」など、無気力で能力の低い人を揶揄していう言葉であった。 そして現在、「仕事にもつけなくて、なにも出来ない奴が、、市議会議員や市長に立候補したり、国会議員になったり、呆れてしまう。」と「でもしか議員」の事を、他のwebでも取り上げられている。http://blogs.yahoo.co.jp/kons_sss/60674657.html

 確かに、米沢市の議員も「でもしか先生」の名に恥じない立派な先生方で、その先生が「米沢市の議員報酬と定数」を検討し、その案を3月議会に上程するとのことだ。
 今般の議会報告会で、その検討中の案として①「現在の議会費は、年3.3億円だ。その額を超えないで、報酬と政活費の割合を変える。」②「現在24名の議員を減らせば市民の声が行政に反映しなくなるので現状維持」との考えが披露された。

 この案には出席者から「働きの割に報酬は高すぎる」「減り行く米沢市の人口を考えれば、大幅に議員数を減らすべき」との「反対意見」が多く出されたが、議員自らが自分の報酬と定数を決めるのであるから、市民が幾ら反対したとしても、自分に有利な議決となるのは目に見えている。
 そこで、市民の儚い抵抗として「議員報酬と定数の大幅な削減」を請願の手段で議会に諮りたいが、議員1名以上の署名というハードルがある。そこで「米沢市民への奉仕の心」で署名に応じる議員はいないものかと、個別に折衝中だが、「決して署名をしてはいけない」とのお触れを、一新会のSとE議員が発しているとのことで、可能性は低い。

 小生は「でもしか先生」だから「こんな市議はいらない」と「議員報酬と定数の大幅な削減」を主張するのであるが、議員団はそれに「委員会が成り立たない」とトンチンカンな反論をする。委員会が無ければ議会が運営出来ない訳ではない。個人が勉強して議決に応じれば良いだけのことだ。

 不必要な委員会の証左として、「ナセBAの追加工事費は市民の負担とする」と結論を出した常任建設委員会の堤郁雄委員長に「何故市民が負担しなければならないのか?」と質問すれば、「市当局に聞け」としか答えられない実例がある。この例だけでは無く、米沢市議団の「でもしか先生」ぶりは列挙するに事欠かない。

こんな市議はいらない!!

kage

2016/11/27 (Sun)

こんな市議はいらない!!

 11/8~24、各コミセンに於いて、「決算報告」と「議員の報酬と定数」をメーンテーマに「市議会報告会・意見交換会」が開催された。参加して意見を述べたので改めて要約して以下に記したい。
◆決算報告
 「前年度は14億円の黒字であった。」との説明だが、地方自治体の決算を黒字にするには、市民サービスを控えれば簡単だ。現実、前年度に比べ多くの予算が削減されたにも拘わらず、その辺を配慮した説明は無かった。
◎小生の質問
 ①「昨年の10月に、「ナセBA建設で市民に3,000万円を負担させた根拠の問い」に未だに返事が無いが?」と糾すと「詳しい事は市当局に聞くよう返事した。」との中村圭介市議の答弁には驚いた。「市当局の上程議案を議会は何故賛成したのか」を聞いているのに「その理由は市当局に聞け」と言うのだ。これでは行政の追認機関ではないか。再度「市民負担の根拠」を求めたが、議会は市民の問いに真摯に答えるだろうか?
 ②舘山城の調査で「伊達政宗が築いた石垣を発見」と新聞報道されたが、後にその石垣の下に「上杉景勝時代の石垣が発見された」との報道が有った。時代から考えておかしいが、この調査に6,000万円も使われたことをどう思うか?と糾しても、議員は「・・・」であった。
 
◆議員報酬と定数
「他の自治体と比較して検討した」として、報酬と政活費合計は現状維持、定数は現状維持か2名減で考えているとの報告があった。
 これには小生のみならず参加者から、①他の自治体との比較ではなく、議員としてどれ程の働きをしたかが報酬査定の要因であろう。②本市の財務状態に応じて評価すべきだ。③間違いなく人口減が起きているのに、現状維持とはとんでもない、2名減でも足りない。④検討委員会に市民代表を加えるべきだ。との意見が相次いだ。

◆小生の意見
 議員の報酬は多くの市民の意見に有るように、議会への貢献度により査定されるべきで、その具体的な評価は「米沢市議会基本条例」の事柄を如何に実行したかにある。 小生の知る限り、現在の市会議員による議会への貢献度は「ゼロ」であるから、報酬は限りなく「0円」に近くて良い。
 定数は、中村圭介議員の発言が象徴するように、能力が無く、行政の言いなりの議決しか出来ない、つまり行政の追認機関であるから、少数で議会を構成する4人で充分である。

 これまで通りの議員活動であれば「こんな市議はいらない」と声を大にして多くの市民に訴えたい。


市立病院建替に思う

kage

2016/11/23 (Wed)

市立病院建替に思う

 精神科問題で市民の市立病院への関心が高まったが、このところ沈静化した感がある。しかし、「市民の健康を考えると早急に基本方針の構築が必要であろうが、その片鱗さえも見えていない」と述べると、市当局から「米沢市立病院建替基本構想」は既に作成済みで、ウェブで公開しているとの反論を受け、確かに、次の内容の構想が公表されている。
1 米沢市の急性期医療の拠点として強化・充実を図ります。
2 地域に根ざした医療・サービスを推進します。
3 優秀な医療人材を確保・育成する取組を強化します。
4 施設再整備により、快適で機能的な病院を目指します。
5 健全な運営・経営基盤の確立を目指します

 以上は美しい基本構想ではあるが、約90億円の累積赤字を抱え、慢性的に年間14億円の赤字を出す病院経営から、どの様にしてそれを具現化するのであろうか? 金銭的裏付けが無ければ単なる夢物語であり、絵に描いた餅である。
 1~5の構想を、現在の市立病院規模で行うには150~200億円の資金が必要と思われ、県・国の助成をさっ引いても約100~150億円の市負担が生じ、これを減り行く市人口で負担するには慎重にならざるを得ない。

 少子高齢化は本市だけの問題ではなく、それに対応した公的病院の在り方を模索する時代に於いて、これまでの発想の枠を超える基本構想の構築が肝要と進言したい。
 例えば、「ヘルスケア特区」「医療特区」等の申請により、「地方創生推進交付金」の活用による、従来の医療だけに拘わらない病院として、医食同源の考えを取り入れ、農業・調理(栄養)・市外の患者の長期滞在治療等を含む事業展開による経済効果の拡大を図るというものだ。
 既にこの構想は他の地方自治体で、独自の構想を作成して国に申請し、本市でもそれにチャレンジすべきと思うが、ネックはその企画書を作成出来る、市職員・病院関係者・市議が居ないことにある。そこで、有能な人材を国より招聘する事を井戸副市長に期待したいと思っている。

隠蔽と捏造と無責任

kage

2016/11/20 (Sun)

隠蔽と捏造と無責任

 米沢市立小中学校の煙突断熱材にアスベストが使用され、調査の結果「飛散の可能性が高い」と、昨年12月に指摘されたにも拘わらず、約1年遅れの今月、住民への説明会が行われた。

 アスベストは発癌性があると勧告され、肺線維症、肺癌の他、稀な腫瘍である悪性中皮腫の原因になるとされている。この様な危険性の存在から、市は迅速な対応策を講ずべき所、約一年も隠蔽して放置した事に、怒りを持って市民から糾されると「対応策の検討に時間がかかった」と、無責任の連鎖は止まらない。

 子は親を模し、市職員はトップの言動を模すものだが、安部三十郎前市長の12年間によって、「隠蔽・捏造・無責任」は本市職員の「特技」として確固不動のものとなった。
 安部市政の「隠蔽・捏造・無責任」を挙げれば、
① ナセBA建設に関し、ポポロビルの魚民は「内容証明郵便」を送達して、「退去しない」ことを言明しているにも拘わらず、それを「隠蔽」して、公金支出のムダを行なった。
② ナセBA建設に関し、「これ以上建設費増額は有りません」と市民に説明した2ヶ月後に4億円もの増額を行い、糾されると「記憶にございません」と「無責任」極まりない。
③ ナセBA建設に関し、まちの広場に大きな浄化槽の存在は「覚書」によって確認されていたのに「隠蔽」し、「想定外の地下埋設物」として1.6億円の建設費が上乗せになった。
④ ナセBA建設に関し、10月中から11月一杯の1.5ヶ月で仕上げる予定のナセBA一階工事が、5.5ヶ月を要して翌年3月完成となった。工期遅の原因は工事請負JVの技術力の無さであるが、それを「隠蔽」し、「豪雪が原因」と「捏造」して市民に3千万円の負担を強いた。
⑤ ナセBA建設に関し、11月には工期遅れが判明している事実を「隠蔽」し、その報告が為されたのは翌年の7月であった。8ヶ月遅れという「無責任」ぶりである。
⑥ 山大が米沢市にリチウムイオン電池の工場建設を希望している事を議会に「隠蔽」した結果、飯豊町に建設となった。ナセBA建設では「これまでの建設債が無くなるので資金は豊富」と説明しながら、リチウムイオン電池の工場建設では「資金が無い」と断る整合性の無い「無責任」ぶりである。
⑦ 舘山城に関して、伊達政宗が係わった事実が無いのに「伊達政宗の主郭」と捏造し、調査費に公金6千万円を支出した。
⑧ 舘山城に関して、伊達政宗が築いた石垣発見と発表したが、工法が正宗以降の時代と指摘されると、上杉景勝が築いたと改めたが、それは伊達政宗の築いた石垣の下から上杉景勝が築いた石垣が発見されたことになり、矛盾も甚だしいにも拘わらず「謎である」と「無責任」の極みである。

 以上は極一部だが、この様な安部前市長の「隠蔽・捏造・無責任」を学習した市職員であるから、市会議員がチェック能力を発揮してくれれば良いのだが、彼らに期待するのは無理であり、対策は「若者・よそもの・バカもの」の活用の中で、「よそもの」に期待したい。

 「よそもの」とは聞き心地は良くないが、中川市長の公約である「副市長は外部より招聘」は、井戸副市長の登用により、功を奏したと評価したい。
 今後は井戸副市長に止まらず、部課長の大半を「よそもの」に入替えなければ、安部市政12年間、ドップリぬるま湯に浸かった職員の習癖は改善されそうにも無い。
 

優先順の安部コベ

kage

2016/11/18 (Fri)

優先順の安部コベ

 県は16日「改正耐震改修促進法」に基づき、県所管分の大規模建築物の耐震診断結果から、震度6強から7に達する程度の大規模地震を想定し、倒壊・崩壊の「危険性が高い公共施設」として、米沢市立病院外来診療棟(北棟)、「危険性がある公共施設」としては、米沢市庁舎の庁舎棟、議会棟、置賜総合文化センター管理棟を公表した。
 それに対して、米沢市財政課は「現在は耐震工法や免震工法など、さまざまな工法に関する概算費用を出して対応法を検討している段階。本年度中に方針を決めたいが、財源の問題も関わってくる」と説明している。
 この様に、「財源の問題がある」と言って、危険公共施設の耐震・建替工事のメドも立たない現実を迎えた大きな原因に、約30億円の建設費を投じ、年間2億円もの維持管理費を支払い続けなければならないナセBAの建設が挙げられる。

 まちの広場を壊してのナセBA建設には多くの市民の反対運動が起り、「築後40年以上経過の公共施設の建替や耐震工事を優先すべし。」との意見も数多く寄せられた。
 小生も反対運動に参加し、まちの広場へ図書館を建設するのではなく『①「置賜総合文化センター」の耐震工事を行い、ホールを除く全館を図書館にする。②小中学校に空き教室が有るので、現在同センターを利用している組織・団体はそれらを利用する。』との対案を示したが「聞く耳持たず」の安部市政であった。

 7月にナセBAがオープンして喜んでいる市民も居るだろうが、市民生活が危険にさらされる公共施設に優先してもナセBA建設を強行した元安部市長と、彼を強力にバックアップした市の幹部職員、並びに市会議員に「優先順位がアベコベ」と苦言を呈し、釈明を求めたい心境だ。

 市財政を圧迫するのはナセBAだけでは無く、現在進められている「新・道の駅」も将来に亘り市財政を逼迫させる懸念が有ると思い、「建設費は幾らか?」と尋ねると「設計が上がってこなければ幾ら掛るか分からない」と答える、ノーテンキな市の幹部職員に呆れかえる。
 市当局の予算計上採決に当たっては、市議の厳しいチェック能力に期待したい所だが、彼らでは無理であるから、市民はもっと市行政に関心を示し、意見を言うことが肝要と思い、当会「掲示版」への投稿を希望するものだ。

無責任の連鎖

kage

2016/11/16 (Wed)

無責任の連鎖

 米沢市立病院精神科の存続問題が浮上した時、市民間に「公的病院のあり方」に関心が高まったが、現在その話は冷えてしまった感がある。

 過日「市長を囲む座談会」に出席し、「市立病院建替に関するキーマン(組織などの重要人物。中心人物。)は誰か?」との質問を行った際に、スックと立ち上がったのが市立病院の事務長であったが、「キーマンは誰」との質問からは懸離れた答弁なので、「貴方がキーマンか?」と更に糾すと「ムニャムニャ・・・」と要領が得られない。
 そこで「中川市長がキーマンとして事業展開すべし」と提言したが、市長からも確たる答弁を得る事が出来なかった。
 続いて「国立病院との連携はどうか?」との質問には市の職員が答えたが、「・・・でダメ」とか「・・・だからダメ」と、ダメな理由の御託宣には淀みが無い。

 この様に公務員と云う村社会は、「責任の所在を明らかにしない」・「ダメな理由を最もらしく言う」に長けた人間が「有能な職員」と評価されているようだ。
 公務員村社会では、「責任の所在を明らかにしない」手法に「・・・審議会」の設立があり、「市当局が決めた結論有りき」の議題を審議会に諮って、さも市民の声に応えた如き条文を制定し、市民からの苦情には「審議会が決めた事」と責任逃れをする。

 投稿にある「下水道審議会」もこの手法で進められたのであろうが、東京都の豊洲問題で「無責任の連鎖」が国民非難の対象になっている現在、「地方公務員法第三十条・すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」の精神に基づき、責任ある態度で物事に臨んで貰いたいと希望するが、永年に亘って培われた「無責任の連鎖」は止まりそうにもない。

松明あかし

kage

2016/11/14 (Mon)

松明あかし

  四百二十年余前を偲びながら、晩秋の夜空を焦がす須賀川の「松明あかし」が、今年も11/12(土)開催され、11万人の人出があり大変な賑わいであった。

 今から四百二十年前の天正十七年、米沢に居城を構えた伊達政宗は二万三千余騎の大軍をもって須賀川城に攻め入り、火を放ったため町中が火の海と化し、須賀川城は多くの家臣とともに炎に包まれ、遂に落城した歴史から、松明あかしは、この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うため、新しい領主の目をはばかり、ムジナ狩りと称して続けられ、須賀川の伝統行事となったのだという。【クリックで拡大】

太鼓 中女 中男 姫松明 大松明1 大松明2 点火前 大松明点火 前点火 火炎

 当日は好天に恵まれ、県外からも多くの観光客が訪れるので駐車場を心配したが、歩いて五分程の福島病院駐車場に駐めることが出来た。駐車場はここだけで無く、数カ所が用意され全てが無料である。このように、今年数多くの観光地を訪ねたが、駐車料を取られた所は一件も無い。
 ところが、姫路城まで車で出かけた友人は「駐車場は有料だった」と言うので良く聞いてみると、「30分無料の所も有るが、一日駐車して800円の駐車場を利用して見学した。入城料は1,000円だから何時間観ても1,800円は安いものだ」と納得の表情である。
 御存じのように姫路城は「国宝」・「世界遺産」であり、この度は、期間5年半・費用24億円をかけた「平成の大修理」が完成し、まばゆいばかりの景観から一日1万人に近い観光客が訪れる人気の観光スポットであるから、800円の駐車料を払っても惜しくはないだろう。

 米沢城の場合はどうであろうか。天守閣は勿論の事、石垣も無ければ当時の館も無い。訪れるのは「城」と言うより「上杉神社」が目的であろうから、米沢市議団と観光課は何の集客努力もせずに、おまつり広場駐車場の有料化で儲けようなどと、人の褌で相撲を取るような事を考えずに、誘客力のある米沢城整備を考えるべきでないか。
 下図の御三階復元などは面白い。【クリックで拡大】

御三階

舘山城の怪④

kage

2016/11/11 (Fri)

舘山城の怪④

 舘山城の怪は前述に止(とど)まらない。
 発掘調査により石垣が発見されたとして、市当局は平成25年10月27日に現地説明会を行った。 配布資料には、「この石垣は蒲生・上杉時代では無く、伊達政宗が築いた石垣としては仙台城より古いものと考えられます」と記述してある。

 この記述に対して、まちの歴史研究家の伊藤氏は、『伊達時代の石垣は「野面積み(のづらづみ)」であり、発見された石垣は割石して表面を削った「打込みハギ」であるから、江戸時代以降のものである』と抗議した。
 すると米沢市文化課は、配布した資料に「伊達時代」と表記しておきながら、「上杉景勝時代のものと考えられる」と新聞に発表して、「伊藤氏に指摘されなくても分かっている」と装い、国には「伊達・上杉の時代に普請された山城」と申請して認定を受けた。

石垣01  石垣02

 前段の写真を御覧頂きたい。左が今も芳泉町に存在する、上杉景勝・直江兼続の石垣(野面積み)であり、右が同時代に築いたと称する「発掘された舘山城の石垣(打込みハギ)」である。  
【疑問1】
 舘山城の石垣(打込みハギ)が上杉景勝・直江兼続時代と言うのなら、舘山城以外に米沢市のどこにも、打込みハギ工法の遺構が発見されないのは疑問である。
【疑問2】
 関ヶ原の戦いによって、120万石の会津より、30万石に減封されて米沢に移封したのは1600年。その後、上杉景勝は1603年に命ぜられて江戸城の石垣普請を行っているが、その石垣は舘山城の比では無く、綺麗な仕上がりとして今も見ることが出来る。
 その技術が有りながら、景勝が写真のような不揃いな石垣を指示したとするのは疑問である。
【疑問3】
 直江兼続は江戸より米沢の平林正恒宛てに、「舘山之儀一切無用之事」との書状を送っている。
【疑問4】
 会津120万石の上杉景勝が築城(神指城)に着手した時、徳川家康より「謀反の疑い有り」として申し開きを命ぜられたが、直江兼続は「直江状」をもって家康に逆らった。
 この事をキッカケに関ヶ原の合戦が始まり、豊臣方が負けたことから、120万石の会津より、30万石に減封されて米沢に移封を命ぜられた時代背景を考える時、築城は家康に睨まれる事を学習して、米沢城(現在の上杉神社)には天守閣は勿論のこと、石垣さえも普請しなかった景勝が、舘山城に石垣を築こうとする事は考えにくい。
【疑問5】
 上杉景勝が舘山城を築いたと仮定した場合、どの様に利用するであろうか?
 時は徳川家康によって平定されているので、攻めてくるとすれば家康自身か、家康バックの諸侯を想定しなければならない。 この場合、減封により余力を失った上杉藩が、戦を想定して山城を築くなどあり得るだろうか。

 これまで「舘山城の怪」を縷々述べたが、これ以外にも疑義は多数有り、到底「舘山発電所=舘山城」とは考えられない。
 東京都の豊洲問題で「都行政の杜撰」が全国的に認識されたと思うが、行政の杜撰は東京都に限らず、この様に地方自治体も同じである。 

舘山城の怪③

kage

2016/11/10 (Thu)

舘山城の怪③

 下は、米沢市観光課が、現在も「米沢観光NAVI」に掲載している舘山城である。 このように、舘山発電所を「伊達政宗が関わった舘山城」としての見込み調査を行い、国の史跡指定認定へと作業を進めていた。

市観光課舘山

 小生はこれに対して、「舘山一ノ坂に在る看板(下段写真左)には、ここより伊達政宗が築城を計画したとしたためている。よって、舘山発電所が舘山城と言うのは如何か?」と糾すと「あの看板は誤りなので撤去する」と張り紙をして覆い隠してしまった。(下段写真右)。

看板隠し   看板隠し2

 そこで、情報公開条例に則り、「舘山発電所を伊達政宗が関わった舘山城と証する資料」と「一ノ坂の看板が誤りである事を証する資料」の提出を求めたが、どちらも「不存在」であることから、市当局は看板の覆いを剥がして、「一ノ坂より舘山城」と改めて国に申請して得られたのが、今回の「国指定史跡」である。
 米沢市による、この様な杜撰な調査が罷り通る「国指定史跡」の制度に疑問を呈する小生だが、これだけに収まらない「舘山城発掘調査」である。

 

舘山城の怪②

kage

2016/11/09 (Wed)

舘山城の怪②

 調べれば調べる程、市文化課の舘山城の調査には疑義の念が大となる。伊達の居残り氏が井戸に触れているので考えたい。

【疑問その3】 
 城とは、いざ戦いとなった時には生活の場となり、水は欠かせないものから、井戸は必要欠かざる物である。
 当初、文化課は三基の井戸跡の存在を述べていたので、情報公開にて、その存在を裏付ける調査資料を求めた所、驚いた事に「不存在」であった。
 そこで「裏付け資料も無いのに何故、井戸跡の存在を公表したのか?」と糾すと、「ボーリング調査で水分のある地質が有ったから」と言うではないか。
 「当時代の井戸は、深さ数メートルを掘削し、側面には栗石を築く工法であるから、湿った土だけでは井戸跡の証明にならない」と糾弾すると、以後、井戸跡の記述を削除して、国に「史跡指定」を求めた。この様に「捏造」と伊達の居残りしに指摘されて当然の調査経過である。

 それでは、「米沢城(現在の上杉神社)の井戸は何処なのか?」。小生はこの疑問を上杉家の血筋である「上杉虎雄氏」に尋ねたところ、「現在の上杉伯爵邸の池へ御入水を導き、そこから木樋(土管)を延ばし、現在の赤い橋の下を経て城内に導いた」との説明を受けた。
兼六園
 左図に見られるように、金沢城は兼六園から米沢城と同じ方法で水を導き、「逆サイホン」と称して観光に貢献している。
 そこで、文化課に「調査を行い、米沢城もピーアールすべし」と交渉したが、「資料が無い」との事でケンモホロロの職員だ。
 ならば、伊達政宗が係わったとする資料が無いにも拘わらず、6千万円もの調査費という公金を注ぎ込んだ事との整合性は何処にある。

 因みに、金沢の「逆サイホン」は、国の史跡に指定され、観光に寄与すること大であり、米沢市も上杉神社界隈を観光資源に利用する知恵を出すべきで、特定利権者の臭いがプンプンする舘山城への公金投入は慎重を期するべきである。

舘山城の怪①

kage

2016/11/08 (Tue)

舘山城の怪①

 今年3月に舘山城が国指定史跡になった事が報じられたが、伊達の居残り氏の投稿では「捏造」とまで指摘されている。
 当会も、ここに至るまで市・県の文化課とやりあって来た結果、あまりにも多くの疑義が発覚しているが、今回は歴史学・考古学的な難しい見解ではなく、一般的市民の素朴な疑問として舘山城を考えてみたい。

【疑問その1】 
 市文化課は舘山発電所跡地の山城を「舘山城」と称して発掘調査を行い、その報告書には『舘山城跡「主郭」』と表示されていた。

IMG_9895.jpg
 「主郭」の意味は、Wikipediaによると「中世の山城では、本丸に当たる主郭に大将が居する陣屋を置き、戦時や城に立て篭もるときは麓の館から主郭の陣屋に入って指揮を執った。」と記されている。

 市の報告書では「文献により伊達政宗が普請を行った」と解説していることから、「舘山発電所跡地の山城「舘山城」に伊達政宗が係わったとする資料の公開」を情報公開で求めたところ「不存在」であった。
 よって、城山発電所跡地の山城が「伊達政宗により築かれた」とか「伊達政宗の主郭」などを証明出来る資料は無く、写真の「伊達政宗生誕の地」などは全く根拠の無い話である。にも拘わらず「伊達政宗の主郭」と流布するのは何故であろうか。
 
【疑問その2】
 米沢での伊達政宗は、当時東北一の勢力を誇り、相当数の兵力があった訳で、もし彼を攻めてくる敵が居るとすれば、大戦(おおいくさ)となる事は必至である。
舘山城2
 その事を想定して山城を築こうとする政宗なら、狭矮にして低地にある城山発電所の地を主郭にするとは到底考えられず、先ず考えるのは羽山か御成山であろう。(現に地元住民には御成山付近との伝承がある)
 左の写真でお分かりのように、城山発電所が舘山城なら、付近の山から丸見えで、政宗陣営の動きが一目瞭然ということになる。常識的に考えて、伊達政宗ともあろう御方がこんな不利な地に築城しようとは思われないが。 

抜刀道

kage

2016/11/06 (Sun)

抜刀道

 過日、「武士道精神を現代に活かす」と題する阿部吉宏氏の講演を拝聴し、実技を目の当たりにした。
 氏は物心ついた頃より剣士に憧れて木刀を握り、14才の頃「抜刀道」を知り鍛錬を重ね、全国大会で優勝した。現在は山形に「抜刀道 阿部派一刀流道場」を開設している。
IMG_9805.jpg
 抜刀道の概要は、日本刀で物体を斬る武道で、「真剣を振るという文字通りの真剣勝負の稽古によって培なわれる真の人間形成を目指し、日々自己の精神と肉体の錬磨する」が目的であるという。

 日常生活では抜き身の真剣を構える姿を目にすることはまず無いので、抜刀の所作に入った瞬間から場には緊張感が漂った。
 そして、水で濡らした半畳の畳表を一刀のもとに切断する実技が行われたが、これは人間一人の胴体を切断するに値するという。

 講演では、武士の魂と云われる刀だが、刀とは本来は鞘に収め、無闇に人を殺傷する道具では無く、抜刀するのは敵から身を守るべく戦う時である。武士道の「武」は戈を止めると書き、「戈」即ち武器を止め、争いを止める事であり、この精神が世界に広まれば争いは無くなる。と説き、武士道精神は「孫子の兵法」に非ず、「闘戦経」の教えにあると言う。

 武田信玄は、「孫子の兵法」に心酔し、「侵略すること火の如し」と領地を拡大したが、「闘戦経」は、武士は「戈を止める」ものとして侵略を是とはしていない点が大きな違いである。上杉謙信公が「闘戦経」を学んだものか定かではないが、侵略の戦は行わなかったと伝えられている。

 小生は小さい頃から「刀」に興味を持っていたが、歳と供に「武士道」に関心を抱くようになった。近頃は、海外でも「武士道」や「侍」に関心が強まっていると聞くので、日本人も明治維新以前の「武士道」を学び、もう一度「日本人の魂」を考える時と思っている。

ナセBA東根版

kage

2016/11/04 (Fri)

ナセBA東根版

 県内で唯一、人口増の東根市に図書館・ギャラリーを擁する文化複合施設「市公益文化施設まなびあテラス」が11/3にオープンしたので見に行った。緑も多く、芝生の多目的広場や広い駐車場は使い勝手の良さが感じられた。
 「まなびあテラス」も「ナセBA」も図書館とギャラリーから構成されている点は同じだが、コンセプト(基本理念)には雲泥の差がある。

【まなびあテラスのコンセプト】 
『集い、学び、創造する 情報と芸術文化の交流拠点』

【ナセBAのコンセプト】
『まちの顔となる中心市街地の賑わいを再生し、新たなまちづくりの中心核を形成する』

 上記からお分かりのように、東根市の基本理念は純粋に「文化施設」であるが、米沢市の基本理念は「まちづくり」に「文化施設」を利用しようとするものであり、ハッキリとした大きな違いがある。

 30数年前の東根市の話だが、この頃小生は営業で頻繁にこの地を訪れていた。現在の市役所はまだ建っておらず、ぼちぼち大きな箱物建設が始まろうとした時期で、付近には田畑が多く残る、言わば田舎町であったが、何十年ぶりに今回訪れ、スッカリ近代的な街並みに変貌した事にビックリした。即ち、東根市の場合は「まちづくり」の後に「文化施設」を建設したと言うことだ。

まなテラス正面   まなテラス
         正面                        右が図書館 奥が商店街

 反面米沢市の場合は、約46年前、市役所庁舎が金池に移転したことから、その跡地と界隈に大型商業施設が進出して、大変な賑わいを呈していたが、車社会が到来すると、大型店舗は郊外に移る、いわゆるドーナツ化現象が進み、それまでの中心市街地は疲弊して現在に至る。

 それを図書館の集客力で元の賑わいを復活させようとするのがナセBAの建設目的だが、図書館でドーナツ化現象を解消した例は何処にも無く、まして車社会を原因として疲弊した中心市街地を、駐車場の無い図書館で活性化させようなどは、正気の沙汰とは思えない。(新築の駐車場は、文化会館と地元商店の為に元々有ったもの)
 小生等は「図書館の集客力で元の賑わいを復活させる根拠が無い」として「工事差止」の訴訟を行ったが、司法は「議決を得ている」事を主たる理由に棄却した。

 行政側は界隈の行事には補助金を支給して、人集めに躍起となり「これ程活性化しました」と、失政を取り繕うとしているが、公金を投入してナセBAの入館数が増えたからと言って活性化の証明にはならない。
 活性化とは、ナセBA界隈に経済効果をもたらして、シャッター通りが解消されてこそ評価できるが、それは甚だ疑問である。が、年間2億円に迫る維持管理費が次代の若者の負担となるのは確実である。

学芸会?

kage

2016/11/03 (Thu)

学芸会?

 「知事と語ろう市町村ミーティングin米沢」と題する催しが、11/1文化センターで開催され、気乗りはしないものの友人の誘いもあったので訪れたが、案に違わず実入りの少ない2時間であった。

 会の持ち方は、予め質問を文書で受け付け、その中から選択して、当日知事が答えるやり方だが、殆どが、何もわざわざ知事が答える迄も無く、担当部局に問い合わせれば済むような内容であった。
 主催は山形県と米沢市で、進行は米沢市が受け持ったが、行政マンが第一に考えるのは「スムーズな会運営」だ。その為には、答え易く異論の出ない内容の質問を選択して、粛々と会は進行するが、聞いていて白々しさを感じてしまった。

 この様な会運営の手法は多くの地方自治体議会でも取り入れられ、予め議員質問と行政マン答弁の摺り合わせを行っている。
 これを片山善博元鳥取県知事は、「台本を読み合うだけの学芸会と同じで茶番」と評し、「自治体が抱える病理が明らかにならない」・「議会は真剣勝負であるべき」・「能力が無ければ質問や答弁に立つべきでない」と手厳しい。

 11/2に「市長を囲む座談会」が中部コミセンで開かれたので参加した。
 主催者の弁によると「出席は市長だけで良い」「時間は3時間を取ってくれ」と申し込んだが、「事前に質問内容を文書で提出してくれ」「質問に正確に答える為、担当職員も出席する」との事だったという。
 会場に入ると、市長以下15名の職員が鎮座して「市長を囲む座談会」のつもりが「市職員に囲まれる座談会」の様相にビックリした。 
主催者は市長を囲み、忌憚のない話合いの場を望んだが、それは叶わず、予めの質問内容に担当職員が縷々説明する「学芸会」の様相を呈し、市長の考えが聞けたのは極少々と、名ばかりの「市長を囲む座談会」の3時間であった。

 この会合に参加して、大いに気になったことがある。それは予めの質問事項、「新・道の駅のイニシャルコスト(初期費用)は幾らか?」に、担当職員は「市の持ち出しは16億円を予定しているが、まだ設計段階なのでハッキリした数字は提示出来ない」との返答があった。
 そこで小生は「それでは東京都のオリンピック会場と同じではないか」・「設計段階なら16億円を上限として設計すべきである」・「ナセBAは当初計画16億円が30億円に膨れあがった」・「16億円が限度との言質を求める」と糾すと、出席の市民から「市長を囲む座談会だから、職員をつるし上げるような質問は止めよう」との発言で打ち切られてしまった。

 小生は出席する以上、実のある会合を望み、片山善博氏が唱える如く、真剣勝負の積りで質問し、当局もそれに真剣に答えて貰いたいと願っているが、得てして行政養護の発言をする市民によって、質問の腰を折られることを残念に思う。この場合なら「市長を囲む座談会だから市長に答えていただきたい」と発すべきではなかろうか。

 会が終わってから「あの方は・・・設備なので行政の受けを狙っての発言じゃないの」・「新道の駅の大きな受注を期待しているのでは」と耳にしたが、本当なら、さもしい根性と悲しい気分になる。
 

議員定数を考える!!

kage

2016/11/01 (Tue)

議員定数を考える!!

 議員定数・報酬検討委員会は、議員定数に関して、①他の自治体と比べ、妥当であり「現状維持」とする意見と、②減少する市人口を鑑み「2名減」の意見の2つを検討しているとの事。
 この議員定数も、11月各地で開催される議会報告会で話題となるだろうから、多くの参加者が意見を述べる事を期待し、当会の議員定数の考えを述べたい。

 議員定数は2011年まで地方自治法により上限が定められ、各自治体では上限に近い定数となっていた事から、現在でも昔からの1万人に2~3人の自治体が多数を占める。しかし、これが適宜であるという根拠は無い。

 前述しているように、議員の存在とは、行政事務意思決定の最高機関である議会に於いて、①議決権の行使、②条例の制定、が職務であるから、多ければ多い程地域住民の総意に添うことが期待出来るが、反面、現在の報酬システムではコストが掛りすぎる。
 
 日本は戦後アメリカの影響を受けて、現在の議会制民主主義が形作られ、廃墟から復興へ向けて、経済だけに限らず人口も拡大基調の元に発展してきたが、それらが縮小傾向を迎えると、「地方創生」などの甘言により、地域間格差を放置する政策が施行される時代へと変革を遂げている現在、過去のシステムを踏襲しない地方議会の在り方を考える時にある。

 そこで、「・・・自治体は・・・人だから、本市も・・・人が妥当」との考えから脱却し、本市独自の、①日当制の導入、②専業議員でなくとも出席可能な、夜間議会のシステム導入、③地区委員の職務と権限と報酬の確率、④議員リコールの簡素化、等を議員定数・報酬検討委員会で議論すべきである。

 ④の議員リコールの簡素化は、現在地方自治法の「有権者1/3の署名」が、「得票を超えた署名」に改めるのであれば、議員はノーテンキでは居られず、議員本来の職務に真剣に取り組むであろう。

 これまでの様に、「行政の追認機関」としての評価しか出来ない議員団であれば、議員定数は4人で良いと思っている。