酒井彰氏の野望とその背景

2011/10/30 (Sun)
酒井彰氏の名前を知らない米沢市民は極希であろう。言わずもがな、㈱北陽グループ・㈱ニューメディア・米沢商工会議所・介護施設の総帥として豪腕ぶりを発揮し、飛ぶ鳥を落とすが如くの活躍ぶりにバンクマントップにして「酒井氏が変わらなければ米沢市は変わらない」と言わしめた程の勢は最近「酒井天皇」と称される程である。
しかしこの活躍の背景には父「巌氏」の業績が極めて大きく関与している事は紛れもない事実であり「酒井巌」氏を語らずして現在の酒井彰氏は到底理解することは出来ない事である。
又、酒井彰氏に大きな影響を与えたもう一人の人物に金子建設「金子剛三氏」を上げずにはおかれまい。
金子氏も米沢を大きく動かした人物であり、現在でも政治経済界に影のドンとして君臨している事から、先ずは二人の経歴と時代背景から触れてみたい。
◆酒井 巌 氏
館山一六軒町で生まれ、昭和14年米沢高等工業(現在の山大工学部)・昭和21年東北帝国大学工学部化学工学科卒と有る。
東北大は就職した三菱商事㈱を中途退社しての入学であるから大変な向学心の持ち主であった訳である。
卒業後は持ち続けていた食品工場(サービスを含む)経営の夢を実現すべく「酒井生活研究所」を創設し、ここから企業人としての活躍が始まるのであるが、妻である来次家の次女「登美子氏の閨閥」がその後の活躍を後押しするのである。
この研究所の敷地は妻の叔父「佐藤徳助氏」(巌氏の妻登美子氏の母の弟で当時隆盛な米織業界をリードするトップ企業佐徳織物代表者)より借り受け、一年後に現㈱北陽の前身である「東北食品化学工業㈱」を叔父の援助で立ち上げると間もなくチャンスが到来した。 国は農林省直轄のアミノ酸製造工場を全国に求めたのである。
早速巌氏は応募を決意するのであるがここでも叔父徳助氏の政治力で県代議士を紹介してもらい、代議士同伴で農林省の食品局長と面接した結果、資格を取りつける事に成功したのである。
しかし工場も設備も無い状態であった。 が、又々叔父徳助氏の援助により現在の松が岬一丁目「㈱ナウエル」の地に工場が完成したのである。
アミノ酸醤油製造が軌道に乗ると氏の旺盛なる事業意欲に火が付いた。
天然醤油・ラムネ・ジュース・玉うどん・アイスクリーム・冷菓等の製造そして牛乳処理販売・給食事業と怒濤の如く多角経営に邁進したのである。
そして昭和40年頃より結婚ブーム(団塊の世代)となってきたのを期に給食事業を手がけている事から披露宴会場の運営へと事業を拡大したのだった。
これが㈱ナウエルの前身であるが、折しも九州地方より始まった冠婚葬祭互助会システムが北上しつつあり、期を見るに敏なる巌氏は早速その許可を取る事により互助会事業㈱ナウエルを立ち上げたのであった。
その後の快進撃については米沢市民の良く知る所であるがここまで事業を拡大する裏にはあまり人に知られたくない事情もあったようである。
・㈱北陽と㈱ヤクルトの関係
昭和39年頃、福島よりヤクルト事業の話が持ち込まれたが牛乳宅配をやっている事から㈱北陽(社長は佐藤徳助氏弟宏助氏)が手がけるようになったのは自然の成り行きであった。
この頃の㈱北陽は多角経営に邁進するもの内容は決して芳しいものでは無かった。しかしながらヤクルト事業が軌道に乗るとその業績はメキメキと向上し、今後の更なる発展を期し単独事業としての㈱ヤクルトを設立し初代社長としては㈱北陽の社長佐藤宏助氏が就任した。
この様に業績は拡大するも資本金の殆どは佐藤家が占めていた。
・ニューグランド北陽建設と㈱北陽社長就任
佐藤家は今後も安定成長が見込めるヤクルト事業に専念し北陽グループの経営を酒井巌氏に委ねようと考えた。
時を同じくしてニューグランド北陽建設の計画が進展し㈱北陽の増資が検討されていた。
㈱北陽の代表者となるには相当額の資金が必要であったが、さすがの酒井氏に取っても右左に調達出来る金額ではなかった。
そこで取られたのがウルトラテクニックである。
当時ニューグランド北陽建設は黒金建設に決まっていたのだが、このころ親交を深めている金子建設に㈱北陽の代表者となるに必要な資金をバックアップする事を条件に建設発注する話を持ち込み、金子氏が承諾した事から着工は黒金建設から金子建設へと鞍替えされたのである。
このキックバック資金を元に代表者となった酒井氏はその後名実共に北陽グループの総帥として力量を発揮し業績は拡大されていくのであった。
・近藤鉄雄代議士とのこと
鉄雄氏の母親は佐徳織物の寮に住み彼はここで育った。
後に国会議員を目指した時、米沢市には木村武雄・黒金泰美の大物代議士が現存している事からその地を山形市に求め見事志を達成したのだった。
しかしながら育った場所が妻の叔父徳助氏所有とあれば巌氏と鉄雄氏の関係は想像に難くなく、互助会の許可も政治家として当時力をつけた近藤氏の後ろ盾が有ったのかも知れない。
・商工会議所会頭選挙
旺盛なる事業意欲もさることながら自己顕示欲も相当なものだったようだ。
各種団体の長を兼任し米沢の名士としての地位を得ていた氏であったが自ら欲して叶えられなかったのが米沢商工会議所会頭のポストである。
佐々木忠夫会頭時代の副会頭である巌氏は当然にして会頭席を望んだのであるが周りの人望を得る事が出来なかった。
特に当時のA専務は巌氏の過去の行動から見て公益より私益を優先するであろう事を深く懸念し丸定社長の佐藤良平氏を擁立しようと尽力したという。
結果、強く望んだ会頭席を手に入れる事が出来なかった訳であるが、この経緯は未だ若き彰氏の思考回路に強く組み込まれたのではなかろうか。
◆金子 剛三 氏
昭和32年興譲館高校卒
金子氏について語る前に高橋幸翁前市長について触れてみたい。
高橋市長と老生とは高校で同級であり、彼が被選挙権を得ると市議選に立候補するお膳立てをしたのはこの老生であるが初陣で見事志しを遂げ市会議員となる。
金子剛三氏の父は高橋幸翁市議の力量に惚れたのか利用価値に着目したのかは分からないが「高橋幸翁を市長にするのが夢」と公言してはばからなかった。 その後県会議員を経て市長選に挑戦するも落選の憂き目を見る事となったが落選中の資金をバックアップしたのは金子建設でありその額は相当のものだった。 そして2回目の市長選では18票という僅差で勝利し、金子建設と高橋市長とのレールは敷かれたのである。
・酒井氏との結びつき
高橋市長とのレールは敷かれたが、同時にこの所メキメキと業績を拡大し店舗建設を行う北陽の酒井氏は建設業を営む金子剛三氏にとって大変魅力有る存在であった。
何とか酒井氏を取り込みたい彼はそれとなく酒井氏と接触しプライベートの付き合いでも相当な気配りをしたという。
こんな事から金子建設と酒井巌氏の関係は段々と太い絆となって行く最中に持ち込まれたのが㈱北陽の代表者となるための資金バックアップの話であった。 前述したとおり酒井氏の力量を信じる金子氏は資金を用立てし、その後の二人の関係は切っても切れないものとなっていく。
・国民金融公庫の建設
商工会議所が主体となり運動の結果国民金融公庫誘致が決定した。
記憶は定かではないがこの時の国会議員は近藤鉄雄氏であったからその働きも有ったのであろう。
当時は公共事業の発注者を決めるに「天の声」が通用する時代であったから建設業者は支援する政治家に肩入れし、選挙戦は土建屋戦争と言われる程熱を帯びたもので裏では大きな金額が動いたものである。
酒井氏との関係から当然にして金子建設の支援する代議士は近藤鉄雄氏であった。
当時渡部紙工が南原に工場移転をする事から大町の地を下取った金子建設はこの地に誘致の決まった国民金融公庫の建設を画策しその労を近藤議員に託した。
当初近藤議員は金子建設の意向に沿って根回しを行っていたが商工会議所会館一階への誘致運動が高まった事から近藤議員はアッサリと方針を変え誘致場所は現在の商工会議所会館一階に決定したのである。
政治家の意思決定の大きな要素は金か票である。この二つの要素が時には国民の公益より優先する場合が有るが、この場合の近藤議員の決定は票と公益を考えた上での決着に見えるがもう一つの要素があった。
当時会議所会館一階はテナントとなっており㈱北陽が経営するレストラン紅花が営業を行っていた。
しかし専門の調理師も居ない事から店は閑散を極め赤字の連続であり、撤退を模索している時に持ち上がった国金誘致話である。
立ち退き金を貰っての撤退なら名実共にこんなうまい話は無い。 酒井氏の近藤氏への働きかけに力の入ったのは当然である。
かくして誘致運動に敗れた金子建設はその後遠藤武彦代議士に鞍替えし一旦近藤鉄雄代議士とは袂を分かつのであったが、時を経て息子の近藤洋介代議士時代となった今、再び利権の構造が見えてきた。
・㈱沖正の土地を転売
現在の米沢駅前ヨークベニマルの土地は沖正酒造の所有であったが銀行が介入し売却話が進められていた。
その事案が高橋市長を介して金子建設に持ち込まれた。
坪単価7万円(推定)で3千坪の取引である。 この土地を入手した金子建設はその後ヨークベニマルに何と坪単価40万円(推定)で転売したのである。
この利益の中から高橋市長へキックバックが有ったとの風評が立ち警察も動いたとの噂が有ったがお咎めはなく、その後この豊富な資金を背景に松原地区の大型造成に着手し米沢のトップ企業へと階段を登るのであった。(高橋市長との関係から学区編成には特別の配慮有り)
・六中校舎新築工事に絡む入札の怪
六中の校舎新築に伴う入札で前代未聞の珍事が起こったのである。 それは指名業者6社による低価格競争入札、即ち安い札を入れた所が落札者となるシステムで行われた。
入札の結果、落札社は「置賜・黒金建設JV」と発表された。ところが異議ありとの金子建設からの抗議に再度札を改めた結果「金子・後藤組JV」が落札者であるとの訂正が行われたのである。
その後巷では「天の声を間違えた」との噂が広がったので当会も色々調べたが行政の厚い壁に阻まれウヤムヤになってしまった。
しかし僅か6枚の札を4人の職員で確認して間違うものであろうか。 未だに解せぬ行政の怪である。
ちなみに最高責任者の執行官は現在の「町田副市長」であった。
当時、町田副市長は総務部長職にあり高橋市長の茶坊主と揶揄されていた人物である。
・千代田クリーンセンター
千代田クリーンセンター建設に於いても金子建設と高橋市長との蜜月の関係から焼却炉を納めたタクマを含め「天の声」が有ったとの風評が流布したものであった。
その後、小野川に建設予定の金子建設の産廃会社へタクマが出資している事から何らかの裏取引が有ったのではなかろうか。
そして時を経て温泉プール・パークゴルフ場の建設が住民反対運動の最中、安部市長により強引に推し進められ金子建設が受注した。
これにはある議員より安部市長への強烈な働きかけが有ったという。
・NCV開局
高橋幸翁市長の時NCVは三セクとして開設されたので出資者として金子氏・酒井氏に口の掛かるのは当然の成り行きである。
金子剛三社長・酒井彰副社長コンビでNCVの業績を伸ばしたのは市民の周知するところである。
老生が注目するのは前々回安部候補と戦って敗れた大久保氏を常務に迎え入れている事である。
大久保氏と言えば高橋幸翁市長の助役(現副市長)として彼を補佐し、高橋市長が引退するとその後任を狙い市長選に挑戦するも高橋政権の傀儡との噂から落選の憂き目を見るが金子氏に常務としてNCVに迎えられた人物である。
即ち高橋市長時代の表も裏も知る大久保氏は金子氏にとつて利用価値のある存在であろう。 ましてや軽くてパーな御輿と揶揄される安部三十郎市長ではなおさらである。
前述の酒井巌氏と金子剛三氏の業績を背景に酒井彰氏を語ってみたい。
◆酒井 彰 氏
昭和23年生まれ。新潟大学工学部卒業。
彰氏には兄がいた。名を貴氏と言い学業はズバ抜けて優秀であったという。
彼は東工大を卒業後父巌氏の会社を選ばず今後成長が期待出来るとして日本信販㈱に入社し将来を期待されたが若くして不慮の事故に遭い帰らぬ人となった。
いずれ後継者にとの思いがあった巌氏にとってその落胆ぶりは相当のものであったという。
その優秀な兄に比べ弟彰氏は何かと比べられ育ったのではなかろうか。
伊達政宗とその弟に対する親の愛程では無いだろうが、その時のコンプレックスが現在の彰氏のバネとなっているような気がする老生である。
卒業後は父巌氏の会社で後継者の道を歩むのであるが米沢青年会議所に入るとそのやんちゃぶりは相当なものだったという。
・相場への投資
彰氏が入社する以前より㈱北陽にはT・M氏なる人物が居た。
彼は元米沢信金に勤めていたが不祥事を起こし解雇されたところを巌氏に拾われ、その恩義に報いる為のがんばりは巌氏も高く評価していたが、相場に手を出し会社の金に手をつけてしまった。
後にそれが彰氏も加わっていた事が明らかとなり父巌氏は彰氏の分を穴埋めしてT・M氏だけの不祥事という事で決着をみたが、それ以後彰氏にとって父は超えがたき大きな存在と成ったのではなかろうか。
その後彰氏の経営方針への発言が増す訳だが親子での意見衝突は激しかったものと聞く。
老生は、公金を私益獲得ために流用したこの行為に将来の彰氏に一抹の懸念を抱えた記憶がある。
・経営方針の変化
時を経て彰氏が経営者として実権を握るとその方針に変化が見られるようになった。
例えばナウエル事業の草創期には地元業者からの仕入や業務委託を行い関連業者もナウエルの会員確保拡大に協力し裾野の広い地元企業との評価があったが、彰氏に成ってからは儲かればよいという事か仕入は殆ど県外からとなり事業委託分野も自社で行うようになった。
特に葬儀の参列者へ配られる事の多いお茶は不評と聞く。
時代はバブル期の最盛期は過ぎたものの持続する好景気により結婚披露宴の華美化は進みナウエル事業は順調にその業績を伸ばしたが厳しい仕入条件に地元業者は離れざるを得なかった。
そんな折、結婚披露宴の引き出物に誤魔化しが有ったという噂が流布した。
結婚披露宴前の打合せで、引き出物は食品メーカーを指定したのだが当日招待者に渡った物はメーカーが違う上、賞味期限の切れた物であった。
一生に一度の晴の式典に味噌をつけるものと早速苦情を申し入れた所、値引きの条件を提示したという。
この場合は先ず経営責任者が謝罪し事情説明を行うのが常識と思うのだが「責任は納入業者にある」と最後まで彰氏はおろか宮島氏さえも謝罪挨拶は無かったという。
この頃から勝てば官軍、金で解決の経営理念が形成されたのではなかろうか。
・葬儀事業へ業務拡大
時は結婚ブームも陰りを見せ、次は団塊の世代が迎える葬義に事業の軸足を移す訳だが、父巌氏も生前語っていた事なので自然の成り行きであろうがその中身には彰氏の個性が見られる。
そもそも葬儀とは町内の人々の協力で行われてきた歴史があり、喪主やその家族はその行為に対し一切の心遣いを求められるものでは無かった。
ナウエル方式は喪主を門送りに立たせたり、本来葬儀をお手伝いしてくれた方への喪主の感謝の席である壇払いをあたかも結婚披露宴招待者の如く多数出席者の設定とし、喪主の大きな負担となった。
老生も元市議の葬儀の相談を受けた時、ナウエル営業マンの勧めは100万円を超える喪主持ち出しの設定であった。
おろおろする喪主に先ず壇払いの経費を削減し何とか足の出ない葬儀で事なきを得たが下手すると大きな借金が残るところであった。
結婚披露宴が一時の華美なものから最近では「地味婚」へと変わった如く、豪華絢爛な葬送の義もいずれ廃れるものとは思うが、尊厳ある人間の死を利益獲得の手段として拡大する事は互助会の目的になじまないのではないか。
死の商人との謗りを受けぬよう互助会の原点をもう一度見つめ直す時期にあるのではないか。
・土地への投資
戦後団塊の世代の生活パターンが我が国経済に大きく関与してきた事は国民周知の事である。
先代巌氏は冠婚業に力を入れ互助会事業を拡大してきたが、いずれ葬祭業にウェートシフトする時代が来る事を生前に語っていた。
数年前、その期を感じた彰氏は置賜圏に斎場建設を行い、葬祭業拡大路線へと舵を切った訳だが、老生は事情通から聞いた斎場建設資金には違和感を感ぜずにはいられない。
違和感とは、斎場建設には金利の掛からない会員の預り金を使う事で利用料金を低く抑え会員に還元するのが本筋であろうが、ナウエルの斎場物件はリース会社の所有として、あえて高くつくリース料を払う方式にしたのだという点である。 80億円とも噂される会員預り金の半分は前受金保全措置の定めにより積立金として使用する事が出来ないが、残り40億円は本業とは関係のない使用目的に利用されているのではないか。
名義はどうであろうとも多くの土地が酒井彰氏関連で買われている事は市民の知る所であろう。
その資金の出所は何処であろうか。 数年来高額納税者に彰氏の名前を見た事が無いと言う事は手元資金での土地購入では無いと推測される。
土地神話が崩れた今、土地担保による銀行融資は望めないが、もしナウエル保証であれば銀行は二つ返事で融資に応ずるのではなかろうか。
もし会員預り金が投資や投機に利用されていると言うのであれば目的外使用として法の縛りは無いのであるか。
土地への投資は値上がりが期待出来ない現在、決して率の良いものでは無い筈であるが、彼には独特の計算方法が有るようである。
ポポロ跡地で検証してみよう。
名義は未調査であるがポポロ跡地は酒井彰氏関連が購入したという。
又近くの商店街の駐車場を吉野徹氏が購入しているがその資金の出所は酒井彰氏が絡んで居るとの噂が高い。
そこで浮上してくるのが近藤洋介代議士の尽力で米沢市に決定したとされる中心市街地活性化資金(国が事業費の40%を補助する制度)を利用する総予算約50億、市民負担30億の大型プロジェクトである。
サッカー場や、まちなか歴史公園なども計画にあるが予算の半分以上は街中図書館建設計画でポポロ跡地を予定し、まちなか歴史公園の予定地は吉野徹氏所有の駐車場隣接地と来る。
此処を訪れた車は何処に駐車するというのだ。
現在米沢観光の中心地、上杉伯爵邸隣接地にNHKの中継基地があるが柵は雪害に歪み草は伸び放題の現況は観光客の不評を買い、作家「童門冬二」氏からも移転を促す指摘を受けた経緯がある。
多くの市民がその移転を熱望し観光資源としての有効活用を訴えているにも拘わらず何故吉野徹氏所有の駐車場隣接地に多額の市税を投入しまちなか歴史公園を作らなければならないのか。 (この裏事情については大変興味有る情報が当会に寄せられたので後述する。)
ここで彷彿されるのがポポロ跡地と隣接する現在の中央広場を市が買い上げた時の経緯である。
随分古い話なので数字はうろ覚えであるが、現在の中央広場造成前には市役所庁舎が有り金池へ移転したため民間に払い下げる事となった。
価格は坪単価7万円でファミリーデパートに払い下げられた。
20年後そのファミリーデパートが撤退した為、これを市が買い戻す事になったが市は43万円を提示した。
この事案が上程された時「当該地近くにあった商店“ばば店”跡地が競売価格坪6~7万円なのに坪43万円で市が買い入れるのはあまりにも高額ではないか」との反対意見が述べられたが高橋幸翁市長の老獪なる議会工作で承認されたのである。
この価格問題は市民も巻き込んで話題は広がり高橋幸翁市長へのキックバック説も浮上したがウヤムヤのまま現在に至る。
この様に時の為政者を利用出来るのなら土地は莫大な利益を生む事は金子剛三氏を師とする彰氏なら充分学習済みであろうから、ポポロ跡地を中央広場方式で市に売却する事を考えるのは当然の成り行きであろうと老生は考える。
この思考の延長線上には県知事・近藤代議士を巻き込む地域開発が有るのではないか、現に米沢駅東側の土地は子息名義で5千坪押さえてあるという。
補助金、助成金目当ての地域開発は一見地域活性化に繋がりそうに見えるが、その方式で破綻したのが夕張市である。
この事を危惧する数名の市会議員の中で島軒純一議員は9月議会において「まちづくりを大きく変えようとしているのに市民への説明と意見の集約・議論はやったのか」との質問を行った。
これに安部市長は「市民の理解は十分に得ている」との答弁を行っている。
市民とは誰の事を指すのであるか。少なくとも老生は意見を求められた事は無いし理解などしていない。
このブログを見ておられる方で安部市長が進める中心市街地開発を十分理解している方が居るのであれば鬼の会掲示板にその旨を投稿していただきたい。
老生は「十分理解している市民」とは酒井彰氏の事を指すのでないかと思っている。
ポポロ跡地には余談がある。 市は現在、市民ギャラリーと戦国の杜がポポロ跡地を借りているが市へ電話しその賃料について尋ねてみた。
受付嬢は「どこの部署へ繋げば良いか」と聞くから「そちらで調べて返事をよこせ」と電話を切った。
後に商工観光課より月額50万円の年額600万円・文化課より月額70万円の年額840万円との返事が来た。
「その外に払っていないのか」との質問には電気料等の実費のみですとの答えであった。
腑に落ちない老生は市議を通じて調査した所、何とこれとは別個に共益金年額2千万円と指定管理費年額600万円が支払われていたのである。
よってポポロ跡地の賃料は年額4,040万円である事が分かったが何故市民の問いに1,440万円と答えたのであるか。
この金額を隠さなければ成らない安部行政とはいったい何を企んでいるのであろうか。
・商工会議所会頭就任
父巌氏が望んでも成れなかった会頭の席を手に入れる事は、彰氏にとって父を超える願望を満たす一つのイベントで有ったであろう。
彰氏は慎重にして自ら会頭席を望む事は決して口にしなかった。しかし副会頭二名が興譲館高校の同級生となると自然発生的に会頭の座は巡ってくるのである。
そして会頭就任挨拶の「自ら望んだのでは無く推されてこの職に就いた」との文言に老生は遠藤武彦代議士を思い出した。
彼の農水大臣就任がテレビ放映された時「この席にだけは就きたくなかった」との発言とは裏腹に喜びを押さえるに苦悩する顔である。
もう一つ気になるのは「商工会議所は自ら指導力を発揮し行動する事はしない」「会議所は皆の物であり会員が決断し決める事」との発言をネット上で拝見するが、それには自ら表面に立ち指導力を発揮した時の損得勘定が見え隠れする。 即ち米沢商工会議所会頭の立場なら、会員のみならず米沢市全体の公益を優先すべきであると会頭職を全うしたところで私益にはならない。
損か得かとの判断には特に敏なる彰氏の事であるから自分に得とならない事にはエネルギーを使わない御仁と老生は判断する。
商工会議所法第九条では「商工会議所としての意見を公表し、これを国会、行政庁等に具申し、又は建議すること」と謳っており、商工会議所とは行政庁(地方自治体の知事・市町村長など)に具申(意見などを詳しく申し述べること)建議(意見を申し述べる事)と有り日本商工会議所会頭、岡村氏ともなれば政策提言活動として時の総理大臣や国家予算についてまで行政官庁に具申している。
彰氏を岡村氏と比べるのは酷としても指導力の無い安部市長に米沢商工会議所会頭として地域経済を活性化する影響力を期待した市民も多かったのではなかろうか。
ところが昨年まで「安部市長を替えなければならない」と公言していた酒井彰氏はいつの日からか「次期も安部市長で良い」との考えに変わった。
近藤洋介議員も、今年一月新年会で「安部に替わる独自候補を擁立する」と挨拶したことが朝日新聞でも報道されたにも拘わらず「次期も安部市長で良い」との意見に変わったのである。
情けないのは彰氏を取り巻く連中の殆どがこの意見に賛同の態度を取った事である。
老生は世の中に利益至上主義の経営者と社会貢献型の経営者が居ると思っている。
彰氏は米沢の企業で売上高1,600億、利益4億を計上した事に「0.25%の利益は誤差の範囲だろう、弊社は売上高80億で利益4億、5%の利益率である」と自慢したと言う。
企業の評価は色々有るだろうが老生が評価すべきは付加価値高だと思っている。
かつて米織りが基幹産業であると言われた時代が有り、後に弱電業界の売上高が米織りを抜いた時でも基幹産業としての評価が有った。
それは糸から織物製品になるまで多くの業種と労働者が関わり、出荷額に対して付加価値が極めて高かった故である。
売上高80億の企業と1,600億の企業が同額利益なら老生は後者を評価する。 先代巌氏経営のナウエルも地元からの仕入や外注により地域貢献型の企業として評価が有ったが彰氏はどうであろうか。
風評の範囲であるが、新潟の有線放送会社に10億円、北海道の有線放送会社に10億円、中国に数千万円、土地への投資数億円と約40億円が投資に向けられた。 これには「置賜で集めた会員の預り金を他所への投資に使うとは納得が行かない」との意見が当会に寄せられている。
ここで思い出されるのは若き彰氏が会社の金を相場に注ぎ込んだ件であるが、加えて当会に寄せられた情報によると、昔同級の内藤文徳氏と彰氏は協力してマルチまがい商法で車の排気ガス浄化装置を販売したという。
情報提供者は後に何の役にも立たない物と分かり月給が3万円の当時、5万円は大金であり今でも二人を恨んでいるのだという。
老生はナウエルの積金は解約して戻して貰っているからどこに投資しようともどうでも良い事であるが心配な会員も居るのであろう。
・あづま会の怪
米沢市南方、なでら山の麓に社会福祉法人あづま会がある。
この施設は平成5年、故高梨宥興師や時の市議鈴木睦夫氏らによって開設され草創期には苦労の連続であったが粉骨砕身の努力の結果平成10年頃より事業は軌道に乗ってきた。
この頃から当時の松田俊春理事長は現在の施設よりもっと利便性の良い“まちなか”に福祉施設を造る構想を抱き、対外的交渉をスムーズに進める事が出来るのではないかとの思いから酒井彰氏に経営参加話をもち掛けた。
彰氏はブレーン(太鼓持)とも言える内藤文博氏渡部文雄氏と共に経営参加、理事となる。
そして松田理事長は往年の夢である「まちなか福祉施設」を実現すべく平和通り駐車場とその隣接地の買収に取りかかった。
駐車場南側隣接地の一部は「まちなか福祉施設」構想を理解する住人の協力により平成22年4月「あずま会」の名義となるが、同じく隣接する土地には天満神社が存在し、地権者が複雑なため取りあえず神社を皇代神宮に移し祀り、その後契約する運びとした。
此処まで事は順調に運び、いよいよ平和通り駐車場契約という時に調印寸前まで進んだ交渉が中断された。
「松田理事長は理事会の承認無しに事を進めた事が問題となり、開かれた理事会で理事長職を追われ、あづま会からは手を引く結果となった為、平和通り駐車場の契約は反故となったのである」との噂が市井に流れた。
漏れ伝わる話では、あづま会で開かれた理事会は忘年会の予定を急遽「臨時理事会」に変更し内藤文博理事が議長となり開催されたが、松田理事長は議題の当事者のため別室で控えるように指示され、戻って告げられたのは理事長解任であったという。
この話を耳にした老生は、松田氏とは旧来の知己である事から彼と会見し事の子細を尋ねたが「あづま会」に関しては黙して一切を語ろうとしないのは良いとしても、何かに怯える態度は過去に会った元北陽関連従業員の態度と相通じる物があり大変奇異に感ずるのであった。
松田氏解任後、岩間氏(元信金理事長)が理事長就任するも直ぐに酒井彰氏が理事長となる「あづま会」に関する一連の出来事は「強盗慶太」(大正-昭和に掛け強引な手口で次々と企業を買収する五島慶太氏のあだ名)の名を彷彿させるものであった。
後日あづま会の内部事情に詳しいA氏の話により、松田氏の恐怖に怯えた原因や酒井彰氏の深淵なる計略話を聞く事により納得がいったのである。
A氏の話とは、 あづま会の経営は最近順調にして12億円程の剰余金が有る。あづま会に経営参加を招聘された酒井彰氏はこの剰余金に目を付け、まちなか福祉施設を計画する松田理事長に、彰氏が既に取得している米沢信金東側の空地をまちなか福祉施設の用地として会が取得する事を提案したが値段が折り合わず、松田氏は平和通り駐車場を候補地に交渉を進めていた。
このとき彰氏は信金東側を「あづま会」に坪単価22万円の高値で買い取らせ平和通り駐車場は坪8万円の安値で手に入れる魂胆だったという。
そこで起きたのが松田氏追放劇である。
表向きは理事会の承認無しに土地取得や交渉を進めた松田氏に責任を取らせた格好の理事会だが、本当のところは、彰氏の意に沿わない松田氏を追放するだけが目的の理事会だったという。
A氏は続ける。
松田氏は元々まちなか福祉施設の建設ついては公言していた事から、この件については理事も知っていたはずである。
それなら理事会で審議すべきは「平和通り駐車場がまちなか福祉施設を建設するに適するか」「米沢市民の為になるか」「土地の価格は妥当であるか」であろう。
理事会承認無しに進めた土地買収は松田氏の勇み足としても理事長解任までの決議は悪意を感ぜずにいられない。
松田氏の草創期からの努力と、私益を目的としない「まちなか福祉施設」建設に尽くした功績を知る自分は、一切の発言の場を与えず解任決議をするあづま会理事連中とは、義を重んずる米沢人として憤りを感ずるものである。 と
そして松田氏が恐怖を感じて老生に何も話さなかったのは、彰氏に「理事会承認無しに買収した土地は松田理事長に買い戻して貰うのが本筋だが、黙って身を引きこの件を公言しなければ不問にするとでも言われ、それを確約したのであろう」との事であった。
此処まで拝聴した老生は資本主義とはこんな物だろう、松田氏の根回しの稚拙が生んだ悲劇かなと思ったが次の話を聞くに及び、もし安部三十郎候補が3期目の信任を得るのであれば夕張市の道を歩み日本初二度再建団体に指定された市として歴史に残るのではないかとの深憂の情を持つに至った次第である。
・あづま会の怪 禁じ得ない深憂の情。
酒井彰氏の父巌氏は色々な事業を興し起業家として地域経済に貢献してきたが、彰氏は若い頃から本業より投資や投機による利益を求め、又新しく起業するより買収を考える性格にみえる。
土地はバブル期とは違い利のある投資とは成りにくいが、時の為政者を御すれば可能である事を金子剛三氏より学習している彰氏は軽くてパーな安部市長に目を付けたのだという。
安部市長と言えば老人の肩揉みや松川河川敷で行われる芋煮会でビラ配りをするのが職務と精を出している御仁だが選挙に関してはしたたかである。
市長に就任するや市の公式行事である成人式を彰氏経営のニューグランド北陽で行った。
これは今後の選挙に勝つには経済界の実力者を見方に付けたいとの思惑で安部市長からアプローチしたのではないか、彰氏はこれを利用しようとする魂胆だったとの噂が高い。
この「魚心有れば水心」の関係が彰氏ポポロ跡地を買うに至る物語と続くのであるがポポロ跡地の件は後述することにする。
時を経て「あづま会土地問題」で二人の思惑は合致したのである。
進んでいた平和通り駐車場の買収は理事会で止める事が出来たが、隣接地の一部はすでに平成22年4月「あづま会」として買収登記済みであった。
平和通り駐車場に「まちなか福祉施設建設」計画が頓挫した事からこの土地は無用の物となった。
松田氏に詰め腹を切らせ買い取らせる手も有るが、もし法廷闘争とも成れば厄介である。
そこで考えたのが市に買い取らせる手段だという。
買い取らせると言うと市民の反感を買うのではないかと考えた彰氏は、歴史好きの安部市長が「その土地は米沢城外堀の土手が残っているので歴史的価値が有る。 まちなか歴史公園にするから譲ってくれ」と持ちかけられたとするストーリーを創りあげた。
ところが市はあづま会が買収済みの土地と天満宮の土地を含む一角全部を買収しなければ面積的に「まちなか歴史公園」は成り立たない。
天満宮は神社仏閣に属する事から市が直接の取引は禁じられている。
よって土地をロンダリンクする必要が生じたのである。
松田理事長が去った後、それに手を染めたのが平成22年6月「あづま会」理事長に就任した岩間弘一氏である。
あづま会は平成23年1月に天満宮及び残りの土地を買収すると2ヶ月後の同年3月に米沢市に売却した。
その額は坪単価16万円の約1億4千万円である。
そして99%進んでいた平和通り駐車場売却話を酒井彰氏によって壊されたと地権者からの反感を避けるため彰氏関連会社が買い取る事を考えたが、話を壊した本人が買い取るのではあまりにも作為的である。
そこで吉野徹氏の登場となる。
表向きは、吉野徹氏の経営する㈱ABMは市からの委託事業により業績を伸ばしながらも固定資産には見劣りのするものがあり、山銀の勧めで平和通り駐車場を坪単価12万円で千坪、1億2千万円で購入したのだという。
これで松田氏が進めた土地買収の売り手側地権者は、売った相手は違えども初期の計画通りの結末を得て丸く収まったかに見えるが大きな問題を孕んでいるという。
その問題とは。 あずま会は公的補助を受けている非営利団体として、その活動には制約が設けられている。
利益を上げる事に制約はないがその利益を役員に配当したり、目的外の事業に投資したり、目的外取引に使用してはいけない。
よって天満宮の土地ロンダリングは目的外による違法行為であり、それを知って買い取った安部市長であれば確信犯として刑事問題になるのではないかと、刑事告発も考えているのだとA氏はいう。
又、市があずま会経由で買い取った天満宮の土地は、その時点で神社仏閣では無くなっているにも関わらず直接取引をしなかったのは「あずま会」に利益を落とすのが目的ではなかったかの疑いが持たれる。
これも彰氏が安部市長への選挙応援を見返りとするあづま会への便宜供与罪が成り立つのではないか。
それでは、もし刑事事件としてあづま会が訴追に遭った場合、土地取引をした理事長に責任を求められるのであるが、酒井氏は松田氏追放の後、岩間氏(信金元理事長)を理事長に祭り上げ土地のロンダリング売買を行い、責任者として矢面に立つ事を避ける策を講じた。
地権者及び市との土地取引が完了すると間もなく酒井氏は岩間氏をお払い箱として解任し、自分が理事長に就任したのである。
岩間氏はこの事を「酒井彰に嵌められた」と漏らしているという。
加えて吉野徹氏個人が1億2千万も投じて平和通り駐車場を購入したのはあまりにも不自然ではないか。
平和通り商店街は今後駐車場経営での利益を期待する事が出来ないからこそ売却を行ったのであろう。
経営者が吉野氏に変わろうとも急激に好転するのは不可能である。
吉野氏個人の持ち金で購入したとは過去の所得番付(高額納税者)からも考えにくい。
仮に15年返済の借入金なら月に100万円程の返済額となる。
個人で持つ資産として不自然なのはこの点である。
この疑問にA氏は答える。
平成18年市議会に於いて、都市再生整備計画 (中心市街地地区)の中で図書館建設・市民ギャラリーはポポロ跡地、まちなか歴史公園はその周辺に造成する事が決議されていたのだという。
平成18年といえば安部市長は1期目であり、市長に議会操作のテクニックは無い。
これはNCV常務の元副市長大久保氏のノウハウが生かされているのではないかと氏は推測する。
よって、ポポロ跡地は市が買い上げ、まちなか歴史公園も造成は平成18年に既に決まっており、その間に挟まれた格好で有るのが平和通り駐車場である。
市からの要請と言う事で駐車場を買い上げる計画が既に組まれているのではないか。
個人名にしたのは売却時の事を考え、会社所有では役員会・議事録等手続きが複雑で有るとの理由から、個人名にしたのではないか。
これも酒井彰氏の策略との噂が高いという。
因みに吉野氏と酒井氏は興譲館高校の同級生であり商工会議所会頭・副会頭の仲である。
話はこれだけでは終わらない。彰氏関連所有の信金東側隣接地が有る。
ここは元々あづま会に買い取らせ特老(特別擁護老人ホーム)を開設予定の地所だという。
松田氏は数年前からこの場所とは別に特老建設を計画、元辻自動車東側を購入し市に許可を求めていた。
しかし特老開設は厚労省管轄で県の認証が必要であるがその前に市が認めなければ認証しないシステムにより「反」市長の態度を取る松田氏に安部市長は許可を出さなかった。
ところが「安部市長支持」を打ち出した酒井彰氏には信金隣接地への特老建設許可を出す事が裏で約束されたのだという。
A氏の話は思惑も含むものであろうから100%真実とは限らないが、当初安部市長交代論を述べていた酒井彰氏が、このあづま会土地取以後「安部市長三選論」を打ち出したり、近藤洋介代議士が今年1月の新年会で「安部市長に替わる独自候補を擁立する」話が同じ時期に安部続投論に替わったのは、この土地取引とリンクしているとすれば老生には納得のいく内容である。
まちなか歴史公園には土地代約2億円、それに造成費、維持管理費を含めると膨大な金額となるが、果たしてその経済波及効果や対費用効果は検討されたのであるか。
老生はこの金を掛けるのなら上杉伯爵邸隣接地、NHK中継所を観光資源に利用すべきと考える。
又図書館建設が何故酒井氏関連所有のポポロ跡地と決定されていたのだろうか?
近くには文化会館があり市民から老朽化した施設に建て替えの要望もある。
どうしてもまちなか図書館が必要であるのであれば、この文化会館地に図書館・市民ギャラリー・講演ホール・児童会館・中央コミセン等の総合文化会館を建設する方が良いのではないか。
老生と似たような疑問を抱く一新会の島軒純一議員は9月議会で質問に立ち「中心市街地活性化事業は市民への説明と意見の集約・議論はやったか」と市長に迫ったところ市長は「市民の理解は十分に得ていると思っている」と答弁。
それに島軒議員は「電話でアンケート調査を取ったが市民の97パーセントが知らない」と答えていると食い下がると市長は「・・・・」答えなかったと米沢新聞9/9は報じている。
正に市長のアスペルガー障害を疑うやり取りではないか。
一部利権者の話を聞いて「市民のコンセンサスは得られた」とする安部市長の独裁に市民は黙って納得するのであろうか。
安部市長が初めて就任した八年前は九万四千人の市人口が現在八万八千人 、八幡原工業団地の企業数は45社から28社へと激減する中、旧態依然の補助金目当ての事業が行政と一部の利権者によって市民感情抜きで進められようとしている。
老生は市街地活性化資金を全面否定するものでは無いが、有り余る資金で行う事業ではない。
将来若者が返済しなければならない借財で行う事業である。
にも関わらず対費用効果や今後の維持管理費についての説明は安部市長より「読解力が無い」としか聞いていない。
事業への説明責任は果たすべきであり、市民合意の上で進めるべきであろう。 計画に賛成する市民を集め「検討委員会」を作ったり、アンケートも市民の負担や責任を説明せず「このサービスは必要ですか」との設問をすれば意のままの結果が得られる訳で、安部市長を筆頭とする行政マンはこの悪辣なる手口で市民を欺いてきた。
当然老生が意見を求められた事など無い。
今年11月に安部三十郎候補が市長として信任を得るのであれば三期目の自信から一部利権者との結びつきは益々強固なものとなり市民無視の行政が行われるであろう。
そして日本初の二度目の再建団体指定への道を突き進むのではないか。
・目指すは「酒井天皇・安部番頭」か。
少し昔、山形県には天皇と称される人物が居た。
マスコミ・交通・各種事業の総帥として辣腕を振るい、県政をも動かして各種利権を得る行為から「服部天皇・板垣番頭」(板垣番頭とは時の板垣県知事)と県民に言われた程で、女性遍歴も華々しく時の女性歌手K・Kを妾にしているとの噂もあった。
酒井氏の場合はどうであろうか。山形に認知した子がいるとか、小野川や県外にも女性の居る話など華麗なる女性関係は負けてはいない。
女性関係はどうでも良いとして、時の為政者「軽くてパーな安部三十郎市長」を籠絡する「酒井天皇・安部番頭」の構図は米沢市民に取って不幸である。
彼を成功した実業家と賞賛する声も有るようだが老生の目には虚業家にしか映らない。
ナウエルの預り金が資金の裏付けになっていると思われる一連の土地買収や投資は止まる所を知らず、今年に入っては「あずま会」にその触手を伸ばした。
前岩間理事長を数ヶ月で替え、自分が理事長に就任した目的は何であろうか。 あづま会の総資産は28億円にも及び、ナウエルの預り金と合わせ、これを原資に投資・投機が行われるのであれば、彼が若き頃マルチ商法に手を出したり公金に手を付け相場で穴を空けたりした事を知る老生は大変危険な香りを感ずるのである。
又、商工会議所会頭としての彼の資質にも失望せざるを得ない。 商工会議所会頭といえばその地域の産業・経済界の顔として指導力を求められるもので有るがどうも会頭としての自覚がないようである。
ウェブ・サイトに載っている会頭の挨拶に「商工会議所はPTAの集まりのようなもの」との表現があり、商工会議所法が求める目的から逸脱した彼の考えが広く知られる事で、対外的に恥ずかしい思いをしているのは老生のみであろうか。
日本経済のみならず全世界が経済の過渡期にある今、「昔の田舎天皇」的発想のリーダーに米沢が支配されてはいけない。
米沢新聞9/30では安部三十郎・酒井彰の両氏は刑事訴訟された事を報じている。
検察により起訴手続きが取られ、お手盛り給与「ワタリ」に続く米沢の不祥事が全国に報道されない事を祈る。
・安部三十郎・酒井彰の両氏「刑事告訴」される。
米沢新聞9/30は元市議鈴木睦夫氏が26日付けで刑事告訴を行ったと掲載、かねてよりA氏からこの情報は寄せられていたが今現実となった。
そして本日訴状が入手出来たので文末に公開する。
当会も両氏の違法行為は目に余る物があり、いずれこの様な事態になる事を予想していたが「刑事告訴」を行った鈴木睦夫氏に称賛の辞を送りたい。
刑事告訴は直ちに起訴・公判に及ぶものでは無いが検察官の真摯なる捜査を期待し現実が明るみに出る事を期待するものである。
安部三十郎氏といえば言わずもがな行政界のトップであり酒井彰氏とあれば経済産業界のトップであることは言をまたないが、その両トップに不法行為の疑いが持たれる事は大変由由しき問題である。
安部市長は8年前当選すると市庁舎規定により禁止されている幟(ノボリ)を市長室入口に掲げ、議会で注意されたにも拘わらず「市長は良いのだ」と金日成なみの独善で規則を破ってきた。
このトップの規則を守らない態度が職員にも波及し、安部の就任中に市職員2人のひき逃げ事件を起こした事はあながち無関係とは言い切れまい。
酒井彰氏関連が大きな資金をバックに種々投資を行っているが㈱ナウエルの預り金がその裏付けとなっているのであれば、冠婚葬祭互助会は経産省の管轄下に有り、預り金の使途については厳しく規制され目的外の投資やそれを裏付けとする保証行為は禁止されている。
又それを承知の上で金融機関が融資を行ったのであれば金融庁の咎を受けるであろう。
以下告訴状
山形地方検察庁 米沢支部 御中
平成23年9月26日
告訴人 鈴木 睦夫
被告訴人 酒井 彰
被告訴人 安部 三十郎
被告訴人 松田 俊春
告 訴 理 由
三被告訴人は、告訴人鈴木睦夫が創立者及び常務理事として関わった社会福祉法人あづま会(以下あづま会という)において、夫々の営利及び己れの支配下または隷属化を図り、各々の公的立場を利用して私的願望を果たそうとした行為は、本来夫々の属する職務における行政法上の犯罪行為として法に抵触した疑いがあり、ここに刑事告訴いたします。
以下、各被告訴人について別々にその事由を記述します。
一、被告訴人酒井彰について
平成22年11月、米沢商工会議所会頭に就任以来、米沢市内における彼の経済的地位及び事業形態の寡占状態は増す一方で、金融界からも軋蝶の声があり、市民全般に聞えている現在にある。
その様な中で、強化された改正暴対法や県暴力団排除条例に抵触する経済ヤクザと同様な手口であづま会の乗っ取りを謀り、連動して、安部市長への便宜供与を為し、平成23年6月、あづま会の理事長に就き、経営権を奪取したことは事の経緯からして社会福祉法第62条4項5号に抵触するものであり、理事長就任は不当、無効であること。
加えて安部市長への便宜供与を為したものは、門東町町内会を氏子とする西条天満宮が存在した土地建物及び参道隣地周辺の民間土地建物の買収を、目的外所有を禁じられている社会福祉法人あづま会に買い取らせ、直ちに米沢市へ転売を企図、教唆し、その時点の理事長松田俊春及び岩間弘一に米沢市との売買契約を実行させ、その行為を責めとして夫々に理事会を開催させ、一方的な解任決議を行い、松田俊春、岩間弘一の両元、前理事長の辞任、辞職を求め追放したことは社会福祉法第6章通則の各条に違反し、特に元理事長松田俊春とは同法第39条の4の利益相反行為を自らも侵犯してきた行為である。
この一連のあづま会の土地取得及び米沢市への転売行為は、土地転がし、宗教施設転がしの行政が為し得ないロンダリング行為を自らの手は汚さずして、己れ酒井彰の教唆によって行われたことは事実である。
関連して、被告訴人酒井彰には安部三十郎市長に対して自分が株主代表取締役を任じる旧ショッピングセンター土地建物を、米沢市の買取り又は現状のままでの寄付申し入れなどの請託を行い、米沢市新文化施設(通称街なか図書館及び市民ギャラリー)への用地提供は地方財政法にも抵触する不正な便宜供与を行っている。
一、被告訴人安部三十郎について
前述の酒井彰に対する容疑の中で、用地提供に係る米沢市中心市街地活性化基本計画の‘まちなか歴史公園’事業用地は‘新図書館市民ギャラリー’と同じ民間用地(建物を含む)を対象とした事業である。
甚だ不透明な事業採択の中で、強引な手法での用地取得を推し進めているのは安部市長の地位利用、職権濫用と言え、便宜供与を求めていることは地方自治法に抵触する不適正な強要であり、逆請託と言えるものである。
一、被告訴人松田俊春について
告訴人鈴木睦夫とは、あづま会設立準備のうちから関わりが有り設立後の被告訴人の法人運営は独善的なやり方で、理事会・評議会を形骸化した運営を続け、社会福祉法第24条、第39条の4、第62条に抵触につき、業務上特別背任容疑として告訴するものである。
尚、本告訴後、民事訴訟事件としてあづま会に対し、常務理事解任を無効とする‘地位の確認請求訴訟’及び松田俊春に対し、不当な常務理事解任による鈴木睦夫が受けた、名誉毀損、信用毀損及び在職ならば当然の報酬としての遺失利益を加えた‘損害賠償請求訴訟’を行うこととします。

狡猾なる公務員

2011/10/30 (Sun)
掲示板ドラドラ氏は高額過ぎる公務員給与について言及されているが老生もその件では同感である。安部三十郎が市長になる前の"広報よねざわ"では職員の年収を公表していたが安部が市長になると、初任給が国家公務員より低いことを強調するだけで年収は隠すようになった。
ちなみに以前の年収は一般職で平均640万円(平均年齢43歳)水道局職員は670万円で退職金に至っては3千万円(部長クラス)を超えていたし、部長になれなかった職員には「わたり」と称し二階級特進の闇退職金を支給していた。
この「わたり」は読売新聞全国版のトップページで報道された事により、安部行政のデタラメぶりを露呈したが、安部はこれにもめげず市職員の給与アップ議案を示した。 これには一年生議員の会派である一新会(島軒会長)が猛烈に反対した事により安部の目論見は阻止されたが、モシ実行されていたら年1、600万円の支出増となる所であった。
同じ時期に前田慶次の墓が有るとされる善光寺への道路拡幅工事800万円の要望が出されたが安部は予算が取れ無いとの理由で却下した。 職員給与アップの時に有った1、600万円が、観光客誘致対策として要望すると無くなってしまう支離滅裂の安部行政に市民は又一票を投ずるのであろうか。
給与については「人事院勧告」が取りざたされ市職員給与もこれに連動するするきらいが有るが人事院勧告は国家公務員へ対するもので、地方公務員には地方公務員法第24条3の「職員の給与は民間事業の従事者の給与を考慮して定めなければならない」と表記され「人事院勧告に従わなければならない」との条文は無く「職員給与は条例で定める」とある。
この件に付き「市職員の給与が高すぎる」と高野監査委員に当局への提言を求めたが「決して高いとは思わない」「安い給与では優秀な人材が集まらない」「今は民間供与より職員給与は高いが以前は低かった」との労働組合洗脳の答えが返ってきた。
これに対し、
1.平均600万円を出す民間企業が米沢に何社有るのか。又3人定年退職したとき1億円近い金額を払える企業が存在するのか。
2.民間企業が公務員給与より高かった期間とはいつの事か。仮に高かった時期があったにせよ「公務員は給与は安いが安定しているとか仕事が楽だ」と給与が低い事を是認して自らの意思で入ったはずだ。
3.給与が高ければ市職員として優秀な人材が集まるとは限らないし、前例の無い事をやらない公務員に優秀な人材はいらない。もし優秀とされる人材が入っても裏金作りにその才能を発揮し市民の為になるとは思えない。給料が高くなって入った職員で優秀とされる職員の名前を教えてほしい。
4.米沢一給与の高いとされたアサヒコマグは14年しか存在しなかった。市職員は定年までろくな働きもしないで安定して働けるではないか。
5.米沢市で年収600万円を超える事業主の大半は会社借入金の保証人となっており、事あるときには財産の全てを失うのだ。
6.民間事業の従事者の給与はいくらか知っているか。ハローワークで調べると年収は200万円を切っているぞ。
と縷々まくし立てたが高野監査役からの答えは無かった。

安部三十郎被告・酒井彰被告の罪状

2011/10/23 (Sun)
9月26日刑事告訴を受けた両氏は被告人の立場に有るがその罪状とは如何なるものか。当会スタッフも調査を行っているが調べれば調べる程、安部市長と酒井彰氏の不可解な関係が炙り出され「酒井天皇・安部番頭」の図式が見えてくる。
【不可解な二人の関係】
米沢市は中心市街地活性化の事業として“まちなか歴史公園”の用地を平和通り駐車場南側に予定し、地権者より買い上げる計画が議会決議されていた。その時、対象用地の主なる地権者は“西條倫哉氏”である。
ところが市が買い上げた平成23年3月の時点ではその土地の所有者は“あづま会”であった。
すなわち米沢市は“西條倫哉氏”より土地を買い求めれば良いものを“あづま会”より購入した事に依り推定5千万円の利益を“あづま会”与え、市はその額を損したのである。
「何故“西條倫哉氏”より購入しなかったか?」の疑惑に、「その地には天満神社があり市は神社仏閣等を買う事が出来ないので“あづま会”に買ってもらい、その後購入した」と言い逃れしているが天満神社は平成22年7月に御神体を皇大神社に移し合祀された事から平成23年3月には只の土地となった訳でその言い逃れは詭弁である。
まして“あづま会”は社会福祉法人であり目的外の土地売買で利益を上げる事は禁じられている団体であり、この取引の違法性は極めて高い。
ではこの取引の真の目的は何であったのか。
酒井被告は既に購入している信用金庫東側の用地をあづま会に買い取らせる算段でいたが、松田理事長はその土地値段が高すぎる事から、平和通り駐車場を候補地に特養(特別養護老人ホーム)建設計画を進めていた。
平成21年12月、理事を籠絡した理事会に於いて松田氏追い出しに成功した酒井被告は平和通り駐車場への特養建設を中断する事に成功した。
しかし自分の土地に特老を建設するに、市長が認めなければ県からの認証がもらえない。
酒井被告は特養建設の為には安部被告に擦り寄る必要が有った。
安部被告には迫る市長選挙で経済界のボスを味方に付けたい思惑が有った。
そこで安部被告は酒井被告に土地転がしの利益と特養許可を与える見返りに選挙応援を取りつけたのだという。
酒井被告が安部交代論を続投論に変えた時期が一致する事からこの推測は信憑性の感じられるものである。
それでは両被告の行った行為の罪は如何なるものであろうか。
老生はその筋の専門家ではないので不確かではあるが安部被告には“利益誘導罪”が適用されるのではないか。(公職選挙法・第221-223条では買収や供応など選挙活動での支援に対する直接的な支払い措置を禁じている)
又は背任罪(刑法第247条・業者はその共犯)が問われるのではないか。(不当に高価な物品を調達した防衛庁汚職事件・1998年)
酒井被告には背任罪と福祉を食い物にする違法性が問われるのではないか。
刑事告訴が為されている事でありいずれ決着を見るであろうが成り行きを注視したい。

混乱極める市長選!!

2011/10/19 (Wed)
11月27日投票の米沢市長選挙は6月に現職市長安部三十郎氏が出馬を表明し、その時点での対抗馬の動きはなく無投票が取りざたされたが7月以降、関谷幸子氏・兵庫等氏・山村明氏の名前が浮上、無投票から一変して候補者乱立の様相を呈したが兵庫氏が断念した事から現職に関谷・山村氏の挑戦と思われていた16日、元市議の鈴木睦夫氏の出馬表明が報道機関にFAX送信されてきた。そして立候補予定者への説明会が行われた昨日18日山村氏は出馬を断念し混乱極める市長選挙前哨戦となった。
今日のところは現職に関谷・鈴木氏の挑戦と思われるが、これとて20日の立候補届締切日まで流動的である。
山村氏は当会の取材に「準備不足、選対が組めない」を理由に挙げているが、これが本当の理由なら関谷・鈴木氏にも当てはまる事で無投票もあり得るのではないか。
もし無投票なら“刑事告訴の被告、市長・商工会議所会頭”が米沢市民から「酒井天皇・安部番頭」の信任が有ったと、やりたい放題の行政による利権の寡占が米沢市を破綻の道へと導くであろう。
既に市民の理解を得ないまま“二面で22億円の人工芝サッカー場建設”が始まったし、図書館・まちなか歴史公園はナウエル会長関連が所有する土地を買い上げて建設される。
刑事告訴を受けるようなナウエル会長関連の用地に建設しなければならない事情とは何であるか。
この疑惑に敢然と対峙する鈴木睦夫氏の立候補宣言文書を報道機関より入手出来たので以下に掲載し、無投票現職承認が無い事を祈念する。
【今次米沢市長選挙立候補決意表明趣旨】
私のこれまでの政治に参加してきた姿勢は、一貫して公正であることを第一義としてこころしてきた。その気持ちはその時々の市政へのアンチテーゼとして提起、常に議会活動と批判運動の中心にいた自負がある。これは自分の信念としての既存のテーゼへの挑戦であり、自己の存在、立ち位置を確認してきたことにある。
1.吉池市政では、YKK連合と言われた長期ブレーン市政での政策偏重、偏在に対する市民の倦怠感を受けた多選阻止運動。
2.長市政においては、財政再建団体準用指定による自立心のない、米沢市の失われた10年と言われる市政運営に対する批判。
3.高橋市政では、“まちの広場 ”再取得間題、上杉城史苑設立問題等、再びのブレーン市政の弊害、不透明な市政執行への批判。
4.安部現市政に対しては、特定の経済団体代表との癒着により傀儡市長に貶められ、疑惑、不正にまみれている中心市街地再開発事業を安部市政のもとで許すべきではない。新たな市民負担となるだけの不急、不適の事業に使われようとしている国の貴重な財源は今、米沢市が率先して返上、全国自治体による復興支援の先鞭となり、復興予算の不足額は全自治体のムダな予算を削り、拠出し合うことによって必ず達成出来るものとして、大震災被災地の復興財源に使われるべきものだ。
安部市政の不義を糾し、3期目の是非を問うことにある。
平成23年10月16日
成田空港にて 鈴木 睦夫 印
尚、帰宅後(10月17日朝)、追って記者会見(18 日以降)をお願いいたし、マニフェスト(一期4年、公募による副市長を後継市長とするワンポイントリリーフ等)について発表させていただき、国も地方自治体も企業、市民も危急存亡のとき、有事の市長の気概で臨む決意です。

「正心誠意」?

2011/10/10 (Mon)
野田佳彦首相は13日(平成23年9月)、初の所信表明演説で、「政治に求められるのは、いつの世も、“正心誠意”の四文字があるのみです。…」と冒頭に言い、そしてむすびにも、「私は、この内閣の先頭に立ち、一人ひとりの国民の声に、心の叫びに、真摯に耳を澄まします。“正心誠意”、行動します。…」と「正心誠意」というキーワードで、この演説を締めくくっていた。これを聞いて(翌日の新聞紙面を見て)老生は、あれっ、と奇異に感じた。 この「正心誠意」とは一般に国語辞典には無い。
「誠心誠意(せいしんせいい)」とあるはずなのに新首相はあえて「正心誠意」と使った意図するところは何であろうか、と思った。
この「正心誠意」は、幕末・維新の政治家、勝海舟(1823~99)が自伝「氷川清話」に記した、いわば勝の造語だというのだ。 それで物好きにも勝がどんな文脈で使った言葉だったのかを調べてみた。
海舟は古今の人物を論じ、日本史上に残る江戸無血開城を実現した西郷隆盛を絶賛し 「男児世に処する」とは「ただ誠意正心をもって応ずるだけの事さ…」と、“氷川清話”にある。
つまり海舟が西郷に命がけの「誠意」をもって談判し、西郷の「正心」を引き出し、江戸開城を成し遂げられたということであると解釈し、これはまさに海舟と西郷二人だけの以心伝心的心をいう意味合いである、と思った。
14日付け毎日新聞の宮城征彦記者の署名入り記事によると、
「首相は演説を作成するにあたり、まず藤村修官房長官に基本的な考え方や政策課題を伝えた。勝海舟の言葉“正心誠意”に言及したのは首相の発想だという。そのうえで各省庁の意見を募り、推敲を重ねていった。
首相周辺によると、実際に原稿をまとめていったのは内閣官房の原勝則総務官で、首相と修正を繰り返した。政府高官は“野田内閣総がかり”だったという。」
この記事から、「正心誠意」は野田首相本人から出た言葉であることが窺え、思い込みを持ったものなのであろう、と斟酌される。
しかし、一般には「誠心誠意」と書き、“真心をもち、うそ偽りのない気持ち”を表す言葉を、敢えて首相は「正心誠意」としているのだが、原典(?)の「氷川清話」からの引用であることも断っていないし、また「正心」と「誠意」を前後逆にしていることになるのだから、あるいは海舟からの引用などではなく、松下政経熟で学んだ首相のこと、独自用法の言葉なのかもしれないが、だとしても、「正心」と“自らの心は正しい、あるいは自分の正しい心”というような意にとれることを、いの一番に主張するのは、少しく独善すぎないのだろうか。
やはり、ここは「誠心誠意」とまともな、人口に膾炙している四字熟語を使い、それこそ“真心をもって、誠意を尽くす覚悟を示す”所信表明演説であったら良かったのではないだろうか。
それとあってか、曽野綾子氏が、新聞のコラムに書いていたのを目にした。 (9月24日付 産経新聞)「このスピーチの問題点は、誰もがよく知っていて、しかも同意しない人などいないと思われることしか書いていないという点である。だからいいのではない。それではだめなのだ、ということだ」。
彼女は続けて「迅速、公平かつ適切な賠償や仮払いを進めます・早急に具体化してまいります・同じ地域に生きる者同士として信頼を醸成し、関係強化に努めます・意欲あるすべての人が働くことが出来る“全員参加型社会”の実現。これらのことすべてを、望まないという人はいないだろう。
つまり、改めて言わなくても、誰もが考え望んでいることの羅列である。しかも現実となると、迅速も、公平も、具体化も、信頼も、ふさわしい関係も、意欲あるすべての人が働くことも、実現しにくいことばかりだ」。
そして、「総理は、どうしこんな凡庸な文章しか書けないグループを、草稿の責任者にされたのか」とも嘆いているのだ。
曽野さんの物いいに力を得た私ではあるが、この所信表明演説は、「誠心誠意」を「正心誠意」と誤用(?)したばかりでなく、通りいっぺんで、人の心に訴えることのない内容の乏しいものであったのであった。
それを、その目先を変えるために海舟の言葉などを用いて、人々の関心をはぐらかしたのではないか、と言ったら僭越すぎるだろうか。
おらほの近藤洋介代議士は、野田佳彦首相を中心にするグループ「花斉会」の事務局長を担うそうである。
したがって、この度の首相所信表明演説草案作成に一役買った、と地元ではもてはやされているようである。
代議士は元日経新聞の記者であるから、それは得意分野であるかもしれないので、その役割を果たしたというのはそれなりに頷けることである。
ならば尚のこと、時の首相にそのような近い存在であるならば、演説草稿づくりに関わったとの程度のことで終えるのではなく、首相の思いを“凡庸”なものでなく、さらに国家、国民のため、さらには地元地域のためになるような施策を首相や内閣に強力に働きかけてほしいものである。
今、地元米沢は大震災の直接間接を問わず、いままでにない衰退状況であることを認識して政治的決断の早からんことを切に期待したい。
ゆめゆめ「田舎天皇」や「その番頭」の甘言に心惑わされる事の無きよう願いたいものである。

左之助氏に感謝。

2011/10/09 (Sun)
我々の年代は米沢経済界のトップとしての印象は酒井巌氏である。彰氏はその路線を引き継ぎ、禁止されている互助会預り金を裏付けとした投資を行っている虚業家としか思えない。
そんな思いを持つ老生は無意識に経済産業界のトップを巌氏と表記してしまったのだろう。
文章を書く者の努めとして誤字脱字を出さない事は当然であるが校正を自分自身でやっている以上、今後絶対に出さない自信はないのでその都度ご指摘願いたい。
巌氏を彰氏に訂正して、精読し誤字を指摘してくれた左之助氏に感謝申し上げる。
しかしながら一文字の違いを持って文章全体の信憑性を疑う左之助氏の考えは如何なものであろうか。
文章の内容については複数の情報提供者及び法務局の謄本より得たものであり、内容について疑わしい部分が有るのであれば是非反論願いたいものである。
それとも一字の違いを持って今回の掲載記事が信憑性の無い物に仕立て上げなければならない事情でも有るのであろうか。
貴殿の語彙を拝借し「是非ご返答願う。」

安部三十郎・酒井彰の両氏「刑事告訴」される。

2011/10/03 (Mon)
米沢新聞9/30は元市議鈴木睦夫氏が26日付けで刑事告訴を行ったと掲載、かねてよりA氏からこの情報は寄せられていたが今現実となった。そして本日訴状が入手出来たので文末に公開する。
当会も両氏の違法行為は目に余る物があり、いずれこの様な事態になる事を予想していたが「刑事告訴」を行った鈴木睦夫氏に称賛の辞を送りたい。
刑事告訴は直ちに起訴・公判に及ぶものでは無いが検察官の真摯なる捜査を期待し現実が明るみに出る事を期待するものである。
安部三十郎氏といえば言わずもがな行政界のトップであり酒井彰氏とあれば経済産業界のトップであることは言をまたないが、その両トップに不法行為の疑いが持たれる事は大変由由しき問題である。
安部市長は8年前当選すると市庁舎規定により禁止されている幟(ノボリ)を市長室入口に掲げ、議会で注意されたにも拘わらず「市長は良いのだ」と金日成なみの独善で規則を破ってきた。
このトップの規則を守らない態度が職員にも波及し、安部の就任中に市職員2人のひき逃げ事件を起こした事はあながち無関係とは言い切れまい。
酒井彰氏関連が大きな資金をバックに種々投資を行っているが㈱ナウエルの預り金がその裏付けとなっているのであれば、冠婚葬祭互助会は経産省の管轄下に有り、預り金の使途については厳しく規制され目的外の投資やそれを裏付けとする保証行為は禁止されている。
又それを承知の上で金融機関が融資を行ったのであれば金融庁の咎を受けるであろう。
以下告訴状
山形地方検察庁
米沢支部 御中
平成23年9月26日
告訴人 鈴木 睦夫
被告訴人 酒井 彰
被告訴人 安部 三十郎
被告訴人 松田 俊春
告 訴 理 由
三被告訴人は、告訴人鈴木睦夫が創立者及び常務理事として関わった社会福祉法人あづま会(以下あづま会という)において、夫々の営利及び己れの支配下または隷属化を図り、各々の公的立場を利用して私的願望を果たそうとした行為は、本来夫々の属する職務における行政法上の犯罪行為として法に抵触した疑いがあり、ここに刑事告訴いたします。
以下、各被告訴人について別々にその事由を記述します。
一、被告訴人酒井彰について
平成22年11月、米沢商工会議所会頭に就任以来、米沢市内における彼の経済的地位及び事業形態の寡占状態は増す一方で、金融界からも軋蝶の声があり、市民全般に聞えている現在にある。
その様な中で、強化された改正暴対法や県暴力団排除条例に抵触する経済ヤクザと同様な手口であづま会の乗っ取りを謀り、連動して、安部市長への便宜供与を為し、平成23年6月、あづま会の理事長に就き、経営権を奪取したことは事の経緯からして社会福祉法第62条4項5号に抵触するものであり、理事長就任は不当、無効であること。
加えて安部市長への便宜供与を為したものは、門東町町内会を氏子とする西条天満宮が存在した土地建物及び参道隣地周辺の民間土地建物の買収を、目的外所有を禁じられている社会福祉法人あづま会に買い取らせ、直ちに米沢市へ転売を企図、教唆し、その時点の理事長松田俊春及び岩間弘一に米沢市との売買契約を実行させ、その行為を責めとして夫々に理事会を開催させ、一方的な解任決議を行い、松田俊春、岩間弘一の両元、前理事長の辞任、辞職を求め追放したことは社会福祉法第6章通則の各条に違反し、特に元理事長松田俊春とは同法第39条の4の利益相反行為を自らも侵犯してきた行為である。
この一連のあづま会の土地取得及び米沢市への転売行為は、土地転がし、宗教施設転がしの行政が為し得ないロンダリング行為を自らの手は汚さずして、己れ酒井彰の教唆によって行われたことは事実である。
関連して、被告訴人酒井彰には安部三十郎市長に対して自分が株主代表取締役を任じる旧ショッピングセンター土地建物を、米沢市の買取り又は現状のままでの寄付申し入れなどの請託を行い、米沢市新文化施設(通称街なか図書館及び市民ギャラリー)への用地提供は地方財政法にも抵触する不正な便宜供与を行っている。
一、被告訴人安部三十郎について
前述の酒井彰に対する容疑の中で、用地提供に係る米沢市中心市街地活性化基本計画の‘まちなか歴史公園’事業用地は‘新図書館市民ギャラリー’と同じ民間用地(建物を含む)を対象とした事業である。甚だ不透明な事業採択の中で、強引な手法での用地取得を推し進めているのは、安部市長の地位利用、職権濫用と言え、便宜供与を求めていることは地方自治法に抵触する不適正な強要であり、逆請託と言えるものである。
一、被告訴人松田俊春について
告訴人鈴木睦夫とは、あづま会設立準備のうちから関わりが有り設立後の被告訴人の法人運営は独善的なやり方で、理事会・評議会を形骸化した運営を続け、社会福祉法第24条、第39条の4、第62条に抵触につき、業務上特別背任容疑として告訴するものである。
尚、本告訴後、民事訴訟事件としてあづま会に対し、常務理事解任を無効とする‘地位の確認請求訴訟’及び松田俊春に対し、不当な常務理事解任による鈴木睦夫が受けた、名誉毀損、信用毀損及び在職ならば当然の報酬としての遺失利益を加えた‘損害賠償請求訴訟’を行うこととします。

酒井彰氏の野望とその背景 【№08】

2011/10/02 (Sun)
・目指すは「酒井天皇・安部番頭」か。少し昔、山形県には天皇と称される人物が居た。
マスコミ・交通・各種事業の総帥として辣腕を振るい、県政をも動かして各種利権を得る行為から「服部天皇・板垣番頭」(板垣番頭とは時の板垣県知事)と県民に言われた程で、女性遍歴も華々しく時の女性歌手K・Kを妾にしているとの噂もあった。
酒井氏の場合はどうであろうか。山形に認知した子がいるとか、小野川や県外にも女性の居る話など華麗なる女性関係は負けてはいない。
女性関係はどうでも良いとして、時の為政者「軽くてパーな安部三十郎市長」を籠絡する「酒井天皇・安部番頭」の構図は米沢市民に取って不幸である。
彼を成功した実業家と賞賛する声も有るようだが老生の目には虚業家にしか映らない。
ナウエルの預り金が資金の裏付けになっていると思われる一連の土地買収や投資は止まる所を知らず、今年に入っては「あずま会」にその触手を伸ばした。
前岩間理事長を数ヶ月で替え、自分が理事長に就任した目的は何であろうか。
あづま会の総資産は28億円にも及び、ナウエルの預り金と合わせ、これを原資に投資・投機が行われるのであれば、彼が若き頃マルチ商法に手を出したり公金に手を付け相場で穴を空けたりした事を知る老生は大変危険な香りを感ずるのである。
又、商工会議所会頭としての彼の資質にも失望せざるを得ない。
商工会議所会頭といえばその地域の産業・経済界の顔として指導力を求められるもので有るがどうも会頭としての自覚がないようである。
ウェブ・サイトに載っている会頭の挨拶に「商工会議所はPTAの集まりのようなもの」との表現があり、商工会議所法が求める目的から逸脱した彼の考えが広く知られる事で、対外的に恥ずかしい思いをしているのは老生のみであろうか。
日本経済のみならず全世界が経済の過渡期にある今、「昔の田舎天皇」的発想のリーダーに米沢が支配されてはいけない。
米沢新聞9/30では安部三十郎・酒井彰の両氏は刑事訴訟された事を報じている。
検察により起訴手続きが取られ、お手盛り給与「ワタリ」に続く米沢の不祥事が全国に報道されない事を祈りこのシリ-ズを終わる。
完

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