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大衆に迎合するNHK大河ドラマの歴史認識?

kage

2009/11/23 (Mon)

 比較的常識な考え方だが、歴史上の人物と会った人物がこの世にいるはずがないだからといって歴史上の人物・比較的事実を捏造して著すべきでないと考える。
たとえば、先週の「最後の戦い」俗にいう大阪夏の陣において、家康の孫千姫を延焼する大阪城から救い出したのは「真田幸村」で、救出を依頼したのが主人公の直江兼続だとなって放映されている。
仮に事実が放映された通りであれば、感動した家康が兼続の手をとって家臣の並みいる前で深々と頭を下げたシーンを聴衆はどう見たのであろうか?
ならば、上杉に対する感謝の意をこめた石加増がなされたであろうか?
答えはノーであった事実からして明らかに捏造されたことが考えられる。

 さて、かくいう小生も歴史的人物に出会ったことはないので、えらそうなことはいえないが、千姫を救出したのは家康の家臣坂井出羽守であると記憶している。
戯曲「大阪城炎上」の中に千姫をなんとか助けたいために、家康は家臣達に向かって「千姫を無事、救出した者には千姫を嫁がせる」と号令した。
家臣のなかでも醜男とされたひとり者坂井出羽守が意を決して、炎上する大阪城に千姫救出せんとばかり猛火をものともせず救出に成功した人物となっている。 そこから悲劇がはじまるのだが、家康は前言を取り消し約束を反古に千姫を他に嫁がせたのだ。出羽守は家康の言葉を信じて、自らは猛火に大火傷をしながら千姫を救出をしたにもかかわらず家康は家臣の勇気ある行動をいとも簡単に裏切ったことになる。 

 驚いたのは上田市の市民たちであったろう。幸村は大阪場外にいて家康の本陣を数回攻撃して場外で戦死したはずである。
真田幸村が千姫を城の井戸に匿い命を救った人物であったという史実は上田市の市民がはじめて知ることであったろう。歴史的小説を箸する作家たちがいくらフイックションだとしても、ちょっと頂けない筋書きではなかったろうか。

 信長の本能寺での死や光秀に関する難解な解釈に属する著書もあることだ。が、どう考えても納得しにくい歴史的著書などは注目度だけに撤しないで好奇心をいたずらに刺激しない著書でありたいと思う。天下のNHK大河ドラマに期待する聴取者たちにとっては、映像イコール史実と考える人たちが多いのも事実である。あくまでも放映は娯楽番組であることを明記した上で放映すべきことであろう。

 「愛」の兜印がラブ・慈愛と解釈してのドラマづくりは米沢市にとってめでたくもあったろう。但し街に広がえる「上杉本陣旗」の多さは、米沢の本陣米沢市役所の本陣行政がすこやかなであろうか。
市中に囁かれている「米沢市の共産化」だけは断じて許されるべきではあるまい。

 噂の出所は安部市長の実弟の市議が共産党員であることに去来する。
したがって、市長の権限だとして「庁舎内に自己の選挙用のぼり」を平然と持ち込み、かといって市議会で決めた「市民憲章の朗詠」に反発議会に市幹部職員を出席させないなど議会無視。権力だけをかさに、マニフェスト第一の約束「広域合併」に努力しないばかりか簡単に放棄した安部市長とは何者?   米沢市を訪れた多くの人たちが尋ねる。
 「権力だけに憧れた人物で、米沢市を社会主義化しようと願望する市長らしい」と老生は答えている。