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殿ッ!ご乱心ッ!」 米沢藩に智者・勇者出でよ!

kage

2009/10/16 (Fri)

 申すまでもなく「殿」とは安部三十郎米沢市長のことである。
現代の藩主は藩に暮らしする民の選挙で決まる。斯様に民による選挙には時として危険極まりない場合もある。選挙によって選ばれた藩主が必ずしも名君とばかり、とはいえないからだ。
  米沢藩主には歴代バカ殿がいなかったわけではない。二世代前の殿はわが藩を「赤字再建団体」として天下に流布した無責任で無力な殿であった。
三世代前の吉池慶太郎藩主は、街づくりのために知恵者の意見をよく聞いた上での結果の街づくりであり、民の愛郷心をひとつに「市民歌」と「市民憲章」を制定した。

 さて、今では市民歌の歌声は消えたものの、市民憲章の意図を生かすべき時期まさに到来とする家老たちの合意によって議会開催前をもって憲章朗唱の気運が起こってきた。

  バカ殿は「自由の風」なるノボリを庁舎規定を勝手に無視し「市長が許可すれば庁舎に持ち込んでよいのだ」とケロンパ殿ぶりだから殿としての品格はおろか恥じることを知らないのだ。
  普通の感覚では庁舎使用規定を無視して己れを主張することは立場のある人物ならば控えるものである。

 議員らが議会で決議した市民憲章朗唱は誠に結構なことであり、今までの議員らが憲章の朗唱をしなかったことが不思議なくらいだ。
群馬県では群馬県義会開催初日には群馬交響楽団によるエグモンドの演奏によって議会が開かれることは全国的に知られている。
  それに比してバカ殿は「議会前に市民憲章の朗唱は強制的に行なわれるのは好ましいことではないので撤回してほしい」として議会代表者に文書を出しているのだ。
同時に議会内での国旗掲揚はなじまないとの意見書をだしているのだ。

 議場は議長の権威管轄にして藩主とて侵すべからざる神聖な場である。かといって白と黒の判別さえもできない議員たちもいるようだ。
たとえば安部藩主の実弟は日本人の大方が忌み嫌う共産党議員なのだ。
共産主義を標榜している国家にも国旗・国歌はある。そして国歌斉唱によって国旗は掲揚されているのだ。

 安部藩主はどこの学問所で学ばれたものか、誠に日本人としての品格もなければ古来日本人がもち続けてきた日本人の美学もない。これが米沢藩の民が選んだ藩主である。
しかも安部藩主「有言不実行」を得意とする藩主にて、強権発動をもって市職員を脅かし、藩主の意見に逆らう時は職を捨てる覚悟で臨まねばならず「こんな藩主のもとで働くことができない」と有能な家老職にある者たちが脱藩してゆく始末だ。

 日本には武士道という美意識というものがあった。この美意識が日本人の品格を支えてきたものであり、人間はかくあるべきであるという規範を示してきたものである。
「名こそ惜しむ」「潔」「恥を知る」という武士道の美意識である。先人たちはこの美意識に命を賭して南海の空に散り、本土を死守せんとして南海の小島に骨を埋めていった。先人たちの美意識をだれが狂気だといえるのであるか。
  敗戦後、日本人から見向きもされなくなった武士道的な精神構造だが、近年になって日本人に受け継がれてきた武士道の精神が復活、日本人の規範として叫ばれるようになってきた。
戦後の過った自由思想の氾濫から武士道は軽んじられ毒されつづけてきたが時が経つにつれて、武士道の美意識が序々に日本人の魂に蘇ってきたといえよう。

 まず、戦後60年にして日の丸を国旗とし、君が代を国歌に制定したことにある。国旗・国家さえも否定するわが藩主に聞いてみたい。国旗・国歌なき国が世界の何処にあるのであろうか。
  共産・社会主義国家にも国旗・国歌はある。国旗・国歌の制定によって厳密にはわが国の国際社会入りが果たせたのではあるまいか。
  国旗掲揚を「自由の風」のもとに否定する藩主である。このような藩主をもつ米沢藩である。藩主の挙動一切が有言不実行である。
事を示す最大の汚点は「広域合併問題」に対する非力さにある。合併に際して事務方の協議が二度行なわれたにすぎない。藩主自らは汗をながすことをしなかったのだ。
このように藩主が困難な合併問題から逃避した「恥辱」を藩主自体が感じてない「恥知らずの藩主」なのである。
わが国は独裁国家でもなく社会主義国家でもない。いわんや共産国都市を望んでいる民は皆無だ。
藩主の実弟議員は共産都市を望んでいるのであろうがそれは広域合併ですらもできない実兄のもとでは構築されるものではない。
したがって、共産党議員は反対論を繰り返すだけの論理で藩の禄を食んでいるだけのいわば藩の寄生虫なのだ。 しかし藩主安部を選んだのは藩の民である。「地方があって国家がある」と宣う藩主である。狂気の沙汰としか思えない藩主の国家意識である。

 なるほど、南陽市の佐藤病院の米沢進出計画を安部藩主は「意に沿わない」と進出を拒み藩の経済を著しく後退させる結果を醸し出した。 以来、藩に活気をもたらす政策はない。
 そして藩の衰退がはじまる。「なせばなる なさねばならぬ道を求めて云々」は、テレビのインタビュウで答えた安部藩主のことばである。
藩主の考えることは次の選挙のことだけに絞られている。米沢藩に暮らしする民はよくぞ賢くない藩主を選んだものである。

悪臭問題について安部市長の反応?!

kage

2009/10/07 (Wed)

 小生が南原の悪臭問題を米沢新聞紙上で問題提起したところ、早速、安部市長の後援会が反応、各紙に折り込みチラシが配布された。
「悪臭問題について安部市長は全面解決する覚悟で業者に伝えている」と結んでいるが、全面解決とはどういうことであるか?

  安部市長がやろうとしていることは「匂い香り環境協会」(東京)に市が200万円の契約金を払い「改善勧告」の書類書式を作成してもらうための契約をしたというに過ぎない。
ようするに村上畜産側が行政の出した「第1回目の改善勧告」を無視した情況にあるから、第2回目の勧告を出すに当たって当該協会に依頼したものである。

 申すまでもなく人の五感の中で「嗅覚」はもっとも鋭敏な感覚である。人が未知の食物に接した場合、匂いを嗅ぎ分け判断する。したがって、2社による悪臭は米沢市民にとっては堪え難い公害である。
 安部市長が悪臭を根絶宣言を出されたとしても、申しわけないが安部市長は選挙時宣言した「広域合併問題」を反古にした市長である。

 今般「悪臭対策委員会」なる市議団の委員会を傍聴して驚いた。
悪臭は元を断つことである。が「悪臭の元を断つための発言」がなく「悪臭モニターの数と2社による悪臭のうち、どちらの悪臭が酷いかの嗅ぎ分け」さらに「役所に寄せられた苦情の月別のデーター」などを検討しているだけで悪臭根絶の知恵ある発言は市議のだれからも出ないのだ。
 小生は市議らの委員会を傍聴して問題の核心に迫る感覚の欠如に怒髪天を突く思いで退席してきた。何と真剣味のない会議であろうことか。

  安部市長はじめ行政側が問題を解決する手段として「匂い香り環境協会」なるところと契約し、効果ある改善命令を出すことによって責任を一業者に被せる、いわば業者いじめの責任逃れとしか思えないのだ。
それでは解決に結びつかない。業者側も改善命令を反古に開き直るだけでなく各地同業者の臭気対策を積極的に考えた事業に努力すべきであろう。

  安部市長の記事の中で「全国の養豚場の中には臭気対策に十分な費用をかけ、ほとんど臭いのない事業所も多くある」と示唆している。臭気根絶する費用を調達できなければ市はどうするというのであるか。 養豚場の強制閉鎖であるか。市にその権限はあるのか。

  悪臭を放つ他の1社は米沢選出の元県議の口利きによって南原で操業したものである。臭気の発生が基準値を上回るために同作業所に設置した4千万円の減臭施設は元県議縁故の会社が納入したもの。  公務員というもの「一業者に口利きはできない」と拒絶しながらも、政治屋には弱いものである。

 事業所「笹子平高原」は県の認可による産業廃棄物処理場である。同じ処理場の梁沢地区の場合の反対運動はどうだったか。笹子平高原の場合は総業以前に反対は無かった。この差は政治屋が絡んだ差ではないのか。
  元県議は、訴訟問題で揺れる南陽市のハイジアパークの筆頭株主であり、南陽市に本社のある笹子平高原事業所との接点は比較的容易なものであったと推察されるのだ。
  安部市長は養豚場に勧告命令を出す構えだが政治屋が口利きした笹子平の悪臭には言及していないが片手落ちというものであろう。

  名を求めず立身栄達を望まず「恥を知る」「潔し」とか「名こそ惜しけれ」といった「日本人の美意識は、恥を知るという格調高い精神から生まれてきた」日本人が本来的にもっている美意識である。

  市民から選ばれた市長であるならば尊い命を捨てても守らねばならぬものが人間にはある。同時に公務員や各議員の職責に賭けても求められるのだ。
戦後の日本はかの戦争に対する反省から平和国家建設を目ざし、経済復興に全力をあげた結果、世界有数の経済大国になったのだがその代償として独立自尊の矜持を失い誇り高き民族精神を失ってしまった。金はあるが心のない二流国とみなされても仕方がない国になってしまった。
 日本民族がしばらく見失っていた自分を取り戻すためには「日本民族がしばらく見失っていた誇りを日本人全体が取り戻すことである」 まず、己れの立場を知ることである。「恥ずかしさのない仕事を全うする」ことである。

  市民から選ばれた市長であり、難関の採用試験を経て市職員になった自分を誇りとし勇気をもって「恥ない仕事」をすることである。それが本来日本人のもちつづけてきた美意識というものである。