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米沢市民はいつまで「南原の悪臭」に耐えればよいのだッ!

kage

2009/09/19 (Sat)

 理屈抜きに米沢市民は「南原の悪臭」に堪えてきた。行政や市議会らが解決策を考えてくれるのであろう。と、米沢市民は一様に行政に期待をもってきた。
ところが、市民の期待とは裏腹に一向に悪臭の被害はとどまることを知らない。雨模様の日や曇り日などの悪臭は米沢市民の食卓を直撃するザマだ。

 思えばこの悪臭は十数年も前から米沢市民を苦しめてきた悪しき環境の到来を告げている。かつて十数年前、小生は犬の訓練のため「直江堤公園」に出掛けて「悪臭」に出会った。はじめは終末処理場の臭いであるかと錯覚したが、近所に住む住民に「養豚業者」からでる悪臭だと知らされ以後、犬の訓練どころでないと出掛けるのを止めた。
  ところで米沢女子短期大学では「悪臭」に苛まれて校舎の窓を開けることができない日々が続いていたのだという。十数年前どころか校舎が移転された頃からだと証言するのだから相当前から迷惑を及ぼしてきた「南原からの悪臭」だったことがわかる。

 そこで行政の悪臭に対する対応はどうであったろうか。悪臭に対する行政なりの対応はあったろう。が、行政としての経過はあったとしても、数十年も経った現在なお悪臭に市民が苦しめられている原因は何処にあるのか?

  第一に養豚業者・村上畜産と産廃業者・笹子平高原の経営方針と環境感覚にある。
第二は安部三十郎米沢市長の環境認識の希薄さと担当行政官の責任とに多くの疑問が残る。

  担当行政官は「村上畜産」に対して再三にわたり「悪臭に対する市民からの苦情」に悲鳴をあげて経営改善を申し入れているがなかなか改善策をこうじてくれないことで法的に罰則のある「改善命令を出したところ」だという。 現在、村上畜産で飼育されている豚数は実に7000頭だと行政は答える。

  予想以上の豚数に驚いた小生だが、養豚業務は食の立場には欠くことの出来ない産業であることに市民は疑問をもたない。しかし、養豚飼育場から発生する耐えきれない悪臭が問題なのだ。
  悪臭の原因は「獣臭」なのか「糞尿の処理方」であるか、それとも「飼育小屋の環境悪化」が原因であるか。行政は「豚舎の老朽化が原因」という見方がある。

  小生は豚舎が立ち並ぶ村上畜産の飼育現場を尋ねてみた。各豚舎には外側からビニールで臭気が外に漏れないように配慮してある。が、ファンを使用して豚舎の臭気を吐き出しているのだと行政が指摘する。それでは豚舎の悪臭が直接外気に吐き出されていることになる。その結果が米沢市内に悪臭を撒き散らしていることになっているのだ。

  そこで問題を解決する方法はないものであろうか。悪臭の80%を処理できる方法があるとするならば悪臭が減臭でき耐えきれないものとはなちないであろう。はたして減臭する物質がわが国に存在するのであろうか。

 米沢市民に悪臭をバラ撒いている企業が他に1社南原地区にある。産業廃棄物処理場として山形県が認可した「有限会社・笹子平高原」の堆肥製造工場である。生ゴミを発酵させて堆肥を造成する企業である。
  この会社は行政指導に従って悪臭排気基準を締結し悪臭防止の施設を設置した。ところがその施設を凌駕する悪臭が米沢市内に流れて「養豚社」とあいまって悪臭で米沢市民を直撃しているのだ。

 そこで問題点を絞って考えてみれば、結論は両者の悪臭を激減させる方法はないのであるか。小生はあると考えている。解決に向けて前向きな姿勢が業者や行政にあれば解決できる問題である。

 「笹子平高原」については、自社開発よる「微生物資材」式容剤を 振り掛けることによって悪臭を低減できる効果を南陽市にある本社によって実証 されている証言がある。
その容剤を用いて米沢工場から出る悪臭および生ゴミの 腐敗臭が低減できないか。
  問題の根底には産業廃棄物業者の宿命がある。廃棄物業者の収入は入庫時に限られる。したがって入庫と出庫のバランスにある。
収入をあげるために入庫を際限なくつづけ、堆肥化する能力に限界があるのではあるまいか。
  行政には入出庫のバランスを見定める必要があると思える。即ち県が許可した基準の精査である。
  小生は堆肥化能力を超える生ゴミの搬入が腐敗臭を生み出しているものと考えている。
  堆肥製造の過程として生ゴミを撹拌して発酵させる過程がある。そこで自社開発の容剤を混ぜ合わせることによって腐敗臭は激減できるはずであるが大量の搬入物に撹拌作業が追いつかないため発酵とは成らずに腐敗へと進行し悪臭を発するものと考える。つまり堆肥化処理能力に見合った産業廃棄物の搬入が問題解決策である。

 一方、村上畜産の場合、政府資金を活用しながら、行政や住民との話し合いに代表者が顔を出さず常に常務の獣医師が応対に出るという。
これでは周辺住民の意志が届かないのだと交渉に向かった住民たちはいうのだ。
 はたして、周辺住民たちの声や担当行政指導も反古にした養豚業者であるならば市民運動という巨大な運動によって悪臭からの解放運動も起きようというものだ。

 養豚業者が発する悪臭を低減するため色々な策があるが「微生物の力が不可欠」である。微生物の力を借りて悪臭を断ち切っている農場がある。 行政は現地牧場または養豚場を視察し結論を出すべき時にある。

「天地人」の放映によって、観光客が連日米沢市を訪れる毎日である。その観光客たちが悪臭に辟易し米沢市を離れた場合の印象はどうであろうか。

 林泉寺に直江夫妻の墓を訪れた人たちが顔を見合わせて悪臭を嘆く様を安部市長は考えてみたことがあるだろうか。
  老人の肩を揉むことだけが市長の仕事ではあるまい。悪臭に苛まれる観光客の米沢論は「これが田舎の香水というものか?」では済むまい。

 市議会には「臭気対策委員会」なる組織が設置されているものの依然として悪臭は消えるどころか、秋に向かって市民の悩みの種が増えるのであろう。
  村上畜産側は「オゾン方式」を採用して悪臭に対すると行政側はいう。たしかに同時多発事件で、何千という人体の腐敗臭を処理したのは大型のオゾンによったものだ。がその費用を拠出できる村上畜産ではあるまいから、前向きな経営体質を市民に示すことであろう。
  そこから「悪臭根絶の姿勢が生まれ、市民に愛される事業として拡大することにもなるのであろう」小生の拙い知識から悪臭は微生物の活用によって根絶されるものだと信じている。微生物には使用目的によって活性化に違いが出ることもあろうから、微生物群を選び抜くことが肝要なことである。要は業者・行政ともに「悪臭根絶」のために前向きな姿勢でもって対処すべきであろう。


長年米沢市民を苦しめてきた「南原2社の臭気は消せるッ!」のだ。 方法論①

kage

2009/09/11 (Fri)

 本会スタッフは長年にわたって市民を苦しめてきた「南原の臭気」を消す方法はないものかと、数ある臭気対策の調査を続けてきた。

 臭気の原因になっている2社を調査した結果、臭気の出所としてあげられる企業は養豚業を営む「㈲村上畜産」から排出される豚の糞尿の臭気と、旧ニッセキハウス工場跡地で堆肥製造業を営む「㈲笹子平高原」の堆肥になる前の生ゴミの腐敗臭とである。

  生ゴミの処理法としてダイオキシンをクリアするだけで焼却する方法が簡単であろうが「生ゴミのリサイクル法」として堆肥に転換し土に返すのが正解だ。
としても生ゴミから堆肥をつくるには方法によって「臭気」がともなうのがマイナス要因だ。

 おなじように豚の糞尿の臭気処理法には「下水方式」「オゾン方式」等が考えられるが、いずれの方式でも膨大な資金が必要となる。

 笹子平社による生ゴミの腐敗臭に関しては、自社が開発した「菌」によって完全に腐敗臭は解決させられるはずだ。だが、腐敗臭が外に漏れる原因は「生ゴミを堆肥化する過程で当該の菌を混ぜて撹拌する作業を怠っているからに過ぎない。解決には大型の撹拝機を用いて、有用菌と生ゴミを撹拌するだけでいいのだ。その過程を疎かにしているだけの企業の怠惰なのだ。

 豚の糞尿の臭気を消すには「某菌を餌に混ぜてやるたけですむ」
無論、菌の発明者は日本人だが、中国では見事に成功して中国から表彰されている「微生物」だ。
 現在7000頭増殖している豚の餌に混ぜて与えるだけで糞尿臭が消え、肉質が上がるのだという。現在のところ兵庫県氷上郡春日町で多大な実績をあげているという。

 そこで行政の出方だ。市民が長年悩まされてきた2社から出る臭気問題解決のために行政用語(通常・屁理屈用語)で、努力している過程だけを市民にアピールするのを止めて、市民が一様に悩んでいる臭気対策に取り組み「結果」を出してほしい。
臭気を消すために「微生物による菌の集合体」をぜひ活用すべきである。

 臭気を取り締まる法律もなく罰則がないからと、行政側の文言は容易に想像できる。
所詮、法律は人間が作ったもので「市民が苦しんでいる現状を解決しないでよい」という法の定めであるというならば市民運動を起さねばなるまい。
もう一度言う! 臭気・腐敗臭対策は企業2社が市の環境に対する浄化のためと、名誉のためにも実行してほしいものだ。

「菌」の開発者名と商材名はこの欄での発表を避けることにした。

オルセー美術館展:ウィーン国立歌劇場からの「カルメン」等など

kage

2009/09/10 (Thu)

 今朝の報道によると「オルセー美術館展」として装飾芸術アールヌーヴーォーその華麗な世界を紹介する「オルセー美術館展:パリのアールヌーヴーォー」が12日から東京世田谷美術館で開かれる。
ガレ、ギマール、マジョレルといった有名作家にとどまらず当時は彼らと匹敵する存在だった人々の珠玉の作品が紹介されるとある。

 老生は数十年前、諏訪市のガラス工芸美術館で数点のアールヌーヴーォーの作品に触れたが驚愕の感激はいまもって忘れることがない。よき時代になったものだ。

  今月に入ってウィーン国立歌劇場からの「カルメン」のDVDが各書店から発売された。値段は990円だ。早速購入してその中身の濃さに驚いた。
数十年も前のことだ。テレビがようやく富裕層に入った頃だ。イタリア歌劇団が日本公演を行なった折りのテレビ中継で鑑賞したことがあって以来、本格的なオペラに遭遇したことがなかった。
イタリアオペラは、キチンとして劇場がないところでの中継であったのだが、それなりに狂気して感動したものであった。

 日本には本格的なオペラ劇場はない。宝塚劇場がオペラハウスだと錯覚してはならない。ダイヤモンドとガラス玉の違いがあるからだ。
書店では「米沢にオペラに趣味を持った人などいないのでしょうね」と半ばあきらめ顔で店に立っている。
その夜、DVDを回してウィーン国立歌劇場の観客と酒落こんだ。イタリアオペラのテレビ中継は白黒テレビだったが、DVDに収録されたカルメンはカラー盤だからオペラ劇場の雰囲気や観客のマナーなどからさながらウィーの国立歌劇場の一観客となったような錯覚で2時間なんなんの公演に接する幸せを甘受できたものだ。
 さっそく翌朝、オペラ好きな2人の女性に購入するよう勧めた。隔週火曜日の発売だから、9月15日が「椿姫」の発売。以後「魔笛」「蝶々夫人」「アイーダ」「フィガロの結婚」「ラ・ボェーム」と続く。2巻目からは1990円。楽しみがつづきそうだ。
 鑑賞は申し訳ないが老生の寝室であるから正装してのオペラ鑑賞というわけにはいかないが、あこがれのウィーン国立歌劇場からの出前鑑賞となっている。舞台には数百人の登場人物による合唱、場にはウィーン少年合唱隊も出る。
夢であっても現地でのオペラ鑑賞は不可能な老生に与えてくれたDVDでの観劇はまことに有り難ききわみだ。

 音楽好きな親友は「生の音楽に触れることはしない」料金の高額さに抵抗するのだが、鑑賞する金があったらレコードを買う人だ。
彼はいう生の音楽とくにオーケストラは観せる音楽だ。レコーデングに際しては最高の音を求める演奏家たちが可能なかぎり何度でも繰り返し演奏して作り上げるものだから完成度が高いのだよ」という。
その妹は世界4大テナーを聞くため4万円也のB席を買って武道館に出掛けた。おめあてのテナーは豆粒大の大きさで慨嘆しながらCDを買って帰宅した。
臨床感は求められなくとも、テレビの前が特等席てあることを頭に入れることも大事なことだろう。特に相撲の観覧などはよい例だろう。


やれるものならやってみなッ!

kage

2009/09/08 (Tue)

  奢れる自民党の惨敗は「国民の神風」に吹き飛ばされた思いがする。片や一方では、財政の裏付けもなく国民に肌ざわりのいいことだけをブチあげているとけなす。負けっぷりの悪い政党も政党だが、旧態依然として政治改革を信じきれなかった自民党一党主義の有権者たちも情けない。

 「高速道路の料金廃止」「農家への戸別保障」「後期高齢者医療制度廃止」「学童手当て」等、国民にとって涎が流れでそうなオイシイマニフェストで勝利した。
 公約を破棄し、頭を下げろ!」と、民主党に怒りをぶつける大学教授もいるが余計なお世話というものであろう。「出来る」と断言する民主党の国民に対する約束であるからには民主党の政策を見つめているのが大人というものであろう。鷹山公の「なせばなる」との教えもあることだ。
  今まで鷹山公の教えとばかり信じていた老生だが、古書辞典には1500年代に武田信玄公が教えたとして似たような言葉があることを知った。
  「なせば成る なされば成らぬ成るわざを 成らぬと捨てつる人のはかなさ」
両公の教えがあまりにも類似しているので出版社に電話で問い合せてみたが「出版当時の編集者は鬼籍に入って調べようがないが、歴史や古文書に詳しい方であることから記載事項に間違いはないはずだ」との返事だった。

 民主党の政策に「やれるものならやってみなッ!」と弾劾した著名人の言葉だけにあえて民主党にエールを送りながら、公約を踏まえて必ず成してほしいものだ。
 
 「助けてくださいッ!」「男にしてくださいッ!」とは見苦しい。土下座選挙など人間のすることじゃない。誇りもなく「議席につくためなら何んでもやる」とした乞食候補は日本国のいたるところで見られる。そんな政治感覚でしかない人物にはじめから政治を任せるわけにはいかぬのではあるまいか。「なせば成る」のである。「やるッ!」という民主党に励まし以外の声はない。

 自民党の崩壊は小泉政権による郵政民営化と同時に行なった「大型規制緩和政策」によるものだとの批判が強い。政界では変人と呼ばれていた小泉首相「自民党をブッ壊す!」と叫び、大量のチルドレンを輩出しながら今選挙では大量の元議員を失業させながら自らの次男を当選させるという珍事を実現させている元首相だ。

 自民党の大物といわれる人達がバタバタと落選、辛うじて比例で救われた自民党の要人もいるが彼らにとっては冷汗三斗のメンツなき笑えない敗北であっただろう。今や惨敗の責任と今後の自民党立直しのために総理に立候補する人材もいない不思議さ。そんな腑抜けな政党に国責を任せてきた国民の馬鹿さ加減も問われてよい時期でもあろう。が、土下座する勇気があるならば、今こそ国民に向かって「慢れる政治に浸りきってきた自民党の内部改革すらできなかった」ことを詫び悔い改めることこそ肝要だと思う。そして自覚の再生に汗を流す決意こそが明日の自民党の復活につながるものだと思う。