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あと1日 大政奉還なるか 日本の政治

kage

2009/08/28 (Fri)

  祇園精舎の鐘の声、諸業無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 奢れるもの久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂には滅びぬ。 偏にの風の前の塵におなじ。

  古代からわが国の政治革命は多く、「平家」にあらずんば人にあらずと豪語してはばからなかった平家は源氏のひよどり越えに破れ壇の浦に沈んだ。
磐石な三百年の長き政権を誇った徳川幕府でさえも時流に逆らえず大政奉還となって明治政府が誕生した。奢れるもの久しからずである。

  明治政府もまた黒船来航によって鎖国政策から開国へと国防による「富国強兵」策が明治政府の根幹となった。
 明治22年大日本帝国憲法が発布された2年後の白昼、大津市でロシア皇太子が警護のために立ち番していた一人の巡査に襲われる事件が起きた。
時の宰相伊藤博文は巡査の死刑を決めたが、当時の日本は朝鮮半島を利益圏と考えていたからロシアのシベリア鉄道建設計画に恐怖を感じていたのだ。

 日清・日露戦争で日本軍が大勝。領土拡張と資源開発を求めて日支事変・大東亜戦争と戦域を転げて行く結果となって敗戦。奢れるもの久しからず。猛き者も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵におなじ。

 戦後60年もの長期政権をつづけてきた自民党が大敗北を伝えられる理由とは一体何が元凶であろうか。郵政民営化のしこりであるか、農水大臣の連続失墜線上に選挙なき首相3代の就任の勝手さ、年金の大いなる官僚疑惑迄と、自民党派閥政権による政策不一致などなど。国民無視と考えられる官僚政治との決別が今度の選挙命題となるのであろう。

 報道によると民主党勝利の裏側では、いわゆる「大物政治家」が苦戦を強いられているという。大物政治家と呼ばれる人たちに一言。
  当選回数も多く自他共に大物政治家然とした指定席に胡坐をかき、脚本を動かせるものと錯覚した足元から指定席が瓦解しようとしている現実に慌てふためいている滑稽さが目に浮かぶようだ。
  私論を述べれば森元首相は歴代首相の中で最低の首相だといわれてきたが、小泉の郵政民営化を支持しトボケた演技で国民を騙しつづけ、安倍・福田・麻生の3首相を誕生させながら、いずれも途中で首相の座を投げ捨てるという無様さ、政治家としてのひ弱き。それでいて隠然とした大物政治家然している低能さ加減。こんな政治家は不要の長物。だと考えてきた。
  派閥に甘えた政治フィクサーなどは不要である。田中角栄は総理選挙に用意した軍資金は500億円で、佐藤栄作元総理を仰天させたという逸話が残されているが、金権政治が悪いというならパーティ券などの販売で小銭集めする政治家はいかにも小物だが、一切禁止すべきが常道というものであろう。

 国民の支持を一身に受けているのが、年金を担当して大忙しの厚生労働大臣の舛添議員は見事だ。このような議員が政権獲得後の民主党に存在するのであろうか。はなはだ疑問である。
  民主党の激しい追い風を喜んでいるだけでは無責任というものだ。大政奉還後の政権運用が出来る人材が民主党にはいるのであろうか。不安は募るばかりだ。


どう考えてもおかしい。臭気対策は政治の責任だ。

kage

2009/08/26 (Wed)

  選挙のためには有権者を総動員させて「国民の生活安定」をどの政党も相も変わらぬお題目として国民の関心を引き寄せてきた。甘い選挙熟語である。

 南原地区から出される「養豚の臭気」に加えて、旧ニッセキハウスの社屋を利用して「堆肥発酵時に出る臭気」が加わって二重の臭気に悩まされている米沢市街に住む人たちの苦情は解決されないままに豚の頭数は7000頭(米沢市担当課調)。畜産文化的にはメデタイ話だが、殖える豚数から排出される糞尿臭気には田舎の香水だと笑って済まされるものではない。 まして3日前の晩の臭気には我慢の限界というものがある。

 日曜日に再び現地に怒りをもって出掛けてみた。石垣町のはずれに日曜日だけ開店するのだという夫婦の新鮮野菜店に立ち寄ってみた。大好きなトマトののぼりが目についたからだ。
米沢市の東部地区から「環境が良さそうだ」として南地区の石垣町に畑つきの土地を求めて移転してきたところ「臭気の洗礼に狭まれる始末、いまさら移住は失敗だった」と他に移住することも出来ず踏んだり蹴ったりの移住だったと嘆く。
部落でも臭気対策について会合をもったが、行政の力だけではどうにも出来ない仕組みらしく安部市長さえも住民の質問に怒って席を立つ有様ではどうにもならない。

 さて、臭気で迷惑をかけている2業者の立場を考えてみる。養豚業者の村上畜産の場合は、笹野町で養豚業をはじめたが、近所から臭気の問題が苦情となり、撤退を余儀なくさせられるハメになった。
当時の市長の勧めによって現在地に移転したものの、養豚に最適な場所だけに頭数が殖える発展だけに糞尿悪臭の処理方法が追いつかないのが現状だ。
加えて養豚事業から排出される糞尿の再利用として堆肥製造をはじめたから臭気の倍増が現況だ。

 酒田の平田牧場の臭気はゼロではないにしても、初期設備投資がしてあるから臭気の問題は起こっていないのだと聞く。更に毎日臭気管理に投資する管理費を使っているのだという。
  村上畜産の場合、臭気対策に努力はしているものの頭数に見合う管理費に苦慮されているのが実情のようだ。

 だからといって市民全体に迷惑をかけたままで良いわけではない。ある合唱団のメンバーは、文化センターが練習場所になっている関係から大きい口を開ける合唱だけに肺の奥まで臭気を吸い込んでいるのではないかと悩んでいる。
 旧二ッセキハウスエ場跡社屋で堆肥製造業を営んでいる南陽市の業者が吐き出す臭気の異常さは脱臭装置を附けた現在も変わらない。
県の指導で取り付けたという臭装置だが、装置を取り付けた安堵感からかさらなる大量の生ゴミの搬入となりチャチな装置は役にたたない。工場の中は産業廃棄物の最終処分場を錯覚させるばかりだという。

 南原地区は風向きから考えて臭気を出す産業地域でないことは明白である。そこで行政の見解を広く市民に報せるのが環境部の責務であると考えるのであるが。



吹くか改革の風濤 平成維新となりうるか。

kage

2009/08/25 (Tue)

  解散から投票日まで前代未聞の長丁場の選挙である。高校野球の合間を縫うようにして政権報道の毎日である。報道の中身は刻々と選挙結果予想を軸として進んでいる。

  民主主義は議員の数の論理である。新聞は民主党破竹の勢いで「300議席確保?」から「民主党300議席確保」「民主党320議席も」と毎日の紙面は狂乱する。議席数では民主党単独政権が実現する勢いのようである。
  しかしながら報道はマイナス要因としてなりうる場合もおうおうにして働く場合がある。報道を利用した選挙操作のテクニックだとすれば自民党最高の選挙戦術だともいえようが、現世を吹き荒れる風濤が容易に沈静化するとは思えない。結果は自民党長期政権は民主党によって奪取されるであろう。が、問題は残る。 永年野党に甘んじてきた政党が政権を握った途端に起こりうる政権奪取後にくる論功行賞による人事であり、政策の暴走が危険な部分だ。

  はじめは「政治献金の有無」の叩き合いから、「永田町改革」が両党のメーンテーマであっただけに他党は別としても自民党の長期政権の現実から今更に公務員改革・官僚支配の政治から脱却した政治が出来うるのだろうか。
  今までの奇弁政治が国民離れした最大の風濤となって日本全土を吹きまくっているのであろうが、この風濤は明治維新以来怒濤となって日本の政治形態を変える「平成の風濤・平成維新」となりうるのであるか。
  政権交替が可能であれば永田町官僚たちの抵抗も激烈なものになるだろう。実際には官僚支配によるわが国の支配政治であったが永年にわたって自民党でさえ官僚の我儘に目をつぶってきたのであるから、民主党が本気になって官僚支配から体制を立てなおされるとは思えないのだ。
問題は新政権党と官僚とのダマシ合いとがどのあたりで決着がつくのであろうか。このこぜり合いが長引くようでは折角の民意も台無しになってしまうではないか。
片や上級国家試験をパスした官僚である。議員といえども必ずしも官僚を凌駕するだけの頭脳の持ち主だけではあるまい。頭脳だけではなく官僚が手懸けてきた精緻なデーター管理による事務方の実際面などについては議員たちにわかるわけがない。

 議員たちの本音は議員職を失わないことが第一の命題である以上、官僚体制がどうあれ議員生命をかけて戦う議員がいるとは考えにくい。本音で平成維新を構築せんとするならば「連呼や握手」せめだけの選挙戦だけでなく有権者に向けて「官僚改革の具体的手順」を示さなくてはなるまい。
単なる官僚の無駄使いや官僚が積み立ててきたという「埋蔵金」だけに目をつけているようではもはや政治家とはいわない。

 明治政府の官僚は天皇による任命制度であった。明治維新以来、東京大学法学部は「日本をまもる責任」を学生に叩き込んできた。彼らにはその誇りがある。鎖国から開国以来の官僚たちがもつ誇りである。
その誇りを尊厳し「日本を護る責任官僚を喪失」させるようでは平成維新は成立しないのである。


南原方面の臭気地帯を見聞して思うこと。

kage

2009/08/22 (Sat)

  市民の多くが迷惑している南原地区から発生している二ケ所の臭気発生元を本会会員とともに尋ねてみた。

  旧ニッセキエ場内に南陽市から移住して操業している「堆肥生産工場」と、もともと市街地で養豚を営み、周辺住居者から臭気に悩む苦情から米沢市は移転先を考慮し、南原地区東北電力変電所奥に適当地と思われる場所に移転してから十数年が経過する。
  養豚業者は養豚業の適地として市担当課長調べによると現在7000頭の豚を飼育しているという。
 数棟の豚舎は整然と並び窓という窓には臭気防止のためであろうビニールで目張りしてある。不思議なことに現地での臭気は市内に流れてくる臭気とは比較にならないほど異質な臭気であり臭気の量が異なるようだ。
  顔を見合わせて不思議さを体感したが、帰りがけのわずか数百メートル離れた付近になると、まどうなき糞尿独特の臭気が鼻をついてくるのだ。
理屈はさだかでないが豚舎を離れたところから臭気が鼻をつんざくのである。
  付近には一般住宅もある。毎日の臭気にどのような暮らしの対策をとられているのであるか。夜に近いこともあって付近住民たちのコメントを聞くことはなかったが、臭気対策については 「忍」の一宇で諦めムードであるのだろうか。

  養豚舎からの臭気とは異質である「堆肥生産業工場」が出す臭気には心底驚いた。県の指導によって臭気緩和設備として一本のエントツが工場東側に立っているが、臭気対策に役立っているとは考えても考えにくい。
  周囲には老人ホームもあってどのような工夫がなされているのであるか。老人ホームがあることを承知で操業を企画した会社とは如何なる会社であろうか。

 臭気で市民の顰蹙をかっている二業者に市民たちの苦情は米沢市の担当課に向けて続出する。担当課長に直接電話で聞いてみた。
  臭気防止条令があればですが、以前の白河市や現在の岩沼市の製紙工場から排出されるアンモニアの臭気には市民を悩ましつづけている現実がある。
  臭気は義豚舎から出る量と異質なものがある。これを規制する法律はないのであろうから市が住民と業者のはざまにあって苦慮するだけなのであろうが、だからといって市民の生活が臭気によって脅かされていることに無策でいられるはずがない。

 そこで業者に企業努力を求めるほかに手段はないようだ。義豚舎は市の要請に答えるべく努力はしているものの、平田牧場のような億単位の初期投資も出来ずして連日の臭気対策に要する費用の捻出は不可能だとする畜産業者の弁である。
  畜産業の振興は米沢市の一大事業であることに異論はないが、臭気に悩まされずにトンカツを食べられる日を待ち望むのは消費者の勝手な論理と言うのであろうか。


鳴呼、遂に露呈した 破廉恥な米沢の市政ぶり

kage

2009/08/19 (Wed)

  歴史的な事実はどうあれ現代人は「愛」兜印をラブと解して「天地人」の好評放映に酔い痴れている米沢市である。が---。

  8月14日付け「読売新聞」の一面トップ記事を見てほしい。そこにはナント、一面六段抜き記事扱いによって「山形県米沢市のわたり」の実情が報道されている。

 ※わたり 公務員の給料支給に際し、実際の職務に対応する給料表の級より、        支給額が高い上位の級の給料を支払うこと。

 「業務内容はおなじなのに」米沢市の係長職は三つの級に分かれている。「特別困難係長」「相当困難係長」「係長」の三つだ。
  この指摘ついて米沢市は「具体的な基準ではなく、実際の業務内容が同じと批判されても仕方ない」というが、今春、「特別困難係長」16人が、県から「わたり」の指摘を受けた。
いずれも50歳代のベテラン職員たちであり「定年退職によっていずれはなくなる」と釈明した。

 職員の釈明は「国や県にも現実にはあることで、米沢市だけが特別視されるのは誤解を招くものだ」と反論するが、土居慶応大教授は「仕事の責任やリスクを伴わず、給料だけが上がっていく仕組みは、住民から見て不透明で、わたりは止めるべきだ」とコメントしている。
  因に全国47都道府県に対し市町村を含めてわたりの有無を聞いたところ都道府県は「なし」と回答。市町村分については存在を認めたのだ。
  その数は9200人の大半は1人あたり月額3万~6万円前後で、総額年33億円が職責に応じた職務より高い給料を得ている計算になる。

 総務省は地方公務員の役職と級の関係が、国家公務員の基準と著しく違わないように改善を求めてきた。しかし是正済みの自治体が報告するだけで「わたりの全体像」は不明であった。
  自治体の報告事項である裏側で密かに行なわれてきた「地方公務員のわたり」市民の知らないところで給料の操作が行なわれてきたのである。

 市に頼み事をすると「予算がない!」との一点張りが相場だが「自分らの昇給の分については否応なく拠出できる不思議さ」この超マジック的な手法は公務員特有の姑息さとひとりよがりのズルサとが為せる術なのであるか。
  市民の知らない裏側でコッソリ中央官僚が為す手法を安部市長に伝授したのは、マサカ安部市長の支援者元農水大臣ではなかろう。

 安部市長の選挙時に示したマニフェストの第一は広域合併であったにも関わらず放棄するのも早かった。
その裏側で密かに展開していた「職員のわたり行為」は市民を愚弄する何ものでもない。
  老人集会での市長の「肩叩きでの票集め」は広く知られて行為だが、市長ゴッコにうつつを吐かす安部市長の子ん守りは市民のすることではあるまい。

 市民の迷惑を知りながら何年も放置して「業者の責任で為すべき仕事」として臭気対策をしない市長であり市政なのだ。
  その裏側でのお手盛りとはいやはや社会性のある市長とは思えない。政治のなんたるかも会得してない市長には市民の手で下野してもらわねばなるまい。


市政とはいかなるものであるか?

kage

2009/08/17 (Mon)

  このド署い最中、天地人でエツにはまりこんでいる米沢市民は「臭い、臭い」の大合唱である。
市民だけではなく、天地人の放映に因んで米沢市を訪れる観光客たちがうける「臭い洗礼」である。
暑いから窓を開けて冷気を求めようとする。が冷気と同時に入り込むのが南原からの臭気である。慌てて窓を閉める。この夏もこのような繰り返しであるか。

  担当する市の環境部に電話して苦情を訴えてみた。
「部長に聞きたい」担当職員は答えて「部長はお休み頂いております」「そんでは課長は?」「課長は出張です」との答えだった。月曜日を待っての電話だから、肝心の部長は3連休中であった。

  現在米沢市中に撒き散らしている臭気は南原変電所の裏にある「豚舎からだ」と担当職員は答える。県が南陽市から誘致した「堆肥製造所」は県の努力によって臭気排除の設備によって臭気の量は減っておるはずだ。
県と米沢市との取り決めがあって臭気の量を軽減すべく努力しているからで、現在の臭気は「豚舎からのものです」
  県が一業者の臭気削減に努力しているのであれば、米沢市が変電所空き地に豚舎を移すようすすめた責任はどうなめのだ。現在700頭の豚がおり、そばに堆肥製造の場所も併設しているのだという。

 「問題は臭気を一掃してもらいたいのだが、そのために環境部はどのような対策を講じているのですか。今日昨日からはじまったわけではない。何年も苦しんでいる臭気です。対策は進んでいるのですか ?」

 「勿論対策は考えております。臭気コンサルタントも含めて有効対策はあるのだが、業者に設備する資金がないから実施できないでいるのです」

 「業者に設備する資金ができるまで対策はおあずけということですか?」「迷惑しているのは多くの市民たちですよ。設備にどれだけの資金がかかるのかわかりませんが、市民の迷惑を取りのぞくことが行政がやるべき第一の仕事でしょう。ただ市が一業者に設備をしろと要望するだけでなく、設備に要する資金を調達する方法を考えてあげるとかはしないのですか」

 「一業者のために市がする仕事ではありませんから」
との答えには政治とはなにかを改めて考えさせられた。

  要するに業者の自覚にまつより方法はないとする環境部の石頭ぶりに唖然とさせられたが、まずもって政治家の片鱗でも市長にあるのならば、さっそく市民が嫌がる「豚舎から発する臭気」問題を解決してほしいものである。
人によっては臭気になれている人もあろうが、大半の市民が悩んでいる米沢市の臭気である「臭気は川にそって流れるものですから」などのお題目は聞き飽きたからには行政がやらなければ豚舎に不利益な犯罪をも誘発しかねない危険性もありうるのではあるまいか。

墓場にもっていくつもりだった。

kage

2009/08/16 (Sun)

  終戦を迎えたのは小学6年生の時で疎開先の蚕桑村(現白鷹町)の兄嫁の実家であった。
部落にはめったになかったラジオのある家だったから、人が集まってきてラジオの前に座りこんでいた。無口で不安気な人たちの顔を今でも覚えている。
1週間ほど前に部落に流れたニュースは「大型の電気爆弾が落とされたんだとよォ」だ。敗戦を終戦だと言い換える神風待望論の不発に終わった屈辱の日本である。
終戦の日の朝まだき片道キップの飛行機で南海の空に飛び立った特攻隊の青年たちもおったろうに。「昭和万葉集」は当時の青年たちの詩歌を綿密に記録している。

 15日夜の報道は「激戦地帯の生き残り将兵らが語る苦渋の番組」をみて戦中派だった老生は慄然とした。
激戦地といえばガダルカナル・ニーギニアに代表される南国の島々である。送りこまれた日本兵士の大半が全滅していくのに大本営の発表は「好戦中であり、日本軍の勝利間近」であった。
今では生き証人となった彼らがいう「墓場までもっていくつもりだった。凄惨な戦場のことは夢の中でうなされつづけるだけでいい」ある輜重兵は「あと何人死んでくれれば、生きられるか」と指折り数える飢えの戦場だったという。

 近隣の住民の中に輜重中尉として弘前連隊で終戦を迎えた人がいた。軍のトラック2台を活用し軍の物資を土蔵に運びこみ再び弘前連隊に舞い戻っていった。老生の兄は宮城を警護する近衛兵だったが、帰還した姿は毛布1枚だけの惨めな姿だった。
それに比して内地連隊の輜重中尉殿が運びこんだ軍物資との差はなにを物語るものであろう。激戦地で飢えに苦しみながら死んだ兵士もあれば、大量の軍事物資にありつけた立場の中尉殿もいた。
いまでは土蔵は解体され、店舗も閉鎖し草むらの貸駐車場に化けている。
戦争で命をおとした人、立場からドサクサに紛れて軍事物資を運びだした高官もいる。

戦中派だといえ6年生で三八銃を肩に上杉神社参拝が名誉だったと神風を信じて疑わなかった少年時代がなつかしい。
「仰げば尊し我師の恩」わが師は尊いのである。神風を信じ、わが師がいる以上、決して負けることのない戦さであったはずである。
「リンゴの歌」や「だれか故郷を思わざる」が流行していた年の敗戦である。わが師は「どちらの歌も二番目は歌ってはならない」と教えた。女にうつつ吐かす女々しい男の子として育ってはならないとの戒めであったのか。
軍隊ラッパや剣道具などは残してはならないと石でラッパを潰し、防具類はガソリンを撒いて川原で焼却させられた。あの悔しさは終生忘れえぬ思い出となっていくのであろう。


「ブラボー米沢混成合唱団の夕べ」

kage

2009/08/10 (Mon)

  「夏がくれば思い出す」昭和24年代に全国を風靡したNHKのラジオ歌謡の-曲である。「さくら貝の歌」「山の煙」「あざみの歌」などと朝まだき何処の家のラジオからも流れていた不朽の名曲である。
この曲に歩くリズムを合わせながら高足駄で会社に急いだ苦学生だった頃を思い出す。

 当時は、檜枝峡沼山ルートがなく、日光金精峠を経由して大清水から富士見峠をめざすか三平峠から沼に出るしか尾瀬ルートはなかった。鳩待峠から至仏山に登り「ワタスゲの原」に下り、尾瀬原を縦断して沼に出るのが健脚向けのルートといわれてきた。
老生は夏の思い出の詩歌に憧れ「尾瀬を歩きたい」との思いに惹かれ、バスを仕立てて40名の仲間と尾瀬に向かったのが最初だった頃が青年時代だったことに懐かしむ。
「岩の至仏よ 燧の森よ 朝露深き カッコーの声。 キスゲの木道 原におつれば池塘にゆれる夏の水草」など尾瀬の感動を拙作の詩に曲をつけ「尾瀬の山唄」として沼の長蔵小屋に送った。
今になっても愛唱されていることを知って、たちきれない青春の思い出として「夏の思い出」は老生の終生の愛唱歌として忘れることはない。

 さて、コンサートに接したお礼をかねて老生なりの感想を二三申し述べてみたい。
まず、男性団員が増えたことによって曲想に厚みが出てきたことにブラボ-と申したい正直申せば団員の拡充が本合唱団の今後を期待できるということであろうからだ。
なつかしい国民唱歌のメドレーは楽しく、幼き日に回帰できる嬉しさもさることながら良し悪しは別としても現今流れてくる「巻き舌で歌詞も不明」ボリュウムいつぱいにガナリ出す現代歌謡に霹靂する老生に限らず混成合唱団の歌声は救世主の思いであった。
音楽は聴衆の琴線に響くことが主たる目的であるはずだ。その点では場内を埋めた聴衆のだれもが満喫したステージであったろうと思った。
劇場のスタッフが、曲の変わり目ごとに、Eマシンを駆使して曲想を高めようとしているのだが、折角のEマシンの効果もホリゾントをさえぎる音響板だけに半減したことは惜しいことだった。
「くの字」形でステージにあがる団員の姿はいたいたしいが若い団員の少ない地方合唱団の「火を消すまいとする」高年令の団員たちのひたむきな合唱好きが支えていることに感動し「地方文化の根っこ」になっていることに賛同を禁じえないのだ。
おそらく団員のみんなは骨になるまでも歌うことを忘れない人たちなのであろうと敬服する以外に言葉を失うのだ。

 老生が舞台専門であるからことから気になったことがある。ステージの上の二重版のことだが全顔が白く隠されているのだが両端の二重空間がいやに目につく。細いことだが気をつけられた方がベターだと思う。
進行者の役目は主役たる合唱団員の前に踊り出てはならない。本職はアナとなっているが進行役の域を越えた司会術はけして誉められたことではない。

 最後になるが、星野富弘氏の詩は合唱曲にするには無理があるように思えた。まして団員によるナマリまじりの朗読は愛敬はあるとしても無用と心得るべきであろう。
詩の朗読に不可欠な声質とは「ふっくら」と「詩の流れ」を熟知したナレーターの仕事であるからだ。
今回のコンサートには多少の冒険を承知の上で取り入れたとしても常道から外れた試みは避けるべきだった。


梅雨明けで米沢市の臭い夏はどうなる。

kage

2009/08/05 (Wed)

  気象庁は14日遅れで、東海近畿地方の梅雨明けを宣言した。梅雨明けのクソ暑い日はどこの家も窓を開けはなつから、市内を悩ませてきた臭気の被害を再び味わうことになるのであるか。

  山形県は南陽市から引っ越ししてきた笹子平にある堆肥製造工場から出される臭気を一掃したと宣言しているが、ただし雨のふるうちは臭気はおさまるが梅雨明けと同時に臭気が回復するきらいがあるという。
 笹子平の臭気被害に対して市の環境課は少しも動かず「あれは県の管轄だ」として責任を県のせいにしてきた。それだけのことで県に働き掛けた事実はなかったと県ではいう。民間の苦情通報によって県の環境課によって県が動きだしたものだと県側はいう。
あらためて市の環境課の対応の悪さを市民は問わなければなるまい。広く配布された市の広報はなんであったのか。

  さて、県の場合はまがりなりにも臭気に前向きの姿勢をとっているが、市の責任である養豚場からの臭気対策はどうなったのであろうか。
「臭気対策をするには資金がなくて」という養豚業者のいうままで見逃すだけであるか。

 エコブームにのって市役所では昼休み時間を節電して庁内の電灯を消しているが、職員各自がコンピューターゲームを楽しみはじめるのだという。
  市民の眼には「休み中ににもかかわらず真剣に仕事をしている」と映ったのであろう。が、中身はパソコンを使ったゲームに夢中だという。節電の意義を考えてテレビゲームにうつつを抜かすことなくこの行為は止めるべきであろう。見かけだけで市民の眼を晦ますことは市民を瞞着する恥ずかしい行為だと思えないのであるか。

  市庁舎の一室を市職員組合に無料解放している市の行為は「法律違反に抵触」するものであり、市長の掲げる「自由の風」なる選挙用の旗を庁舎内に掲げるなど「市長が認める場合は別だ」と議会で答弁する市長の独善にも呆れ返るが、理論闘争もしない議会の情けなさも同時に問われなければなるまい。

  立候補時に掲げた現市長のマニフェストの核は広域合併であった。マニフェストとは選挙時の市民を欺くことであったのか?
  当選するためには「何でもあり」とする現在の自民党よろしく、市長の特技は「老人の肩を揉む」ことであるらしい。
したがって市政に対する質疑応答を禁じている。このような市長は全国広しといえどいないであろう。
  市長の仕事は肩を揉むことではあるまい。肩を揉むなら専門職に任せて市長らしい仕事に精通することだ。が、性格的に「人の意見に耳をかせない」市長であるか退職前の市の幹部らがゴソッと任意退職するという、いわば藩の家老職が殿に反旗を翻させるような恥部を生みださせる市長なのである。感動的な努力なく広域合併をいとも単的に頓挫させるとは何事ぞ。  核となるべき米沢市長の人格を他市は見抜いているからだという。

 歴史的に市長の住む地区は「屋代郷」で首領地区であったから「百姓一揆」によって上杉藩に反抗した地区である。
市の合併によって山上・南原・万世などとともに時代の趨勢によって合併したのが上郷村であった。
「城下の粥っ腹ッ!」と米沢市民に向かって罵声を浴びせつづけた村である。

 安部市長は米沢市民たちにとって未来永劫に残る「恥の市長」として、これ以上12年間の市政を任せる訳にはいかないのだ。


後期高齢者として、未だに残っている戦後の疑惑。

kage

2009/08/03 (Mon)

  老生が小学2年生の12月に始まった大東亜戦争は、6年生の夏に敗戦となった。当時、縁故疎開ということで蚕桑村の兄嫁の実家にお世話になっていたが、なによりも恵まれたのは毎食が白米でいくらでも食べられることだった。
 あてがわれた部屋は板敷のだだっ広いだけの部屋で、1ヶ月もすると分かったが部屋は蚕を飼育するための場所だった。
やがて蚕皿の量が増えてくるにしたがって部屋中が蚕棚になって、その下で寝ることになってきた。
朝4時に起きて米坂線添いを荒砥方面に向かって歩き、桑畑に出て蚕を飼育する桑の葉摘みが仕事だった。
蚕が成長するにしたがって桑の葉を摘む量が増えてくる。蚕は夜中も休まずに食べる。カサカサと桑の葉をはむ音には眠られずホトホト参ったことをなつかしく思い出す。
生活用水は台所に取り込んである村の小川の水で、仕切られた小川にはハヤや真鮒が飼ってあり食事の残りが彼らの餌となった。やがて真鮒は「むくり鮒」となりハヤは甘露煮となって正月には欠かせないタンパク源となって地産地消する農家の知恵となって役立のである。
他に最上川添いに村共有の沼があり、年に一度は沼の水を干しあげ、村中総出の大量唄い込みとなる。よくも川魚は捕れたものである。
沼での川魚捕りを最後に、戦争が終わったために母の待つ米沢の家に帰ったが、食物には雲泥の差がある現実に直面した。それでも末っ子の私は蚕と同居するより母と姉のいる家がうれしかった。

 戦後の食料事情は国中最悪であったから一緒になって耐えるしかなかったが、戦中戦後を通して実施された官憲の手になる「闇米」の摘発は無常の極致だったが、摘発した米は何処に消えたのであろうか?
素朴な疑問として今なお脳裏に深く残っているのだがいまさらにとはいわず政府はこの疑問に答えるべきであろう。
あの摘発行為は、凶作のために疲弊する農民をしめあげる悪代官のごとくに「犯罪」だと脅かしつづけ摘発を命令した政府用人に答えてもらいたい。
政府の答えはおそらく「GHQの指示だ」と答えるであろうが、摘発した大量の米は飢餓に苦しむ国民に等しく生き抜くための糊として消えたのであるか。
立候補者一人々々に問いかけてみたいものだ。ドサクサに紛れて摘発米は闇の世界で処理されたのであろうが、強者とは常に権威風の中にあって、弱者からの搾取法を考えているものであろうから、決して権力を行使される側に座ることなく権利を行使する立場を死守するものである。
候補者等しく日本国の未来を考えているわけでなく、考えている風を装っているだけと映って仕方がないのは老生だけであろうか。

「賢人のもっとも美しいありかたは、きわめて控えめな言葉を使って、きわめて強烈なことを言うにある」