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「政」と「官」のありかたを見直すことが重要。

kage

2009/07/30 (Thu)

 8月末の投票日に向かって各党候補者は事実上臨戦態勢に入った。老生宅近くの四つ角では、早朝から出勤社員に目掛けて辻説法を行なっている議員候補者がいる。
騒音の中で聞き取れることばは「お早ようございます」と連呼する挨拶だけで、説法の中身はほとんど聞き取れないことから候補者の顔見世が主な狙いであろう。
山形2区からの候補者にとって人口密度から割り出した選挙区の広さには同情を禁じえないものがある。

 さて民主党のマニフェストには「脱官僚」を目指し、大正デモクラシーの時代から慣習とされた衆議院第1党の代表が首相となり、高級官僚は天皇から直接任命されていた。
  政府は大正期以来、与党と官僚の共同作業という二元態勢であり二元態勢が責任の所在をあいまいにしてきたことは事実だ。たしかに民主党が指摘するように官僚態勢による「無駄使い」は国民には目を覆いたくなるスザマシサであり国民無視の無秩序さであるが、官僚が責任を追求されることはない不思議な国家であるが、問題は「官僚をどう使うか」であり「官僚の知恵をどのように生かすか」にあろう。

 民主党による政権奪取は現在の風向きでは可能であろうが「脱官僚」という言葉は自重し「政官関係」を一体化させることに成功させることこそ大正以来の最大の革命となるのであろう。
が官僚たちによる抵抗も相当なものであろうから、民主党幹部の革命に賭ける意気込みが半端なものでないことを「党に期待する国民の願い」であることを肝に命じていただきたいものだ。
  官僚たちは昔でいう「高文試験」を通った秀才たちである。政府の要人たちに求められるのは「官僚の知恵」をどのように生かし活用できるかに真価が問われるのであろうからだ。

 野党の追い風が吹き荒れる現状に報道各社は論戦を張り続けているが、大正デモモクラシー以来の最大の改革到来に「官僚をどのように扱うか」の議論はないまだ「官僚の顔色うかがい」が蔓延しているのではあるまいかとの見方もあって有権者たちに落ち着が見られないのも確かなようだ。
  マニフェストも出さずに現与党の幹部たちは野党の出したマニフェスト批判に興じているだけでは噴飯もののそしりは免れまい。
所詮、ピラミット形の組織構成は「官僚の権威」を示すだけのものであろうが官僚が持つ「許諾権」に不合理さはないか。

 すべて社会はわが身を中心とした金銭の有無感覚で営まれている事実から「天下り」や自己保身の「無駄な歳出」などは今後も続けられてゆくであろうから「刑罰」や「免職制度」の規制なども厳しく設けられて然るべきであろう。
  公務員改革を成功させることこそ国民が待ち望んでいた政党政治の根幹であろうからだ。改革によって地方自治体に勤務する公務員たちにも良き緊張が生まれるであろうからだ。


65才以上の高齢者は働くこと以外に能はないのであるか?

kage

2009/07/28 (Tue)

 衆議院解散の翌日は暗黒の皆既日蝕、暗黒の太陽が日本列島に梅雨末期の梅雨前線を刺激したのであるか。九州地方を襲った豪雨は想像を絶する雨量となって大惨事を起こしている。当地も雷まじりの長雨がつづき昭和42年の悪夢を思い出す。

 老生の住まいは幸いも「雪害はあっても他にみられるような災害は皆無だ」と、生前母親が語っていたが、誠に有り難い場所にある。雨足の切れにスダレ越しにのぞくアメリカ芙蓉の大輪が花を咲かせはじめているが、今年の開花は遅れているようだ。
  拙宅前の市道は車の入れない作場道で、老若男女の散歩道になっていて時折バイクが通るぐらいで不慮の事態が起りえるとすれば、飛行物体の墜落が精々であろうか。
早朝から四十雀が囀り、生まれたばかりのカラス親子の鳴声が少々煩いぐらいで緑いっぱいの環境と静けさに恵まれている。

 天気がよくないので終日、読書とテレビ三昧の毎日を送っているのだが「65才以上の高齢者は働くこと以外に能がないのだ」と宣う麻生首相の演説にはいささか食傷気味だとはいえ、わが国のトップが言う言葉かと阿呆らしく怒る気もおこらない。
こんな感覚の首相であるから「官僚政治」に先手をとられ「官僚改革」などは絵空事であることは否めない。昔から「予算の分捕りが権力の拡大に繋がる」ことを承知の上で日本政治が成立してきた。いずれの政治家も官僚より頭脳の程度が低いという証左なのである。

 政権交替を標榜する野党側は官僚主導の無駄使いを廃し「官僚離れの政治」を実現するとしながら「高齢者云々」という言葉が飛び出してくるのは本音であるか。たしかに戦中戦後を生きてきた世代ではある。
生き残った世代が崩落した日本を再生してきたに違いはない。再生しなかったのは「戦後教育」と「民主主義の権利と義務」と「国家意識」である。

 米沢議場に六十年ぶりに「国旗」が掲揚されるという。遅かりし内蔵助であるが、ようやく市議たちにも国家意識が生まれたのはメデタイ。
  斯様に政治に携わる人間にも「国家意識」に乏しかったといえよう。市民を代表する市議にしてすら足元に気づかないのであるから、国民を代表する選良たちに国家意識の高揚を望むべくもないのであるか。
  政治は「国家意識」を根強く国民全体に浸透させることによって「日本人教育」が復活し、日々増大する諸犯罪からの削減が望めるのではあるまいか。
日本の歴史教育の最大の欠陥は「明治維新から現代」を活用すべきであると思う。今まで時間切れだとして「明治維新」を教えてこないきらいがある。

  日本人がなによりも国家意識を脳裏に刻みこむためには「近代日本に目覚めた明治維新」が最重要な教育であろう。国家のために命を投げ出した日本人がいることも、罪状をもろともにせず大成した怪しい人物がいることも含めて歴史が青年たちの国家意識を高めるのであろう。
雨の降る神宮外苑を鉄砲肩に兵地に赴くべく行進を続ける大学生の姿らの進軍をさえぎって「これは死の行進だッ!」と、大手を広げて阻止しようとした大学教授が一人もいなかった事実に思いをいだくとき老生は兵地で散った彼らに限りなく愛惜の念を禁じえないのだ。
 国家意識の高揚は時として過ちを犯すものだが、歴史を紐解くかぎり新らたな国家意識が誕生するはずだ。


喫煙者は国賊であるか 復権はありうるか。

kage

2009/07/25 (Sat)

  この社会は喫煙者にとっては国賊的な扱いである。いつから日本全体が喫煙者にとって息苦しい国になってしまったのであろうか。

  確かに渡米したロスのホテルは全室内禁煙で、喫煙場所がホテル玄関前に大型の灰皿がおいてあるに過ぎなかった。その点ではメキシコはカンクンの保養所はそれほどの厳しさはなくくわえタバコも許されていたように記憶している。
  それに比べてわが国では東京駅のホームにあった簡易喫煙室は撤去され新幹線の待合所に併設されているにすぎない。
どうしたことか山紫水明の米沢駅前でさえも観光客から喫煙を嫌われる始末だ。むろん市の庁舎では禁煙。庁舎玄関口にあるビニールで囲まれた狭い場所で職員たちがオドオドしながら紫煙を吐いている風景がまことに惨めだ。
市の広報には「しっかりと禁煙」し、健康を守ろうとするキャンペーンだ。

 喫煙が健康を害するのだと宣うのであれば、天皇が戦地に赴く兵士に配った「恩賜の煙草」の意義をどう解釈すればいい。兵士たちの健康はどうでもよかったのであるか。
さらに近年まで「タバコは県内で買おう!」としたキャンペーンは単なる地方自治体の「タバコ税欲しさ」に過ぎなかったと考えられても仕方がない。まして市民の健康を阻害することなどは考えもなかったのである。 それを行政の無作為な上意下達方式だといえよう。

 信州白馬高原に「パイプの煙り」というペンションがある。白馬の万年雪を眺めながらパイプをくわえてのんびりと過ごした時間が懐かしい。
禁煙者に申し訳ないが、禁煙運動によって喫煙者の父権が剥脱され、冬の夜寒に外に出て喫煙する老生ら喫煙者の惨めな姿をどう受けとめたらいいのだ。
煙草に実害がありだとすればそれは通常シガレットと呼ぶ「紙巻きタバコ」であろう。タバコを巻いている紙からダイオキシンが発生するとの見方があるからだ。ならば紙巻きタバコの販売を禁止すべきが筋であろう。
喫煙には「パイプ用タバコ」もあれば「葉巻」「噛みタバコ」もある。タバコというだけで一括りする必要がどこにある。
  矛盾はそれだけではない。「ボイ捨ては紙巻きタバコ」だからできる。葉巻やパイプ煙草にはそれがないから街が汚れることもない。麻薬でもあるまいし江戸の昔から愛用してきた一服の清涼剤であることに留意せよ。

 自民党によるゴタゴタ解散の翌日は「皆既日食」。暗黒の社会から再びあまねく輝きを人の世に照らしつづけてきた天空のドラマを、しっかりと深く胸に受けとめて来月の投票日に祈りをこめて一票を投じたいものだ。

政権交替は実現するのであるか?

kage

2009/07/24 (Fri)

 田舎暮しの老生でも毎日々々の「政権交替劇報道」には霹靂するものがある。政治に特別な関心をもたない老生でも「自民党の慌てふためきぶり」がわからないわけではない。
情けないことに2人の総理が政権を投出し、3人目の政権の座についた麻生総理は祖父吉田茂が果たせなかった「解散」をわが手によって実現すべしとの自戒から自民党は内部混乱に混乱を重ねたあげくようやく解散選挙日程が決まった。

 さて、投票日までの40日間に何が起きることやら、政権をめぐる抗争は今のままで済むとは思えない。
話題にのぼることはなかったにしろ山形県知事選は、表面上は無所属当選とされているが実態は民主党関連の票であったことは申すまでもないことだ。
自民党のゴタゴタは地方の選挙にも暗雲を立ちこめたばかりでなく、都議選においても大敗北せざるをえなかった。斯様な情勢にあって政権交替を間近に控えて民主党候補者の選挙態勢と政権交替に対する認識が育っているのであろうか。

 失礼なことだが、歴史的に見て時の勢いで政権を手にしたとしても寿命の短い覇権であった事例が多く残されていることでもわかろうというものだ。ようするに「賢くない人間だけが集まったところで利口にはなれない」ということだ。
一度も政権をとったことのない者が「棚からボタ餅」同様、勢いで転がりこんできた政権をどのようにして日本国に根づかせるというのだ。

 不安は残る。 山形第2区から3度目の立候補となる近藤洋介議員秘書との談話が老生に伝わってきた。「今度は間違いなく当選ですね」とオベッカをいう記者に秘書が答えた。
「当選は当たり前ッ! 自民党から出てくる候補を二度と出られないように痛めつけてやるッ」と豪語したと聞く。
秘書たる者が言及してはばからない暴言に記者は返す言葉もなく事務所を退散してきたというが、この思い上りこそが危険極まりない民主党の政権奪取目前の気運だとするならば政権の座は短い。
登り坂だとはいえ民主党は政権を手にしたことのない党である。危険を胎んでいやしないだろうか。
 自戒せよ民主党。 「館山から大臣を出すのが夢です」と答えながら「約束したことは何ひとつ実行してくれないのですよ」と、同時にこぼす主婦の声も耳にする。

  思えば、父近藤鉄雄元労働大臣の初当選に老生が関係したことがある。以前、鳥海元市議や親戚関係にある芦川五郎氏をはじめ数人の近藤候補を支持する人たちが前触れもなく深夜に拙宅を訪れ「近藤を当選させるために新しい形での演説会を開きたいので知恵を拝借したい」との申し入れを受けそれに応じたことがあった。
結果は当選となって幕を閉じたが「出たがり屋近藤のイメージ」が今もって脳裏から離れることがない。落選し引退のことも明確に覚えている。
投票を前にした某日候補者の兄弟という人物が事務所に運動に来られた。老生は「落選ですね。事務所に大敗ムー ドが漂っています。例をあげれば中枢となる某県会議員すら笑顔でお茶話に夢中になっている。これを投票を前にした余裕というものだと思えないからだ」と答えて運動に歩く兄弟の顔を曇らせた。
結果は落選・政界引退となった事実。

  大切なことはあくまでも「謙虚さ」を失わず、常に「兜の緒をしめる」ことが大道につくために欠くべからざる議員天命であろうと老生は思っている。

花火大会は人生の青春譜だった。

kage

2009/07/08 (Wed)

 夏の夜空を彩る東北花火大会の夜は故郷米沢市のかけがいのない風物詩であった。
後期高齢者となった今、思い出すのは夜空に炸裂する轟音の響きと、華麗な火薬の舞とであった。その花火大会がピンチの憂き目にあることを報道で知った。

花火大会を開催するには水のある広範な開催場所を用意しなければならず、まして事故は未然に防がねばならい。見物者は轟音とともに口を開いたまま夜空を見上げるだけでいい。したがって、主催者の陰の苦労などに気を使わなくて済む。
  中学生から毎年見つづけてきた60年の歴史が小生にはある。主催者の苦労は別だとしても、今回のピンチは金融機関による主催者への締め付けであることに結論づけられるものであった。
 どこの会社も銀行による「貸しはがし」の実態に苦しんでいる時代だが、多分に漏れず花火大会の主催新聞社にも「貸しはがし」の実態が起きたのだ。
  「花火の経費」を花火会社に支払うために会社の預金を送付しようとした主催者側が驚愕した。
会社の銀行口座が銀行側の都合で凍結されていたというのだ。銀行借入の返済が多少遅れていたからに過ぎないが、銀行側として回収する権利があるとして口座を凍結したものだ。
ならば窮余の一策として個人名義の口座から支払おうとしてまたまた驚いた。会社の返済が遅延している理由で個人名義の預金どころか会社借入の保証人になった会社幹部の口座すら凍結されていたのだ。銀行によって凍結された家庭口座の凍結には家庭内騒動も起きようというものである。
  銀行による凍結に苦しんだ主催者側は米沢信用金庫に口座を開いて急場をしのいだことで花火大会の実行に漕ぎ着けたものの大会時間の短縮をして市民の夜空にかけた夢を裏切ることはないようだ。

  さて、花火といえば「大曲の競技花火」や「長岡の花火」もある。が、戦後崩落した日本の復興のために元気つけようとした米沢の花火である。
今では15万人が夜空を楽しむ「上杉まつり」と同様「花火大会」実施めざして行政・観光協会らが汗を流すべき仕事なのであろう。
「上杉まつり」は各戸からの拠出金で実行されているが「花火大会」にはそれがなく、市民による協賛金によって賄われているというのだ。無理が入るのは当然だ。
  その主催会社の口座のみならず個人名義の口座まで凍結する非情さは県内トップの山形銀行のなすことではあるまい。 「銀行といえども金貸しである。貸した金は病人の寝ている布団でも取る」とほざいた管理部員がいたが、山形銀行の利益の30%は市民からの手数料だ」と聞く。
社会回帰に視点をおく銀行であってほしいものだ。


虫けらにも三分の魂がある! 南陽市政に夜明けはないのか!(その5)

kage

2009/07/02 (Thu)

 「国政は国民のために、県政は県民のため、市政は市民のために機能する」が民主国家の根幹であり原則であり第一義であるはずだ。
南陽市政には権力主義・圧政主義は健在でも市民に対する暖かみが欠落している。

 此度のハイジアパーク総支配人の不当解雇問題では「労働審判判決」によって総支配人の職場復帰となって願いを勝ち取ったものの、出社した元総支配人に突き付けたハイジアパーク側の返答は「定年退職」という思いもかけない仕打ちだった。したがって元社員は審判どおりの復職を果たしていないのだ。
  しかも元社員にたいする報復の意図をもって元社員を山形地裁に「名誉棄損」で提訴。「名誉棄損」だけであるならば筋が通るとしても「500万円の弁償金要求」のはしたなさ使い込み事実を彷彿とさせている。
 ハイジアパーク社長の「使い込み」という嫌疑を晴らすだけならば「名誉棄損」だけの提訴で済むはずだ。加えて元社員から500万円也の弁償金を取ろうとする魂胆は行政側の知恵であり指導であろう。
  職場を不当に追われ、頼みの労働審判の判決でさえも反古にして恥ないハイジアパークおよび行政側の処置とは何んたる横暴な権力の乱用であるか。今は江戸徳川時代では無いのだ時代錯誤もいい加減にすべきものだ。

  これには先の事件「ヤマチキ騒動」の関連を指摘すべきだ。この事件は南陽行政が企画造成した「西工業団地」に「ヤマキチ」が土地を購入して建物を準備し操業途中で建物が歪みはじめた事件だ。
  造成は町の有力企業が請負ったが、造成地には産業廃棄物が不当に埋没されていたのが争点となった。ヤマキチ側は市の公社に善処を求めたもののラチが明かずヤマキチ側が山形地裁に提訴した結果、一審の判決は2700万円の支払いを行政側に命じたものだった。

 判決どおりに2700万円をヤマキチ側に支払えば穏便に済んだものの副市長は判決を反古にして示談金をヤマキチ側に支払わなかったのだ。
  運転資金の手当てを2700万円に予定していたヤマキチ側は公社不払いのために無念の倒産。判決を反古にした副市長の英知だとばかり副市長の株は天井知らずの勢いだった。南陽行政の猿知恵はまさしく判決さえも反古にできると結論づけていった。判決をも反古にして恥ない南陽市政とは前代未聞の市政だといえるだろうか。

 これに味をしめたのであろう「名誉棄損と500万円の弁償金要求」という逆告訴に出たものだ。職場を追われ「相手の兵糧を断ったほかに、取れもしない多額の金額を請求」するなどの責めは、行政が市民に課することではあるまい。
  人間社会において多々争点はある。そのために裁判という形で裁定がなされ判決に従うことで平静が保たれているのだ。
  南陽市政にあるトップの猿知恵が市民を倒産や不当解雇などの処置に追いこむなどの処置は市民からの市政離反に繋がる恐れがある。「臭いものに蓋」をするのは行政の特技ではあろうが決して市民からして誉められるものではなく「臭いものに蓋」ではなく「臭いものの駆除」こそが市民が求める価値ある行為だといえるだろう。

 南賜市政が報道の槍玉にあげられようとしている最中に、迫りくる市長選挙のために副社長を表面に立て「我、関せず」とする市長のコズルサが歴然としているではないか。
  市民の大事である。税金の上に胡坐をかいて親方日の丸を謳歌してないで、仲裁策に汗を流すのが市長たる器であるべきだ。豪腕アラバン市長を落選させた市民パワー「市長を替えてみたものの、今の市長は最悪だ」の声もある。

時代は急激な変遷に流されつつある。(その4)

kage

2009/07/01 (Wed)

 毎日々々の報道はわが国の政治上歴史ある自民党がただ今「虫の息」の状態にあるという。資金源を唯一の座右銘に君臨し、国民軽視の快翼を張り鉄の団結を誇ってきた自民党が不様な形相で選挙戦に望む。

 本家が崩壊寸前ならば、常勝自民党の傘の下で地方自治をわがもの顔で操ってきた地方の支部に何ほどの力が存在していようぞ。町の行政に横車を入れ、議会すらわがもの顔で運営できるものだと錯覚している町のダニと称する古参議員が支部の中心人物であるならば市民は勇気を持って当該議員らを当選させてはならない。
報復が恐ろしいために市民運動の旗手が出なくとも市民運動は可能なはずである。投票時に問題のある議員を避け議会から追い出すことであろう。これが国民に与えられた民主々義の原点であるからだ。

  係争中だからコメントを控えるべきだが、原告に下された労働審判は ①復職の地位は元通り総支配人であること ②未払いの給料を支払うこと ③退職年令は65才であることが労働審判の判決であるから、法をコケにし勝手に「定年制」を強いるのは法を軽んじる暴挙だといえる。
  会社のそうした処置は法に戦いを挑む副市長の指図であろうからハイジアパークの存在意義が疑われるものであるが、副市長側はいじめの手を緩めず「誉棄損で闘い500万円を払わせてみせる」と豪語してはばからない言動をみると南陽市民の行政を牛耳っているという哀れな権威主義の持ち主であろう。
  先の選挙で現在の市長を当選させたことで一介の市職員から行政ナンバー2までにのし上がってきたことの悲しむべき足掻きというものであろう。
  南陽市長に行政能力が欠けていたのであろうか。副市長に彼を選んだには市民の反対もあったらしい。市職員の頃の勤務状態に問題が多く市に大きなリスクを与えていたこ人物だと市民に噂されている豪腕職員であったようだ。

  南陽市長は民主党議員の応援を受け、鉄壁の構えの現職を破って当選したものだ。がなぜか自民党寄りの人間を副社長に抜擢した。
  これには市民が「まさか?」といって驚愕したのが事実のようだ。したがって支持政党の異なる二人の市政運営だがら常に市民にとって穏便な市政だけとはいえないらしい。
  南陽市も永田町における自民党のたじろぎをみて両者の市政にかける人物像が危ぶまれているのだ。 副市長がハイジアパークの労働問題に仕事がら口出しすることは理解できるとしても彼のすべき役目は「両者を円満に和解させる」努力が肝心な仕事であったはずだ。「徹底的な参戦」を表明したからには法治国家に生きる人物とはいえないものだ。

  そんな人物に市政を委ねている南陽市民こそいいツラの皮だといえるだろう。とかく「町のダニ」と市民におぞまれてきた最古参議員は来期は引退することが決まって市民を安堵させている町だが「野郎の引退で議会を牛耳るのはオレの番だ」と一人息まいているのが落選議員の中にいる。
  市民にとっては再び暗黒の議会がまっているから、市民の英知が望まれるゆえんがそこにある。極論すれば時代の強者の褌をかつぎ、弱い市民たちの上に立って、上から号令する小者に市民は餌食にされながら甘んじている暮らしを続けている時ではあるまい。 不思議なことに肝心の南陽市長の顔が見えないのはなぜだ。つまるところ責任の大半は南陽市長にあるはずだが。