山形県政に忍び寄る改革のうねり

2009/01/30 (Fri)
開票真近の時間になって「吉村米沢事務所」の運動スタッフから電話が入った。「投票の雰囲気や内容はどうだったろうか?」吉村候補の運動に心血を注いで頑張りつづけていた知人からの電話である。余程第三者の選挙展望を聞いてみたかったのであろう。ちょうど二次試験が済んで合格発表をまつ受験者の心境とおなじ心根なのだろう。
小生にも不安の入れ交じった合格発表を待ちつづけた経験もあり、市長選挙で僅差におののくスタッフたちに檄を飛ばしながら18票の差で勝利した雪の晩を知っている。だから、通勤員たちの自信と「もしや?」との不安が交差する拠り所のない運動員だけがもつ感受性だけは小生にも理解できるものだった。
「吉村候補が勝ったよ。ご苦労さん」そう答えて電話を切った。有権者の改革に対する「うねり」が感じられていたからだ。無論、あくまでも小生ら物書きがもつ特有のカンというものだろうが、小生の言葉にはひどく自信があった。
「米沢はどうでしょうか?」地区を担当した運動員としては最も気になるところであろうが即座に答えた。「米沢はおろか置賜地方の市町は全敗だろう。考えようだが置賜地方も稀にみる大勝だと結論すべきだろう」
開票結果に一喜一憂する事務所に迎えの車で出掛けてみた。票が先行する度に喝采が起きる。逆転となると会場は「まさか?」の不安に静まりかえる。同時に小生に視線が集まる。「大票田の山形が開き、さらなる逆転勝利となっておしまいだよ」えらそうに答えて隣の病院長が小生の顔を不安気にのぞき見る。テレビの速報は斎藤候補逆転のままで動かない。
やや時間を経て吉村候補に当確が出た。「なして?」と疑心暗鬼とが入り交じった気持ちで「万歳」と歓喜する事務所をあとに家路に着いた。途中で念のため吉村事務所をはさむ向かい側に陣取った「斎藤米沢事務所」の前を通ったが、人影も疎らで事務所を閉鎖する運動員の姿が3人、背中をまるめながら働いている姿が目についた。選挙に破れた事務所は、ひとり去り二入り去りして、残された事務所の静寂さにはいいしれないむなしさだけが漂うものである。
小生を自宅に送ってくれた運動員がいった。「問題は吉村知事をガードする識見のある人物がいるかどうかが問題ですね」「その通りだが、権力に媚いるのが世の常だから吉村知事が今から再選を願うような県政になるこどが心配だな。斎藤の轍を踏まないことだな」
人間というのは権力の座についたあと、よほど強靱な意識をもちつづけていなければ権力の崩落は目の前にある。歴史が繰り返し証明していることだ。破れた現職斎藤候補は敗因を「自民党に陰りが見えてきたこと」として現職時の反省を見せなかった。
陥し穴は権力に溺れてしまう人間の脆さにあることに無知であったことが敗北の最大の要因だと小生は見ている。斎藤候補自身が「空気の読めない」人物であったことは事実だ。置賜地方が全敗であったことは容易に理解できることである。
昔から「長いものに巻かれろ」とする群れの感覚とは別に「主君に弓を引かない」とする善政に培われてきた歴史上のDNAが脳裏の深層に生きずいているからであろう。したがって、改革などの争いを極端に嫌う気質があることだ。
置賜地方の首長は愚鈍な人物であってもボスらの活躍によって当選できる「愛」の文化が根強い地方なのだ。だが、今回の知事選には改革の地響きが力強く感じられたことは事実だ。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[15]

2009/01/22 (Thu)
本会は年末から本日までインターネットによる県民への発信をつづけてきた。【本会の設立趣旨】は
「よき市民の第一の義務は 必要なときに怒ることである。そして行為によって示すことである」をもって、行政の不正に苦言を呈し戦いを挑んできた。が、行政の壁は厚く、行政がもつ権力の強さは依然として増すばかりだ。
その最たる原因は市民が行政の不条理に対して怒ることを忘れているからにほかならない。
麻生政権になる自民党員は「弱き者が全て、背後の虎の威をかる狐族が群れ、権力者の傘の中で身の保全だけを考えている政治集団であるにすぎない」県政にも市政にもおなじことがいえるのであろう。
本会は[山形県知事選挙・鬼のかわら版]と題して、14回にわたりインターネットで県政と斎藤県知事を糾弾してきた。が、本会と斎藤知事との接点はない。
したがって、情報発信の全ては、元県職または県職員らによる投書による内部告発になるものである。
本会はそれらの投書・内部告発をさらに精査した上での自信の掲載である。
現職斎藤知事に返答を求め本日に至るも知事の黙殺は何を意味するものであるか?!
先日はオバマ米国大統領の就任式となった。米国民は改革を求めて米国歴史上、例のない「黒人大統領の誕生」である。
絶対白人主義の米国国民は黒人候補に一票を投じたのは何故か、これこそが改革の発露になる米国民主主義がもつ勇気なのである。
「投票は弾丸より強い」とは、リンカーンの言葉である。われわれの一票が「県政改革・県政の不条理」に対する「県政チェンジの一弾」となり、それが県民のだれもがもっているデモクラシーの原則であるからだ。
考えてみるがいい。自民党が解散を恐れているのは「国民の政治をチェンジしよう」と望む国民の「一票々々!」によって政権の交替が可能となり、権力の座を失うことだ。
今、国政は瀕死の状態にある。同意義で山形県政も斎藤現職知事による権力の乱用になる「知事の独断専行である山形県政」から「山形県政をチェンジ」する県民運動はまさしく正しい運動だと思われる。
残念ながら置賜地方に運動の浸透が足りないという。世の中の改革を地殻変動のごとく恐れる歴史的な保守思想の強い地盤である置賜地方であり、変革を好まない旧態依然とした人情の篤さは見事なものである。
が、「不条理な県政」を、「誰かが是正するであろう」との人頼みだけでは山形の県政は、いつまでたってもよくはならないはずだ。
せめて「山形の県政に問題があるならば、県民有権者の責務として、怒りの一弾を投票にこめて県政改革のために寄与しようではないか!」
「勇気こそ 地の塩なれや 梅真白」
平成 21年1月22日 「よねざわ・鬼の会」

山形県知事選挙・鬼のかわら版[14]

2009/01/20 (Tue)
投票日が迫り、本会が「県民に伝えたい県政の事実」をすべて伝えきる日時がなくってきた。「県政のチェンジ」を目指す候補の陣営は報道によると現職有利とされている。とくに置賜地区の票田は現職有利にあるという。
置賜地方は保守的な地盤で歴史的にお上に逆らわない風土で知られている。それだけ歴代領主による善政が敷かれてきたという風土が息づいているのであろう。
NHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続や藩主上杉鷹山公の遺徳に置賜人は政治に疑問をもたないキライがある。だから「県政のチェンジ」などの掛け声による変革を望まないばかりか町中のボスの言いなりなって投票所に出掛けるのである。
分裂は避けられない自民党総会が17日に開かれたが、麻生総理は「この不況を乗り越えられるのは自民党以外にはない!」と叫んでひとり空転していたが、火事場から逃げ出す自民党ネズミの数も増えているようだ。
自民党がらみの山形県政だが、もはや「死に体の自民党」に従属する県政では考えねばなるまい。
斎藤知事の県政は「独断的」である。県費1億円強を保証金として賃貸主に支払う理由は常識外も甚だしい。しかも18ケ月分の家賃を前払いしながら、改装の図面すら出来ておらず「改装どころかテナントさえも集まらない」現実から県民は知事の県費乱用と考えるべきでなかろうか。と、県会議員の中には知事の独断選考の態度に諌言するする勇気ある議員はいなかったのであるか?!
しかも風評によると、契約までの経過には「知事の愛人?」だと噂される銀座8丁目にある某クラブの美人ママの仲介だとすれば「県政の重大な失政」になる。
一般的に賃貸料が高く「銀座」という名称だけにこだわり実際には「銀座の場末で人通りが少なく」候補地だった新宿の「追分ビル」の100分の1だという裏通りである。「そんな場所をよしとしないからテナントが集まらないのが事実のようだ。
[山形県職員信用組合の私物化]
山形県信用組合は職員が金を出しあって、福利厚生事業の一環として組織したもので理事長は県総務部長が歴任していた。「子供の教育費・車の買い替えとか」の場合には庶務担当の職員に手続きをすれば、次の週には融資を受けられる。最終的には退職金によって返済するので不良債権の発生はない。職員には利便性の高い金融制度であった。
これが斎藤知事就任と同時に廃止、民間金融機関(山形銀行)ヘ移管することになった(山形銀行内での当該担当は遠藤利明衆議の兄にあたる人物)
知事は総務部長に信用組合の解散を命じ山形銀行に移管させられたものだ。権力をカサに知事の独断であったと理解するのが常道であろう。ところが、比較的気楽に融資を受けられたのが、民間金融機関に移管されてからは、山形銀行に出掛けて頭を下げ、おまけに山形銀行からは「保証人の請求」がなされる始末。山形銀行に移管された預金は130億円・貸出金40億円だった。
兎も角、知事の地位を利用して「わけのわからないことを平気でやる人間」であることが分かろうとするものだ。山形銀行から何らかの恩恵を受けていたのであろうか。疑惑は消えるものではない。
知事に対する県民の疑惑はつづくものの投票日に間に合わないことから、以下に列記することにする。
■ 山形新幹線の庄内延伸の廃止。
前高橋知事までは山形新幹線の庄内延伸する計画となっていた。庄内地方の産業振興のため、とくに高齢者などの新庄駅乗り換えを考えると、県政の平等化には不可欠なものであった。
■ 県職員の使い方に疑義あり。
斎藤知事になってから職員から精気が失われ活気がみられないと噂が流れている。まず、知事自らが公約違反をして給与20%カットを実行していないのに、職員の給与を20%カットするとしている。
仕事の面では思いつきで職員に指示を出し、むやみに叱責して、そのために自殺に追い込まれた職員が2名いるとは悲しいことだ。
■ 県内企業育成の欠如。
公共事業は「社会各層への富の配分」といわれてきた。安く発注することは歳出の軽減につながり、県が稼いだかのような錯覚に陥りがちだが、建設業や商店に勤務している人たちも県民であること。
本県の場合、建設業の雇用人口は、一時全雇用人口の15~20%であることから、不当に安い価格で発注することは止めるべきだ。それは県民の一部見殺しにすることで知事のやるべきことではあるまい。
山形仙台間の交通の便がよくなり、仙台に行く買い物客が増加した。これに関して「仙台に買物に出掛けてしまうなら、品物は仙台におけばいい」と馬鹿げた感覚の持主である。山形は「雛街道」「そば街道」に宮城ナンバーの車で溢れるようになればしめたものだ。と宣う斉藤知事である。
■ 副知事2人制の無駄使い。
副知事に仕事がないという理由で元副知事が退職をし新潟県の自動車関連の仕事についていると聞く。
副知事に任せられる仕事がないのであれば副知事の2人制は無用の長物である。知事の女性好みであってもそれは廃止すべきことである。
■ 職員の裏金調査県予算の歳出歳入については、監査委員の監査を受け、県議会の承認を得て正しいものと認定された関係書類は5年間の保存期間後廃棄される。
ところが斎藤知事は、高橋・板垣前知事を悪人扱いし、いかにも自分をクリーンな印象を与える目的で「県民に対する説明責任を果たす」との美名のもとに、20年も遡って公金の管理情況を調査したのだ。その結果、372万余円の不適当管理の実態が分かったものの、この調査に要した期間が8ケ月、職員の給料分は1億円を超えていたのだ。
県民はこのような無駄な仕事をさせるために「税金」を払っていないはずだ。
■県有財産の不当に廉価処分した数々。
旧国民宿舎西蔵王山荘の処分旧国民宿舎西蔵王山荘は、宿泊施設としての利用を廃止(平成16年)してから、年間130万余円で管理委託をしていたのだが、齋藤知事になってから、この委託料削減のため放置されていた。ために建物の存在が高地にあることから、凍結による水道管の破裂などで鉄筋コンクリート4階建ての物件は使用不可能となって、建物と約3000坪の土地を約680万円で売却された。
■ 西蔵王水源地周辺土地の処分。西蔵王高原ラインの東側には、人口湖の羽竜湖や水芭蕉の群生地があるほか、白樺林がつづき、牧場や大山桜がみられる魅力的な自然の宝庫ともいうべき地区であり開発によっては、長野・軽井沢地区をしのぐ観光資源の誕生が見込まれものであった。
この西蔵王地区の開発のために、新たな施設を作るよりも、水源の確保が最重要課題として平成8年に土地3ヘクタールを約5800万円で購入したものだ。斎藤知事は知事就任後、本県の自然の素晴らしさに触れ「この恵まれた自然環境を観光資源として活用すべきだ」と公言しながら、実態はこの土地を将来構想を十分に検討もせずに二束三文の廉価で処分してしまったのだ。
山形県総合運動公園の指定管理者の指定の疑惑などなど。ほかにも斎藤知事に対する疑惑は多いが、県民に広く知ってもらうためには、投票までの時間がないのだ。「チェンジ山形」を取り戻すためには、県政は謙虚に耳を貸せるトップでなければならない。
斎藤知事にいえることは日本銀行入行というはなばなしい経歴をもちながら、地方銀行に入行せざるをえなかった理由には県民は疑惑を感じているのだ。
日本銀行からお払い箱のご仁であり、拾われたはずの山銀を後足で砂をかけるようにして、1年そこそこで知事に立候補した人物である。知事が4年間に為した功罪は罪の方がはるかに多いことを結論する。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[13]

2009/01/19 (Mon)
県政最大の無駄使い「アンテナショップに疑惑の県費支出」数ある県政疑惑の中で、県民が知らない最たる疑惑は「アンテナショップ」にまつわる不動産疑惑であろう。
手元に内部告発による「賃貸予約契約書・賃貸契約書」のコピーがある。それを見るかぎり以下のように数々の疑惑が噴出してくるのだが。
アンテナショップとは、県の特産物を広くPRし、販売につなげていこうとする「県の特産物を展示・発売する店舗」だと考えていい。
従来、虎の門にあるショップを、斎藤知事は都会の中央銀座に移そうとして平成19年に賃貸契約をした。が、この契約内容をじっくりと県民に見てほしいものだ。
■契約書内容
使用目的:山形県アンテナショップ開設場
場 所:東京都中央区銀座1丁目5番10号
契 約:平成20年4月1日より 平成23年3月31日まで
賃 料:6,196,575円 (月額)
管理費 :394,328円 (月額)
保証金 :106,227,000円
看板料 :21,000円(月額)
更新料 :新賃料の1ケ月分相当額
解約料 :解約時賃料の6ケ月相当額
賃貸人(甲)千代田区・大東企業 北野訓一
賃借人(乙)山形県 ・知事 斎藤 弘
使用面積:地上1階 47.5坪
地上2階 59.8坪合
合計107.3坪
■問題点
□立地条件は適切であるか?
県東京事務所では在京の不動産屋によって候補物件を「10数箇所案内」してもらっているが候補地には、
・渋谷・西部百貨店筵東京電力の間にある「某ビル」
・新宿・新宿伊勢丹向かいで丸井百貨店隣の「追分ビル」
等があり、特に丸井ビルの賃料は銀座に比べ月額230万円も安い物件で、銀座の当該ビルに比べ交通量は100倍も多い。
銀座とはいえ銀座1丁目といえば銀座の裏通り街である。
銀座であらねばならない理由とは何であったのか。
□ビルに支払った県費は適切であるか?
敷金はすでに1億6百22万7千円が県費から2回に分けて支払っている。なんと月当たり賃借料の18ケ月分なのだ。
敷金とは、賃貸借契約において賃借人の賃貸料支払い債務を担保する目的で契約期間中、賃借人に預けておくもので、通常その額は賃借料の二ケ月から六ケ月分というのが通常で稀には12ケ月分というのもあるが18ケ月分もの敷金とはまったく異常の行為である。
特に国や県など公共団体を賃借人とする場合は、その信用の度合いからみて敷金をとらないのが通常であるのに、何故18ケ月分もの敷金を納付しなければならなかったのか?
県政最大の謎とされている部分だ。
敷金には利息がつかないことから、斎藤知事は家主に対して賃貸契約が存続している間、1億円余りの金(県費)を融資したことになるが、このようなことをしなければなろない特別の事情があったのではないかと疑念が生じてくるものだ。
□敷金を払いながらオープンしないのは何故だ?
平成19年度中に敷金を支払い、建物使用開始は、平成20年4月からとなっているが、現在まで1年以上も経過しているのに「内部改造の設計」も出来ていない状況でアンテナショップの開業は本年春となっている。
その間、開業しないまま、賃借料の1年分を無駄に支払ったことになるこれが県政というものであるか。数多い自民党県議らはこの無駄使いの実態を追求しなかったのは何故だ?
[銀座にアンテナショップを決定した知事の裏ばなしとは?]
疑惑の銀座は新橋寄りの銀座8丁目で、クラブが多い社交場である。ボックスに座るとひとり4万円、レミーマルタンを1本入れると10万くらいだと、岩手水沢出身だというホステスが教えてくれた。
庶民感覚からほど遠い社交の世界であるが、皇室に献上する「さくらんぼ」の箱をケチッて、県費の削減をしたと自慢する知事の行為を県民は必ずしも喜んでいないことを知事は悟るべきである。
県内に流れている「知事の女性問題」の場所が銀座8丁目にあるクラブの美人ママだということになっている。
男女のことは、プライバシィの問題だからといっても、県政のトップにある立場の人物に、公金の支出が県民の疑惑の目に曝されるようでは、もはやトップの器としての資格が失われたといっても過言ではないであろう。
厄介なことに支出は自民党ら県議の議決によって議会を通っているのであろうから、法的には斎藤知事に直接責任が及ぶことにはなるまいが、県民感情として怒りを隠すべきではないであろう。
持たせてはならない人物に「知事という絶大な権力」を持たせた結果として、むしろ 県民の反省材料とすべきであろう。
鉄槌を振るう機会は投票という手段があるが、県民の有権者には「一期だけじゃ可愛そうだから」とする同情論がみられるが、候補者は一期で出来なかったことを再度マニフェトに甘言や嘘を掲げ、有権者を騙す手口にまどわされてきた。
まさかこの時期に悪代官がいるとは思いもしなかったであろうが、悪代官はいつの世にもいるものである。
それには投票をもって根絶することが県民の知恵というものであろう。「謹厳実直」そうに映る斎藤知事の県政支配から、山形県政を脱皮させることが県民の知恵であり、県政の刷新につながることである。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[12]

2009/01/18 (Sun)
新聞の報道によると今回の県知事選挙の陣構えは、県会議員の大方が現職斎藤候補支持のようである。数からすると県政を支えてきた県会議員の大半(31名)と庄内地方に絶大な支持者がいる加藤紘一衆院議員がついているだけに、現職斎藤氏の圧勝を疑う余地はないはずだ。
しかし投票日も間近に迫ってきた今般、県民の目の届かない県政の実際を広く県民に知らせる必要があるとして勇気をもって述べることにした。
まず、大多数の県議が推す現職斉藤現知事の県政とはいかがなものであったろうか?
とかく権力には奢りがつきものであり、知事の権力に擦り寄ってくる大手業者も多い。したがって「もはや死に体の自民党」に未だに従属し身の保全だけを考えている県議たちに「県民の県民による県民の県政」を真から守りぬくイデオロギーがあっての県会議員であっただろうか。もし、そうだと断言するのであれば、以下本会が伝える一文について「嘘だッ!まやかしだッ!」と反論してほしいものだ。
「現職知事に問う」 公約違反[知事給与に関する疑義]
立候補時に出す「マニフェスト」とは「候補者と有権者との間に交わされる約束事」で有権者の投票行動に大きな影響を及ぼすものであり、当選後は正しい約束事として守ってもらいたいと思うのが通常であろう。
さて、斎藤氏が平成17年1月の知事選挙に立候補された時のマニフェストには「県政改革を実行し、その節約分を景気浮揚・雇用促進に」という項目の中で「県政改革の始めとして、知事の給与を20%削減する」と約束している。
が、実際には20%のカットは行われず、知事は「562万3125円」也を不当に給与として受けていたのだ。
知事の給与を不服として元県職員が「監査請求」をし、当時の斎藤知事を被告として山形地方裁判所に「公約違反で不当に得ている給与分を山形県に返還することを求め」平成20年4月に提訴されている。
判決の結果は「公約は法的拘束力を有するものではない」として敗訴した。
しかし、候補者が掲げるマニフェストは法的な拘束力はないので「守らなくてもよい」と考えた斎藤知事の考えとは如何なものであろうか。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[11]

2009/01/17 (Sat)
「現職知事に問う」皇室献上「さくらんぼ事件」全都道府県では、それぞれ県の特産物を毎年、宮内庁を通して皇室に献上しており、山形県の献上品は「さくらんぼ」となっている。
山辺の篤志家が丹精こめて育成した「さくらんぼ」を桐箱に収めて皇室に献上してきた。が、斎藤県政になった途端に、経費削減ということから「さくらんぼ」を農協に出荷された一般品の中から選びだし、数量を減らすばかりか桐箱から段ボール箱につめて献上品としている。
その結果を記者団に向かって献上品の経費が25万6千円節約できたと発表しているのだ。
桐箱であろうと段ボールの箱詰めと「さくらんぼ」に違いはないという知事判断であろうが、皇室に献上することによって「山形のさくらんぼ」の名声が高まったのであろう。この宣伝効果を換算すればどれほどのものであったろうか?
わが国は贈り物をする場合、特別包装紙や熨斗に気を使う国民性がある。贈り届けられた相手方の格式を重んじるからである。まして皇室献上品とあれば最高の気配りが必要となろう。
結果は「山形県が財政上苦しいのであれば、来年から山形県のさくらんぼは献上して頂かなくて結構です。他の県から頂きます」という宮内庁からの声であったというが事実であるかどうか。
折角の特産物と全国から認知されているものとあるならば、扱いを粗雑にするというのはいかがなものであるか。知事の県特産物を扱う態度であるとすれば問題というべきであろう。
わが県は農業・畜産を核とした農業県であらねばならないはずだ。にもかわらず知名度の高い「米沢牛」を「山形牛」のネーミングのもとに統一しようとする行為そのものがオロカな行為だと断じたい。
百年に一度の不況は「百年に一度の飢餓」をも想定されるものだ。県特産物にたいする温かい目を知事自らが知るべきであろうことを指摘するものである。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[10]

2009/01/16 (Fri)
相もかわらぬ自民党の混迷ぶりである。とうに「死に体」といわれている自民党に反旗を翻したのは渡辺善美議員ひとりだった。永年わが国の政権をになってきた政党であるだけに「安泰な自民党に籍をおくのが身の保全になる」とした「ナンニモナラナイ」弱ったれ議員が数の論理で群れているように見えてしょうがない。
山形県の期待を一身に集めていた加藤紘一議員も再度の「加藤の乱」がホシャリ過去の老人議員とされている。 自民党はもはやボヤの段階ではない「火事場から逃げるネズミ」の数はどれほどのものになるのであろうか。落語ことばじゃないが「愚者の知恵と猫のキンタマはあとからでる」という。
議場では一介の陣笠議員でも選挙区に帰れば「いまにも総理候補なみの大言壮語」で選挙民を騙し身の保全を図っている先生方も多い。まさに党の餌にシッポを振る野良犬集団を彷彿とさせる。
野良犬もそうだが、人様においても「弱者は身の保全のために権力者にシッポをふって群れたがる習性が大いにある」ものだ。
自民党を単独で離党した渡辺議員の勇気は讃えられるとしても権威を失った議員から離れていく火事場のネズミもいることだろう。渡辺議員にそれが耐えられるのであろうか。男の見所だと思っている。
権威・権力に群れたがるのは人間の習性であるが、県知事選での議員配分をみると、ナント死に体の自民党議員の多いことよ。これだけの議員数がいれば選挙するまでもなく現職知事の圧倒的な勝利であるはずだ。果たしてそうであろうか?
常ながら両陣営から怪文書がらみの投書が本会の事務所に入ってくる。が、多くは候補者のスキャンダルとか、相手候補に対する誹謗中傷が多い。
ところがこの度本会に届いたのは「元県職にあった人物」からの内部極秘文書のコピーがゴッソリ入った投書であった。
中身をみて驚いた。確かに風評にはあったが、いかに現職知事とはいえ権力を行使して「そこまでやるのかッ!」と読んでいるうちに一県民として怒りで手の震えがとまらなかった。
県民の知らないところで「謹厳実直そうな現職知事」がなした県費の無駄使いの実態を、本日を一回目として連日開示しようと決意した。
公用車の廃止は多くの賛同はえられるものの、知事個人の車がベンツであることなど個人と公用の区別はあっても県民の顔を逆撫でするとは思えないのか。万事ドライな現職知事であるから県民の指摘など「屁のカッパ」なのだろうが、周囲の噂が広がり、選挙が終了するまでの間、ヤマザワの車庫に隠しているのだという。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[9]

2009/01/13 (Tue)
雪の中を両陣営の選車が終日米沢市内を駆け回っている。なるほど、午前中から近藤洋介の新年会があるからだと聞く。会場に募った後援者が千名を越えたというから、数は遠藤武彦大臣辞任後に集合した後援者の集いに匹敵する。近藤洋介氏の新年会はじまって以来の盛況さであったようだ。有権者の判断が政権交替を肌で感じた証拠でもあろうか。
常に加藤紘一議員よろしく自民党と民主党のはざまにあって、天秤をかけていた近藤氏はめずらしく吉村美栄子候補の支持を鮮明にしたのには驚いた。
事情通から仔細を聞くと山形市の情報から「4分6の戦いで吉村美栄子候補が強い」ということが近藤洋介氏の耳に届いたから、慌てて民主党の立場から吉村美栄子候補支持を明らかにしたものらしい。
近藤洋介氏も自己保全の我儘から業者同様、2党候補に保険を掛け両陣営の票数を試算していたのであろう。が、それでは政治家たるものの信念に乏しい。
かつて小生は洋介氏のご尊父近藤鉄雄氏に「自己保全する知恵にたけていたとしても、信念に乏しい人だ」と直接憎まれ口を言ったことがある。そしてその選挙に落選し政界を去り息子を後釜にした経緯がある。洋介氏はいわば2世議員であり2度とも比例区議員にすぎない。
しかも自民党に遠藤武彦議員がおり、自民党からの立候補では議員の道ははるかに遠い。議員になるには民主党からの立候補という保身術であっただろう。それにしても腹の座らない政治家だと考えてきた。
吉村美栄子陣営からの苦情と思われる手紙が本会に届いたわけは「近藤洋介の態度がアイマイで陣営の気迫が盛り上がらない」という意味のことが記してあった。
そこで私心だが「政治家に欠けてならないのは信念だ」と考える。近藤親子に信念があれば親子の間で、別々に二党に属するという「ねじれ現象」はどうしたことか?自民党崩落という先をよんだ「先見の目」が近藤親子にはあったというのであるか。
新聞報道によると「麻生内閣の支持率」が下落して20%となり、不支持率が72%に。政党支持率が29.3。
これはまさしく自民党崩落を意味するものであり、政権交替を示唆する何ものでもない統計だと思わざるを得ないであろう。
そこで近藤洋介議員は晴れて民主党比例議員からでなく選挙で選ばれた議員となることは必至だ。が、それだけに民主党県連会長として腹を据えた知事選のリーダー色を鮮明にすべきだろう。
「政治の世界は一寸先は闇」だといわれている。「義や節操のない」政治家は闇の中でうろたえていようが、節操のある政治家は「闇を忍従の時期」とし「義と節操に殉じてなお出口を求め」続けるものであろう。
真田一家の捻れ方策によって家名を保ちえた歴史上の事実はあるにしてもそれは時代の流れの中で、幸村のとった義を武士として高く評価するにいたったものであろう。
現在のような政治的情況を「百年に一度」というのであろう。さて、山形県の立場は永年、自民党政権下におかれた県政であったから、権力を保持しようとする人たちは自民党政権下にある県政にこぞって集結したものであろう。
今回の知事選は「天下分け目の関ヶ原の戦い」だと小生は見ている。はたして、県民の選択はどうであろうか?
■ 崩落寸前といわれている自民党政権下に県政を委ねるべきか?
■少なくとも大政界編成の核になる民主党政権下に県政をおくか?
2つに1つの選択が迫られている山形県の有権者たちである。 選択は有権者一人々々の自由であることに異論はないが、百年に一度の国政チェンジのチャンスである。選択のチャンスに一票を無駄にしたくないものである。
人は「現職にはハッキリとした政策」はあるが吉村美栄子陣営からは「政策論」が聞こえてこないという不満があるようだ。が、小生の私感から「県政に政策を持ち出す前に大切なことは、人の意見に耳を傾ける謙虚さが必要不可欠な態度であろう」と思うのだが。
多くの政治家は政策論には闊達だが、過大な権力をいったん手にすると途端に己れを過大評価して人の意見に耳を傾ける謙虚さを失ってしまうものである。
県政とはいえ、過去には学歴詐称の県議が県会議長になった例がある。
実は議会議員のだれもが知っている学歴詐称だが、山形新聞発行の山形県政誌面には卒業大学が明記されていた。 小生はその精査した結果、某定時制高校卒業と本紙に発表するに至ったが、当時の知事をはじめ山形新聞社は問題ないとして処置はとらなかった。
山形新聞社は永年にわたり県民を騙しつづけていたことは事実だ。
県民をはじめ市町村民の知らないところで、行政や有力者の手によって不遇な処置に泣いている人たちがいるものだ。
本会は、隠されている事実を広くインターネットで知らせることによりにより、読者にその判断を委ねるものである。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[8]

2009/01/12 (Mon)
通常有権者が与えられた投票権を行使するにあたって、候補者個人に直接会って投票することは少ない。したがって、候補者を取り巻く応援者か身近にいる熱烈な支持者たちの人望などから候補者の資質を決め投票所に走るのが普通であろう。そこで両陣営の候補者を選択するにあたって、候補者を取り巻くいわば地域の大物といわれる政治家たちを「マスコミの評価」から列記してみよう。
□ 遠藤武彦議員・就任8日間で農水大臣を辞任せざるをえなかった本人だ。辞任の理由は県農業共済組合の不祥事に連座した理由。本来ならば「議員辞職こそが当然」だと思われるのだが。
□ 遠藤利明議員・中央政界での風評は「田舎の陣笠議員」。来期の選挙では民主党の鹿野道彦前議員の追討に苦戦の予想。鹿野道彦前議員は東北新幹線を実現した議員として知られている山形県の実力者。
□ 加藤紘一議員・今週の週間新潮では「政界再編の震源地かと、注目を集めるYKKK。そのY山崎拓・元副総裁とKの1人加藤紘一元幹事長が、自民党を飛び出し新党を結成するのでは」と、年末の報道は喧しかった。が、一方では、あの加藤の乱の二の舞になるとの声頻りで。だが、その数日後「衆議院選前、新党考えず」と産経新聞が報道。こうして「加藤の乱」同様、早くも今回の「加藤・山拓の乱」は不発の形を呈し始めたのだ。実際、両お膝元も冷めた反応は「加藤先生の新党への動きを支持する人と、長年自民党に仕えてきたのにと不満を抱く人と、一枚岩ではない。」地元県議談。
かつて「新潮社45」誌上で「加藤紘一研究」を執筆したジャーナリストの山村明義氏が談じる。
「加藤氏は弱腰で詰めが甘く、いろいろなチャンスを逃がしてきた宏池会のプリンスと言われながらその派閥すらまとめることができず“加藤の乱”も失敗。弱者を守るリベラルの旗頭を自任しながら、汚れ役を秘書に任せたように自身が強くなれない人間で地盤を受け継ぎ、苦労を経験していない2世議員の象徴とてもリーダーには向いていないのに、そのことに気づいていない。もう終わった費とす」。
又、男の品格”の著者、川北義則氏は「政治家として大事なことは、いかにブレないか。しかし“加藤の乱”がそうだったように、彼はフラフラする。 筋を通すという“男の背中”の魅力を全く感じさせない。男の基本がなってない」と喝破する。
加藤氏は山形県民が県初の総理と期待の星だったはずだ。が、中央の政界マスコミから、かくも手厳しい政治家であったことを山形県民は知っているのだろうか。一県民として肌寒い中央の評価である。
自民党崩落の時期に県知事選が始まった。県民は時世の流れを考えに投票したい。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[7]

2009/01/09 (Fri)
知事選告示日に発行された週間文春と新潮誌の2誌から、急雲告げる次期衆院総選挙の全国予想図が掲載されている。自民党麻生総裁の不人気から週間新潮は「急浮上した「総裁リコール」と題して、内閣支持率は16.7%(時事通信)と惨憺たる有様。「時期衆院選は戦えない!」として、党内から総裁リコールの声が上がっているという。
週間文春は「麻生自民解党」の見出しで「衆議院300選挙区完全予測」として、自民党の大凋落予想を報じている。
それによると現有自民党議席305席から153席を減らして「149席」と予想され、公明党に至っては13席減の「13議席」となる。
一方、上潮の民主党の議席を114議席から一挙に186増の「 280議席」獲得で民主党の政権になることは確実であると報じている。
次いでに九州ブロックのうち福岡11全区で、8区の麻生太郎だけが当選確実で大物議員がこぞって苦戦か落選と予想されている。
わが山形県の場合は当選確実が加藤紘一議員と近藤洋介議員の2人で、山形1区の遠藤利明議員は鹿野道彦の追い上げを受け落選ムードがただよっているとある。
あくまでも文春の予想ではあるが「日本全土が自民党からの政権チェンジをッ!」とする激しく潮流が渦巻いている現状から「ひとり山形県が時流に逆らい知事の選択をすましてよいわけではあるまい」
斎藤候補者は「日銀を辞して山銀からの立候補」であった。日銀というエリート銀行を退職し山銀という地方銀行に入行した事情は知るよしもないが、普通の感覚からすれば「下野か?」と、人の目には映るであろう。
内部告発から「斎藤知事は人の意見に耳を貸したがらない」という声が漏れてくる。「知恵のない人の意見を聞いている暇に、独善独歩でわが道をゆく」とする知事の決意に賛同しないでもないが、問題は知事に周辺の人たちを納得させられるような優れた知恵・発想が湧いていたのであろうか。
「賢者は聞き、愚者は語る」という格言もあることだ。為政者にとって県民の声なき声に耳を傾けることの大切さを知っていてほしいものだ。
わが国でも、十年に及ぶ自公連立内閣の倒壊で、小沢民主新政権が誕生しようとしている。小泉。安倍、福田、麻生と世襲議員総裁が四代連続で失政を累積した自民は、党内外の統治能力を喪失して、結党54年目に事実上の「解党」を迎える。次期政権を担当する民主政権に近いところで、山形県政が行なわれることが望ましいと考えるのが素直で常道というものであろう。
今になってなお、山形県政は敵味方の溝の中でメンツだけのしがない争いをしている場合ではないはずだ。党派を捨てた知事選挙であってほしいのが県民の願いであったはずだ。
いずれにせよ、選挙戦の火ぶたがきられた。ならば双方ともに、県政に対する「愛」の旗印のもと「県政の在り方」を県民に訴えつづけ、有権者の審判に身を委ねるさわやかさが待たれるものである。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[6]

2009/01/08 (Thu)
捻れに捻れた国会が開会された。国会中継は依然として官僚によって起草された綴り方による形式的な質疑応答が展開されている。これが彼らのいう百年に一度の不況時の国会であるか。緊張感が足りないどころか正月の疲れからであろうが居眠り議員の多いこと。
なかんずく雛壇に鎮座している答弁者側にも居眠りがいるという具合だ。これが百年に一度の不況対策国会であるかと呆れるばかりだ。
議員たちの本音は解散後の自己保全をどうするかに頭を悩ませているのに違いない。 ことほど左様に中央政界は政権の行方をめぐって疑心暗鬼・暗中模索の真っ只中にいる。
新聞報道によるとYKKも成立しない見込みだ。山形県が期待する加藤総理の夢は過去に見せた「加藤の乱」が原因となりポシャル寸前の構えだ。
このように捻れた中央政界の最中に、今日、山形県知事選の告示が行なわれた。立候補者は自民党に近い立場をとる現職斎藤弘氏と民主党を基盤に幅広い支持を受けて吉村美栄子氏だ。
吉村氏による女性立候補者は、本県はじまって以来のことだ。本県では参議院に女性議員を擁立しているから、その実績をかっての知事選への立候補であろうから政治を男性群から奪回しようとする意図には賛同する向きが多いようだ。
男社会の政治の裏面には比較的黒い噂が多いところが見られる。その点では女性が主導の県政では「人のことばに耳を傾ける」という特性が見られる。これは政治家として大事な一面である。男社会では権力に座すと、利権を求めて「金員が動く」。
いつの世にも己れの利益のために権力者に擦り寄ってくる悪徳商人はいるものだ。 「水戸黄門」がテレビ番組から消えないのは、国民が権力者の悪政が身にしみこんで、黄門様の白黒裁きに今もって喝采をおくり腹の虫を治めているのだ。
したがって、権力の座についた人物には「裏なく県民に等しく平等であること」「身辺がきれいであること」まして内部告発にあるように「女性関係」などの風評が取り沙汰されるようでは県民は困るのだ。
中央政界では現世を「徳川の末期現象」に例えて戊辰戦争なみの政変が起こりうるとして、早晩わが国にも自民党の瓦解によって、民主党を核とした政界再編がおこるであろうとする気運が高まっている。
次の政権が変わるという時期に、自民党主導の知事を選ぶか、政治の核となるであろう民主党の知事に投票するかは個人々々の自由に委ねるとしても、現職知事が時の政権保持者自民党に身を委ねたように、中央政治の変遷を見極める必要があるだろう。
特に地方自治に大切なことは「地域の風土に根ざした県政」であるから「日本人の田舎構想」のもと「日本の食料基地としての県政」を構築されることが望ましいことであろう。
知事に望ましいことは本陣を留守にして、チョロチョロ動かないことである。知事室に座して県政全体のバランスを見つめていることである。東京などへの出張は職員を配し、知事は県民の多くに接することである。そして、そこから「県民のための県政」が生まれ「開かれた県政」となるのであろう。

山形県知事選挙・鬼のかわら版[5]

2009/01/03 (Sat)
「百年に一度の大不況」という最中、閣僚たちは官邸で忘年会を開き、漢字の読めない麻生総理の日課は「帝国ホテル」のカウンターで、その日の仕事納めとなる。「賢者は聞き、愚者は語る」という格言がある。人間たちのおしゃべりを聞いて真に聞くべきことを選り分けるのには、大いなる知性を必要とするものである。
議員たちはよく語るが、相手の話を聞く耳がなく小学生のクラスルームに劣る。 厳寒の年の瀬にダンボールの数も足りなく、一枚のボール紙を地面に敷いて戸外で過ごす失業者たちがいる現実を踏まえれば、海外から押し寄せてくる外国人労働者の数の多さに忘年会を楽しむ政治家たちに矛盾はないのであるか?
「私は自分を客観的見ることができる。あなたとは違う」と最後っ屁を記者団に放って敵前逃亡した福田も卑怯な政治屋だが、総理の椅子に座りたかっただけの麻生総理は「漢字の読めない総理」という勲章に輝いた。
わが国の総理とはかくも恥辱にまみれた群像のやることであるか?
山形県が期待した加藤総理の出現は「加藤の乱」潰えたが、報道によると「加藤・山崎氏」による新党を視野に入れた勉強会を来春に発足させるという記事が大見出しで出ている。きたるべき政界再編成を見据えた勉強会となるであろうが再び「加藤の乱」でボシャルようでは県民の加藤離れを覚悟しなければなるまい。 女性問題で散々ゴシップが報道された山崎氏とチームを組むようでは勉強会も期待簿となってくる。
女性のゴシップといえば、斎藤知事の女性問題が取り沙汰されている。お相手は銀座のクラブ美人ママであるとかないとか。「その美人ママから選挙の応援と投票を頼まれた」とする風評も飛びかっているようだが、政治家は「女の問題」と「金銭問題」が特に命取りになるケースが多いから、選挙を前にして斎藤陣営は対策に頭の痛いところだろう。
「嘘には足がないが、スキャンダルは翼をもっている」という格言があるぐらいだから、県民にそのあたりをキチンと説明しておく必要があるだろう。
悪いことに斎藤知事の東京出帳回数が過去の知事に比較すると4倍程度、知事交際費が数倍消費されているという内部漏洩もあるようだ。
困ったことには、アンテナショップに借り受けたビルの場所が、銀座とはいえ日本橋近くのおよそ「銀座というイメージとはあまりにもかけ離れた場所」にあるという。また、巨額の県費を不動産屋に前渡ししながら、開店のための改装はおろかテナントさえも集まっていないのだと聞く。
問題はアンテナショップの場所決定が、銀座の美人ママとの繋がりからであるかどうかだが、肝心のテナントが集まらないようではアンテナショップの目的や意義が立たない。テナントが集まらないのは「設置場所が悪すぎる」からだというのであれば問題は明らかに県政にある。真相はどうであるか。精査した上で納得するブログを県民のために贈ることにしよう。

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