「確定給付金」は「米百俵」効果になり得るであろうか

2008/11/20 (Thu)
麻生総理が国内経済政策として国民に衆知・約束した「確定給付金」の本質を考えてみると、必ずしも国民全体が納得しているわけではないようだ。まず、自民党内部で火の手があがり、野党側・マスコミ論調はいまや「選挙前のバラマキ政策」ではないかの声が国民に浸透しつつある。ために麻生の支持率の下落が顕著になってきている。
総理になりたいばかりに4度目の挑戦にのぞんで総理の座に座ったものの自民党内部では「総理は小物」扱いされている節が見られる。戦後の宰相吉田茂直系の血統は立派なものだが、血統だけで能力を判断するのは危険な部分がある。
動物にも血統を重視する傾向が強いが、血統に似付かわしくない駄物が産出される危険性は繁殖者ならば十分熟知していることだ。
「総理は選挙に応じるわけがない」と老生は書いた。血統なるが故に総理の座を手中にしなければならない宿命のもとに政界を目指した男であろうから、総理の座に長期君臨をと望むはずである。
したがって現実には自民党が与党でありつづける保証はない。
姦しい世論の衆議院解散論にのって「解散」を実行したのでは総理の寿命はどうなるか知れたものではない。ならば己れだけがもつ解散権を懐刀として自民党の世論回復を待つだけが彼の孤独な信念であろう。
その一端が選挙前のバラマキといわれる確定給付金であろう。政策の進展についても自民党内部からは批判論が続出する始末。自民党ならずとも政界はまさに戦国時代を想起するがごとき百鬼夜行の態である。
総理が側人たちの書いた原稿の4文字を読み違えるという揚げ足をとる以前に、ルビをふらなかった側人たちの不用意を責めるべきで、次期政権を狙う戦国時代の永田町では国民の政治不信は募るばかりである。
視点を変える。戊辰戦争の敗北で困窮しつづける長岡藩に縁戚藩から見舞いとして「米百俵」が届けられた。
この「米百俵」をめぐる逸話は山本有三の戯曲で知られている。「米を分けろッ!」と、刀を畳に突き刺して詰め寄る長岡藩士に病床に伏しながら藩の大参事小林虎三郎は答える。
「おれは病人だ。起き上がるのは大儀だから、切りたかったら勝手に切ったらいいじゃないか。刀の前に返事は無用だ。そんなギラギラしたものに返答するいわれはない。百俵の米を分けてみたところで一日か当日で食い潰してしまうあとに何が残る。その日ぐらしでは長岡藩は立直らないぞ。おれは学校と演武場を立てようと思う。貴公らは目先のことばかり考えてこの先長岡藩はどうなるッ」小林虎三郎はいきり立つ藩士らを説き伏せ米百俵を基金に学校を立てるのだ。
金はまとまって資金となる。国民に平等とはいえ細分化した金を分配してみたところ何が残るというのだ。だが、総理が国民に約束したことだ。いまさら失政に気づいたとしても止めるわけにはいかぬ。それこそ与党の壊滅的解党となるであろう。小泉総理が「米百俵」を例にとって政治改革を説いたのはつい数年前のことである。

「力なき正義は無力」であるか!

2008/11/15 (Sat)
昼に電話が入ってきた。 福島市在住の知人から2ケ月ぶりの連絡だった。彼は再生資源物回収者の監督を長年やっている人物である。彼は慌てたようにして老生に訴えかけてくる。「中国のオリンピック終了後の不況に加えて世界的な経済恐慌が重なり、再生資源物回収業界は一大パニックに遭遇している。資源物を輸出しようにもあれだけ欲しがっていた古紙・鉄屑の中国側の相場は下落、同時に国内の製紙業界に足元を見据えられて相場が立たないのだという。
「業界は社員のリストラにつぐリストラとガソリンの高値に揺さ振られて回収車両を軽減しなければならないのだよ!」電話の向こうで業界の窮状を訴えつづけているのだ。
彼は言う「いくら資源物だとほざいても、相場の立たない資源物はただのゴミでしかない。古紙は雨ざらしすれば腐って使いものにならない。かといって倉敷料を払ってまで保管する資力もなければ相場が期待できるものでもない。業界はわずかな差益によって成り立ってきたものだから、今後は古紙・鉄屑の回収を中止する方針をとった」と彼は言いながら「町中が古紙鉄屑で溢れる出すことは容易に想像できる。
今までは再生資源物回収という名目で町中から不要物を回収しながら清掃してきたという自負がある。が、これからは背に腹は代えられないから回収業務を縮小し、回収業者に賃金を払うことを止める方針しかないのだ。
米沢市の場合、市民から出される古紙の排出量は毎日20トンは下らない。この量を考えると再生資源物回収業者の存在は侮れないものである。が、現実には日本全体の問題として本腰を入れて対処しなければならない行政の難問であるはずだ。
厄介なことに、買取業者による「古紙・鉄屑等の買取入札」が各行政が行なっていることは米沢市も同じだが、入札には各社競争原理から高値入札でもって「資源物の絶対量の確保」に走るきらいがあった。
要するに買取価格が販売価格を凌駕する価格体系が続けられてきたことに破綻が出てきたのだ。入札業者によるとその差損は月々250万円程度だが、相場の下落が予想される中でこれからも大幅なマイナス状態が懸念されるという。
12月に行なわれる米沢市の入札では業者たちは「入札の不参加・または行政に対して処理料の拠出要望、いわゆるマイナス買い入れ方式」になるのではないかの懸念も予想される。
地域の清掃は各自行政の責務であるから、行政の予算で回収業務およびその処分まで行なわなければならない。その時点で行政は買取業者の存在に改めて気づくのであるか。
現在まで、数億円の歳入を業者から行政側が受けていたはずである。それが一転して行政の処理歳出となりうる可能性が予想されている。この現実に際して行政側が示した態度に老生は行政のとるべき正義を見いだせないのだ。
非常事態に入札業者側が行政に申し入れたことは「入札辞退の是非・入札価格の見直し・買取価格の支払い方法(分割・支払い期限の延長)」であった。が、行政側の返答はいづれについても「ノー!」であり「入札価格と入札期間を厳守せよ」であった。
世界的恐慌は業者が生み出したものでなく、恐慌の渦に巻き込まれて苦慮する倒産を目前に控えて、入札業者が厳粛な入札制度を熟知しながらも行政に要望したことでありい老生ならずとも業界の窮乏に心寄せるのが常道であろうと思うのだが。 「約束である以上、守るのが責務である」もっとも行政側の言い分は正しい。だが、世の中には「守りたくとも守れない」ことがあるものだ。
公務員のストライキは禁止事項だが、行政の中でストライキは行なわれているのはなぜだ。しかもストライキなどの行為を事前に阻止すべき管理職たちが事前に阻止できない訳とはなにか?
回答は簡単だ。「賃金闘争」であれは、管理者たちは闘争を横目に行動を起こさないのは、自分たちの報酬もあがることを知っているからにほかならないからだ。
本会の提唱によって「古紙類の入札制度」が実現したものだが、それによって行政は多額の歳入を得てきた。ならば、業者の窮状に心寄せるへき時だと考える。が、行政側の返答は非情なものだった。
「約束を違えるようなことがあれば司法の判断に委ねる」とは非礼千万極まる行政側の返答に老生には、行政の正義を感じられなかった。
思い起こせば「私が法律だッ!」と、本会の会員にほざききまくって本会提出の「住民監査請求」を2度も却下した監査委員事務局長からの転身で環境生活部の部長になった金沢なる人物であるから行政の結論もむくなるかと察したものの市民感情として許せない職員だ。
彼らは行政という組織の中にあって「力なき正義は無力だ」と、せせら笑っている様子が手にとるように見えるが「正義なき力は暴力なり」という言葉のあることを忘れないでほしいものだ。

わが市の行政は生きた対応ができないのであるか?

2008/11/12 (Wed)
ありていに申せば今は資源回収業者だが、昔は「ゴミ屋」として蔑まれた業界のことである。その「資源物買取業者」が不況の強風をモロに受け倒産の危機にある。高橋市政の頃、町中から溢れ出る古紙や鉄類の回収は市が回収費用を支払い、回収した古紙や鉄屑の処分は市の定めた業者に無料で譲渡していたものだ。
ところが北関東通商なる日本一の規模をもつ業者が、米沢市行政の資源物に対する甘い処置に「資源物にも相場がある」として、いわゆる「ゴミ」の買取り業を展開した。北関東が市中に撒いたチラシによって「ゴミが金になる」ことを市民が知ることになる。そこで本会が中心となり「過去には指定業者に無償提供していた資源物を入札によって歳入を計るべき」だと進言、現在は業者による競争入札制度となった。
結果は米沢市の歳入は「億をゆうに越す単位の金額」が現在までに入金されているはずだ。が、米沢市の業者に対する対応は貧しき限りで、業者がかぶるリスクをよそ目に「難しい」の一点張りで未だに行政は応じようとしないのである。
古紙の場合、綴じ紐は「再生資源」であることから「紙紐で括るのが常識」であり、周辺他市町では、その点はガッシリと守られているから、そのまま再生資源物として買い取った業者は再度分別作業をすることなく相手メーカーに納入できることになっており文字通り「再生資源物」となっている。
ところが米沢市の場合に限り、括る紐はビニール紐や酷いのは針金類で括られて出しているから、そのままの荷姿では再生されない。
そこで資源物として出荷するには買取り業者による再分別が必要となってくる。その手間と費用がバカにならない。しかもそうしたリスクは買取り業者の負担となっている。しかも不要なビニール紐などは焼却するために新たなる費用の捻出が出てくる。
他市町は「再生資源物」として位置づけ市民と行政が一体となって取り組くんでいるせいか、見事に紙紐を使用した資源古紙が排出されているから業界の評価は高い。それに比べ米沢市行政の再生資源物に対する対応の貧しさは「恥さらし行政」と評価は最低なのだが。掛け声では「再生資源物の意義」を唱えているが、他市町なみの資源物扱いにも「紙紐を使うのは難しい」と宣うだけで是正する考えもないようだ。
だれもが予想だにしなかった経済恐慌である。加えて中国オリンピック終了が重なり「古紙・鉄屑類」の相場はゼロに等しく、上海に船で運んだとして中国側に買取る業者がいないのだ。いるとしても買い取る価格はゼロ値に近く相場が立たない。そこで日本の買取り業者は「無料か、もしくは逆ザヤ的な商法」しかないのだと言う。
そうなれば12月の入札には「無料か、入札拒否」の業界態度となるだろう。毎日50トン強の再生資源物ならぬ「ゴミと化して」市民を苦しめることになるだろう。 米沢市は入札業者の苦況にも「約束だから、入札価格を再考する考えはない」と、世界的な経済恐慌に対しても一向に理解を示す態度はないようだ。
支払いに苦慮する業界の窮状に理解を示さない行政にしっぺ返しがこないという保証はない。市内をゴミの山化しないためにも買取業者の経済的窮状を理解・解決方策に心を砕くのが行政というものではないのか。

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