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観光客とは恐ろしいものだ。

kage

2008/09/23 (Tue)

 日々、雑用に追われ半年ほど戯曲勉強会に出席できないでいたが、21日にようやく同人仲間と再開が叶った。

 老生たちの勉強部屋は築地三丁目のちょうど交差点のビル3階にある。道路をはさんで向かい側が築地の場外市場であり、近くには築地本願寺や朝日新聞社やガンセンターがあって、勝ちどき橋まで歩いて3分という場所にある。

 例によって同人誌22号掲載原稿をめぐる論議が済んだところで、地元の同人の計らいによって、朝のテレビドラマ「瞳」の舞台となっている佃島で「もんじゃやき」で乾杯しようということになり問題の商店街に渡って驚いた。

 商店街は「もんじゃやき」の店で埋めつくされているのだ。町には「もんじゃやき協同組合」があってどの店も満員という盛況さだった。老生らは「もんじゃやき」の老舗という店に案内され「もんじゃやき」なるものをはじめて食べてみた。

 エビスビールはおいしかったが肝心の「もんじゃやき」にはホトホト愛想が尽きた。正直な感想を述べれば「二度と食したい代物ではなかった」電波の力で観光客は呼び込めるだろうが、満足する客はいるのだろうか。
佃煮の佃名物地名に引かれて参加してみたが同じ名物とは比較にならない代物であったことを伝えておきたい。

 さて、大河ドラマ「天地人」がいよいよはじまる当地である。が、市のなみなみならぬ宣伝活動は評価できるが、肝心の米沢市内を朝夕襲う「動物臭気」には市民は根をあげている毎日なのである。
 クソ暑い日であってもサッシの窓を締め切ってクーラーに頼る臭気からの逃避が毎日のようにつづき、もはや限界に達しようとしている米沢市民である。
 栗子峠の西トンネルから出た途端に出くわす臭気、米沢駅頭に立った観光客が受ける最初の洗礼が臭気であれば、米沢市の印象の悪さはいかほどであろうか。
 それが評判になり全国に宣伝されることは必定であろう。山紫水明、緑したたる米沢市の印象は「動物臭気」で一瞬にしてパァーとなるに違いない。
 田舎であるから当然「田舎の香水」に出くわすのは仕方がないであろうが、田舎の香水だといって諦める程度の臭気ではない。度がすぎるのにも程度というものがある。

 「赤旗」が現地調査した結果を写真入りで報道しているが、養豚業者に法律の縛りはあっても、堆肥業者には法律の縛りがないので外部からの苦情には屁のカッパであるとか。
 養豚業も堆肥業も企業としては認めないわけには行かないが、一企業のために米沢全市が迷惑するのはいかがなものであろうか。政治とは法律を遵守することは勿論だが、縛りがないからと言って、野放しにしてよいということはないだろう。

そこに政治力と政治の知恵を発露させて当然。安部市長の政治能力を試す絶好の好機だろうと思うがどうだろうか。
 臭気はなにも安部市長再選からはじまったことではない。前任の高橋市長時代から問題視されていたことだ。が、どちらの市長もこの問題解決に取り組む姿勢はなかったようだ。
 たった二業者が解決しない臭気に全市民が迷惑している事実に対処しない市政の態度に腹が立って仕方がない。米沢市民だけの迷惑ではなく観光客に指摘されるような市政ではあまりにも知恵がなさすぎるのではあるまいか。

 政府の減反政策によって田んぼの荒れ耕地を見るにつけ、政治の貧困を嘆いてきたが、米余りだとする国産米に歯止めをかけながら、今になって問題の中国米を輸入していた政府である。
 農水省のくだらなさもさることながら、辞任した4人の農水相はいったい何をしていたのか?
 辞任すれば良いものではあるまい。まず男子の恥を知ることである。辞任とクビとは大きな開きがある。

 慚愧にたえないのは遠藤武彦元農水相のたった8日間だけの大臣就任であり、原因が政府の補助金不正授受であったことだ。農水省に魔物が住んでいるとしか言いようがない。
 これも米沢市民の大半が票を投じた結果であるから、米沢市民が如何に愚かであったかを天下に知らしめたことになる。遠藤武彦氏は今期で政治生命を閉じることになるが、地方ではまだまだボス的な権力思考を発揮するのであろう。たった8日間の大臣でも38万円也の大臣年金が議員年金にプラスされるのである。
やっぱり止められないわけが理解できるというものである。


地元の大臣・遠藤元農水相勇退?!

kage

2008/09/19 (Fri)

 地元選出遠藤武彦衆議院議員は健康上の理由から勇退することになった。間髪を入れず老生の事務所に電話がはいってきた。「勇退じゃない、敗退だよ」と電話の主が勝ち誇ったように捲し立てる。地元後援会の慌てる様子が目に見えるようだ。

 己れの健康維持もできない人物を衆議院におくったことが悔やまれるものだ。朝刊での記事では「糖尿病で食事療法をしなければならないこと、通風で足を引きずって歩くような状態であるから政治から引退することにした。とある。

 高慢なプライドをもった男が自分から議員勇退を発表した裏面には電話の主によると「農水相時代の破廉恥な行為でわずか8日間の短命大臣におわったことや、自民党候補として擁立できないこと。仮に出馬しても山形2区での惨敗は決まったようなものだ。自分から勇退を決意したのではなく、自民党幹部から引導を渡されたのだよ」
 仮に本人が勇退するというならそれでよい。しかしながら政治家なるもの「己れの健康管理もできないで何が政治家だ。病名は糖尿病に通風だと聞く。冗談じゃない。病名を聞くといずれも極端な賛沢病じゃねえか」

 遠藤家の食事は老生の知るかぎり上杉鷹山公の教えを忠実に守ってきたような粗末なものであった。先代は米沢市会議長などを歴任、農協の顔利きでもあり、畜産公社の理事長など名誉職をもっていたことで外の食事が多かったから、家庭での食事には頓着しなかったのであろう。あの食事内容から、神に願っても糖尿病に被患するような食事ではなかったように記憶しているのだが、糖尿病・通風と聞けば贅沢病の極致であろう。
 御尊父が公社理事長時代に計画した事業が「骨粉事業」であったから、狂牛病に関しては熟知の農水副大臣であっただろう。残念ながら彼の存在はそこまでだった。

 地元では他人名義のモーテルを売り飛ばし、また、自動車教習場も他人の所有するところとなっている。
 昔は地元の色街だったところにある自宅にも農協がらみの暗い噂が流れている。農協中央会に3億円で身売りした自宅だったが、わずか数年で買い戻したことになっている不思議。
 中央会を退職した元職員は「議員自宅のために苦労した」と意味ありげな言葉を残している。この事件を追ったジャーナリストがいう「中央会に取材にいくと、関係者は全員退職して詳細は知らない。関係書類は残っていない」と報道拒絶に撤しているのだと語る。が、彼の追求に突然弁護士が現われるという不可解な問題が今も残されているようだ。

 さて、老生の感覚では有能政治家というのは現役で終焉を向かえているようだ。病気を理由に職を中途で投げ出すとはいかがなものであろうか。国民の付託を受けて国政に参画したはずである。はじめは命を賭したはずである。なんと病気を理由に勇退とは情けない人物である。勇退ならぬ敗退というべきである。
なによりショックを受けたのは米沢市長安部三十郎ではあるまいかとは巷の噂だ。

 さて、自民党総裁選挙を勝ち抜くのは大方の予想では「麻生」といわれている。が、ここで面白い下世話ばなしがある。「麻生の総裁選は4度目になる。が、自民党総裁に当選しても、選挙で自民党不利が叫ばれていることから選挙後は必ずしも日本国の首相になれるわけではない。
 自民党政権であるから衆議院の解散はできるだろう。解散した後は選挙ということになる。自民党勝利の確約はないから、選挙後の首相の座はあやういものだ。そこで麻生は考えるのではあるまいかという話である。
 解散までの首相ならば、むしろ解散を避けて議員任期まで首相の座に座りつづけて自民党の任期復活を心懸ける方法もあるではないかとの声もある。
この稿を書いているうちからテレビ「太田農水大臣の辞任」を報道している。

今秋の衆院選はどうなる!?

kage

2008/09/15 (Mon)

 日曜午前に放映される番組「サンデープロジェクト」には、自民党総裁選に出馬を決定している5人の候補者が勢揃いして、各自の政策を披瀝していた。が、進行役の田原総一郎氏は歯に布を着せぬ人物だけに、彼の面前では候補者たちの見え透いた嘘の皮が剥がされる恐れもある。

 立候補を表明した5候補の政策を聞いていると、官僚たちがいかに埋蔵金をためこんでいるか。その埋蔵金を使って景気浮揚策をと語る麻生候補が本日の朝刊では自民党票の半数を獲得したとある。言葉尻を信用すれば日本の経済浮揚は実現することになる。

 さて、総裁選はともかく今秋の衆院選挙に自民党ははたして勝てるのであろうか。いつものことながら選挙前の各政党の「いいことづくめの政策」のバラ撒きには国民は裏切られてきた。だから候補者の舌戦には国民は飽き飽きしているのだ。
 自民党総裁候補5人の政策を聞くとお互いの政策の違いは多少有るが、肝心の自民党の政策骨子が明らかになってこないのだ。長期政権の座にすわりつづけた自民党の決定的な欠陥は党としては政策哲学に議論がなされていなかったことにある。
 その点では民主党には総裁擁立に対立候補がなかったことを評して、自民党幹部は皮肉まじりに「民主党には議論がない」というが、むしろ政権奪取を目指し、党一丸となって骨太の政策を掲げて一本化しているのはむしろ正当な考え方だと思いたい。これは独裁に当たらない。

 「官僚の無駄使い」や「老齢社会の到来」などは今にはじまったことじゃない。政治家ならずともわかりきっていたことである。「社保庁の不様さ」「農水省の懲りない汚点つづき」すべて働かない役人たちの結果不始末である。
 このような国家公務員をのさばらせている政府はいいようのない腰抜けである。議員定数削減を口にしたのは小池女性候補だけであり、働くことを知らない公務員一割削減で何兆円の税金が浮きることになることか、わかっていることをしなかった自民党に政権に期侍することは何もないのである。

 「なってはいけない総理」を選出して止まない自民党議員の体質の根源は己れの栄達と選挙に落ちないことだけに執着し「勝ち馬に乗り遅れないため」総裁候補者の推薦人にもなれないだらしない政党議員と成り下がっている様子が見え隠れするのだ。こんな議員がいくらいても日本丸の舵とりを任せることはできないのだ。
 麻生総裁候補が「官僚が溜め込んできた埋蔵金に手をつけ、日本国の景気浮揚対策に使用する」といっても官僚たちの抵抗に合うことは必至であろう。
 官僚主義を奪取るには、所轄大臣に人事権を任せることも一案だと思われる。折角、大臣になったとしても任期が短いことから、官僚らは大臣に威圧感をともなった緊張感が生まれることはない。社長命令が絶対である民間企業とは、いささか異なる環境が現実には各官庁にはあるようだ。

 権力の座につくことは男子の誉れであろうが、権力の裏づけとなるのは「金力」であろう。どこの世界でも「金」を握る者が強いのである。端的には家庭でもそうであろうし、各種任意団体においても同様であるように「金と帳簿」を握った者にあたら権力を握られ易いのが世の常というものであろう。


 さて、今秋の衆院選挙は「天下分け目の選挙」となる公算が強い。自民・民主の永田町合戦の「勝ち馬に乗る」ために虎視眈々とその動向を見つめているのが公明党だ。公明党が与党の立場にたって、さんざん旨味に興じたからには野党に成り下がる気持ちはさらさらないはずである。公明党の去就をみれば明らかに自民党の敗北が予想できるのではあるまいか。

 この選挙、明るく景気浮揚政策を第一義としている麻生自民党と「命を賭ける」と宣言した小沢民主党のどちらが勝つのであるか。かつて「平家にあらずして人にあらず」と豪語し栄華享楽に興じた平家は、伊豆の山奥で修業に励んだ源氏に破れた史実もあるぞ。どっちも油断は大敵であろう。


自民党総裁選挙に思うこと

kage

2008/09/11 (Thu)

 福田総裁辞任問題に引き続き、次総裁をめぐって自民党内部はシャカリキになっているようだが、老生は総裁選挙権をもたない国民の一人として問題を提起したい。

 福田辞任によってマスコミならぬ自民党議員の中には、福田辞任を評して「なってはならない福田を自民党総裁に担ぎあげたことが問題である」と、入ごとのようにコメントする議員がいる。
  そこで一言「してはいけないという福田を総裁に担ぎあげたのはテメェたちである。まず「総裁に担ぎあげたテメェたちの責任はどうなるのだ」と。

  5名の総裁立候補者による「総裁選挙」の動向を見つめていると、麻生候補が議員票を半数まとめあげたと今朝の報道である。したがって、投票の実施があるかどうかだという。
  たかだか県単位に平等に割り振られた一県3票の開票によって大逆転という場合もあるから総裁運は開票までは実施するだろうという声もある。

  彼らは国家政治のためとはいえ、彼らのとる行動をみる以上、国家より個人の当選と栄達を優先させているのがありありとみえる。20名議員の推薦さえもままにならないその原因はなにか?
 個々の立場でより栄達と地元選挙での当選だけを考えている議員たちであるからだ。だから、勝馬に乗ることだけを第一義に固守しているからだ。ここから議会制民主主義が崩れてくるのだ。

 自民党幹部議員は民主党小沢党首3選を評して「民主党には議論さえもなく、小沢党首を無競争で再選したが、自民党には意見をもった5人の候補者がいる。
  一人の意見に集約される民主党よりは5人の候補者で政策を論ずる党のほうが開かれた党だと思うんですがな」と、椰楡するように含み笑いで語った町村官房長官の見識の低さに慨嘆させられ、自民党幹部連中の腹の中を垣間みた思いがした。
  町村議員に反論するならば「政治に議論はつきもので結構。与党を永年つづけ日本の政治を担当してきた自民党が、短命な総裁を2名も出しながら、その責任をもとらずに新たな総裁選挙にシャカリキになっている無神経さに気がつかないでいる。しかも政策や議論が煮詰まっていない現実から5人もの候補者が出るので、政策の違いが暴露されるのはいかがなものであるか。

 国家を担当するに当たって基本であるべき日本丸の舵取る方向も定まっていない自民党では民主党を茶化している余裕はないのであろう。元自民党森総裁は、いまでは自民党総裁作りのフィクサー然として構えているが、自民党最低の総裁として再選を阻まれた人物であることを思いだした次第。


国家を背負う自民党総裁選であるか

kage

2008/09/06 (Sat)

 自民党総裁選挙に挑む自民党員の候補者の真意とは何か?
一年間に2度に重なる総裁辞任劇である。どう考えても自民党員には選挙以外にはさしたる国家の危機存亡意識が希薄ではあるまいか。
 民主党の小沢単独候補と違って、自民党は考えられないほどの乱立候補の形相である。これではマスコミの取材構成は当然ながら自民党候補の動向に集まる。

 民主党が危惧するのは自民党候補がつくるマスコミの集結によって話題が集結し民主党の存在感が有権者から失われてしまう懸念である。
  民主化された自民党から多数の候補者が総裁に立候補することはやぶさかでないが、乱立する候補者の数よりもマスコミの動きを独占しようとする作戦であるか、はたまたテレビの画像に顔を出して、己れの存在を有権者に知らせるための個人的な選挙願望なのであろうか。  いずれにしても立候補者の多難な国家戦略を聞きたいものである。

 かつて米沢市長選において、以前から立候補を表明していた野村氏は別として告示に立候補した2名の候補者に関するかぎり「市政担当能力に欠ける現市長よりは少なくとも私のほうが担当能力がある」とした立候補であったように思われるしその通りであったかも知れない。
  2名ともに議会の相当な経験者であったからだ。しかし、老生は考える。大臣にも副が設定されたように、大臣と副大臣には月とスッポンの違いがあるのだ。 昔、級長と副級長には歴然として差があったように、何事も長が優先するのであって、副は添物にしか評価されなかったものである。

 この度の選挙は本命とされる4回目の候補者がどのような戦術を労して他の各候補者との連携を結ぶのであるか。裏側では激しいバトルが展開されているのであろうが、それだけに有権者は総裁選挙に厳しい目線を送くらねばならない。
  中にはどう考えても当選できないと思われる候補者もいるがその最大の目的は解散後の総選挙に視点が集められているのであろう。

 自民党は盟友公明党との関係から、下手すると野に下る恐れもある。だからといって公明党が漁夫の利を求めているとは思えないが、与党を味わった党にとって野に下る気持ちは毛頭ないはずだ。
  民主党の選挙結果を踏まえて公明党は動くはずである。「右向けッ右!」の号令で右向く有権者は公明党だけであろう。
  宗教団体が国家の窮乏を救うとはどうしても考え憎いものだが、確実に時代を動かす力があることは確かなことだ。

 米沢市の市長選挙にも二度にわたって中央本部から役員を派遣して「安部市長の再選」を決めたことは事実だった。
  一宗教団体が政治に関与ることは望ましくないことは申すまでもないことだが、創価学会会員たちの一挙手一動が無作為に国家を動かすようなことがあれば、学会員たちのそれは盲従でしかない。

 自民党総裁・民主党総裁以後の日本は国家としての権威と体裁を世界に示すことができるのであろうか。
  滅びゆく日本でありたくないものであり、小さくは米沢市の未来に蓋をする市政だけは厳しく糾弾しなければならない。

自民党総裁辞任はだれもが予想していたことではなかったか。

kage

2008/09/03 (Wed)

 老生が楽しみにしている番組のひとつが「テレビたっくる」である。内容が佳境に入ってきた時に番組が中断され「すわッ、何事か」と緊張したところで福田総理の総理辞任会見だった。
「辞任会見は夜中にすべきものじゃないだろう」と福田総理に対する老生の欝憤が爆発してしまった。

 老生は福田総理の見下げるような「ふくみ笑い」に日頃から嫌悪感をいだきつづけていたことから、総理の器ではないと自民党面々の目線が国家的、国民的な目線に欠けていた諸侯らだと軽蔑していたが、とくに福田総理の鼻の下の長さには霹靂していたのが実感であった。
  彼が総理の器でないことは人相からしても読み取られたが、官房長官時代からの話術や態度からして国民の顰蹙をかっていたのではあるまいか。
  辞任会見での記者の質問に答えて「わたしは自分を客観的にみることが出来る。あんたとは違うッ!」と吐き出すような態度は総理の器でないことを決定的に示したものだと信じている。

 老生に政治向きのことはわからないが、大国の政治は悪の論理による豊穣な領土の拡張であり、国家の利益である。 昔から政治の根底にあるのは「国取り物語」である。
  安倍途中辞任にしても、こんどの福田辞任を見てわかるように、総理は国家的視野からではなく、あくまでも個人的な栄誉感を優先していたとしか思えない。政治とは国民が納得するかぎり「政治的力量」が交差する場であろう。
  安倍にも福田にしてもその政治力量がなかったということであろう。「敵は幾万ありとても」国家を存続するために必要なことには「命を賭して戦う」気概が不可欠な条件であったろう。
  坊っちゃん総理には、それが苦痛であり「なんで命をかけなきゃならないのだ」とする特有の被弱さが「他党や他人のせいにして」責任の重さに耐えきれなくて投げ出したのであろう。
  総理の責任も途中で投げ出すような両者ならば、総理だけの辞任にとどまることなく衆議院議員そのものを辞職すべきが筋というものである。総理の座は下りたが議員はつづけるとはいかなる道理であるか。駄目な者は駄目人間である。

 汚濁議員がまたしても議員でありつづけたいと願う心情の貧しさを有権者は見逃すではない。彼らが恥も外聞も捨てても欲しがるのは「歳費とただの人に成り下がりたくない」だけのことであり、そのためには有権者向けのトークを巧みに使いわけすることだけだ。
  このような卑怯人間が議員になって、どうして「国民・県民・市民のため」の目線を合わせて汗を流せるというのだ。

  中央政治の見本を見習ってか公約の「広域合併」から目をそらした首長が米沢にいる。
  面倒だからは他人のセリフ。首長は公約を実行するためには命を賭して実行するのが筋であり首長の力量というべきものだ。
  面倒で手間のかかることは他人に丸投げするのでは福田・安倍と同じことではないか。

 日本国民といわず、米沢市民が選んだ首長が期待する市長の責務を果たしているかを考えた上で次期市長には公約を死守する候補者選びをしたいものである。

他愛ない話だが「延滞金」談義

kage

2008/09/02 (Tue)

 老生のことだが気になっていた自動車税の納付書をしまい忘れてしまった。
義兄の突然の死と葬儀のことで上京していてすっかり納付を忘れていたのだ。

 さて、8月も末になって納付しようとしたが肝心の納付書が見つからない。
本日になって総合庁舎の税務課に電話を入れ「紛失した旨と延滞金」の実態を職員に確かめてみた。
  職員は「延滞金はついていません」という返事だった。そこで支払いに行ったが対応にでてきた職員が「延滞金は1000円と9月に入ったのでさらに100円の合計1100円がついています」ということだった。

 そこで老生は「職員に電話で聞いたのちに出掛けてきたのだ。職員によって延滞金が左右されるのであれば不愉快だ。支払いをせずに帰るよ」といって、応対に出た職員に言い放った。
  ところが職員は「さらに延滞金が加算されますよ」と勝ち誇ったようにいう。老生が一番嫌う態度である。
  「バカ野郎ッ!もう一度帰って延滞金を持ってこいというのかッ」と腹がたったから職員をどなりつけてやった。
  しばらくして「わたしが電話を受けた者です。誠にすみませんでした」と蚊の鳴くような声で恐縮していう。
  「お前たちは謝れば済むもんだと思っているかも知れないが一般社会では責任をとらされるものだ。延滞金はお前らで払えッ」と老生。
  すると側にある部屋に通される。上司とおぼしき職員が部屋に二人入ってきて言うには「毎日黒板に延滞金の金額を書くことにしているが、黒板が汚れていて職員が見落としたまま返事をしたので、申し訳ない」とガンクビを並べて頭を下げる。

 公務員のやることは「すべてお上の態度である。すぐに法律論を持ち出し自分たちのミスは詫びるだけにして、決して責任をとろうとはしない。それが気にくわないのだ」
 公務員の所業を見ていると善人顔しているが「県庁にもウラガネの存在があったではないか。権力に守られた連中は必ず悪いことをしている」と老生。
 「それは一部の人たちのことだ」と弁明する。
 「一滴の海水で海全体がわかる」ということばを理解することだ。「一人の不祥事で全体が分かるというものだ。相互権力に守られた公務員たちのなした保険庁のザマをみろッ、あれらは公務員のなした仕事だ。
  退職したといって口を噤んでいるだろうが、結論、公務員は与えられた仕事もしなかったという証左だ。
 大分の教員採用試験のデタラメはどうだ。山形県でもあるはずだ。どう考えても聖職たる教員とは考えられない教員がいるじゃねえか。否定することはできない事実だよ」

 多少、大口を叩いて支払って帰ってきたが、公務員たちの態度には正直腹が立っている。
権力に保護された連中のいうことは傲慢の一点に尽きる。
政府だろうが県知事だろうが庶民は一向に恐れる必要はないのだ。老生は同じ地球に暮らしている
人間同士だと考えている。恐れおののくこと事態にどんな意味があるというのだ。