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広域合併は安部三十郎米沢市長の第一の選挙公約であったはずだが。 

kage

2008/05/31 (Sat)

 多くは申し上げることではないだろう。が、選挙公約で有るかぎりは守らねばなるまい。この大事業に取り組むには「やり通す信念」と「スピード」が不可欠であろう。

  5月30日付け米沢新聞の記事を読んだ事務員が笑いながら老生に記事に指を差し「読んでみろ」と手渡し老生の反応を見つめていた。 会津の話を披瀝した直後であり「バカな市長はどこにもいるもんだ」と現下に切り捨てた会津の頑固老人のことばを思いだした。
  やはり「優柔不断な首長に百年の計は任すべきではないな」と選挙の結果をいまさらの如く嘆いた。

  新聞は岐阜県高山市から職員を招いての「広域合併問題の勉強会」の模様を報じていたが、高山市の場合は「合併特例法」を適用し「高山市への編入合併方式」をとった。
  編入合併とは高山市に力があったから可能なことで、合併の核となる米沢市には肝心な経済的な力量はないのだから「高山市の場合は参考にならない」のだ。
  置賜地区の場合は、合併にあたって三市五町の対等合併方式をとらざるをえないことはわかりきったことでなかったのか。

 合併特例法が締め切られた後での合併勉強会とは何事かと事務局長の後藤企画調整部長に電話して「時期を逸した勉強会とは税金の無駄使いではないか」と一喝した。が、後藤部長は「事務方のほうに各首長からソロソロ勉強会を開いたらどうだ」という声がかかっての勉強会を開いたものだという説明が返ってきた。

  「特例法が終わった時点で合併の費用はどうするのだ」の問いに「特例法は終わったが、新特例法が制定されたので、それに向かっての合併と勉強会」ということだ。

  新特例法の内容についてはすでに当HPで説明しているが「来年の年度末、21年3月31日が国へ提出する期限で、県は手続き上、今年7月が限度であるという。
 それにしても今頃になっての勉強会とはトロ過ぎるのではあるまいか。もう新特例法の期限にも間に合わず、万事お役所仕事とは斯様なものかと呆れてものもいえないのだ。

  鶴岡市・酒田市は合併特例法により合併前の地方交付税額は十年間減額されないが、新合併特例法では地方交付税特約は半分の5年間が保証され、その外に種々の合併に伴う経費の助成があるものだ。

 経済的に交付税や助成金に頼らなければ成立しない市政や町政の合併である。経済的に疲弊した市町同志の合併であるならば、5年より10年保証の交付税がほしいはずだった。
  新特例法を採用しない合併の勉強会なら、先ずやるのは「合併に要する費用の試算」と「合併による効果の試算」ではないか。

  経済観念の乏しい首長だけが「合併」を論じるから、あたら得策のチャンスを生かすことができなかったものだ。これが置賜地域の首長たちだと結論する。会津の頑固老人に言わせれば「バカな首長ども」ということになる。

  止まれ、無駄で参考にもならない高山方式を聞いて「置賜地域の合併で市の広さが日本一となり、工業出荷額が東北で第二位の市となる」などとバカ丸出しの言を吐いている場合ではないだろう。

  首長に必要なものは「先を読みとる感性」と「チャンスをものにするスピード感」であるが、どちらにも欠けた首長たちである。
  首長の本来なすべきことは選挙の票数による延命策ではない。住民や市町の繁栄福祉のためにどれだけ結果を出せたかが結果である。票数は後からついてくるものであろう。
  会津若松市は住民の願いもむなしく会津の水瓶猪苗代湖は合併によって郡山市のものになってしまった。若松市長の住民感情を無視した行動のトロさによるものだった。
 住民の爆発は来期の改選期にクーデターとして表れてくるだろう。

  首長たちが住民の豊かさを願うならば、土地に豊かさを求める活用と開発方に、寝る間も惜しんで考えるべきであろう。
 たかだかな税金をむさぼり、多少は名士然としたところで淋しくはないか。住民たちに慕われ末代まで語りつがれるような首長でありたいものだ。

 首長たちよ、合併に向かうならば己れの姑息な論理を捨てよ。真筆にして天に恥じない置賜百年の計に光をあてよ。 「知より名よりも、財よりも尊いものは人格である」

会津頑固精神に学ぶ

kage

2008/05/30 (Fri)

 久しくご無沙汰している会津若松市に、老生が師と仰ぐ会津の頑固老人を訪ねた。

 会津には昔から余所者が馴染めないという風土がある。老生が考えるに戊辰戦争で孤立無縁のまま落城した歴史的な背景があるのではないかと思うのだが。
  米沢藩は会津存亡の危機に一兵の派兵をせず、あろうことか官軍の水先案内を申し出るような武士道に準ずることを避けた藩であった。
  雲井龍雄はこの愚さに激高し、憤然として国家老・千坂太郎左衛門を「ズグダレッ!」と罵声を浴びせて、新政府の拠点地東京に戊辰後の改革を求めて勇躍したことを米沢市民は知らない。米沢藩にとって雲井は迷惑な存在として扱われてきたことによる。

  さて、会津の知人には「会津復古会」ゆかりの人たちが多いのだが、老生が師と仰ぐ頑固老人は 88の齢を越しながら未だにカクシャクとした頑固爺さんである。 「なんとか90の坂を越してみたい」と語りながら「私の道楽の仕上げはこれからだが、妻と息子が反対してね」と笑う。爺さんの道楽の仕上げとは数十年まえから保存している「会津の本陣」の復元である。復元する場所は爺さんの胸の中では決まっているようだが、時期尚早らしく洩らさないでいる。 「会津の宝物、猪苗代湖の水瓶を会津が押さえて置かなければならない」と市長に度々進言してきたが、市長がもたついているうちに郡山市に合併で取られてしまった。どこにもバカな市長はいるもんだが、米沢の市長はどうだ?

  老人は「鶴ケ城の天守閣まで登れるエレベーターを設置して観光客の老齢化に備えることを考えよ」と市長に提言したがグズッテ実行しないでいる。「三菱に交渉して長期リースを組み、エレベーターの使用料で返済すればええじゃないか。城を訪れた観光客は天守閣まで登ってみたいものだよ、そうだろう」
  爺さんには先を読む力がある。三軒の菓子匠は「日本百撰」に入っている全国に知られた銘菓として観光客の途絶えを知らない。年間の大半は各地デパートの祭事出展で忙しい。

  他の復古会メンバーの事業救済にも手を染め復活に成功させたのも当該老人であるが、復活から繁栄につながるや「復活は自分たちの知恵と努力によるものだ」として老人を中心とした復古会の繁栄が、会津観光発展の中核となってきた事実を見極めないで復古会を退会したメンバーたちもいる。

  老人は東京駅保存から端を発した朝日新聞記者の運動から「全国町並み保存会」を結成し第3代目の会長を8年務めた方で、老いて益々意気軒高な老人である。「まだ沖縄から要請されパネラーとして出掛けるんだよ」と嬉しそうに笑う。NHK教育テレビで馴染みの老人だから知る人ぞ知る人物だと申しておこう。

  この老人が収集した歴史的価値の高い骨董品の多くは中近東の遺物である。いまでは勿論、国外持ち出し禁止の遺産ともいうべき発掘品で、中には高僧の頭蓋骨になる髑髏杯で茶会を開いた話には鬼気迫るもので、今以て「祟りの恐ろしさ」を信じて疑わないご仁でもある。

  もう一人の老人は奇っ怪な風貌と想像だにできない過去をもつ老人だ。戦時中は小玉機関に属し小玉に命令する立場にあって、戦後はマッカーサー元帥を怒鳴りつけた怪物である。無論、国籍を取り戻したのは数年前のことであるが、国籍を末梢してのシンガポールに潜入で、ジョホルバールの水路を断った人物としてイギリス軍に迫われ大陸を逃げ隠れしたものだという。第二次世界大戦中のこととなると夜中まで夢中にさせられるのだが、老人は不思議と眠ることを忘れた人間のようで「何日でも飲まず食わずの生活」に慣れきっているのだという。鶴ケ城の堀のほとりで独りひっそりと暮らしている。

  午後の6時を過ぎて店が閉まると二人の傑物を囲んで「カーデルマエパーティ」が毎晩のようにはじまる。「蚊の出る前のパーティ」ということで粋狂な名称である。 時折老生もパーティに参加するが、枯れた人物たちのパーティだけに艶聞は聞かれず地元政治が決まったようにマナイタに乗せられる。「次期市長はだれにしよう」「県知事はだれにする」元毎日新聞記者らも交じって喧々諤々と話題が広がる。「米沢は温和しいぞ」とからかわれながら夜が更けてゆくという具合だ。
米沢では望んでもそんな会合は知らない。堀を渡る涼風に身を委ねてのパーティが延々とつづく。

 考えてみると「人口比率にして赤い暖簾が日本一の若松市」である。この原因は「無尽講の発展」であろう。
  戊辰戦争の敗北で悲惨な目にあった民衆が隣人の助け合いのために育った無尽講であろうか。全市に広がっている講であるがゆえに、集いあうための場所が赤い暖簾なのである。老生も案内されて講の現場を訪れたことがある。
  グループのメンバーが各々1万円也の金を出しあって、抽選や順番で集まった講の金を持ち帰り使えるシステムなのだ。一口10万円の会もあるという。「講の金を持ち逃げされることはないですか?」と老生の問いに「たまにはあるサ」と、意に介さない返事が返ってくる。届託のない会津気質に老生は驚くばかりだ。米沢にはない会津での話である。

  会津には「三泣き」という言葉が残っている。はじめは会津の人たちの人柄の冷たさに泣かされ、会津になじんでくると、なんと人情豊かな町だろうかと感激し、会津を去らねばならなくなったときに流す別離の涙」である。
  久方ぶりに訪れた会津若松市である。老生に同道した企業の若者もそれなりの接待を受け、予想だにしなかった傑物老人の話に、世間を広くしたようだ。
  老人には原稿の書き方を手ほどきしたことがある。以来、文章に表現力が出て新聞のコラム欄や会津の歴史を書き綴って読まれているようだ。その点では老生は師ではあっても、人生の深さや、鈍欲な知識欲や先を読む慧眼には敬服するのみである。いつまでも達者でいてほしい人物である。
  申し遅れたが「ジドバ」なる健康維持食品を自ら開発して日大薬学部に持ち込み販売に結びつけているという具合だ。蜂蜜をベースにし「またたび」と「会津人参」を融合させたもので老生夫婦で愛飲しているものだ。
  彼らは言う。「米沢には漬物の旨いものがある。漬物だけは米沢にかなわない」とシャッポを脱ぐ会津の人々である。米沢は自らの産物を熟知しているだろうか。会津には「漬物」と「牛肉」はないに等しい。まず、隣町が求める産物を売り出すことだろう。場合によっては開拓の手伝いも辞さない老生である。

奇跡の女性合唱団コンサート 

kage

2008/05/25 (Sun)

 老生は「奇跡」を見た。昨夜のコンサートで老生は確実に「奇跡」を確認した。
  長年、わが市で「女性合唱団」を指導してきたリーダーが公演を数ケ月に控えて不慮の病で倒れた。市の文化会館を満席にする郷土屈指の合唱団がコンサート公演を前にして抱え込んだ不慮の難題であった。

 通常アマチュアの場合、年一回の公演のために一年間の稽古練習の時間を費やすものである。大方の稽古が出来上がり仕上げの段階での不幸である。団員たちの苦悩には計りしれないものが去来したであろうと推察するが、前夜のコンサートはその不安を見事に克服して聴衆を未了した公演であった。これは病に倒れたリーダーと団員たちとの不屈の精神力と公演に賭けた夢とであろう。

  リーダーは老生の竹馬の友であり、団員の中には老生の縁戚にあたる女性もいる。不安はともあれ、妻に同道してコンサート会場の一員となり開演を待つことになる。老生にとってこのコンサートだけで演奏される「米沢市民歌」と県民歌「最上川」が聴ける楽しみがあったからだが、見事なハーモニーで歌いあげた団員の高らかな郷土讃歌に触れて安堵し、リーダーに代わりタクトを振るリーダーの二人のご子息に心から復活の賛辞を送るべきであろう。老生は復活の奇跡をたしかに確認した。

 団員たちのステージマナーも完璧に近いものだった。アマチュア-とはいえ舞台でマナーが重視されるのは当然である。音楽を披露するだけでは聴衆は満足するものではない。舞台での緊張感の持続とマナーが大事だと、リーダーに老生は注文していたものである。ありていに言えば前夜のコンサートは第一級の出来栄えであり、試練を克服した団員たちと、病魔の床に伏せるリーダーの公演に寄せる責任の重さを代わって公演を担った二人の若き音楽家の努力に賛辞を送りたい。

 文化不毛の地といわれた米沢市にあって、本女性合唱団の不屈の復活劇は見事なものであった。はっきり申せば、舞台に立つ団員ひとりひとりに緊張感がみなぎり、渾身をこめて歌いあげる姿はアマチュア楽員たちの手本となるだろう。リーダーには申し訳ないがチョッピリ申し上げれば、若い指揮者だけに曲想の解釈に変化が見られたと感じるのは老生だけであっただろうか。無論、若さによる新しい解釈の実践だと喜んで然るべきものであろうと思うのだが。

 リーダーの音楽に対する理念は厳しい。それだけに本合唱団を大挙離脱する過去もあったようだ。それだけにリーダーの理念を理解した団員たちである。楽しいだけが音楽を極めることではない。老生が懸念するのは「楽しければそれでいい」と自前の公演だけに集いあうアマ集団である。公演後の「反省会」は不可欠なものであろうが慰労会の楽しみだけで過ごすのはどうであろうか。老生はプロの世界を多く見てきたから言えるがことだが、プロに反省会なる楽しみはない。反省すべきことは稽古場での激し叱責に代表されている。だから公演後にプロは言葉に発することはしないものだ。舞台の後で反省してなんになる。稽古場がたった一つの試練の場であるからだ。アマには報酬はない。経費の負担に負けず舞台に灯をともしつづけるそこにアマチュアの気高さがある。前夜の「奇跡復活」は団員の結びつきを一層確実なものにしたであろうことを信じ、末尾ながらリ-グーの復活の奇跡を念じたい。

中国は経済大国でありつづけるか?

kage

2008/05/22 (Thu)

 今年のオリンピック開催国は中国である。国民の政治的総意である選挙を一度もしたことのない中国が陸の祭典を開催する。各地で起きた聖火リレー時の紛争は、国際紛争の火種として予知されていたものだけに当然起こるべくして起きた紛争であった。

  聖火リレーは、かつてナチスドイツが国の威容を世界に誇示せんとして行なったのがはじまりであった。その結果、第二次世界大戦が勃発したのは記憶に新しい。
  北京オリンピック開催年に起きた四川省大地震がもたらした被害規模の甚大さを考えてみると、大国にふさわしい建造物とはいえないものである。5階建ての学校が潰れるなどして被害は子供が大半である。しかも、官僚たちの執務する建物は被害ゼロに近く、大国の格差社会が世界に広く露呈することになった。
 大国たる威信を示すために形だけのハリボテ校舎であったことが判明、しかも日本からの救援隊を-時拒んだ対応にも国情から、自国救援活動の立場を優先させる必要があったという御粗末さだ。したがって国家は人命救助より先に大国としてのメンツを重要視したのである。

  一方、軍事政権ミャンマーは未曾有のサイクロンによって壊滅的な打撃を受けたが各国から寄せられた援助物質や義援金は頂くものの救命活動による人材の入国を拒否する理由とはなんであるか。力づくで民衆を押さえこもうとする軍事政権の暴力制圧の実態がメデアによって広く世界に知られることの恐れからであったろう。
 中国もオリンピックという世紀の祭典開催をもって、先進国としての宣布を試みてのことだろうが聖火リレーに起きた恥部は拭われるものではない。大国のエゴによって繰り返されてきたチベット自治区への世界的世論の反発が、火柱となって噴き出してきたものである。聖火リレー通過各国はチベット自治区と中国の国旗によって赤の大地に染め抜かれた感がある。これは拭いきれない大国の恥とすべきもので悪の論理を力で押し切ろうとした大国の無様さだとしか思えない。
 各国の警備態勢に飽き足らず国策から聖火リレー警護スタッフを送り込み、しかも国家負担によって大量の国旗と旗振り人材を大挙して日本に送り込み沿道で旗を振らせるなどの行為の裏側は茶番に満ち、大国の威厳を死守しようとした中国のひ弱さが逆効果を生んだことは今更のごとく申しあげることではあるまい。聖火がエベレスト越えをしたことは偉業ではあろうが、単なる開催国の演出だとして感銘すら受けないものだった。

  日本の経済会は中国の経済伸張を高く評価するが、それは上海での経済伸張であり中国全体を評価したものではない。着実に貧富の格差は中国大陸を襲っていることは確かなことだ。
 問題の中国製ギョウザから発生した農薬漬の中国製品は主婦たちによる嫌悪感はすざましい。が、日本農政の貧しさから中国野菜に頼り切った結果、内地からの野菜不足で価格は高騰、価格が台所事情を歪めつつある有様なのである。
  経済至上主義一辺倒の世界である。サプリメントの材料は中国からの輸入である。これは米国製品も同様であるから、サプリメントでさえも安心して口にできない事情がある。そんな中での中国はオリンピック開催国である。それでもメダルを目指してシャカリキのスポーツ界である。参加を拒否できない理由が中国との経済政策にあるようだ。
モスクワ・オリンピックに不参加を貫いたわが国であったのだが。