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「中国よ、聖火とは世界大乱の烽火たる憂いになりはしないか?」

kage

2008/04/29 (Tue)

  平和を象徴する五輪の聖火が長野を走り抜いた。各地で見られたような暴動は防げたとしても、長野市内の沿道を埋め尽くした「赤い旗の波々」はどうしたことだ。
 中国よ!チベット問題はお国が処理すべき内紛であり、聖火の名のもと赤色旗をもって土足で他国の土地に踏み込む無礼を若生は許すべきではないと思ってきた。

  世紀の祭典と称すべきオリンピックにまつわる「聖火リレー」はベルリン大会でヒットラーによって始められたものである。独裁者ヒットラーはベルリン大会をもって「祖国ドイツを世界に冠たる富国強兵」をアピールするためであった。

  映画「独裁者」で軍の支配者が演説する。その演説のユダヤをチベットに替えるだけでいい。

  「人民は国の利益のために服従を! 裏切り者は制裁だ! チベット人と非白人種の市民権を剥脱する。
彼らは劣悪であるから、侮蔑と憎しみが我らの道だ。民主主義、自由、平等は人を欺く思想だ。
勝利こそ、それに勝るものはない。人民は国の利益のために服従する!裏切りは制裁だッ!
チベット人は劣悪な人種だから敵とみなす。侮蔑と憎悪することが我らの義務だ。
人民は総督に服従せねばならないッ! でなければ国は後退の道をたどるだろう。我々にその必要はないッ!」

 かつてヒットラーはユダヤ民族を殲滅する行動に出た。皇帝ヒットラーの言葉のユダヤ人を中国要人はチベット民衆に置き換えようとしているように思えるのだ。

  映画「独裁者」で世界の皇帝に担ぎあげられそうになったチヤップリンの次の演説を思いだす。

  「私は皇帝になりたくない。支配するよりも人々を助けたい。ユダヤ人も黒人も白人も人類は互いに助け合うものである。
他人の不幸よりも幸福を望み憎しみ合うものではない。
地球には全人類を包む豊かさがある。自由に美しくあるべき人生は流血を清めて残った。
 スピードは自由を奪った。 機械によって貧富の差が生れ、知識を得た人類は優しさをなくし感情を無視した。
思想が人間性を失わせた。知識より大切なものは人類のやさしさである。それがなければ人類は機械同然だ。
 航空機やラジオは世界を縮め、人類の良心に呼び掛け世界を一つに導くことである。 私の声は世界中に響き、絶望の淵にいる人々に届く。彼らは支配体制の無産の犠牲者である。 
  人々は絶望してはならない。食欲にもたちされた荒廃も人々は人類の発展を憎むべき独裁者のマヒとともに消滅する。
  民衆は権力を取り戻し自由は再び人々の手に戻る兵士よ良心を失うな。
  独裁者に惑わされな。君たちは支配され家畜のごとく扱われている。 彼らの言葉を信じるな。彼らには良心も人間性もない。
  君たちは機械ではなく人間だ。人を愛することを知ろう。
良心のために戦おう。自由のために科学の進歩が幸福に導くように。 兵士よ、民主主義のために団結しよう。 愛があれば憎しみは生まれない自由のために戦うのだ。

神の王国は人間性にある。君の中にも!
人々の中にも!すべてを創造する力は、君たちの中にあるのだッ! 自由で希望に満ちた世界をッ!
民主主義の名のもとに、一つに団結しようッ!
雇用や福祉は反古にされた世界のためにッ!
口先だけで守らなかった彼らに、約束を果たすために戦うのだッ!」

 チヤップリンは自作自演の作品の中に「留めておきたかった人類へのメッセージ」であっただろう。人々はチヤップリンの言葉を忘れない。中国国内での恥部が平和のシンボルとされる「聖火」にのって世界中に広がってゆくのである。

市街地を襲う畜産糞尿臭と有機肥料末完熟臭に悩む米沢市民。

kage

2008/04/26 (Sat)

 今更はじまったことではない。 平成以前からの臭気である。風にのってどこからとも流れてくる臭気に眉をひそめながらも耐えてきたのが、ここにきて爆発的な市民の苦情となってあらわれてきたというわけだ。

  ある観光客が米沢駅頭にたって、この激しい臭気に驚いたということも聞いた。臭気の原因はどちらも南原の畜産農家と有機肥料会社の未完熟臭である。
  畜産農家では6500頭の豚を飼育し、半年間育てて出荷するのだという。 また一方の臭気排泄の原因とされていのは、旧ニッセキハウスの敷地で「有機肥料を製造中」の会社からである。
  両者ともに排泄する悪臭は、米沢盆地の上昇気流によって一度は吾妻山系にのぼるものの、朝夕の気温の下がり目とともに吾妻稜から吹き下ろす風に乗るようにして米沢市街地を直撃するのだ。以前から女子短期大学の被害は大きかったと聞いている。はじめは畜産農家から出る糞尿臭だけだったが、今では「未完熟野菜臭」が加わっている。
  この臭気、朝夕の食事時間を直撃するから始末が悪い。  この臭気も風任せで場所によっては被害にあうこともない地域もあるようだ。

  臭気がひどいからといっても豚肉は大切な食料源である。 有機肥料も日本の農業を改良進展させるためには大事な肥料となる。どちらも大切な産業であれば、産出過程から出る「両臭気の始末」をなんとか解決できないものであるか?

  市の担当課長に聞いてみた。 結論として「2~3年はこのままで我慢してもらう以外に手はないようだ」とサジを投げている。担当課としても打つ手を考えていないわけではない。山形大学とも協議しながら解決の方法を模索しているのだが、結論がでないのだという。
  方策はただ一つ、「豚舎の改築」なのであるが費用が莫大なのだ。一畜産農家が賄いきれる金額ではないのだという。関係筋からの補助金も模索する段階であってこれという現実性に欠けるものだ。補助金だけでなく長期借り入れの方法はあるにしても返済能力に問題も出てくるだろうから。
  糞尿臭だけであれば治水工事で尿の始末を考え、糞臭であれば60%の水分を糞から抜けば「ひとりで発酵し無臭となる」。この技術は二井宿農協が成功しているから参考にできないものであるか。
  糞尿臭には観光牧場のある黒磯や岩手の小岩牧場はどのような対策を講じているのであろうか。無論、担当課員は現地を訪れ各地の対策を検分しているであろうから老生らがとやかくいうことではないだろう。が、現実には米沢のイメージを害なっていることは事実だ。

  桜が満開になり春到来である。松川河川敷で繰り広げられる川中島の模擬合戦時に吾妻稜からの風が下りてこなければよいが。せめて観光客にあの臭気に気ずかれたくないものである。
  米沢を訪れる人たちは「静かで落ち着いた町ですね」と褒めことばを寄せるが、一方では米沢は「不景気な町」「死人のいる町」という評価は困るのだ。 たしかに活気に欠ける町であろうがさしたる犯罪もなく、安心して住める町であることは確かだ。たとえ雪害があろうが老生は米沢が好きだから定住している。米沢は日本の故郷として株はあがるだろうが、都会の喧騒に疲れた人たちが大挙して住める町にしたいものだ。
  老生の母は「この場所は地震や洪水の被害もなく強風に吹き飛ばされることもない」と、自然被害のない老生の町(東二丁目)界隈を生前、母は褒めたたえていたものである。今どき迷惑といえば朝夕の糞尿臭であろうか。市の対策に期待するものだ。

家康を怒り狂わせた武将「直江兼続」の書状が主たるテーマになるか?

kage

2008/04/21 (Mon)

 本会のブログにアクセスされた回数が本日で40万を超えた。
最近「情報がない」とお電話を頂く。 老生考えることがあって次回作の取材をかねて安曇野に車を走らせていた。
 越後路に入り、来年度に放映される戦国武将「直江兼続」の出生の地を通過しながら「天地人」ドラマはいかなる手法で展開されるものかと考えてみた。

 米沢では「御堀端史蹟保存会」が郷土史家井形朝良の著作「直江兼続公小伝」をすでに7、000部売り捌くなどして、いやが上にも放映は歓迎ムードでいっぱいである。 他にも史家が著した作品が書店で売られている。
 当市の安部市長はとりわけ歴史に造詣の深い方だと聞いている。ドラマの主人公「直江兼続」は越後の人物だけに米沢との関わりを、ドラマはいかなる手法で書き上げられるものであるか興味はつきないものがある。

 仮に老生が「直江兼続」なる人物を書くことになれば、世にいう「直江状」なる徳川家康に送った「返書」をまず主題にする。
 秀吉の没後、会津に戻った景勝は、城郭を修理し、兵糧や武器を集め浪人を抱えるなどして家康を危惧させていた。 景勝主従といえば石田三成と肝胆相照らす仲である。 危惧した家康は「謀叛の噂これあり上洛せよ」と命じたが景勝は応じない。 業を煮やした家康は「噂を箇条書」にして突きつけた。
 これに対する兼続の返書である「上方武士は今川焼きの茶わん、炭取り瓢などの人たらし道具の御所持の由、田舎武士は、槍鉄砲弓矢の道具つかまりたく候。その国々の風俗と思し召し、御不審あるまじく侯。」

 いわく当時、武器のことを道具と上品にいう習慣があったのを、兼続は逆手にとって「われわれ田舎武士が槍や鉄砲を集めているのは、そちらが茶道具を集めているのと同じことですよ」と壮烈に皮肉り「徳川殿が当家をお討ちにこられるというもっぱらの噂ですが、その時はお相手いたしましょう」と送ったのだ。
 家康は「生涯これほど無礼な手紙を受け取った覚えはない」と切磋扼腕して怒り狂い家康自ら大軍を率いて会津征伐に赴くのである。
 その途中、上方で石田三成の挙兵を知った家康は咄嗟に大軍を返して江戸城に向う。 この時「直江兼続」は景勝に「上方の石田三成の挙兵を機に家康を挟撃する殲滅作戦」を進言するも、景勝は「謙信公は敵の背後を襲うごときことはしなかった」として動こうとはしなかった。 上杉の背後を狙う伊達、最上両雄藩の存在があったからであろう。常に上杉藩は「前門の虎、後門の狼」に曝されていたことの事情によるものであったろう。

 余談ではあるが、兼続が景勝に進言したように「石田三成の挙兵に供応して、家康を北の会津側から挟撃作戦を展開していたら、天下の形勢はいかがなものになっていただろうかと妄想することがある。
 兼続は知将として、策謀うずまく乱世を楽しんでいたであろうが景勝は戦国武将として武士道を重んじたのであろう。
 後日、関が原の合戦で、豊臣方についた上杉軍は、徳川方の勝利によって会津120万石を没収され30万石の家臣兼続が領地米沢に追われた景勝である。 ここに智将兼続の先を見る眼力と武将景勝の「悪の論理の相違」が見られる思いが彷彿としてくるのだ。

 京都聚楽第での逸話はどうだろう。諸大名が集まった時のことだ。伊達政宗が懐から金貨を取り出して見せびらかした。みんなは珍しそうに眺めたが、兼続は開いた扇の上に金貨を乗せて見ている。
「遠慮はいらぬ」と政宗が手にとるように勧めると兼続は「鎌信公の代から先陣を申し付けられてきた兼続、銭は下賎の者のもち扱うものゆえ、軍兵の采配を握る手が汚れます」といい放ち、政宗の前に金貨を投げ返した。 政宗ともども同席の諸大名も大いに赤面したという。

 ドラマとはそうしたものだ。

図書館女子嘱託職員の解雇問題」は「地位保全訴訟」に発展するか? ②

kage

2008/04/07 (Mon)

 問題の骨子は「教育長の統率能力の可否」にあるようだ。
リーダー資質の乏しい者がリーダーになった不幸が丸見えする典型だといえよう。

 安部市長は当選以来、なぜか大学教授がお好きなようである。市の組織図にもない「参与」なる職に2人の大学教授を招き、問題の「教育長」にも大学教授を就任させている。
  よそ目には大学教授の地位を市政の盾にしているように見えないこともない。文字通り安部市長は「アカデミック・ハラスメント」を地で行なっているように見受けられる。  この手法は市長自身の責任逃れに都合のよい布陣だともいえよう。

 昨年の選挙時には、あの7日間だけの農水大臣と伯父の後藤県会議員両者の策によって大量得票を得た事実が遠藤シンパによって語られているのだ。
  後のない遠藤武彦にとっては、せめて地元からの票をなんとかしなければならないという宿命があった。
投票日の数日前になって「投票は安部三十郎に」と遠藤宅の密会に召集されたシンパの語りである。

  急遽遠藤宅を訪れたが、その場には後藤県議がいた。創価学会本部から「学会票をとりまとめる役」の顔利きも顔をそろえて米沢の票をまとめることで合議していたという。
  これではフェアな選挙戦を夢見て展開していた野村候補に部のあるわけがなかった。 遠藤は自らの子分である野村を捨てたのだ。
  そんな密約で市長となった安部三十郎に市政を担当させようとした遠藤代議士が目指すものとは?次期総選挙の働き手として野村より現職安部を選択したというわけである。
  かくして安部は再び市長の座を射止めた裏面には、地方の2人の権威者による策謀ともいうべき動きによるものである。

 そこで安部三十郎市長の自信過剰な市政が展開されることになる。当該問題もアカデミック・ハラスメントが要因となっている。

[問題の争点]
 はじめに採用時点で「嘱託の任用は1年更新であるが、任用の最長は5年間である」。同時に「仕事の内容は専門的ではない」と告げた上で採用すべきことであった。
 本人の認識では「前任者が7年間も任用されていたこと、毎年更新があるとは承知していたが本人の勤務状態に暇疵がない以上任用されるもの」と理解しての雇用であった。
 市長部局の内規によって「嘱託職員の任用は最長5年間」が問題となっていた。
 教育長はこの問題では「1年間の任用を認めた上で、次年度からについては次期がきたら考えることにする」として女性職員に期待させる返答をしている。
 したがって女性職員は生活態度を変えることなく図書館に勤務するものと考えていた。
 ところが突然、教育長から任用の延期を認められずに解雇通告」がなされた。
 そこで女性職員は所属する「おきたまユニオン」に助けを求めたものである。
 教育委員会はユニオンが求める解雇撤回をめぐる団体交渉を受ける結果となった。

[教育長の行動]
 結論として市長と相談した結果、市長の返答は「ノー」であった。 市長部局との整合性から「通算した任用期間を5年としていることから要求には、応じられない」とユニオン側の要求を蹴ってきたのだ。

[ユニオン側の追求]
 教育長は当該嘱託職員にむかって「1年間の任用を認める返事を出しながら、市長が「ノー」といったからと言ってあっさりと翻意するのは統括能力に問題があるではないか。と教育長を追求する。

[教育長のコメント]
 今回は私の話を聞いて、まげて再任用を認めてもらえないかと 市長に申しました。が、市長の判断は 「仕事に専門性を認めることができない」と結論として「市全体のルールに混乱をもたらすことはできない」私としても市長部局との整合性を守る必要がある。

[ユニオン側]
  解雇の直接的原因は市長の発言によって、教育長自身の意見を翻意したのであるから「市長自身が団交に出席されたい」との申し出を断っているのだ。

  まず、教育長の態度は「あいまい」である。統括責任者とした部下の職員に約束したことであり、その約束は統率責任者として守るべきものである。
 教育長が決断した人事に口ばしを入れたのが安部市長である。安部市長の一大欠点は「人の話を聞く耳」をもたないことにある。
 
 退職年限を数年も残して役所を去る部長級の多さはいったいどうしたことか。藩の家老職が殿にケツを捲くって役所を後にするのである。これは珍事であり、あるべきことではない。
 家老は言う「バカ殿とこれ以上仕事はできないよッ!」
家老だけではない。鳴り物入りで参与の席についた福島大学の某教授「精神的に問題があるのではないか。 一体、何を考えているのかわからない市長だ」と自らの講演で述べて米沢を去っていったという事実すら確認されている。

 父親からの精神面でのDNAが確かな形で息子安三十郎に繋がっているのではあるまいかと案じる事情通もいて、市政の将来は必ずしも安泰ではないようだ。

 来年放映の大河ドラマには、ことのほか市長さんはご満悦のようだが、同じ規模で、「女性嘱託職員解雇問題」が全国に広がりを見せてゆくであろうから、米沢市政の恥部が知れわたることになって行く。

 わが市長に精神的な疑義を感じているのは老生のみならず、心ある市民たちの多くであろうから。

「図書館女子嘱託職員の解雇問題」は「民事訴訟」に発展するか? ①

kage

2008/04/05 (Sat)

 リーダーの資質に欠けた人物がリーダーとして権力を掌握した場合、政財界に限らず極めて混乱する事態が生ずるものだ。
まして、歴史が証明するように時の権力者に精神的異常が懸念された時、国家は混乱し庶民の生活は苦渋に苛まれる。

  米沢市長は米沢市の有権者が選ぶ。市長は教育長を選任し「教育委員会」の人事権ならびに「教育委員会」は独立教育機関であることを保証する。
したがって「教育委員会」は教育長が責任統括する義務を負う。

 米沢市立図書館は教育委員会に属した部署であったが、今期からは文化課に属することになった。文化課は「教育委員会」に属する部署であるから「人事権」は教育長にあることに変わりはない。
  「人事権」とは場合によっては「人権にも及ぶ場合がある」から、人事権が教育長にある以上、市長たりとも安易に口を挟むことは慎むべきことである。

  問題の核となっているのは、安部三十郎米沢市長のアカデミック指向であることだ。
教育長を専任するにあたって歴代市長は地元の教育者から専任していたものだ。が、市長が代わってから、市の組織図にもない参与職に大学教授を専任するといったように教育長すらも大学教授経験者という具合にアカデミックさを強調する。
 たしかに大学教授といえば聞こえはいいが、専門分野においては権威者ではあろうが一般社会の多岐にわたる権威者ではないはずだ。 アカデミック指向は安部三十郎市長の権威を修飾しているだけに過ぎない。と、老生には見えるのだ。

 総論として「教育委員会」の人事権すら執行できない教育長では、大学教授であれ、もはや教育長の任ではない。
まして専任した米沢市長の方に問題が残るものだ。

 はじめ、この問題が発生し広く報道された時、老生は「ユニオン側のゴリ押し?」ではあるまいかと書いた。が、精査するにあたって「市側の対応に問題がある」ように見えてきたのだ。
 「教育長の市長に対する弱腰」と「教育長の人事権執行より遵行」を選んだことに本件の問題を生んだ元凶があった。

  老生の手元に「紛争の経過を記録したユニオン側の資料」がある。それなりに膨大な資料である。市立図書館に勤務してきた女性嘱託職員が各所に出したであろう書簡からユニオン側と教育長との間の団交・要望書・公開質問状などが揃っている。

  一見したところでは、教育長の態度に「あいまいさ」が見られ、そのあいまいさをユニオン側に突かれているという現実がある。
 まして安部市長が人事権に口を挟んだことで一層ユニオン側が攻勢を強め「解雇不当」を主軸とした争点を「民事裁判」に訴訟するという準備が大方済んだところのようだ。

 来年放映の大河ドラマは全国的で市長はご満足の態だが、本労働問題訴訟も全国的規模で米沢市が知れわたることになる。

鵜は沈み 鵜は浮き 人は舟の上

kage

2008/04/02 (Wed)

 暫定ガソリン税が廃止され、各地では顧客をめぐって混乱しているようだ。
幸い老生は車を使っての長距離営業には無縁であるから、ガソリンの値段が幾らであるかは無頓着であったように思う。

 老生が運転免許を取得した頃のガソリンは確か50円前後であったように記憶している。 写真仲間とグアム島に撮影旅行をしたのは昭和45年の年だったが、グアム島のガソリン値段が30円であったことに驚いたものである。
 あれからガソリンの値段が推移し、原油国の気分ひとつで左右される庶民のガソリン・灯油価格である。 アメリカの政策によって混乱を極めた2度の石油ショックでもわかるように「持てる国家のエゴ」であるに過ぎない。

 わが国は原油どころか食料の自給率さえも満たさない国家である。それでいて先進国の名を語ってはばからない船頭多き政治家集団が国家の生殺与奪の権力を駆使している。
 それら政治集団の視点はどこにおかれているのであろうか。国民全体であるか、己れの保全であるか。正解はだれが出すのであるか?

 選挙時になると候補者はこぞって「国民の目線で」と語り、地方選挙でも例外なく「町民、市民のために」とマイクで呼び掛けている。
 有権者は単なる「鵜飼い」の鵜よろしく候補者の言葉を鵜呑みにして、命じられたまま川にもぐり、己れの胃袋を満たすことのない鮎を無心に追いかけている姿は、国民のそれと近時しているのではあるまいか。
 権力の届かない庶民を操るのは舟の上にいる鵜匠たちである。鵜飼いは政治家であり水の中の鵜は国民という設定は大きな過ちではないであろう。

 折角、庶民から取り上げた「暫定ガソリン税」である。暫定と称しながらも30数年も知らぬ存ぜぬ顔して国民から徴収してきた既得税である。
 暫定税制だというならばとうの昔に税制の解除は当然のことであったのだ。それが地方の混乱を招く要因となったという知事らの考え方も矛盾している。それこそ廃止を予測した暫定予算を組むべきがスジで「暫定ガソリン税」の廃止で泣き言をいうのでは能力がなかったことの左証であろうぞ。

 政府は「暫定ガソリン税」の廃止によって歳入不足分をカサアゲしようとしているらしいが、これを国民が承知するかどうかが問題となるであろう。
 政府権力によって国民は再び泣きをみることになろうが、所詮、国民は水に沈む鵜であり、食道をしめつけられた綱で舟の上の鵜匠の意の儘に操られるのであろう。

 英国に比して日本の道路建設費は30倍であることにも疑問を抱く。英国方式とはいかなるものであるかを国民に示すのが当然で、英国との格差を考えて見る必要があるであろう。

 日本人ならば「暫定」の意味ぐらい素直に解せないで何が政治家であるか。やりきれないのは老生だけではなかろう。
 TVはクイズ番組が花盛りでるある。あいも変わらぬタレントだけでなく、一度は政治家の能力を試してみる必要があるだろう。

 国家の歳入の枯渇を考える前に官僚国家の天下りや道路族の無駄使い、厚労省のデタラメさの反省は政治家はどう考え、どのような処置で望むのであろうか。
 たんに増税を論じる前に国民の怒りを全面に受けとめるべきであろう。

 しかしながら国家権力の前に非力な鵜同様の国民である。農民一揆は飢餓にもかかわらず重税を課した結果にすぎないが、わが国はクーデターの起こり憎い国だと安穏としている政治家諸侯に申し上げる。 鵜匠たちの手にならない海辺の鵜の異常な増殖に不気味さを感じないのであるか。

安部市長: 「米沢市では嘱託職員の任期は最長5年間としている。したがって本年度で嘱託職員の任期は切れるもので、任期満了と同時に解雇する」 ユニオン: 「特殊な業務については5年を超えて再任用できるとする市の内規があり、実際には7年間勤務し月額報酬1万円を加算された嘱託職員もいる」「市長命令によって一方的に解雇通告し、団体交渉も打ち切ったのは労働規約に反する」  さて、この珍事を考えてみるとNHKの報道ですら、市民に不可解な問題として伝えていた。   当該の問題提起本人は市立図書館に嘱託職員として「郷土資料室」で資料の整理などしていた女性職員だが、単独で加盟できる「おきたまユニオン労働組合」の組合員であったことから始まっている。 組合側にとっては「タナボタ的な抗争」と映ったものであろう。  まず、当該女性は、 「職務に興味がある」として嘱託職員 になった経過がある。その時には「嘱託職員の任期は最長5年である」ことを承知した上で採用されたことは申すまでもないだろう。   当該女性にとってよほど居心地がよかった職場であったろう。が、任期の残りが迫っている。そこで「おきたまユニオン労働組合」に救いを求めた結果、このような抗争が起きる原因となったものであろうと推察できるものだ。 報道によるユニオン側の言い分は、 「桝田教育長はユニオンの団体交渉を受けた際に2008年度1年間は嘱託として任用し、2009年度以降は協議する」と「1年間は任用する」とした教育長の決定を、安部市長によって覆されたとある。 これに対して安部市長は、 「労組の言っている内容は一方的で教育長に事実を確認しないと何もコメ ントできない」 当該女性職員は、 「郷土資料調査整理は必要だから作られた部署で、そのために図書館司書の資格も取得した。私たちは物ではない」 と不満を唱えている。 ここに問題が二つ考えられる。   一つは、米沢市の嘱託職員の最長任用期間が5年と定めてあるならば、教育長も組合側も女性職員も厳守すべき事項であることは明白なことである。  過去に7年間も任用された事実もあるからとして身分保全の提訴を起こす当該女性職員とそれを支援する労組の規律に関した提訴はおかしい。   又、図書館司書の資格取得を任期延長の理由に掲げているが嘱託職員の仕事を任用中、全うするために図書館司書の資格取得することは職務に対する努力行為であろうから、図書館司書の資格を取ったことを云々することはあたらない。  ましてその資格は永久に本人のものであるからだ。本来ならばその資格を生かした職場を探すべきであったと考えられる。   二つ目の問題は、安部市長が介入し教育長の判断を覆したかという点である。  教育委員会は市行政から独立した機関である故、市長といえども教育委員会の結論を覆すことは出来ない。 よって安部市長の越権行為であるか否かである。   当会は事の真意を教育委員会に質した。 二日に渡り桝田教育長と連絡を取ったが出張とのことで直接話すことは出来なかったが、教育委員会の総務部複数の職員は「組合の団交を受けた席上で1年間の任用を認めようと組合側に返答した事実はない」と断言してはばからない。   これを信用すれば安部市長の指示によって覆されたという「再度任用事件」はユニオン労組の市政に対するいわれのないゴリ押しであるが。

kage

2008/04/01 (Tue)

 企業誘致には「その町の知名度」が問題になっている。
また町の教育機関が充実しているか、娯楽設備とはいかなるものがあるかが、企業とともにその町で暮らすことになる家族や子供たちの意見が切なる問題となってくるものだ。

  観光については、自分自身が「いってみたい土地とはどんなところか?」を自問自答してみれば、観光政策の核がわかってくる。
 いつまでも都会思考から離れることができずコンクリートの建物の乱立で観光客を呼べるものでもあるまい。

 江戸村は人々の回帰趣味が訪問者たちを呼ぶのである。同じ動物園でも連日観光客をよんでいる「旭川動物園」はどうだ。同じ動物をより観客に接近させて見せるというアイデアが功を奏していると思われる。 小動物との接触が出来る牧場もある。

 さて、合併の有無に関わらず置賜地方を観光地化するには何が人々の目玉になるだろうか。
  春は米沢市からつづく桜並木の観光もあるだろう。たしかに最上川突堤の桜並木は見慣れている老生でも見事なものだ。
  そこで桜並木の下で「米沢牛のすき焼き・焼き肉昼食」などの併用はどうだろう。都会の観光バス会社に企画を売り込むことだ。

 新庄市に「カド焼き」があり最上には「アユ焼き」がある。観光というのは広域にわたる事業である。机上で出来る仕事ではない。

 米沢市だけのことを考えてみれば、上杉神社や御廟所または春日林泉寺だけではあるまい、歴史的にはそれとしても娯楽・買物も観光収入として第一義とするものであろう。

 そこで提案だが、上杉神社周辺のお堀を生かした「江戸の大川端の再現」はどうだろう。
 大工事になるだろうが、江戸村で難航したのは堀端を掘削し水を流すことだった。幸い堀は健在である。魚も泳いでいる。だとすれば周囲の道路を閉鎖して堀の周辺に江戸情緒豊かな売店や休み茶屋などを出したらどんなものであろうか。
 観光客はぐるりと堀端をめぐることによって、少なくとも3000円程度は財布の中身が減るというものであろう。
 老生は米沢村の実績から想定できるものである。

 そこで置賜全体の観光を考えた場合、農業・畜産を観光事業に取り入れることであろう。大規模な開発によって観光客が楽しめる設定とはどのような方策があるかだ。北海道や岩手には大牧場がみられ「ジンギスカン」食堂などの併設が有るが、米沢牛のステーキハウスなどもほしいものだ。

 雪国だけに雪国独自の工夫も不可欠であろうから、温室群の集団をもって食品の栽培や繁殖させる設備も必要となるだろう。

 やり遂げるには集団的な協力が必要となるが、置賜地方の人たちにとって最も苦手な団結力と猜疑心が介在する以上それを払拭出来るか否かにかかっている。

 食料の自給率39%のわが国で置賜地方は農産物主要地域である。大豆や野菜や小麦の相場は輸入国であるがゆえに輸出国のいいなりである。
 「食たりて礼節を知る」国家形成こそが日本国民の誇りでなければなるまい。輸出国の匙加減ひとつで食料危機に苛まれる国家では先進国というのはあたらないはずだ。

 直江公の放映も間近いことだし、町中がうかれているばかりでなく、直江公が成した大事業の数々を検証し現代のわれわれも何を成しえるか考える大きな曲がり角ではあるまいか。
 いまこそ置賜百年の計を立てるべきが時期かと考える。夕張市を考える時、老生は旭川動物園の発想を指示したい。生ゴミを焼却から堆肥事業に置賜全体が目を向けるべきであろう。