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市町村合併を考える。 -15-

kage

2008/02/29 (Fri)

米沢市の自主自立

○経費節減
 本市の税収114億円に対して人件費は80億円である。経費に占める人件費の割合が如何に大きいものか。
経費の内、この人件費削減こそ自立しようとする地方自治体が取り組む最大の課題である。

 橋下徹大阪府知事も府債(府の借金)5兆円に、「大阪府は、民間企業であれば、完全な倒産状態。職員は、給料カット、ボーナスカットも当たり前。解雇も当然の状況。この認識を府庁職員にきっちりと持ってもらう。」と人件費に触れている。

  米沢市の地方債(借金)残高は平成18年度末で688億円(一般375億、下水道222、水道41億、病院35億、その他15億)である。
  大阪の推計人口882万8千人で5兆円を割ると1人57万円。米沢市の場合は一人75万円の借金で、大阪の人口に換算すると何と6兆6千億円にもなる。

  三十郎市長をはじめ市職員はこの事をどのように認識しているのであろうか。
昨年の一件に触れ、人件費について考えてみよう。

  平成19年12月に当局より、市職員の1.初任給増額、2.家族手当の増額、3.賞与の増額が常任委員会に諮られ、当委員会は1.2.は原案通り承認、3.については認めない修正案を提示した。

  3.を認めない事に、主導したのは一新会に属する議員であったことから、横井副市長を先頭に川北総務部長、同課長、我妻徳雄市議、小久保広信市議が一新会々派に赴き3.を認めるよう翻意を迫った。

  彼らの「ボーナスを上げろ」という主な理由は、
・人事院勧告になぜ従わないのか、それは団体交渉権の無い公務員 に与えられた権利で重いものである。
・市職員の給料は安い。
・給与を上げなければ優秀な人材が集まらない。
・市職員の給料を上げれば消費を促し、本市経済は活性化する。
との事である。

  おのおのについて検証してみよう。

【市職員の昇級は人事院勧告に従わなければならないか?】
  「人事院勧告」は国家公務員に対しての勧告であり、地方公務員である市職員の給与は「地方公務員法第24条3に定められ、それには「民間事業の従事者の給与を考慮して定めなければならない」とあり、人事院勧告は参考値である。

  公務員に「スト権が無い」という件だが、本市職員は数年前30分の職場放棄のストを決行している事実がある。しかし、その違法行為に何の咎も受けていない。

  市職員の違法行為はさて置くとして「スト権が無い」事の代替に、公務員は「安定」という大きな権利を得て、解雇される心配はない。

  八幡原工業団地に「旭コマグ㈱」という会社が有った。その会社は米沢一給与待遇の良いことで知られていたが僅か14年で無くなった。

 又、本市一の人員規模を誇った「米沢日本電気㈱」も約20年で「NECプロダクツ㈱」と姿を変え、本社を東京に移し現在従業員の半数は臨時雇用である。

  本市職員は100数十年間、解雇の心配なく、スト権に勝る「安定」を享受してきたことに感謝すべきであろう。

《続く》

市町村合併を考える。 -14-

kage

2008/02/27 (Wed)

米沢市の自主自立

 今回の選挙戦で安部候補が公約に「置賜全域合併」を掲げ当選したことにより、まず合併ありきの風潮が強まってきたように感じられるが、5~10年間のスパンで事象をとらえたとき、面積549平方㎞に人口9万1千は市を形成するには十分な要因を備えており、米沢市に取って近々に合併の必然性は無い事を縷々述べてきた。

  そこで、三十郎市長が唱える非現実的な「置賜全域合併」を論ずるより、米沢市が今後、国から減らされる「交付税」「補助金」にどのように対応し、どのような「自主自立のまちづくり」をするのかを考えるのが現実的というものであろう。

  広報よねざわ2.15に「米沢市まちづくり総合計画第二期実施計画を策定」・「豊かさとやすらぎ 共に創りあげる ときめきの米沢」の実現を目指した事業計画とある。

  これは平成18年(2006年)度から平成27年(2015年)度までの10年間を計画期間とする「米沢市まちづくり総合計画」の一環だが、この計画にときめきを感じる市民はいかほどのものであるか。

  役人の策定する「まちづくり計画」とは別に、老生独自の切り口で「米沢市の自主自立」を論じてみたい。

  今後、地方分権が進められ自治体が自立するには「自主財源の拡充」と「経費削減」が大きな要因となる。 「米沢市まちづくり総合計画」もそれらが為された上での計画でなければ机上の空論にすぎず、まず、この二点について考えてみたい。

○自主財源の拡充
  第一に「地方税の増収」を計らなければならない。これには企業誘致による法人数を増やすことと、新しい産業の地元創出、既存地場産業の活性化等が考えられるが、この点について本市は恵まれた環境にあるといえよう。

  即ち、企業誘致の土地確保にはそれほど問題なく、新産業創出には山形大学が控えているからだが、残念なのはオフィスアルカディアに市内企業の移転を「企業誘致」と称したり、トップセールスと言って企業訪問をした際、歴史談義で顰蹙を買うなど、又、有機ELでは山大の木戸教授に「市の対応に大いに不満」と言わしめるなど、三十郎市長にそれらを成就する知恵と能力が無いことである。

  そこで老生の提案だが、 まず副市長を2名にし、新副市長には経済産業大臣的役務で本市の経済・産業の振興に専任してもらうのはどうだろうか。

  具体的には、中越沖地震で被害を受けた柏崎のリケン工業や、宮城県に進出の決まったセントラル自動車等の自動車関連企業の誘致や、ソフトバンクに代表される情報産業(ブロードバンド)の誘致又は起業、米沢牛や米沢豚の大型畜産業化への取り組み、本市特産品の付加価値向上等、企業誘致・新産業創出・地場産業の活性化に取り組むのだ。

  そして管轄下に山大課を創設し、形だけの産学官連携ではなく目的を定めた山大との連携を官主導で行うのである。

  この場合の人材は民間から登用すべきである。何故ならば、厚労省役人の体たらくは言うに及ばず、防衛省のイージス艦の乗組員にみられるように役人天国で弛みきった公務員では何をやらせても期待は出来ないからだ。民間の知恵と活力を利用することだ。

  子育てしやすいまちづくり、老人が安心して暮らせるまちづくりなどと綺麗事を並べても所詮金のかかることである。
  仮に出生率が向上したとしても若者を受け入れる企業が本市に無ければ県外に流出するだけであろう。

《続く》

パン給食大ピンチ ---パン給食は米国の陰謀か?

kage

2008/02/18 (Mon)

 忘れもしない昭和30年頃のことだったと記憶している。
途方もなくエライ学者殿が「日本が負けた原因は米を常食にしているからで勝者の連合軍はパン類を食している。この差が勝敗を決めたのだ」と宣ったことを覚えている。

  報道によると当時のアメリカは小麦が豊作で小麦あまりが国家の課題にされていた。そこで米国政府は「日本の学校給食に着眼したという。
 日本は食料の自給率が低く児童の給食にパン食を薦めれば国内に残留する小麦の不良在庫が日本で大量に捌けると見たのだという。  かくしてパン食になる学校給食が全国に広まることになった。

 本来、日本人は米食が主食となっていた。それをパン食に代えたのである。 したがって政府は米の減反政策をとり、輸入小麦で供給率をあげてきた。

  国家を支える根源は食料である。だが食の自給率は40%にも満さたずに小麦などによる輸入で日本の食料を賄ってきたのだ。

  国内で生産される米を古々米として倉庫に山積みしながら、国民には相変わらずパン食を与えて米余りを強調してきた。が、ここにきて小麦の暴騰によってパン食が危険水域に入ってきた。

 ならば給食は米食主体の献立になるのであろうか。 パンに変わる米食か、あるいは米粉による「米製パン」であるかだが、いよいよわが国の自給率を本気で考えるところにきたようである。

  本来、老生は学校給食反対論者である。
わが子に授乳するのは母親のかけがえのない役割である。給食によって子供たちの食事の一部を他人の手に任せることにどんな意味があるというのだろう。
  母親が管理しなければならない授乳や食事を子供たちから離した時から、母と子のゆるぎない愛情に水をさすことになったのではないかと思ってきた。 母と子の関係が今ほど問題視されたことはないのだ。

 嫌なことだが、日常茶飯事におこる親子殺しなどの犯罪の原因は何かを探ってみれば、意外や親子の断絶は母親が授乳を拒否した時にはじまっているのではあるまいか。

  戦時中、敵の砲弾に当たり一命を捨てる時「天皇陛下万歳ッ!」と叫ぶ兵士の数は少なく「お母さんッ!」とわが母の名を呼びながら戦場に倒れていったという話を老生は多く耳にしてきた。

  神風特攻隊員が片道ガソリンで死地に赴く前夜は「ほとんどの隊員が書き残しす遺書には母親に感謝する心根がしたためてあった」 と遺書の数々を昭和万葉集の中から読み取れるのだ。

 父親とは間をおいた母親への憐愍の思いは母と子が相互関係で育てあげたものであろう。
 母親とは授乳するごとに子供への愛情が深く結びつくものであろう。末っ子の老生は恥ずかしながら小学校の1年生まで母親の乳房を恋しがっていたものである。

 老生は95歳で終焉を迎えた母を家族とともに看取ったものである。子供にとって父親とは別のところで母親に甘えたいものであり、母親が作る湯気のたつ食事を恋い焦がれているものである。

市町村合併を考える  -13-

kage

2008/02/15 (Fri)

⑪もう一度「何故合併なのか?」を検証してみよう。

 国は膨れる借金を抑制するために、地方への「交付税・補助金」カットを目的に「三位一体の改革」を打ち出した。しかし補助金カットは財政基盤の弱い市町村にとって致命傷となる。それを緩和しようとしたのが地方への税源と権限の移譲である。

  すなわち「国は地方への交付税を減らす代替えに、国に納める税(国税)を減らし、地方が自由に使える税の裁量権を増やすので、地方自治体は自主自立すべく、基盤強化をしなさい」という国の都合の上に考える「広域合併」なのである。

  しかしこれには大きな矛盾がある。それは、国は行政改革推進のため「小さな政府」を作るといいながら、地方には大きな自治体にしなさいと言っている点である。 それに税源が地方に移譲されたとしても、もともと税収の少ない自治体は、交付税を超える自主税源の増収とはならないのである。

  そもそも地方交付税とは国が集めた税金を、地域間格差是正のため「人口10万人の市を基準」に計算され、「調整係数」を乗じてはじき出された助成金である。ちなみに平成19年度交付税は、飯豊町は一人あたり約31万円、米沢市は約8万円/人、山形市は約3万円/人で、人口の少ない市町村ほど一人当たりの交付税額が多い。

  「新合併特例法」で注目すべきは、

○合併算定替(普通交付税)
  合併年度及びこれに続く5カ年は、合併がなかったものと仮定して毎年算定した普通交付税の額を保障。さらにその後5カ年度は激変緩和措置。  と合併後の減額が明示されている。

  置賜全域合併となった場合、人口は約23.4万人で一人当たり交付税額は山形の約3万円に近づくのではないか。そうなれば置賜全域での交付税は大きく減額となるであろう。

  「新合併特例法」の下記にも注目すべきである。

○町村合併の市制要件の緩和
  人口5万人以上→人口3万人以上。
 すなわち「1万人前後の町村は合併して3万人位の自治体にしなさい。そうすれば特別に、市として認めますよ」と国の意図するところは少人数の町や村の統合である。

  それでは推計人口9万1千人の米沢市の場合はどうであろうか。
もし、この人口で市が維持できないというのであれば、全国2/3の市町が破綻する事になり「広域合併論」とは別の次元の話となろう。
  人口の多いことや、面積の広いことが「足腰の強い自治体」の要因に非ず。今、米沢市が為すべきことは「官民協働」の精神で自主自立の為の知恵を出し合い、実行することであろう。

  米沢藩は関ヶ原の戦い以後、世の大きな流れに逆行し冷や飯を食ってきた歴史がある。
もし、米沢市が自主自立の道を選択した時、国は「合併を進めた市町村」に対しては地方交付税の優遇処置をし、逆に合併を進めない市町村については配分額を大幅に減らすというのであれば「地方分権と言いながら実質的には中央集権を増強した強制合併であり、地方交付税制度の濫用である」と、地方は国に発言すべきだが三十郎市長にその能力は無い。

  老生思うに「今、米沢市に求められるのは有能なリーダーである」

  《続く》

老生を不逞の輩と書込みされた「老生」氏に。

kage

2008/02/12 (Tue)

 書込み氏は老生を「人の批判しかできない不逞の輩」と極論され「自分が若い頃、何をしてきたか胸に手をあてて考えてみよ」「自分の力不足を考えないで人の批判は卑怯であろう」縷々、老生にとって許しがたい暴言を吐いている氏ならば、貴殿も堂々と匿名でなく意見を述べられのがスジだと申し上げておこう。

 老生は米沢市民の中では知られた人間だと考えている。いわれるまでもなく堂々と意見を吐き、批判をもつづけている人物だ。「かくいう私もだが」に凝縮されているように貴殿には勇気が欠如している単なる老人なのだ。
  いまこそ戦中戦後を生き抜いてきた人間がこぞって社会の恥部を批判すべきだとは考えられないであろうか。
  望んでも命は短いのだ。少しは社会に貢献して生きてきた証をもって終焉を迎えたいものだと日々生かされていることに感謝したいと考えている。

  ご指摘のように特段社会的貢献とは言えないにしても、老生は老生の立場で3人の娘と5人の外孫を社会に出して恥じない教育をしてきたという自負がある。
  3人の娘たちに関して「娘たちの将来に妨げにならないこと」を心掛け自由な結婚を望んだし、妻との二人だけの家庭を構築することに努力してきた心算だ。
  「お前たちが選んだ結婚相手ならば喜んでエールを送るから」と娘たちが成人式の日に伝えておいた。だから娘達は「私が選んだ人をどう思っているのか?」と老生に逆に問いただすぐらいだ。
  高校生を頂点に5人の外孫がいるが、躾だけは厳しい老生でいようと努力している。 孫たちにとっては「やさしい」だけの妻と、時には厳しい老生とが孫たちにとって社会性を身につけることに役立つのであろうと信じているのだ。

  老生は青年時代から「青雲の志」に燃えてきた舞台作家としての道を今もって歩み続けている一介の老人であり、野望のない市井の庶民である。
  ご指摘のように「力不足」である。人の批判を出来る人間ではないかも知れない。

 しかし、一介の庶民が社会に向かって何も批判することが許されないのであるならば暗黒時代の到来の復活を貴殿は望んでおられるのであるか。それこそ時代錯誤というものであろう。
  少なくとも老人が言うべき言葉ではあるまい。なるほど、高橋元市長との級友であるから、ロクな教育も受けていまいとあるが、何を根拠にそれだけの暴言を吐かれるのであるか。
  たしかに学歴は少ない。高い教育は受けたかったが、教育以前に飢えをしのぐという人間本来の役目があったことを知っておいていただきたい。

 高橋も青雲の志のもとに市長の座を射止めた。それが高橋の目的達成であった。老生はまた恩師北条秀司氏門下生として氏の教えに恥じない作家の道を牛歩しているだけの現役である。
  世に知られることが望ましいのか、己れの信念に忠実に生きることが望ましいのかは信念の深さによって異なるものであろう。
 人には信念が生きづいているかどうかが値打ちだと信じているが氏はどのように感じておられるのであろうか。

市町村合併を考える -12-

kage

2008/02/09 (Sat)

⑩ 大きいことは良いことか?
 下記の数字に注目願いたい。

○都道府県面積順位

42, 佐賀県   2,439.58km2    86万人
43, 神奈川県  2,415.84km2   883万人
44, 沖縄県   2,275.28km2   137万人
45, 東京都   2,187.42km2   1,267万人
46, 大阪府   1,896.83km2   882万人
47, 香川県   1,876.47km2   101万人


 置賜圏    2,495.52km2    23万人

 もし置賜全域合併がなされたなら、面積は佐賀・神奈川県を凌ぐ日本一広大な市の誕生となる。
安部三十郎候補は市長選で、このように広大だが山間部の多い土地に、どれだけの価値観と行政効率を考えて置賜全域合併を公約としたのであろうか。

  米沢市より高齢化率の高い市町との合併は紛れもなく「限界集落」(50%が65歳以上の高齢者集落)問題を抱え込むこととなる。
  青森市は浪岡町と合併したが行政管理面積が増え、下水道整備や除雪に費用が嵩み「コンパクトシティ」いわゆる人口の集約化した「まちづくり」に取り組むことになった。
その青森市でさえ824km2に32万の人口である。置賜圏2、496km2に23万人というのは、いかに凄い数字か分かろうというものだ。
このように、とてつもなく広域な合併にどのようなメリットを導き出すというのであるか。

  本会は、合併の要件を考えないまま事を進めるべきでは無いと考える。
合併する際の要件は「歴史的・文化的同一性」「経済的同一性」「日常生活の同一性」「共通のふるさと意識」を考慮して実施すべきと言われるが、米沢市と他市町の住民感情には歴史を背景に大きな隔たりを未だに残し、前述の要件を満たすことは容易ではない。
その上「貧民連合」と揶揄される程の財政基盤の軟弱な自治体同士や、高齢化率の高い市町の合併である。

  「ビジョン無き合併推進」「リーダー無き合併推進」は「船頭多くして船山に登る」の例えのごとく危険極まりない事である。
  選挙において「広域合併推進の方が票になる」「話は大きい方が良い」と思って「置賜全域合併論」を掲げたのであろうが、当選したら「ビジョンは事務方で考えてくれ」という安部三十郎市長の態度に、南陽塩田市長の「事務方を出すことには吝かではないが途中で引き上げることもある」との文言は、取りも直さず安部市長への不信感と非現実論への批判と解釈すべきであろう。

  今回の安部候補マニフェストには「他市町長との個別対話をさらに進め、指導力を発揮します」とある。
  「指導力を発揮します」と公言した以上、事務方に任せるというような姑息な態度ではなく、早急に安部市長自らの考えで「置賜全域合併構想」を述べる事が肝要であろう。

 《続く》

これも匿名のFAXでの投書です。 (2/7)発信の匿名投書への反論です

kage

2008/02/08 (Fri)

御ブログ拝読者「S生」です。

  野村研三氏が敗北した理由!を「遠藤武彦代議士の陰を払拭出来ず」としたことは説得力に欠けます。

  勝敗を分けたのは、御ブログご指摘にあったように「創価学会」員、4千余票が「公明党」中央の指示で「安部」氏に投票された為でしょう? 反対だった場合は「野村市長」だった。

[本会付則] 投票獲得数 4,000票移動した場合

  安部三十郎 23、898→19、898
  野村 研三  15、128→19、128

それでも770票差がある。

これは匿名のFAXによる投書です。

kage

2008/02/07 (Thu)

  質素倹約を旨とし殖産につとめ米沢藩の財政危機を乗り越えた鷹山公を範とした安部三十部氏の再選は時代を見据えた賢明な判断であった。

  一方、挑戦者野村研三氏は「安倍内閣崩壊に導き日本の政治を混乱させた「大物大臣遠藤武彦氏」の陰を払拭出来ず惨敗した。 地元山形県は農業を機関産業としているその代弁者として送り出された代議士が、こともあろうに拝命した農林大臣は「私の望むポストではない」と言い放ち全国民を唖然とさせた。山形県民の恥を全国に曝した歴史に残る"大物政治家?"である。もはや次期衆議院選では県民・党の支持は不可能であろう。

  再選された安部市長は合併問題については、市民の過半数が反対であったし自分自身も合併には慎重であったものを急変し置賜地区自治体に呼び掛け合併協議会を立ち上げております。 各自治体の財務状況は惨憺たるものである。更に今秋実施予定の水道・病院会計・現在塩漬け債権が一般会計に組み入れられる連結会計となり、更に財務悪化が表面化される。

 財務悪化を住民負担に求めたり、この格差社会において税増収を期待することは、もはや限界ではないか。残された道はただひとつ行政経費削減しかない。
  改革の本丸は三位一体、市町村合併である。しかしながら、首長、議員、職員の失業をともなう改革は失職する職員等の会合では実りある建設的な会合となり得るのであるか。

米沢市は「愛」の兜印・直江兼続の大河ドラマ一色だが

kage

2008/02/06 (Wed)

  歴史に詳しいと自ら自認して止まない安部市長だが、観光客が押し寄せる経済的効果を高く期待しているようだ。
 市長の期待通りに観光客が押し寄せ米沢周辺一帯の経済的効果が実現するものであるか疑問のあるところだ。

 老生が独眼流政宗の放映時に「米沢村」なる物販施設を今の城跡苑近くに計画設営した経験からすれば、観光客の動向は放映年度と翌年度の2年間に限られていることがわかる。 他の放映地の統計が概ねそのようなものであることが報じられているようだ。
  まず以て、直江公はメジャーな武将でなかっただけに上杉謙信や伊達政宗公のようなわけには行かないだろうが、折角米沢市の有識者の運動がNHKを動かしたのであるから、それなりに歓迎するのは市として当然のことであろう。

  老生の頃は歴史文学に疎い為政者たちであったから、関心が乏しく現況のような歓迎ムードさえなかったものだ。 せいぜい市の環境生活課が公園内にあるトイレをペンキで塗り替えてくれたものだ。無論、市からの援助はなかった。むしろ米沢村に集まる観光客の駐車料を徴収しようとする市営の物産館員との間に、観光客とのトラブルが起こったことは事実だった。

  問題は直江兼続公の放映に際して米沢の地がどれだけ放映されるかによって米沢市の知名度が変わると推察する方が正しいと思われる。そのために老生はNHKから放送台本の出来上がったものから順次取り寄せ、米沢城での画面を想像したものだ。
  台本は14週が政宗の幼児期時代であったことが幸いした。確かに観光客の動きは確認できたもので、ピークは5月2日の武蹄式当日であったことを覚えている。観光客に応対するには米沢人特有の「殿様商売」は禁ずることが肝要である。

  さて、兼続公といえば兜印「愛」の文字にある。戦国の武将が「愛」の心根をもって戦場に向かうはずがないではないか。謙信公が自ら信仰した昆沙門天の「毘」を旗印としたように、「愛」は愛染明王の一文字を兜印に使用したものと考えるのが正解であろう。
  戦場にある武士の「愛」は「ラブ」ではないはずだ。しかも「愛」の字体は日本文字でなく中国文字から形造られていることでもそれと知れるものだ。だから間違っても戦国武将の「ラブ」に期待することは望ましくないのであろう。
  多くの現代人は戦国時代の殺伐の場にあって「愛」が生きていたとする武将がおったとする奇異な感慨があったとすれば即それは間違いだと訂正するのが常識であろう。

 いずれにしても米沢市民の放映運動がNHKを動かし放映の題材に取り上げさせた功績は大きい。米沢市は「天と地」「独眼流政宗」に次いで3度目の放映である。米沢市民は安穏とする画面を楽しむだけにとどまらず市民の運動を喜び愛でるべきであろう。

本会のネット・アクセツ数が37万数を越えた!

kage

2008/02/05 (Tue)

  2003年9月立ち上げた本会ホームページのアクセス数は37万数千を越していたことを本日になって知った。恐るべきアクセ ツ数である。
 配信当初はせいぜい米沢在住の古紙回収者か、または回収業者関連の若者からの悪意ある書込みが主流だった。老生はこれらの書込み氏らを「ザワネズミ野郎」と糾弾したものだ。

  当時、資源物回収業者は米沢市からの随意委託業者で、回収費用をもらったうえ資源物の処分は業者に任せられていたのである。
  本会はそれまでに資源物が市場で価値ある商品として「値」がつくものだと は考えてもいなかったのだ。が、米沢市に北関東なる古紙回収業者が営業を開始、初めて古紙が売買の対象になることを知ったのだった。

  そこで十年ほど前から資源物回収業者に処分を任せていた行政に「市の財産を特定業者に無償で提供するのは不当である」、「疲弊する米沢市の歳入に繰り入れるべきである」との論理から「資源物回収業者の入札による買取り業務にすべきだ」としてインターネットで市民に広く呼び掛ける運動を展開したのが起点である。

  当時は地元回収業者と思われる悪意ある書込みが続いたものだったが、本会の提案を黙って見過ごせなくなった行政は、年度すれずれに回収業者から唐突な寄付行為を受け付け「只で提供したのではない」とのパフォーマンスを演じたのである。
  十年間もの長期にわたって行政から無料で処分方を任せられ、売買によって得た金額はすべて業者の懐に入って いたことが当会の調査で判明したからである。
  業者たちは協同組合方式によって、資源物の回収費を行政から貰いながら、売買によって二重の利益を得ていたのだ。

  市が回収した資源物(古紙・缶等)は「競争入札を行い、売り渡し代金を市財政に繰り入れるべし」と、本会は二回にわたる「住民監査請求」という手段で行政と渡り合い、平成18年度は6千万円が市の収入となった。

  その他に市行政側は一般廃棄物業者との随意契約を結び、今もって市民の一般廃棄処理を特定企業に高値発注している。
  当会は「請願」という手続きをもって議会承認を得たので、希望する業者に門戸が開けるものと理解したが、既存業者は既得権を主張して、行政に「新たに業者を増やすな」と全国組織のある業界からオルグを召集して米沢市に脅しをかけてきたのである。
  一時は新業者の参入を認めようとした行政だが、オルグらの脅しに屈し、以来、新規参入は認めない方策を取り続けているのだ。

  行政が新参入希望業者に出す「不許可」なる文面は「間に合っているから」であり「業者を増やすことは不法投棄につながる恐れ」があるからだと、今になっても新参入業者を阻止しているのだ。

  その後も行政側の勝手な解釈によって、議会採択された「請願」は破棄されてきたものだ。が、本会は今でも行政の態度は間違っていると信じている。行政の言う「間にあっているから」という言い分は正しいものではない。
  現に不法投棄は行われているのだ。また、一般廃棄物処理に関する処置料の価格は「市民の高負担額を行政が守っている」という考え方も成り立つのだ。

  事業はあくまでも市民の自由であってよい。但し-定の違反行為があった場合の業務停止を考えるだけでよいのだが。行政の判断に「不許可」とはじめから決め付けるのはあたらない。

  行政に後ろ暗い裏行為がないとするならば、市民の新規事業に門戸を開き地場産業の活性化に貢献すべきが行政というものであろう。

堪忍は袋に入れて 首にかけ 破れたら縫え 破れたら縫え

kage

2008/02/04 (Mon)

 広域合併に対する該当市町の合併合意を以て、県に合併の合意を申請するのが本年の5月である。 県は合併意志の確認のもと、県が中に入って合併の詳細に関与したうえで、国に対して置賜地方の合併特例法を申請するのは7月が最終期日と聞いている。

 広域合併問題という最難題関門を目の前にして、米沢市は企画部という事務方に任せてデーターを収集している段階だとも伺い知るところだが、安部市長の4年間における合併問題に対する考え方は「急ぐべきではない」というスタンスであった。

 然るに市長選を直前にして広域合併を宣言したには確かなビジョンに裏づけされたものがあったのであろう。
  まさか国策としてあるからには時流によって「バスへの乗り遅れ」を懸念した再選されることを願った人心掌握術に心を動かされたあげくの決断であろうか。

  広域合併もさることながら、全校実施に3年間も要する中学生の給食とは政治能力に陰りがあるとしかいいようがないのだ。4年間何を思索しながら首長を続けてきたのであろうか。そしてなお再選に手をあげた理由とは何であったろうか。事務方に電話して問うてみた。広域合併後の明るい見はあるかと問えば「今は勉強会を行なっているだけです」という返事が返ってくるだけだ。

  給食については「給食法にしたがって実施する方向を考えているところだ」と優等生の答えだけが返ってくるだけだ。 5月まで首長による合併の意志確認をするというのに、今もって事務方による勉強会だとはのんびり構えるのもいい加減にしてもちいたいものだ。 

  合併による最大の難点は各市町長の合併による覚悟のほどである。各市町はすべて疲弊尽くした市町である。これらの市町が合併したところで米沢市はじめ対象となる各市町の財務状態は等しくマイナス財政にある。悪くいえば第2の夕張市になるかというべき市町である。  要するに「疲弊につぐ疲弊した市町の合併」で合併によって救えるべき市町はゼロなのだ。

  それでも安部市長は合併推進論者に手のひらを返し選挙に臨み再選を果たしたものだ。自分は再選されて上出来であろうがマニフェストの何か完全に実行できるものがあるのであろうか。

有権者に申しわけないが、安部市長再任は、間違った選択であったろうと老生は申しあげておきたいのだ。

  まず広域合併について何んの権限もない事務方が出してきたデーターを了とする市町首長らはいないであろうから、そこで安部市長は責任を事務方のせいにして逃散するのではあるまいか。
  中学校給食の問題についても教育委員会の責任だとして、これまた逃散するようでは自治体の首長としてはあまりにも有権者の期待を反古にしたことにはならないか。

  再選後の安部市長は人が変わったように雄弁であり自信過剰だとも伺っている。安部市長の本音は「市長になりたかったことと、再選したかったこと」に尽きるものであったことを有権者はのちになって知ることであろう。

学校給食は業者で。受益者負担が常識・母と子の結びつきは弁当にある。

kage

2008/02/03 (Sun)

老生は学校給食反対論者である。

  もはや飢餓の状態にある日本ではあるまいし、生徒の栄養管理をいまさらに連綿として地方自治体に課せられた役目とするのは当たらない。

  考えてみるがいい、子と母の愛を繋ぐのは「授乳」であり、食を与える行為である。これが母と子を結びつけてきた絆である。
  母親はわが子の弁当づくりに復帰すべきで、同時に学校給食制度は廃止すべきである。 まして中学生徒まで給食を実施するとは時代錯誤も甚だしいと老生は信じている。

  平等の精神から発露したのであろう「昼食を共にし、好き嫌いをなくし、健康な体を作る」という趣旨には反論はないが、給食によって生まれたリスクを考えてみたことはあるだろうか。
  まず、老生の暴論と言われるだろうが、母親たちが生徒の弁当づくりから解放されると同時に、大方は会社つとめに行く亭主に弁当を持たせず500円亭主という奇妙な社会現象を生み出したではないか。 主婦も共に働いているからといって「弁当づくり」が出来ないという理由はないのだ。わが子や亭主の健康を管理する上からも昼食を外食産業に任せて済むというものではない。

  異論はあるだろうが、家族の健康管理は主婦の任務であることに間違いはない。健康の基準は「食」であり「水」にある。

  戦後団塊の世代はいざ知らず、一家団欒は座卓を囲む食事の場にあった。母親はわが子の食べ方を注意して見守り健康の異変に気がついたものだ。無論、団欒から学校での出来事や、子どもの精神状態なども感じ取れるものであった。
  団欒がなくなった証拠にこどもたちの箸の持ち方、鉛筆の正しい持ち方、なぜか左利きの人間が多く目につくことでも、親達の仕付けの悪さが知れようというものだ。
  食事を家族全員で囲む風習が無くなったのは世界中で日本家庭だけではなかろうか。学歴社会だから大学に進学させる子育ても結構だが「鉛筆を右手で正しく持てる」子供を社会に送りだしてもらいたいものだ。

  どうしても学校給食を実施するのであれば、費用は「受益者負担」を原則とし税金などに頼らないことが第一義であること。給食設備に税金を充当するのではなく「学校給食専門」センターなどを民間会社に依頼することが重要なことだ。
  学校給食のために人件費・設備費ならび材料費など行政に任せたら幾ら無駄が出るか知れたものでは無い。

  老生は給食反対論者だが、中学校給食を続けて行くとしたら、米沢市親子方式はただちに止めて、給食センター起しに行政が関与し、民間活力に頼るというのはどうか。
行政者の知恵はいかに?自分たちの知恵が常に正しいと思い込むことはどうであるか。

生協は組合員の食生活を守り抜いているか?!

kage

2008/02/02 (Sat)

 老生は前々から生協という組合組織に疑問をもっていた。
昨年末に「中国産食物」の一斉引き上げが起こった時期に、隣市の喜多方市内にあるコープの店に立ち寄ってみた。

 コープの店員に問題になっている中国産食品の店内撤去はどうなっているかと尋ねてみた。
店員は「大変迷惑しました。が、昨日店内から商品を撤去したばかりです」と汗を拭きながら答えてくれた。
 店員の後には「中国産の蜂蜜」が大量に展示されている。そこで老生は中国産蜂蜜を指して「相変わらずコープは中国産のようですね。
中国産の蜂蜜は成程値段は安価です。そのわけは純粋な蜂蜜ではないということです。蜂蜜の見分け方は壜を逆さにしてみるとわかるんです。空気の移動が早いものは蜂蜜に添加物や増量材が混入している証拠です。
店長に話してわが国で生産された蜂蜜を薦めるべきでしょうね」とアドバイスして帰ってきた。 後日、当該店内には「中国産蜂蜜」が大量に店内売場を占めていたのだ。

 今般の中毒事件を起こしたのはコープから求めた冷凍食品であった。
コープといえど営業であろうから、組合員だけにかぎらず一般消費者を対象とした時、何よりも魅力は「価格が安い」の一点であろう。
 生協は組合組織だけに「食の安全」には特に気を使っているのだろうという安心感があるそれがコープの特質であったはずだ。が、今回の中毒事件ではコープから買い求めた食品が中毒の原因となっている。
 コープといえども、安価なものが購買の主流を占める以上、食への安全度が疎かになっていったものであろう。こうなるとコープの信頼は薄れ組合組織の意義がなくなってしまう。

 生協に加盟している人達は「生協の商品だから万ガーにも間違いがない」として、生協に寄せる絶対の信頼は揺るがないもののようだった。
生協加盟メンバーは斯くして裏切られて行くのだ。

 かつて老性は各地のコープを見聞して歩いたが、消費者が驚くほど価格の安さはない。信頼の物差しは「食に対する安全」であったろう。現実にはコープの扱い商品は安価な中国食品の提供と蜂蜜のような純粋性に欠けたものだった。
 全国的に中国食品を避ける風潮の中でコープも例外なしに関与していたことは組合組織の解散に通じよう。安いだけなら他の店舗でも求められる。

 食の安全を第一義として生協のレッテルは傷だらけになっている現実を考えてみるべきであろう。生協がつつがなく生き延びて行くためには文字通り「食の安全」を守り抜くことであろう。努力なしでいつまでも神話はつづくものでないのだ。

市町村合併を考える -11-

kage

2008/02/01 (Fri)

⑨ 市町村合併の先達に学ぶ

 市町村合併により誕生し、当時「日本一の広域都市」として注目され
た「いわき市」がある。

  合併以前の常磐地方は本州最大の炭田地帯として石炭を中心に産業が栄えていたが、石炭から石油へと代るエネルギー革命に、地方は徐々に斜陽化の道を進む状況にあった。
  このため、石炭に代わる産業として工業中心の地域振興策が検討され、昭和39年「新産業都市建設促進法」の指定を受ける運びとなった。
 折しも、昭和40年に制定された「合併特例法」を機会に、行政基盤の確立した新産業都市建設が計画され、昭和41年5市4町5村の対等合併で「いわき市」が誕生した。
  そして現在、人口36万人、製造製品出荷額は1兆700億円を超える額となり東北地方第1位の実績を誇る工業都市となった。

  四谷いわき市長の「合併はそれ自体が目的ではなく、合併を契機としてどのようなまちづくりをしていくのかというビジョンを住民の方々に示して、その理解を得る努力が重要」との文言は安部市長に送りたい言葉である。

  「いわき市」から学ぶ点は「人口30万人以上の中核市」「工業中心のまちづくり」というビジョンを明確に打ち出し「合併特例法」に沿って合併を進めた事だが、注目すべきはそのスピードである。
  すなわち、昭和40年に特例法が施行されると翌41年には「いわき市」が誕生した事は「新産業都市建設促進法」の指定をうけるための市町村間コンセンサス(合意)が有ったにせよ新法に対応するスピードは驚きに値する。

  40数年も前の話なので資料を見つけることが出来なかったが、合併を進めるには先見の明がある偉大なるリーダーが存在したのではなかったか。

  「わが町の合併」に目を転じると「リーダーシップを取る」と明言したのは安部三十郎市長である。そして打ち出したのは「期限を定めない事務方による合併論議」である。

  新聞によると、今月29日合併にむけて第一回協議会が開かれたが「財政、まちづくり、コミュニティ」の視点から5月まで、合併後のモデル作り作業を事務方が行うという。

  これには老生、安部市長よ4年間「市長ごっこ」をし、今度は「合併ごっこ」か!と憤懣やるかたない思いである。
  なぜなら、前に述べたが「合併特例法」の適用か否かでは財政に雲泥の差が出るのであるからして、それを決めずに話を進めてもナンセンスというものだ。
  もう一度言うが合併すれば地方交付税は減額されるのだ。それが「合併特例法」の適用なら、5年間は合併しないとみなした3市5町合算分が交付され、その後減額となるが、特例法の適用外なら即に年間100億~200憶円が減額となるのである。

  いわき市長にまつわるエピソードがある。竹下内閣が日本中の治自体に「ふるさと創生資金」として1億円をバラまいた際「36万人の市も1万人の町も同額とは腑に落ちない」と怒りを露にしたという事だ。交付税とはそういうものなのだ。

 本来は人数に比例し、人口の多い市は多く配分されるのが平等というものだろうが、逆比例するのが地方交付税である。これを「調整係数」と呼び、合併により人口が増えれば減額される仕組みである。

  協議会では鶴岡市の「合併後の講演」を聞いたとのことだが、新鶴岡市は「旧合併特例法」の特典である「10年間は合併しないとみなし、合算交付税がもらえる」それに旧鶴岡市は合併の核となりうる財政力を持っての合併であった。
  その鶴岡市も合併前の「実質公債費比率」17.9%は合併後19.2%にダウンし、特例法を生かしても合併は決して簡単なものではない事がうかがい知れる。まして財政力の弱い置賜全域の特例法適用外合併は「貧民連合」といわざるをえない。
どうせ聞くなら「貧民連合」の成功例であろう。

  安部市長よ、事務方にチンタラと「将来のモデルづくり」など任せていないで、いわき市の倍以上ある日本一広大な面積に、いわき市の70%の人口でどのようにしたら税の負担増なくして市民サービスの向上が可能なのか、まず市長が構想を述べるのが肝要であろう。
  それが「置賜全域合併でリーダーシップを取る」との選挙公約の実行であり、事務方に任せるのは無責任極まりない行為である。

《続く》