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運命に人は逆らえないし、人は運命を変えることはできないのだ。

kage

2008/01/31 (Thu)

  古今東西を通じて庶民たちは為政者が創り出した枠内でしか暮らし向きは成立して来なかった。
 ここにきて永田町界隈の政治論理が交錯し、庶民には理解できない政情が醸し出されようとしている。為政者の考えることは今も昔も変わりないようである。

 わが国の国会議員の数は米国に比較して数倍の議員数がいる。にも関わらず国家の財政が危機的な状態とはいかがなものか。
財政の困難とは裏腹に、国家権力による膨大な無駄な歳出に歯止めする知恵も勇気もないのはなぜか。
米国なみに議員定数を削減した場合の歳出減はいかほどのものになるであろうか。
為政者が第一に考えるべきことは議員削減にあるはずだ。庶民は議員定数がどうあろうとも重大な関心は国が抱えている天文学的数字の国家的借金財政であることだ。

  さて、大阪府知事に当選した橋下氏は当選直後のインタビューに答えて、「予算編成にあたり、従来の歳出基本方式から実質歳入を見極めた予算を組むことが大切だ。
最初から赤字予算を組みながら、足らない分を借入金で埋めるというやり方は認めない。不足する分があれば自分たちの足元から出して埋めることだ」と語っている。
  予算を組む府職員の甘えが大阪府の財政をダメにしたという論理であったろう。が、橋下新知事の本音は当選直後だっただけに感激の熱意冷めやらぬ興奮時の言葉か、新年度の予算案編成では「府債発行ゼロ」方針を撤回した。
  新知事が本気で実行した場合、全国の庶民たちは一斉に歓喜するであろうが、政府をはじめ地方自治体の首長・議員・職員たちの総スカンに出会うことだろう。
  庶民の興味は橋下新知事のバッシングが何時だれの手ではじめられるかにある。
庶民が運命に逆らえるものであれば「橋下新大阪知事の本音」を支援できるのだが。

 どの家庭でも「家庭全体の収入で支出を計る」のである。
夫の収入以上に妻が派手な暮らしを望んだならば、家計は借金財政、もしくは家庭破綻の運命にある。
  同じようなことを国政も地方自治体も平然と行なってきたのである。「自分が使いたい分だけ先取りして、支払いは親任せではどうなる」 為政者は、恥ずかし気もなく「赤字予算を組んで」言い訳は「地方交付税が削減されたので」ではもはや為政者とはいえまい。

 米沢市が直面している広域合併問題は多難と見る。100名余の議員削減に抵抗する議員もいよう。首長も同様7名の首長が職を失うことになる。庶民の見えないところで合併の難問があるのだ。

  さて、政治家たちの本音は自己保全にある。疑惑が問題ではない。自己保全を揺るがすような国家的激震が走るようでなければ庶民は納得できないのだ。 33年間もつづくものを暫定処置だというならば日本国語はもはや政治家たちによって「死語」にされたも同然であ
る。

橋下弁護士「インタビュー」に答えた

kage

2008/01/29 (Tue)

 大阪府知事には長年問題の知事が君臨していた。 その結果が大借金の都市になっていった。 橋下氏は38歳の最年少知事となる。
 テレビタレントという呼び声も高かった橋下氏だが、知名度ではたしかにテレビの影響が味方したろうが、橋下氏は官僚操作術に問題の発言をしている。

 予算の組み立ては従来のように「歳出主義」を認めず、あくまでも「実質歳入主義」で予算を組むこと。  「足らない部分は自分達の給料で補填せよ」。
  政治家の発言としては「勇気ある発言」である。 今までの政治家で誰一人として発言したことのない「足らない予算を組みながら、残りを借金に頓よるような予算は始めから組むべきではない」と、職員達の給与カットを示唆したものである。

 大阪府職員らの日常的なバラ撒きによる無駄使いについては全国的に知られてきた。それらを是正しないことには膨大な借金の額を後世に残すことになる。
 「不満のある職員は止めてもらって結構」だと語る。 若いからと支持を受けたにしても、地方政治に疎い橋下氏である。当選当初から「このような発言をしてよいものだろうか」という声も大だ。
  まず「議員たちによる袋叩きが待っている。ことは議員たちの収入に及ぶことである」「職員達にも及ぶ発言だ」新知事の発言によって大阪府の激震が長期化することは間違いな
い。
  考えてみると新知事は当然のことを言ったまでのことだ。 大阪府職員に限らず地方自治体に属する職員たちにも多大な影響が出るものと予想されるものだ。

  公務員有利な社会にあって「歳出を主体にした予算」の組み方が正常だとしてきた慣習は根底から崩れることになり、公務員達の甘い考え方が是正され、借金財政への平常心が崩落することに繋がるものだ。

  日本国民あげて新知事の発言を歓迎するであろう。 若き弁護士と大阪府職員たちとの激闘がはじまる。橋本知事はどのように対処するのであろうか。全国民が注目すべき日々がつづくのであろう。

  国民には官僚の無駄使いや官製談合の事実、ガソリン暫定税の問題等など官僚議員らによる汚濁が次から次ぎと出てくるに至って国民の快哉は新知事の発言によって高まるばかりであろう。
  国民にとって官僚・議員らがもちつづけている「国民ごときもの」なる国民蔑視の感覚に怒り狂う日は間近に迫っているのではあるまいか。

  暫定といいながら33年もの長きにわたるガソリン税である。与党も正当な言い訳がつかず 「さらなる暫定案」を国会に上程するという苦肉の策と、呆れたことに暫定ガソリン税を廃止すれはCO2削減に支障が起きるだとかバカにも限度がある。
まず、いったん集めた税金を廃止すれば再度集める時苦労するなどの論理には呆れ返るばかりだ。

  道路財源が問題になっている中に職員のリクレーション用具に浪費し、しかも職員のアパート建設のために使うなど叩けば彼らの成すことやることに正当性が見いだされるのか。

受賞者の顔(内藤政利君・旭日小綬章)を祝す。

kage

2008/01/28 (Mon)

 昨年秋の叙勲で老生の級友内藤政利君が「旭日小綬章」を授賞された。
 昨晩、老生も祝賀会に招かれ300人余の参会者と共に名誉を喜びを分かちあえたことは誠に嬉しいことであった。
 型通りの祝辞の後に授賞者として挨拶に立った彼の挨拶は白眉だった。「人はひとりでは生きて行けない。人との交わりの中で生きて行くものだ」
 その言葉は、戦後興讓館高校千喜良英之助校長が常に薫陶された言葉であったことを思いだした。彼の心の奥底に生きづいていた座右銘であったのだろう。
 そんな彼が地方政治に志を立てたのはまさに正解であった。彼には奢りがなく、常には笑顔で人に接する特質があった。よくぞ疲れないものだと老生は思いつづけてきた。彼にはてらいのない政治哲学があったことを改めて認識させられたものである。
 いまは万感の思いをこめて「おめでとうと申し上げたい。「おい内藤、モーニングの新調に金がかかったべ」帰り際に老生の毒説を浴びたものの、授賞者として気品に満ちた彼にモーニング姿がよく似合う彼に改めて「おめでとう」と挨拶して帰途に着き、妻の酌で嬉しさを噛み締めたものである。ちなみに彼の妹御と老生の妻とは東高校の同級の仲である。

 今まで老生は彼を違った見方をしてきたようだ。高橋幸翁元市長の政治を一途に支えてきたように思いつづけてきたが、彼の挨拶を聞くにおよんで高橋幸翁とは距離をおいた彼の政治哲学があったことに気づいたものだ。
 高校時代から高橋と内藤との仲は一枚岩で「赤の兄弟」と言われ続けてきたきらいがあったからだ。当時の高校には「昼間部」と「夜間部」の二部制に分かれていて「稼業を継承する者」や「農家の長男」らは夜間の二部に勉学の道を選んだものである。その点では現在の「定時制高校」とは多少意味合いが違うようだ。
 また老生のように「家計を支える立場」にいた者も同様に昼は一般勤労に従事し、夜間に疲れた体を勉学に通うという自由時間を持てない勤労学生群がいたことを記憶に止めて頂きたいものである。
 貴重な時間を彼はバスケットのレギュラーとして活躍しながら、高橋幸翁と生徒会の会長副会長として政治活動に目覚めて行くことになるのだ。
 高矯を最年少の市会議員に送る中心人物は内藤であり、老生は高橋と三輪車に同乗して当時の砂利道を遊説して歩いたことを思いだす。高橋を当選させ、彼は遅れて立候補し市議会入りしたが、あくまでも高橋主導の議員活動であると周囲には見えた。彼はあくまでも高橋の城内家老としか世間では評価していなかったようだが、高橋を市長に当選させた晩、彼は老生に「市長にするまで十年かかったな」と感慨を洩らしたものだ。
 あまり表面に出ることを好まず作家活動にうつつを抜かしている老生だったが、300余名の参会者で埋め尽くされた会場には老生に声をかけてくれる懐かしい知人達も多く日頃の無沙汰を恥じ入るばかり。「内藤、良い政治家になったな」


広域合併は米沢市にとって「損か得か?」この難問を安部市長はどう決断するのであるか?

kage

2008/01/25 (Fri)

 広域合併は国家の基本であるから、本来は「広域合併」はすべきものであろう。が合併他市町の財政を勘案するかぎり米沢市の立場は誠に微妙な立場におかれていることが理解できる。

 置賜3市5町の財政基盤はことのほか脆弱で、米沢市も脆弱な基盤に立っているが、他市町の財政基盤は米沢市の比でなく、脆弱さは市町の存続すら危ぶまれているものだ。

 合併には2通りの方法がある。「対等合併」か「吸収合併」かのどちらかである。米沢市の場合「吸収合併」に準ずる力量は考えにくい。ならば「対等合併」となるとこれまた考えものだ。
 米沢市を除く他市町の財務内容があまりにも酷く飯豊町に至つっては町の実質税収の4倍が地方交付税に頼っている状況が町政を成り立たせているという具合だ。
 ちなみに米沢市は税収の約0.6倍の交付税だ。それに対して長井市・南陽市・高畠町はいずれも税収の同額以上の交付税に頼っており川西町・白鷹町・小国町は2倍強 ・飯豊町に至ってはナント3~4倍もの交付税に頼っているのだ。
 表現は悪いが合併対象地域は米沢市は勿論「すべて貧困地域」同士の貧しい合併だということになる。しかも超高齢地域同士の合併ということになる。

 はじめ安部市長は合併に難色を示したが選挙直前になって主張を急転回させたのには「市長選に優位であるから」という理由と伯父後藤源県議からのアドバイスもあったのであろう。
 後藤県議には県知事からの特段の合併依頼があったと推測する方が正しい見方というものであろう。それにしても置賜地域の合併に対する県の考え方はどうであろうか。

 以上のようなデーターが示す財政破綻寸前同士の合併には難問が山積し過ぎているのではあるまいか。
このままの状態を抱えた合併問題で市民を説得するわけには行かないであろう。

 さて、安部市長の決断とは、合併後の舵の方向とは? たとえ優柔不断な安部市長といえども「自由の風」の旗の元で決断と見通しを市民に示す責任がある。
 安部市長が向かえた「最大の難問題」だということになる。しかも5月が合併特例法に間に合せるため期限となる。
 現在事務方(企画課)職員の手でデーターの収拾が行なわれているというが、各市町の首長らの合併に対する意志確認は出来るのであろうか。首長らの意志確認で統一するには「超高齢化が進む地域の合併に、合併後の明るい見通しの確立」が必然となってくる。

 合併後の広域産業とは広大な土地利用から大形農業圏と大形畜産圏との振興策で以て、わが国の「安心できる食料基地」としての位置づけがあろう。
 農業離れが進んでいる農業圏である。政府の食料に対する失政から将来、食料危機がおとずれるのは必然であろう。「人は食うために生きているのではなく、生きるために食料を求めるのだ」
 その食料危機がわが国を襲ってきたとき、減反政策や輸入食料にだけに頼っている現状では「生きるために、安心して食べられる食料の基地」こそが置賜地域の合併に関する定義であろう。
 ブランドの米沢牛の増産、有機栽培よる農作物の増産を基本政策、そして企業誘致が考えられる。
 老生は過去に稲作の二次加工によって「米の価格が5倍になる芽出し玄米」の提案をしたことがあった。今では「五穀芽だし玄米」などがTVでコマーシャルされているが、老生の提案は10年も前のことである。


第四中学校の父兄からの投書―――補習事業に問題はないか?

kage

2008/01/24 (Thu)

 第四中学校では今期高校受験希望者に独自の「受験者用補習授業」を行なっているがその授業内容に父兄から問題が提起されている。

 補習授業の内容をみると放課後に行なわれているらしいが、補習時間割りでは、15分間は先生が授業に立合い、残りの35分間は生徒同士の「教え合い」の時間となっている。
 父兄はたった15分間の先生立合授業で「残りの35分間」は生徒同士の教え合いでは時間が無駄ではないかという意見である。
 学校長はとかくパフォ-マンスに過ぎる傾向のある人だけに、15分間の先生による補習では学力の向上はのぞめなく意味のないことだと父兄は不満を洩らすのだ。
 ならば、35分間の補習を止めて、塾に行く生徒に無駄だと思われる時間を活用させた方が良いという意見だが学校側はどう応えるものであろうか。
 生徒同士の教え合いプリントは受験に役立つものだとは思えないこと。まして冬場であり帰宅時間が5:00~6:00では家庭的にも心配だし、むしろ無駄だと思われる。時間を切り上げて「健康に留意して家庭で勉強するように」と指導されるのが本来すべき指導ではあるまいか。

 こんなに生徒を補習という名で縛りつけ時間の無駄使いをしているという感慨は父兄側にはあるようだ。
 補習は強制的にすべきものでなく、生徒や家庭に任せるべきだという意見のようだ。いうなれば補習という形はあるにしても実質的に15分間の先生立合いだけの補習では補習効果はあがらないものだと断じている意見だ。
 投書の最後に「先生方は何を考えているのだろうか?」という疑問すら父兄にはあるようだ。
かつて老生も補習時間に出たものだが、補習時間には先生方も真面目でことのほか熱の入った授業であったことを申し伝えておく。


市町村合併を考える。 -9-

kage

2008/01/23 (Wed)

⑦ 各自治体の財政内容(その2)
 自治体の財政力を知るには、自主財源は大きなポイントであるが、その内の市町税と国からの交付税に注目してみよう。

平成19年度予算額より
    市町税(億円)  普通・特別交付税(億円)
米沢市 114       72.5(0.6倍)
長井市  33.5     36.7(1.1倍)
南陽市  36.2     39.7(1.1倍)
高畠町  21.9     35.3(1.6倍)
川西町  13.5     40.1(3.0倍)
白鷹町  12.7     34.8(2.7倍)
小国町  10.7     25.2(2.4倍)
飯豊町   6.8     26.9(4.0倍)

置賜圏 249.3    311.2(1.2倍)
山形市 372       80.6(0.2倍)

 上の数字から、いかに国からの交付税だのみの財政であるかを知ることが出来るが、問題は合併後「交付税」がいくらになるかである。
 置賜全域合併後の人口は山形市とほぼ同じであるから、国からの交付税額は計算によっては年間110~190億円の減収となる。
 このところ毎年、交付税額は前年対比で5%ほど減額されているからして、合併するしないに拘わらず自主財源を確保した「自主自立」が肝要となるが、老生には合併のメリットをどのようにして導き出すのか皆目見当が付かない。
 いろいろ数値を見てきて「置賜全域合併」とは耳障りは良いが、合併準備から合併後も、とてつもなく大変な大事業であることが分かる。

 いずれにしても「置賜全域合併にリーダーシップをとる」と選挙公約した安部市長の描く20年後の置賜地域像を市民に披露してもらいたいものだ。

《続く》


豊かさとは?

kage

2008/01/20 (Sun)

 「金」が無いのは「首」を失った人間と同じだ。古典落語では揶揄的に表現をする。
なるほど「金が無くなると市政どころか国政まで激しい闘争に入る」 まさに人間も動物であることに疑いはない。
 動物の繁殖数はエリア内の餌の量による。こう考えてくるとわが国の「小子化傾向」は動物的本能から「食料の枯渇化」に適合しようとする前触れかも知れないではないか。

 童話本「ソロモンの洞窟」では作者の意図したものはなにかを考えた時、老生は恐怖を覚えた。
ソロモンの伝説的な宝物を信じた探検隊が想像だにしない艱難辛苦を克服したあげく辿りついた洞窟の中には、伝説通りの「金銀財宝が眠っていた」のだ。
 探検隊は狂気して財宝に身を曝したが、時間がたつにつれて冷静さを取り戻した時、食料のないことに気づいたのだ。
 「人間が生きるためには食料と水が必要だった。金銀財宝は食料にはならない」白骨化した探検隊の末路の傍らで金銀財宝が洞窟の中で輝いていたという筋書きだったように覚えている。少年時代の読書感想である。
 アスファルトジャングルではダイヤモンドは価値を放つであろうが、雪山などで遭難し孤独を味わった時、人間は一片のパンとコップ一杯の水を求めるであろうことに異論はあるまい。

 作日、スタッフが集合した折り老生に「戦中戦後に自殺者は希だったと聞いている。が、現在は毎年3万人を越える自殺者がでている。これの意味するものは何んぞや? 」
 たしかに戦中戦後は食料が枯渇し、想像を絶する生活が日本人全員に課せられたことは事実だ。
動物の本能は生きようとするあがきにも似た行動をするものだ。農家は金で食料を売ってはくれない。ほとんどが着物などの物々交換で、国民はタケノコ生活を余儀なく送っていたものだ。
 交換物が無くなれば手当たり次第の食料調達である。老生も少年期には食べられるだろうと「コスモスの花や金魚草」を口にしたこともある。
 そのような我々を救ってくれたものが「笹の実」の実りである。他にも少量だが、軍隊が貯蔵していた鮭缶やスルメなどがあった。いずれにしても食料の枯渇は人類にとって金銀財宝に勝るものであった。

 あの上杉藩の殿様でも食料と交換するために宝物を投げ出し、ために豪農だった「宮坂考古館」が存在している。
 期待の「伝国の杜博物館」の展示物が見る影もなかったことが何よりの食量枯渇時代の名残だといえなくもない。

市町村合併を考える。 -7-

kage

2008/01/19 (Sat)

⑤ 町の活力と効率

 地域活力評価に高齢化率(人口に占める年齢65才以上人口)が有り、行政効率は人口密度に左右される。つまり若い人が集約している町が活力有る町と言えよう。
下表を参照されたい(人口は住民基本台帳よりH19.3.31現在)

    人口(人)高齢化率(%)面積(平方㎞)人口密度(人/平方㎞)
米沢市 89,559   24.73    548.74      163.21
長井市 30,554   28.02    214.69      142.32
南陽市 34,857   26.58    160.70      216.91
高畠町 26,256   25.87    180.04      145.83
川西町 18,561   29.45    166.46      111.50
白鷹町 16,400   29.55    157.74      103.97
小国町  9,569   32.07    737.55       12.97
飯豊町  8,677   31.29    329.60       26.33
    人口(人)高齢化率(%)面積(平方㎞)人口密度(人/平方㎞)
置賜圏 234,433   26.8    2495.52      93.94
山形市 251,426   22.71    381.34      659.32
全国平均高齢化率  20.80(H18.10)

     職員数 職員数/住民千人  議員
米沢市 1,163    13.0        24
長井市  289    9.5        18
南陽市  364    10.4         21
高畠町  404    15.4        19
川西町  246    13.3        15
白鷹町  232    14.1        14
小国町  197    20.6        16
飯豊町  132    15.2        12
     職員数 職員数/住民千人  議員
置賜圏 3,027    12.9        139
山形市 2,471    9.8        38

《続く》



嫁が田舎の姑にいった言葉を引用すれば

kage

2008/01/17 (Thu)

 孫見たさに田舎からはるばる上京してきた老姑に親切気に嫁がいった。
「都会の信号は田舎と違って、赤になったら道路を渡るんですよ」
そのあと老婆はどうなったかは知らない。

 同じことが政治によって繰りかえされている。「暫定ガソリン税」の値下げ問題だ。「暫定」という言葉の意味は?
 都会も田舎も同じく「しばらくそれと定めること・かりにとりきめること」と広辞苑には書いてある。
 「暫定なる処置」を繰りかえし積み重ねていくことによっていつの間にか「暫定処置が正常な処置になる」恐れが国民にある。暫定ガソリン税が道路財源になるという政府の考え方は国民の支持を受けたのはひと昔前のことだ。
 ガソリン税に暫定ガソリン税を足して、合計した価格にさらに消費税だ。「日本国は税金に消費税をかける国」不思議な国である。それでいて消費者が黙っているこれまた不思議な国民である。
税金に税金を上乗せした価格を払わされてきて抵抗もしない国民である。

 国民の「赤信号」は、政府官僚の常識からは常に「青信号」であるか?道路が必要であれば「国家予算」の中で作れば良い。予算を策定するのは政府筋であっても、予算案を承認するのは立法府の議員である。
 ならば疲弊した国民からの血税に固守する前に、国民から見れば格差社会の中で優位な生活を保証されている議員たちの足元を留意し、無駄のない行政を断固行なうことである。報道されているような「無駄使い」や「拝金主義」を撲滅する勇気こそが国民から求められている責務である。

 昔の政治家は「井戸塀」政治家と言われたものだ。政治のためには私財を投げうつ政治家魂があったからだ。私財を肥やすためだけの議員を国民は政治家と呼ばない。恥辱にまみれながらもなお「花も嵐も踏み踏み越えて」は愛染かつらの唄だけにとどめておきたいものだ。

 安部市長もまた「花も嵐も踏み越えて」と題した綴り方風のエッセイともつかぬ文章で悦に入っているようだが、踏み越えて成す努力の方向がデタラメでは市民はどするというのだ。もはや安部は市長の器ではない。

 昨今の官僚の中には防衛庁だけでなく、国の機密をロシアに売り渡した官僚が懲戒免職となったとニュースが報じている。 金のためには「なんでもあり」とする議員官僚たちの腐った根性は国民の宝刀でブッタ切りたいのが心情だ。「暫定」を積み重ねてゆくことで国民に馴合い的にあきらめさせる手法は断じて許されない。たかが25円の暫定税であるが厳寒の北国では灯油の値上がりは死活問題である。

 国民は老姑ではない。嫁の甘言に惑わされることなく信号は「青」で渡ることを忘れない。暫定の解釈も本質をも反古にして「青」を「赤」だとする政治家とは国民を愚弄する低次元な政治家だとはいえまいか。国民は議員官僚たちのもつ「権力に巻かれる下僕」だけではいられないのだ。 4


中央商店街開発で今できることは? 一方通行の解除から。

kage

2008/01/16 (Wed)

 中央商店街を活性化する方法に頭を絞られていることはご同慶のかぎりだが、大きなことを忘れておられるものと判断する。鍵は一方通行の解除だ。問題の通りは米沢駅に直通する目抜き通りであることだ。市民広場前から駅まで直通できないところに商店街の不振が重なってはいないだろうか。
 老生の自慢話として捉えないで素直に聞いてほしいものだ。以下の話は真実であり肝心の老生すら「瓢箪から駒が出た」と驚いているぐらいなのだから。

 米沢市内の一方通行が解除されたのは大部前のことになるが、一方通行が解除された裏には老生と故鈴木雅智氏が介在する。
 知人の故鈴木雅智氏宅で老生と雑談を交わしているうちに、雅智氏が老生に警察の不満を洩らした。それは。
 「息子夫婦のために自宅側に喫茶店を開いた。それなりの固定客も増えて営業は成立していたのだが、一方交通になってから客足も遠ざかり営業を断念せざるをえない所まで追い込まれた。
わたしが納得できないのは「あら町から電電公社までは対面交通だが、電電公社から上杉神社までの道路は道幅も同じ、通行量も同じなのに、どうして一方通行にしたのか。
 まして上杉神社は米沢市の観光拠点でもある。電電公社まで観光バスが来て、そこから神社が見えるのになぜ遠回りして観光スポットまで行かなければならないかという疑問だ」

 問題は「通行量」も「道幅」も同じでしかも「上杉神社に直通できる道路」であるのに一方通行の規制をかけるのは納得が行かない。と言う趣旨であった。

 そこで老生は交通課に電話して理由を聞こうとしたら、偶然か新任の交通課長が電話に出たものだ。そこで新任の交通課長に以上の説明をしたところ新任の課長いわく「わたしは新任課長として赴任してきたばかりで、米沢市内を見て不思議な町だと思いました。あなたのおっしゃる通りで例の道は規制する道路ではないと考えております。これだけ不便な規制に苦しんでいる町としては、規制を外すよう申し入れがありそうなものの、規制以来行政からも一回も規制に関する問い合わせがなかった不思議な町でした。わたし自身でもおかしいと思う部分が多々あるようなので検討してみたいと思っていたところでした」概略こんな会話だった。

 もともと電話する時はダメもとの感覚だったから、当該課長の思い入れもアテにしないでいたところダメもとの勇気が真実になり米沢市全体の規制がはずされたのである。
 「一方交通を解除させたのはオレだ!」と宣伝する県会議員もいたようだが、老生と雅智氏は喋らないことにした。
 以上が真実である。惜しいかな鈴木雅智氏は故人となられたが、米沢女子短期大学の事務次長を最後に退職なされた方である。
 氏は上杉神社の杉の大木で孵化する「おしどり」の観察と飼育をされていた方だからご存じの方も多いようだ。「おしどり」の観察と飼育のために滋賀県彦根在まで老生の「美術バス」で同行される熱心な方であった。
 氏が生前慈しんだ「おしどり」の姿は上杉の堀に今は見えない。蓮の株が減少したからであろうか。名所欠落である。

 行政のやることはこんなものである。行政とは自分達の為したことに自慢はするが失敗には謝罪をしないものである。鈴木雅智氏の死を悼んで市民各位に披露するものであります。
鈴木氏は盆踊りの名手で「盆踊りのおじさん」の異名をもった愉快な方だった。

 一方交通解除の逸話でした。素直に信じてほしいと思っている。

市町村合併を考える -6-

kage

2008/01/15 (Tue)

④ 歴史的背景
 合併には各自治体の歴史的背景を無視することは出来ない。
置賜2市5町の住民が米沢市民を「ザワ衆」と呼ぶのは、過去のわだかまりが未だに残る証であり、この感情は上杉藩120万石が、会津より30万石に減封され、米沢に移ってからの藩政に起因する部分が大きいのでは無かろうか。
 通常減封されたら家臣の召し放ちを行うが、米沢藩はその策を取らなかった。120万石時代の家臣をそのまま召し抱えた藩は財政が困窮し、近隣農民に過酷な税を課せたことは容易に想像が付く。

 明治2年藩籍を奉還、明治4年に米沢県と改めた後、現在の東南西置賜郡・米沢市を「置賜県」とした。
 その後、編成替えが有ったが明治22年市町村制の実施により、南置賜郡から独立し米沢市の誕生となる。この時全国で39の市が新たに誕生した。すなわち市政が制定された初年に生まれた歴史ある米沢市なのである。
 「昭和の大合併」後、現在の置賜3市5町となるが、昭和には米沢市より木村武雄・黒金康美の強力な代議士が誕生し、その政治力は置賜地方のみならず県内に於いても米沢市の存在を強く位置づけるものであった。「八幡原工業団地」も木村武雄代議士の尽力によるところ大にして、米沢市の今が有る。

 こう見てくると米沢は常に支配的立場で置賜をリードしてきた訳だが、支配する側とされる側の思いというものは、現在でも格段の開きが存在するであろう。
 歴史に関心のある安部市長であるから、その点は充分考えに入れての置賜全域合併を選挙公約としたのであろうが、それを進める手法はあまりにも稚拙である。

 考えても見てみよう。一般社会で内容の良くない会社が数社合併しようか迷っている時、従業員に「どうしたら良いか考えてくれ」などと言う社長が居るだろうか?
 まずトップ会談で大まかな方針を定め、実務を事務方が行うのが常識であろう。
 大事に於いては常識を越える奇策も時には思いがけない大きな効果をもたらすが、事、広域合併については今年7月まで結論を出さなければ成らない時間的制約がある。
 事務方が話し合っても、会議の内容を持ち帰り首長の判断を仰がなければならない訳であるから時間が掛かるのは当然であり、新合併特例法の期限には到底間に合わないだろう。
現に市長は「期限に拘らないと」言明している。

 すると「期限後」の合併を進めることになるが、前にも述べたように期限後の合併では置賜全域で年200億円もの普通交付税が減額され、更に国庫助成金が減額される。
 そして職員は合併の途端に身分を失う訳であるからして、任せられた事務方職員が本気で合併を推進するなどとは考えられない。
 安部市長特有の「やるふりをして何もやらないパフォ-マンス」で4年を過ごし、「住民の意見を良く聞く民主的な市長」と宣い、又市長選に立候補しようとの魂胆だろう。

 再度言うが日本は「直接民主主義」ではなく「議会制民主主義」国家である。すなわち住民は選挙により選ばれた首長と議員に施策を付託したのであるからして、一々住民の意見を聞いて事を進めるのではなく、首長が方針を立て議会に諮るか、議員が提案し議会決議で事を進めるのである。
 事、市町村合併については「住民投票」による意志決定も有るが、其れはあくまでも議論が煮詰まった最終段階での事である。初期段階からみんなの意見など聞いて事を進めていたら議論百出で何年かかるか分かったものではない。

 安部市長よ、合併した20年後の置賜未来像を語ってみよ、語る責任がある。
 鶴岡市・酒田市は合併特例法を活用したが、其れを活用せずに「置賜を一つとする広域合併」の財政面を含めた具体的推進論を話すべし。

《続く》


議員報酬は日当性に―――波紋おきる矢祭町議会(福島県)

kage

2008/01/14 (Mon)

 昨年、福島県矢祭町の議員による提案「議員報酬を日当性にする」という提案が議員多数で採決されたことがニュースとなって全国に流された。提案議員は山林の仕事をなりわいとする材木会社の社長だ。それまでの矢祭町議員の報酬は年間320万円無論ボーナスも含めた報酬だった。

 矢祭町は市町村合併を行なわないと宣言した町でもある。そこで町単独での行政を維持するためには議員報酬の削減も止む無しと、議員報酬を削減する提案をおこなったわけだ。
 その提案とは議員日当性の実施方であった。 議員数10名のうち8名の議員が日当性に賛成、議会を通った。
 今朝の報道番組を見ていると、日当性に反対する議員が出てさらなる物議を醸し出す結果となっている。議員が議会に召集されるのは年間30日程度だ。それに年間320万円の支出はあたらないとする意見と、日当1日3万円の割合では年間議員報酬は90万円では生活ができず議員は金持ちにしかできないという意見である。が、一方賛成議員は報酬の額に関係なく「町を良くしようとする若者」の出馬があるはずだ。という二つの意見があるようで今後の成り行きが注目されている。

 さて、わが市の場合を考えてみた時、はたして米沢市議会議員たちは多額の報酬に見合った議会活動を行なっているのであろうか。はなはだ疑問に思うことがある。議員になって何年間も一般質問をしたことのない議員もいると聞く。老生もときたま議会を傍聴することがあるが、中には意味不明な議員質問もあって、答弁する当局側の答弁も歯切れの悪いものが延々とつづいて時間切れということで、聞いている市民の方が消化不良のまま帰ってくるという場面も多いものだ。
 議員の質問とは「内容が切実で、伝える話術が的確」でなければ意味がないものであるから質問議員は「他人に伝える技術」をマスターすることと、答弁する当局側は原稿を読み上げるだけでは人に伝わらないということ、まて「言葉をはっきりなまらないこと」が最低の技術であろう。それが仕事であるからだ。

 さて、矢祭町の議員日当性はどうだろうか? 全国でもはじめての議員提案である 日当性は永田町の議員にとっては地殻変動ともいうべき変革であろうから、全国に波及することはどんなことをしても「食い止めたい問題」であろうから、矢祭町の議員日当性は-大波乱を巻きおこすことは必死だと老生は考える。
 日当性を実施しながら、議員活動に必要な「政務調査費用」を補填するようであれば「働く議員」と「そうでない議員」との区別が明確にされることによって市民には一層納得されやすいという特典がある。
 日当性にすると「生活に支障のない金持ちだけの名誉職」となってしまうという意見もあるようだ。が「名誉職」結構だと老生は考える。昔の政治家は名誉職が多かった。与えられた名誉を汚すまいとして正論を吐いたケースが多かった。

 実存する議員の多くは「名誉」を希薄に解釈し「議員職の報酬・経済性・利便性」に重点をおいているのではあるまいか。そこには「格差社会」もわれ関せず自己本位の議員たち闘争が繰り広げられているだけだと伺えるがどうだろうか。
 こうしてくると矢祭町の議員日当性も真実をついているように考えられるものだ。現在の議員報酬に見合うような働きをしている議員はどれだけの数であろうか。

市町村合併を考える。 -5-

kage

2008/01/13 (Sun)

③ 新設合併(対等合併)と編入合併(吸収合併)
 合併には、
A+B+C→X市、となる「新設合併(対等合併)」と
A+B+C→A市、となる「編入合併(吸収合併)」がある。

 編入合併のA自治体が米沢市と考えると、他の7市町が米沢市に吸収され、米沢市主導で行政が運営される訳であるから、これをまとめ上げるのは不可能と考える。
 よって置賜全域合併は「新設合併(対等合併)」になるだろう。

 それでは新設合併による、置賜が1つの新市誕生の場合を想定してみよう。
合併準備期間の話し合いは、各市町が対等の立場で意見を主張し合う訳であるから、そこには必ず「地元住民利益優先」の論理が展開されるであろう。

 地域エゴむきだしの議論の中で、我が安部三十郎市長が置賜23万余の住民が納得する新市誕生を成就することが可能であるか? 老生は、彼の4年間の言動を鑑み不可能と断言する。

1月11日に行われた斉藤県知事と置賜3市5町首長の意見交換会の内容をみてみよう。

・県知事(斉藤) 新合併特例法の期限内に置賜は1つの広域合併の考え。
・長井市長(内谷) 新合併特例法の期限内に合併を進める。首長、事務方の役割が不明。
・南陽市長(塩谷) 置賜を1つとするのは現実的でない。複数の枠組みで考える。
・飯豊町長(斉藤) 首長で合意すべし。
・白鷹町長(橋本) 地理的条件から単純ではない。
・小国町長(小野) 地理的条件からむずかしい。
・高畠町長(寒河江)地域文化の違いから3市五町の枠組みは難しい。
・川西町長(原田) 新市名を米沢市に拘らないで推進。
米沢市長(安部) 事務方の勉強会をやろう。その中から方向性を見いだそう。

 なんと、我が安部市長は私見を述べるのを避け「事務方勉強会」にその責任を転嫁した。
具体的な仮説合併論を提示した上での勉強会なら協議も進行しようが、白紙を持って事務方が集まったところで何となる。時間と税の無駄遣いというものだ。 

 今回の意見交換会で注目する点はどの市町も「編入合併(吸収合併)」は考えていないことと、3市5町が1つとなることは現実的でないと思っている事だ。
よって、安部市長が主張する置賜全域合併は「新設合併(対等合併)」しか無いが、安部市長主導によるその可能性はほぼ0%と思って良いだろう。

 それ以上に注目するのは合併の時期である。
県知事と長井市長が新合併特例法の期限内に拘った考えを示したが、他の首長は言明していない。
 改めて特例法の「期限以内」と「以後」の違いについて述べるが、その前に下記を見られたい。
○平成19年度普通交付税額
山形市  77億
米沢市  65億
鶴岡市 183億 ※6自治体合併
酒田市 124億 ※4自治体合併
長井市  33億
南陽市  35億
高畠町  32億
川西町  37億
小国町  25億
白鷹町  34億
飯豊町  27億

置賜3市5町合計 288億

○それでは「期限 以内 の合併」の特典は。
・合併前の普通交付税額を5年間保証する。(約288億)その後順次減額し5年後特典は無くなる。
・ 一定期間議員の身分を保有。
・ 職員は引き続き身分を保有。
・ 合併経費に係る各種の交付税有り。
※期限内に合併を行うには20ヶ月前に県にその計画を出さなければならない。すなわち今年7月が最終期限である。

○ 「期限 以外 の合併」なら。(新設合併の場合)
・ 合併後の普通交付税額は約200億減額となる。
議員はすべて身分を失う。
・ 職員は全て退職し必要人数が新市に就職する。

 このように特例法の以内・以後では財務面や労務面に大変な違いがあるが、「期限に拘らない」とする安部市長の思惑はいかなるものであろうか。
 前期は、中央市街地開発・芝のサッカー場・図書館建設・中学校給食問題ではことごとく市民を欺いてきた。
 又その手を使って米沢市民ならず置賜住民を欺こうというのか。もういい加減に「市長ゴッコ」は止めてもらいたいものだ。
 市長は「広く住民の意見を聞く」などとトボケたことを言っているが、そんな事は事務方にアンケートを取らせれば良い。
 我が国は「直接民主主義」で無いことぐらい学校で習ったであろう。首長とは指針を示すことが第一義である。

《続く》


遠藤武彦衆議院議員を引退させて後釜に野村研三氏の出馬を!

kage

2008/01/12 (Sat)

 本日事務所にFAXが入ってきた。東京M生なる者からである。内容は「毎回、ブログを拝読させていただいております。野村研三候補は、とても善戦されました。遠藤代議士は野村氏へ託されるべきです。東京。M生」とある。

 なるほど考え方はあるようだ。遠藤元大臣はご承知のように自らの失態をくりかえし、郷士有権者の期待を完全に裏切った行為は許しがたいものがある。

 老生の言う「武士道精神」に離反した代議士である。許しがたい罪状を払拭したかのように再び立候補するとは何事ぞ! 老生の倫理感はそのように弾劾する。

 人の上に立つ人物は「瓜田に履を納(い)れず、李下に冠を正さず」である。疑われるような行動はとるな、ということであり、武士道では辱めをうける前に切腹をせよ、が教えである。
 遠藤元大臣は黒い疑惑が判明した結果、安倍内閣を崩落させた下手人である。あれだけマスコミを騒がせながら、またぞろ立候補するというのはどの様な神経の持ち主であるか。
 売り飛ばした自動車学校には松川河川敷を占有しテニスコート・バスケットコートを付帯するなどしたい放題の有様。水戸の黄門さまから手厳しいお仕置きにあずかるところだった。
 新聞報道が騒がなかったわけは、代議士という肩書きがあったからに違いない。立候補は有権者をあまりにも舐め切った態度とは思えないだろうか。

 老生は彼の若い頃からの傲慢さを知っている。鼻持ちならぬ男として付き合いは避けてきたものだ。 思えば、高橋米沢市長との仲は険悪なものだった。時の助役石塚氏は当時をこう語る。「二人の仲の悪さはどうにもならないもので、わたしが中に入って手打ちを何度かしたが、翌日からまたぞろ憎み合うという始末だった」と。

 勿論、投書氏は匿名によるFAXだが、有権者はどう受けとめるのであろうか。政治手腕はどうあれ、野村氏の方が遠藤武彦よりは立派な見識を持っている人物だ。

 全国に汚名を流しながら、立候補を認める自民党も情けない政治団体だが、まず本人自身の薄汚れた魂の問題だ。汚れたままで、また人の上に立つ根性はお世辞にも見上げた魂の持ち主だとはいえまい。有権者がどのように考えるかだ。

偽年に際して思うことだが、米沢牛のブランドに偽りはないか?

kage

2008/01/09 (Wed)

 静岡県藤枝市に住む老生の友人から恒例の特産「三ケ日みかん」が届いた。箱を開けると中に「天与の味覚を奥平山より」と書いた挨拶文が入っている。

 「小さな特農家の集まりです。二三○年の伝統ある地でみかん作りに励んでおります。本日、私達の自信作三ケ日みかんを奥平から皆様のお手元にお送り申し上げます。私達の願いをご賞味下さい。」と書いてある。もう一枚には「みかん作りに欠くことのできない有機肥料との格闘」などがこまめに書き記してあるのだ。

 ご存じのように「三ケ日みかん」は日本一美味であると信じているのだが、当地では中々お目にかかれないみかんである。

 遡ること数十年前、政府発表によって柑橘類業界がどん底に陥ったことがあった。政府は「カリホルニアから輸入自由化によって甘いオレンジが輸入されてくることになった。したがって酸っぱいみかんは食べる者がいなくなってしまうだろう」と語った。

 驚いたのは「みかん農家」だった。先祖から伝わってきた広大なみかん畑が駄目になってしまう。だからといって何に転業すべきであるか。一時は騒然となった時期があった。
 三ケ日みかんの特農家のみかん作り業者はこの危機をどう乗り越えたのであろうか。みかん作りに本来の農作業を取り入れ、有機栽培による土地づくりに撤したのだ。
 土つくりの成果が今日の三ケ日みかんの美味を生んだものだった。それらの研究心と実行力とが生み出した味なのだ。こうして恐れた力リホルニアからのオレンジ輸入は撃退されてしまった。

 そこで老生は心配するのだが、はたして「米沢牛肉」に偽物はないのであろうか。米沢牛のノボリの元で本物の米沢牛肉が販売されているのであろうか。

 古くから牛肉店を営んでいる学友がこんな話をしてくれたことがあった。「どこの店舗でも米沢牛ののぼりを立て商いをしているが、これはおかしな風景だよ。米沢で潰せる純粋な米沢産出の牛には限りがあるんだ。要するに米沢牛肉でない他の牛肉を販売しているということだ」
 すでに専門店から偽り販売の声が聞こえてきたのだ。販売している牛肉が名の通りに米沢近郊で肥育されていない牛肉であれば、ブラントドの高い米沢牛は偽食品となる。

 「関サバ」のブランドも偽表示が多いと報道されている今日だ。ブランドに騙されている人たちが日本国中にどれだけいるのであろうか。 老生は「米沢牛肉を賞味したい」という観光客にどの店が本物を扱っているのかどうか推薦する手立てがないのである。これには全く困るのだ。 米沢市は語呂あわせから米沢の味としてABCになぞらえている。確かに鯉の甘煮は日本一を誇れるものだ。
 老生は長野県の佐久の名物鯉を食べ、穂高でも食べてみた。問題にならないほど不味いものであったから米沢の鯉は名物とされてよい。リンゴはどうであろうか。名産地弘前市のリンゴ畑も千曲川河川敷のリンゴ畑もみているが、規模は館山の比ではない。
 館山の「紅玉」品種は特に貴重なリンゴだと思っているのだが、他産地の紅玉の味は知らない。そこで米沢市のABCだが内陸の寒暖の差が美味を育てるとあるが、本当の旨さは「土つくり」にあるのであろう。
 奥平山の特農家のように化学肥料を廃して有機栽培の「土つくり」に生きる道を求めたように、米沢の産物が名を残せるようになるには安易な栽培技術ではすまないのであろう。

 さて、米沢牛肉には偽ブランドを活用してはいないのであるか。老生は心配するのである。商工会議所や市の農林課などが偽ブランドを否定するのであれば、市民として安心できるのであるが、ブランドが高名なだけに「米沢牛」に偽プランドだけは真っ平に願いたいものだ。
 米沢市民が全国に誇れる確かなブランドであり、ブランドは守り抜くべきものであるからだ。


寝正月中に考えてみたこと・初日記 忿懣などは いざ知らず。

kage

2008/01/08 (Tue)

 書籍の山に囲まれた寝正月だったが、ただ寝呆けていたわけではない。昨年の反省をこめて真摯に老生なりに考えてみた。

 まず、昨年の米沢市長選の結果だが、米沢市民が選んだ市長だから後悔するなら市民の責任ですればよい。それよりも落選した候補者について物を言いたい。

 市民期待の野村だがはっきり言って大きな選挙を知らない。老生は過去に見られた28票で明暗を分けた市長選挙の中枢におり当選の祝いの席で指名されて「万歳三唱」をやった老生だから大きな選挙を肌で感じている。

 野村の敗因は「当選するならカッコよく当選したい」が第一の敗因だと思う。それに野村の場合県会議員の選挙から一歩も外にでようとしなかったことだ。
 県会議員選挙は4名当選の選挙であり、首長選挙はたった1名だけの当選である。これを野村の選対本部は認識していなかった点にある。選挙とは政治手腕や格づけじゃない。勝つか負けるかである。

 野村の基礎票は1万票はあったろう。この票数は野村が県会議員選挙で得た得票数である。しかもこの票が不動の票数だろうと目論んだ数である。
 後援会長や選対本部らもそのままの態勢で元議員たちとの話し合いもついていないザマだ。
市政能力に欠如ある安部が相手であれば県会副議長を経験している自分の能力からすれば勝つのはあたりまえ負ける気はしなかったのであろう。この思いこみで市長選挙を甘く見すぎたのではあるまいか。

 老生が関与した28票差の選挙では、老生が所属していた米沢ロータリークラブ会員に働きかけ、絶対不利だという高橋を勝利させたエネルギーを老生は忘れていないのだ。

 本会もスタッフの意見をまとめて野村の応援をした。本会の名でチラシも撒いた。選挙管理委員会からは小言めいた話もあった。が、違反であれば安部陣営のマニフェストに違反があると一蹴した。

 結果は米沢の有権者が選んだ答えが安部ということだ。米沢市政にとって安部はマイナス要因だが「安部天晴れ」という外にいいようがないではないか。それが民主主義国家というものだから老生は「野村に市会議員として論戦を張るべきだ」と書いた。郷土に対する野村の志が高ければ老生ならそうするという意味だ。
 書込み氏の中には「格が違う」だとかわけのわからない異論もあるが、郷土を愛する気持ちが本音で健在ならば地べたで市政を考えることだ。

 市議「一新会」所属の議員のブログを読んだ。市職員が出している機関紙「おはよう」の記事の中に恐ろしい記事を見付けたと書いている。一新会の修正案が議会を通過したことによる市職員らの記事である。

 「修正案が通ったことによって期末手当ての総額1200万円がフイにされた。これは人事院勧告を無視する行為だ。したがって減額された1200万円を反対した議員からムシリ取る。そのために断固戦うという内容のものだった」

 老生はその機関紙を手に入れたいものと秘書課に電話を入れた。答えはこうであった。
「当該機関紙は市職員同志のもので、外に出せる性質のものではない」と職員事務局の返事だった。

 「議会の修正案が通った以上、人事院勧告は無用の長物だ」それに疑問をもつなら人事院勧告を勉強せよ。人事院勧告というのは目安であるに止めてある。
 いつまでも金科玉条のごとく勧告を是とするようでは市職員など勤まるはずかないではないか。
議会の決議に異論を挟むようではもはや公務職が勤まらないのが常識というものだ。つまらない職場を後にして一般社会で暮らし向きを立てるべきがスジというものだ。それもできないようでは「市職員は乞食同然」。

 金額の大小を問題にするのもよいが手前らは与えられた仕事だけでなく、市民に奉仕する気概をを失ってはいけない。虫けらにも魂はあるものだが、市職員たちには公僕としての魂すらないのであるか。
 副市長からして「公務員の待遇がよくない」と絵空事をほざいているようだが、市長も欠陥商品なれば部下の勤労意織も下落するというものだ。

 戦争は良くないが、戦い散っていった同世代が唄った歌だ。
「♪.燃料片道 涙で飛んで 行くは琉球 死出の旅 地上離れりゃこの世の別れ 想い出します 母の顔。 雨よ降れ降れ せめての雨よ 整備する身のこのつらさ」
「沖のかもめと 飛行機乗りは どこで散るやら果てるやら ダンチョネ タマは飛んでくるマストは折れる ここが命の捨てどころ ダンチョネ。俺が死んだら三途の川で鬼を集めて相撲とる ダンチョネ」

 わかるだろうか男の生きザマというものを。

市町村合併を考える。-1-

kage

2008/01/07 (Mon)

■ はじめに
 2期目の市長選に臨んだ安部三十郎候補が「広域合併を積極的に推進する」と掲げ当選を果たしたことにより、米沢市民も市町村合併を真剣に考える時期に入った。
 「よねざわ鬼の会」も大きな関心事として取り上げて行くが、多くの方々が掲示板に投稿し活発な論議を期待するものである。

 先ず国の「合併に関する法律」と本市の取り組みを簡単に振り返ってみよう。

 昭和40年市町村の合併に関する法律が制定され、その後数次の延長を経て平成17年3月31日に期限を迎えることとなった。

 当市に於いては平成14年、米沢青年会議所が米沢市と川西町の「法定合併協議会」の設立に向けて行動を起こしたが両自治体の協力乏しく大きなうねりとはならなかった。
 平成16年3月新任の安部市長は合併についてのアンケートを全有権者対象に実施したが回収率33%と低調な上、合併に賛成・反対がほぼ同率であった。
この結果を踏まえて「何故か?」安部市長は自立の道を選択した。

 国は引き続き自主的な市町村の合併を全国的に推進していく必要から、平成17年4月1日より平成22年3月31日までの時限法「市町村の合併の特例等に関する法律」を制定した。

 県は国の方針を受け、各市町村に広域合併を推進するよう要請した。

 米沢市長選告示日2日前の平成19年11月16日安部候補はこれまでの合併否定派から突如として合併推進派へと鞍替えした。

 当選した安部市長は特例市をめざし「置賜を一つとする広域合併」を推進するため積極的に行動する旨を表明したが、積極的とは到底思えない「3市5町職員による合併に関する勉強会」を設けることを提案した。

 新法の「合併の特例」の恩恵を受けられる期限は平成22年3月31日と、あと2年であるが安部市長は「期限に拘らない」と言明している。

 安部市長は広域合併について斉藤県知事と会見したが、知事は期日を定めない合併推進に苦言を呈している。

 昭和40年4月に3、392有った市町村が平成17年3月31日には2,521となり本年7月1日には、1,788になる予定である。

《続く》