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本年は「偽年」、さて 来年は「続・偽年」であるか!?

kage

2007/12/31 (Mon)

 年の暮れだというに書庫の整理を思いたった。書斎にある読み終えた本と、書庫に積んである読まぬ本との入れ替えを考えた末の決断である。
妻専用の書庫は大学を退職した時期に床をコンクリートで補強して新築し在職40年間の研究書や蔵書の類が積んである。が、老生の事務所兼書斎は築40数年の痛みがきているから不安が先にたつ。
したがって書籍の交換をしながら数を減らそうというわけだった。書籍の中にはまだ手元におきたい本もある。が、あえて書庫に託すことにしながら愛惜をこめて一冊々々を手にとってみた。

 青年時代に集め読み漁った老生の年輪である。中には老生の生まれる前の事象を記録した「東京日々新聞」の復刻版や、老生の生まれ年に発刊された「少年倶楽部」3冊も出てきた。
「少年倶楽部」のグラビヤに当時の「戦艦大和」が翼を持った「無敵!空の要塞戦艦大和」が載っていたのだ。
戦艦ヤマトの幻映は昭和8年に生まれていたことになる。日本が第2次世界大戦勃発に向けて巻き込まれていく様子が「東京日々新聞」の復刻版によって証明されていくのだ。
 第1次大戦勃発の記事から、支那事変・満州事件の勃発。南京占拠があり、徐州敗走、武漢三鎮陥落と、わが皇軍の意気さかんな報道がなされている。国内では2.26事件、5.15事件の報道が載り法学博士大川周明・海軍中尉三上卓の名前が目につく。三上卓の思想は本市の思想家たちに伝わり今以て三上卓の名は語り草になっている。

 「5.15事件」は「政党・財閥・特権階級打破をスローガンのもとに「昭和維新の烽火」であることだった。愛郷塾・紫山塾・農民決死隊ら右翼有力者の結盟遊撃隊が起こしたクーデターであり、軍人が組した事件であった。
 これら戦前の世相の中で「鬱積した庶民の不平不満」の暴発は当然であったろう。昔から庶民騒動は起きていた。
 高畠町は近年まで屋代郷といい米沢藩の課した高税に農民一揆で応酬した。それ以来、米沢市に対する怨念は風化することはない。
 広域合併で米沢市に反旗を翻すのはそのせいだ。安部市長の「広域合併問題」は容易なことではない。他の市町首長らに政策的信頼がないからだ。

 ここで老生の提案だが、市長戦に破れた野村研三候補に一言。
 「市長選に破れたなら、来期は市議会議員に立候補せよ。こよなく米沢市を改革するというのが政治信念であるならば、議会議員となり議論することだ。初心忘れずだ」。
 元県会議員が市会議員となって愛郷のために論戦を張ることが望ましいとは思わぬだろうか。
もし、それが格下げだというのであれば、野村はもはや愛郷精神のあった政治家との評価はない。
残るのは敗軍の将としての汚名だけになってしまうであろう。

 米沢市議会にも待望の一新会なる会派が誕生し市民の期待に応えようとしている。安部市長も非力だが、「公務員の待遇が悪い」と一新会に翻意を要請した副市長らの社会性の欠如も見事なものだ。
 これらが市政を担当する米沢市政だ。百姓一揆ならぬ市民の暴発はいつ起きるのであるか。
「官主主義」を許し「偽年」に怒る「国民ごとき者」の戯言であるだけか。

お役人さまに申し上げますだ。

kage

2007/12/22 (Sat)

「滅相もござりませぬだァ、お役人さまッ! おらが代官さまに口ごたえするなんてことは思ってもみたこたァごぜえませぬが、世間では代官さまの悪い噂でいっぱえのようでがすだァ」

「何ッ、黒い噂だと! さっさと申してみよッ! 事と次第によっては、お代官さまのご威光によって召しとってくれようぞ」

「ヘッヘ ー ィ!」

「ならば申してみよッ!」

「「村の代官さまもお早くお決まりになったようで、おめでたいのでございますが、聞くところの噂によれば、あのお代官さまは他人の話に耳を貸すのが大層苦痛なところがござりまして、己れの権力の及ぶところ勝手気ままに振る舞うのがお好きなようで――減相もねッ、村の噂ということでして――」

「申してみいッ! ほかに村の衆は何んと申しておるのだ?」

「恐れながら、お代官さまをお決めなさるのに不正があったと」

「何ッ!お代宮さまに不正があったとなッ?」

「はい、お代官さまに組する下役人らの手によってつくられたマニフェストなる書状は、いかにもお代官さまの約束事の如く村の各戸に投げ入れてあるが、すべてはお代官になるがための――」

「黙れ、黙れシ! 何を証拠に偽りだと申すかッ!」

「お代官さまは慈悲深いお方だとの評判も高く、とかく老人の腰や肩の揉みほぐしがお得意のようで老人らは「神よ仏さまよ」と慕っておりました。が、陰では知恵袋とも申す学者を二名ばかり召し抱えることに致しおりましたが、ひとりの学者がお代宮さまのバカさ加減――」

「バカさ加減とは、お代官さまのことであるか?」

「これまた滅相なことを――」

「何を考えているか分らぬ代官である。と、つづくのであろうな」

「恐れ多いことでして、年の瀬を向えて民百姓の困窮をよそ目に代官所のお役人たちが、役人の待遇が悪いからと扶持率を上げよとか」

「民百姓らの困窮に惑わされていては政事はできぬ。まず、お代官はじめ役所に勤める者たちの糧を満たすことが肝要なことである。代官に座るための費用をいかに捻出しようと問題にはならぬ。お代官の役目は村中の統制にある。海老名なる者を頭とする一新会なる徒党の動きも潰さねばならぬ。ましてや「鬼の会」なる不埒な者どもに至ってはお代官に向けて罵詈雑言の数々は許してはおけぬッ!」

「お役人さま、夜はどだに暗く、長くても明けない夜はねえですだよ」


公務員期末手据え置き論争に快挙-12月議会

kage

2007/12/21 (Fri)

 昨年度は不可解極まる再生資源物収集手当増額など問題があった。今年の12月定例議会の目玉はなんといっても「期末手据え置き」に凝縮される。

 さて、公務員の期末手当て率が議会の主な議題となっていたが、これには市政議員と今春議員に当選した新人議員(一新会)たちによる丁々発止の論争があったことを市民は記憶にとどめておきたいものだ。

 19日の本会議で「ボーナス引き上げ案」が見送りとなった。これに市政議員の小久保議員は「公務員の労働基本権剥脱を補う人事院勧告は尊重されなければならない。議会で否定されることは全国的に例を見ず、法を守らないと宣言するようなもので、米沢市のイメージを損なうことになる。 また、職員定数削減などにより、職員負担が増すなか、優秀人材確保のために引き上げは行なうべきである」

 高橋寿議員(共産党)「据え置きは一部市民と議員のうっぷんばらしになるが、地方経済へのマイナスの影響をよく考えるべきだ」との報道がある。

 一方、海老名議員らは「米沢市の逼迫する財政と、現況に見る市民感情からして恵まれているのは市職員であるはず。簡単に率をあげるべきではない。
 海老名発言で議会は一時中断、市長が口をつぐんで議員の質問に応答せずたまりかねた工藤議員が議場から発言「市長ッ!答えなさいッ!」と檄。 島軒議員は「市職員の頑張りは重々承知しているものの、市民の現況に痛みを直視すべきだ」

 ところで小久保議員の「人事院勧告を守らないとは法を護らないと宣言するようなもの」という発言に一言。
 県も人事委勧告を見送った。そこには疲弊する地方経済と、行政コストに占める人件費比率の高さを考慮したからに他ならない。
 公務員給与が民間企業を大きく下回っていた40年も前の人事院勧告を金科玉条の如く振りかざす小久保議員は正に時代の風を読めない労働組合お抱え議員と言わざるをえない。
 議員なら「地方公務員法。24条の3を読んでみよ」まして米沢市のイメージを損なうとは何事ぞ! バカもいい加減にせよッ! 議員として心して発言せよッ!

 また、高橋議員の「うっぷんばらし」とは何を意味する言葉であるか? 共産党議員までがいつから市政推進派に衣がえしたのであるか。

 安部市長が「市民派」であることのマヤカシに米沢の有権者たちは見事に騙された。
市民派と名乗る以上、新人議員たちの発言に品格などとあたらない文言を行使するではない。それこそ米沢市長が他市町長から甘くみられている現実を熟知せよ。
 さて、懸案の広域合併問題と、2期目翌日からはじめるという中学校給食はどうするのだ。
みんなの会のマニフェストには書いてあるぞ。政治団体の「提言」との言い訳はないだろう。
 市長自らが違反していた選挙であることを市民は未だに知らないのだ。


「地方」が「痴呆」と言われないために? 本物一新会議員登場

kage

2007/12/20 (Thu)

 昔から「バカにつける薬」はないといわれてきたが、依然としてバカに類似した人間は多いものだ。
昨日で定例議会は終わったが今議会で「恥さらし日記」に報道されるような事態が起きた。

 議員の一般質問中に、安部市長が質問に往生して口を閉ざす場面が起きた。その時、突然議場から手を挙げた一新会議員がいた。

 新人工藤議員であった。
「市長!ちゃんと答えるべきじゃないですか? 答弁に制約でもあるんですか? 昨日も今日も同期の新人議員たちが必死に質問してるんじゃないですか? みんな毎日夜遅くまで調べたり原稿を書いたり必死なんですよ。
 あなたには感じませんか? 我々議員も多くの市民の負託を受け、市民の皆さんの声を市政に届けるために議会に来ているんです。
 投票率67.58%の選挙で42966票の得票を得た集団なんです。それぞれが切実な想いを託されそれぞれに応えようと必死なんです。 市民の皆さんの胸中とは遠い所にいる様な議会での態度を見ていると選挙とは別人のようで残念です。
 市長は二期目を迎え実りをつける大切な時期。米沢の将来を決めるのは誰なんですか? 将来を語る場はどこなんですか? ここで答えずにどこで誰に答えるのですか?
 市政に不満や怒りがなければ我々はこの場に立っていないんです!市長、あなたもかつてはそうであったはずだ。 米沢を良くしたい! 市民の皆様を幸せにしたい! 我々と一緒なはずだ!そして我々にはその責任があるはずだ! 市民の皆さんの中には明日に不安を持っている方がたくさんいるのです。なりふり構わず、真剣にその負託にこたえていただきたい。きちんと答えて頂きたいと要望いたします。

 工藤議員の議場からの発言は、当局側の答弁を遮りあえて挙手のうえの発言ととれるが、本会議場を震憾させる必死の訴えがつづいたという。
 常に議会での市長答弁は「気の抜けた」ような答弁の繰り返しで、お後は部長とご交替という情けないものであった。それに「喝」を入れたのが新人議員であったことに意義がある。先輩議員は顔色なしであった。

 地方議会を支えてきたという先輩議員に勇気はあるか? 地方が痴呆とは同意語ではあるまい。先輩議員を見てると錯覚を覚えることがある。


日本の借金はいかほど?

kage

2007/12/19 (Wed)

 財務省が6月25日に2007年3月末の国の借金残高が834.4兆円であると発表した。過去10年間の毎年度末の国の借金の増え方をみてみよう。

2007年3月末 834.4兆円
2006年3月末 827.5兆円
2005年3月末 781.6兆円
2004年3月末 703.1兆円
2003年3月末 668.8兆円
2002年3月末 607.3兆円
2001年3月末 538.4兆円
2000年3月末 493.0兆円
1999年3月末 437.6兆円
1998年3月末 394.7兆円
 年平均44兆円の増である。

その額を時系列で見てみると(驚いてはいけない)
1秒間   138万円
1分間 8、300万円
1時間    50億円
1日間 1、205億円
1年間    44兆円 

 これだけの「借金」が増え続けているのに、中央官僚はぬくぬくとして天下り先で国民のだれもが驚愕するような高額な給料と、渡り鳥よろしく点々と職場をかえて高額な退職金を取得する生活を送っている。

 本日の「独立法人廃止折衝」に向かう渡辺大臣の勇気には凛々たるものがあったが、調整役の官房長官との話合いはどうなるのであろうか。

 朝の報道では愛媛県警の一巡査部長が「警察の裏金」を告発し、地裁で「勝訴」したものの出世街道を歩めなかった内部告発警察官の末路をテレビは生々しく映し出していた。

 警察の裏金は犯罪である。犯罪を摘発する警察が「税金をかすめる犯罪」に手を染めているのが事実だ。
一警察官が「警察官として犯罪に加担することはできない」として断固断りつづけたその結果は「上級試験」にも合格出来ず一平警察官として愛媛県内を転勤させられるだけの警察日記を送り続けてきた。
 警察官ゆえに「公金を裏金」にかえることに同意しなかった警察官に天下の警察が下した処遇とは。 国民は何を信じ、だれを信じればよいというのだ。

 なるほど世の中にはいろんな人たちがいて世の中だという。が、この格差はどうだ。税金を裏金としてチョロマカす警察官僚。これを犯罪だとしない警察官の不思議。
 税金を湯水のごとく食い潰す元官僚たちの天下りの実態。よくぞ国民的規模の暴動が起きない日本の不思議。

 米沢市の副市長が「公務員の待遇が悪い」と宣う現実離れした感覚で市政を担当するという図々しさはどうしたことだろう。

国家予算と医療費の関係

kage

2007/12/18 (Tue)

 2005年6月の毎日新聞の紙面に「国家予算と医療費の関係」が掲載されている。本年はさらに増加しているとみるべきだろう。

 全国民の税収[44兆円]に対して、医療費が[31兆円]。 これを一般家庭に換算すると、どうなるか試算してみた。

年  収  440万円(月収:36万円と仮定してみると)
医療 費  310万円
借  金  360万円
借金総額 8400万円(隠借金4740万円)となる。
足らない分を国債(借金)が補填しているが、国債の累積は840兆円。

 医療費が年ごとに増える原因は何か? いろいろ理由はあるだろうが、国民一人々々が医療に関する知識を持つべきであろう。日本人全般に言えることは病気を予防する考えに乏しく「病は医師が治してくれるものだ」との甘え考え方がとどまることを知らない医療費の高騰に繋がっているものと思われる。

 中国には「医食同源」という言葉があり、[未病]という病気に罹る前の予防法がある。日本人のほとんどの人が実行していないことは医療費の高騰が示している。「医食同源」とは毎日の食事に留意することが健康を保つということで、[未病]とは病気に罹る前段階の予防することをいう。
 そのどちらをも実行しない国民が現在の日本人だと思われる。世界一長者国といわれる日本人だが、長寿とは寝たきり老人、生き永らえるだけのベッド人間を含めた日本人の平均を示したものだ。必ずしも健康で余生をエンジョイしている人たちの平均値ではないのだ。

 発病の原因は「冷えと牛飲馬食」が最大の原因となろうが、アレルギー症の日本人が多いようだ。杉花粉症などに罹っている人たちは油断禁物、今のうちに早期治療すべきことだ。大根足を腿のつけ根までまくしあげて歩いている女子学生をみかけるが「冷え」が「不妊症」の原因になったり将来悔いる人生となりかねないのだ。
 所詮人間は雑食動物であるといっても極端な肉食や乳製品は合わない食物だ。乳製品に限って日本人では天皇家だけは別のようだ。
 牛乳を多飲すると多くの日本人は消化するどころか、カルシウムを放出してしまう危険性がある。カルシウムを摂るために飲んだ牛乳がカルシウムを失う原因になるとは考えにくいことだが、現実には骨粗相症が発見されたのは北海道の畜産農家からだった。解決は自然食品にある栄養分の高い「旬の野菜・果物」を、生野菜だけではなく「煮る工夫」をして食べることである。
 飲用水は水道水に頼ることだけではなく、医療効果のある水を愛飲することにしぼられることになろうか。

「ボーナス上げろッ!」しつこく迫った副市長と先輩市議たち。

kage

2007/12/16 (Sun)

 新人議員で作った会派を「一新会」という。全員が今春当選の議員たちだ。この新人議員らの議員活動がめざましいのだ。

 「職員の期末ボーナス」を上げろと先頭に立って気勢をあげたのが副市長だったから始末が悪い。
 常任委員会はこれを受けて審議したが市民派の「一新会」の議員たちが「財政が逼迫している米沢市では無理だ」と反対したことで副市長らの要請はペケとなったが、これにもこりず副市長をはじめとする部課長と我妻徳雄・小久保広信議員らは「翻意を求めて」常任議員に詰め寄ったという話が巷に広がっている。

 一新会議員は聞いた「副市長よ、どうして執拗にボーナス上げろというのだ」。
副市長いわく「公務員の待遇が悪いからだ」。それに応えて議員は「副市長よ、市民に聞いてみろよ。米沢で一番恵まれているのは公務員だべ」と言ったが、おもわず口がすべって「欲が深いなぁ、副市長、ナンボ貰ったら満足すんのよ」と聞くところだったという。
 さて副市長の言い分は「人事院勧告に沿ってくれ」というのであろう。が、人事院勧告はあくまでも参考であり、地方公務員法第24条は"「民間事業の従事者の給与」「その他の事情」を考慮して定める"とある。よって勧告に従うことはないのだ。
 本市への県供給水道水が25%も下がったのに市民に恩恵を還元せずして、自分らのボーナスを上げろとは、職員トップと支援する議員の神経を疑うものだ。
 米沢市の隠し借金を市民に明確に知らせるどころか己れの任期中は誤魔化してでもやり過ごそうと考える無責任な市政のトップたちである。

 市長のお株である「自由の風」は市民派である一新会の会派によって、はじめて吹いたさわやかな風である。

 公務員の給料が多ければ市場がにぎわうとの神話は嘘ッ八である。公務員にボーナスが支給されたからといって市場が豊かにはならない。むしろ一般の労働者に同額のボーナスを支払ったほうが市場は何倍も活性化する。これは事実だ。

 新人議員も数年たてば「市長側についたほうが得だ。市民の一人々々のことなんて考えていたら議員生活は短くなるよ」と先輩議員にそう教えられて大抵の議員は市長派に鞍替えするのが定番だ。が、一新会だけは終生市民派として「常に市民側代表で活動してほしい」新人議員に絶大なエールを送りたい。
 無論、先輩議員を無視するわけではないが、市民派からだんだんと為政者側に寝返った議員がいる。そんな議員をダメ議員として実名をあげて糾弾することにする。

 選挙違反も考えられる安部支持母体「みんなの会」が選挙で使った選挙費用は「みんなの拠出資金」というのであれば公式な資金明細を有権者に示すことだ。「みんなで政治資金を集めた」などの論理はデタラメであり、資金の大半は安部米沢市長が出したものに違いない。だと仮定すれば法定選挙資金をとうに凌駕しているに違いないのだ。
「そんなこと勝負がついたから関係ないッ、関係ない!」で済ますつもりであるか。

 米沢の有権者たちは「よくぞ安部市長を選出したものだ。これで米沢市は他市から二十年は遅れをとった」と嘆くのは老生だけではないのだ。
 議会で明確な答弁もできず、議員の質問に黙ってしまう安部市政だ。たまりかねた新人議員が怒りだす。
「議員は市長のアナタの意見を聞きたいのだ。代わりの部長の答弁じゃねぇ、市長アンタだ。議員の質問に答えなさい」こう叫んだのも一新会の新人議員なのだ。議員は市民派であることが第一義である。


市長はアブノーマルだが、副市長も議員脅し屋だ!

kage

2007/12/15 (Sat)

 「今日は朝から気の重い一日でした」こんな書出しではじまる新人議員の述懐日誌を入手した。
問題となっているのは職員の期末手当てに関する事項だ。

 総務文教常任委員会に「全職員の期末手当て掛け率増」が提案されたが「市の財政が逼迫しているこんな時期に、人事院勧告だからといって認めるわけにはゆかない」と反対を勝ち取った新人議員たちの激白である。

 11日の総務文教常任委員会で「全職員の期末手当て掛け率増」は一新会メンバーの反対により否決された。が、12日に副市長・担当部長・課長が「意見交換」という名目で一新会メンバーと会見し、翻意するよう強く求めて来たと言うものだ。
 特に副市長は人事院勧告制度を熱っぽく説明したあとで、19日の議会では「全職員の期末手当て掛け率増」を認めろと新人議員に迫ってきたのだ。これらは「意見交換」というものでなく、はじめから新人議員に圧力をかける態度だったようだ。

 一新会は今春当選の1年生議員6名の会派だが12月議会に於いては他の古参議員とは一線を画す質問内容で議会に新風を吹き込む、これこそ「自由の風」を感ずる活躍である。

 しかしながらその活躍が安部市長にはどうも気に入らないらしい。当該新人議員の一般質問に対して「品格ある質問をしろ」と言って物議を醸し出したことは既報によって衆知の事だろう。
 市政は市民の代表である議員の採決を持って行なわれるものだ。にもかかわらず議員の採決を不服として副市長はじめ当局の部課長までが「ボーナスを上げろッ!」と新人議員に翻意を迫るとはどうしたことか。
 米沢市に供給される県の水道水が25%も安くなるのに市水道料金を下げずして「職員のボーナスを上げろッ!」は納得できるものではない。と、当該議員には「市民の代表だ」とする気概があったのだ。

 公務員と一般市民との賃金格差を考えてみれば一目瞭然だ。市政をあずかる公務員が特権階級だとはいわせない。
 副市長は先日、老生に向かって「市長は何をしてもよいのだッ!」と啖呵をきったことがある。
なるほど副市長なる人物の品性はそれだけのものであるか。新人議員に「翻意せよ」ぐらいの脅しはするだろうと容易に信じられた。

 議会と行政側の裏では「金高をめぐって」常時駆け引きが行なわれるものだが、新人議員は世情の厳しさを肌で感じているのだろう。それに比して副市長は公務員畠にいて直接的には世情の厳しさに接してきたわけではない。説明されたところで理解する能力の持ち主ではあるまい。権威主義だけを頼りに生きているだけの男であろう。したがって、市の財政がどんなに逼迫してようと「オレの責任じゃない。退職年令がくればオサラバだ。だから市の財政云々などは関係なく貰い得が宮使いの特権さ」などとうそぶいているだろう。
 口先だけの市民派安部市長と、こんな気概のない副市長との「ナイナイ、コンビ」で米沢市の財政危機が乗り切れるものではあるまい。

広域合併「消極派」から一転して「積極派」に鞍替えした動機は?

kage

2007/12/14 (Fri)

 安部米沢市長は10月30日に開かれた「賛O会」主催の「市長立候補予定者」の討論会席上、ただひとり「広域合併早尚論」を展開していた。それが選挙になってから「合併賛成論」に激変した理由を当選翌日の記者会見で「11月12日の置賜地域行政懇談会で県議が強く合併を勧めた」と語っている。

  さて、本会は11月12日に長井市タスパークホテルが開催された「置賜地域行政懇談会」の議事要旨を入手して懇談会の内容から安部候補を激変させた県会議員の名前を探ってみることにした。その議員の名は後藤源氏であることが容易に知られる結果となった。懇談の口火を切ったのが後藤県議であり、懇談会の趣旨は広域合併促進のための会議であったからだ。

 その議事要旨を後頁に載せるので目を通してもらいたいが各首長の思惑は複雑だ。白鷹町長のいう「強制的に合併を進めては無理だ」とする意見を安部米沢市長が拾って「感情的になるのは好ましくないので、3市5町の首長の方々と別の日に改めて今後どうするのかについてまとめさせていただく」と懇談会を預かる結果となった。それに加えて後藤県議は「米沢市長から日を改めてということなので、それに期待したい」と懇談会を結んだ。

 これらの経過を含めて米沢市長の責任上「広域合併問題」は避けられない足カセとなったことは事実のようだ。
「広域合併」はまぎれもなく安部公約である。奇弁を労して逃げることはできない。「学校給食」の公約でさえ「教育委員会と相談しながら進めてきたのであるから、あとの実施は教育委員会の役目だ」と恥じらいもなく責任逃れをする安部市長である。
「広域合併」に指導力を発揮すると選挙公約に表明しながら、先ずは「勉強会」と指導力とはかけ離れた手法で合併を進めるあたりは、教育委員会への責任転嫁と同じに、ある時期一転して「合併が出来ないのは各首長の温度差」などと他首長に責任転化する危険性も予想されるところだ。
 後頁の議事要旨をみても置賜を1つの自治体とすることの困難さが察せられ、安部市長の指導力程度では合併は到底不可能と老生は思うのだが如何なものか。
 政府がいう三位一体改革とは、地方への税源移譲と聞こえは良いが、本旨は交付税や補助金の削減なのである。すなわち国は地方を今までのようには面倒見られないので自立してやってくれということだ。その延長線上に広域合併が有る訳であるからして、むしろ安部市長の広域合併は無いと割り切って、米沢市が独自で進展する道を同時進行する議員の活動に期待する時期ではないか。

 米沢市の財政(一般会計)は約307億円の年収(税収)に対して約365億円の借金(市債) が有る。特別会計を含めると668億円という膨大な金額である上に、税収は前年に比べ約20億減少というのが現況だ。こんな状態に「ボーナスを上げろ、そうしないと優秀な人材が集まらないし市民に悪い影響をあたえるぞ」とはどんな神経の持ち主の小久保市会議員と市職員だ。
海老名議員・工藤議員の正常な感覚にエールを送り今後の活躍に期待する。

選挙公約は「守らなくてもよい」・米沢市長選挙はペテン選挙だった?

kage

2007/12/13 (Thu)

 法的に無知であることは国民にとって油断ならないことだと知らされた。増添厚生労働大臣の正直なコメントが新聞報道によって掲載されている。

 安倍前総裁は「来年3月までは社会保険の国民的疑惑を一挙に解決する」と選挙期間中は断言して歩いた。増添大臣も決意をこめて「3月までに解決できる」と公言していた。が、ここにきて「自民党の公約で出来もしないことを公約してしまったが、選挙中に出来ないとは言い難くかった」と懺悔している。「天下の自民党が公約したから選挙中は許されるもの」と思って行動したと語っている。

 さて米沢市長選挙は有権者からすると「マヤカシの市長選」であった。安部三十郎候補を支援したのは「みんなの会」という政治団体であった。そこで「みんなの会」が出したマニフェストは安部候補とは関係なく、政治団体である「みんなの会」が費用を出しあって市民全戸に配布したものだという。
 つまりマニフェストは「みんなの会」が出した「提言」であって、安部候補とはいささかも関係ないことだ。と、法律論を持ち出してきたのは選挙管理委員会だ。「みんなの会」が出した「提言」を候補者の安部が有権者に「安部です」と直接手渡された市民は怒る。
「だれだってマニフェストを手渡しで候補者自身から受ければ、候補者のマニフェストだと思うに違いない」と不満をブチまけるのだが、どのような行為をしようと候補者自身の名前で出さなければ候補者に責任は及ばないのだと選管は説明するのだ。

 なるほど「みんなの会」が発行したマニフェストには、安部三十郎の名前が何処にもみあたらないのだ。有権者たちは「高等選挙戦術」に完全に騙されたと言ってもよい。これが法律の抜け穴であるといえよう。あれだけのチラシをバラ巻き、その作成にかかる費用は莫大なものだと推察するのだが、その費用は政治団体「みんなの会」の費用だから、法定選挙費用には換算されないのだ。
人材も多くアルバイトと名乗る人物も多かったが、それらのアルバイト費用も「みんなの会」の費用だ。安部候補者の費用持ち出しはなかったことになる。

 そこで問題だが、マニフェストの「何々をやります」などと期限を明示しての文言は、「みんなの会」の「提言」であるからして行政能力の無い政治団体「みんなの会」としての実行は不可能である。
その行政能力の無い「みんなの会」が「マニフェスト」と表記したうえ、あたかも安部三十郎候補が当選後行う事柄と捉えかねない表現で、有権者を惑わす「提言」をしてもよいのだろうか?

 これに応えて選管は答える。ある政治団体が「9条問題を死守する!」と提案することは自由であり「それを公約とする」と理解することは無理だという。
 国民に広く選挙する機会を与えながら、実は国民の知らない所に落し穴があったことに気がついていなかった法律的無知が指摘された一件だった。
 安部候補の策略は政治団体を前面に出して「費用を隠蔽する」「責任の及ばない有権者受けする提言」などの他、肩もみ・握手・訪問などよって政治に関心のない老人や行政に無知な人達の集票を計る悪知恵が働いていたということになる。
法律に無知な人間が、ペテン市長選挙だったと怒り狂うとしても、所詮は法に触れない選挙戦術の謀略だとして容認しなければならないことだろうか。

「おちこぼれ」と「ふきこぼれ」を判別した補習授業の大切さ。

kage

2007/12/12 (Wed)

 既報の米沢4中の「合格餅つき大会」を読んだ父兄から電話が入った。「補習授業のために必要だとする教材費1200円は承服できない」というものだった。
 受験3ケ月前になった今頃になって、山形用品が販売する「受験用実践コース」なる 5種各4回分を購入して補習授業に供したいとする学校側に対して「なぜ?今頃になって教材を購入しての補習であるか?すでに必要とされる教材を買い求めている家庭が大半なのに、学校側の平等観念は尊重するにしても1200円の教材費を集めるのはおかしいのではないか?」

 生徒にもそれぞれ「おちこぼれ」と「ふきこぼれ」の学習能力に違いはある「おちこぼれ」のないようにする教育的な配慮は欠くべからざる教育理念であるとしても、一方には「ふきこぼれる」学習能力ある生徒たちがいることも事実であることを勘案してもらいたてものだ。以上の生徒たちは当然ながら希望高校に沿った十分な努力目標を定め、その達成のために必要学習書を購入して勉学に励んでいる」という環境を考えていただきたいとの訴えである。
 必要とあらば志望学校ごとの教材とか細かい配慮があってもよいのではないか。また推薦の教材を使って単なる答え合わせするだけでは補習にはならない。生徒が解らない部分を発見と同時に解説教示していただくのが父兄側からみる補習授業ではあるまいか。

 全員合格は父兄たちの願望であるから「合格祈願の餅つき大会」も有意義なことであろうが、学校長名もなく振興会と生徒たちだけの主催ではできうることではない。ボランテアとして父兄側からの手伝いも要請してある。が、だらしないのは「各自生徒が好物とする納豆・キナコ類などをタッパーに詰めて当日持たせてくるように」に至っては、共同餅つき大会の意義がなくなってしまうのではないか。それよりは父兄参加による「一大餅つき大会」を開いて、来春の合格に向かって学校側も生徒たちと一緒に気勢をあげ、ともに生徒たちの「やる気」を起こさせるためならば有意義となろう。が、どこか学校教育の腰くだけの部分と責任転化の匂いがして我慢がならなかった。

 「合格祈願餅つき」終了後は補習授業の内容を吟味するとともに、補習のために帰宅時間が遅くなる、そのために帰り道の環境などの不安が出るのは当然。米沢市だけに限定された安全基準ではあるまい。不慮の出来事もあろう。
 その時になって考えたのでは処置は後手であろう。「登り坂もあれば、下る坂もある」もう一つの坂こそが「マサカ!」という坂である。受験前の大事な時期に「補習授業での帰り道」にも親としては心配なものだ。いざ事故ともなれば学校側や教育委員会に責任の転化もできない。
 学校側に申したいことはあるが「子供が質にとちれている以上」言いたいことも憚れるという父兄の意見であった。


これが議会? 「中学生議会以下でねえの?」

kage

2007/12/11 (Tue)

 老生は新人議員の頑張りを傍聴するために出掛けた12月米沢市議会での島軒議員質疑応答の時間だった。老生の後の席でご婦人が「これが議会?」腰が抜けたような驚きの様子だった。
 議員質問は市職員の別格の待遇にメスを入れた件と、減額される米価の大問題であり、歯切れよい口調の質問内容は傍聴者に良く届いたが、市長応答はタドタドしく、各部長らの応答も用を足さないものであり、またしても肝心部分を部長に任せたいつものパターンである。
老生はあまりの馬鹿バカしさに早々傍聴席を辞し、これが米沢市の議会であることに慨嘆した次第だ。
 前高橋市長はすべての質問に自ら応答し部長らの言を患わすことはなかったものだ。それに比べてお粗末な安部市長の対応であることよ。
市民票の大半を獲得して再選された安部市長の市政能力を一度は傍聴席に座って見るのも一興であろう。傍聴席は昼寝する場所ではないが、眠気を誘う議会運営であった。
老生は台湾の荒れた議会をよしとしないまでも、質疑応答にもっと活気があってもよいのではあるまいか。

選挙管理委員会から恐ろしい話を聞いた。
 マニフェストとは、選挙において有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長・議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)の意味で使われることが多く、「みんなの会」のマニフェストは安部候補の「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」と思ったのではないだろうか。
 しかし実際の安部候補マニフェストは新聞折り込みによる印紙のあるものだけで、大版印刷し大量に配布されたマニフェストは「みんなの会」の「提言」であり候補者の「公約」ではないので安部市長は実行しなくとも良いということである。
「芝生のサッカー場」や「未設置のコミュニティセンター」「街中の図書館」は「みんなの会」独自の提案で安部候補の公約ではない。したがって、実行出来なくとも安部の責任は問えないということだ。
 老生らに限らず有権者の殆どは、膨大な印刷物配布に関する費用は安部候補の持ち出し費用だと思ったろうし、マニフェストも安部候補のマニフェストと信じたに違いない。が、すべての費用は「みんなの会」の費用持ち寄り、配布はボランテァで行ったのであり、マニフェストの内容も候補者安部自身のものではないので、不履行には一切のお咎めなしということである。
実際には政治団体「みんなの会」の提案に誤魔化された投票結果であった。

 「広域合併」「学校給食」は安部候補者の公約であるが「広域合併」問題は各紙伝えるところによると、安部市長突然の変異に二市五町の首長は戸惑い、本心を計りかねて積極的に米沢市との合併を考えているところは現在無いようだ。本気で置賜広域合併を考えての公約なのか、選挙で票を得るための詭弁なのか、安部市長の今後に興味のある老生である。
 又「学校給食」問題では、四月から順次実施するという公約が議会答弁で「教育委員会に任せている」と、早くも逃げを打ってきた。当会が投票日直後教育委員会に「四月から順次実施する」件の具体策を糾したが「市長からの具体的指示は無い」「親子方式による四月からの実施は殆ど不可能」との返事であった。これまた票を得るための詭弁なのか関心事である。

 本日の議会で拝察するところでは安部市政に「議会戦線異常あり」と見た。大変な市長を米沢市民は選択したものだ。
 市民は先ず、市長の活動実態を議会で目に焼き付けてくることだ。何が肩もみだ。何が握手だ、何が芋煮会巡礼だ!

「泣くことは止めよう」

kage

2007/12/10 (Mon)

 社会には不条理だと思われることが多いものだが「泣くことは止めよう」。
テレビ番組じゃないが「必殺仕置き人」の場になってくれという要望もある。時代が時代だから「必殺仕置き人」的なハードな行為は望むべくもないが、社会の不条理に対して本会は戦いを挑んできたつもりだ。まず、諸悪の根源だとされる「随意契約」の廃止問題や教育問題。他に市政の不条理に敢然と向き合ってきた。

 日本の防衛を司る防衛省官僚の汚職事件。国家を信頼して積み立ててきた社会保険の出鱈目さ等々・身近なところでは安部市政の「頼りなさ」に加えて実行力の欠如。パフォーマンスだけに彩られたマニフェストの嘘々などには市民はいささかも動じない選挙結果だ。言わせてもらえば マニフェスト」の大版印刷の部数と配布回数に「資金の出所に疑問を持つ」。おそらく選挙資金制限法に髄触しているのではないかとの疑いがある。「みんなの会」による全戸配布ということだが、たんなるボランテアだけでできる行動力であるかどうかだ。選挙管理委員会は勝者側にあるから一見落着としたいところであろうが、その後の議会では、肝心の再選市長がご乱心ときた。安部市長は県知事の言葉を借りれば「自分の意見を持たない市長」であり「本心を明かさない人物」のようだ。陰湿な性格の持ち主のようで、陰では「庁舎使用規定」すらも守っていないのだ。しかも副市長までが「市長はいいのだ」と宣う感覚が限りなく市役所を腐らせていく元凶であることも事実だ。
 「なにを市民ごときが」は中央官僚の国民を見る目と相通じているようだ。「国民ごときもの-」である。 国家は「歩」によって成立しているものである。「歩」なき将棋は負け将棋である。民衆の力で手前らは飯を食っているここを忘れないことだな。

 書込みの中に老生の名前の人物がいる。箸にも棒にもかからないようなくだらない人物のようだが、老生の実名を使ったところで文体および内容が異なることから読者に気づかれているのだから、やめたほうがよいとだけ言っておこう。
 老生の主張は常に左の欄を使用し、右の書込み欄は意見のある書込み氏のために準備してある。老生は右の欄を使用することはないからだ。
 本会のアクセスが36万にもなろうとしているが、専門家によると気宇なアクセス数だと教えてくれた。米沢市民が全国的にみて「後進的な市民」だと捉えられないためにも、少しは健全な意見交換の場にしたいと考えているのだが、なかなか「関係ない族」がいるようで情けなくなることもある。無論、老生に対する誹謗中傷も結構だが、それだけでなく真撃に討論することのほうが有意義なことだと考えるものだがどうだろうか。


「品格」とは「負の遺産」とは何か?

kage

2007/12/09 (Sun)

 安部市長はマニフェストに米沢市の「負の遺産」として「天元台スキー場・市立病院・開発公社」の三事業所をあげた。
 各紙伝えるところ、12月市議会に於いて海老名市議は「天元台スキー場を負の遺産とするのはいかがなものか」と市長に釈明を求めるくだりがあり、市長は海老名議員に「品格のない質問」と一蹴した。この市長発言に議会は紛糾し一時中断、午後の議会運営委員会を開いて「議事録」から市長発言は削除されたとある。

 老生は議会の傍聴をしていなかったので後日議会事務局に事の成り行きを糾してみた。
「負の遺産」についてはともかく「品格のない質問」という市長の議会答弁に疑義をもった。「品格」という言葉は「人に自然に備わっている人格的雰囲気」をさす文言であり、質問の内容を形容する文言ではない。したがって質問議員をさす文言となり質問議員が人格を否定されたことになる。大量得票によって意気あがる安部市長ではあろう。が、慢心からと思える議会失言は米沢市民としては恥ずかしいことである。しかし、米沢市民が選んだ市長であることに間違いはないのだ。
 文系市長との書込みもあったようだが、議員の質問に品格で片づけようとする市長は文系の人物だとは考えられない。また、「三十郎月影日記」なるものを拝読させられるに至っては「何が文系だ」と情けないやら「これが米沢市長の著したものであるか」と片腹痛い感慨をもって読破する気さえ起きてこなかったものである。
 「広報よねざわ」誌に掲載している「自由の風」なるコラムは、いつぞや無駄な掲載であると新聞投書にもあったが老生も同感である。 物を書くなら内容を吟味することだ。一笑に伏されるような文章の羅列は迷惑だ。まして広報は公に伝達する市政内容である。一市長の作文集でもあるまい。掲載しなければならない記事も沢山あるであろうに。紙面を削除してまだ掲載する内容があるというなら問題は別だが。小学生の作文以下の内容では米沢市そのものが笑われているのではあるまいか。その行為こそ「品格」のない市長ゴリ押しのコーナーだとは思えないのであるか。
 安部市長そのものが米沢の「負の遺産」として後世に名を残さぬよう発憤してもらいたいものである。


市長選後の「懐古談」「後日談」は役に立たないものだ。

kage

2007/12/06 (Thu)

 選挙は「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはいえて妙なるものがある。「平家にあらずして人にあらず」とまで栄耀栄華を誇った平家が壇の浦のもくずと消えたわけは、源義経の奇習攻撃にもよるが、平家一門の武将らは胃拡張に陥っていたために戦闘能力がなかったのだといわれている。
公家思考の社会では下賎な生食を回避して、上品な食品とされた干物を常食とし、ドブロクを多飲していたことによる。
 一方、源氏は伊豆の山奥で猪の肉をほおばる、日夜打倒平家を目指して剣術に是れ励んでいたことに差が出たのであろうと推察できる。

 わが国の学力が世界で激落ちした記事を読んだ。結論としてわけのわからない「ゆとり教育」に原因があるのであろう。
 勉学を第一義とする都合9年間は児童生徒たちの修業の場であり、鍛練の場であるはずだ。そこに「ゆとり」などと大人たちのエゴが入りこむから折角の修業や鍛練の場が消滅してしまうのだ。児童生徒の年代に何故「ゆとり」などの必要があろうか。「ゆとり」の時間が「ゆとり」どころか塾通いの児童生徒たちにとっては地獄の勉学への導入となるのであろう。
 官尊民卑の社会構成である以上、親たちはこぞって高学歴社会に順応させるために児童生徒を有名大学への進学を望むのである。この傾向は後進国ほど見られる現象である。

 市長戦あとの後日談は「市長選挙の過ち」を指摘する文言がかしましいが、選ばれたからには「中学給食の実施」や「広域合併問題」をやり遂げるのが市長の責任である。理由はともかく「出来ない」ではすまされまい。市長職についたからには責任問題となる。職員、議員たちも市長だけに責任を押しつけず必ず実行してもらいたい。それには「ゆとり」どころか、道は針の筵であり茨の道であろうとも一致団結して事の成就を成し遂げてほしいものだ。
 安部市長が市民に約束したことである。財政は黒字であり、健全な市政だと市民に通達したばかりだ。十分実行できるという財政面での余裕はあるはずである。まさか「あれは選挙に勝つための文言だ」では許されない問題だ。もう「ゆとり」などは許されるものではあるまい。
 先刻、安部氏の応援だと防府市長が米沢市に駆け付けてこられたが早稲田の先輩だという。当該市長の活躍は立派でも、後輩安部市長もそうであるかは疑問だと人はいう。選挙に勝ったからには市長の器を市民に披露してもらいたいものだ。
 「懐古談」として米沢市政における歴史的な市長として後世に名を残すような上郷出の市長だったと自慢できないようでは上郷衆も泣くに泣けないことになるだろうから、余程のハップンが必要だということになる。
 「家のお父さんは叩かれ強いから」は奥方の文言だ。「市民野郎ッ!みてけつかれ、安部三十郎は男であるぞ!」として奮い立つのはいつの日であろうか?
さあ、広域合併だ。どうする安部市長!

殿ご乱心!! 「安部市長の合併問題」で置賜地方に激震走る!

kage

2007/12/05 (Wed)

 新合併特例法期限は平成22年3月である。合併尚早論者であった安部市長が急転して選挙中に合併諭者になった。驚いたのは置賜地方の首長たちであった。

 4日の米沢新聞によると南陽市の塩田市長の談話が掲載されている。(合併推進の話し合いに)「要請を受ければ職員を送る用意がある。が、内容によっては途中で降りることもある」と、はなはだ心もとない発言をしている。ようするに安部市長は促進派ではなかっただけに市長選挙を境に急転した安部市長の真意を計りかねているような発言をしているのだ。それだけ安部市長は置賜地方の首長たちから信頼されてこなかったということであるか。

 平成合併は国策である以上合併は必要であろう。バスに乗り遅れまいとする置賜地方の首長たちの焦る気持ちはわかるとしても、3市5町の合併ともなると既存の首長らの能力には力不足と推察される。合併については各市町の利益誘導が主流になり地域エゴが表面化するからだ。
 所詮、広域合併とはある程度の利害関係を抑止した合併でなければ成立は望むべくもないであろう。いずれも合併を意図される市町は全国的にみて経済的な落差がひどい市町である。人の会話に耳を貸せない安部市長が合併中核の人物だとはとても思えないからだ。 こういった場合には余程の度量と知恵を持った人物でなければ困難な曲面を打開する事は期待できないのではなかろうか。
 安部市長が強力なリーダーとして名乗りをあげたとしてもそれはパフォーマンスとしか人々の目には映らないのであろうし、まとめあげる能力を有するリーダーは置賜地方にはおらないのではあるまいか。
昭和の合併は吉池市長が成した。これも木村、黒金という強力な助っ人がいたからにすぎない。
 上杉藩領には上杉鷹山公の教えに「なせばなる」がある。勇気と己れの立場に拘泥せずにやる気さえあれば「なる」のである。

 選挙最中に合併賛成に鞍替えした米沢市長の変わりように置賜地方の首長らは一様に驚きコメントを出しているが、県知事までが安部市長の変わり身の早さにあきれながら「安部市長の本意を聞いてみたい」とコメントしているくらいだ。コメントの内容からして知事も含めた各市町の首長たちは安部米沢市長の言動を信じていないことが容易に察することができる。と、同時に安部三十郎を再選させた米沢市民全体が笑い者にされているようにもとれてならない。
 合併早期実現論を選挙で唱えた以上、「安部市長」および「みんなの会」の奮闘に期待するものの、安部市長らの頭脳とセンスから置賜広域合併実現は不可能だと老生は考えている。
 しかし、安部市長をブッチギリで再選させたのは米沢市の有権者である。「肩もみ」「芋煮会」「頼まれもしない会合」とこまめに選挙運動を繰り返した市長だ。集票にはマメに動く市長であるが、市政行政とはマメに騒ぐことではない。市長室で米沢市の現況を掴み出しながら、じっと米沢市を阻害している現実や、5年・10年後を見据えた伸張策などを策定することであろう。

流行語大賞「そんなの関係ねぇ!」に思うこと。

kage

2007/12/04 (Tue)

 老生は植木等の「無責任時代」が巷に席捲し人々に共感を得た時期を覚えている。その時から老生は世の中の退廃を予期していたといえる。
たしかにその時点からわが国の無責任時代がはじまり退廃ムードが社会全般に広がりを見せていったと感じるのは老生だけであろうか。
以来、勝手なマスコミによって流行語大賞が造成され国民の中に浸透していったのはたしかなことである。

 マスコミといえば新聞各社の報道よりは「テレビの映像による影響」が強いと思える。
考えてもみよう。相もかわらず芸能人やテレビタレントたちによる営業番組の多い中にあって児童に限らず未成熟な精神構造をもった青少年たちに与える番組の多いことにいささかの反省ももたないテレビ局でありスポンサーである。
視聴率を金科玉条だとするテレビ局もだが、物売りのスポンサーにも社会秩序というものを一考されて然るべきであろう。

 朝からテレビは「放火」「親族殺人」である。老生の記憶では戦後はこれらのニュースは特異な人物の所業としてむしろ奇異に感じていたものである。現代はどうであろうか?
日常茶飯事のように広がりを見せている犯罪である。国民は「またか?」と顔をしかめてしまうだけで特別の感懐もわかないのだ。

 昨日、車で下校途中の小学生群と出あった。赤信号で停車すると、横断歩道を渡る児童の中に逆立ちして、ランドセルの中身を道路に散乱させた者がいた。
さすがに児童は慌てて中身を拾い集めていたが、歩道を渡り切った集団が喝采して児童の慌てぶりを囃し立てているのだ。信号が変わったが無論、児童が拾い集めるまでは車は動けないで停車したままだ。
この情景に遭遇した老生は社会教育不備に恐ろしいものを感じた。「そんなの関係ねぇ!」が幼児児童の中で大いに流行しているようだが悪影響のほうが勝っているようでは何が流行語大賞であるか。
 「関係ねぇ!」という否定語はいかなる場面に通用するものであるか。子供の教育途上において子供たちから「そんなの関係ねぇ!」と拒否する文言に親や教師たちはどのように対処するものであろうか。ただ、流行語大賞だからといって笑ってすまされるものであろうか。かならずしも裸を否定するものではないが、時と場所を考えるのが常識ある社会人というものであろう。
テレビタレントらに考えてもらいたい経済至上主義の堕落というものである。
 政府官僚をはじめとする日本を代表する人物たちの行状の希薄さに薄ら寒い思いをしながら日本人は過ごさねばならぬのであろうか。 何でもありという日本ではありたくないものである。

 昨晩、日本と台湾との野球を観戦した。なによりも感動させられたのは「選手たちのひたむきさ」である。日本人は「ひたむきさ」を忘却してきた感がある。児童も青少年たちに「ひたむきさ」が蘇る日はあるのか。
 市長選でも「ひたむきさ」の前に当選するための「パフォーマンス」が優先されるのでは「ひたむきさ」などは「関係ねぇ、関係ねぇ!」ということになるのか。


「時代に先駆ける米沢市政4年間の実績」と選挙公報を読む。

kage

2007/12/02 (Sun)

 安部候補の選挙告示前「時代に先駆け云々」については、どうでも良いことの羅列であり、市長がやらねばならない事項は見当らなかったが、選挙公報には下記7項目が明記されている。
・ 中学校の給食を来年4月から順次実施する。
・ 除雪は市民のために継続。
・ 21年度から順次、未設置のコミュニティ市区を解消。
・ 4年以内に芝生サッカー場をつくる
・ 街なかに図書館を21年度中に財政計画と準備。
・ 「置賜広域」行政事務や共同事業の連携。
・ 合併問題を「個別対話」で指導力を発揮する。
さらに、米沢を「古い密室」「しがらみ」の政治にもどせない。

・ 学校給食については来年4月から順次とあり、当選したからには実施するのであろうが、市教育委員会では未だ具体策は立てていないという。はたして? まさか野村候補に対抗した選挙の為の甘言ではなかろう。

・ 除雪は雪国であるから、何も新に始められたことではあるまい。

・ コミュニティセンターは「財政上困難」という理由で中止では又も市民を欺くことになる。

・ なぜ4年後のサッカー場建設であるか?前回の立候補時の市民との公約であったはずだ。サッカー場は有志独自で建設する噂があるのだ。ただし人工芝だということだが。

・ 街中図書館案は一度議会で否決されている経過があった。今の米沢市財政を鑑み街中に作るべきものではあるまい。

・ 置賜広域事業は前市長らから円滑に活動している。余計な指導的な口出しは事業の停滞を生むのではあるまいか。むしろ㈱データシステム米沢を廃止することが当面の市長の仕事だと思われる。税金の無駄使いだと言われているからだ。

・ 広域合併は投票日数日前になぜか急転回して「合併論に賛成の意欲」を燃やした市長だ。他市町長との個別会談だけでお茶を濁すようなことでは許されない。指導力を発揮されるのは当然のことで、早く「合併のテーブル」につかせることが第一の条件だが、「財政の不均衡」「議員定数削減」「首長削減」が大きな障害となろう。現に2002年、米沢青年会議所が「法定合併協議会設置」を米沢市・川西町に提案したが議員の対応は冷ややかなものであった。

 合併は国家の政策ではあるが、こと置賜広域合併では米沢をはじめ全国的にみてワーストランク上位に入っている市町の破綻間近同士の合併であることから、事を進めるにあたっては新設合併なのか編入合併なのか長期・中期大綱を立て、合併特例法下の国・県支援を仰がねばならぬことであろう。
それにはリーダーシップをとる市長の器が大きく問われる事柄である。

 指導力とかリーダーなる資質とはどのような覚悟をもって口にすることであるか。
4年前米沢市民に広域合併についてアンケートを取った安部市長は、いままで具体的行動を起こさなかった。選挙近くなって「近隣市町村長を訪れ話を聞いた」とその功績を市民にアピールしたが、長井・飯豊の首長から「米沢が指導力を発揮すべし」と注文が付けられた。4年間「市民の声を聞く」としたパフォーマンスに徹し「決断と実行」を示さなかった安部市長の指導力とは?
 商工会議所あたりから「企業誘致に市長は連れて行けない」などと情けないことを言わせない市長の胆力に期待するものだ。


「政治は一寸先闇」だが「市政はなし崩しに崩壊するのであるか」

kage

2007/12/01 (Sat)

 本欄にアクセスされた数度が351,000件を超えた。個人のサイトでは驚異的なアクセス数だと教えられた。ますます意気軒高に続けなければならぬサイトだと考えている。
 本サイトの品格を護るためにも「書き手の品格ある書込みを期待したい」本日、有意義な書込みが寄せられている。
 12月議会で発言される市議会議員に対して「市長の本音を聞いてほしい」というものだ。質問される議員名が一人一人書き込まれている。これは議会に精通した方の書込みとみた。斯様に真摯な問題提起が米沢市政を油断させない清涼剤となる。
 書込み氏の中に「図書館建設」問題があった。驚くべき書込みの内容だった「図書館はいらない。もっと病院と教育施設の充実を。また「図書館を必要とする人は周囲にはいない」というような書込みだった。
 市長は文系の方だから図書館の新設に熱心であろうかと思われるがとある。老生の考えを述べると「図書館に年に何回いきますか?」で決まると思っている。確かに町の文化度合を示すのに「図書館」「美術館」の有る無しが査定の基準になっているのは今も変わらないようです。が、新しく建設する必要もなく、まして町の中央に新設を考えるのは老生は否定的だ。

 「図書館とか病院」は静かな場所を必要とするもので、広い駐車場と静寂な風さえあれば癒されるものだと考える。現在の市立病院の立地条件などは問題視すべきもので、まして「新設図書館」が町中に新設するなどは愚の骨頂だと考えるものだ。老生は福島県立図書館を知っている。
月刊誌編集長時代のことだがずいぶん通ったものだ。まず、入館者が少なく、2~3人の年寄りたちが新聞を読みふけっているような状態で館内は終日閑散としたものだった。
 特別の調べものがないかぎり米沢市の図書館には出向かない。必要な文献は手元にあるからだ。図書館の所蔵が一般小説であったり、マンガや週刊誌であるならば個人で購入すればよい。今はそれが出来る経済状態にある。
 もし、図書館の蔵書に加えてもらえるならば、個人では購入できない高額な参考書および文献を揃えてほしいものだ。結論は出せないであろうが、入館数や図書館を必要としている市民がどれほどのものであるかを考えてみる必要があるだろう。それほどの必要度がなければ現在の図書館で十分であろう。老生は夜中に必要とする文献がある。そのために書棚には「積んどく主義」なる蔵書を用意しておく。読書ばなれが騒がれているが、毎月刊行される新書は膨大な数になる。
読書をつづけたい方ならば「古紙収集場」で貰ってくるというのはどうだろう。もったいない本やすごい本も捨ててある現代だ。
 見せ掛けだけの図書館は不要な時代だと思われる。エプロン姿で図書に親しめるような市民性であれば別だが新設図書館は必要ないというところかも。
 米沢文化は相も変わらず上杉から一歩も出られない文化なのであるか?