各候補者を選別する。「米沢市政に必要な人物はだれだ!」

2007/10/31 (Wed)
米沢市の改革・伸張を考える時、現況ではそれに匹敵する候補者はいないと考えるのが常道ではあるまいか。■ まず、市長経験者である安部三十郎候補の独善さに付き合っていたとしたら、米沢市政は安部三十郎候補の思い上りによって、解体の危機に遭遇するであろう。
■ 野村研三候補には安部三十郎候補のような独善性はないだろう。首長の経歴はないにしても、市議会議員および県議会の副議長まで務めあげた人物であるから、議会の任務と市長の責務には熟知しているに違いない。 前回の市長選で、告示を前にして「敵前逃亡」したという市民を裏切る結果となっていることから、彼の健康度合いに関心が集まっているのは当然のことだ。見るところ健康の心配はないようだが、市長選に突入した場合には健康に留意することが肝心であろう。
■ 川野候補は先の参議院議員候補に手をあげたまでは良かったが、山形県候補とはならなかったことが尾を曳いている。参議院候補に手をあげたとあれば、いまさら市議会議員でもあるまいとして、噂通りに市長選に立候補してきた。が、選挙には滅法強い置賜建設がソッポを向き、兄弟親戚からもソッポを向かれているという気宇な候補者と聞く。 川野候補はまだ若いこともあって、次の選挙かまたは次々の市長を狙っているのであるか。見るところ市長としては時期尚早との見方が強いようだが、油断大敵は選挙時の戒めだ。婦人層が声をかけあっているからあるいはヒョッとすることもあるかも知れない。
■ 鈴木睦夫候補は「野村候補の邪魔をして!などと謗りを受けています」と頭を掻いて事務所に来所。「細君と息子らに家を出られて、それで選挙ができるのか」という老生にたいして彼は答えた。「二人がいなくなったから市長選に出られるのだ。必ず反対するのは二人だったからな」 結論からすれば「市長報酬は半分にする」「退職金はいらない」とのマニフェストだけではどのような市政が展開されるのであるか。
口はばったいようだが、各候補とも市長としての資質に物足りなさを感じるのは否めない。
各陣営のマニフェストや公約なるものは、それを実現するにはお金のかかることが殆どであり、疲弊した米沢市であれば税の増収をもって臨むより、経費を足元から軽減し公約を果たすのがスジであろう。
それには気の毒だが市職員の給料をカットすべきである。夕張市は市職員給料を30%カットして生き残りをかけ、長井市、上山市は一般職員給与の5~10%のカットをして伸張を図っているが、米沢市政はこのままで良いのであるか。
国、地方を問わず行政における人件費の占める割合は予算執行の大きなウェートを占めることから、これを避けて公約の実行は不可能であり、次期の首長たらん候補者なら真摯に労務問題に取り組み、労働組合と渡り合う気概を示すべきである。好景気が持続しているという政府でさえ人事院勧告を蹴ったではないか。
格差社会の問題が取りざたされる昨今だが、本市に於いて実感するのは官民給与格差である。事実、公務員と一般企業との給与格差はどうだ。鈴木睦夫候補はその点を追求した場合「それは僻みだろう」と答えた。全ての候補者にいえることは、いずれも税金で生活してきた議員たちである。給料に手をつけるなどの考えは期待する方が無理というものか。
「市職員は働かない」と安部市長にいわせた職員たちであるが反論は如何なものであろう。

■ 改革・項目52)建設工事の予定価格公表

2007/10/30 (Tue)
安部市長は市が発注する建設工事の入札に「予定価格事前公表」を導入し改革だとご満悦であるが、事はそんな単純なものではなかろう。自治体が発注する公共工事は年を追って減少し山形県発注に至っては最盛期の30%に落ち込む今、競争は熾烈を極め低価格での入札やダンピングの増加により、建設業界での倒産が地域の活力減退を招き、労務単価の下落等、現場労働者の待遇が悪化した。
県はこの事を懸念し今月、入札制度を検討する第三者委員会を立ち上げ調査に入った事でも察せられるように、本市に於いても「予定価格公表」がもたらす負の影響に何らかの対策を早急に立てる時期にあると思われるのだが、肝心の安部市長は来月に迫る市長選の事前運動でそれどころでは無いようだ。
そもそも公共事業の発注とは予定価格を事前公表せず、予定価格を越えないで、それに一番近い金額の札を入れた業者が落札するシステムであった。よって業者の第一の努力目標は担当職員から予定価格を聞き出すことにあり、業者と担当職員間の癒着が生じた結果、贈収賄・便宜供与が多発した。
その弊害を除こうと導入されたのが「予定価格事前公表」であるが同時にダンピングと判断する最低価格基準値も引き下げられた。折しも小泉内閣による行政改革は地方自治体への補助金・助成金の削減というかたちで地方経済を疲弊させ、建設業界は小さくなったパイの取り合いに狂奔するあまり「予定価格の2割3割当たり前」の値引き合戦と相成った訳であり、結果、前述の倒産多発という事態を招いたのである。
当会は早くより低価格応札の弊害を懸念し、本市「契約検査課 遠藤課長」に質したところ「業者が勝手に低価格で入札するので仕方がない」との考えであった。老生はこの答えに大きな「疑問」と「違和感」と安部市政への「不信感」を抱いたのである。
疑問とは、
阪神・淡路大震災時コンクリートで作られるべき橋脚に建設廃材が詰め込まれ被害を拡大した写真を目にされた方も多いと思うが、かように低価格入札よる施工は手抜き工事を招きやすく、労務単価の下落による給与所得の低減は地方経済を矮小化し、企業倒産は地域の活力減退を招くことで「仕方がない」では済まされないのではないか。
違和感とは、
公共事業発注に対する市職員の数と経費である。すなわち仕事が減ったのに従業員の数も支払給与もほとんど同じであり、民間企業なら当然倒産に追い込まれる事態であるにも拘わらず、自分は公務員という安全地帯に座し「勝手に安く入札するので仕方がない」という課長の考えである。
そして安部市政へ不信感とは、
国は税を中央に集め補助金・助成金というかたちで地方に配ることにより都市とのバランスを取ってきた経緯がある。それが「行政改革」だ「地方の自立」だと「自主判断、自己責任」を地方に求めてきている今、自立のためには当然「自主財源」を必要とする訳で、市町村合併、地場産業の育成、企業誘致、行政コストの大幅削減等に、市長としての指導力を存分に発する時期に「合併には意見を述べるべきでない」「地場産業が倒産しても仕方がない」「既存企業の移転は企業誘致だから助成金を出す」「職員はいずれ自然減するだろう」では現市長に不信感を募らせるのは老生だけでは無いだろう。

何度でも言う! 「米沢市政はなぜ、安部市長ではダメなのか!」

2007/10/29 (Mon)
正常な感覚の有権者であれば何故「安部三十郎氏に米沢市政を任せてならない」かを理解されていると思うが、種々の影口がネットに入っているのであえて言う!※「何故」
■ 市長だからこそ規定は守るべきである
市庁舎規定の前段には「何人といえども侵してならない」という定めがある。守るべきは規定の前段であり付則ではないのだ。
本日の国会喚問中継を見て理解できるであろう。防衛省の倫理規定をトップから破りながら部下に「倫理規定を遵守せよ!」と言えるのであるか。米沢市議会の追求にも「市長は良いのだ」と、平然と規定の前段を理解せず付則をもって良しとする安部三十郎氏を市長にいただけない理由はその一点にある。
これを権力の座についた途端の暴挙といわずして何んという。
■ 市政に参与をはべらせたことである。
本来ならば、何処の市町村にも見あたらないが、福島・山形大学から各々1名ずつ計2名の参与を抜擢し両名に月々70000円の報酬を与えてきた。米沢市政の組織図にない参与である。市政に関するかぎりでは副市長がおり各部長がいる。うがった見方をすれば市長個人の市政顧問なのであろう。が、組織図にもない参与であるから、職員の指導や相談にのることもできない立場の人たちであったことに踏まえて、彼らは米沢市政にとって無任所の立場で報酬を得ていたということになる。これを称して税金の無駄使いだとはいえないか。
しかも、福島大学の参与は「安部市長は何を考えているか分からない、変わった人物だ」と語って米沢を離れて帰っていったのである。 組織にくみしない「参与」への報酬は無駄使いで、権力者の暴挙だといえまいか。
■ 企業誘致とは、納税・雇用をともに果たす企業の進出をいう。
安部市長の企業誘致とはその感覚において大なる錯誤をしている。米沢在来の企業が米沢市の某場所に工場建設しても、それを企業誘致とはいわない。市長の言う誘致企業の内訳はヤマワの南原地区内の工場の増設であり、アルカデア用地には武田誠前県議の事務所移転である。この事務所も また米沢市の某所に在住していたものである。当該用地には某印刷所の工場が建っているが、これもまた米沢市に在住していた印刷所である。
他所からの進出といえば、南原で「生ゴミから肥料を再生している」臭気ふんぷんで米沢市民の顰蹙をかっている会社ぐらいのものであろうか。
又、安部市長は企業誘致にトップセールスとして148企業を訪問したと吹聴しているが、有能なセールスマンは決して訪問数を自慢しないものだ。何故なら実社会に於いて経過は評価されず、結果が全てと心得ているからである。
それに「佐藤病院の米沢進出を阻止」したくだりは、過去に「帝人」の米沢進出を反対した史実と共に、安部市政が犯した大罪として語り継がれるものであろう。
■ マニフェストなるものに「嘘」があってはならない。
結果的に市民を騙し権力の座につくための手法であるからだ。安部三十郎氏は若者に「芝生のサッカー場」をつくると約束し「図書館」を新設すると公約した。その答えが奮っている「金がないから作れない」。
疲弊した現状で市に金がないことぐらい誰にも分かっている。が、秘策があるのだろうと市民は夢を見続けていたことは事実だ。それが裏切られたのだ。「金がなければ、金を生む政策努力をしたのであるか」答えはノーである。何もしなかったのである。かわりに為したことは公的な球場を個人名義「皆川球場」と改称したことであり、これも市民の顰蹙をかっているぐらいが関の山なのである。
匿名諸氏へ
老生は己れの分際を心得ているから市政を担当するというようなことは夢にも思ったこともない。しかし、市長を換えることは何度もやった実績がある。無用の長物と役に立たない市長は換えるべきだと信じている。
又、当サイトを立ち上げ丸4年が経過したが、運営の心構えとしては通常報道されない事柄の「真実」を伝えることをモットーとし、単独の情報提供者の話に片寄ること無く、必ず精査し確信が得られた上で実名報道も行ってきた。
その間、市行政と渡り合い「行政監査請求」を2度行う事により昨年度6千万円、一昨年度4千7百万円の資源物売却収益を本市にもたらした実績は、心ある多くの一般市民からの情報提供による所が大であり、当会を支持される方々へは感謝する次第である。
匿名諸氏よ姑息な手段で他人の批判ばかりの人生なんて情けないではないか?表舞台で堂々と米沢市民として責任ある発言をしてはどうか?そして行動を起こしてはどうか。

失われつつある「国家の品格」をどうする!

2007/10/28 (Sun)
日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」であると述べるのは「国家の品格」の著者、藤原正彦氏である。さらに著者は「国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた「論理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止める事は出来ない今、日本に必要なのは論理より情緒、英語より日本語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことであると提言する。すべての日本人に誇りと自信を与える書として「新潮新書」から発売されているので是非一読されたい。良書だと推奨する次第。
著者が三年間ほどアメリカで教鞭をとっていた時のことだ。アメリカ社会では常に論理の応酬で物事が決まっていく社会構造を爽快に思えた。が、イギリスのケンブリッヂ大学で1年ほど暮らすことになって伝統を重んじる国柄から論理を強く主張する人は煙たがられていたのだ。おなじアングロサクソン民族でありながら、アメリカとはまったく違う国柄で、そこでは論理などより、慣習や伝統、個人的には誠実さやユーモアの方が重んじられていたのだ。
改革に情熱を燃やす人も少しはいたが「胡散臭い人」と見られ、紳士たちはそのような人を「ユーモアに欠けた人」などと遠回しに評したりする。
イギリスから帰国後、著者は論理の地位が低下し、情緒とか形がますます大きくなったのだという。情緒とは喜怒哀楽のような生まれつき持っているものではなく、懐かしさとか「もののあわれ」といった教育によって培われるものだった。形とは主に「武士道精神」からくる行動基準なのだ。二つはともに日本人を特徴づけるもので、国柄ともいうべきものだったと書いてはばからないのだ。
さらに著書は大胆にも「近代的合理精神の限界」「論理だけでは世界が破綻する」「自由、平等、民主主義を疑う」と矢つぎ早に論じ、「武士道精神の復活を」「情緒と形の国・日本」と戦後失われてきた情緒豊かな日本人の回帰のすべを述べているのだ。
戦後「仰げば尊し」が斉唱されなくなり、「君が代」が国歌とされたのに今以て排除する教育がなされている学校もあると聞いている。このような教員でも国民の税金で生かされていることを考えれば、日本人として論理を改める必要がある。
こんな風だから国歌君が代も歌えない運動選手の顔が国際試合ごとに見られるのは日本人として悲しいものだ。
卒業式にそれぞれの哀感をこめて斉唱する「仰げば尊し」に至っては、「生徒に仰ぎみられるような教師でなかった」という自虐から教師たちが遠慮して歌わせないことは理解できても「生徒に生涯慕われつづける教師であり恩師でありたい」と願う教師はいないのであろうか。
小学生時代、悪ガキだった老生でも卒業式に斉唱した「仰げば尊し」を聴けば自然と懐かしい思い出とともに、恩師の顔が浮かび涙目になり、今でも心が洗われてくる。
敗戦の年の卒業だから、一握りの青ばた豆を噛み締めながら、なぜか熱い時を過ごしたことを覚えている。あの煎り豆は担任の教師が自宅で煎って持ってきてくれたものだ。
敗戦やバブル崩壊で、完全にアメリ力化された日本人であり、市場経済に代表される欧米の「論理と合理」に身を売ってしまった日本である。
老生は常に「叙情性の豊かな日本人の戯曲」を目標に「ことば探し」をする日々だ。老生の師北条秀司はあくなき「日本人の叙情性」を求めて戯曲を書き続けた作家である。舞台劇作家として劇界の天皇といわれ劇作生のあこがれ的存在であった師の意志を求めつづける老生である。
三人の娘たちには「どれだけの感動を受けることができたか」を毎日の日課とせよと教えてきた。娘たちが育ててきた孫たちにも同じことを老生は繰り返し言うのであろう。叙情性豊かな日本女性の存在を信じたい。

老生が市長選挙にこだわり続ける、その心情とは?

2007/10/27 (Sat)
端的に申すならば老生の見識と勇気であろうか。老生は青年時代に吉池慶太郎市長の都市計画と実践の勇断を知っている。昔から政治家の終焉は「井戸塀政治家」だといわれていた。吉池元市長の家は文字通り井戸塀だけがようやく吉池家の存在を残しているに過ぎない。「きれいな政治家とはそうしたものだ」とは言い難いが、吉池元市長は米沢市の復興伸張に、構造不況で稼業が疲弊してゆく現状をよそに、自分に与えられた重責を全うされた市長であった。老生に限らずその思いは多くの市民各位が今以てもちつづけている尊敬の念であろう。
吉池氏は20年の長期市政を担当してこられたことから、一部社会党の盛り上がりによって失脚されることになったが、社会党の市政になって市役所に贈収賄が発覚、官憲の導入を許したばかりか、赤字財政陥落の市となったことは忘れることのできない米沢市民の恥部露呈だった。苦節8年の月日を経て、社会党市政からの奪回をめざしてわずか18票という僅差で高橋幸翁市長が誕生した。無論、老生が仕事を投げうって選挙運動に没頭したことは申すまでもない。
老生は当時米沢ロータリーに所属していたが、ロータリーの大部分の会員は時の政権たる長俊英市長に傾いていたから、老生は孤独な会員として選挙運動に命を燃やしつづけていた。
高橋は老生の級友で苦学をともにした仲間であり、高橋には学生時代から政治に対する感覚が優れていたことから、文学の徒であった老生が一目おく学友であったからだ。
「死力を尽くした戦い」という文言があるが文字通り、劣勢を挽回するための努力は容易なものではなかったのだ。社会党市政からの奪還のためには考えられることのすべてを為した選挙戦であったと今では懐かしく思う。
選挙となると多くの有権者は「現職」に票を投じるものだが、それは有権者自身に市政を見つめる眼力が欠けていることと、変革に臆病な風土が米沢にあるからだ。いわく「長いものには巻かれろ」が市民感覚の拠り所であるからだが、折角、血も流さずに手にした民主主義であり、男女同権であり国民総投票という特権を与えられているのだから、その有り難みを「人間の尊厳を認められた」証しとして、人間の誇りとして行使すべきが有権者の義務であることを踏まえ、英知をもって投票場に急ぐべきであろう。
投票日が日曜日であるがために遊び優先の若者たちの投票行為が少ないのはどうしたことであろうか。自分の権利も行使できない若者に優れた男女が集うわけがないではないか。投票場に足を運ばないような親につつがない子育ての出来るはずがないではないか。
こう書いてくると「カラスの勝手でしょ」とか、投票に行けなかった理由を用意しているものだ。
老生たちは戦前、戦中、戦後と社会の激変に流され揉まれてきた歴史があり、激動の変遷の中から獲得してきた「自由」がある。「自由主義」も「投票権」も国民等しく与えられた特権であり、この喜びは形容しがたい歓喜に包まれたものであった。
老生の母校米沢一中に「自由の快翼を張り、責任の重荷を負う」の掲額がある。これは老生が二年生在校当時、時の天野文相が揮毫されたものだ。以来、自由と責任との相関関係を学びつづけてきた思いがある。「自由」はだれにもあるが「責任」を認識し実行する人物になることが老生らの真髄にしみ込んでいる学びである。恐怖と貧しさの社会から、老生たちが学びとってきたものは「初志貫徹」の心意気であり「真っすぐに生きる」ことの正しさである。
老生にとって米沢はかけがいのない「ふるさと」である。74年間、一度たりとも故郷米沢を離れず大舞台をめざして創作活動をつづけている老生である。
故郷をこよなく愛する老生だから米沢の市長を選ぶのです。

虚偽・隠蔽・癒着天国の日本。どこに国の「品格」があるか。

2007/10/26 (Fri)
牛肉、米穀・洋菓子・赤福、地鶏に至るまで虚偽に満ちあふれた日本市場であり経済事情である。人間の口にするものまで度外視した業界とは一体何処の国の話であるか。「官僚の悪」といえば防衛省の守屋元事務次官の国会証人が決まり与野党の追求がどこまで国民の納得する追求ができるかが問題となる。そして官僚・政治家の「商社癒着の実態」が明るみに出ることはあるのだろうか。官僚と政治家の貸し借りが存在している以上、解明の度合いがいかなることになるか、枕を高くして眠れない政治家がいることは確かだ。
老性が常に不思議だと感じているのは、歴代防衛長官や大臣たちは癒着の実態に気づいていなかったのであろうか。答えは簡単である。彼らに守屋元事務次官を通して商社との貸し借りがあったからに違いない。これだけの大罪が一事務次官といえども、政治家の庇護がなければ不可能で、彼らもまた見て見ぬ振りをしなければならない事情があったに違いない。
彼らの建前論は爽やかでも、本音の裏側に隠されている実態は腐れ切った隠蔽体質に極論されている。官僚をはじめとする自治体の役人の隠蔽体質は身近であるだけに腹が立つものだ。
南陽市の「官製談合」は実名で指摘された市職員の壮絶な自殺によって幕が引かれようとしているようだ。自殺した職員には気の毒だったが、安堵したのは前荒井市長であり、現市長なのであろう。と南陽市民の大方は考えているようだ。全国的に見ても南陽市の落札額の実態は奇異にうつる。 あれだけの騒動をきわめた官製談合疑惑は墓場に消えようとしている。一市民が起こした警察署への疑惑告発は、南陽警察署をついに動かすことは出来なかったが、あくまでも黒い談合事件の納まりとなった。 議会は来年の選挙のためのパフォーマンスとして議会で質問しただげにとどめ一見落着の態でいる。これが税金を貧っている議員たちの姿だ。
一方ではこんな噂が流れていることも事実だ。普段から気の弱かった当該職員はことあるごとに柴田副市長の餌食にされていたという事と、入札管理委員会に追い詰められたあげくに死に救いを求めたものだと言うのだ。南陽市の談合疑惑は墓場に消えてしまったが、常に疑獄事件の犠牲者はいるものである。張本人たちは何事もなかったように高笑いし己れの安泰にホットしている「悪の風景」は何も南陽市に限られたことではない。
守屋事務次官といい、歴代農水相といい悪人たちのそろい踏みが日本国である。「ならぬことはなりませぬ」会津藩の規律である。一度、日本人は読んで肝に命じてほしい人間社会の規律である。
米沢市の人口は現在「9万人を割りこんで8万人台に激減」したことを知った。明治21年、わが国に市政が制定されると同時に米沢市は市の制定を受けた誇りある市でだ。が、今日にみる人口衰退の原因とは何か。 市長たらんと手を挙げた候補者たちは、この現実を直視しそこで政策を伺いたいものである。マニフェストには輝かしい米沢市の未来が綴ちれているが、選挙に勝利するために「出来もしない公約」が踊っているみのだ。人口が減少するということは税収が足らなくなるということになる。それも考えずに「芝生のサッカー場を作る」「図書館を新設する」「中央市街地開発をする」と約束しながら「お金がないから出来ません」はないだろう。せめて創設にあたって進展している姿だけは市民に示してほしいものだ。「嘘を承知で固めた公約」だけはご免被りたいというのが市民の願いである。

「現職市長の選挙事前運動」の疑い!?

2007/10/25 (Thu)
本月19日、伝国の杜で行なわれた「シンポジウム」は安部市長の支援団体みんなの会の主催によって行なわれたものだが、最後はみんなの会の司会者の誘導によって「選挙に向けた事前運動」となった。会場に老生の知人で場違いな顔が見えたので、その方に参会した理由を聞いてみた。知人は「市長のご尊父さまとは米沢中学の同級生で、ともに海兵仕官学校に進まれた仲間であり、彼の父親は成績の優秀な方であった。戦時中という時代背景もあって、成績の優秀な学生はこぞって海兵、陸士へと受験していったものである。海兵といえば近藤元代議士もそうだった。
したがって、安部市長も成績優秀な血筋をひかれたものであろうことから早稲田も法学部を卒業されていることになっている。が、法律を専攻されながら法曹界での活躍はない。法曹界入りに立ちふさがる難解な国家試験を通らなかったのであろうか。それとも挑戦されなかったものか老生の知るところではないが、巷の噂によると「世紀合成社に在籍していた早稲田の先輩で元市議生熊氏の誘いで同社総務課に在籍」「総務課に8年間在籍した安部はナント係長にもなれなかったんだ」とのこと。
老生は今さらのように考えているのだが、安部三十郎氏は己れの歩むべき道を誤ったのではあるまいか。市長には「行政能力や政治感覚」が最も要求されるものである。まして、1千人強の市行政職員を統率し、市民の負託に応えねばならぬ困難な仕事である。そんなハードな仕事が、前職場で係長も拝命されなかった彼に勤まることではあるまい。彼には彼らしい能力を発揮できる仕事場が他にあるような気がしてならない。
確かに市長職は痛快なことに違いない。従来ならば面会すら容易でなかった社会的な要人らが市長室を訪れ面談することが出来るのである。
ここに市長職の陥りやすい幾多の罠があるのだ。市長に面談を申し込む多くはなんらかの欲望につかれた人物であることだ。いわゆる最高権力者に接近することは何を意味しているものか、中央政権での黒い癒着がそれを示しているのではあるまいか。常に「国民ごとき者」という国民を蔑みながら、己れの権力にアグラをかき続けている官僚の悪あがきはどうだ。地方自治体が無縁だとは、老生にはどうしても思えないのだ。
人には各々才能とか能力というものは備わっているものだ。それを見いだし成功する人もいるだろうが、多くの人たちは才覚を埋もらせているのが現状ではあるまいか。昔、海兵今町教員というのが現実であろう。あの秀才たちは己れの道を見いだし己の道を歩いてきたといえるだろうか。常に頭の中は「時代が時代なら、町教員で終わる自分でなかったはずだ」と、秀才の誉れと奢りとが社会を甘く見つめてきたような気がしてならないのだ。昔、神童、秀才といわれて育ってきた人物がイコール必ずしも社会の統率者でもなく権力者に位する人物ではないからだ。
だが安部三十郎氏は市長に就任するや「市長だからよいのだッ!」として、何人もならぬとする庁舎規定を己れだけの選挙のための「自由の風」なるのぼりを市長室前に4年間展示してきたのだ。「何人たりもならぬ」という規定に逆らって「ただし市長の許可があれば」の但し書きを即座に応用するという常人にはない感覚を持っているところに老生は多大な危険性を感じてきたものだ。
すべてが万事で「88の改革」とは、普通の有権者であればたまらなく低能な市長であることがわかる。安部氏には個人的な恨みつらみがあるわけではないが、米沢市政のつつがなさを願えば、情実で投票することだけは避けたい。米沢市の将来を憂うあまり老生は安部氏に進言する。 「君が為すべき職業は他にある。己れで模索せよ」と。

キャリアが侵しつづける学歴政治の実態を怒る!

2007/10/24 (Wed)
何が高学歴社会であるか!国民の生命財産を護る防衛庁のキャリアが連日社会面のトップを賑わしている。国家公務員という税金で生活を支えられているはずの人間が、その地位を利用して自我を満たすために侵した大罪ともいうべき行為は「人間の弱さ」を哀れにも露呈したものである。
価値観に疎い人間は「ある地位」につくと、さっそく地位に偏執して他の意見に耳を傾けることなく地位利用を履行するものである。
「ある地位」とは「地位のもつ権力」である。守屋事務次官は庁内から天皇と呼ばれ、絶対の権力をもち偏執に満ちた人物であったらしい。 守屋事務次官の行動を熟知していたはずの防衛庁幹部たちもまた国家公務員として同罪であるといえよう。
米沢市政の場合を考えてみよう。安部三十郎氏が市長に当選するまでは一介の米沢市民としての存在でしかなかった。 その安部三十郎氏が新市長に選ばれて「ある地位」に立った途端、何を為したか、地位の悪利用だった。
歴代市長が侵さなかった「庁内規定」を簡単に地位利用によって侵した事実は明らかな地位に編執した人物であることの証左である。 さらに「佐藤病院の米沢進出阻止」に至っては「米沢市の伸張を考えた行為」でなく「前市長の市政を否定」した偏執市長の無様さであった。
然るに「権力とは」正当な行使の出来る器量ある人物が持ってこそ真価が発揮できるものである。
高学歴のキャリアが「地位利用」する時代である。言い換えれば高学歴の持ち主が犯罪を助長するとは思いたくないが、時代はあまりにもそれを証左する事件が目立ち過ぎるのではあるまいか。
防衛庁に事例を求めた時、キャリアが高等教育を学んでいる時期に、高校卒業で自衛隊に入隊した兵士たちは、連日防衛訓練のために銃を撃ちつづけているわけだから、キャリアに比べようもないほど射撃術に長けているはずで鬼軍曹と呼ばれた人間は実戦に強く、士官学校出の指揮官には、実戦体験がなく度胸が座っていないことであり、学問だけでは戦闘の変化に対応できない弱さがある。 沖縄の摺り鉢山頂に米国国旗を掲げたのも、米国海兵の鬼軍曹であったことは映画「硫黄島の砂」を観てもわかることだ。 何事も実践体験豊富な人物には叶わないのであるから、賢い人物は彼らの実体験に耳を傾けるものである。
舛添厚生労働大臣の積極的な働きによって「年金問題やC型肝炎」などの官僚の隠蔽策が解明され、小池元防衛大臣によって防衛庁のダニが国会で証人喚問されるに至った注目すべき点は、キャリアがもつ隠蔽体質に大鉈を振るったということにある。
何代にもわたる防衛大臣らが見過ごしてきた大罪を女性大臣が摘発し、国民が永年にわたって疑念をもちつづけてきたキャリアと製薬会社との癒着構造を舛添大臣によって解明されようとしているのだ。いま「砂上の楼閣」たる官民癒着構造が音を立てて崩れようとしているのだ。
中央の癒着構造はひどいものだが、地方自治体にその悪癖はないのであるか。米沢市長選挙を来月に控えて、有権者は何をどのように考え投票をなさるのであるか。出来ることならば「米沢市長」として「適切な舵取りの出来る人物」を是非とも選出したいものだと願う。
ついでながら市職員の書込み「名無し」氏に告ぐ。氏は名無しらしいが老生には近衛兵だった父がつけてくれた「鈴木富夫」という戸籍上の名前がある。「雄」ではなく「夫」だ。間違った書き方は不快であり無礼である。市職員が市民の名前を間違えてどうする。不埒者めがッ!

「名無し」氏へ

2007/10/23 (Tue)
「死んだ子の年を数えるような心境ですが」というくだりは確かに老生の書き足した文言に違いない。匿名なので真意が伝わりにくいが「名無し」氏は議会に精通する市職員とであろうと想定し以下をしたためる。八巻部長は当時、佐藤病院米沢進出計画に献身的な働きをされていた職員だったから、安部市長の進出阻止には断腸の思いがあったのであろう。 佐藤病院の米沢進出によって米沢市が受ける経済的な波及効果と雇用の問題を勘案して職員としての生命を賭すような気持ちであったに違いない。
それが安部市長新任により「おれは聞いていない」の一言が原因となって「米沢市進出は断念する」と佐藤病院側から拒絶されたものだ。 考えてみるがよい、前市長時代にはじまった向こうから申し出の進出企業を安部市長は一言で反古にしたのである。担当の八巻部長の失望と安部新市長に対する怒りはいかばかりのものか、その忿懣を宮仕えの立場から爆発させることに耐えたことは容易に察することができるものだ。
「名無し」なる匿名氏よ、おなじ市職員であるならば、八巻部長の悔しさは想像できるものであろうよ。老生は八巻部長の議会答弁に修飾し、せめて当該部長の佐藤病院進出に期待を寄せた感慨に応えてやりたかったのである。
安部市長がいくら行政・政治的能力に欠けた人物だとしても「おれは知らなかった」の一言で処理すべき問題ではなかったはずである。 「名無し」氏よ。同僚が孤軍奮闘した作業が時の権力者に反古にされてしまった無念さに腹が立たないのであるか。
安部市長は「市政報告会」の壇上で開口一番「米沢市役所職員は働かないのである」と言い切ったのだ。つづけて「私が市長になってから朝礼をするようになって、はじめて動き出したのだ」とも聴衆に語りかけたのだ。市職員の能率の悪いことは市民なら誰でも知っていることだが、市長が公的な立場で職員を晒し者にするならば、老生なら職を辞す覚悟で市長と対決し老いたりとはいえ「市長の行政能力に問題が山積している」と諌言するぐらいの勇気と気概はあるぞ。
老生は勇気のある人物を良とする人間だ。匿名などと姑息な書込みをせずに、直接、実名にて電話か書面で抗議してくるぐらいの勇気を持ってもらいたいものである。

今に生きる武士道

2007/10/22 (Mon)
古くさいと嗤う勿れ。日本人たる所以は武士道と叙情性にある。日本人の精神文化を支えてきたのが武士道である。「忠」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」にそれぞれの人の生きるべき道を教えてきた。
「義」は武士道の光り輝く最高の支柱だとされ、いま更に申し上げるまでもないだろうから「人の上に立つ人物の条件とは何か」について「仁」とはどのように教えであるかを4人の市長候補者に知っておいてもらいたい。
愛・寛容・他者への同情、憐れみの情はいつの世でも至高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきた。 それには二つの意味で王者らしい徳と考えられてきた。それは高貴な精神をもっている性質の中でもっとも王者らしいものであり、また王者にこそもっともふさわしい徳であった。孔子も孟子も共に「仁とは人なり」と定義している。わかり易く申せば、上杉鷹山公が世継に伝えたとされる伝国の辞に改めて触れてみる。「国家人民の立てる君にして、君のために立てる国家人民にて之無候」と在民国家主義を唱えている。それはリンカーンがゲデスバークで唱えた民主主義から遡ること200年も前に米沢10代藩主鷹山公によって、すでに民主主義は唱えられていたのだった。
米沢市の歴史に「伝国の辞」はあったにせよ、時の軍国政治はそれを抹殺した教育を施す必要があったのであろう。したがって、米沢市内に伝国の辞の碑はなかった。戦後50年にしてライオンズCが松岬神社境内に建立したものである。当時、老生は教育委員会の無能さに新聞投書したものであるが、教育委員会ならぬライオンズCが意を受けてくれたものだと聞いた。
さて、候補者4人の顔触れをみると必ずしも武士道に叶う人物であるといいきれない部分がある。その中でも安部候補は市長在籍中の行動を鑑み、武士道の教えとは相反した思想の持ち主のように感じた。なぜならば彼の言動に嘘が多く、嘘だと承知しながら平然と「88の改革」を有権者に配り続ける神経を常人だと考えにくいのだ。
彼は事あるごとに歴史を話題として取り上げるそうだが、どのような歴史本を愛読しているかは知る由もないが、米沢市のトップならば武士道を読み平家物語などに目を通してもらいたいものである。そこには人としてむしろ指導者の心得として持つべき気概が書かれているからだ。
日本人の心を支えてきたもう一つの文化は「叙情性」に集約される。
現代は演歌ばやりで、国民総演歌愛好者らしいが、出ては消えてゆく演歌の寿命の哀れさを感じないのであろうか。日本には叙情歌としてすばらしい日本の歌曲がある。日本を訪れる演奏家が好んで演奏する曲目を分析してみた。「荒城の月」をはじめとして「砂山」「平城山」「赤とんぼ」であり「宵待草」や「出船」であった。すべてマイナーの曲である。日本の歌曲にメジャーな曲は少ない。日本人には底抜けに明るい曲は似合わなかった歴史的過去があった。
卒業式に涙を流して歌った「仰げば尊し」の曲は過去のものとされたが、老生たちには涙なくして聴けない歌曲のひとつである。このように青春時代に習い覚えた歌曲の数々に一人々々の思い出が集約されていて、現代の演歌や歌謡曲には素直になれないような気がする。日本人にはその風土や環境に育った歌曲があるはずだ。終戦と同時に叙情性を捨てる教育から、経済至上主義によって歌詞不明な曲が蔓延していることは日本人の叙情性の崩落を意味しているのではあるまいか。
同じように米沢市はあくまでも米沢市民であるために、武士道と叙情性にあふれた市民でありたいと願うのだ。それを破綻させるような米沢市長は選びたくない。
自由とは市長の権利を手前勝手に行使することではない。武士道は厳しく戒めていることを安部候補は知っているのであろうか。

市長の「自治体経営シンポジウム」とは、つまり選挙の事前運動だった。

2007/10/21 (Sun)
10月19日伝国の杜二階会議場で「みんなの会」が主催して行なわれたシンポジウムに出席した。ゲストに安部市長の早稲田時代の先輩にあたる防府市長・松浦正人氏を迎えての対談と思いきや「安部三十郎候補の選挙事前運動」であった。定員500名のホールを使わない訳は動員力に陰りがあったものであろう。ゲストの松浦氏は山口県から安部候補応援のために来米されたもので、氏の防府市改革論にはすばらしいものがあった。「始めて市議会議員に当選して感じたことは、議員たちのレベルの低さであった。この中におれば自分が駄目になってしまう、として1期で止め県会議員になった。さすが県会議員はレベルが高く3期勉めたが、市長に押されて現在がある。市長になって市政を精査したところ財政赤字転落寸前の状態で、改革につぐ改革を重ねてようやく市政の格好をつけて歩みだしたところです」と、テンポの良い語り口で聴衆を魅了したものだった。が、次いで安部市長の市政報告は「市職員の働かないことには驚いた。改革として朝礼を取り入れたりして職員の働く意欲を喚起する方策に力を注いできた。4年間市長として改革してきた88の項目を読んでいただきたい」前出の松浦氏とは異なり語り口のテンポの悪さはどうしたことであるか。内容に至っては聴く方が恥ずかしくなるような破廉恥極まるものであった。
そして最後は松浦氏の安部候補の当選の後押しといったものだったが、さすがの松浦氏も安部候補の市政報告内容を誉め上げることを控えられたようであったが「安部市長の朗報を山口で待っています」と結んだ。松浦氏に応えて安部候補は「がんばります。皆様よろしくご支援のほどを」と願って報告会は終了した。戸口には支援の遠藤宏三・佐藤忠次議員がいて来場者に挨拶を繰りかえしていた。安部候補は握手々々の連続。
明らかに「シンポジウム」とは名ばかりの「安部候補の市長選の事前運動」であった。感心したのは聴衆の拍手の切れがよいことだった。聴衆の大部分が「みんなの会」会員であったのかも知れない。聴衆は80名ぐらいであろうか。
会場から出たところで聴衆のひとりが「会合に覇気がなかったようだ」という年配者はつづけて「安部市長の人柄がいい。前市長は口は達者だが、癒着が多く人物が悪すぎた」その言葉にさすがの老生も「高橋は老生の同級生だった」とは言えず「安部候補には市政を任されない、だから私は安部だけは駄目だと思っているんです」「そういう考え方もあるですか」雨の中での短い問答をして帰宅したが、会場で渡されたリーフはなんと「三十郎月影日記・第二集」第一集を読んで「これが米沢市長の書くことであるか」と半ば呆れ返っていたから目を通すことにもためらいがあるというものだ。他にアンケート、や改革88だが、一部で配布している「花も嵐も・米沢のウーマン」の奥づきに至っては「制作・米沢市長」と印字してある。
再来年の大河ドラマに寄せる市長の熱意は評価するが、ドラマでは米沢の地名度がどれほどであるか調べる必要がある。 観光客対策の基本であろう。老生が「独眼流政宗」放映を前にして、NHK文芸部から書きあがった台本を借り受け、第14週までの放映までが米沢城であることを認識し「これならいけるぞ!」と事業を興したことを覚えている。
シンポジウムで安部市長が話したことの中に重大な過ちがあった。市長曰わく、市立病院投書箱に3万円が匿名の手紙と一緒に入れられていた。手紙には「車椅子などを押してくれたボランテアの労苦に感謝の気持ちをこめて」とあった。
それを市長は何を勘違いしたものか「米沢市はお金のもらえる市になった」と得意げに報告している。そもそも市政が行き届かない故にボランテアの方々がお手伝いした訳で、感謝されたのはボランテアであり米沢市ではなかろう。「ボランテアの皆様」とある以上、市が所有すべき金ではないのだ。

米沢市長選 №13 盛り上がりつつある「米沢市長選」

2007/10/20 (Sat)
今朝、目に止まったチラシが2枚あった。1枚は建築業のチラシだがナントめずらしくパンチの効くチラシだった。 もう1枚は市長選挙に絡んだ米沢青年会議所が市民に配布した「市長選挙公開討論会」の案内書であった。青年たちが自主的に行なうこの種の市民向け集会は大賛成である。が、望みたいのは集会を開いたという形式だけに酔ってはならないもので、その集会の内容が実のあるものであってほしいものだ。また「賛○会」恒例の市長候補者による討論会も開催されることになろうから米沢市長選も近付いてきたような感じがする。昨日、突然電話があり、立候補者の鈴木睦男氏が老生を尋ねてきた。彼らしく時間通り1分の狂いもなく事務所にきて、開口一番、インターネットの一部を訂正して貰いたいとのことであった。老生は「妻と息子に逃げられた候補者がはたして市長選挙が打てるのであろうか」と書いたはずだ。 ところが彼は「妻子がいたら選挙に出ることは出来なかったが、妻子がいなくなって選挙にでることを阻む者がいなくなった」ので、自由意志で市長選挙に出られるのだ。と訂正してくれと言う。 「野村候補の邪魔するようなことをすんな」と、いろんな人たちから言われつづけ、ようやく決意したところだ。とも言う。そんなところに本会のスタッフが来て、候補者との議論になったようだが、候補者は意気軒高なものであった。「1万8千票が当選ラインで、今のところ俺の票は5,6千票かな?」と言いながら帰っていった。健闘を祈るとだけ申しあげた次第だ。
候補者の乱立は安部三十郎氏が甘くみられた証拠であろう。「安部よりは俺のほうがましだ」という感覚が乱立の結果をもたらしたものであろう。 「隣の農家が耕耘機を買った」ことを知った農家のオヤジが「あそこの家で買ったんなら、オラの家で買えねえことがねえべや、明日買ってくるべえ、隣にバカにされねえようにナ」
以前の市長選挙の立候補者はやたらな人物は手を上げなかったものである。吉池慶太郎候補や高橋幸翁候補に対抗馬として候補者はおった。吉池氏には舟山貞斎と長俊英氏。高橋氏には共産党候補と安部三十郎候補だ。 二人の市長はそれぞれに善政を敷いてきたという左証ではあるが、ふた候補ともに20年間市政を担当したことで市民に飽きられたとう点があった。したがって、安部三十郎氏の当選はある意味ではフロッグ的な面があった。二期目を狙う現職とは絶対的な強さをもっているものである。その観点からしても安部三十郎氏の絶対優勢は疑うことのない事実だ。
特に出身地区の上郷地区は「安部候補ガンガンで付入るスキがない」と言われている。しかしながら、上郷地区にも市政を考え、安部市政に皺を寄せる人物は必ずおられるものだ。上郷という一地域にこだわり、米沢市全体を考える人は一人もいないという地域であるはずがない。
本会は安部市政を激しく糾弾しているには、数々の悪政が見られるからだ。極端な意見を申せば、安部三十郎候補に市政という大上段に立つ識見をもった人物でないとことが老生をはじめとする本会スタッフの一致した見解であるからだ。市長とは地域の出身ではあるにしても米沢市政を司る最高責任者なのである。そこで安部候補に肝心な行政能力に陰りが見えたから米沢市政の一大事だという見解だ。地域出身の市長様と喜んでいるようでは知恵者皆無の村落だとして、お天道様が嗤い出すのであるまいか。

米沢市長選 №12 [安部市長88の改革]に物申す! その六

2007/10/19 (Fri)
■ 改革・項目63、87)市営球場を「皆川球場に」 「米沢市写真文化賞」創設皆川球場・米沢市写真文化賞の創設は有権者の機嫌とりでないか!
退職した市職員OBからこんな意見が飛び出した。米沢市営球場の名称が「皆川球場」に変わった。皆川選手は米沢出身のプロ野球選手であり、その卓越した投球技術は野球殿堂入りの実績でもわかる。そのOBが語るには、だからといって米沢市に特別経済的に寄与したわけではない。彼の名声はあくまでも個人的なものであり、その点では認められるものではあっても公的に寄与したという実績があるわけではない。そのような彼の名を公的な球場の名称に刻みこむ必要があるのであるか。彼は草葉の陰で苦笑しているのではあるまいか。
おなじ意味で写真家の秋山庄太郎記念「米沢市写真文化賞」の設定を米沢市がするのは意味のないことである。確かに秋山庄太郎氏は著名な写真家であり国民のだれもが知っている人物である。が、真の意味では写真家とは言い難い分がある。酒田市出身の写真家土門拳とは根本的に写真家としての業績は薄い人物である。本来、わが国の写真家といわれる人物はおのずと写真哲学があった。木村伊兵衛氏は終生ライカを目の高さに構えたアングルから日本の原風景を残した。入江泰吉は「大和路」を残し、白川義員は「世界の華麗な山脈」を記録に残した。さらに白籏史郎は「白峰の神々しさ」を生命を賭して後世に残している。その点では秋山氏はスタジオで週刊誌の表紙を飾る著名女優を写していただけに過ぎない。いつの頃からか「蘭の花」を撮りはじめ「花の会」を全国に結成して写真愛好者を広げた部分は評価され、マスコミ写真家とアマチャアカメラマンには人気を博したものだが、米沢市が顕彰するほどの業績は認められないのである。
したがって、安部市長が選挙運動として最ものりやすい2名の人物ではあるが、米沢市が顕彰しなければならない人物が他にいるはずである。地元で生を受け中央画壇で活躍した人物は多い。
今をときめく「福王寺法林」は別格として、故人となった画業人はまことに多いものだ。
文化とは掘り起こすことにある。市長応接間に掲額されている桜井佑一作の「夏みかんの図」は吉池市長時代に未亡人に頼んで30万円で譲り受けたものだが、文化音痴の高橋前市長に老生が絵の説明に行ったものだ。
日本人が失いつつあるのは、日本人特有のリリシズムのそれである。「叙情性」とも訳すべき言葉であるが、世界に知られた日本人特有の情感であり、現代では全く失われようとしている日本人の美学である。
歌詞も難解な上、巻き舌でわめく現代の歌に、もはや日本人のリリシズムは枯渇している。経済至上主義を標榜してきた現代の日本で失われていく文化の数々は多い。
たとえば視聴率の高い番組を狙えば「斬ったはった」か「代わりばえしないタレントによる低能な番組」これがわが国のテレビ番組の主流をなしているかぎり、リリシズムの回帰はみられそうもない。
日本はいつ頃から日本人らしさを失ったものであろう。女性がヘソを出して走りだし、女学生がことさらにスカートをまくしあげて歩く。これを老生たちは文化とはいわずして、女性の退廃だと考えている。
同じようことが行政にもいえよう。候補者は策を労すことなく、市政に対する所信を堂々と述べるだけでよい。有権者は候補者と取り巻きの人物の評価から一票を投じるものである。全戸訪問や芋煮会場訪問などで一票を得ようとする候補者の気持ちはわからないでもないが、市長に当選したあとで何を為すかが候補者の基本生命である。勝てばよいだけでは済まぬ。そこで何を為すべきかだ。そこに候補者の文化が息づいているかどうかだ。

米沢市長選 №11 [安部市長88の改革]に物申す! その五

2007/10/18 (Thu)
■ 改革・項目38)トップセールス開始、4年間の企業誘致数安部市長の企業誘致は真っ赤な嘘だ!
オフィスアルカデア用地の企業誘致は「目的に合わない」として、佐藤病院進出を阻止する処置した安部市長だが、当該用地に巨大な地元印刷工場が出現して唖然とさせられたのは老生だけであろうか。
病院の進出には「使用目的に合わない」としながら「印刷所ならばよい」とした論理に矛盾はないのだろうか。改革の中に当該用地に2社の事務所を誘致したと手柄にしているが、その中身は元県議武田誠関連の事務所であることに不審をもっている市民の多いことも事実だ。
武田県議は元南陽市長と計らい、南陽市にゴルフ関連の事業を展開、地元の強烈な反対にあって断念、南陽市に多大な財政危機をもたらした件を今以て南陽市民は「ザワの県会議員めッ!」と怒っている。したがって武田県議は南陽市民から蛇蝎のごとく嫌われている存在なのだ。が、武田関連企業の事務所が当該土地に企業誘致されたことに市民は不安感を寄せて今後の成り行きを見定める必要があろう。
もうひとつの企業誘致だとする「弥満和精機工業」の南原工場は、ただ今建築中だが、地元工場の増設工場である。
安部改革が言う「企業誘致」だが、地元工場の移転、増築は企業誘致とはいえないもので、その言葉の正しい意味合いからして「地元に税収をもたらす新たな地域外企業」ということになろう。その点でも安部市長の判断に甘さがみられ、ひとりよがりの市政であり改革だと思えないであろうか。
有権者の皆様、冷静に米沢市政の現況についてご賢察願いたいと思う次第だ。
老生はかつて福島県の月刊誌の編集長を依頼されるまま引き受けた時がある。老生が会津若松市に友人知人が多いのはそのせいだが、福島県で学んだことに多いものがある。
喜多方市のら-めんブームや大内宿の開発にも参加した経験をもつ老生である。だから、福島県人の観光政策に寄せるひたむきな情熱と米沢市のその情熱にはかなりの温度差を感じるのである。
米沢人は福島の観光開発の巧みな技術に学ぼうとする気持ちはなく、ただ羨ましく指を加えているだけではないだろうか。観光開発の奥義とはなんぞや? それを間近に見てきた老生だからこそ見える米沢市の遅滞さが悔やまれるのだ。
米沢の市民は何事にも行政主導方を是とする風潮がある。上杉の上意下達になれきったDNAが染み込んでいるせいであろう。会津若松市は維新戦争によって官軍の標的となって崩落した町である。しかし、落城したはずの城が戦後に再建された心意気とはなにか。城主と民衆の心が善政がゆえに合致していた歴史があったからである。
老生が会津を訪れると「米沢の親分がくる」として、会津の有識者が集まり宴会で歓迎してもらえるのだ。老生と一緒に会津を訪れたことのある知人友人だけが知っている事実だ。
米沢には民衆の団結がない。すべて行政からの上意下達でしか動かない。それも歴史的風土であるから是としないわけには行かないが、肝心の下達をする市のトップに「正常な知恵がない」のだとすればどうなる。
激しく市長を糾弾するような気概が会津市民にあり、市民の糾弾によって市長が変わってきたことを知っておられるだろうか。市長は「会津魂」の集大成を肝に叩きこみながら、常に緊張した市政に心がけているのだ。
その点において米沢市民の市政を凝視する眼力は不足だ。あえて当市と会津若松市の違いを述べてみた。

米沢市長選 №10 裁判官に自らを裁く権利があるか?!

2007/10/17 (Wed)
米沢市長室入口に「自由の風」なる選挙用のぼりが飾られてある。この「自由の風」なるのぼりは、安部三十郎氏が前回の市長立候補時に使用した選挙用旗である。米沢市には「庁内規則」とした定めがある。その規約には「何人なりとも庁内に選挙関連のボスター・看板などの掲示を禁じる」旨が記載されて永年守られてきたものだ。したがって歴代市長は庁内にはそれら個人の選挙運動と誤解されるような展示をするようなことは無かった。
しかし安部三十郎市長によってその規約が破られた。
本議会において、「自由の風の庁内持ち込みと展示は庁内規約に反するものであるから撤去すべきではないか」との議員の追求に答えて安部市長は笑顔でこう答えた。「市長が許可すればその限りではない」
いやしくも米沢市政のトップになった時点から、市長であることの自覚と責務を重んじて、まずは「庁内規約」を遵守すること肝要であったろう。
その点で安部市長は違っていた。「自由の風」なる選挙時ののぼりを庁内のしかも市長室入口に展示して4年間「庁内規約違反」の声にも悪びれることもなく職権乱用をし続けてきたのである。
「裁判官は自らを裁くことはしない」ものであろう。同じことである。己れの選挙時に行使した「のぼり」の庁内展示は、明らかに市長の権利を己れのために悪用した行為以外のなにものでもない。 裁判官は己れの犯した罪をみずから裁くことはできない。正常な意識を持った市長ならば、与えられた権利を乱用することをためらうものであろう。それを何もためらうことなく平気で実行する安部市長は常人と異なる感覚の持ち主だといえよう。
佐藤病院米沢進出計画を阻止してしまう感覚の持ち主なのだ。これらの行為から米沢市長として最適な人物であるかどうか、正常な常識をもった有権者ならばその是非の判断はつくものであろう。
過去に米沢市政が「経済的波及効果50億円」とした南部土地区画整理事業の失敗があった。そしてこの度の「佐藤病院米沢進出事業撤退」である。
上杉藩以来、失政を重ねてきた伝統がここに、米沢市伸張策の「長蛇を逸した」失政として具現化したのではあるまいか。市政とは「米沢市民の為になるかどうか」に判断基準を置かねばならぬものを、その前面に「己れの欲や立場」を先んじるからであろう。
人間の意志とは弱いものである。「金欲・名誉欲」という本音が建前論を駆逐することがある。
これが現実となって米沢市の疲弊の度合いがますます拡大して行くことに成るのではないか。
止まれ! 米沢市民の有権者の皆様方、本年74歳を向かえる老生には米沢市政の遅滞さは息苦しいのだ。不肖戯曲作家として米沢市政を見つめると「市政にそのチンケさを通用させている議会も無能極まるものだ」と断じなければならない老生自身が恥ずかしさに苛まれるのだ。
「何も悪いことしたわけでもない。一期だけでは可愛想だ」との安部候補同情論が蔓延しているやに聞くが、そんな安直な同情論でおられるならば、血を吐くような「米沢市政再生論」を唱える老生の文言に耳を貸していただきたい。このままでは米沢市は時流からとり残されてしまうのだ。

米沢市長選 №9 安部市長は米沢市を限りなく疲弊へと導く為政者だ。

2007/10/16 (Tue)
安部市長在任四年間の最大失政・市民無視は「南陽市佐藤病院の進出を阻んだことにある」と本会は断ずる。佐藤病院の進出計画は前高橋市長時代に交渉がはじめられていた「企業誘致計画」による米沢市政にとって起死回生ともいうべき一大懸案事項として慎重に進められてきた。
建設費が概算40数億円を超す規模とされ、その経済的波及効果には想像をはるかに絶するものがあったはずだ。地元からの雇用人数は250名程と見込まれ雇用対策に希望がもたれた。
なかんずく増え続ける老人看護問題の緩和は適切な環境づくりとして米沢市が最も歓迎すべき進出企業であったが平成16年、安部市政となり「佐藤病院の米沢撤退」となった。
米沢市民にとって晴天の霹靂となったことは申すまでもないが、撤退するに至った原因経過を精査追求し、安部市政の一大失態を広く市民に履歴し安部市政の是非を問いかけることにした。
(以下、平成16年度12月定例議会における吉田議員の一般質問と行政側の応答記録を参照)
■ なぜ、佐藤病院は撤退しなければならなかったか?
(吉田議員の質問に安部市長に代わり八巻産業部長の答弁)
平成15年5月に公徳会・佐藤病院より電話があり、病院開設による土地取得の可能性について打診があり、オフィス・アルカディア団地に進出できるかどうかという問い合わせであった。
公徳会の計画は平成16年度着工、平成17年4月開所であった。
当該団地への誘導については中小企業整備機構山形事務所に報告し、オフィス・アルカディアの立地を想定し、事業計画を進めてきた。
その後は、中小機構が主体となって月1度程度の連絡などを行なってきたが、老人ホームなどの多額な投資による公徳会の事業見直しによって中断、17年春の開業がなくなり推移を見守ることになった。
16年7月9日、中断していた計画をおし進めていきたい旨の話があり、計画の詳細が提示されたものだ。床面積が多少増え、着工は17年5月、18年完成予定、約60名の雇用を見込み、スケジュール的には秋から確保していきたいというものであった。
7月16日に報告を受けた安部市長は「オフィス・アルカディア用地は当初から想定されている業種以外であり、市民および地権者等への説明してきたことと内容が異なることから、見直しを図るべきだ」と指示し「団地への導入企業種について、もう一度見直すため、市民各層からなる検討委員会を立ち上げて議論する」ことになった。
公徳会は検討委員会の意見集約を待ったうえでの事業計画は時間的にも不可能だとして、10月26日、正式に計画断念の確認をいただいたということです。
死んだ子供の年を数えるような心境ですが、公徳会の米沢市進出による経済的波及効果は、60名の直接雇用、その他関連業種として100名程度の直接的給与を計算すれば波及効果には計りきれないものがあったと思われるものです。
■ 佐藤病院進出計画を成就する方法はなかったのか?
前市長時代に計画がありその進展について新安部市長は報告を受けて「そんな話は聞いていない。しかも当該用地に異業種の進出はそぐわない。検討委員会を立ち上げて議論する必要がある」とした結果、公徳会は「検討会などの結論を待って事業展開するなど、そんな悠長な話に乗れない」として安部市政を批判し米沢進出を撤退した結果、計画は南陽市で実行された。
その企業進出が「米沢市民のためになるかどうか」に判断の基準をおくべき立場にある市長が「話を聞いていなかった」との理由で進出計画に難色を示した態度は幼稚なものである上、検討委員会にその判断を仰がなければ決断できない市長とは、市政を担当する能力に乏しい人物というべきであろう。
また八巻産業部長の「死んだ子供の年を数えるような心境ですが」のくだりには行政マンとして慚愧の念と安部市長への不信感が強く感じられるものである。
■ 米沢市の現況を憂い、まっとうな考えを持った米沢市民の多くは、今秋の改選を4年間待ち望んでいたに違いない。一時期は安部市長のリコール運動を起こす計画もあったかに聞いているが、リコールする市民側にとって多大な労力と経済的負担が課せられることによって改選期を待つことになったものだ。
乱立する候補者の顔触れを見ると「安部よりはオレの方がましだ」とする軽さが見られるようだ。乱立によって「安部現職有利」はいなめない情況にある。そこで市民の選択基点をどこに置くかだ。米沢市の未来を形成するためにだ。
4年間を再び伸張力に乏しい米沢市にするか。現在の市長よりはマシな候補者を擁立するのか。四者択一の選挙戦である。

米沢市長選 №8 [安部市長88の改革]に物申す! その四

2007/10/15 (Mon)
■改革・項目6)広域合併に関するアンケート実施。大型銀行同士の合併・今をときめく自動車業界での合併・大型百貨店同士の合併など数えきれない合併問題が目につき、生き残るためには大企業や優良企業といえども合併によるスケールメリットを求める現社会である。わが国が推奨している広域合併問題も同じ考えの国策であるが、置賜地方での合併は遅々として進展する気配すらもない。大規模な都市単位を創りあげてこそ、向かい風にも対処できるものであろう。
しかし、合併に反対する勢力とは、大方は市町村長であり、市町村議会議員たちの本音であろう。だからといって、立候補時は例外なく「地域住民の為に働く」と叫んでの当選であったろう。今頃になって「あれは当選するための大嘘だった」と白状するのであるか。「大同の前に捨るものは何か?」優れた政治家とはそれを実行することの出来る人物を称していう。
優れたリーダーの資質とは、まず当該難題について猛烈な研究をし、事の本質を精査するなどして、他の意見に耳を傾けた結論として「リーダーとしての意見」を市民に説明報告し、市民との議論をかわした後で、市民にアンケートをとることが正論と言うべきで開かれた市政というものであろう。アンケートを実施するにあたって「多額の歳費」を使いっぱなしでは市政を担当する責任能力の欠陥市長だとされても反論も出来ないリーダーでは「市民の生活を任せるわけにはいかない」というのが天の摂理ではなかろうか。
老生は安部三十郎氏とさしたる付き合いもなく、まして個人的な恨みをもつものではない。が、こと市政の最高担当者としては、あまりにも「行政能力の欠如」と予想だにしなかった「ひとりよがりの勝手な態度」に市民の一人として義憤を感じているだけで、市長職でなければ、安部三十郎氏とは「赤の他人」としていられたものを。
米沢市民が「改革」の第一に成さねばならぬことは「安部再任阻止」だと考え、4年間改選時期を「一日千秋の思いで待ち続けていた」と申し上げておきましょう。
安部三十郎氏は活躍される場所が違ったところにあったのではなかろうか。だとすれば不幸な12年間の月日を費やされたことだと考えられるものです。
政治家とはその人物の「時代を見抜く眼力と、優れた感性」の資質であろうと考えるもので、激動を切り抜けた偉大な政治家とはその両者を持ち合わせた人物だといえる。
かつて、関ガ原の合戦で敗け、維新戦争で敗北した米沢藩が為したことは、卑劣にも戦争犯罪人を越後で戦死した色部一人に責任を擦り付け、会津城総攻撃に際して一兵の援助をも送ることを拒絶した米沢藩であり、それだけに止まらず、官軍の先陣を要請して拒否されるなど、時代の流れを読むことができず、恥辱に満ちた行為をなしてきた先人である。
不幸な隔世遺伝は米沢市民として断つ努力が必要な時である。
体裁の陰にかくれた自己の立身名誉主義を排除し、「市民のための市政」を展開されるために、嘘に満ち々々した報道をする「しんぶん赤旗」とともに安部市政に向かって終焉を告げるのが米沢市有権者たちの郷土の憂いを払拭する道で、それを選ぶところにきているのだ。

米沢市長選 №6 [安部市長88の改革]に物申す! その三

2007/10/14 (Sun)
■改革・項目2)「市職員との自由対話の日」設定について。安部市長は相違する意見を持った職員には厳しい態度で接してきた。ために本年春、退職年を待たずして部長クラスの大量退職者が出た。その退職者に直接聞いてみた。
彼は「安部市長は自分の考えにそぐわない意見を述べると、突然、烈火のごとく激高し、どうしようもなくなってしまう。したがって、滅多なことで自分の意見を吐かないようにしていた。これでは部長の責任を果たせるものではない。誇り有る市政の運用は安部市長のもとでは到底できないものだ。だから無責任のようだが市職員を辞する以外に選ぶ道は無かったのです」と語った。
続けて「出前市長」についても「市政に対する要望を禁止して何が市長と語る会だ」と出席者の評判はすこぶる悪いものだったという。
後日談として、市長は「部長が大量退職したところでビクともしない。代わりはいくらでもいる」といわんばかりに、自分の出身地域優先で登用し、職員の忿懣は頂点に達しているのだと聞く。
しかも依怙贔屓がひどく、職員の多くは米沢市政の陰りに眉をひそめているのだが、宮使いの経験を積んでいるだけに、面と向かい市長に逆らうような意見を慎んでいるのが偽らない現況で、米沢市政の衰退が案じられる今日此頃とのことだ。

米沢市長選 №5 本会のサイトに警告があった。

2007/10/13 (Sat)
ある筋からの警告は、特定候補者の再選を阻止する目的で 書き込む姿勢は選挙妨害罪に抵触する恐れがあるのだという。 そうだろうか?古来、天下を取ると言うことは競合する相手を完膚なきまでに叩きのめし、領土を広げ勢力を伸ばした国取り物語である。近世になっても国会・国政選挙にはその傾向が強くみられる。強い者が勝つのである。勝ためには「嘘も戦術」だとして有権者を騙しつづけてきた事実は、当選後の彼らに誰しもが苦渋を舐めさせられてきたことで証明されるはずだ。
「主権在民」と言葉は美しいが本音には「国民ごとき者・市民ごときもの」とした思い上がりが無いのであるか。
今年の米沢市長選挙は4人の候補者の戦いであるが市長経験者は「安部三十郎」氏唯一人であり現職有利の声が強い。だから本会は安部三十郎候補に手厳しいのは当たり前のことである。
前回の市長選で安部候補は全戸くまなく訪問して支援を依頼して歩いたことは常人の出来ることではないが彼のコマメさは残念ながら一票を集めるだけのコマメさであったとしか思えない。
なぜならば、立候補時に全戸に配布したマニフェストに完全に騙されたという声が大きいからだ。
しかも、これまた全戸に配布された「88の改革。時代を先駆ける米沢市政4年間の実績」を見るに至って、安部三十郎米沢市長の「いい加減さ」に失笑し言葉を失ってしまったのが実感である。
小生は安部市長に尊厳を求め、米沢市の伸張のために能力を発揮してくれるものだと信じて投票してきたという誇りがあった。しかし、この四年間を顧みて歴代米沢市長の中では最低の市長であり任期4年間における本市の疲弊は取り返しのつかないものだったと悔やまれてならない。
小生は米沢市民のつつがない進展のために「安部三十郎市長だけは再選させてはいけない」と書くに至って「選挙妨害に抵触する恐れがある」との注意を受けた。
「言論封鎖」か、それとも「安部候補支持者」の回し者であるか、身の危険すら覚える今日此頃である。
例え選挙妨害罪として逮捕されようと、米沢市政の重要さに比べれば小さい個人的なことだ。したがって、言論の自由のもと安部候補を弾劾する姿勢にいささかの揺るぎもない。身辺に迫る悪しき足音も聞こえないわけではない。ふいの襲撃に備えて防御する方策も準備しての意見陳述だと理解していただきたい。
まず、「88の改革」から順次、安部候補の「嘘ならびに失政」の数々を知っていただきたいのが小生の心情である。しかしながら、市長を選ぶのは申すまでもなく有権者の皆様である。そこで忌揮なき候補者の現況を書いてみる。
① 野村候補:前回の市長戦では健康上の事情によって途中から候補を辞退した件で有権者は健康を疑問視しているようだ。
② 川野候補:兄弟企業の置賜建設および親戚一同の応援を得ずしての立候補であり、勝算はあるのかどうか? 当選したとして、米沢市政に賭けるものは何かが不明だ。
③ 鈴木候補:市議から福祉事業に転身したものの妻との離婚によってケアマネージャーを担当していたご子息も本人の元から離れていった現状で選挙戦を維持できるかどうかだ。
また、一度は話題に上った「兵庫等」氏の立候補はここにきて無理であることが本人の口から確かめられた。安部候補については述べたような事情で「88改革の嘘」を追求してゆくものである。

南陽市職員の自殺の原因は何か?

2007/10/12 (Fri)
「一度も水道課に在籍したことがない職員である」事を理由に本会の報道は事実無根で「実名を書いたのは殺人行為」と事情通氏が本会を弾劾する以上、いまさら故人となられた方のことを書くのは気が進まないが、その事に触れてみる。故人は過去「下水道課」に在籍していたはずだ。南陽市には「南陽市上下水道工業協同組合」が南陽市若狭郷屋605-1にあり組合名が示すとおり構成組合員は「下水道」「上水道」ともに工事を行う管工事施工業者である。そこで故人と上水道施工業者との関係は無ではなかったはずだ。
では「一度も水道課に足を運んだことがない職員」だから「水道課の情報を漏洩できない」とする論理であるが、今時足を運ばなければ情報が手に入らないとする主張には無理があり、本当に足を運ばなくても情報を入手する通信手段を知らないとすれば時代錯誤も甚だしい。
伝え聞くところによると故人は現在、用地課に在籍して用地買収を担当されており、その仕事の進展情況から、最近はとみに「鬱の状態」にあったようだ。
以上の観点から書込み氏のいう「南陽市の事情通」とは感じられないものである。少なくとも故人を思いやる気持ちが有るのであれば、匿名での書込などせずに処すべき方策はあったはずで、その要因を本会にふるというのは社会人として言語道断な振る舞い。まずは無礼者と斬っておく。

米沢市長選 №4 [安部市長88の改革]に物申す! その二

2007/10/11 (Thu)
国旗・校旗に敬意を表せない安部市長とはどんな人物であるか?■改革・項目5)小中学校の卒業式は従来出席していない学校へ。
初年度、安部市長が卒業式に出席したのは三沢西部小学校であったようだ。ところが登壇するにあたって、国旗・校旗が飾られているホリゾントに一礼せずに演台で話しはじめたというものだ。 巷間では安部市長は実弟と共に共産思想を持った人物だから、その証拠に国旗・校旗に礼をつくすことをためらったものであろう。と、評判が立ったものだ。
たとえ共産思想を持った国家でも国旗に対する敬虔な崇拝する心情を表している。このことは市議会でも問題となり小島卓二市議の一般質問となった。
小島議員の「市長のそうした態度に憤慨された方々がおられたので、市長の国旗に対する意見をお聞きしたい」との質問に市長は「事実無根だ」「風聞に基づいた質問をしてよいか」と切り返した。しかし卒業式に出席した複数の方々が事実を目撃しているのである。
小島議員の質問は続く「市長は『自由の風』の旗の元で選挙を戦ってきました。その旗が市長室の前に飾ってありますが、基本的には何人といえどもそうしたものは庁舎規定によって庁舎内に持ち込めないことになっておりますが」。
この質問に市長は「市長が許可すればよいということになっている」と返答したのである。
老生はこの問題を傍聴席で聞いていた。庁舎規定を「市長が許せばできるんです」と薄笑いしながら得意気に答える安部市長の態度に米沢市の崩壊を案じたものだった。今まで守られてきた庁舎規定を「市長が許可すればよいことだ」とする安部市長の勝手極まる態度と考え方に、この人物は米沢市長の器ではない。と、断じた結果、安部市長の恥ずかしげもなく横暴とも解される市政運営の数々を許すべきではないと心に深く誓ったものだ。
「米沢市民は安部に市長ゴッコを満喫させるために選んだのではない。再任はいかなる事情があるにせよ断固回避しなければならぬ」これが本会の4年間改選日を待った本音である。
出たがり屋だけの市長で、市政の運営能力は全くなく、参与などと米沢市の組織図にもない人物を招聘し、年額168万円を歳出させるという無駄使いをしている。当該、参与に招聰された福島大学教授は「何を考えているかわからない人で、変わった市長だ」とのコメントを残して参与を返上して福島に帰っていかれた事実を、有権者はどう解釈なさるのであろうか。それでも投票なさるというのであるか。
今秋の市長選挙は候補者乱立の態から、安部市長のパフォーマンスに婦人層や老人層の中に支持者がいるのだといい、再選は間違いなしとの不安な見方がある。
この度の市長選挙で米沢市民は安部三十郎候補だけは選んでいけない人物だと確信しているのが本会の哲学である。米沢市の未来のためにも必ず阻まねばならぬ安部三十郎候補その人である。
これ以上、米沢市の伸張を無視し、自分勝手な論理で市政を担当されては米沢市の崩壊に繋がるからだ。

米沢市長選 №3 [安部市長88の改革]に物申す! その一

2007/10/10 (Wed)
中秋の名月も過ぎて、秋晴れの河原では「芋煮会」の真っ最中。会場に現われた安部市長が、各人に手渡しで配ったチラシ「88の改革」を見た。「これが現職市長の改革であるか!」とその破廉恥さに驚いた。改革の項目は88。この低俗を以て改革だとする市長の幼稚さに慨嘆。本会なりに精査してみた結果、問題点を指摘し、有権者の市長選択のための参考になれれば、幸甚この上ないことだと申し上げる次第です。
■ 改革・項目3)「市長と語ろう」 市民と市長室での対話がスタート。
もし、あなたが「市長と語ろう」会に出席なさるとしたら「あなたは市長にどのような期待をもって参加しますか?」当然の権利として種々要望を用意して参加されるのではありませんか?
少なくとも市長の尊顔を拝しながら、茶飲み話に花を咲かせるだけが目的ではないでしょう。
ところが「市長と語ろう」の場では「市に要望する」などの行為は巌に禁止された上での語ろう会だということです。
その結果は市民の参加が無く、市長が出掛けて行く「出前市長室」となったものです。地域のコミュニティセンターなどで開催されますから、義理で参加する人は増えたにしても「出前市長室」集会は「要望事項は禁止」となっていることから、当然ながら話題がはずむはずがない。
ある地域では「市長が企業誘致したと自慢する、南陽市の養豚業者が製造する肥料の過程から発生する糞尿臭の公害」の苦情と処理を話題に出したところ、憤然と席を蹴って帰って行ったという事実もあります。
機嫌によってはお年寄りの肩を揉むなどのパフォーマンスを繰り返して有権者の受けを期待している。これを改革だというものでありましょうか? 安部市長が自慢する改革とは、ナント幼稚性に満ち満ちしたものではありませんか。まさに市長ゴッコだと思いませんか

南陽の事情通氏に答える。 [よねざわ鬼の会々長]

2007/10/09 (Tue)
本日、本会の掲示板で貴殿(匿名:南陽の事情通氏)の書込みを拝承し愕然といたしました。亡くなられた方にはご冥福を祈らざるをえないものがあります。
さて、匿名氏は「本会により裏付けの無い第三者の憶測を実名で報道された事」が自殺の原因で、明らかに殺人行為であると断じていますが、本サイトの「実名での報道」という特質は、もし事実無根の報道ならば名誉毀損での告訴も覚悟しなければなりません。
よって今般の報道は通報者一人の情報に限らず、複数の南陽市民、投書、議員諸兄の意見を精査した結果であります。
匿名氏は「会長は殺人者」と決め付けておられるようですが、自殺の原因が本当に「事実無根の実名報道」にあると言い切れるものなのでしょうか。それこそ「裏付けの無い第三者の憶測」ではないですか。殺人者よばわりする以上名誉毀損での告訴も覚悟した上での書込でしょうか。
小生は死因が当サイトの誤った報道に有るとは思われません。何故なら、自らの命を絶つという行為の前に汚名を晴らす行動があって然るべきと考えるからで、むしろこの手の事件追求に犠牲者が出るのはなぜでありましょうか。「トカゲの尻尾切り」だと思いたくありませんが、もしそうだとしたら南陽市政の恥部が全国津々浦々まで伝わることになりかねません。
共産党の南陽市議が「行政の不利になるような質問を議会でやったから、新聞で広く報道されたのだ。南陽市が不利になるような発言を議会でするのはおかしい」と発言しております。これは南陽市議会の行政チェック機能が麻痺した、行政と議会のもたれ合い市政を天下に曝したようなものではありませんか。
官製談合疑惑は入札調書を見れば明らかに存在していたことが立証されるものです。それを否定する行政と、臭い物には蓋をしようとする議会とはどのような感覚をお持ちなのでしょうか。
彼の自殺の裏に「墓場まで持って行かねばならぬ」理由が有ったとすれば、むしろ赤湯市民の手で存念を晴らすべきでありましょう。
匿名氏は職場を同じくする立場の人物だと察せられるものですが、同僚の不幸な死を本会の責任だとする前に、むしろ行政の裏側を精査される必要があると申し上げておきましょう。

米沢市長選 №2 市民の思う非常識は、市長の常識となりうるか?

2007/10/05 (Fri)
まず、安部市長の前回立候補時のマニフェストを見る。明らかに「出来もしない公約」を羅列されておられます。有権者の関心を得るためには必要な選挙時の戦術でありましょうが「嘘ややる気のない項目を披瀝する行為は立候補者の人格」の評価に繋がるもので有権者からすれば「詐欺行為」といえなくもない犯罪行為に抵触するものと考えられます。当選するための「騙しの行為」だとはいえないでしょうか。有権者にとって「非常識と思える行為」でも為政者には「常識」とされている不可解さに市民は煩悶を繰り返すばかりなのです。
毎日新聞の欄「やまがたワイド」紙面で、第三者機関による米沢市長のマニフェスト検証の評価が掲載されましたが検討委員会を主催したのは「みんなの会」であり、この団体は安部市長の選挙支援団体だと聞いておりますが、それにしても評価が低いのはどうしたことでしょうか。
過去八年間の選挙活動中、安部候補の責任者が2度変わっており、なかんずく前回の選挙では責任者自身が対抗馬として立候補されました。市井では当時のことを「仲間割れ」と伝え、「安部候補自身に問題があった」とされております。その理由とは安部候補者に謙虚さが欠けていたからだといわれておるのです。人の意見に素直に耳を傾けることができない性格的なものは立候補の時に鎌首を持ち上げていたということですね。いやしくも為政者というものは万能でない限り他人からの知恵を拝借して善政を行なうものです。
4年前の選挙では多数の票があなたに流れました。その訳を冷静に受けとめておられるとは思えないのです。高橋前市長の長期市政とさらなる院政を敷くという態勢に市民の反発が、大久保候補の善し悪しを飛び越してあなたに風が吹いたのでした。決して、あなたに期待した一票ではなかったように思えてならないものですが、あなたは信任された市長だとして「市長ゴッコ」にご満悦のようで、あなたに比してはるかに能力のある大久保候補を選ばなかった多くの有権者は後悔しているのです。
巷間に配布された「時代を先駆ける米沢市政4年間・安部市長88の改革」を見て「全く無知な行政能力」であり、いやしくも市長が得意気になるほどの改革だとは、とても見えないのです。はっきり申して「笑っちゃう改革」とでもいうべきでしょうか。
その88の改革より
■ 市長車やグリーン車の廃止。
有権者うけを狙った無責任きわまる改革で市長という重責を認知していない何よりの証明です。
一介の経営者といえども就寝中も会社の経営は忘れないものです。あなたは市長職の激務に接したこともなければ、米沢市の代表者としての自覚が欠乏している市長だと断じます。
公務移動中の身体保護と安全な思索時間として用意されている車を廃止する行為はパフォーマンスとしか受け取れないのです。有権者は安部市長のパフォーマンスに騙されてはいけないのです。
■ 市長の給与を減額
一時期市民の喝采を受けたのは確かですが、僅かばかりの人件費削減パフォーマンスを演ずることより、勇断をもって格差社会是正の観点から「市職員の給与カット」が出来ないのですか。
格差社会の是正とは現実には地域内の給与体形に視点をおくべきが正論ではありませんか。
公務員と地域中小企業で働く人たちとの給与格差は驚くべきものです。それにも思いが至らず市長給与を減額したぐらいで米沢市の財政に変化は見られないのです。
■参与制度の新設
安部市長が市民を欺いた行為として、米沢市の組織図にない「参与」2名増やし、その給与として年168万円の新たな歳費を支出しております。これをどのように説明なさいますか?
あなたの思惑は「大学教授で両脇を固め、いかにも自身がアカデミックな市政観を持った市長であるかを喧伝する」ためで、いわば学者を隠れ蓑として能力の欠乏を補うためでありましょう。
組織に無い参与の言動は、組織で動く市職員にとって混乱をきたした上、市長自身も謙虚に耳をかたむける事はなかったはずです。それが証拠に、参与は米沢信用金庫に講師として招かれ「安部市長という人物は何を考えているか得体の知れない方です」と人物批判をした上、参与を辞退し福島大学に帰られたものです。
この事実から考えても、参与という立場で大学教授を招聘する意味はなかったのではありませんか?歳費の無駄使い以外の何ものでもなかったのですね。
[本会の提唱]
市長の判断基準は常に「米沢市のためになるかどうか」であり「行政能力と政治的能力のある人物」を良とするものであります。
かつて、米沢市には吉池慶太郎市長の存在がありました。その生涯において米沢市の行政改革を断行し、現在の整備された米沢市があります。吉池市長の徳は学識経験者に意見を求め、その知恵を素直に実行されたことにあります。
本会は、米沢市長選挙の年にあたり、市民が渇望する「行政能力」と「政治的感性」に優れた新市長を求める運動を展開する所存であります。そのためには両能力に乏しい現安部市長の退陣を選挙によって求めなければなりません。賢明なる米沢市の有権者の皆様とともに、雑音に惑わされることなく事実認識の上に視点をおかれて、他の候補者の中から新市長を選んでいただきたいものと希望するものです。
よねざわ鬼の会 会員一同

米沢市長選 №1 乱立形相を見せる市長選の根本問題を探る

2007/10/04 (Thu)
申すまでもなく、市町村長の立候補者に欠けてならない基本的な姿勢の第一義は「市民のためになるかどうか」を正しく判断できる感性にあるが、多くの市町村長の中には「市町村民の前に己れを優先させてきた首長」の存在があったことに有権者は心しておきたい重大な一点であろう。民主国家であるわが国は有権者の投票によって市町村長は選出され、その結果は有権者そのものの責任であることから、有権者が負わねばならぬ責務とは、「市民のためになるかどうかを第一義にする人物か」はたまた「己れの栄達や己れの営利を優先させる人物であるか」を見定めて市町村長を選ぶ識見が課せられことになる。
わが国における選挙形態は、今もって有権者に未熟性が残されているため、必ずしも理想的な人物だけを選出してきたとはいいきれないものがある。 地方ほど己れの利益を優先させる首長が多く、問題を醸し出しているのが実情である。すなわちその最終責任は有権者に皺寄せされることになる。
有権者の問題点は投票にあたり「人物の判定基準よりも投票を依頼する人物との個人関係を優先させる傾向」にあることで、これは有権者の無知と無責任な行動といわざるをえないものである。前後半世紀を超えてさえも未だに連綿とつづけられている主権在民の否定的行動ともいうべき悪癖である。
したがって、主権在民は否定され「たかが国民」との視点から、上意下達がつづけられ、学歴偏重社会が構築されてきたのであると考えられる。 高学歴を積んだ人物が犯してきた国民の不利益を考えてみても「国民年金」制度の不透明さや「グリンピア構想」の挫折と国民的莫大な損失や、問題視されている「検察・県警察の隠蔽体質」などは、すべて高学歴に立脚した官僚体質がもたらしつづけている現行動であることに国民は目を伏せてはならない。
本題にもどる。 今回の米沢市長選候補者乱立を考えるとき、つきつめると現市長安部の市政の無力さに要因があると考えられる。いわく、立候補を決定するにあたり立候補者のだれもが「安部よりは、オレの方がまだマシだ」と思っての立候補に違いない。それだけ市政に関心を寄せ奮起し立候補したものであろう。
いえることは安部現市長に市政を担当する能力が乏しかったからであろう。したがって、安部現市長に対するリコール運動だと思えなくもない。これは米沢市有史以来の珍事だともいえよう。
米沢市も田舎の小京都への運命をたどり細かな集落に低落するのであるか、それとも低落する運命にストップをかける市長を有権者の手で選出されるのであるか、はたまた現市長態勢で凋落する憂いのまま郷里米沢市を流れに任せておくのであるか。一に米沢市有権者の鋭意と判断にかかっているということである。 とまれ、凋落する米沢市を「ナントカせにゃならんッ!」という必死な叫びを基に、ひたすらに凋落しつつある米沢市政に歯止めをかけねばならぬ。有権者に迫られているその手段とはひとつ「安部現市政にストップをかけることだッ」それ以外に米沢市の凋落を止める有効な手段はないのだ。
かつて、吉池市政から長市政にかわった途端に「米沢市は再建団体」に下落した。近年騒がれている「夕張市の再建団体」以前に米沢市はその恥を経験しているのだ。再建団体となってからの米沢市は不況のドン底にあえいだ経験を忘れてはならない。「喉元を過ぎれば熱さを忘れる」ではならぬ。
本会の市長選に寄せる態度は、安部市政の失態の数々を精査し市民に明らかにすると共に「凋落する米沢市政にストップをかける」ことを第一義とし「各候補者の人物なり、市政に寄せる感性と力量などの真実を報告し、市政能力を検討する材料を提供することに専念する。
判定するのは有権者一人々々であることに言をまたないことは申すまでもない。

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