驚愕の落札率(南陽市・水道関係の-部)

2007/07/28 (Sat)
平成17度に行なわれた南陽市の[落札の実体]である。下図の一覧表を見ていただきたい。 「こんな高率の落札は考えられない」「予定価格と落札価格が偶然とはいえ一致するとは考え難い。かつ100%落札が17件のうちナント7件もあり、そのうち3回落札した業者が全て100%の落札とは神業というほかはない」入札に詳しい業者や関係者は一様に語る。ことばの裏には官製談合を示唆する限りない灰色をにじませながら苦笑して語っているのだが。この落札の実体を南陽市民はどうみるのであろうか。通常の感覚をもってすれば「官製談合の疑惑」だと見る。が、南陽市民にはどう写るのであろうか?
「おれの金でゴルフをしてるんだッ!文句あっかッ!」ゴルフ好きの荒井前市長は市民に対して怒鳴っていたという。公人とりわけ決済権をもった市長たるもの市民に癒着を疑われるような業者とのゴルフや夜の飲食は避けるべきなのであろうが、一切頓着しない荒井前市長であったようだ。結果は静かに不満を募らせていた市民によって断罪されたが、今になって前市長時代の膿が勇気ある一部の市民たちによって出されようとしている。
霞が関のおエライさんたち同様、地方自治体の行政者も為すことは同じようだ。わが国の歳入歳出のバランスが狂いだすと、自分たちの報酬を減らすことに手をつけず国民にその皺寄せとして増税を強いるという図式は、昔も今も変わらない「悪代官」の手法を踏襲しているだけだ。これを権力の横暴といわずしてなんという。権力とは無常なものである。参議院の選挙で国民の怒りがどう反映されるのであろうか。待たれるは開票の結果だ。
■ 平成 17年度 南陽市役所発注・水道関係工事(落札価格)の実体
入札月日 予定価格 落札価格 落札業者 落札率
6/10 1,600万円 1,530万円 安達工業 95.6%
6/10 390万円 385万円 伍丈住設 98.7%
7/01 1,350万円 1,280万円 川井設備 94.8%
7/11 840万円 840万円 木村水道 100%
7/19 280万円 280万円 川井設備 100%
7/19 480万円 480万円 ヤマニ商店 100%
7/28 720万円 660万円 狩野設備 91.7%
8/08 3,500万円 3,500万円 ヤマニ商店 100%
9/06 1,060万円 1,000万円 後藤設備 94.3%
9/06 550万円 550万円 安達工業 100%
9/06 510万円 495万円 戸田屋商店 97.%1
9/28 280万円 270万円 松田組 96.4%
10/05 880万円 870万円 大和設備 98.8%
10/07 65,200万円 65,000万円 熊谷組東北 99.7%
10/20 550万円 550万円 ヤマニ商店 100%
11/18 450万円 420万円 加藤組 93.3%
12/13 235万円 230万円 松田組 97.9%

鬼のひとり言 わが町は上杉の城下町であるか

2007/07/25 (Wed)
かつて木村莞爾は議員時代「米沢市に哲学がない」と言った。12年前の県会議員の選挙時に「環境問題」を選挙テーマにしたいと老生に話した。 環境を懸念していた老巽はさっそく「環境を主題」にした栞を書いたが選挙事務所の評判は冷ややかなものだった。木村の先見の目にはすばらしいものがあったと今になって考えている。議員引退を決意したある日、木村が「頼みたいことがある」と言って老生の事務所にやってきて言うことには「息子が県会に出るよう説得してもらえないだろうか」。息子木村忠三はしばし驚いていたが老生の説得に首肯いて帰っていった。数日後、決意した旨を報告してきた。やはり血は水よりも濃かったようだ。
そこで老生は約束の後援会向けの文章を書いて決意のプレゼントとした。それまでのことだったが、懸命で政治稼業の木村家を継承しようとしているようだ。
さて、莞爾だが老生の出版記念会の席上で「米沢市に哲学がない」と言ったことを思い出す。
彼の言う哲学とは「米沢市の方向舵があいまいだ」という意味であると老生は理解していた。級友の当時市長であった高橋幸翁に「米沢市の哲学論」について語り合ったが莞爾の言を高橋は理解できないでいた。
さて、再来年は大河ドラマ「天地人」だということで米沢市の行政は沸き上がっているようだ。
観光客に対処する方策をいかにすべきかという会議も開かれたようである。止まれ! 米沢市はいつまで上杉の亡霊に取り憑かれているというのであるか? それならばそれで良いが、上杉といえば豊臣家の五大老であったことは多少の歴史観のある人たちならば知っている事実だ。イコール現在も残されている城下町の風情を慕って観光客が押し寄せてくるのであろう。
米沢市の何処に城下町を彷彿とさせる場所があるのだろうか。木村が喝破した哲学とは「城下町の風情ある町つくりをするのか、それとも都会思考の田舎都市づくりに走るのか」どちらかに的を絞った米沢市にすべきだ。中途半端な町づくりをしていたのでは米沢市の未来は開けないとした市の哲学であったと思う。
広報では「景観賞」として建築物を表彰している。建築物は見事だが、城下町に不似合いなものである。米沢市は今こそ「城下町としてふさわしい建造物」群をもって「景観賞」の対象とすべきである。それには市条令化が大前提となる。
老生が企画した「文学と美術の里を訪ねて」の旅行に参加した市民は延べ300人はいる。それら参加した人たちは、いかに米沢市の町並みに哲学がないかに気づいているはずだ。だが、表面に出て発言する人はいない。井戸端会議の域を出ていないのだ。無論、行政にその感覚はない。
シャッター通りを考える時、行政は何をすればよいのであるか? まず、飛騨の高山、木曽の馬籠・妻籠その他町並みの整備によって観光客を誘致している現地を見てくることだ。議員にしても野球拳だけが観光であるまい。米沢市の町並みづくりのために研修してはいかがなものであろうか。米沢市の首長に都会思考があるとすれば市民として誠に迷惑なことになる。米沢市は「田舎都市であり、整備した城下町の風情づくりに撤すべきであろう」文化を心底理解する人物の出現が望まれるゆえんだ。

鬼のひとり言 高畠名所「半田御殿]と噂される安房社長邸

2007/07/19 (Thu)
高畠住民から「御殿」と呼ばれる安房氏の自宅が駅近くにデンと建っている。高畠の人たちは別名で「半田御殿」と呼んでいる。「半田」とは安房氏が社員に命じて会社がシャープから仕入れた「半田」を横流しして建てた安房邸を椰楡してそう呼んでいるという。得意先の清水建設の手になる建築であることも一層の疑惑を深める原因とされているようだ。安房氏がトップで経営するタカハタ電子株式会社が発注する工事は一切清水建設になるものだからだという。人は「会社が仕入れた半田を横流しして、収入を簿外にして脱税するような会社で、しかも不名誉なことに仙台国税局の査察を受けるような会社経営者だから「清水建設との灰色の繋がり」は当然あるとみられているのであろう。
老生も物見遊山の気持ちで評判の「安房邸・人呼んで半田御殿」を拝見してみた。周りを塀で囲みこんだ自宅はやはり御殿と呼ばれるにふさわしいものであるか? 老生の目には失礼ながら「趣味の悪い田舎者の成り上がり御殿」としか映らなかった。老生のひとりよがりの趣味からすれば「塀をめぐらした館」には全く興味がわかない。閉鎖的な住人を想定するからだ。老生には眺める価値もなく早々に引き上げてきた。
安房氏自宅の電話は常に「留守でご用の方はファックスにどうぞ」である。老生は-度だけ電話が繋がったことがある。応対に出た人物は「おれは兄だが、弟は栃木県に行っている」と言い「ファックスに用紙が入っていないのでファックスは届いていない」と老生が用件を伝えたファックスが到着していないと嘘らしき発言をして電話が切れた。
会社のトップ経営者というもの「留守電話を多様するためのファックスであれば用紙が切れるようなことはしないものだ」老生にはその不誠実さから安房氏の人物像が想定された。後日、秘書に促されたのであろう安房氏本人から事務所に電話が入ってきた。 老生の用件は文章で伝えてある。「貴殿の名誉を毀損するような投書が本会に届いている。その是非を貴殿に聞きたい。できるならば穏便な処理が望ましいと考える」という文面である。
本人の電話は「読みました。面会する意志はない」という返事。ムットした老生は「私も貴殿同様会いたくはない。問題は商工会議所の副頭取と公的な名誉職についておられる。そのことが市民として問題にしなければならないのだ。貴殿がそのような態度であるならば、提供されている会社の秘密文書を公開するがいいか」しばし沈黙があって電話が切れた。
投書してきた元社員と思われる人物は「世の中であんな悪はいない」と書いているのだ。「会社の仕入材料の横流しは会社に対する背任行為である。会社のためにならない」として内部告発を試みようとしたが「残念ながら株主でなかった」と残念がる。
「棒半田横流し」とは、半田(金属をつなぎ合わせる時に溶かして使用する。錫と鉛の合金)はシャープから用材として適量のセットとして納入されてくる。が、半田の使用量は手作業から機械作業によって激減することになる。当然、半田の量が備蓄されることになる。そこで会社は堂々と表舞台で売却し帳簿に乗せればそれだけで問題は起きないが、安房氏は「半田を売った金額を会社の帳簿に乗せないで、裏金処理を実行し多額の不明使途金を作った」という禁じられた行為が国税局に漏洩したという経営者としてあるまじき行為を成したということである。
その人物が戦国時代さながらに下剋上よろしく社長の椅子に昇りつめたということだ。しかも商工会議所副会頭の名誉職に鎮座している。ここまで昇れば「過去の悪さやあがきは問題になるまい」慇懃無礼な電話の語り口で老生には直感的に察知された。
現代は「経済至上主義時代」であるが「なんでも有りの時代」ではあるまい。社長がいて従業員がいる。それが組織というものである。が、中には「おれがいるからお前たちが食えるんだ」という不埒な考えをもつ社長族は田舎企業にはいるものだ。働く従業員たちに「愛情と感謝」をこめて接するトップこそが社員に慕われ、やる気を喚起させる社長だといえよう。「一将成りて万骨枯れる」式の会社社長が公的な名誉職につくようでは社会の汚濁は増幅するだけではあるまいか。
友は言う「相手社長は恐喝されたと思っているのさ」意外な反応が返ってくる。「恐喝ッ? 冗談じゃない!。金と社会的名誉に毒された人物はそう考えるものか」。 老生は積年の怨念をもつ元社員たちに「安房氏が謝罪して互いに過去を払拭することが両者にとって最良の方法だと考えたから中に入ろうとしたのだが、心貧しい人物には老生の正義がわからないのかッ!」。 止まれ、老生は人の触れたがらない行政についても痛烈な批判を率直に書いてきた。それは己れの誇りを信じてきたからだ。少なくとも泥棒や内情を知る元社員に塗炭の苦しみを課すような卑劣な行為は論外というもの。格好つけるわけではないが「兼好法師」じゃないが塀をめぐらし狭い社会に閉じこもっているよりは、垣根を作らず広々とした自然を隣人と共有しながら暮らすことの有意義さを老生は味わっている。 とかく高い壁を作りたがっている人物は、何に怯えて暮らしているのであろうか。壁は昔流にいえば防壁である。壁を以て何を防備するというのであるか。単なるプライバシィの保護であるか。老生にとって「塀」は刑務所や動物園ぐらいに限定される人間社会であってほしいと願っているのだが。「個人の勝手でしょう」といわれればそれだけのことであるから、老生が勝手に人種を疑うだけのことである。
安房氏には会社経営の卓越した手腕があるのだろう。だれにも大成するには人に語れないような辛苦もあっただろう。だからといって人に犠牲を強いた過去の上に建立した金字塔は否定する。
どのような豪邸でも「金」さえ出せば、造るのは大工の仕事だ。 同じように相撲取りの迫力と痛みは力士だけが知るのであって評論家に分かろうはずがないのだ。社員の悩みや痛みに気を配れるトップが必要な時代である。やがて、経済至上主義や拝金主義を越えて、働く者と経営する者が共有できる幸せを追求する社会が訪れるであろうが、それには地方の中小企業が範を示すべきなのだ。それには「一将功成り」だけではあまりにも淋しい。地方の企業家には安房社長のような人物だけが存在するのではない。尊敬にくらいする経営者の多くは不遜な態度はとらない。
政治も同じく行政能力に欠け、指導力にも欠けた米沢市長の例もある。安部市長は人の意見に耳を貸すことなく違った意見をもつ職員に激怒する悪癖をもつ。したがって、定年を前にして部長クラスの大量退職が生まれる。しかし、市長は市民が選んだものである以上、責任は市民側にある。
企業のトップは社員の互選によるものではない。したがって、トップの資質だけが企業の生命なのである。後ろ指を指されながら企業界の「裏街道」を突っ走るだけのトップであれば、そのしっぺ返しをもろに被るのはトップではなく、企業に生活を託した社員たちである。
安房社長に告ぐ、過去の悪しき行為を猛反省し、元社員に詫び状の一通も書くことを提案する。それによって永年消えることない怨念の払拭を図ることであろう。

鬼のひとり言 商工会議所会頭の資格を問う ①

2007/07/18 (Wed)
世にいう名誉職のひとつに「商工会議所の会頭職」がある。だれしもが座れる椅子ではないが、会頭の椅子に座りたい人間は多いものだ。椅子そのものに社会的に認知されたステータスがあるからだ。信望のある人物の座る椅子であろう。とだれもが信じている。だが、その椅子に座ってもらいたくない人物がいたとすれば、会頭椅子に寄せる名誉は根底から失墜するものだが、会議所の副会頭の中にそのような人物がいるとなれば社会的に放逐されて然るべきであろう。行政能力に欠ける首長のごとくに。人の為にならないからだ。そのご仁の名は「安房毅・タカハタ電子株式会社々長」その人である。元社員とおぼしき人物から本会に投稿があった。訴えの文面とともに安房氏が当該社の常務時代に犯した行為に忿懣やるかたない怒りを今以て抱いている人物は、おそらく社外秘密であろう書類のコピーを添えてきたのである。
創業当時の社長は高畠町の助役をつとめた菅桂男氏であり、息子安房健治を専務に据え甥の安房毅を常務に据えた3取締役で発足したシャープ関連の会社だった。
軌道に乗り掛かったタカハタ電子株式会社が突然、仙台国税局の査察を受けた。噂では内部告発だという声もある。容疑は法人税の脱税行為によるものだった。
脱税を認める文書が手元にある。昭和63年のことであった。安房常務が書いた仙台国税局査察部長に宛てた「上申書」には「棒半田の横流し」を認めながら、責任を部下の佐野正憲管理部長に指示し横流しの上、収入を除外していました。現在、専務が保管している現金及び割引商工債権は別紙の通りであると脱税を認めながら横流しをした金額を6000~7000万円とし、佐野部長が直接現品を動かしていたので売却先、処分方法は佐野に直接聞いてくれという無責任なものだった。
国税局の追求に再び「上申書」を国税局査察部長に送っている。その内容は「詫びを入れながら「半田入出庫明細表」と「備え付け帳簿」等を提出した上で、収入除外した資金は「取引先の接待費」「政治資金」「取引先の開拓」「技術力の強化」に使用したため預金他に留保してないこと、そして「青色申告の取り消し」については寛大なお取り計らいをと懇願した上申書である。政治資金については近藤鉄雄後援会副会長していたことから近藤に流れたものであろうが、現金出納帳のコピーを見るかぎりでは「使途不明金」3000万円、「接待費用」がザット2000万円もある。しかも安房項目で100万円の支出もあるのだ。横流しの実態は一覧表に整理されているが、ナントその中の13.6トンは夜陰に紛れて安房自宅の車庫に隠匿されたが、下落した相場とはいえ1300万円の横流しの実態はいまだに不明にされている。
投稿された人物は内情に詳しく安房常務の「空出張や会社に乗車券を買わせて後でキャンセルして現金を受け取るなど、チマチマした行動が社員の嫌悪感を増副させてきたのだとも書いてある。許せないのは安房常務の行動を知る社員たちを理由をつけてリストラをつづけてきたという行為だという。今、積年の怨念に苛まれてきた社員たちが、人の犠牲の上に立ちながら、ひとり名誉職の座に君臨していることが許せないとしているようだ。 創業者の息子専務を蹴散らせ社長の地位を獲得した安房氏である。下剋上は戦国時代のこと。
安房社長にまつわることは順を重ねて報じることにする。まず、②は棒半田の横流しの実際とシャープとのかかわり方を書くことにしよう。

鬼のひとり言 48 官公庁様給油お断わり

2007/07/17 (Tue)
世も末であるか? 某石油スタンド入口に斯様な看板を見た。「官公庁様、給油終了のお知らせ」とあり「謹啓 日頃格別のご愛顧を賜り有難うございます」に続けて「さて、これまで永らくご利用頂いておりました官公庁のお客様に対し諸事情により、下記日程により給油を終了することに相成りました。事情ご賢察の上、宜しくご了承賜ります様お願い申し上げます。謹白」とあり、給油中止は7月1日よりとある。近所に話を聞いてみると「警察や他の官公庁の車が立往生しているようだ」という。民間の石油販売業者が、今までは大のお得意様であった官公庁にガソリンの給油を断ってきたということになる。慌てたのは官公庁の車だ。 官公庁の関係車両に給油する量は莫大なものであったはずだ。が、ここにきて原油の高騰が、たとえ大量消費の官公庁の車とはいえ値引き契約にスタンドの赤字が増加している現実がそう決断させたものであろう。
事情通に聞いてみると「官公庁は常に市場価格より2~3円安く契約しているはずだ。ガソリンの利益はリッターあたり1円ぐらいが常識だ。こんな風だから官公庁の車に給油すればそれだけスタンドの赤字が増加する。それにしてもそのスタンドは勇気ある処置に踏み切ったものだ」というのだが。
官公庁はその立場から複数の業者に見積もりを出させ、安価な燃料を給油しようとする。だが、現実には原油の高騰にもかかわらず一度契約した価格を変えようとはしないものだ。現実に即した判断が官公庁に欠けているから、契約期間中は価格を維持しようとする。ここに問題があるのではないか。一スタンドの経営努力では不可能な原油の高騰である。警察車両などは給油できなくて右往左往しているのだという。
一般的に官公庁の価格設定については「威張りくさった上に、業者の立場を考えずに安価な価格を求める」きらいがある。いわゆる役人根性というやつである。政治も貧しいが税金で飯を食っている官公庁の態度は、民間の業者の利益を無視し過ぎるところがある。「商人はいくら叩いても利益は生むものだ」という考えがある。業者とて利益を生まないことには経営が成り立たない。
とはいえ、入札となれば利益を度外視しても官公庁との付き合いが業者のステータスとなる。 それら因果関係が度を越すと以上のような結果が生じてくるというものだ。この度の業者の処置を官公庁は改めて考慮する必要がある。
市場が疲弊し市民全体が高度な苦慮に悩んでいる時、官公庁の職員の手にはボーナスなる収入が入る立場にいる。ボーナスの額の大小を問題にするのはあたらない。それよりも当該スタンドの職員たちにボーナスは入るであろうか。 斯様に格差は瞭然。人は平等であるはずだ。が、「年金問題」に見られるように公務員のテイタラクさはどうだ。それでもボーナスは手にしているのだ。
本来ボーナスとは「賞与」である。自動的に配られるべきものではあるまい。特別の働きをしたことに対する褒美として扱われるべきものだ。働きもせず役目を放置した社会保険庁の職員に反省はあるのだろうか。長官は「旅がらす」よろしくアチコチに天下りの事実だ。国民を舐め切った悪代官の所業を坊佛とさせる。

鬼のひとり言 47 市長への手紙

2007/07/10 (Tue)
広報に「市長への手紙」と丁重な印刷物が掲載されていたので一筆啓上した。啓上した文面には「公費を使った事前運動になりませんかと書いて、合併問題でもアンケートは公約だからとして実施されましたが、事後報告がなされていないのはどうしたことか。アンケートの集計結果発表しただけでは幼児にもできること、アンケートの結果をどう生かされたかが問題。 本年初冬の選挙は厳しい批判票にどう対抗されるものか。老生は惨敗前に立候補をしてはほしくないのです。」と書いた。
立候補を表明している現市長のとった行動は直接選挙違反の取締り対象にはなるまいが「公費を使用して今更のごとく市長と市民を繋ぐ」といった行為はすくなくとも現職市長のやることではない。人格が安っぽくなるばかりだ。
いい機会だから書くことにする。定年を前に退職した元部長に退職の理由を糾してみた。「ことばでは言い切れない」という当該部長に「箇条書きで結構だから」と書いてもらった。
以下某部長が書いた箇条書きである。
① 自分の思い通りの答えがないと、激高し、取りつく島がない。自分の弱いところを突かれたとき。自分の考えの方向に行かないと満足しない。
② 昇給・昇格の依怙贔屓が目立つ(出身地区)
③ 過去の行政をすべて否定する行動が目立つ(成人式の日取り変更など)
④ 市長職は、特権階級であると勘違いしている。
⑤ 副市長との間がうまくいってない(職員の話)副市長から市長への報告がなされていない。など。
退職部長らは「あんな市長とやってらんないッ」が合言葉の一斉退職だとは聞いているが、現実に退職部長が書いたものを載せたものである。 米沢市の市長がだれになろうと現安部市長を下回る能力の持ち主はいない。安部市長はアルカデア現在地が市の買収になった時点で、最後まで印鑑をつかなかった地域民だとして知られた人物だ。市長の席に着くや「南陽市の佐藤病院の米沢進出にともないアルカデア用地買収を拒否した」経緯があった。佐藤病院の米沢進出計画については前高橋市長との間で了解済であったものを「知らない」として一蹴し、疲弊しきった米沢市民の期待の夢を頓挫させたものだ。部長のいう過去の行政否定である。かつて南部土地区画整理事業が某酒造会社の反対によって50億とも期待された事業効果が一瞬にホシャった過去があった。安部市長はいみじくもその轍を踏んだ甚だ賢くない市長である。町の活性化を図るには経済に明るい人材であることと他人の意見を真摯な態度をもって聞けることが大事なこと。安部市長はどちらも持ち合わせていないのだ。
部長がいう「特権階級であるかのように錯覚しているだけ」。 毎日が市長ゴッコで楽しいだろうが、市民が楽しくなければ選挙には勝てないのだよ。よほどのことがなければ再選はすまいが、それにしても「出前市長」では、「老人の肩もみ」を主とするならば本職のマッサージ師を同道された方が老人たちには有り難いと思われるのだが、市長選挙を前にして、親切の押し売りはみっともないと感じない神経はいかほどのものであるか。

鬼のひとり言 46 犯人を探せ!

2007/07/06 (Fri)
南陽市民の中には本会の新着情報を巡って情報が比較的確かであることについて本会に「情報を提供したのは誰だ!」との犯人探しがはじまっているのだという。本会の事務所には得体の知れない電話が入っているが、ニュースソースを明かさないことが原則であるから情報提供者は安心していてほしい。
これまでに複数の市民から寄せられた憤報の数々にはいずれも信憑性があった。議会の無力さに加えて、南陽市政が地域の権力者たちによっていかに堕落した市政であったかが垣間みられるのだ。南陽市の「犯人探し」とは別に市民からのエールが本当に寄せられてもいるのだ。市民の声は「南陽市政の恥部を洗い出してくれろ」という切実な願いも届いている。が、南陽市の改革は南陽市民の責務として市民自らの手で行なうべきだと説得してきた。
己れの顔も出さず手も汚さずして人頼みすることこそ改革につながらない行為であると考えるから応じることを断り続けてきた次第だ。
こうした情報の中に、前南陽市長を巻き込む驚愕な情報が入ってきた。南陽市が行なった公共工事に関して「官制談合の疑い」が濃厚であるとの情報である。
平成17年度に南陽市が施工した「配水管布設工事」が疑惑の焦点となっている。公的な工事の責任者は当時の市長、前荒井市長であった。市の発注する工事についてはI000万円を超えるものは「指名入札」において市長が執行責任者となる。ちなみにそれ以下の工事金額の場合は各課長が執行責任者として「指名入札」となる。
南陽市は他の市のように厳格な縛りがなく、唯一の禁止事項は「工事の丸投げ」だけのようだ。 入札にあたって「予定価格」と「落札価格」が同額であったことの疑問。落札業者は「ヤマニ商店」であったが、落札業者「ヤマニ商店」は一切工事に関わることなく施行は「合入札業者3社によって行なわれた」疑惑の多い工事形態だった。 この行為を「業者間の丸投げ」と称して南陽市が禁じる疑惑の「違反工事」となった。この工事を巡って前市長の不可解な行為があった。
入札にあたって俗にいうAクラスの業者を指名入札から除外した謎はどうしたことか? 疑惑の第一の要因となった。
疑惑の第二は水道課によって区割している3工区を1工区に統合しなければならなかった工事とは? 現実には各工区は互いに距離のあるバラバラの場所であったことで疑惑は更に高まっていった。
なぜ不自然な発注による公共の「配水管布設工事」が為されたものか。前述した前市長の不可解な行為が内部告発によってかすかに見えてきたのだ。まず、工事の組み立てを前市長が後藤組合長を呼び最初の談合が行なわれ、後藤組合長が前市長の意をうけて仕切ったというのだ。したがってAクラスの業者を指名からはずし、ヤマニ商店が落札して丸投げし「後藤設備」「浅野興業」「五丈設備」の3社が施工するという図式であったと見るのが正確であろう。しかし「丸投げ」は南陽市ではご法度行為である。そこで落札し丸投げしたヤマニ商店は以上の理由で「指名停止処分」とされた。
そこで疑惑は「指名停止」処分覚悟の上で、ヤマニ商店はなぜ落札し禁じられた「丸投げ」までしなければならなかった理由とは? 市民の大方は疑念に包まれたままである。 大方の見方を総合してみると「贈収賄行為があったのでは?」というー致した見方をしている。工事完成後、落札工事の主体となったヤマニ商店を指名停止処分とした事を県に報告する義務を怠っていたのだ。
以上が南陽市政の拭いきれない汚点である。当時の荒井市長は経済主義剛腕で南陽丸を操縦してきた船長だった。 ここにきて二年前の疑惑が噴出してきたわけは市長の交替にある。今、南陽市政は内部告発や事情通の告発によって永年の膿が絞りだされようとしている。勇気ある市民が告発の準備を着々と進めているのは確かなことだ。無論、市民に捜査権はない。したがって法治国家である以上、市民による告発の場は警察ということになる。果たして告発を受けて県警はどう動くのであろうか。
こうした不遜な南陽市政であるが、新たに現市長にまつわる経済上の危機が囁かれている。
白鷹のコンクリート会社の倒産に関連する噂である。止まれ!南陽市民には前市長を選挙によって放逐したエネルギーがあるではないか。つつがなく伸張する南陽市のために市政の改革は市民自らの意志と行動によって改革すべき時ではあるまいか。
「勇気こそ地の塩なれや 梅真白」 近代俳人中村草田男の一句を南陽市民に贈る。

| HOME |