鬼のひとり言 31 コラム自由の風?

2007/04/27 (Fri)
4月13日付米沢新聞を市民が本会に持ち込んできたものだ。「読者の声」に掲載の"市長コラム"をフェアプレーの精神から中止しては如何というものだった。
11月の市長選挙を目論んだものがどうか、米沢公報誌には指摘のように「市長のコラム」欄が掲載されている。
投稿者の鈴木氏と同じ思いで、老生はいつも苦々しく読んでいるが、「市長のコラム・自由の風」なる欄とは別に老生の手元には「三十郎月影日記」第一集なる小誌がある。
これも市民から届けられたものだ。だれの手によって作られたものか読むに耐えない内容だけに名誉のために他人の目に触れないところにしまっておいた。
鈴木氏同様「自由の風」に記されている内容は恥ずかしげもなく周囲のお世辞を真に受けたものとかだけの羅列に、ほとほと読み続けることができない内容の小誌だった。
「三十郎月影日記」という名称もおぞましいが、内容はもっと破廉恥なものだ。少なくとも米沢市の市長の作文とは思えない稚拙な文章で、しかも自分を良とした内容だけが綴られているのだ。
読んでいてこちらが赤面するような自己表現をしている。
一文をご披露してみよう。
5月2日(火)雨のち曇り
上杉まつり午前9時、米国の姉妹都市、モーゼスレークから、ミスーモーゼスレークと付き添いの方(彼女の祖母)が来訪。毎年の行事である桜の記念植樹を成島のワクワクランドでする。
夜、国内の姉妹都市および友好都市を迎えて、武てい式観覧の後、第一ホテルにて交流会。なお、明日の川中島合戦開始時の市長挨拶原稿は以下のとおり。
「市民の皆さまはもとより、全国からお集まりの皆さま、ようこそ米沢上杉まつりにおいでくださいました。心から歓迎いたします。
その昔、武田信玄公が北条・今川の連合と戦った折、太平洋に面した北条・今川は、山国甲斐へ塩を送らないという作戦に出ました。いわゆる「塩止め」です。
人間は塩がないと生きてゆけませんから、困ったのは甲斐の人々です。これを見て上杉謙信公は「いくさは合戦場でするもの。敵国といえども領民を苦しめてはならない」として、日本海の塩を送り続けました。これが「敵に塩を送る」という有名なこと わざの由来です。また、上杉二代景勝公は、徳川幕府がキリスト教を禁じキリシタン処刑を諸国の大名に命じた時、実際には米沢領内には三千とも六千ともいわれるキリスト教信者の方々がおられましたが、「当領内には一人のキリシタンも御座なく候」という手紙を幕府に出して、キリシタン処刑を拒否しました。
領民を大切にし、義を重んずるというのが上杉の精神であり、ひいては米沢の魂でもあります。
武てい式も川中島の合戦も、上杉の精神、米沢の魂を表現する野外劇です。
皆さまには米沢の心をお土産としてお持ち帰りいただきたいと思います。本日はありがとうございました。(原文どおり)
■ キリシタンの処刑場といわれる「北山原」「李山」を一体どう説明するのだ?
■ 当時、3千~6千人のキリシタンが米沢周辺にいたという事実は甚だ疑わしい。

鬼のひとり言 30 出た! 選挙違反!

2007/04/26 (Thu)
選挙に違反はつきものだと思ってきた。違反が白日のもとに検挙されないことの不思議さに思いを抱いきつづけてきた老生である。
劇作の仲間に地方選挙の実例を話したことがあって、勧められるままに選挙の実態を舞台劇として書いたことがある。題して「投票日前夜」は全国の県立図書館ならびに劇団関係者に配本された。米沢市立図書館にも寄贈してあるから読まれた方もおられると思う。
何としても演題の面白さは部落の選挙対策本部の動きかたにあった。
支持者または予定者の台所に「一升入り酒壜」を運ぶのは運動員の仕事である。
時効になったであろうから老生の経験をご披露してみよう。どこで知合ったのかさだかでないが彼は某市議会議員候補の運動員だったのだ。
ある日彼は前ぶれもなく、突然わが家を訪れ台所に入ってゆき「置いてきたから」と言って風呂敷を畳みながら居間に入ってきた。持ってきた形から大体の想像はついていたが彼は言った「向かいの酒屋から買ってきたんだす。持って歩くと入目につくんで、近くの酒屋から買うことにしてるんだす」成程、細心の注意を払っている心算でいるのだなと関心もした。「ところで候補者宅に顔を出していただかないと云々」と懇願するので、後日参考のためにと候補者宅を訪問してみた。玄関口で彼はすでに老生を待っている。彼の案内によって茅葺き屋根の二階に通され事務長というご仁との対面となった。
なんのことはない「酒振る舞い」の席である。酔うほどに帰ろうとする老生を玄関先まで見送って事務長なるご仁が深々と頭を下げ彼に指図する。彼は走っていって老生の自転車を運んでくる。「それじゃ」と自転車に跨がると自転車の前籠に老生が吸っていたタバコの包みが入っているのだ。「選挙とはここまで気を使うものであるか」。
老生が帰る頃には、部落の青年たちによる「部落の警備」に出掛けるところだった。
投票前夜におこり易い「他候補の部落潜入」を阻止するためらしい。聞くところによると多額の現金が飛びかうのが投票前夜だという。昔の選挙は「飲み食い法度なし」のんびりとした「ゆとり選挙」風景が展開されていたものである。現在のギズギスした選挙戦はどうしたことであろう。
古今東西を通じて選挙には程度の差はあれ、運動費は支払われているはずだ。ボランテアだけで選挙が成立するとは思えないが、法の定めがある限りにおいて昔風ののどかな選挙戦を否定しなければなるまいが、現在もひそかに行なわれている違反の摘発は官権による仕事である。不幸にして摘発された佐藤某なる落選候補が前職は市職員であったことに腹が立つ。またもや米沢市の不名誉なことである。佐藤某が職員時代どんな仕事をしていたものか市役所に聞いてみたら個人情報であるからと断られた。察するところ役職のない平職員であったことを返事は匂わせるものだった。平職員であったがゆえの市議会議員への憧れであったものか。詳細に分析する価値もない人物なのであろう。

鬼のひとり言 29 風に泳がない鯉

2007/04/25 (Wed)
最上川源流の桜並木は百花繚乱――朔北の地、只今、春爛漫の風情。残雪の吾妻山系を借景に桜並木に呼応するかのように鯉のぼりの大群が連なって春風の訪れを待ち望んでいる様子だが――。
毎年のように大量の鯉のぼりが、最上川源流の川風をいっぱいに受けて春の風物として市民に親しまれてきた。どなたの発案であるか知るよしもないが、毎年の実行方には感謝に耐えないものがある。ところで今年は例年にないほど川沿いの桜並木の美観はすばらしいものである。
人はそれぞれ勝手なもので「鯉のぼり」が折角の美観を損ねているという。そこで老生がいかなる美観の状態であるかを見てきた感想である。
川風を呑んで大空を雄泳する鯉のぼりの姿は五月晴れによく似合うものである。ところが、本年は例年になく桜並木が豪華な景観を醸し出しているせいか、桜を鑑賞するには前景になっている「風に泳がない鯉のぼり」がいささか盾になって美観を損ねているという噂通りに不似合いな感じがしないでもなかった。
噂の根源は雨に濡れて、大量の鯉のぼりが川風が吹かないために、泳ぐこともなくダラリとぶら下がっている。観光客のいう「メザシみたい」という文言は当を得ているものだった。毎年実行されている方たちの労苦に感謝するとしても実際的には桜を主役した場合を考えるとはっき り言って興を類の存在だった。
子供の日にはふさわしいものの、模擬合戦のために子供の日を待たず取り外されていると聞く。
ならば、「五月の大空を雄泳する」鯉のぼりは郷里の子供たちのすこやかな成長を愛でるためにも米沢市役所屋上に飾るのはどうだろうか?
たしかに雨に濡れた鯉のぼりを見るのは淋しいが、青空を悠々と泳ぐ鯉の姿は美しいものだ。
折角の鯉のぼりである。米沢市の伸張のためにも市役所の屋上高く泳がせるという提案をしたい。 風物は創るものである。自然と無理なく融合させる企画を是非、市の努力で実践させるべきものであろう。
山形県随一の観光誘客を誇る米沢市であり上杉神社である。「そのまんま東」宮崎県知事に何をか学ぶ必要があるのではあるまいか。
議会議員の三割は新人議員によって構成される米沢市の議会である。新議員たちによる議会の改革にはおおいに期侍されるものだ。
宮崎県知事が宮崎ブームを起こしているように、真似でもいい「米沢市にブームを起こすキッカケとなるものを知恵と行動力によって産出してほしいものである。

鬼のひとり言 28 新議員に期待する!議会刷新による改革。

2007/04/23 (Mon)
百花繚乱、朔北の地の桜は今が見頃である。投票日の駅頭に立って「桜街道」に訪れた観光客を世話している商店街の人たちの姿があった。今年もまた上杉祭りを前にして散る運命の桜である。投票場が開場すると同時に投票を済まして上京した老生である。老生が訪れる前に数人の有権者が開場を待っていた。投票を済ませ会場で長年立会人をしている級友が不満まじりに語ってくれた。
「民間人の立合人費用はようやく1万円になったが、いままでは一人当たり5000円だった。そこから弁当代とおやつ代が差し引かれる。市の職員は臨時手当てが3万円だ。この格差を君ならどう思うかな」次いで「おれたちが若い頃の話だが、山大生から入場券を買い漁っては本人に成り代わって投票したもんだ。そんなことまでしても映画館主の候補者には勝てなくてな、当該館主は青年団に映画の招待券をバラ撒いて当選してきた人だから叶うわけなかったけれどもよ」当時の市議選挙戦をなつかしそうに語る。
投票は済ませたものの、結果は最終電車、で帰省してからになる。そこで誠に不遜ながら当落の予想を書き残して上京していった。
車窓を流れる風景はあたかも桃源郷のように桃の花が咲き乱れ、鯉のぼりがさわやかな五月の風を泳いでいる。 吾妻領を越えると世はまさに五月である。11時近く帰省したがテレビは全国各地の開票結果の報道を伝え米沢市の開票が写らない。今朝の朝刊で当落が判明したが、老生の予想は一人だけが違って落選した。やはり開票の結果は「新人有利、現職苦戦」の図となったようだ。
結果からわかることは米沢市民は「新しい風による議会の刷新」を求めてきた証左なのであろう。ともすれば議会経験の長いことを盾に理不尽な議会操作をしてきた「古狸」的な議員を選挙によって淘汰し、未熟ながらも市政に立ち向かう新議員の真摯な声に改革を学びとる先輩議員であってほしい。 当選回数をもって議会を左右するような愚虚は厳に慎むべきであろう。「智者は智者を知る」新しい感覚で当選してきた新議員たちに「公約を達成させる」ような教育的励ましを願いたいものだ。 選挙公報を見ると「明日にも活性化する米沢市が実現」するような錯覚に陥る。これが当選するだけの見せ掛けだけの公約だとは市民のだれひとりとして思いたくないことである。 議員年数の長いことは誇りにはならない。誇りとするならば自分自身の議員活動の有無に思いをいたすべきだ。問われて恥じない議員活動を成したという自負はあるか。小学生は6年で卒業し、中学から高校生と進学し進化するものである。戦前に落第制度があったように議員年数を重ねることは議員年金の役には立つだろうが、それを以て議員の誇りだとするに社会は認知するわけはない。「就職活動」「月給とり」だと悪口三昧される議員生活を過ごすべきではない。己れが選んだ地方自治の道である。己れの誇りのためと「市政の繁栄」のために献身的な努力する「知恵と勇気」を兼ね備えた議員であってほしいものだ。

鬼のひとり言 26 投票日前々夜

2007/04/21 (Sat)
米沢市議会議員選挙もアットいう間もなく残す運動日は後一日となった。票読みもできて当落線上にある候補者たちによるウグイス嬢の金切り涙声も聞こえてくるであろう。
近くの小学校前に立っている選挙公報板に生徒たちが群がってポスターを眺めながら当落を予想している姿をみる。かつて老生はことある度に生徒たちの無心な当落の予想を参考にしてきた。
確立は老生の予想をはるかに上まわるものだった。
ポスターの写真を見ながら「この顔は気にくわない」「この人は正直そうだ」「嘘つく人の顔だ」が判定の基準であったようだ。
社会人となって多少社会の汚れに染まっている老生に比べて、無責任丸だしとはいえ純粋無垢な見方をする小学生にいつもながら軍配があがるのを知らされてきた。
だから老生が関わった最初で最後の市議会の選挙時には、当該学校前を訪れ放課後を待ったものだ。
今年の選挙は聞き慣れない候補者名が多いせいか、世代交替の思いを強く感じるのだが、方々に電話をして地域の評判を聞いてみるのも参考になった。 意外な評判も地域によってはたっているようだ。「家の父うちゃんも部落の代表だし、オレの後輩だから幹部になって事務所に出ていたが、部落の頼みをしてくれないんだから、今年は出入りしてない。近くから出ている○○は優秀だから間違いないと思う」と支持候補が変わったことを力説する。あるいは「自宅の玄関口近くから候補者が出た。オレは地元の人間でないからどうなることやら」と心配する候補者など色々である。ある候補者は地元の小学校に多くの支持者を集めて、地元選出の衆議院議員が応援、知事までが応援に駆け付けたとか来なかったとか。
そろそろ「決起大会」が始まるスケジュールが組まれていることだろうが、集まりによって票数が読めるのであろうが、以前は土木建設業界が中心となった決起大会である。動員令がかかり社運をかけて集客がはじまる。だから動員のためにはバスを使って川西・南陽と選挙に関わりあいのない地区からも人を運んで体裁を償ったものだ。
集票の基準とされるのが「入会申し込み書」のようだが、中には転居したり死亡した人の名前も書いてある申し込み書を見たことがある。こんな風だから選挙制度すらも冒涜する支持者たちによる票読みがはじまる。その合計は有権者の10倍にもなるというから驚きであり希薄な制度だと思っている。
候補者諸君に一言「一票は一票であろう、が、値打ちのある票を得ることだ」そのためには候補者自身が有権者に「値打ちのある人物」としての信望を厚くすることだろう。選挙の度ごとに「お願いします」の連呼は淋しくないのだろうか。やがて巷はウグイス嬢に託した悲鳴に近い連呼がつづくのであろう。

鬼のひとり言 26 選挙とテロ

2007/04/19 (Thu)
選挙中に候補者の前長崎市長が市の対応に不満をもつ右翼に射殺されるという痛ましい事件が起きた。銃規制の厳しいわが国では、銃は暴力団に集められている事実を見逃せるものではない。
アメリカ国内では大量の学生が射殺されるかと思えば、わが国では立候補中の現市長が右翼に至近距離から射殺されている。どうにも防ぎようのない惨事である。「選挙と右翼」ということを聞いて老生はある右翼の話を結びつけていた。
「立候補者数は二人か?」と尋ねる老生に「いや告示前だが候補者は三人だ」という返事が返ってきてホットした。
わけはこうだ。ある右翼の話「対立する候補者が二人の場合に限る。相手候補を亡き者にすれば無競争当選となるではないか。ただし消すのは告示が締め切られた後でなければ立候補者が出てくるおそれがあるからな。代議士や知事選挙は金になる。交通事故なんかに見せ掛けて対立候補を消せばいい。大型選挙ともなると運動費がかさむ。ならば予定選挙費用を半分もらえばおれが請け負うよ。候補者だって半分の費用で済し、なによりも当選が確実になる」
なるほど費用対効果は抜群であろう。この点をくだんの右翼は強調するのだ。老生は右翼の話をゾットしながらも聞いていた。立候補者数が二人に限定されている場合、ことによっては右翼の選挙テロが発生する危険性がありうることだ。
米沢市の場合、衆議院議員選、米沢市長選などは最も右翼が仕掛け易いケースではあるまいか。
こう考えてくるとテロの標的にされやすい選挙をしていることになる。「まさか?」ではすまされない図式ではないか。 当選することを「勝」、落選は「負け」とする現代人の選挙に対する捉え方をしている以上「勝たせてくださいッ!」 と叫ぶ文言は永遠に廃れることはない。
「政治は妥協することだ」とする文言もある。政治関係者独特の文言であるが「妥協」という行為よりは「どちらが真実に近いか」を選択していただきたい。「どれだけの政治的自由があってもそれだけでは飢えたる大衆を満足させない」レーニンの言葉だ。チャーチルの言葉は「議会に対しても私は、血と労苦と涙と汗の他は、私は何も提供するものを持たない」含蓄のある文言だといえよう。
候補者藷君にあえてチャーチルの言葉をさしあげたいと思う。そして、候補者諸君にも有権者諸子にも謹んで吟味していただきたい言葉があるリンカーンはこう言った「投票は弾丸よりも強し」と。 自由に投票権を行使できる国民は自分たちの意志を表明でき、望ましくない政府は排除できるのである。
前述の右翼はこの世から消えて何処かしら彷徨っているであろうが、彼の考え方はどこかにつながっている危険性があると思われるので、くれぐれも実行されないことを祈るばかりだ。
老生は候補者には「地べたに立った辻説法を」有権者には「投票は弾丸より強し」を希望した。
どの候補者が目覚めてくれるのか、どれだけの有権者が実行されるものであるか。選挙のごとに自戒する老生である。

鬼のひとり言 25 候補者の顔が見えない

2007/04/18 (Wed)
以前の選挙は辻説法する候補者の顔が見えた。今はウグイス嬢の連呼任せで、候補者は助手席に座って手を振るだけの媚びる選挙になった。
市議会議員選挙がはじまって4日目、聞き慣れない候補者たちの連呼がつづく。新人候補者であろうか元気溢れんばかりの連呼である。生憎の雨の中を四辻に立って運動員ともども車に向かって大きく手を振り続ける若い候補者もあって好感がもてた。有権者の心を揺さぶるには候捕者自身が地べたに立つことであり同じ目線で有権者に訴えかけることが肝要だと思った。車の中から手を振るだけでは「横着という謗り」を受けまいか?
かくいう老生も級友のために街頭に立ったことがある。「泥棒や掻っ払いするというのであるまいし、級友がやりたいということを応援してやろう」と同級生を納得させての選挙初挑戦であった。時に26才の春のことである。当時は舗装道路も少なく砂埃が喉に入って閉口した記憶がある。
今のように連呼はせずに候補者とともに要所々々で車を止め、辻説法よろしく立候補にかける姿勢と市政にかける思いを有権者に訴えて歩いたものである。 老生と候補者とウグイス嬢の三人だけの辻説法の旅であった。見事当選となって興譲館高校の応援歌をスクラム組んで「凱歌」を歌いあげた感激を思いだす今日此頃である。候補者は後に市長20年努めた高橋幸翁君である。
八百屋から借りたオート三輪が選挙カーで、老生とウグイス嬢は荷台に乗っての奮闘であった。今になって思えば恐いものなしで「捨身と純粋さ」が有権者の支持をうけたのであろうか。以後、老生は街頭に立つこともなかったし、表だった選挙運動は避けてきた。無論、級友高橋が才能を発揮してくれたからに他ならない。
「実行力のある候補者○○」「最後まで暖かいご支援を」など何十年間も聞きあきた連呼がつづいている。その声も終盤ともなると「男にしてくださいッ!」「助けてくださいッ!」などの悲鳴に変わってくる。 だから辻説法的な選挙戦は姿を消してしまったと言ってよい。議会は「議論と政治理念」の闘いの場であるはずだ。街頭の地べたに毅然と立って議会議員に立候補した理念と「何を市政に訴えつづけるのか」を堂々と胸張って述べる候補者がおらないのは一抹の淋しさを感じるのだ。今の選挙形態を見るかぎり候補者の「就職運動」にしか思えないのだ。議員定数の削減は経費削減につながるものだか、削減することによって「優秀な議員だけ」が必ずしも当選するというものでもあるまい。「議員にしておきたくない」人物だけが当選してしまったら米沢市の命運はどうなる。そこが民主的な選挙制度の難しいところでる。有権者の視点が問われるゆえんである。今も街宣車から「よろしくお願いします」一辺倒のウグイス嬢の声が耳に届いてくる。候補者よ車から降りて有権者とおなじ地べたで、おなじ目線で市政理念を語れ!「お願いします!」だけでは候補者のくだらなさが目立ってしょうがない。

鬼のひとり言 24 市議選一週間の攻防

2007/04/15 (Sun)
号砲一発! 市議会議員選挙がスタートする。24議席を競って新人優勢の下馬評のもとに、
愛郷心豊かな候補者が公約を披瀝して戦う!
桜花爛漫とはいかないまでも、花曇りの中15日から22日の投票日までの7日間は米沢市百年の計を賭けた米沢市市会議員の選挙戦がはじまる。
いわば4年に1度の春の風物詩ともいうべき市あげての祭りである。従来の選挙では候補者が不乗車のまま、テープを回すだけの連呼戦術を繰り返す選挙カーもあって市民のひんしゅくを買った候補者もいた。
選挙の基本は「辻説法」である。候補者自身が「なぜ立候補するのか。そして米沢市のために何をするのか、したいのか」を町角に立って有権者に力説すべきである。が、どの候補者のリ-フレットも一様に国家がすべきことと地方自治体がやるべき仕事の区別がない。
宮崎県知事は就任と同時に懸念された「宮崎地鶏」の宣伝に走り回って「心配ないこと」を全国にPRした行動力はそれこそ愛郷心の固まりであり、庶民感覚を代表したものであろう。一躍、宮崎県をスターダムにのし上げた力量は従来の政治感覚とは異なるものがある。
河原乞食といわれた芸能人には、それだけに辛苦を舐める修行と人後に落ちない努力があるものだ。なまじ政治家ぶった顔の市会議員諸君とは比べものにならない勉強をしているものだ。
議員には質の善し悪しは別にしても決まった議員報酬がでる。それに加えて悪名高い政務調査費やボーナスもでる。芸能人には激しい競争に打ち勝つまでには「食わず食わずの生活」がつづく。その貧困にもめげず明日の「スターダム」をめざして必死の勉強と努力とが強いられる芸能人に求められるのは「根性」のみである。
立候補者諸君に言いたいことは「芸能人なみの根性と勉強をせよ」という一語に尽きる。老生は舞台作家として日々研鑽中だが、議員諸侯の議会を傍聴するかぎりにおいて「相手に伝える話術に乏しく、内容があまりにも稚拙」だ。これでは芸能人には到底追い付けるものではない。
地方とはいえ議場は議員にとって「檜舞台」である。舞台を前にした芸能人の緊張しきった顔を見たことはないであろうが、老生は仕事柄開幕を前にした芸能人たちの「命を賭した舞台」への執念に触れてきた。地方とはいえ政治に命を賭けよ。自らが発した公約のために命を賭けてみよ。公約は当選するための戦術だけであるか。それでは始めから有権者を愚弄することになるではないか。

鬼のひとり言 23 喫煙者受難

2007/04/12 (Thu)
タバコは麻薬か? 世は喫煙者を犯罪者扱い?朝起きの一服、仕事はじめの一服は一日の始まり。
紫煙のかなたに思索を広げた日々を懐かしむ。
懸念された孫が生まれ、母親になった娘がいうには「おじいさんに子供を見せたいのだけれど、おじいさんは大のヘビースモーカーだから子供を連れて行くときはタバコを吸わないでほしいと妻の口を借りて言ってくる。
なるほど亭主殿は冬でも外に出てタバコを煙らせている。わが家にきても同様吸いたくなると外に出る。
最近、味方を得たかのように家の中での禁煙宣言。45年間も連れそった妻の豹変である。愚愚痴をいえば「タバコは体に害があるから止めたほうがいい」と、中学生の時から隠れタバコの常習者までが言う。
メキシコまでの機内は無論禁煙だから、19時間禁煙を不貞寝で過ごした。が、新幹線の車中も禁煙、空港までの電車も禁煙、空港のウイング内も禁煙であれば悠に24時間も禁煙生活が強いられるわけだ。
ビジネスならいざ知らず、旅情を楽しむなどの乗り物は皆無に等しいから車以外の旅行などは考えられなくなっている。
10年ほど前になるが、ロスのホテルは全館禁煙でホテル外に置いてある大形の灰スタンド を囲んで外で喫煙するきまりだった。個室にさえも灰皿の姿はなく個室も禁煙。窓を開け中学校生の悪るガキよろしく紫煙を外に出してのホテル暮らしを覚えている。ラスベガスの個室もご同様に禁煙だったが、カジノに降りると灰皿が所狭しと置いてあり、喫煙OKの場所となっているのだ。
どうも禁煙運動はアメリカの差し金でわが国に伝染してきたように思う。アメリカがくしゃみするだけで日本中が風邪をひくようなものだ。が、体に良くないというならそれは「余計なお世話だ」と一蹴したいところだが「吸う人間より、吸わない入間が紫煙によって体を悪くする」と矛先をかえて喫煙者を攻撃してくる。ひと頃ダイオキシン問題が騒がれたが、タバコを包んでいる紙がダイオキシンを発症から「紙巻きタバコ」が体に良くないことはわかっているが老生はパイプタバコを愛用しているからダイオキシンの弊害はないはずだと信じているが、極論すれば「紫煙」が周囲に迷惑をかけているということであるか。老生は妻に宣言した「タバコは金輪際止めないッ!パイプの甘い香がすてきだというご婦人も多くいるんだぞ、それに若い女性にもいるんだぞ」 禁煙運動によってタバコをやめた男性も多い。「酒もタバコも女も断って」なにが人生面白くて生きているのだ。落語だけが本音を語っているのかもね。

鬼のひとり言 22 議員年金と辞職

2007/04/11 (Wed)
各地で話題の議員年金、任期一杯議員職を努めると議員年金が目減りする。そこで年度末に議員を辞職する議員が増えて問題視されている。さて米沢市の議員は?TVは連日のように議員早期辞任を報じている。来期から議員年金が目減りするため、年度中に退職する議員が増えているからだ。
本来、議員には「議員任期」というものが課せられている。選挙の最中に「私は議員年金が目減りするようなことがあれば、年度前に議員を辞職します」と有権者に語って当選したわけではあるまい。
議員職を得ようと して有権者の支持を願った議員の本音はなんだったのか?たしかに人の世には欲望が渦巻いている。欲望とは「金力」であり「名誉欲」であり「くの一欲」ではあろう。が、議員たる品格のためには「金」や「女」に拘泥することなく、ひたすらに有権者に誓った公約実現のために一身を投げ出す勇気と知恵が欠くべからざる議貴の条件だとして有権者のすべてが期待して投票に向かったはずだ。
ところが「議員年金が目減りする前の辞職」とは、有権者を欺く行為であると思わないのであろうか。どうせ立候補して有権者のご機嫌とりするわけではないから、年金のためには手段を選ばないという考え方はあまりにも有権者を愚弄する行為ではあるまいか。任期途中で辞任するような人物に「議員年金」の支給を止められないものであろうか。各地で行なわれている議員とは思えない破廉恥な辞職をしてまで「元議員」はないだろう。
米沢市議会議員の中でも「今期で議員職を辞退する」と表明した議員は多い。それら議員の中で「任期半ばで議員辞職する人物」はいないようだ。「市民から附託されたからには任期満了まで議員職務を全うする議員」だけで、年金目減りを前に任期半ばで辞任した議員は老生の知るかぎり「原方衆」ただ一人だけのようだ。
首斬り浅右衛門は「人物の値打ちは土壇場に座らされた時の態度」だと言い残している。吉田松陰は「死ぬのは嫌だッ!」とわめき散らしたというが、郷土出身の幕末の志士「雲井龍雄は泰然自若として、自ら首を差し出した人物」として語りぐさになっているという。「任期前の辞職議員」は「金のための敵前逃亡」だとして社会から葬られてよいはずである。こんな人物ほど「名誉欲」が強く、叙勲を心待ちしているどうにもならないチンケな群像としか言いようがないのだ。
投票した有権者の感慨はどんなものであるか?

鬼のひとり言 21 南陽市の「市民いじめ」、行政不審の嵐は吹くか?

2007/04/10 (Tue)
新市長誕生の裏面で南陽市の行政が大揺れしている!西工業団地の一部は産廃の不法投棄地帯だった!
造成発注は同市開発公社、造成は同市松田組だった!
南陽市の西工業団地は「産廃の不法投棄地帯」に造成されていた?! この驚くべき実態が先の山形地裁の判決で明らかになった。企画開発売買は同市の土地開発公社によって行なわれてきた。土地造成は同市の(株)松田組が請け負った。
造成に当たって松田組は「産廃の不法投棄地帯」であったことを熟知した上での造成だったから掘削して問題の廃棄物が不法投棄されている事実を確認後、当該土地から除去することをしないで「再び埋め戻す」という破廉恥な造成工事手法で造成工事を完了させた。
関係者の声によると「廃棄物を埋め戻した上に、厚さ10センチの山砂を被せただけの極端な手抜き工事だった」と証言する。係争中に地裁から10人ほどの調査官が現地に訪れたものの、開発公社側からは理事の出席はなく職員2人が出席しただけで、肝心の造成担当会社松田組からの出席はなかった。
抗争のはじまりは、同市の建材メーカー㈱ヤマキチの第2製造工場に異常な損傷が発生したが、その原因は地中に埋設された産業廃棄物の影響によるものだった。そこでヤマキチ側では南陽市土地開発公社と南陽市に対して善処を求めた。南陽市から圧力を覚悟してのクレームだった。このクレームを逆手にとった南陽市側は当該土地の善処どころか、職員の2人がヤマキチのメーンバンク2行に出掛けて「税金滞納の事実」等の個人情報を漏洩して「数日中に預金差し押え」を宣言してきた。これは大事に至らなかったものの南陽行政の貧しさが伺い知れる行為だった。
第一審の判決はヤマキチ側の示した損害賠償額とはほど遠い「2700万円」で結審した。そこで土地開発公社柴田理事長から「和解案が示され」同意したヤマキチ側は土地開発公社に出掛け、柴田理事長が作成した「和解証書」に記入捺印した。その時交わされた「和解は市長も了承事項であり、土地開発公社側の署名捺印をした上で持参する」という開発公社側の署名捺印された和解証書は今もってヤマキチ側には渡されていないのだ。
さらにその場で柴田理事長は「20日まで振込み支払いするから、口座番号を教えてくれ」と要請した。その時、まさか土地公社理事長が文言を反古にするとは思いも寄らなかったという。
数日して「土地開発公社は一審判決を不服として控訴手続きをとった」旨をヤマキチ側通告してきたのだ。土地開発公社からヤマキチ側に和議を申し出、その後破棄したのはその間の時間稼ぎをする理由が土地開発公社側にあったのだ。判決は「ヤマキチ側の仮執行宣言付き」であったから、行政側は控訴手続き終了までの時間稼ぎのためにヤマキチ側との和解手続きを「詐欺行為」を悪用して騙したということになるのだ。が、柴田理事長は同時に南陽市の新任助役の立場の人物である。とかく今までにも「黒い噂」が付き纏っていた人物であることから、市民たちの中から行政不審の火柱が燃え上がるのは必至のようだ。

鬼のひとり言 ⑳ 官製談合は許さじ

2007/04/06 (Fri)
談合を是とした小生に非難集中!!犯罪性の悪癖は[官製談合]にあり!
小生の談合論と官製談合の区別をつけよ。
小生の知るかぎり各地の首長は「私の立場からは言えないが、地方の中小企業の談合は必要悪だと思っている」と本音で語っている。
許されないのは「官製談合」というもので、談合という語彙に問題があるという。地方行政の場合、特段の大工事があるわけでなく地元中小企業がひしめきあって仕事を求めている現在、仕事をとるために赤字覚悟の入札が目立つ。行政側とすれば「安価なほど」いいに決まっている。
しかし安価な入札を行なって経営そのものが倒産につながるようでは健全な行政とはいえないであろう。
入札といえば「土木・建築」関係が目立つ。関係業界同士が「仕事ほしさに入札金額の叩き合い」をしていたのでは必ずしも健全な経営は望むべくなくなる。この点を首長が頭を痛めているところなのであろう。
元県会議員から秋の市長選に立候補を表明している野村氏に質問をぶつけてみた。野村氏いわく「発注は少々価格が問題になっても、地元に本社のある会社に発注する。他市に本社のある会社に発注したのでは地元にメリットは残らない。地元企業が優先されて然るべきだと考えている。
目先の金額の大小よりも将来的に地元貢献となる企業を私は選択する考えだ。予定価格を開示する制度であるかぎり、企業が育つような立場から極端な低価格競争は無意味ではないかと承知している」だからと言って彼は談合を奨励しているわけではない。例えば「造成地が売れない理由は売値に問題があるという。売れ残るよりは適正の価格で分譲すればいい。行政の仕事は長いスパンで考えることが肝要、固定資産・および他の税金などの歳入が期待できるではないか。売れない品物は「不良在庫」としていつまでも税金の無駄使いとなる。これは社会一般に通じる商行為の常識というものである。いつまでも「土地買収費・宅地造成費に要した費用」に固守していたのではその後の解決とはならないであろう。
政府の肝煎りで建設したあの「グリーンピア構想」による巨大な施設の売却価格差は良い見本である。
長年、眠りつづけている「アルカデア構想」による上郷地区の土地活用に乗り出した南陽市の佐藤病院に安部市長は「活用目的が違う」として、病院側に断ったいきさつを考えてみると、安部市長の決断に幼稚性が巣くっていると考えるべきであろう。
行政トップに求められるのは、船舵の技量にある。問題は「米沢丸が荒海を乗り切らねばならぬ時点において その決断力と船出に要する技量を兼ね備えているか否やにある。
天皇陛下の白馬ではあるまいし「走る能力に欠けても、陛下を落馬させることのない馬」を「是れ無事名馬」と称して、昔から能力のない人物を評して使う椰楡することばだ。安部市長にはピッタリな表現といえないか。

鬼のひとり言 ⑲ 匿名某氏のガセネタ

2007/04/05 (Thu)
殺伐とした世の中になったものだ。先にこの欄で掲載したゴミ袋は千代田クリーンセンターとJA(農協)との馴れ合いの結果、某衆議院議薑の政治資金になっているのでは? というタレコミは、関係者を含めた本会の調査では「根拠のないデタラメ情報」であることが判明した。[匿名某氏が寄せた情報]
① ゴミ袋の発注は特定企業(仙台市)に限定し、他社は入ることが出来ない。これは癒着というものである!
② 袋はJAを経由し小売店で販売されるがJAに独占卸をしている裏側では、某議院議員の政治力が働いているのではないか!
③ JAの年間手数料は2千万円を上回る。
[本会の調査では]
過日千代田クリーンセンターの所長・主任に関係帳簿書類等持参の上、本会事務所に来てもらい精査した結果は次の通りである。
① 袋の購入は入札制度によって価格の低い業者に発注している事実を確認した。
② JAに卸している理由は3市5町の各地に支店をもっていることから、販売に最適任組織であること。
③ JAへの販売手数料は3%であり妥当なマージン率と思われる。昨年度の決算では約1千万円強が支払われ、匿名氏が指摘する年間2千万円にはほど遠い手数料である。
蛇足ながらゴミ袋の差益は100%焼却事業に充当され、不足分は3市5町の各自治体の負担となっている。償却費用は受益者負担の考えからゴミ袋を利用している。
スーパーなどの買物袋を使用した場合、肝心の焼去事業の利用者負担の公平化に反するので収集運搬から除外されている。
所定のゴミ袋をしない塲合は、直接、千代田クリーンセンターに持ち込んで焼却してもらう方法があるがその場合には所定の焼却料を現地で支払うことになっている。
【匿名某氏の存在】
以上、当会が精査した結果としては疑われるようなやましい行為は見られなかった。
よって某氏による情報はガセネタであり許し難い行為として氏名を公表したいところだがあえて某氏としよう。
彼は社会福祉法人○○会を設立し、身体障がい者を雇用して「ゴミ袋生産事業」を企画している中心人物だが、本会の調査によると評判はすこぶる良くないのだ。
過去にも福祉を看板に出資者を募り金銭トラブルを起こしているとの情報が複数有り、今回の「ゴミ袋生産事業」もマユツバものである。
ガセネタを社会にバラ撒いて歩く理由は一体どこにあるのだろうか。

鬼のひとり言 ⑱ 無競争当選の疑問

2007/04/02 (Mon)
県会議員の無競争当選に万歳は似合わない。無競争とは必ずしも信任投票ではない。
県会に対する市民の無関心とはいえないか。
地方統一選挙の露払いとして「県会議員選挙」の告示日が締め切られ、定員3名の米沢市を始めとして、置賜地方では、長井市・南陽市の各市の候補者が無競争で当選が決まった。
TVの映像では各陣営共に「万歳」を叫んで祝賀ムードに浸る様子が容易想像されたが、無競争当選に|「万歳」は似合わないもののように映った。
本来は選挙戦を闘い緊張と職責の重さを実感しながら、候補者は育って行くものであろう。無競争当選とは「信任投票とは異なる」ものであるから必ずしも有権者の信任を受けたものと勘違いしないことが正当な認識だといえよう。
以前にあった選拳を思いだした。 定員4名の米沢市の現職議員たちが、新に立候補する人物が出ないようだとして「無競争当選」|の可能性が強くなった年の選挙のことだ。選挙をすれば多額の経費が容赦なくかかってくるし、候補者の労力もシンドイはなしだ。だから経費もかからず候補者の選挙活動も軽減されるとあって高枕で議員継続を夢見ていたのであろう。が、そこに突如として某人物が候補者として手を挙げるという噂が米沢市内を駆け巡っていったのだ。寝耳に水の4現職は慌てて協議した結果、噂の某候補者は立候補を断念したことがあった。
後日、4議員を慌てさせた当の某氏は「オレが手を挙げると言ったら金を持ってきたよ。よくよく選挙はシンドイらしいな。どうせオレが立っても泡沫候補だから当選するわけがねえべ。供託金没収で大損することはわかっているさ。ちょっと悪戯してみたら懐に大金が転がり込んできたという御粗末だ」某候補者にこのことを話したら「だれがまとめ役になってくれるんだべ」と吐かしたという小咄。
市会議員選挙はもっぱら「新人有利。現職多難」の噂通り、総力戦となろうが、現職で「議員さ物頼みにきて空手はなかんべ、金か票のどっちか持ってくんのが常識でねえの」という現職議員の存在もある米沢市議会だ。前回の選挙時に金を配っている議員として本名を挙げたら本人が老生事務所に怒鳴り込んできて言うことに「オレは金なんて配ってねえ、商品券とハムソーセイジだけだッ!嘘ば書くなッ!」とカンカンな勢いだったが、結果は落選だった。

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