鬼のひとり言 ② 混迷する市議選! 議会は大変革の年?

2007/02/28 (Wed)
報道各社が伝えるところによると米沢市議選は、新人有利で議会は大変革の年を向かえそうだ。今期から3度目の議員定数削減によって[議員定数は24名]となった。
【今期で引退する議員】須藤紘一 鳥海茂太 木村勇一 佐藤伊ェ門 菊地富蔵 佐藤俊弘 山田登 小竹博男
【勇退議員の後継者と支持母体】
鳥海茂太(翔政会)→鳥海隆太 公明党→佐藤弘司 市職OB→小久保広信
鳥海氏外は組織の都合で入れ替が有る。
【新人立候補予定者】
鳥海隆太 佐藤弘司 小久保広信 海老名悟 渋間佳寿美 島軒純一 相田克平 生熊征一
【地区の噂から】
1. 通町地区にキナ臭い噂有り。
2. 三沢地区に新たな候補者の動き有り。
■ 結論として
最大候補者数 31名(現21・元1・新9)
最小候補者数 29名(現21・元1・新7)
31名が24議席を争うことになる予想だが、噂の2地区からの候補が出なければ、報道による29名の争いになるが、まだまだ候補者数は流動的だと考えるへきだと思われる。
散る桜組は7~ 5名となる勘定だが、落選の噂が取り沙汰されている現職議員は3~5名いることから、新人候補有利であることは否めないようだ。
一般的に各地で現職が落選、新人当選というパターンが多く見られるこの現象は「現職にたいする期待感を失しなっている」証左に違いない。
米沢市の新たなる再生のために、政治行政ともに無能な現市長側を向いている候補者は県会、市会の別なく有権者の英知と勇気をもって淘汰すべきものだと考える。その倫理感で春と秋の選挙を向かえたいものだ。

鬼のひとり言 ① 咲く花 散る花 うば桜

2007/02/27 (Tue)
今年は選挙年である。あまり選挙には興味をもたない老生である。が、政治ともなると滅法辛口の筆が踊る老生である。半年ほど前から取り組んでいる舞台戯曲「雲井龍雄伝」が、最終稿にさしかかっているという緊張の時を狙ったように電話や訪問客が増えている。
用件は一様に「今春の市議選の動向を探る」という類のものだった。そういえば「今年は選挙の年だな」と改めて気づく次第だ。
郷土の英傑雲井龍雄が貫き通そうとした政治理念とはどのようなものであったろうか。志なかばにして、東京小伝馬町囚獄の処刑場の土壇場に露と消えた若干二十七歳の雲井の「政治理念」を掘出したかった。
米沢藩以来「賊塊」として雲井の名は米沢において現在に至るも口にすることを憚られている龍雄である。
そんな事情からか米沢ゆかりの著者たちの雲井龍雄観は漢詩の卓越した詩人として評価し茶を濁しているようである。が、米沢藩が御身安泰を保持するがために雲井龍雄を「米沢藩の迷惑者、賊塊として新政府に売り飛ばした」事実を米沢市民には知られていないようだ。
彼の政治理念は[公議合体構想]である。つまり国体の百年の計を考えるとき、朝廷、徳川幕府を核とした「話し合いの政治」構想であった。現在の民主主義に近い政治理念である。勝馬に乗り錦旗の旗をかざした土佐藩もはじめは強硬な公議合体論を唱えていたが途中でブレた藩だった。
さて、近代的な政治理念を以て国中を東奔西走した雲井龍雄の辞世を披露して、地方とはいえ政治の場を志す候補者諸君に辛口の一言。
「先進国の議員はボランテアが大半である。もし、報酬が望めないとした場合、議員として議会に参画する意志はあるのだろうか?」
「死して死を畏れず 生きて生を偸まず---」とつづく辞世は男子たる者の覚悟のほどを示している。政治を志す者は太陽の恵みと同じような恵みを与えなければならない。自分が為してきたことは正しかったと信じているからどのような極刑であろうと憚らない。自分の政治理念は国体の核として永遠に国をまもるであろうから。
さて、候補者諸君らの「男子の大節」とやらを問いたいものである。候補者諸君にも「議員にふさわしくない人」もいれば「報酬泥棒の謗り」のある議員・候補者もいるようだ。
そこで老生たち「鬼の会」では現職議員の4年間の実績を有権者のために精査した上で提供してみよう。
米沢の伸張に必要な議員と、月給議員との区別は如何に。
「有言不実行・優柔不断・悠悠自適」型では迷惑するのは市民だ。出でよ! 雲井龍雄二世!

本家の猿知恵と闘う!

2007/02/16 (Fri)
「猿害」とは、本家の猿にとっては甚だ迷惑なことばであろうが秋の実りを侵害される農家にとっては大げさには死活問題なのであろう。そこで猿に危害を与えないで撃退することを考えることのほうが猿知恵に人間が勝るということになる。猿の天敵は「蛇」と「犬」と「狼」である。狼は絶滅してわが国にはいないから猿の天敵は蛇か犬ということになる。
老生は機会あるごとに「作り物の蛇」を畑に吊しておくことで猿は近づかないのではあるまいかと実験を試みることを勧めているが今以て「猿による被害の声はあるが、実験に踏み切った農家のはなしは聞かない。
猿山といえば高埼山の猿公園だが、過日、NHKの実験で猿の天敵は蛇という結論が出たのを見たことがある。
犬は猿のもっとも苦手とする動物である。したがって、犬を活用することがベターだと思ってきた。が、犬は繋いでおかなければならないという法律的な縛りがあって放し飼いができないことになっている。犬を畑の番犬として繋いだままでは、綱の長さを学習する猿知恵は犬の行動範囲を知っているから恐くはない。犬を活用するには犬の種類と多少の訓練を要するものだが、最大のネックとなるのは保健所の役人意識である。これもNHKのテレビで見たのだがある農村地域で猿害に悩んだ結果、猿の軍団が人里に現われるや一斉に犬を放して猿を山奥まで撃退する犬効果を知った。
生きた政治とは、時として法律を緩めることも大切なことだろうと考えるものだ。猿のテリトリーはいうまでもなく山奥である。問題の農場は人間の聖地である。このことに重きをおいて法律は施行されるべきである。ここに問題がある。なにも猿害を防ぐ方策も考えず実行もせずに「猿害だ!猿害に困った!」では猿知恵に劣るというものだ。
動物好きの老生は以前に「猿」を飼育したこともある。現在は2頭の犬を飼育するだけに止まっているが、飼育した動物に病気をさせたこともない。犬の不幸は紐でつながれていることで、したがって毎日の散歩が必要となるが、老生の飼育方法は紐につながないで伸び伸びと野性味を失わないよう飼育することだ。保健所のいう放し飼いでなく広い梱の中で飼育している。だから病気などの心配はない。猿の出現が困るのであれば、猿のテリトリーに帰す方策を考えればよいことだ。
かつて前市長に猿書に対する方策を尋ねたら、「天然記念物に指定されているもの殺すわけにはいかないからな」と答えた。老生は前市長は政治家ではないなと結論づけたことがある。天然記念物であることを踏まえた上で「猿害対策を考えるのが政治家というものだ」とは老生の独り言。猿を殺傷する他に猿害から農家を救うとい両面から対策を考えるのが有能な政治家であり市長なのではなかろうかと今も思いつづけている。

お役人の猿知恵にはかなわない!?

2007/02/15 (Thu)
本日発行の広報よねざわに広告掲載しているが[神の水]と呼ばれている医療効果著しい天然水素水の普及に歩いていると、老生の名前を知っている方々から「監査請求」の結果を聞かれることがある。テレビや新聞の報道で知られているのであろう。そこで老生は「お役人仕事には中々勝てないもんですよ。猿知恵が発達していますからね」と、答えることにしている。
老生(鬼の会)たちの請求は監査委員により「棄却」「却下」されたが、総括した結果は老生らの請求趣旨に過ちはなく市民ならずとも社会的見地から判断しても間違いはないと信じている。
① 市内の家庭廃棄物の量が年々減少しているのに、収集運搬料の支出が増加しているのは納得できない。
② その理由を精査するため支出の内容を公開しろと、情報公開法に従って市に請求したところ、市長名で老生に出してきた支払い明細書は数字が黒く塗りつぶされたものであったこと。
③ 老生らの請求趣旨は「なぜ値上がりしたものか」を精査するためには、数字が黒塗りであれば役に立たないものであり、わざわざ数字を潰して、公開に応じようとしない役人たちに疑惑をもったものであること。
④ しかも、半年以上も情報公開を拒否つづけたには薄暗いものを想起させていたこと。が、主体となっていたのが真実だったそれら一連の行為を不純だとして、住民監査請求を行なったものだ。
監査委員の判断とは別に老生らの結論は「やはり黒い影があった」のだ。
『項目を増やして支払い代金を増額していたことが判明』
この行為に関するかぎり「議会」に責任がある。議会を通過した補正予算の中に含まれていたものだったからだ。
老生らは予算そのものが不当であるとの監査請求であったが、監査委員は議会が認めた予算の中から業者支払いを行なっていたから問題はないとの結論になったのだ。
そこで大いなる疑問が残る。役人の項目の増減によって業者との癒着が合法的に可能になるという役人には猿知恵があるということの証明がなされたことだ。
本来監査委員とは議会通過した予算執行を監査するものであるが、現監査委員「渡部繁雄」「高橋義和」はその職務を怠った。
議会のチェック能力の無さと監査委員の無能の証左で市税の無駄遣いの現実であること。
以上の事実は市民として猶予ならぬことだと思われるのだが、市民は相も変わらずノー天気で怒りがない。本気で行政を注視しなければ役人たちの猿知恵はますます発揮されるのであろう。

地域社会の活性化のために

2007/02/14 (Wed)
過日、「寒鱈を喰う会」を15年ほど主催しているという[御堀端史蹟保存会]の世話方をしている知人に頼み込んで参加させてもらった。遠山に近い会場には常連であろう50人ほどの参加者が集ってのイベントだった。本年は選挙の年ということで地域を票田とする市議会候補者の顔もチラホラ見えていたが、大方の参加者は老齢者が多かったようだ。お互いに利害関係のない人たちが集い合っての会合は、催しの少ない米沢市内では気宇の会合だといえよう。特別な挨拶もなく、特大の寒鱈を大鍋二つに季節の野菜とともに煮込んだ鱈鍋をドブロクとともに胃の中にブチ込む爽快さは若者に食べさせてやりたい旬の季節料理だと感じ入った次第。
主催側も参加者に楽しんでもらいたいという企画も用意されていて大型のシンビジウムや豪華賞品の争奪戦をビンゴゲームで展開、会場のあちこちから「リ-チ!」などと勢いのよい掛け声が出る。
おさだまりのカラオケ大会に合わせるように鍋底を突く者もいて二つの大鍋には汁すら残らない盛況さだった。
参加者の常連が漬けたものであろう、若者たちが敬遠する漬物の旨かったこと、遠山名物の雪菜も用意されていて主催者の心配りにほのぼのとした感慨を強くしたものだった。
この会合には一片の利害関係もなければ理屈もない、まして政治的な匂いもしない、ただ和気藹々と知らぬ同志が主催者の心づくしの寒鱈鍋をお茶椀に盛って噛り付くだけの原始的風景がそこにあるだけ。わが市の中央部では考えられない素朴な会合なのである。
郷土には後世に伝えたい風習というものがあるとすれば「秋の芋煮会」などであろうか。芋煮会には地域によって牛肉を使う地域と豚肉を使用するところがある。会津若松市の芋煮は豚肉オンリーである。自慢が高じて会津若松の知人宅で老生が牛肉を使った芋煮を作るはめになった。
場所は鶴ケ城を間近いにした元外交官の別荘であった。市長はじめ助役、会津の名士がゴマンと集まっての「米沢流芋煮」を味わう会と命名された会合だった。
名々、言葉もなく丼二杯分を腹におさめてのたまったものだ。「やっぱり豚肉の方が腹に落ちつくな」だった。なるほど、会津地方は馬肉が主流で、町の肉屋で牛肉は買えない。肉屋にあるのは豚と鳥と馬肉だけである。どうしても牛肉が欲しいときにはデパートまで出掛けなければならない。米沢牛は一段と高い値をつけて売っている。幸いにも米沢の肉屋さんでは昔から牛肉が主役を努めていた。
そんなわけで会津では二十歳になって牛肉を初めて食べたなんてことはないようだ。荘内には伝統的に寒鱈があるように郷土には牛肉がある。どちらの食物も地域的な交流の場で役立てたいものである。無論、一切の情念を払って利害の存在しない集いは楽しいだけで意義がある。

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