実りの季節を向かえて

2006/07/31 (Mon)
小生の事務所は閑静な住宅街にある。車の騒音もなく駅に真っすぐ延びた市道沿にあるが、20年代に市が浜田酒造に売り飛ばしたことから市道は途中から中断され不便を感じている。おまけに道幅が狭く除雪区域外になっている道筋にある。近所の赤松の枝にカラスの巣があって早朝から新生カラスが餌をねだる鳴声で朝がやってくる。
去年まではカラスに代わってアブラ蝉の鳴声が朝を告げたものだが今年は常連の声をまだ聴かない。
農家に嫁いだ姪から夜に電話が入った。「キウリがなぜか大量にとれたので食べて手伝ってほしい」というものだった。妻と二人家族では食べきれない大量のキウリを車で運んできてくれたが「朝、畑に出て異常な実りの多さに驚いた」という。
妻はさっそく大量のキウリを漬けこんでホットしたようだったが翌朝になってまたもや大量のキウリが届けられた。旬の野菜はことさらに旨いものだから有り難かったが、今年の梅雨は例年とどこかが違うような気がしてならない。花壇はドクダミの花に占領され、前の空き地には野性のコンフレが繁茂している。
各地に被害をもたらした梅雨があけると「実りの季節」となる。が、折角の実りも猿や熊などの餌食にされる恐れがある。毎年のことだが防ぎようがないのだと栽培者は嘆く。動物愛護協会が出向いて「人里にきて悪さをするな」などと話合いをつけてくれればいいがただ「動物の命」だけを主張しているだけで、被害にはトンと知らぬ顔である。そこで地元の対策ということになる。
「猿」の天敵は「蛇」であることがNHKの実験で証明されたが大量の蛇を野離しするのも考えものなので、ゴム製蛇の効果はどうであろうか。福島の住人の話によると「動物の作物被害はどこも同じだが、サファリパークで飼育されている猛獣の糞を畑の傍に置いたところ被害はゼロになった」と被害農家が口を揃えて語っているというのだ。
陸に住む動物の頂点は日本狼だった。日本狼の絶滅によって動物の生態系が崩れてしまった結果が現在の作物被害なのだというのは動物研究家の鳥海隼夫氏だ。
モンゴルで開かれた「国際狼学会」に出かけられたがその帰国談だ「アメリカでは農家の抜害が多いのでシベリヤ狼を輸入して繁殖している」のだという。
人間のご都合主義が招いた結果だから、その解決には人間と動物とがどの辺りで接点を見いだすのか相互で決める問題でしかないようだ。それには動物愛護団体の仲介が必要であろう。ともあれ冗談を抜きにして「猛獣の糞」の入手を考えてみる必要があるのではないだろうか。

インターネットの功罪?

2006/07/28 (Fri)
南陽市の市長選を展望した本会の政治理念が、電波を通して全国に発信された。問題は小生の文言に尾鰭をつけた文書が大量に南陽市内にバラ撒かれたということである。本会のネット発言は選挙妨害には抵触しなかったとしても、結果論だが落選した荒井元市長の陣営にとっては命取りになった元凶だと騒がれだした。改めて本会HPの影響を知らされたものである。
HPに掲載した内容の全ては南陽市民からの行政批判であり、それを裏づけるかのような毎日新聞の記事などであった。
小生の文体を熟知している県警特捜からの電話が事務所のベルを鳴らし、南陽署からは刑事課の訪問をうけた。つい最近に至っては某政治結社からの電話が「相手陣営からナンボ貰った?」という電話さえも舞い込んでいる。
本会のHPが南陽市長選挙の当落に影響を与えたことは確かなようだが、各新聞社にも抗議らしき行動は来ているのであろうか。
騒ぎの原因は「まさかの落選」に忿懣やるかたない荒井元市長の行動にあるようだった。
当選証書を手渡す式場で、普通はありえないことだが落選者の荒井元市長がきて忿懣をぶちまけたというのである。荒井氏いわく「亡くなった実弟のことまでとやかく書くことはない!」と怒りと悔しさをあらわにしたというのであった。本会のネット掲載の内容が思わぬ落選した元凶だといわんばかりだったようだ。
本会のアクセス数は本日朝の集計では[224,600]を超えた数字を示している。地方発信のアクセスとしては驚異的な数字だと評価されている本会のHPではあるが、こと市長選挙の当落を左右するまでの影響力があったとは思ってもみたことはない。が、事実が証明するのであれば認めないわけにもいくまい。
かつて小生は「北方公論」なる新聞を発行して県議会議員の行状を追求した過去があった。追求された4議員は発行者小生に対して名誉毀損で戦いを挑んできたものである。
新聞紙上やTVが派手に報道したから当時を存じている方もいるだろうが、新聞各社の取材に小生は答えた「名誉毀損だと?法廷で堂々と戦いましょう」とする小生の態度に翌朝早々に訴訟を取り下げたという過去があったことを思い出した。
本会の政治理念は「主権在民」である。したがって、行政の在り方が「常に市民の側に立っているか」が視点のバックボーンとなっている。
「言うだけ」ならだれにでもできる。匿名をいいことに低俗な書込みをしてくるひ弱なザワネズミどものような人間を限りなく繁殖する現代の機構である。が、本会は正義ある市民の声を行政に反映させるためにHPを作ったものであり、ネズミどもの遊び場ではない。
行動を起こさないかぎり政治行政を動かすことはできないものである。行政は必ずしも「主権在民」であるとはかぎらないものだ。むしろ「主権」は「行政職員」のためにあると勘違いするほどの露骨さである。主権は市民たちの手で奪還しなければなるまい。そのためにはほとばしる正義感と強健な意志に支えられてこそ成就するものだと信じている。
郷土米沢市のつつがなき発展を願い、その願いに逆行する議員や行政当局を糾弾する気概のある風土を育てなければ郷土の伸張はない。これが本会HPで掲載する文言の理念である。したがって本会は米沢市のつつがなき伸張を望むあまり、現市長の行政能力に多大なる疑問をもつと同時に「市民のためになる行政者」ではないとして、来年秋の改選時まで、市長としての安部三十郎氏を追求しつづける所存だ。理由は「行政能力の欠如」にある。
「一期4年でやめさせるのは可愛そうだ」とか「4年間は勉強の時間だ。本領発揮は2期目からだべ」などの安部市長養護論も耳にする。しかし「4年間で発揮できない人間が5年目から実力を発揮できる保証はない」また、能力に限界があるのは人間の常だが、知恵ある人間であれば他人の知恵から学ぼうとするものだが、能力も知恵さえも枯渇した人間でありながら、他人の意見に耳を貸す度量もない。彼の行動は唯我独尊であって「市民側の市政」を装うだけでパホーマンス的な行動があまりにも目立つのだ。
本会の主張は「市民に視点をおいた地方自治」に徹すべしである。市長が本会の理念を踏まえて「市民に視点」をおいた市政運営に努力するのであれば当然ながらその姿勢なり成果なりを脚色することなくHPに掲載する。
まず、庁舎内に飾ってある「自由の風」なる安部個人の旗を撤去せよ。庁舎使用規定の中では「何人なりとも庁舎内に展示してはならない」という縛りがある。(但し市長の許可があれば許される)とあるが、裁量権者は自らを裁かないのは法の常識である。
但しの項を適用するのはあまりにも恥ずかしい行為だとは思えないのであるか。裁量権者が自らを有利に裁くのは「独善的な行為」だといい「自らの恥部」を市民に露呈するものだ。これ以上の恥を曝すなということだ。
米沢市にとって計り知れない経済波及効果と利便性をもたらすであろう「佐藤病院」を撤退させた論拠を示すことだ。
「個人情報漏洩」事件の真相を明らかにして市民を納得させること。
「誓願の扱いは市民の納得いくように」すべしこと。議会軽視につながる問題だからだ。
インターネットで配信される本会の新着情報の効果は予想を上回るものであったことに驚きと同時に責任の重大さを感じている。今後ともにHPを市民側の立場から発信を続けるつもりである。
米沢市の再起は来期の市長選挙と前段階での県会・市会議員の選挙にかかっている。市長のみならず議員各位の選挙に関する情報も適確な時期を選んで掲載していく。
南陽市長選挙での効果に驚いたが、警察だけでなく政治結社からの介入もあり、正義感を貫くためには身の危険も合わせて考慮しなければならない立場にある小生だ。が、安易に屈伏するわけにはいかない。

理解に苦しむ環境生活課の態度

2006/07/27 (Thu)
米沢市が市民から収集運搬する資源物の年間総量数は、市との契約によって米沢再生資源協同組合の台貫で計量して累積計算することになっている。が、規定の台貫では一度も計量は行なわれず、収集運搬を随意契約した業者の台貫で総量をはじきだしてきた。結果は業者がはじき出した数字であるだけに信憑性に欠ける総量であることが、後日北関東通商との入札制度によって判明することになる。
見積もり入札にあたって、市が示した総量は前年度まで随意契約業者がはじき出した総量による数字たった。これをもとに落札した北関東通商が困惑した。
実際の数量は行政が見積もり時に示した総量とは全く異なり40%もの減量となっていたのだ。資源物は量の多小によって相場が異なるものだ。だから40%もの減量によって大損を被る結果となった。が、おまけに随意契約業者の嫌がらせによって市民が分別したにもかかわらず北関東通商の手に渡ったものは分別されていないゴミ同然の古紙類だった。
こんな品物をメーカーが引き取るわけはなかった。北関東通商は「きちんと分別されてこそ商品である。混在したものは商品とならずに単なるゴミ扱いとなる」と見積もり入札の第1ラウンドは北関東通商と行政との綱引きに終わり、資源物をゴミと化した随意契約業者への指導はいっさいなされなかった。
そればかりか、その責任を山大学生対象のアパート業者に転嫁した。その結果、アパート業者より抗議があり、行政は始末書きを出す羽目になった。
一般廃棄物処理業の新規許可を出さない理由に「新規業者は不法投棄などの心配がある」と吉田部長は議会で言い切ったが、行政が性善説とした既存の随意契約業者とは、実は性悪説で扱わなければならない業者であったようだ。
計量計算を業者に任せっぱなしであったために、総量の40%が減量されている事実を踏まえて行政は「北関東通商らの業界参入や新聞販売店などが独自で古紙の回収に乗り出したせいだ」と、今もって業者養護に熱弁を奮うが、折れて行政の言い分を100%信用することにしよう。
ならば市民が出す資源物の減量がつづいているという現況から、前年度より収集運搬料を200万円増額して拠出した事をどのように説明するのか。減量に対して費用の高騰とは素直にうなずけるものではない。
増額は不当支払いの疑い有り「拠出内容および金額を示すべし」と情報公開を請求したが、行政が出してきたのは既報のように墨で黒く塗りつぶした書類であった。
このような行政の情報公開方を不服として「情報公開審査委員会」に提訴となった。以上の如く「お上に逆らうような市民の態度」に行政は徹頭徹尾嫌がらせをするものであり、行政の行為は言語に絶するものがある。
行政はここまで本会に追求されながら更なる既存業者保護にシャカリキとなっている次第だ。
南陽市の選挙結果でもわかるように「市民を舐めきった市長」であるならば市民は落選という形の報復となってあらわれてくる。さて、行政のセクト主義に泣く多くの新規許可を求める業者に光明があたる日が来るのであろうか。
請願採択はもとより最高裁の判例にすら従わず、勝手な解釈をして「あくまでも許可を出さない」とした裁量者安部三十郎は、気の毒なことだが市長の二選は絶望的だと覚悟してよい。
「不透明なポリ袋に入った廃棄物は収集されない」という現実がにわかに町の美化を妨げて、市民の話題となっている。それに対して「市の公報で通達している」と担当職員は言うが、「法」の定めるところによると「廃棄物の処理は市町村の責務」となっている。
したがって、担当職員たちは自分たちの職務だとして、まさに不法投棄がなされたようにうず高く積まれている廃棄物を放置しておかないで即刻廃棄物の撤収処理に動くべきである。
虚言を弄してまで「法の定めにより新規許可は出せない」と許認可権を行使するまえに「法の定める職務」を遂行すべきであろう。

全市民に公開したい「情報公開」の録音テープ

2006/07/26 (Wed)
「一般廃棄物収集運搬業」の許可を巡って本会と行政側とは永年の争いとなっているが、担当課長は「許可を出せない理由は関係省庁から通達が出ているからだ」と説明する。そこで本会は通達なるものの存在を示すよう「情報公開」を行政に申し出た。このやりとりの実況テープが「一般市民に公開したい」という本会の要請に行政側からダビングされて届けられた。録音を申し出たのは行政側からで、理由は「重要な情報公開であるからだ」という。ところが行政が本会に示した通達とは平成4年の日付だった。以下テープを再生して情報公開の模様を聴いてみた。・本会「現在は平成18年だ。平成4年度の古い通達を以て、何故許可を出せないとする理由が成立するのであるか?」
・行政側「古いとしても法は生きているのです」
・本会「法の解釈が不合理だとして石川県松任市で裁判が行われたのですよ。一審・二審ともに許可を出さないのは違法だとして最高裁までもつれ込んだ最高裁の判決は平成16年1月15日です。判決の内容は、許可を"出す出さない"は地方自治体の首長の裁量にあるから国は関与しない。したがって許可を出しても出さなくても違法ではないと言うことですね」
「一審・二審ともに、許可を出さないのは違法だとの判決の重さを行政は何故素直に受け止めることが出来ないのだ」
・行政側「許可を出さないことも違法ではない以上、行政は許可を出さない方針です。理由は市内の廃棄物を処理する能力は現在の許可業者13社で間に合っており、これ以上許可業者を増やせば既存業者の十分な利益の確保が困難となるからです」
・本会「許認可権は自治体の首長の裁量とあるからには、業者からの許可申請については安部市長が判断しているのか?それとも部課長の判断であるや否や?」
・行政側「・・・・・・」
担当者は 一切ロを開かないのだ。このように行政側との折衝は堂々巡りするだけで 2年間が過ぎた。
法は「許可を出すことは違法ではない」と定めているにも係わらず、行政側は「法により許可を出すことは出来ない」と答え、許可業者の処分料は「業務を継続するに足る金額」と定められているにも係わらず「十分な利益を確保してやらなければならない」と答える。
このように法の解釈をねじ曲げてまで既存業者を擁護する行政側の態度に、その裏側にある黒い物を感じ、市民としての不快感と行政不信は増すばかりである。

当選証書授与式に荒井落選市長同席(南陽市)

2006/07/25 (Tue)
選挙の結果、当該選挙委員会は当選者に当選証書を手渡す式典がある。通常、当選者以外は出席しないものらしい。が、南陽市で行なわれた当選証書授与式に落選した元荒井市長までが出席して何がしかの忿懣をならべられたということであった。本会の掲示板に小生が書いた「南陽市長選に関する」コメントと中身が類似した怪文書まがいの出版物が荒井落選の導火線になったという趣旨のようで、事務所に南陽警察署の刑事課の職員が面会にこられた。
本会の掲示板に掲載された内容の出所を知っておきたいとの申し出だった。無論、出所を明かすわけがないことは先刻承知した上での面会である。
ましてや選挙ともなれば、有権者に事実および実態を知しめ投票行為に役立てたいと思うものである。幸い南陽市に限らず本会の事務所には電話や投書が舞い込んでくる。それらは必ずしも正常な人のものとはかぎらない。
毎度、本会掲示板を汚している匿名氏の書込みのような無責任で低能なものもまでもが寄せられてくるから値打ちのあるものについては必ず裏をとって確かめる。発表するまでには手間のかかる仕事である。
南陽市の場合、荒井元市長のプライバシーは別にしても、剛腕行政は市民のためにはならないと判断したから掲示板に掲載したものであって他意はない。
小生を名誉毀損で告訴するなら喜んで受けて立つという気構えはある。
米沢市の場合「国保未払い議員名」漏洩事件の場合を考えてみよう。
議員の未払いに関するかぎり国保担当課職員によって朝日新聞に漏洩されたのは確実である。小生は職員の名を公表しその後の結果を待った。
だらしないのは公表された4議員であり議会の対応にあった。このような大事件を究明できない「腰抜け議員と尊厳なき議会」に忿懣を禁じえないが行政の長たる安部市長のダンマリは何を意味するものであるか。安部行政の失態による警察介入に恐れをなしたからにほかならないからだ。
「世間の噂も75日さ」ではすまない問題である。リークされた4議員たちも正当な行動を起こさなかった裏にも理由がありそうだ。それはプライドの欠如にほかならない。
こんなプライドに欠けた議員に市政の何がわかるというのだ。市民には腰のひけた議員たちに生活給を恵まねばならぬ義理はないのだ。
どっかの教育委員会のように小学校教諭のチカン行為を3度にわたって隠蔽に終始し頭を低くして嵐の通りすぎるのを待つ行為に類似した議員であり議会であり行政なのである。
これを以て市民感情は議員定数削減問題にいかなる考えをもつのであろうか。

議員定数削減に揺れ動く各会派の動向?!

2006/07/24 (Mon)
議員削減は議員たちにとって死活問題にも通じる大問題であろう。できれば削減どころか定数増の問題がベターなことであるはずだ。小生は議員削減については不賛成の立場をとる。理由は削減することによって必ずしも有能な議員だけに絞られるという保証はないからだ。選挙という市民の選択を受けて議員になるわけだから選択する市民の選別する確かな眼力が問題になってくるというわけだ。
前回の選挙結果から定数削減にあてはまる議員たちにとって削減はいただけない大間題であろう。だからといって日本全体が費用対効果をうたって行政改革真っ只中のおり、米沢市だけを例外扱いにするわけにもいかぬ。
そこで会派別に削減の議長答申の概要を精査してみた。
■ 保守系第一会派、翔政会(鳥海茂太)は「削減賛成」
■ 第二会派、自公クラブ(伊藤亮一)は「議会と当局が同時に削減する強い行政思考で望むなら」との条件つきで同調。
■ 櫻鳴会(佐藤俊弘)は「削減やむなし」と慨賛成。
■ 革新クラブ(佐藤伊左エ門)は「現状維持が多数意見」
■ 無会派(共産)は「現状維持が妥当だが、議会経費がかかりすぎるならば報酬削減を検討すべきだ」と削減に反対。
削減数を6人と主張してきた翔政会は、「検討する余地あり」とここにきてトーンダウン。櫻鳴会は「市民が驚くような削減数で強く訴えることが必要」だとしている。益々意気軒昂ぶりをみせる。
このほかの諮問では「政務調査費」は現状維持。海外視察は「現状維持」「廃止」の両意見を並べるようだが?
米沢市の議員は当初36名定員であった。2度の削減によって議員数が28人になった。4名ずつの議員削減は議会には4委員会があることに起因する。その比率を踏襲するならば議員削減後の定員は24人となる勘定だ。
ここで問題となるのは自公クラブが掲げる「当局が市職員の削減を強い意志で望むならば」その結果をみて考えるとの条件つけての削減同調。要約すれば当局が市職員を削減する数に応じて考えようというわけだ。
おかしいのは「議会」と「行政」はもともと性格の異なる組織であるはずだ。それを「市職員の削減の結果をみてから、議員定員を考える」とする考えには素直になれない。
議会はあくまでも議会独自の定員削減を検討すべきことで市職員の削減とは異質なものである。
このような駆け引きを持ち出すこと自体が議員資質そのものの問題なのである。
この会派は国保未払い議員の朝日新聞漏洩騒動までは議会内では最大会派であった。以後、分裂して会派の名称も一新した。騒動の原因となったリーク職員の名前が公然化した時点で、職員と縁戚関係にあった議員が会派を離脱したことによる。策を弄する会派らしく一筋縄では納まらない議員たちの集合体なのであろう。議会でも曲者揃いの安部市長派だと自認するメンメンのようだ。筋金入りの論旨に欠け、駆け引きを以て最大の武器だとする会派である。したがって削減数を出さない。最大会派ながら正副議長・監査委員の3椅子を失した、策に溺れた強欲な会派だとされている。
当該会派から参議院議員に立候補すると「噂の高い議員」もいる。が議員として第一、明確な政治信条が疑わしい点では安部三十郎氏と同格だとの噂も議員の口から飛び出してくるようでは先が思いやられる議員だ。

「国民のため、市民のためになるか」法解釈に私心を入れず素直であれ!

2006/07/22 (Sat)
前報の新着情報を一部訂正しなければならないようだ。南原での会合の中で市民からの発言に安部市長は声を荒げて会合を中座したと書いた。その後会合に出席した別の方に事実を確かめたところ「市長は会合が終了するまで在席していた」ということである。中座という点に違いはあるが「なぜか市民の質問に対して突如、興奮気味になり意味不明の文言を吐いたことは覚えている」ということだった。言葉は相手に意が通ずるために存在するものだ。同席した人たちの多くが市長の吐いた言葉に「興奮して意味不明」と捉えていることから当該会合での市長は何を言おうとしたのか参会者にとって「言葉」としては受けとめておられなかったことになる。
そこで市長が参与として福島大学から招聘した某教授の講演を思い出す。参与なる某教授の講演会を主催したのは米沢信用金庫だった。
教授の講演の中で安部市長のことに触れている。「安部市長に参与として招かれ米沢にきたが、米沢市の組織図に参与という位置がないのだ。したがって参与としての立場は米沢市では宙に浮いた存在のまま月額7万円の手当てを頂戴するに過ぎなかった。
安部市長という人は不思議な方で、一体何を考えている人かわからない人だ」と講演会場で話されているのだ。その教授は参与を辞退されて福島に帰られている。
小生の推測するところ、安部市長は他の諮問機関とは別に安部個人として相談役的な立場を求めて2名の教授を米沢市の参与として招聘したのであろう。が、前例のないところから米沢市の組織図に組み込むことができなかったのであろう。しかし、安部市長は2名の教授から地方行政を学ぼうとしたに違いない。ところが安部個人の性格から、他人の意見に耳を傾けることが病的に苦痛な人らしく、取り巻きの議員らによる諌言にも耳を貸さないのだとも聞く。
狭量な性格である以上、市民の意見を聞く耳をもたない市長の性格が乗り移ったものか生活環課の「こう言えば、ああ言う」といった頑固な課長にも困りものだ。
請願が採択されたにも拘わらず「新規の許可は出さない!」という一貫した主義が課内のバイブルとして信仰にも似た状態でつづいているのだ。それほどまでに一図な随意契約業者保護態勢に「許認可権をもつ行政の傲慢」さに呆れて言葉さえも失いそうになる。
「随意契約業者」を護り抜く気迫が行政にあること事態が何かを感じさせるものだ。彼らが金科玉条としている「法律」にさえも逆らった解釈をして毅然としているのだ。「市民のためになるか否や」などの行政的な判別などは「猫に小判」「馬の耳に念仏」なのである。
今回の「情報公開」の席上で課側から「重要な会議になる」ということでテープレコーダが持ち出されてきた。会議の模様を録音したテープは「市民に公開したいから」と、テープを要求しているが「ダビングしてないから」の理由で小生の手元にはないが、是非、市民に聞いてもらいたい内容の会議模様なのである。
課としては表に出せないことは必至であろう。録音されている内容はすべてにわたって行政側の市民無視の会話がつづくからだ。無論、市長にも開示できないのであろう。
小生の言葉で明確に安部市長の行政能力の欠如や行政の独善を指摘し「来期は市長を必ず市民の手で代える!」などの文言が録音されているからだ。
さて、「許可を出せない理由」として出してきた環境庁からのお達しの内容を小生らに示した。
文言の最後に次のように明記されている。
「一般廃棄物処理業者の事業の安定及び育成に配慮すること」行政側は「事業の安定」に重点をおくが「育成」に配慮することを無視している。
法はまさしく「既存事業者の安定」とともに「新しく参入する業者の育成」にも配慮すべきだとしているのだ。行政の国語力欠如であるか当該職員たちに限定された能力のなさか、いずれにしても「法解釈に無知」は許されない。
昨日の「情報保護審査会」は市民メンバーからなる審査会であるが、本会としては2度目の審査会となる。
本会が求めた「情報公開」の趣旨は、業者に支払った項目別の金額であった。既報のごとく行政が公開してきたものは「項目別に列記された金額がすべて黒塗りされた金額不明の支払い表」だった。
支払った明細を開示できない理由の本意とは何か?
本会は随意契約業者に対する利益供与ではないかとの観点にたっての公開請求だった。それが黒塗りでは疑義が深まるというものである。
そこで安部市長を相手どって審査委員会に情報の公開の是非を訴えたものであった。いかなる判断が出されるものであるか。
かつて、小生が娘の学校でPTAの理事に推挙された時期のことを思い出す。指定された日曜日に「父兄と語る会」に出席して驚いた。議事進行係というのが全て母親のである。そこで質問してみた「あなた方は男ですか?」議長格のご婦人いわく「家の人は学校のことは私に任せているもんで」と答えた。「学級委員を選出名簿に父兄の名前と職業年令だけが明記してあって、そこから○×式で選んでいるはずなので、あなた方の名前は学級委員選出資料に載ってはいないのです」「私たち学級委員は父親が忙しいので代行しているのです」そこで小生は「PTAって何ですか?」と質問したら当該議長役の学級委員のご婦人が驚いたように叫んだ。「あんだ、PTAしらねえの」小生は「PTAなる語源ぐらいは知っていますが、不思議なのは就学する子供がいないのに長らくPTAの会長とはおかしくありませんか?」
事の成り行きを見にきた教頭が背後から声を発した。「PTAの発展は地区の有力者に会長をお願いしているからだ。したがって、立派な校舎が建つのです」さすがの小生も理不尽な会合の性格に腹が立った「バカ野郎!学校は教育をするために法に基づく国家の義務行為だ、何が町の有力者がいるからだ!」教頭は早々に退散していったが、小生の発言がキッカケとなって燃え上がった会合が延々とつづいて、用意してあったPTA役員たちの懇親会ができないような始末に慌てだしたのがなんとも可笑しかった。
そんなことが小生を理事に推挙することになったのだろう。最初の理事召集は「決算案の審議」だった。一般社会では「予算案」はあるが「決算案」というのは初めてだった。内容は「支出の項目をどう処理すればよいか」であった。
たとえば「先生全員に出している月々1000円の図書費の扱い方。給食のおばさんのエプロン代、教員の希望で設置した電話の設置費用などなど」であった。支出したものであれば明確に決算書に乗せるべきであってどうこう審議すべきものでもあるまい。問題は表面にだせない支出があることだった。エプロンやら図書手当てやら、電話の設置費用なのであった。
小生はその場で理事を辞任したが、神聖であるべきPTAの中身に大いなる疑義を抱いたからだ。このように毒されたPTAであるならば子供たちを任せてはおけないと思ったが、せめてわが娘3人が卒業するまではと、PTAに監視の目を怠らなかった。
そんな小生のご機嫌をとるかのように学校誌に依頼され原稿を書かされたが「PTAの本質」にふれている内容から当然ながら予想通りボツにされた思い出が残っている。
「みんなのためになるかどうか」を基点に常に行動をしたいものである。

南陽市長選挙・現職敗退、新人当選

2006/07/21 (Fri)
任期満了にともなう南陽市長選挙は、14日投票即日開票で行なわれたが投票率が最低を記録し、新人で元市議会議長の塩田氏が3期目の椅子を狙う現職荒井氏を破って当選した。この選挙は荒井市長の独裁市政を良としない塩田氏の当選となったが、塩田氏は以前荒井選挙陣営の選対幹事長を勤めていた人物だったから、市民からは捻れた選挙戦と見られていた。
市議のすべてが現職荒井陣営に傾いた選挙戦だっただけに大方の予想は、始めから勝負にならない荒井氏圧勝の3期目当選が確実視されていた。が、開票の結果は僅差ながら現職の落選となり、南陽市民は新たな市長を誕生させた。
予想は種々あろうが、小生は現職敗退を予感していた。その理由は「現職強し」の風評と平日投票によって大方の市民が投票所に行かないだろうという考え方からだった。わずかな市民層だろうが、荒井市長の市民無視と議会軽視を許さなかった勇気ある判断が勝利を導いたのであろう。
近年の選挙では市議会議員の多数を擁した候補者が敗退しているようだ。その理由は支援議員が本腰を入れて候補者を応援しないからだ。候補者の支援より自分の陣営をさらけだすことのほうに不都合が生ずる局面を恐れるがゆえに議員達は他力本願を貫くだけにとどまる。その結果が落選となる。
米沢市では、「出前市長・南原の乱」が情報として小生に流れてきた。
南原に於いて「市長と語る会」に参集した地元民の話だが、参集した人の中から市長に対して質問が出された。「近くの豚舎と牛舎からの悪臭はなんとかならないものか」という問い掛けに安部市長は声を荒立てて切り返し、会の途中で退座したという。
何に苛立ち、何を答えて途中退座したものか参集した人たちは全く理解できず、ただ唖然とするばかりで、そんな市長の態度に参集した人たちは「安部総スカン」の会合で終了となった。これが「殿ッご乱心」南原の図だったという。
途中退座の原因は、当日の「語る会」の会場に来期の立候補を噂される地元の「野村研三氏が顔を出したからではあるまいか」とは穿った見方であろうか。
議会・参与・職員も含めて、だれの意見にも耳を傾けることなく唯我独尊を地で行く安部市長の「度量のなさにはただ呆れんばかりだ」とは参集した市民の声だ。
市の規定を無視し、我にだけ優位な解釈をして「自由の風」なる旗印を庁内にかざして恥じない市長であり、何をかいわんやである。
このように行政能力の欠如した人間をわが市の首長に据えた、米沢市民の判断が問われる次期市長選であろう。
小生ごとで申し訳ないが、毎日々々の依頼原稿との格闘から、目に疲れが出てきた。そこで眼科の診断を仰ぐ結果となり新着情報が途切れがちとなったというわけだが、本日(20日)は意気軒昂にして「情報公開委員会」に出向き、予算執行後の明細を公開しない行政の不当に意見陳述をしてきたばかりである。
言うだけなら誰にも出来るが、自分の吐いた言葉に責任を持ち行動に移す人は少ない。書込み氏の大方が、姑息な態度の無責任であることに嘆きを覚えるものだ。

南陽市長選から・市民の関心はいまひとつ?

2006/07/13 (Thu)
現職の荒井市長のリコール選挙ともいわれる今回の南陽市長選挙戦は市民からの盛り上がりも低く、全く低調な選挙戦だといわれてきたが、投票日が近づくにつれて市民の盛り上がりが見えてきたようだ。三期目の市長の椅子を狙う荒井候補だが、執務をよそに賭けゴルフ三昧と市民からのそしりも多い。
市民無視、議会軽視といわれ、加えて多彩な女性問題も多く、市の職員たちからは「キム・ジョンイル」と呼称され、県からは「タリバン、アラバン」と言われて相手にされない市長だったと市職員が語る。
選挙告示前から、大方の市議会議員は荒井候補の恫喝を恐れると同時に荒井候補の金づるに群がり荒井陣営に参集したのだとも語る。
一方、塩田侯補は県の青年団長出身らしく、青年団OBの結集を中心とした陣営を構築している。が、市議の選挙より規模の大きな選挙を経験したことのない陣営だから選挙戦術に差が見られるようだ。
今回選挙の争点となるのは、共同斎場「緑が丘」の使用権がまだ22年も期間が残っていながら市が拠出した9500万円を捨ててまで「公約だ!」として約4億円の巨費を投じて南陽市に新斎場「しろぎく」を建設し供用を開始したことにある。
新斎場の建設に関しては議会の承認もうけず荒井市長の独断先行の形で発注されたものである。
このような場合、議会は紛糾し市民無視に決起するものだが、南陽市の場合にはそれが見られないのだ。選挙の結果はどうなるものか14日の開票結果が待たれる。
南陽市といえば、現職の県会議員武田誠氏の名が市民の間から「南陽市の財政逼迫を招いた直接原因の議員だ」との声が聞かれる。そのことが如実に市民に反映した8年前の選挙では武田議員と深い親交のあった現職市長が敗退した過去がある。
一見して低調に見える選挙戦だが、南陽市民にも反骨精神があるようで、土壇場での市民の巻返しがあるのかも知れない。 人は権力の座に着くと「奢りと自我が剥出し」次第に自己の均整がとれなくなってくるものだと経験者はいう。権力には魔物が潜んでいるのだという。
さて、米沢市の場合、来秋の市長選挙はどうなることやら、市民の盛り上がりは? 議員たちの陣営構築は?
「行政能力もなく、人の意見に耳を傾けない」と評されている安部三十郎現職と立候補を噂されている元県議野村研三氏の二人が確実視されている。
市民の声を聞いてみると「現在の情況では安部でなければだれでもいい」という声が多い反面「いや、農村の婦人票は安部に集まる可能性がある」という声もあって、年明けを待って政争米沢市の幕開けとなるのであろう。
南陽市の開票結果によっては来年の米沢市長選挙の予想も立つだろうし戦術面での考慮もなされるであろう。
こと市長選挙に限らず問われるのは有権者の投票する姿勢だ。

南陽市長選を展望する! 独裁前職と改革派元議長との一騎打ちに市民の反応は?!

2006/07/08 (Sat)
南陽市長選挙は本月4日に告示され、14日投票即日開票により新らたな市長が選出される。今回の市長選挙は現職荒井市長と新人の塩田氏との捻れ選挙となった。
塩田氏は元議長を2期つとめ、荒井市長の選対幹事長として辣腕を奮い、荒井市政を支えてきた現職市長の側近である。
捻れ選挙の最大の要因は「新斎場しろぎく」の建設にあるようだ。
毎日新聞はこの斎場建設を巡って、荒井市長の独走とも思える斎場建設について次のように報道している。
もともと斎場のなかった南陽市は長井市と飯豊町が共同で経営している「緑が丘」斎場に参加し応分の維持費を拠出して斎場を使用していたが不都合は起こらなかった。ところが、荒井市長は突然「二期目当選の公約だ」とてし「新斎場しろぎく」の建設構想に踏みきった。
建設費用は4億弱。だが建設にあたって議会承認を受けない着工であった。これには市議会も怒った「議会軽視もはなはだしい。荒井市長の独裁行政を許すべからず!」市民も怒った。「緑が丘斎場に支払った9500万円はどうなるのだ!」これに応えて助役の答弁は「返還を求めない」であった。
長年の「箱物」行政で南陽市は極端に財政的逼迫をきたし、「箱物」行政を自粛した行政態度がみられてきた。そこに突然、新斎場建設計画が市長独断のかたちで実行されたから「議会軽視、市民無視」の声があがるのは当然のことだった。「緑が丘斎場」の契約満期はまだ22年も先であるにも係わらず新斎場建設の市長独断先行をめぐって南陽市は荒れに荒れた。
その結果として「市長の暴挙は許せない」として、正義感剥き出しに立候補したのが塩田候補というわけだ。
いずれの場合にも言えることだが、議会軽視だと声高く騒ぎまくった議員たちだが、肝心の選挙になると、本音と建前との区別もつかない行動に出た。市民たちは「だらしない議員たちだよ。金づる求めて荒井陣営に走っていった」市民たちは議員たちの行動を呆れてモノが言えないといった風潮が南陽市内に充満しているようだ。が、その市民たちでさえも投票となると本音を貫けるかどうかが大変疑問になるところだ。
米沢市の安部市長は行政能力に欠けた人材だが、南陽市の荒井市長の日常行動に問題がありすぎるようだ。まず、立場をわきまえるならば自粛するであろうが「飲む、打つ、買う」の三拍子揃った市長だと市民の間ではもっぱらの評判のようだ。
賭けゴルフ狂の荒井市長だが、ホールインワンを出してしまった。通常ならばまことに目出度い快挙だが、いち早く真っ青になったのは出入りの業者だったと聞く。「お祝い金の徴収」が怖かったのだという。酒好きの荒井氏は女性を引き連れて酔態を平気で市民の前にさらけだし迷惑をかけているのだとも聞く。
「人の意見に耳を傾けない」のは米沢市の安部市長も同様だが、荒井市長の大声での恫喝は、職員であろうと議員であろうと自分に都合が悪くなると遠慮容赦なく怒鳴り散らすのだという。
権力の場に長くいると教養の低い人物ほど馬脚をあらわすとする先人の教えがあるが、荒井市長の独裁的行政に南陽市は早晩、財政逼迫に苦慮する市政を迎えることになるだろう。
置賜地方の首長の脳裏には「市町村合併策」の秘策もなく、合併によって生じる議員数削減に「己れの地位に固執する」哀れな姿だけが市民の瞼に映るのだ。政府の施策にさえおよび腰の置賜首長に「置賜の発展」は望むべくもない。
己れの立場を捨てて置賜3市5町の大同団結に汗を流す首長の出現こそが待たれる置賜に暮らしする民衆なのである。少なくとも人の上に立つ人物ならば、酔態をさらすなどはもってのほかで、法律が禁じている賭ゴルフやマージャン等の遊興にはみずから自粛すべきが首長のとるべき態度だと考えられる。
南陽市長選挙、正義と反骨精神をもって立候補した塩田候補に市民たちの熱烈な支持応援がなされるのであろうか。本音と建前の間に選挙の魔物が潜んでいるのだ。健闘を祈らずにはいられない。

テポドン発射は北朝鮮・市駐車場独占は市職組 手前勝手な論理を許すな!

2006/07/06 (Thu)
何年も前から市役所前の駐車場の職員駐車問題が市民の間に物議を醸し、本会の掲示板にも幾度か書込みがあったが、一向に改める気配がない。市職員だからといって必ずしも通勤に車を使用する必要はあるまい。車社会だからといって車で通勤する市職員のために市が駐車場を用意する必要もない。
一般的に車で通勤を余儀なくする人たちは有料で付近に駐車スペースを確保しているものだ。市職員は甘えることなく歩いて通勤するか、駐車場を自分で確保して執務すべきがスジだと市民の多くは考えている。どうしてもという職員のためには市の駐車スペースを有料にすれば市民も納得するだろう。
小生は以前から職員の無料使用を問題にして市の上層部に是正するよう働きかけてきたが「市には有料駐車場管理項目は無い」と、にベもなく否定される。
車社会を想定した行政感覚が望まれるところ市職労の反発を危惧してのことだろうが、それではいつまで経っても市民の怒りは納まらないのであろう。
仮に駐車場を有料化した場合、市の歳入は如何ほどのものになるであろうか。市職員の中に主権在民の意識が育っているならば「駐車場の無料使用」は即時解決するはずだ。
職員一人々々には「みんなで渡れば恐くない主義」意識が巣くっているからであろう。職員に聞いてみたい「市民の駐車場を無料で占用して矛盾を感じないか?」
市民の多くは「理屈のわからない職員にサービスは受けなくてもいい」という不満を永年待ちつづけてきたのであろう。市職労の陰に隠れて「実を謳歌している卑怯な職員はもはや要らない」のだ。
社会環境が疲弊につぐ疲弊を重ねてくると、国民や市民の血税を食む公務員との格差の開きに腹が立ってくるようなご時世だ。抑圧された民衆のエネルギーが爆発する前に米沢市は考えるべきだ。ともかく無駄は省くべきである。
「人は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」先人は平等観念をこう披瀝したが実際には「己れは己れの上に人をつくることを好まず、己れの下に人をつくりたい」のが行政マンの本音だ。
その典型が安部市長であり各議員職にある主権在民を否定する人たちであろう。小生の見解を否定するならば、「市民たちのために何を成したか」を指を折って数えてみよ。
かつて落選回数の多かった鈴木金造議員は「日本一の排水溝」を館山地区に残していったではないか。恥ずかしいことに地元館山は施設の利便さに浴しながらも再度落選させてきた。これがザワ衆根性の典型というものであろう。
米沢の首長たるものは「知恵は借りるものであり、謙虚に学びとることだ」安部市長にはそこが欠けていると聞く。「自分の意見を絶対的だとして、他の意見に耳を貸さない」という評判が職員の中からも出てくる始末だ。
安部市長が肝煎りで連れてきた、市の組織図にない参与に据えた福島大学教授にさえも愛想をつかされ逃げられたご仁だ。
肝心の知恵袋を失った安部市長だが来期も市長の椅子を狙って出馬するという破廉恥ぶりには呆れるばかりだ。
市民の一人としてわが市の市長を罵倒しなければならない不幸は惨めなものだが、米沢市のために言いつづけなければなるまい。
遠藤武彦陣営の応援を再度受けられるものと考えて出馬するのであろうが、遠藤議員の去就はいかに。
市町村トップが判断すべきことも出来ず、担当職員に隠れて指図しているガンセナイ市長である。
担当職員よ此処は独裁国北朝鮮ではない。民主国家であるぞ。首長の指図でとはいえ「嘘に嘘を重ねる行為」は直ちに慎むべきだ。

行政の歳出隠しは市民を愚弄する行為だ!

2006/07/05 (Wed)
行政は常にガラス張りでなければならない。特定業者に支払った歳出に疑義を抱いた本会は、早速市民の権利を生かして「情報公開」を要求したところ行政が出してきた公開資料は「全て黒色で数字を塗り潰した資料」だった。
【図Ⅰ】は行政側が本会の求めに応じて出してきた特定業者へ支払った明細表である。肝心の数字が黒く塗りつぶされているのは行政としては市民に見せたくない数字なのであろう。随意契約とは何であるかを彷彿させるキナ臭さが見え隠れする支出なのである。ガラス張りの行政であるならば市民に公開できない支出の内容ではないはずである。
要するに市民に詳細を公開できない特定業者への支払い内容だった。そこで市民にも公開できないような支払内容であれば本会としては黙っているわけにはゆかないとして、安部市長を相手取って「審査会の審議」を願う手続きを取った
審査会はこれを受けて「本会の意見聴取会」を本月20日に開くことになった。
このようにして行政と市民間の信頼は阻害されているのだ。審査会には多くの市民による聴講を希望したが、報道関係者もシャットアウトした非公開が原則であると、市民の聴講は許されない審査会となる。実に残念なことだが審査会の内容は後日掲示することにする。
意見聴取会を秘密会にする以上、明らかに行政の恥部を本会に追求されることを意識しているようだ。
行政と特定業者で契約不履行しているだけでなく、特定業者に手数料二重払いの可能性が高いからであろう。
これを行政の癒着と本会は断定するが、これらの不祥事が即選挙結果となって現われてくることは市民ならば先刻承知のはずだ。
自分にだけ吹く「自由の風」を以て米沢市政のトップとなった安部市長にこれといった政策もなく、自己の気分だけで経済波及効果数百億円といわれる「佐藤病院」の進出を拒むという失政を行なった安部行政である。
さて、本会が執拗に追求してきた「4議員の個人情報の漏洩」問題に対して責任者安部市長のコメントは未だに聞かない。朝日新聞に漏洩したのは議員個人の詳細を知りえる担当職員がリークしたことは間違いない。「市民の噂も75日さ」だとして屍のカッパであるか? 答えよ安部市長!
市民を愚弄するにも程度というものがある。選挙になれば安部の縁戚関係者に後藤源なる県会議員もいて、遠藤武彦衆議院議員がバックにつくから安泰だと語るご仁もいるが、二人の議員の去就はどうであろうか。それこそ米沢市の未来像を計るうえにおいて「マサカ?」の行動はとらないのではあるまいか。
いずれにしても現市長を代えねばならぬ。次代を引き継ぐ子孫のために有権者が決断しなければならない郷士愛の発露である。そして市民が犯した過ちを秋の選挙において糾さねばなるまい。そしてもう一度、わが郷士米沢市の復活を願いさらなる伸張を期待しながら未来を信じて暮らして生きたいものだ。
図Ⅰ


慢るなかれ! 主権在民を否定する公務員たちの行政感覚を撃つ!

2006/07/04 (Tue)
事務所移転と連日の事務所整備に疲れきった小生は、物置小屋の軒裏で巣立った新生子雀の囀り声で目覚める。 雀の世界では小子化の心配はないらしい。小生宅は国道から50米ほど奥まった細道沿いの清閑な場所にある。が、細道とはいえ、それでも米沢駅につづく市道である。
当時の行政は駅に通じる真っすぐな市道を沖正宗酒造に売却し、沖正宗酒造なき後も市道は中断されたままである。道は小型自動車も通行できないようなところから市道ながら「除雪排除指定」とされている。
さらに下水道の恩恵が受けられないため「合併浄化槽」に頼っているが、地区が下水道施設地域に指定されているために浄化槽の補助金の対象にはならず担当課に拒否されている。
都市計画税は一様に支払っているが行政の机上計画の歪みの地域の中にあって、そのくせ「下水の配管設備をすれば土地使用税」が課税されている。心配りに欠けた行政だと思っている。
さて本日の朝刊は信用大手の所得隠し隠蔽依頼を、自民党議員に金銭を介在させたくだりが報道されている。今にはじまったことではないが「悪代官」はいつの世にもいるものである。米沢市政はその典型的なものだといえよう。
市民業者が求めて止まない「一般廃棄物収集運搬業の許可」は安部市長の意志でどうにでもなる「許可制」によるものだ。が、いったん許認可権をもった行政とは、よほど市民側に視点をよせた首長でなければ既得権を乱用して許可を与えないもののようだ。
他市町村長に比べ安部市長の場合「自由の風」は自分にだけ優位に吹く風であって、許可を求める業者にとっては「向かい風」、逆風となりつづけてきた。
それを受けて環境生活部課員は市長の方針に逆らえずに市民の声を代表する本会の戦いに防戦してきたのが実情だ。
いくら行政に無知な安部市長だとはいえ「許可は市町村長の裁量による」との環境庁通達を素直に受けとめるならば「許可を出す、出さない」の責任は安部市長の胸三寸で決まる案件である。
にも関わらず当該部課長を全面に出して己れは逃げの構えでしかない。責任を問われる事態を避けたいためでしかない。
本会は担当部課を窓口として数年間「許可」を求めて闘ってきたが、戦いの本命は安部市長本人にあることが判明した。市長の行政感覚は誠におぞましく「県の意見」だとか「中央省庁の指導があるから」とか万事言を左右にして責任逃れの一手だ。
市町村合併に意見も持たず「出前市長と語る会」は安部個人の事前運動にしか見えない。なぜなら、市に対する要求を不問とした会合とされているからだ。
市民に背を向けながら自分にだけ吹く「自由の風」を標傍し、単に「市長ゴッコ」をエンジョイしたいだけの安部市長である。こんな市長をトップに据えた米沢市政は限りなく疲弊する米沢市になりかねない。
かつて、米沢市民は革新市長を擁立した過去がある。市は「再建団体」に転落し市長在任中の8年間というもの米沢市民はサービスも受けられず極度の疲弊を味あわされた過去があった。
おなじように安部市長の行政に対する無知無能には呆れるばかりで、任期を残して退職した市職の元部長らは「安部市長とはやっていらんない」と言う一様の言葉を残して止めて行ったものだ。
当該部長・課長の尊大な市民に対する後向きな態度の根源は安部市長の命にしたがっての行動であったのか、本会といわず安部能無し市長の声は市民の中からは高まるばかりだ。哀れみの目を以て接しなければならない時期がきたのかもしれない。

「許認可権」をもつ担当市課長の尊大な態度を撃つ!

2006/07/01 (Sat)
昨日、鈴木生活環境課長と交わした電話での一問一答の会話の中で「許認可権」をもった職員の市民不在感覚に腹が立って仕方がなかった。「事務所移転にかこつけトラック3台分の書籍類および不要用品の処理を非許可業者に依頼したところ、許可業者の3分の1で費用が済んだ」とカマをかけたところ、課長は突然「その行為は違反行為だ!」とのたまった。
課長は「非業者であれば依頼主に金銭を払って買い受けたのであればよいが依頼主が金を払って非業者に処理を頼むことは法的に違反行為だ。業者名を教えろ!」
「依頼主として対費用効果を無視するわけにはいかない。業者名を知ってどうする。手めぇらに処罰できるか? それこそ特定業者保護に傾いているという証拠じゃねぇか?」と小生。
「何もかも疲弊している米沢市で、故一かわらないのが公務員の手当てだけじゃねぇか。遅すぎる感はあるが市民不在の行政は直ちに改めるべき時期にきている」
プライバシー侵害といわれそうだが、以前には市職員の手になると思われる国保延滞議員名が漏洩された事件はお咎めもなく、闇の中に消滅するような市長の無責任な行政感覚があったことから、担当職員たちの過去に触れてみる。
問題の吉田部長は大沼デパートの外商係に勤務していたが、市職員の父親が退職するとその後釜に転身した人物。
鈴木課長は市職員では花形部課「企画部」から「環境生活部」に転属、その理由は以前の上司だった大久保助役の立候補に加担したがため、見せしめの転属であったとは巷間の噂だ。が、公務員の選挙活動は法律で禁じられた行為であるはずだ。
自ら法を犯しながら市民の逸脱行為にシャカリキになる鈴木課長の尊大さは市民にとってまさしく旧役人根性丸出しの醜い行為といわざるをえないものだ。
本会は個人攻撃を慎むべきだと考えているが、市民の公僕たる責務を忘れて保身だけに走る鈴木課長の態度を見苦しい職員だとして放ってはおけないと思うから、あえて市民に知らせる義務を感じた。
吉田部長も口から出任せな言い逃れで議会答弁をつづけてきたが、それを看破できない議員たちもお粗末な集団である。市民がよりどころとする議会に行政のチェック能力もなく、行政能力のない市長を抱えた米沢市の先行きに光はない。
「クソ爺い!」と罵倒されながらも大切な郷土のために膿を出さねばなるまい。
税金をはむ群像が、血税を余儀なく拠出している市民活動を阻害している行政とは? 何かが狂い間違っている現実を注視し改善する必要がある。
小生70歳を越えてますます意気軒高に行政の不条理に挑戦する所存である「沈黙はかならずしも金」ではあるまい。

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