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やはり噂は真実!!

kage

2006/02/25 (Sat)

やはり噂は真実!!


"市の部長級職員・半数が退職" 噂は事実となって報道された。
23日付、米沢新聞紙上一面の記事を読んで市民の大半の方が知られたことだろう。 部長級ポストは米沢市には12あり、その半数が3月末で退職されるのだ。
退職者のうち2名は定年退職であり、残りの4名は定年退職まで3年余り残しての退職である。
 通常、取締りの半数が辞表を出すような会社であれば「社長」不信任であることが多く、ゆえに株価が下落し会社ならば立ち行かなくなるのが常識というものである。
閣僚の大半が辞表を出したならば、即総理大臣不信任ということになって政界は混乱するのが常識だ。
 このような大事に際して安部市長は騒がず驚かず「取り立てて影響はない」とコメントする大人物ぶりである。

 退職者には種々の事情はあるだろう。が、60歳を前にして退職しなければならない理由とは何んであろうか。身体の不調を理由に退職する部長はいる。2人の部長は各々15万円の給料で「官僚の天下り」にならって就職先をきめての退職だ。
やはり働く場所が欲しいのは、部長クラスといえども役所関連の閑職なのである。勿論給料は現職の3分の1を下まわる待遇である。
普通の感覚では家族。親族中が反対する転職になろう。あえて転職するには理由がある「安部市長とはやっていらんないよッ!」が大勢を示しているようだ。
退職の意志を示した部長級職員に対して本来ならば市長は留任を再三にわたってすべきものだ。が、彼は事もあろうに「影響はない」と言い放っている。
 いかにも行政および組織を舐め切ったような安部市長の発言である。彼は市長に当選してから、前代未聞の参与2名を導入した。小生には参与導入時に「安部市長は謙虚な人物だ」「首長として市政を行なうために指南役として2つの大学から招き、つつがなく市政を全うできるように」とする謙譲が発露かと思っていた。
時がたつにつれて、人の意見に耳をかそうともしない市長の常人とは思えない態度や行動を聞くように至った。
調べてみると他愛のない市長ぶりである。個人の選挙時のテーマである「自由の風」なるノボリを市長室前に掲げ「市長ならば何でもOKだ」とばかり横暴を極めているという。
 前代未聞の独善と「オレが市長だ。市長が市政を司っているのだッ」では、民主主義もへったくれもあるまい。参与も行政に位置も定かでないから知恵の出しようもなく単なる窓際族に過ぎない。だからその不満を役所の外で洩らしてあるくという体たらくな存在に市民の税金が投入されているのだ。
 いやしくも米沢市から各々7万円の報酬を受けているならば「なんらかの報告書ならびに米沢市の伸張に関する意見書の提出」ぐらいは当然であろう。
 「ゼニは貰うが、市長から試問もない」ということでは済まないであろう。市長も市長ならば、参与も参与だ。風説ではいずれの参与も左翼思想の持ち主だという。左翼思想も結構だろうが、米沢市民がもっとも嫌がる思想だ。国旗・国歌を否定しながら、なんぞ「自由の風」であるか。
米沢市庁舎規定では禁止要項として「何人であろうとも庁舎内での展示などの行為は禁じる」と規定してある。その禁止項目に「のぼり」がある。「オレは市長だ。市長が許可したんだから許される」はないだろう。
むしろ市長だからこそ範を示し、選挙のテーマに試用した「ロゴ」を持ち込むことは避けなければならない。
常識も謙譲さにも欠けた市長である。残る市職員は安部独善的行政にどのような態度で接するものであろうか。それでも生活のためにゴマをすり出世主義に撤するのであるか。

「オレが市長だ!」

kage

2006/02/23 (Thu)

「オレが市長だ!」


 あくまでも風評の段階でしかないが、3月で退職する部長級職員は、定年退職の2名を除いて、4~5名いるという。
 米沢市役所には部長級のポジションが11ある。風評が本当であれば大半の部長クラスが欠けることになる。
 これも風評だが、会議や難解な打ち合せなどで、安部市長とは円滑な会議が望めないというのだ。
議論百中の中から良き政策が生まれてくるのが常識というものであるが、安部市長は事あるごとに「オレが市長だ!」とのたまって議論が途切れてしまうのだという。だから「本気でやってらんねよ」という嘆かわしい声が巷に流れ出している。

 山大工学部の著名な教授は「米沢市は安部市長によって4年間が遅れた」と断じている。4年間の遅れを取り戻すためには、来年の市長選挙で現市長を落選させ、新市長のもとで空白を取り戻す努力をしなければならないことになる。
 市職員の嘆きの声をならべたら、良識ある市民ならば頭が混乱するだけのことだ。職員に向かって「お前はオレに選挙では応援しなかったナ」したがって安部候補に応援した職員たちはメンゴイ職員だとして扱いは別になるという。
 市長決済を求める場合でも、メンゴイ課長が部長を出し抜いて市長室に入っていくのだともいう。
米沢市の組織図にのらない「参与」たちはとうしているのであろうか。たまさか市役所に来ても組織図にもない「ママコ」扱いだから 参与の出番がない不満。他の講演会上で市長をザンゾするのが関の山って具合だ。
 大量の退職者のために補正予算を組まなければならない市役所である。その時になって市民がはじめて目覚めることになる。米沢市民の特性は残念ながら「われ関せず」であり「表舞台に出て発言することを恐れる」城下町特有の上意下達に馴らされてきたDNAが未だに継承されているのである。そのクセ悪いことには、出る杭を打つことによって不満を解消しようとするのだ。

 「山形は住めば都だが、一番住みたくない町は米沢だ」という声もインターネットで流れている。米沢市行政を批判しての声だ。
 「焼き肉は世界一」と称賛するうれしい教授だが、「一番住みたくない町は米沢」という辛口のコメントは市民としていかにも淋しい。

 もう一年の我慢である。それでも現市長の続投を支えようとするバカな市議会議員もいるようだ。が、こんな議員は来春の選挙でまずもって淘汰する必要がある。
 本会は現市長派を表明する議員たちを、その時期が来たら公表することにしよう。落選した大久保候補は現在、NCVに拾われているから、今年の成人式はグランド北陽から離れて従来のように市営体育館になったわけは頷けるようだ。全くもって頑固で変り者との風評通りに「米沢市には要らない人物」のようだ。

一般廃棄物業許可せず――― 米沢市環境生活部

kage

2006/02/22 (Wed)

一般廃棄物業許可せず――― 米沢市環境生活部


 あれから何年要望が続いたことだろう。米沢新聞(21日付)は、新年度は新規不許可を報じている。理由は「収集量減少」による既存業者保護の観点かららしい。
 収集量減少の事実を以て、更に新規業者を増やせば「指定処分場」に支払う処理料金が払えない業者が生まれ、ゆえに「不法投棄」などに繋がる恐れがあると分析したという。

 失礼極まる行政の奢りというべき理由からである。行政は「収集量の減少」と言うが、肝心の処理現場千代田クリーンセンターは「処理量の増大」により処理に困難をきたしていると通達を出している。
この矛盾をどう考えればよいというのだ。
 それに日本は自由経済の国ではないのか? なぜに新規参入を拒み13社だけの利益を庇護しなければならないのか? 
 はっきり申しあげよう。環境生活部は既存業者らに何らかの強大な圧力をかけられているということだ。
① 既存業者は新規参入業者を増やさないために、昨年、全国から同業者の応援を頼み、それに答えた各地の業者たちが、オルグよろしく助役をはじめとする許認可権をもった市職員を罐詰にして強制的に抗議した事実がある。
② 次にこともあろうに置賜文化会館において業者たちによる「全国大会」を開くなどして米沢市から上層部が出席を強いられている事実。
③ 業者が出してきた名古屋市内の業界顧問弁護士作成による脅しともとれる書面を環境生活部に提出してきた事実。
④ 上記書面は米沢市の顧問法律事務所によると「何の根拠も効果のない、およそ弁護士の手になる書面とは思えない」という書面を、本会の要請によるまで隠匿していた事実。
⑤ 業者による議会宛ての「請願書」が議会採択になった事実を以てしても頑固なまでに議会無視をつづける行政

 許可を出す出さないは、「首長の裁量による」と法は定め、安部市長の判断で新規参入を許可することに何ら問題は無い。
安部市長よ、あなたが唱える「自由の風」とはこの程度のことなのか。

 「新規不許可とする根拠に説得力、妥当性がない!」とテーブルを叩いて詰め寄る伊藤亮一議員、「競争原理を働かせ、市民の幸せにつなげるのが行政の仕事。既存の13社を養護するだけの行政でいいのか」と委員会は紛糾したようだ。

 県内では、すでに66%の市町村が新規に許可している現実がある。なぜに米沢市が新規参入業の何年越しにもなる許可悲願を出せないのというのか。
理由は「収集量の減少」による「不法投棄など」の恐れなどではない。答えは他にあるはずだ。
本会が調査した結果は「長年に亘る業者との癒着であろう」と決め付けてきた。
堅固な癒着が意味するものは何か?
時間とともに、いかに「無頓着」で「われ関せず」的な米沢市民の眼にも不自然さが感じ取れるであろう。
 「米沢市」は「市民」があってこそ成立するものである。しかしながら市民の不幸は「市」があって「市民」があるとの錯覚の上で行政が行なわれていることにある。
 安部市長の「自由の風」なる"のぼり"が姑息ながら、市庁舎に持ち込まれている事実は、如実に奢りの象徴ぶりを示している。
 こんな暴挙を許しても怒らない米沢市民性とは? まか不思議印の群像であるか。

松本清張氏の督促によって「西の釣り好き」氏に答える。

kage

2006/02/21 (Tue)

松本清張氏の督促によって「西の釣り好き」氏に答える。


 今朝、事務員に知らされ、両氏の書込みに目を通して驚いた。どれほどの年令の方かは存じ上げないが、「首長のリコール」を成功させるにはどれだけの覚悟と有権者の意識の高さを要することか分かっておられないようです。 無論、小生は安部市長のリコール運動を考え準備行動に移したことは事実です。市の選挙管理委員会で調べてみればわかるはずです。

 米沢市という風土は昔から百姓一揆すら起こせなかった土地柄です。隣町の高畠町(屋代郷)は、米沢藩の重税に反発して、再度一揆を起こしてきた町です。米沢の風土は情けないかぎりで「素直さ」がないことです。
人の意見に耳を傾けることもせず、愚にもつかない低俗な意見・見解を口走る愚かな人たちの集合している特異な町だと考えております。
 まず、「リコールをやれば」という軽い発言は簡単であり、その発言には責任がないのです。
「リコールするなら私も力を出して協力する」という意見は米沢の人間の口からはまずは出ないのです。
「リコール」に協力を寄せられたのは、米沢市民のだれからも尊敬されるご婦人でありました。が、故人となられた今は、その意志を継いで市政に一石を投じようとする良識派で勇気のある方はいないのです。
米沢人は「総論賛成・各論反対」主義の人たちが多く、あるべき目標を失っているのだと考えるものです。

 貴殿は本会の成した行動を「軽い行動」のように評価されているようですが、
① 【住民監査請求】 過去に本会を除いて何回なされたか存じあげた上でのことでしょうか?
② 【特定業者の為の抗議】 一昨年まで、市の財産である資源物を特定業者に無料で提供していたのを業者入札制度にして約6千万円の歳入に変えさせたんですよ。
③ 【個人情報漏洩の追求】 残念ながら刑事罪はなく、行政処分ということで警察は動きませんが、だから行政が何もしないで蓋をするという態度を市民として許してよいと考えられますか。
④ 【ネズミ講ってなんでしょうか?】 いまでもあるのでしょうか?
⑤ 【疑問視される健康食品?】 小生の扱い商品なら責任をもって明示なさい。 小生の入院は胆石による一時障害で、弊社扱いの健康関連商材と因果関係はありません。日本ガンセンターの初代所長がガンで亡くなっていますがそれも因果関係だと考えられるとしたら大違いというものです。

 はっきり申し上げましょう。あなたのような方が多ければ米沢市はどうにもならない「東北のド田舎町」に転落することでしょうね。
 小生は「逃げること」はいたしておりません。小生は表舞台に身を投げ出して意見をいっております。が、貴殿の正体はだれにもわかっていないのです。
 かげに隠れて意見にもならない勝手なことを落書していると同じことです。意見は堂々と胸を張って表舞台で発言してほしいものと願います。

kage

2006/02/20 (Mon)

家康の参謀「本田正信」の政治哲学に学ぶもの。


 日本が世界に誇る制度として、交番と官僚組織があげられる。いずれも明治以降に制度化されたものであるが、そのルーツは徳川政権の確立と深い関係をもっている。徳川幕府は人と物資の出入りを監視する関所を設け江戸市中においても治安を維持するため番所なるものをおいた。
 また、大名諸藩もおなじように領内に番所をおいて出入りのチェックと治安の維持をはかった。それが明治政府にも引き継がれ、現在のような交番、あるいは派出所になる。
 一方、官僚制度は明治政府の行政システムの確立にともない、各省庁とも国家のためと正当化して、予算権益を守るために結束し、高級官吏の一群が政治に影響力を持つようになった。これが昂じて民意で選ばれた政治家や閣僚よりも政策・行政に精通し、官僚が交替してもなんら国家の運営に支障をきたさないという牢固たるシステムとなって現在におよんでいる。
こうした官僚の組織は、徳川時代に幕閣といわれた高級行政官の出現に端を発する。その組織風土は、上位に対してきわめて腰が低く、下位や外部の者に対しては権力をバックに尊大、独善的、画一的にして責任の所在をつねにあいまいにするという特性をもつ。それがそのまま今日の官僚風土に引き継がれている。
 状況と時代が切り換わる局面で、つぎつぎと参謀を取りかえる家康にあって、ただ一人その位置を保った人物が家康より四歳年上の本田正信だ。もっとも正信は三河の一向一揆では家康に刃を向け、制圧されるや三河を去り、十九年にわたって諸国を流浪するという経歴を持つ人物である。
本能寺の変のとき、堺で遊ぶ家康を無事に伊賀越えさせた功労を家康が認めて帰参を許したものである。秀吉と対峙した小牧の役では、ねばりにねばって家康を天下ナンバー2として世間に印象をあたえてから秀吉の臣下になったのも戦略眼であり、朝鮮出兵にさいしても家康の渡航を諫めて押し止めたのも本田正信であった。 正信は「禄多き者には、権を与えず」が彼の真情であった。「政権の周辺にいる者は、決して高い禄を食んではならない」行政者が実権を握ると必ず人心の反感をかう。権力者の信任あつきを良いことに、高給を当然のようにもらっていては、人心は政権の正当性に疑いを持つようになる。

 これが正信の政治哲学だった。ために武功派たちは正信に反感をいだいたものの、公然と批判することはできなかった。「禄多き者には権を与えず、権多き者には禄を与えず」以来、幕府の指針となってきた。すなわち財力のある者は政治を動かしてはいけないというものだ。これは権力の暴走を抑制する効果があり日本の官僚制度の根底を形成するものとなる。この抑制システムがないがしろにされたとき、官僚組織の腐敗が始まり、官僚による統制政治が出現してくる。正信は実権を握る者の強さと脆さを十分に知っていたのである。
 現在の政治家および官僚の行為を見ていると、本田正信の政治哲学にいかにも逆行しつづけているように思えてならない。「市民」の上に「米沢市職員」があるような錯覚さえ覚える最近の市の行政感覚である。

呆れた行政に一言

kage

2006/02/17 (Fri)

呆れた行政に一言


 昨日、ある町内会長から電話が入ってきた。「県から皆様へのお願い」だとして1枚のリーフが配られたという。
 内容は「除排雪作業には皆様のご理解とご協力が必要です」云々と書いてある。立春もとうに過ぎた今頃になっての県民への配布である。
 今年だけ雪が降ったわけでなく、雪は毎年降るのである。同じ協力を要請するリーフならば年末に配布すべきものであろう。行政のやることは常に三日遅れの古新聞のごときものだ。こんどの場合は予算のムダ遣いというものだ。という内容の電話である。

次は米沢市行政のあきれた話。

 一般廃棄物業の「新規許可」は「家庭の排出量が減少した」として今年も予想どおり許可を出さないことで行政側は一致しているようだ。
 議会に請願書を提出し、議会で採択された請願の「一般廃棄物業の許可」は無残にも行政によって破棄されたことになる。
 行政側が許可を出さない理由として「既存の許可業者13の利益が失われ不法投棄などの不祥事が起きるから」だと述べている。 これは特定業者への行政による利益供与からでたものである。
行政はさらに、許可しない条件として「一般廃棄物の総量が減少している」からだと言う。
 しかしながら、千代田クリーンセンターでは「廃棄物の量が増えているので、4・5・6月は受け入れできない」との通知を業者に通達している。
米沢市行政がいう減量論と現場の実態が異なるではないか。両者の食違いはどこから来るものであるか。
これでは米沢市行政が既存の許可業者13社の利益を温存するための都合の良い調査をしたといわざるを得ないものだ。

 本会の調査によると行政の「既存業者保護策」であることは明白な事実である。まず、総量によって業者の数を是正するとは法律の何処にもなく、業者に対する許可の縛りはない。
希望する業者には他の市町村のように何社でも許可を出し、自由競争の原理を生かすべきが正論であるはずだ。他市町村に逆らって米沢市だけが屁理屈を語り許可を出さない理由の裏には驚くべき業者との癒着があると同時に、既存業者の軋轢に行政は白旗を揚げている、たわいのなさがある。

 県もそうだが、市にいたっては市民の方を向かない行政が続けられているようだ。そのひとつの見本が県の季節はずれの「除排雪願い」であり、米沢市の「一般廃棄物業」の許可問題である。
止まれ!行政の許可を出さないお題目は「総量に見合う業者数」であったはずだ。が、しかし、総量とは関係なく過去に3社許可を出していた事実をどのように説明するのだ。行政とは住民のために存在するものだ。
「自由の風」を謳いながら市民をコケにする安部三十郎行政米沢市には不要の長物だ。

市民に敵対する安部三十郎市政

kage

2006/02/11 (Sat)

市民に敵対する安部三十郎市政


 日常生活に於いて家庭・事業所等より排出されるゴミを一般廃棄物と称し、その運搬業を営むには各市町村長の許可が必要である。
本市の場合は永年13社にのみ、その営業権を与え新規参入を拒み続けてきた経緯がある。
 しかしながら国の流れである規制緩和や生活形態の変化により、もっと自由に業者を選択することが出来、競争原理の働くサービスを求める声が市民に高まったことから昨年6月、許可を求める請願書が提出され、委員会での審査を経て、本会議では、共産党議員を除く市会議員の賛同により「請願は採択」されたのである。

 請願権とは、市民・国民が行政に対し希望・要望を実現するための日本国憲法第16条で保障されている国民の基本的権利の一つで、議会が請願を採択した場合、議会はその実現について最善の努力をすべき政治的・道義的責任を負うものとされている。
 よって、市民の声を聞く耳を持つ市長なら、市民の代表である市会議員の意見を尊重するのが道理であろうが、「自由の風」を標榜する市長は、何故か頑強に申請を許可しない方針で固まっているのである。
いったい何が彼をそうさせているのか? 納得させるだけの根拠は「全く無い」のである。

担当課の許可をはばむ理由は
米沢市から出される一般廃棄物は13社の許可業者で十分に処理出来る量である。もし、これ以上許可業者を増やした場合、13社の利益が減少し問題の出る恐れがある」

 以上が市民の求める「経済活動の自由化」を阻止する理由である。
そこで、行政が過去に新規許可した業者ついて精査してみたところ、驚いたことに行政のいう「十分間にあっている」時点で「許可」を与えているのである。
 この点で「排出量の多少が許可の条件である」という行政の文言は崩れるし、廃棄法には量に関する許可の条件は記載されていない。
 許可業者を増やすことによって「既存13社の利益が減少しかねない」については、別に行政が考えることではあるまい。
同等の立場で各社営業努力を行うもので、営業の自由化に行政がくちばしをはさむ問題ではない。営業がそのために不振になれば自由競争の敗退として業から撤退するであろう。それに行政がかかわるべき問題ではないであろう。

 そこまで行政が心配するのであれば大型店舗規制法を遵守して、小規模ながら市民の日常の買い回りに便利な小売店をまもるべきであったろう。
どこの町内にもあった魚店、八百屋などは大型店の出店によって閉店の憂き目をみたではないか。この責任を行政は取り得たか?取ろうとしたか?結果は、ますます膨らむ高齢化社会に逆行するような不便さが強く残る町の崩壊につながっているではないか。だれもが車を運転できるわけじゃない。高齢者であろうとも「食材を求めて」車の恐怖におののきながら遠くの店舗に歩かねばならない。これが現実なのだ。

 いまさら「業者を増やせば既存業者の営業不振になる恐れがある」とは何たる時代錯誤な、行政による特定業者への利益供与で有るか。
 風聞によるが、既存業者を庇護することによって「ある方」への金品が届けられているという。
また、「ある人を介して100万円を上納すれば一人だけは許可する」と口をかけられた業者がいるとも聞く。かように一般廃棄物処理業の許可についてはダーティな噂がつきまとうのである。

 「自由の風」は市長・市職員のみに吹き、市民に吹く風は逆風・向かい風のみであるか?
法律論ならば法律に准ぜよ。ある時は法律論を持ち出したり、ある時は具にもつかない「浪花節的業者養護論」を持ち出したり、支離滅裂なる行政とは如何なものか。

 安部三十郎率いる米沢市職員の許認可権を乱用して止まない環境生活部課の職員たちなのである。こんな職員に何年間も無駄飯を与えている米沢市の財政は健在であるか?

安部の独善をかばう市上層部

kage

2006/02/10 (Fri)

安部の独善をかばう市上層部


 市長室前に「自由の風」なる"のぼり"を掲げる行為は「市庁舎管理規則・第20条」に定められた禁止行為である。
規則破りを行って平然としている安部市長の行為を、助役・総務部長・議会議長のご3人に意見を伺った。

【助役・総務部長の意見】
 「自由の風」なるのぼりは「米沢市職員の行動指針」として掲げているもので庁舎管理規則に基づいて総務部長が安部市長の要請を精査した上で許可しているものである。補佐すれば、市の職員は業務については、如何なる場合も自由に話し合える開かれた職場でありたい。という市長の願いを文言にこめたのぼりである。禁止行為にはあたらない。

 職員の指針だというならば何故?姑息とも思える場所に、適当とは思えない物品様式を以て掲げているのであるか?市職員の指針だとするならば、多くの市民が出入りする「1階市民ホール」の中に堂々とパネルを使って掲揚すべきものであろう。
 ただし、選挙時に私人安部候補が掲げたスローガンである。それを、公人となった現在もなお市民の庁舎に持ち込むのは選挙の延長としか理解できない行為である。
市長自身が自分の我欲の是非を決定するというのであればそれは独善というものであり、独裁市政の序章だと断定せざるをえない。
 止まれ! 勝者は謙虚であらねばなるまい。市長が駄目ならば、せめて市の上層部に期待したいのだが、肝心の助役をはじめとする管理責任者である総務部長の見識の低さには驚嘆すべきものがある。
市民の血税により生計を営んでいる市職員が、市民の顔を逆撫でする行為をよしとする不思議な組織である。

米沢市議会議長の意見】
 議会でも度々問題になった市長の独善だ。本議会でも議員の質問に対して市長が許可したのだから問題はない。と答弁している。市長は人の意見に耳をかさないどころか、何を言っても言うことを聞かない人で困った存在だ。市政協議会でも開いて、議員同士の意見交換をする場を是非持ちたい。

 自ら選び委託した参与なる2名の人物。市役所の組織図に表示されていない役所内では「任務なき」立場。しかも「安部市長は何を考えているのか分からない人であり、変わった人物だ」と外部の講演会で述べられているようではナンセンスな市政というべきか。
 議長が市民の声を伝えようと努力しても「馬の耳に念仏」だと嘆く。よくぞ恥ずかしい人物を市長に当選させたものである。
 敗者大久保候補は高橋前市長の院政の影が濃く、為に嫌われて落選した。が、来期の選挙では安部に流れた票が安部にとどまることはないであろう。市民の良識に期待して今の市政の暗闇から脱却し「常識の通る市政の回帰」を計らねばなるまい。市民各位に告ぐ!「明日では遅すぎる」のだ。今から市政を監視しよう。

季刊誌アルファも問題視している一般廃棄物収集運搬業の許可について

kage

2006/02/08 (Wed)

季刊誌アルファも問題視している一般廃棄物収集運搬業の許可について


 二年越しの案件である「一般廃棄物収集運搬業の許可」について不穏な噂が流れている。「環境生活部の吉田部長が退職しないうちは絶対に許可はしない」というものだ。
 市民が数年越しに許可を申請しながら、未だにガンとして業の許可を拒みつづけてきた吉田部長率いる環境生活部の職員たちである。
幾度となく面談した本会だが、許可を出さない理由が定かでないのだ。

 かつて本会は資源物の問題に関して「収集した資源物は業者の競争入札にて売却すべし」と提唱し、以来、米沢市は年間数千万の歳入増となっている。一昨年まで収集運搬業者に無料で呉れていた市民の財産ともいうべき物である。
 この件については当該吉田部長は「業者が儲かっていないから無料でいいのだ」と本会の提案を拒否してきた事項である。 一公務員が一業者の経理に深く関与しているかのような発言をして拒否しつづけてきたものだ。資源物にかんするかぎり吉田論理はつぶされた。

 そこで「一般廃棄物収集運搬業の許可」について、業者の切実な要望によって議会が動き、業者による「請願書」が議会で採択された。議会で通ったからには行政も当然動くものであると誰しもが信じた。ところが行政は動くどころか全く無視する構えである。一公務員と違い議員米沢市民の付託を受けた市民に選ばれた人たちである。にも関わらず公務員の無視にあって業者はおお弱り。
 肝心の吉田部長の退職は来年3月だと聞く。それまでは当該業に関するかぎり解決はないのだとすると「行政の議会無視・米沢市民軽視」も甚だしいといわざるをえないものだ。そこで噂は吉田部長の懐に転がり込んだ既存許可業者からの賄賂はいかほどのものであろうかということのようだ。

 昨報のホームページを読んだ市の部長クラスの某から電話が入ってきた。定年を前に退職する部長は4人でなく5人だと訂正するようアドバイスを受けた。
11ある部長級ポストのうち、ナント定年退職者も含めて7人が退職するというのは「明らかに市長不信任」ということになる。国会でいえば首相不信任案の通過に等しいものであろう。退職の理由は「安部市長にはこれ以上お仕えすることはできない」ということらしい。


鬼は退散せず

kage

2006/02/07 (Tue)

鬼は退散せず


 節分は恒例による「鬼退散」の豆まきの日だ。翌日は立春ということで豪雪に埋めこまれた人たちにとっては「春到来」の吉日のはずだが、立春とは中国古来の暦から発しているのだと知り愕然としたのは小生ばかりではなかったようだ。わが国でもわが国に合った暦を採用すべき時にきているのではあるまいか。いたずらに現実味のない暦で国民の祭事に用いているようでは脳のない話なのであろう。

 本会がホームページを開いてからアクセス数は19万を越した。掲載するものの多くは行政批判のため、その職にある人たちにとって節分は本会の「鬼退治」であったに違いない。
とはいえ本会は真実を求め、なによりも米沢市のつつがなき伸張を願うあまり一市民として行政に鉄槌を加えているに過ぎない鬼である。

 鉄槌を加えているのは、行政が必ずしも市民の方に視線が向いていないと思われるからである。
まず、安部市長よ、市長室前に掲げてある「自由の風」なる選挙時の手前陣営の 「のぼり」を撤去せよ。米沢市役所の評判を落としている実害の旗手だ。

 本年三月を期に退職の噂にあがっている部長級の職員は5~6名だと聞く。うち2名は定年退職だから問題はないとして、噂の4名の退職には「安部市長とはやってらんねえよ」という部長たちの本音も流れてくる。
「お前は選挙で大久保候補を応援した」との理由での配置転換や"いやがらせ"は市長選挙の後遺症として今も残り、行政の円滑化を欠いてきたようだ。
役人の習性として出世主義がある。そのためにゴマを摺りつづける職員もいれば、選挙時に手柄を立てて取り入れられようとする職員もいるだろう。そんな職員の命取りになるのが市長選挙時の去就だ。
かつて、長市長時には大手を振って市庁舎内を闊歩した職員たちは、高橋市政に変わり大騒ぎしゴマの摺り方に難渋をきわめたものである。
「一年間は人事に手をつけないほうがいい」とした小生の提言を高橋市長は一年間守りつづけた。そのせいであろう、以来、高橋市政の20年間、市役所内部で人事に関するもめ事はなかったように記憶している。

 安部市政になってからはどうだろう。
選挙公約で市長報酬を減額したのはいいが、新たな経費増となる参与制度を導入した。
その専任された参与がこともあろうに民間からの依頼講演で「安部市長は他人のはなしを聞かない人物で、何を考えているのか分からない変わった人だ」と評されているのだ。また助役選任では県との断絶を意味している。
 なるほど市長選挙時に対抗馬として立候補した斎藤浩氏は、元はといえば安部市長の選挙参謀であった人物だ。斎藤浩氏の立候補の本音は「安部三十郎の危険な野望」を打ち砕くことにあったと聞く。他人の意見に耳を傾けないばかりか、唯我独尊と時代錯誤もいいところのお釈迦さま的存在である。だから市長室前の「自由の風」なるのぼりを堂々と披露して恥じない市長である。自分にだけに吹く手前勝手な「自由の風」である。こんな市長は米沢市には要らない。米沢市民の多くの声を聞き給え「やってらんねえよ」という言葉の裏には「あの市長には仕えたくない」という切実な本音があるようだ。