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20年来のドカ雪に思うこと。若き群像に期待するもの。

kage

2005/12/24 (Sat)

20年来のドカ雪に思うこと。若き群像に期待するもの。

 今日は天皇の誕生日である。小生の生まれは天皇より二ケ月早い同年代で、いわゆる「問題の昭和8年組」である。天皇の白髪は増えたが小生の頭髪は未だに黒い。

 今更、時代錯誤だと無視されそうだが、どうしても言っておきたいことがある。
戦前の小生らは親の厳しい言いつけによって、通行人の難渋を思い、朝食前に雪を払い道を砿保したものである。自主的というより親から言い渡された作業で「嫌々ながらも」毎朝励行したものである。
 範囲は自分の屋敷分が除雪(道つけ)の対象となっていた。自宅前が大通りに面している所は勿論大通りの雪を払い、人が通る小道ですら屋敷(畑など)が隣接している所は、雪を踏み固めて通れるようにしてから学校に通ったものである。
 祭日の晴れた日は各家の雪下ろし日となり、朝の挨拶は屋根の上からであった。今はいずれも年老いた戸主たちによる作業となってきた。
若い人たちの姿が見えず、中学生や高校生のいる家であってもこれらの現象が続いている。
 小生らは小学の4~5年生から雪下ろしを手伝い、中学・高校生時代は雪下しなどは普段の仕事で、むしろ親たちから任されている役割だった。
校舎の雪下ろしなどは上級生徒の役目だったから、戦中。戦後の数年間は毎年繰り返される作業とされた。
 ある上場会社の工場長の話「長年、社員全員が屋根に上って一斉に雪を下ろし、工場のガラスを磨き、新年を迎える準備をして正月の休暇に入ったものである。ところが数十年前から"雪下ろしに雇われたのでもなく、ガラス磨きに雇われてきたものでない。そんな仕事は別に人を雇ってやってもらえばいい"と拒絶され唖然とした」と述懐する。
 ことほど左様に「余計な労働を拒否する」風潮が多くなったようだ。その割合に自己主張(特に金銭面や休日数など)には、かしましいきらいがある。
 中国や韓国を例にあげるまでもなく日本全体が「学歴優先社会」である。小生の思い過ごしではあるまいかといささか気が咎めるものだが、雪払いや雪下ろしなどは労働者の仕事だとして若い世代の社会観は「ダサイ仕事」「ランク以下の労働」だと見ているのではあるまいか。
 だとすると大いなる錯覚というものであろう。社会の若者観は「気力・体力」がピークにある群像だと信じて、人並みな社会奉仕・手伝いを期待しているのだ。
 「学歴優先社会」に落ちこぼれまいかと親は、わが子にすら手伝いの要請より勉強の時間を割かせることに遠慮しているのが実情のようだ。
 発展途上国にはオマワリさんや役人が目立つものだが、世代の多くは「公務員指向」のようである。日本の社会指向が経済至上主義であり、学歴優先社会であるかぎり若者の判断は淋しいことだが、それで正解なのかも知れない。
 平等論とは「10の力のある者が10の力を出して平等であり、10の知恵を持つ者が10の知恵を出すことで平等が成立する」常に日本の税制の如くありたいものだ。雪害と闘う若者の凛々しい姿が街中にあふれた時、それは米沢市の活性を意味する雪国米沢の風物詩となるだろう。

米沢市政の構造設計書は市民を裏切る偽造設計書ではなかったか?

kage

2005/12/23 (Fri)

米沢市政の構造設計書は市民を裏切る偽造設計書ではなかったか?

 米沢市民であるかぎり本会は、米沢市政のつつがない伸張を願うものであり、ましてや行政批判をしなければならないような市政を望んではこなかった。しかし、本会に寄せられる市民の苦情の声や各種業界からの不平不満の声はあとを絶たない勢いである。

 この稿を書きはじめた時、札幌の同人から長電話が入ってきた。電話の主は数年前に「菊地寛ドラマ賞」を受賞した戯曲作家である。 開口一番「札幌市の不況は惨憺たるもので、町の商店街に明かりはなく、名物の「札幌雪まつり」には日本人観光客の人影が少なく、台湾・韓国・中国人らの観光客が目立って多くなり、札幌は東南アジア化して夜10時以降は外出さえ出来ない状態だと。
 札幌市は1月の市長選で革新市長が誕生したが、国旗・国歌を否定する市長に怒った自衛隊員が懇親会場を総引上げし「札幌の雪まつり」の雪像づくりの協力を辞退する騒ぎまで起きた。
話合いの末に市長の国旗・国歌斉唱を認める文言によって「大通り公園の雪像づくり」の脇力は、得たものの、他地区への「雪像づくり」協力は得られなかった。これが観光客の激減に輪をかけるものになったという。巷間では「北海道独立国建設」の噂さえ流れているくらいだという。
 安部市長の市長就任当初「市長は国旗・国歌を認めない」という噂が流れた。本質は定かでないが、それがために教育長・教育委員長らが辞任したと聞いている。日本国民であるかぎり、国旗・国歌を否定するなどはおよそ公人とは呼べない類の人物であろうと断定できるものである。

 さて、市長就任の初議会で安部市長は「市庁舎内にいかなる掲示物も持ち込んではいけないという決まりがある」と断定し、その口先も乾かぬうちに吐いた文言が恐ろしい「ただし市長が認めた物は別だ」以上が本議会での発言である。
文言を裏づけするが如く、今以て市長室の角に自分が市長選で使用した自由の風なる旗が掲げられている。これは安部市長が自ら曝した恥部で「職権乱用」の序章である。

 市長選に立候補した「斎藤浩」氏は熱烈な安部三十郎の政策ブレーンだった。そのブレ-ンが袂をわかちあい市長選を争った最大の理由は「人の意見に耳を貸さない」性格に怒りを覚えての立候補になったものだ、「安部市長実現を防ぐ」ための行為であったことが最近になって色濃く巷間に理解されているようだ。
 ある県会議員は「斎藤浩君の行動は正解だった。彼は安部との深い付き合いから"安部の欠点"を熟知し"米沢市の未来に陰を落とす人物であることを市民に広く知ってほしかった"というのが立候補の本音だったと理解せねばなるまい」と言う。
 不幸にも安部を信任したのは米沢市民であることから、あまりにも市民は「安部の性格・無知・無力」に気づいていなかった、ということになる。2年を経た今、安部市長の「政治的判断の欠如・行政的能力の欠如」など露呈してきたのだ。
 市のリーダ-であるならば、独断専行もあっていい。ただし、米沢市の未来を精査した上で「伸張発展するため、これしかない」との決断の政策ならばそれは許される。
 「政策もなければ、職員たちの行政上の意見も聞かぬ、こんな市長とやってらんないよ」と言って、行政を離脱しようとする部長が何人出てくるか? 家老職にある部長らが、藩主に後足で砂かけて退職するのである。いわば、米沢市の行政組織から肝心の鉄筋が抜かれようとしているのである。
 これは重大な米沢市行政の危機につながる問題である。

 個人情報が朝日新聞に漏洩した事件に対して、市長は市民に対して何のコメントもしなかった。本会は漏洩した職員を特定し「名誉毀損」覚悟で流したが、行政は職員のアブリ出しを避け「ノーコメント」を繰り返し、時間を稼ぐだけの逃げを打っただけで「いまわしい個人情報漏洩」問題は片付いたわけではない。今後も行攻が市民に対する責任ある回答を示さない限り執拗に追跡することを宣言する。

 「市長の出前懇談会」は選挙の事前運動でしかない。いやしくも市長が市民と懇談会を公的に開く以上、市民の要望を聞くことが首長の責務だ。それを最初から要望などの事項は禁止懇談会である。
どこの市の懇談会にそんな常識を逸脱した首長との懇談会があるというのだ。市民の要望を禁じた懇談会など市民は必要としないのだ。

 落選期間の8年間、個人宅をこまめに回り、選挙運動を重ねたその努力と執念は見事なものだが、当選してから2年の業績はゼロに等しい。中心市街地再開発は不発に終わり内部では「職員のボーナス要求のトライキ」が発生。公務員のストライキは違法とされ禁止された行為だ。市の駐車場を占拠するが如くして職務時間中にもかかわらず行使した。
 「業務に支障はなかった」とするならば、参加しなかった職員だけで業務が遂行できるのだったら、他の職員たちはムダな人材だと市民の目には映るものだ。
 この執務時間内のストライキを追求した山村議員の行動が正常な感覚というもので、市長の「違法性はあるが処分はしない」では市民を納得させることはできない。
 日の丸親方の市職所職員たちよ「人権を護らない米沢市」とは何様の暴言だ「県職員より高率でボーナスを寄越せ!」だけのストライキじゃないか。市民の大半は呆れて物が言えないというのが本音だ。現実の市況を仰視せよ。市職員以外に年の瀬を安泰して越せる市民がいかほどいることか、考えてみたことがあるか。
 ちなみに地方公務員法の「給与の根本基準」第24条3では、
「職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定めなければならない」とあるが、職員が手にする給料は法に定める"民間事業の従事者の給与"など無視した、驚くほどの高額である。それでも満足できないというのか。
 それを世間では守銭奴という。
 社会一般を精査してみる必要がある。格段の収益を上げた一部の企業をあげて比較対象の具にすることなく、冷えきった地元米沢市の実情に目を向ける視野がなければ市職員のボーナス闘争は「乞食のゴミ漁り」としか市民には映らないのだ。
 ボーナスをもっと寄越せと要求する前に、自分たちが勝手に使っている市駐車場に使用料を払うべきである。

 市織員たちよ、必ずしも「善」ではない,市民に奉仕するという市職員たちの立場でありながら許認可権を盾にした市民いじめはどうだ。

 建設事業入札に業者との疑惑はなぜ発生するのだ「予定価格を知り得た職員の業者への漏洩」以外に偶然性はないのだ、大事な個人情報を漏洩した事実がありながら、職員を限定できない裏には「市職員による個人情報の漏洩」となれば市民の行政不信が拡大し、日本全国津々浦々まで恥部が広がることを恐れての事だろう。
 行政よ「嘘を嘘で固めるのは止めよ」米択市の弱点は耐震に弱いところにある。

「変わった人」[つかみどころのない人」  米沢市参与 清水修二氏の講演から

kage

2005/12/21 (Wed)

「変わった人」[つかみどころのない人」
米沢市参与 清水修二氏の講演から


 清水氏は福島大学経済経営学類教授である。
12月13日、米沢信用金庫研修室におよそ40名の聴講者を集めて行なわれた「米沢市参与 清水修二氏による後援会」のテーマは「米沢地域発展への課題」で、市民のド肝を貫くような文言で綴られていった。

 まず開口一番「私は参与とされておりますが、インターネットでお調べされれば明瞭でありますが、米沢市の組織図の中に参与という立場を示すものはないのです」
 1ケ月70000×2参与分=140,000円は公費からの支出になっており、市長の私設参与ではないことがわかった(総務部調べ)。
 ところが清水参与は安部市長を評して「つかみどころのない人だ」と言い「変わった人だ」と聴衆の前で語った。
 加えて「組織に属さない参与の後ろ盾は安部市長だから、虎の威をかる狐のような立場と心強く思っていたところ虎ではなくて猫だったりする」と後ろ盾が予想外に弱いもので、私たち参与は立場がないとでも言いたげな口調だった。
と或る聴衆はいい、情けなく感じたと言う。

さらに氏は「米沢市役所で考えたこと」と題し、

1・危機を自覚しない市役所の危機
  市場化テストの衝撃に米沢市役所は耐えられるか。
2・協働ということばの甘さと怖さ
  協働は公務員の首を斬るために美しく磨かれたギロチンの刃である
  米沢市はナイーブ(お人好し・世間知らず)な処女地
3・理念のないまちづくり・先の見えないまちづくり
  中心市街地再生問題にうかがわれるもの

と講演は続き、現在米沢市の抱える問題点を語った。
 はじめ、安部市長は、非力な自分の助言者であり、市長の家庭教師的な存在として大学教授を迎え、参与とすると考えていたようだ。
 過去に遡っても米沢市政に参与の存在はなかった。折角、参与を備えてみても人材を生かし切っていないばかりか肝心の参与に「変わった人であり、つかみどころのない人間だ」と言われてしまい、もはや米沢市政は鉄筋が大分抜けた構造不良の建物よろしく、ちょっとの地震で崩壊する危険な市政に成り下がったものだと認識せねばなるまい。

横井助役に奇っ怪な噂ふんぷん!?

kage

2005/12/20 (Tue)

横井助役に奇っ怪な噂ふんぷん!?

 20年ぶりの年内降雪量だという。雪国米沢市とはいえ予想だにしなかった降雪量の多さに行政の対応も儘ならない。
 この度、米沢市が出した「高齢者生活支援除雪派遣事業」の実施方に巷間では横井助役と竹田組(元県職員)との関係から、よからぬ癒着まがいの噂が取り沙汰されているようだ。

 竹田組の代表者は元県職員で「贈収賄問題」にからみ、余儀なく県職員を退職したご仁だ。横井氏が助役に就任してからの発注物件の推移をみると、明らかに横井助役の口から漏れたと推察される「予定価格」の100%で当該会社が落札している物件もある。
 竹田組の代表者はNPO「おいたまサロン」の理事長として中央商店街(通称・シャッター通り)に事務所を構えてボランテアとして活躍しているが、通常ボランテアとは首を傾げたくなる常識外の虚偽事業を企画して多大な補助金を受けている会社のようだ。
 端的な補助事業をあげれば、万世地区にある「炭焼き事業所」は産業廃棄物置場を彷彿とさせるガラクタ置場と化している。問題は補助事業として起こした「炭焼き事業」は全く実態がなく、事業を企画し補助金を受けながら事業の形跡すらないのだ。これが竹田組および子会社の実態なのである。

 本体の竹田組は市発注の道路工事についても下受会社に代金未払いをつづけ、3度も米沢市に竹田組への支払い情況問い合わせがきている有様で、川西町の某業者は訴訟に踏み切る内容証明便を米沢市に出しているのだ。

 そのような問題を抱え込んでいる竹田組と横井助役が取り沙汰されている理由は「竹田組社長と友達だ」と公言して止まない横井助役との関係に有る。
二人は県職員同士だったというが、小都市といえども米沢市のナンバー2の立場にいる横井氏は公人であり、業者とはより厳しく間隔を取らねばならぬ立場の人である。
 さきの落札疑惑においても、業者を友達呼ばわりする至ってはもはや公人と呼ぶには不適当な人物といわなければなるまい。

 噂では問題の竹田組社長と助役との間で「高齢者生活支援除雪費」一千万円を市に認めさせ予算化したというのだ。支援除雪費の一千万円は良いとしても、稼働費用に問題が浮上してきたのだ。
市とNPOが立案した予算は
・機械除雪の場合一回あたり7,200円。
・手作業除雪の場合 〃  2,700円
雪は毎日降るものである。当然ながら市民には回数が多いことがより有難味が増すというものである。
しかし市の予算には限度がある。そこで限度額の範囲内で回数を増やすには、1回あたりの除雪費を安くする方法を考えるべきである。

ところが別のNPO団体は
・機械除雪の場合一回あたり5,000円。
・手作業除雪の場合 〃  2,000円
の作業料金を提示してきた。こうして見るといかにも唐突なNPOの出現のように思われるが、市が公平に公募したわけではないからこの矛盾が生まれたものだ。
 米沢市の担当者にいきさつを聞いてみた。担当者は「これはあくまでも随意契約であり、公募したわけではない」という。
当会は「諸悪の根源、随意契約」と訴え続けてきたが、ここにも随意契約の悪癖が露呈しているのだ。

 さらに竹田組と癒着にも似た入札の行為を洗い出してみよう。
いくら友達だとはいえ助役と竹田組との関係から、業界で問題になっている最近の入落札の現況を示してみる。

入札日:17年10月12日
 平成17年度公共下水道事業北部枝線汚水管布設工事第31工区
 予定価格・5,737,000円
 落札価格・5,700,000円
 落札者・ ㈱ニューライン(竹田組の子会社)
※市の予定価格を下まわったのは㈱ニューラインのみである。

入札日:17年10月12日
 市道松が岬公園北部小線側溝整備工事
 予定価格・4,853,000円
 落札価格・3,850,000円
※疑惑は、㈱ニューラインと黒金建設が予定価格にきわめて近い、4,800万円であったことで予定価格が事前に業者に漏れていたものと思われている。

 さらに、宮井車線の入札においては、予定価格と同額で㈱ニューラインが落札したことから、予定価格の100%落札を成し遂げた謎を業界では、助役と竹田組の癒着以外のなにものではないと囁かれている。

 さらにさらに問題は、米沢市の助役就任は通例になかったことであり県側の顔を立てなかったというイキサツがあって、(新着情報11/3参照)県とのパイプは完全に途絶えた関係にある。したがって、県に依存するにはマイナスの部分、負の部分が大きいようだ。
 鉄筋量の少ない安部市政の今後は、よほどの開眼でもしないかぎり未来はないと思うが?

我慢したオナラはどこへ行く?

kage

2005/12/14 (Wed)

我慢したオナラはどこへ行く?

 年末だというのに「児童生徒の殺人・行方不明」事件や「耐震構造欠陥マンション」事件など不愉快な事件が連日報道されている。これでは庶民は笑らって新年を迎えられるものでないから「福の神」はやって来ないのであろう。
 せめて年末ぐらいは笑って過ごしたいと思うものである。小生は毎晩名人といわれる落語家のはなしを聞いて眠るのが習慣となっている。そこには古来、庶民の疑問とされてきた笑いがふんだんに語られている。古典落語は「吉原を舞台にした人間模様」が多いから、遊郭を知らない世代の小生にも勉強になる。
 ところで「我慢したオナラのゆくえ」について落語から得た知識を披露する。オナラを我慢していると、腹がはって苦しいが、やがて体内を逆流して小腸で吸収されて血液中に入り体内をめぐる。はく息に水素が含まれているが、消化管のガスが血液に吸収されて肺から呼気が入って口から排出される。これが我慢したオナラの行方である。これは医学的な話。
 明治5年、日本に鉄道が開通した当初、客車にトイレの設備がなかった。窓から放尿すれば罰金10円、放屁一発罰金5円也。5円で米が150キロも買えた時代だから、オナラを必死に堪えた。また、1920年当時の旅客機は乗客4人用の客席は密閉式になっていたが、換気がままならずオナラが問題になっていた。
 注意事項として「出発前は必ず用を足すこと。ガスを発生させやすい豆や黒パンを食べないこと」。

 「吉原」のはなし。よんどころのないお方が登楼した。やり手ばばあが気を使い遊女を吟味してはべらせた。この遊女、緊張したついでに屁をもらした。遊女いわく「病弱な父親の全快を祈って願をかけました。毎月一回、人前でソソウをして恥をかくことです」
よんどころのないお方は遊女の孝行心に痛く感心し「いまのソソウがそれか?」遊女は「申しわけございません。どうぞ、お許し願います」と、重たい頭をさげ尻があがったところで二発目が出てしまった。よんどころないお方が気づいて「また出たぞ」、遊女悪びる様子もなく「これは来月の分」 ・・。

 昭和5年11月14日、浜口雄幸首相が東京駅で右翼の凶弾に倒れた。弾丸は腸壁を6カ所つらぬき、小腸を30センチも切り取る大手術を受けた。腸壁の穴が塞がり腸の機能が回復すれば、その証拠にオナラが出るはずだった。「それなのに、ガスが出ない」と、国民は心配した。
 待ちに待ったオナラが出た時、新聞の号外は大きく報道した。「待望のガス出る。今朝2時15分」「放屁一発天下に轟く」

 江戸時代、曲部福平とい屁の名人はいろんな屁の音を自由にひり分けてイヌやニワトリ、花火などの音を真似した芸を売っていたという。屁も笑っていられない場合がある。宇宙旅行の大問題だ。気圧が低いときにいつもよりガスの出る回数が多くなる。宇宙船は気圧を低くしてあるからふだんよりもオナラが出る。宇宙食は量こそ少ないが高カロリーなので生産量が多くなる。水素やメタンガスの発生は電気系統に支障を与える恐れがある。当然、宇宙旅行では飛行士のオナラが問題になった。したがって、オナラの研究をした組織はNASAだったという話だが、笑ってすまされないオナラの爆発事故もある。
患者の腸内にたまったガスが電気メスの熱で爆発するという事故が起きた。無論、外国でのお話だ。
 小生にとっても「目のウロコ」的なオナラの話だが、落語といい、客車。旅客機・宇宙船といわず人間が放つ屁の存在は迷惑と快哉の両輪を兼ねているようだ

「水と安全はダダなもの」とされた日本人の感覚・今は?

kage

2005/12/10 (Sat)

「水と安全はダダなもの」とされた日本人の感覚・今は?

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者ハーバード大学のE・F・ヴォーゲル教授は日本警察と市民との関係を「市民が積極的に警察へ犯罪を通報する」「日頃から警察と住民と密接な連絡を保っている」「警察官の行動に関する規律がアメリカの基準より非常に厳しい。たとえば制服を着ている時には警察署、交番以外の場所での喫煙、飲食は禁じられている」の所説を説いている。
日本人から見ると当然なことだが、アメリカ人学者には驚愕のようである。さらにヴォーゲル教授は「国民は、なぜ警察に協力的なのだろうか」と自ら提起して答えている。
「第一に警察官の素質が高く、職務遂行に献身的であること。第二に交番と地域社会が密接で市民から信頼があること。第三に日本人は伝統的にお上に対して服従心があること。第四に日本の社会では個人は集団の一員として存在することから家族や企業といった団体に個人の犯罪を抑止する機能があること。第五に日本の警察は常にマスコミや世論の支持を得るためじっくりと行動すること」などである。
 諸外国が羨望するほど日本の治安がいいということは警察の力だけに依存しているからではなくて、日本の風土と伝統が深くこれを支えて犯罪を抑止しているからであろう。
 徳川幕府の鎖国政策には多くの罪過が歴史家によって指摘されているが、今日になって治安の面から観察する限り鎖国は大きなメリットを残してきた。

 「日本が世界一安全な国である」という海外ジャーナリストのフィーリングがここにきて怪しさが増してきたようである。
 OECD(経済協力開発機構)を母体とした精神環境問題の国際機関は「国民所得の豊かな先進国ほど犯罪の発生が高くなっている。これは高度の物質社会の発展が人間の生きがいを破壊せしめているからだ」と警告している。
 ここにきて「世界ナンバーワン」とされた国内の安全度が怪しくなってきた。朝のテレビは連日のように小学生にまつわる事件を報道し、夜のテレビは暴力・殺人を扱う番組が多い国である。スポンサーが視聴率にこだわる以上、経済最優先策なのかも知れない。が、道義的な配慮が薄れてよいわけがない。
 昭和50年代のわが国の犯罪率はアメリカのコンマ以下だった。だが、30年を経た現在のわが国の犯罪率はいかほどの高率であろうか。
 最近の犯罪の推移をみると、OECDが指摘するように日本国民も国民所得の豊かな先進国の仲間入りをしたということになるだろうか。

 「日本は世界一の食料輸入国でありながら、一日十万食を捨てる国民である」、何かが狂っているとしか思えない日本国の政治であり、わが子に対する親達の人間教育の欠如ということに結論づけるべき問題であろう。

「置賜市」の実現を願う目黒市長(長井市)と無反応をきめこむ安部市長(米沢)

kage

2005/12/04 (Sun)

「置賜市」の実現を願う目黒市長(長井市)と無反応をきめこむ安部市長(米沢)

 数日前の朝刊は合併問題について目黒長井市長のコメントが載っていた。目黒市長は「合併問題は置賜全域規模で推進すべきだが、置賜地域の中核米沢市の意向が中心になる」と述べている。

 安部市長は合併問題について、公約だからといって市民からアンケートはとったものの、首長としての考えを述べることなくアンケートを実施しただけでその後の進展はなかった。
「ダメ市長だ」と、今になって市民の多くが落胆しているのだが、1期4年間では「改革」は出来ないとして、2期目を狙って立候補に意欲を燃やされているようで、 個人の意欲は自由だとしても、「人の意見に耳を貸さない」「反対意見をもつ人には徹底的に遺恨を持つ」人物だと噂が巷間に流れている。
在職2年目にして「何もできなかったビジョンなき首長」に市政2期8年を任せるほど米沢市民はヤワな市民ではあるまい。
 会津若松市は2度にわたり、市長を1期だけで市民により首のすげ替えがなされている。市民の感情を逆撫でするような発言をしたためである。福島県は自由民権運動発祥の土地柄である。以来、有能な政治家を輩出してきた県である。市民の中に政治意識がキチンと存在していて、米沢市民の如き「われ関せず」とした政治的無知さは見られない。

 郷土の英傑雲井龍雄がわが国最後の斬首刑に処せられたのは明治3年末であるが、翌年の明治4年に大政官(三条実美)布告により「廃藩置県」が行なわれ全国を3府72県に分割統治された。
 そのわずか4年後、明治8年に刊行された「小学・日本地誌・巻Ⅰ」の「建置」の項に目を通してみると、東京・京都・大阪の三府、59県に変わっている。いかに激動騒乱期を経て近代日本国が創世されたかがわかる。
明治8年59県の中には「山形県」「置賜県」「酒田県」の3県が名を列ねており「置賜県」の中核は米沢市であったことがわかる。
 このことから「置賜」の名称のもと大同団結の上「置賜市」を合併によって創設することが望ましいと思われるのだが、肝心の中核市米沢市長は無策にすぎるだけでなく、なぜかビジョンをもたない人物のようである。

 米沢市の助役選任は安部市長が横井氏を指名して県を驚かせたくだりがある。通常、県に助役候捕を願い出る場合、県幹部が相談した上で県からの出向という形で出すもので、数年の助役経験を経て再び県にもどり退職するというパターンがとられている。が、横山助役の場合、安部市長の指名であり、横井氏の希望でもあったことから県職員を退職しただけでなく、通例の助役就任でないことから県とのパイプは完全に切れている人物なのである。
元県職員だというだけのことで、むしろ安部市長の助役指名が県の反発を買った上に県とのパイプに亀裂が生じていることは否めない方向にあるのだという。
安部市政とは斯様な失策の連続なのである。