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気になる日本語「すごく」が「すごい」に

kage

2005/11/29 (Tue)

気になる日本語「すごく」が「すごい」に

 舞台劇を書いているせいかどうか、文字の羅列にはあまり神経を尖らせないが、発声された「ことば」には敏感なものがある。
 最近テレビに登場する女優・タレントに限らずアナウンサーまでが、「すごい、おいしい」とか「すごい、きれい」などの首をかしげたくなる使い方をされているようだ。
どちらが正しいのか小生は子供の頃から「すごくおいしい」とか「すごくきれい」などと表現してきた。
どちらかが不適当な表現だと考えているが、いくら言葉は時代によって変化するものだといえ、急激な様変わりは日本の言葉を安易に蹂躙するものではあるまいか。
 本来、日本語は語彙が非常に豊かなものだ。とりわけ、自然に関する言葉が多彩なことが特徴である。
たとえば、身近な「雨」についての言葉をとりあげてみても「袖笠雨、小糠雨、篠突く雨、繁吹き雨,煙雨、小夜時雨、村雨、五月雨、通り雨、秋霧―――などなどキリがない。そのうえ「ぽつりぽつり・しとしと、ばらばら・ざ-ざ-・じとじと・びしょびしょ・ぽたぽた」など独特の擬態語、擬音語がある。
一国の語彙体系は、その国民の文化の索引であり、先人が築き上げてきた大切な文化遺産だと考えねばならぬものであろう。そしてこの索引をしっかりと継承して、さらに豊かな語彙体系に発展させてゆくことが現代人に課せられた使命だと考えている。

 日本語の時代の変遷にもついてゆけないが、女性の服装の乱れにも納得できないものがある。あのマラソン選手に見られることだが、ヘソ出しルックや女学生などに見られる極端に短いスカートはどうしたことだろうか。 巻き上げて、ことさらに短くしているスカートからはみ出ている女学生に聞いてみた。「寒くない? 寒さで足が真っ赤じゃないか」「流行なんだよ、おじさん」と、こともなげに宣うのだ。「流行?」寒さで赤みがかった大根足を見せるのが流行だというのである。
男性にとって女性の魅力とは見えない肌にこそ感じるものである。女性の露出趣味は一部の痴漢趣味をもつ男性は別として正常な男性にとって迷惑至極なものであり、いかに流行だとはいえへソ出しルックや寒さにものともしない赤大根足に魅力は感じないものである。
今更の大正・昭和初期の服装を愛でるわけではないが、感性豊かな女性はみだりに肌を人前に曝すことはしなかったものである。そこに男性は女性の魅力と神秘を感じとったものである。
肌を必要以上に露出している女性を見かけることがあるが例外なくご面相はブスである。こういう女性を軽薄な人間として多くの男性の範疇には入らない。むしろ、嫌悪感が増すばかりで冷笑の対象になっていることを全女性は承知すべきであろう。
わが国には古来「大和撫子」という言葉がある。日本女性の美称を形容した言葉である。 オペラ「蝶々夫人」に代表されるように、異国人が持っている日本女性への思いの大きさなのであろう。いつの世でも男性の持つ女性観は「大和撫子」的な必要以上に肌を露出しない女性であり、流行に意味もなく流されない女性であることに論を待たないのである。
男性は女学生のセーラー服姿にあこがれの 女性像を見たものである。

「一期一会」音楽会から学ぶもの

kage

2005/11/26 (Sat)

「一期一会」音楽会から学ぶもの

 120枚ばかりの舞台劇を書き上げ、出版元の戯曲春秋社に送りホットする瞬時に書込氏の意見に触れた。
期待通りのキラリとした意見は見られず、米沢人特有の枝葉末節的な書込みが並んでいるばかりだ。
1600円の本がプレミアムがついて1万円になっていることを述べると、アマゾンでは1600円で売っているというゴタク。在庫のない本は、たとえリストに載っていても実際には買えない代物だってあるのだ。確認して書き込むべきであろう。
 また、小生の浅学非才な点をついて「天下国家を論じる前に、誤字脱字をなくし、句読点の使い方を間違えるな」という陰にこもったご忠告があり、正しい日本語を学ぶべきである。というお叱りである。
さらに「文筆業とは恐れいった」とある。お説ごもっともなれば留意して研鑽するとして、言葉の裏から読み取れるものは「上げ足をとり」「出る釘を打つ」という悪しき風習の米沢人の存在確認であった。

 本会が渇望するのは「ピカリと光る」建設的な意見であり陰湿なことばではない。本会には、真面目な投書もあり、電話も入る。すべて本会には対処してきたという自負がある。
 ふざけた書込み氏もいる。「自分の顔をわからないようにして、小生の顔を見るにはどうすればよいか?」など、書込み氏のレベルはとてつもなく低いものだと思われる。小生と会いたければ、松が岬の事務所に来ていただけばいい。
 巷間では小生を評して「鬼か蛇」のように噂されているとも耳にする。行政に逆らっているのではない。市民の側に立たない行政の一部分に楯突くだけのことである。
個人情報の守秘義務が叫ばれている今日、市当局から個人情報が朝日新聞社に流れたことは先刻ご承知のことであろう。が、漏洩の事実をもって市当局や議会に抗議した市民はいただろうか。答えはノーである。むしろ面白可笑しくインターネットに実名を載せたグループさえもいる。傷口に塩を塗るとは、こうした行為のことをいうのである。まったく市民間に友情の生まれない市である。
 小生はこの漏洩事件の犯人として、市職員の個人名を発表した。無論、名誉毀損の訴えを覚悟してのことである。それでも市当局は市民に対する陳謝もなければ態度は屁のカッパで、しかも市当局の不手際の多さは言語に絶するものがある。猛省せよ!安部三十郎米沢市長。

 小生の口癖が「力量の乏しい者が指導者になりたがる不幸な米沢市」だ。「力量の豊富な指導者とはどんな指導ぶりを発揮するものか」を改めてNHK教育テレビの画面が納得させてくれた。
小・中・高生の合唱コンクール表彰式のあとに行なわれた「一期一会音楽会」で、一流の音楽家による生徒たちの合唱指導風景が放映された。まず、感じたことは指導される生徒たちの目が、指導者を完全に信じきった素直な態度で指導を受けている姿だった。たった15分間の指導によって、ものの見事に合唱の真髄を歌いあげるのである。指導者たる者の大原則は指導を受ける相手に絶対の信頼を受けることだろう。いい加減なタクトから優れたハーモニーは生まれない。そして程度の低い者たちが欲しがるのはお世辞に近い「褒めことば」なのである。「レベルを高く持つ」という意識を団員たちに納得させる指導者の出現が望めない土地柄であるか。

ただ一人、意見を述べられなかった米沢市長

kage

2005/11/22 (Tue)

ただ一人、意見を述べられなかった米沢市

 米沢新聞(既報)によると、県市町村合併推進審議会がうちだした「置賜地域の合併推進構想」について「各首長の考えを聞く意見懇談会」が去る16日県置賜総合庁舎で行なわれた。席上、各市町村長が各々の意見を述べ合ったが唯一米沢市長だけが意見を提示しなかった。と、報道されている。

 各市町村長の首長が各々合併に対する考え方を述べたのに対して、米沢市長だけが意見を述べることなくダンマリを決め込んだのは如何な理由があってのことだろう。
申すまでもなく、歴史的にみて米沢市は置賜地域の中核都市としての認識があった。今後もその認識を持ちつづける立場にある。
 「置賜地域は一つ」いわば合併に際して「置賜市構想」が当然叫ばれて論点の中心になるはずだった。
早くから米沢市長は合併について市民のアンケートを集めた。が、アンケートは立候補時の公約として履行しただけだとして、アンケートは未だに生かされていないのが実態である。
 いずこの合併劇を見ても、首長をはじめとする議会議員らの手前勝手なご都合主義が災いして合併が巧く行かないところが多いようだ。全くみみっちい理由が合併阻止の大半を占める理由である。

 さて、米沢市長のダンマリの理由は何か? 「合併問題に対する識見の乏しさ」だと巷間は指摘する。いやしくも望んで市長になったご仁だ。在職2年で、もはや3年目を向かえようする米沢市長である。いつまでも市長ごっこでは迷惑するのは市民たちである。
標榜する「自由の風」は自分だけのものであってつてはならないものだ。市民が自由闊達な活動を展開できるための追い風としての旗印ではなかったのか。市長の行動を見るとまさしく市民にとっては 「向かい風」ともいうべき旗印にしか見えないのだ。
 政治はかならずしも国民の側に立っているとは期待もしないが、選挙の公約を実際に履行する方向にあるならば、国民も改革のための痛みに耐えようとするだろうが、選挙が終了と同時に元の木阿弥にもどってしまう。国民は政治に心の底から信頼を寄せたいのである。その信頼を裏切るのは官僚支配の現実なのである。

 米沢市は正に疲弊のどん底にある。この不景気から脱却するために市長はどのような裁量で望もうとしているのか。市長在職3年目を向かえようとしているが、企業の1社も誘致できない非力さはどうだ。佐藤病院の進出希望を頓挫させたものは何か? いずれ、野村研三の立候補声明がなされているから来期の市長選挙に期待できるというものだ。野村の健康状態も完璧に近いものだと聞いている。

 米沢市民に問う。安部三十郎市長の力量は市民の目にも明確に映ったであろう。いえることは市長の器ではなかったということだ。 置賜地域の中核として誇りと責任を持たねばならぬ米沢市の首長が合併懇談会で意見を提示できずダンマリを決め込むようでは、米沢市の恥だといわねばならないのではあるまいか。
 「能力に欠ける市長」であり「ビジョンを持たない市長」との謗りは2年後の選挙で受けるのであろう。行政能力は勿論、政治能力に欠けた市長であれば市民の選択はおのずと異なる選択をするであろう。 前回の市長選挙は前市長の院政に対する反発票が安部を当選させてしまった。 多くの市民は語る「高橋前市長の影が見え隠れする候補が嫌さに、まさか当選するとは思ってもいなかった安部候補の名前を書いた。いたずら半分の投票が現在の市長実現となった」と述懐する人が多いのだ。

 止まれ、いずれにしても市民の付託を受けた市長ならば、発言ひとつしないとは許されることではない。

議会の誓願採択を踏み躙る行政は許せない!

kage

2005/11/08 (Tue)

議会の誓願採択を踏み躙る行政は許せない!

 本会は、昨年春から「再生資源物の有料化」を提唱してきた。ために市の歳入が増え、一昨年度まで無料であったことを勘案するに、いかに行政は歳入に際して無頓着であったかがわかる。 行政とは予算の執行だけに拘泥し、歳入は税収にだけ目をつけ他の雑収に対してまさしく近視的な傾向が多く見られた。 古紙の問題にかぎらず再生できる資源物の値段が原油の値上がりに付随して値上がりしている。今まで埋めたてるほか無かった廃プラでさえ相場がついている現状である。

 横浜市では収集業者が集めてきた資源物量を水増しして、不当な収集料を取得していた汚職が摘発され、全国的な問題に発展しそうな情勢だが、そのことを米沢市の環境部の部長に問いただすと「横浜の問題と米沢市はなんの関係もない」とケンもホロロの態度であった。
少なくとも行政の担当部長ならば、他都市の汚職であれば職務柄積極的な精査をすべきであろう。
 福島市の場合、台貫には市の職員が立ち合って伝票を確かめて持ってかえる方式をとっているが、米沢市の場合、市の職員が立ち合うことをせず、業者任せにしてきたことから台貫の数字はまことに正確を欠くものであったという疑惑がある。

 米沢市も、今年古紙の入札制度がキッカケとなり、その疑惑が濃厚となってきた。 入札には物品の量を示して入札が行なわれるのが常識である。資源物については、過去三年間のトータルを基本に入札業者に量を示している。ところが驚いたことには、入札の基本となる全体量が買取業者に渡った物量は約半分の量しかなかったのだ。 この説明を行政は、市が収集する資源物の量が減ったためだと説明する。そこで本会は次に述べる疑問を持って追跡してみた。 ① 資源物の横流し。 ② 実際には少ない量を業者が水増ししていた。 この2点のどちらかが正解であり、どちらも横浜市の汚職形態であること。

 6月の議会で「資源物の分別料」として900万円を業者の要求によって拠出することを可決した。考えてみるがいい。資源物の分別は市民の協力で行なわれているものだ。それに900万円也の要求を認めるのはおかし過ぎる。いわば泥棒に追銭というべきものだ。
これを認める議会も脳無しだが、業者の要求に従う担当部にも疑惑の煙が立つというものだ。

 さて、これだけの疑惑にも動ぜず毅然として議会無視を続けている吉田環境生活部長に巷間で囁かれて市民の声を聞かせてどういう反応を示すのであろうか。
「既存業者との癒着は毒マンジュウの食い過ぎからであり、したがって既存業者からの圧力をはねとばすことなどは到底できない相談である。よって、業者との約束から、市民が要請して止まない一般廃棄物収集業の許可を求める声に、言を左右にして逃げ口上を打ち逃げ回っているのだ」
「法律に定めのない項目を勝手に使い、知識無き議員たちを黙らせる方策を弄しながら、定年まで許可を出さずに頑張るつもりだろう」
 総務課に吉田部長の年令を尋ねたら、個人情報は明かせないのだという。彼の前の職場で聞いたら59~60歳だという。念願の一般廃の許可は彼が在職中は出さない腹づもりであろうから、あと1~2年間は許可を求めている業者にとって不幸な期間だといえよう。

 ことほど左様に行政担当者の社会観によって市民は苦しむのだ。
小生は吉田部長に対して「許可を求める業者に等しく許可を出すことが前提。許可する条件として誓約書を取る。誓約書には禁止条項を記載し、禁止条項を犯した場合には、ただちに許可を取り消す」という提案をしたが、耳を傾ける様子はサラサラないのだ。それに加えて出さないことの法律的な解釈が縷々勝手にのたまうのだ。
 これまでに、2年半にわたって環境生活部の面々と意見を交わして戦ってきたが、 成功したのは「資源物の入札制度」だけである。
 こと一般廃棄物業の許可に関するかぎりにおいては、議会の誓願採決などは屁とも感じてない担当部なのである。
議員たちの能力の無さが行政担当者たちを増長させるのであろう。
一般廃棄物業の許可を求めて止まない人たちには気の毒なことだが、吉田一朗部長の定年退職後に期待する以外に解決の見通しはないようだ。少なくとも退職までは1年間はある「退職するまでは特定業者との暗黙の約束は果たさねばなるまい」

 だれもが語る。「横浜市だけじゃないだろうよ。米沢市だって同じパターンだよ。相場の立っている古紙を十年間も無償で提供しながら、さらに収集運搬料を支払っていたんだから。加えて本年度は分別作業料として900万円の補正予算を通過させた議会も無能議会だよ」
 最後に、環境生活部の入札にまつわる売買書類の作成がいかに幼稚なものであり、書類の検索を怠った「役職たちのめくら判」が新聞に報じられたことは先刻市民なら承知であろう。
こんな低俗な集団で組織している担当部なのである。にもかかわらず市民はなんの反応をも起こそうとしない無気力さと「われ関せず」の態度は米沢市をさらなる無気力な町に堕落させていくことになるのだ。