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伝国の杜博物館の目玉「能舞台」は能舞台にあらず。

kage

2005/08/26 (Fri)

伝国の杜博物館の目玉「能舞台」は能舞台にあらず。

 小生の所属する財団法人「日本演劇協会」の事務局は東京干駄ケ谷の国立能楽堂にある。
事務所を訪ねた時「米沢市にも立派な能舞台が出来たよ」と、当然登録がなされているものと承知していたら事務局のだれもが怪訝な顔で「ほう!」と頷くだけだった。
 ようするに国立能楽堂の職員たちのだれもが、米沢の能舞台の存在すら知らなかったのだ。小生は能については全くの素人だから、それ以上の会話を交わさなかったが、天下の国立能楽堂の職員とあろうものが知らないではすまされまいと不快に思っていた。

 ところが原因が分かった。それは、米沢の能舞台は「能舞台の形式」を逸脱した建物であったということだった。

第一のミスは「能楽堂は神式である」ことだが、米沢の能楽堂の屋根は御廟所の歴代藩主の墓所の屋根の形を取り上げた、いわば「仏式」であること。

第二のミスは床の形式にある。橋かがりに使用する板は幅6寸であらねばならず、舞台に使用する板幅は1尺であらねばならないという決まりがある。が、形式通りの板を敷き詰めていないことだ。

第三のミスは、舞手が床を蹴った時に起きる反響の設備が成されていないこと。上杉神社内にある「能舞台」には、反響に役立つように舞台下の縁の下の土の中には4コの瓶が埋めてある。 新設備の能楽堂には縁の下に土がないことから、反響のために瓶を埋めるわけにはゆかないが、せめて、機械による反響設備はできるはずだった。

 「御簾の間」もなければ「松ばめ」に描かれた松は形式にあった松模様ではないという。
コケラ落としに訪れた金剛流宗家は「二度と米沢の舞台は見たくない」と言って帰られたのだという。

 なぜ、米沢の能楽堂は能の形式を軽んじたものか、そのわけは米沢出の某代議士によって、施工は仙台の業者(設計屋)に依頼したことが原因だともいう。
設計にあたり「こんな形式は能舞台にはない」と関係者は執拗に設計屋に迫ったが「能舞台はあくまでもステージの一部です」と、突っ張り通し関係者の意見に耳を傾けようとしなかった結果があの能舞台だということになる。

 折角の能舞台が、神式を仏式に代えるといった形式上の問題を無視したうえに、板ばめの寸尺すら整えず、まして高名な画家の手による松の絵が形式から外れているなどして、米沢市民が誇れるような能舞台で無いことは確かだ。

 いくら某代議士の手がまわった仙台の業者とはいえ、専門家の意見を無視するような建造物を残した責任を一体だれがとれるというのだろうか。
 政治家がらみの能舞台だとは市民のだれも知らなかったであろう。

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ②

kage

2005/08/25 (Thu)

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ②

 上杉は丹波の国、上杉の庄「上杉重房」が祖である。
一方、長尾景虎(謙信公は、府中長尾の出だ。長尾家は他に「上田長尾」「栖吉長尾」「三条長尾」がある。
 上杉景勝の母親は謙信の姉にあたる。が、謙信が起こした「ほだての乱」によって一族が殺戮され、景勝の父政景も謙信の手によって殺されている。
 後に秀吉の五代老となった景勝は、中納言の位をもつ公家扱いの武将になった。そこで「四辻大納言の娘」を娶った景勝はさらに飛躍することになった。
なかでも、景勝の正室の妹が後水尾天皇の妃になったことから、景勝は時の天皇の義兄となり天皇家と姻戚関係に入る。
二代定勝は京都にのぼり皇族の待遇を受け公家の生活をおくり雅びの文化を身につけることになる。定勝は「猪熊中納言」からキリシタンを信仰する息子をあづかり、田沢の奥に匿うが、三代綱勝の代になって匿いきれず北山原で処刑されることになる。
 おそらく上杉家が京都から持ち帰った「雅の文化」が米沢市に根をおろして現在があるのであろう。

 謙信は景勝の妹を北条氏政に嫁がせたのも、時の北条の威勢に恐れをなしていたからで、はじめは北条氏政の息子に跡目を継がせるという「約定書」まで作っていたのだが、謙信の臨終の床で景勝の母が「跡目は景勝ですね?」と問うた時に謙信が頷いたことを以て跡目が景勝に決まったのだという。これらの文言は上杉の古文書に記してあるのだという。
 上杉神社の南側、招魂碑の建っているあたりから、社務所にかけて「法恩寺」を中心とした「わき寺9ヶ寺」が建っていた。
中心の法恩寺の賽銭箱の裏側に「謙信公の遺骨」が瓶に収められたまま放置さながらに置いてあったと「江戸時代の絵図」に書いてある。
 景勝は会津藩120万石の時代には「謙信公の遺骨」を持ってこなかった。米沢30万石に移封された頃を見計らったように春日山からの矢のような催促によって持ち帰ったものであるから、今以て謙信公の墓は御廟の地には存在しないということになる。
 したがって、米沢藩初代藩主は「上杉景勝公」であり、「謙信」を初代藩主とするのは時代錯誤である。
 以上のことは16代隆憲氏が生前中に、三人の郷士史家を招いて上杉の歴史がズッ シリと詰まった蔵に案内し、そこで「門外不出」と明記された木箱を初めて開陳したところ、以上のような驚くべき事実が明らかになったものである。この大切な木箱を抱えて東京大空襲を逃げ回ったというエピソードもある上杉家にとっては、最重要な古文書の詰まった木箱だったようだ。
 木箱の中身を目にした史家は今泉・下平・井形の3氏しかいないという。

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ①

kage

2005/08/23 (Tue)

いきなり黄金伝説・「米沢初代藩主は謙信公にあらず」 ①

 二十日間にわたる検査入院生活の間に、上杉家の歴史について最後の生き証人だとされた郷士史家と偶然にも病室でお会いすることができた。
 上杉の三研究家と称された故今泉氏・これまた故人になられた故下平氏に並び、上杉御年譜を完成させた井形氏の御三方が、巷間伝えられてきた「上杉家の歴史の過ち」を公表し、市民が信じ伝えてきた上杉家の真実を正すべきだとして機会を待っているうちに今泉・下平の両史家が故人となり井形氏が最後の生き証人として残されている。

 彼らは「上杉家の歴史的誤認」を正そうと企画した折りに、町の素封家の某氏から「発表などしたら、米沢にいられなくしてやる!」と脅迫され、以来悶々とした年月を過ごしてきたのだという。「しかし、米沢市が捉えている歴史観は間違っている、山形県ですら米沢市同様の認知しかない。国では完全に上杉の歴史的な誤認を認めている」と語ってくれた。

 米沢市民の上杉家への第一の誤認は、藩祖を「謙信公」と信じていることにある。謙信公は天正六年に春日山で没しているから米沢市との関わりはないのだ。米沢における上杉の藩祖は「景勝公」であらねばならない。国の文献は上杉景勝となっており、山形県米沢市は今以て「謙信公」を藩祖としているのだ。

 戦時中、学校を問わず体操場には「謙信公と鷹山公」の肖像額が掲額されてあったものだ。当時の事情から関が原で敗戦した負将軍景勝公よりは、数々の武勇伝を歴史上に残した謙信公を藩祖とするほうが国民の戦意を高揚させるために具合がよかったに違いない。
 したがって謙信公を祀る上杉神社を正面に配し、 参道の入口に別格官弊社なる石塔が建てられていた。(戦後取り壊された)
これはきまった格式以外で特別扱いの格式で、多くは功臣を祀ったものだ。
ちなみに松岬神社には「鷹山公と景勝公」が合祀されて現在があるという。

 市民を誤認させている最たるものは「上杉の御廟所」にある。
御廟所には歴代の藩主の墓が祀られているが、景勝公の墓と定勝公との正面には確かに謙信公の墓が存在しているかのように錯覚するが、謙信公の墓ではない。
よく観察されると「必宮」との文字が目につくはずだ。「必宮」の意は「もがりや(仮住)」 のことで墓を作るまでの仮埋葬のことである。したがって今以て謙信公の墓はないということになる。
 伝え聞いた謙信公の墓には、武具を着用した謙信公が漆で塗り固められて祀られているのだと信じてきた。が、御廟所には謙信公の墓はなく「仮住まい」の「もがりや」が有るに過ぎないのだという。

本会調査「国保滞納議員」ナシ。「個人情報漏洩当局」の追求こそ「議会の権威復活」の鍵

kage

2005/08/11 (Thu)

本会調査「国保滞納議員」ナシ。
「個人情報漏洩当局」の追求こそ「議会の権威復活」の鍵

 私ごとだか、二十歳で盲腸の摘出手術を受けて以来、50数年間風邪にも嫌らわれてきた健康オタクの小生が、突然「胆石テロ」の襲撃に遭い緊急入院となって十日目になる。何事も油断大敵というべきか、「衆議院解散」の実況もベッドの上で眺めていた。

 「解散は脅しだ!」として派閥の子分たちを先導し「廃案に導いた」領主らの慌てぶりがおかしく、バッチをはずされおまけに未公認で選挙戦を闘わねばならないハメになった「裸の子分議員」たちの面倒を見られるだけの親分衆であるだろうか。
文字通り分裂選挙どころか、当選するためにはなんでもありの選挙戦の展開になろう。
 「政治は一寸先は闇」と宣う永田町の政治集団でさえも「マサカの解散」という見通しの御粗末さが裏目に出たということになる。

 さて、米沢市の議会だが、陰湿とも幼稚性ともとられる同僚議員同士のチクリ合いは、いかにも田舎議員の好きそうな戦術だが、本会の調査では「議員国保滞納者はゼロ」であり、期日までに完納されていることがわかった。
朝日新聞は市民受けする問題として議員の策謀に乗せられたが、精査の結果は「滞納議員皆無」が結論だ。
そこで問題は「一件落着」となるべきところ、議会は「議会の不名誉に関すること」だとしてマンマと仕掛けに乗せられたという他愛のない騒動のようだった。
議員といえども納税は期日までに済ませばその後の責務は問われないのが常識だ。

  問題の根は「菁政会」の怨念の謀略に朝日新聞が乗っただけのことだ。議会は新聞報道に仰天し事実の調査もせずに「議員の倫理委員会」に結論を課したことに議会の「薄らバカさ加減」が見え隠れする。
倫理委員の共産党議員の発言「期日を過ぎたものを滞納というが、期日内に納まっていない議員がいるなら別だが、全議員が収めている。なんで倫理委員会なのだ」の言に過ぎるのだが、執拗に粘る「菁政会」の仕掛け人といわれる○○倫理委員は「16年度は納税したかに見えるが、はたして15年度の納税情況に疑問が残る」と発言、あろうことか倫理委員会自体が墓穴を掘ることになっていく。
税金の性質から前年度の滞納をそのままにして、今年度だけの完納はない。
それすらの税知識もなく「なにが市会議員だ」と市民に舐められやしないか。「お盆に墓を暴くような軽率」に惑わされずに本質論に開眼すべきが議会の権威というものであろう。
「個人情報を漏洩した当局」を徹底的に弾劾することが本筋というものではあるまいか。 仮に議員の滞納問題は議員個人の問題として身分は市民の選択上にある。
しかし、公務員の場合は市民の選択に関係なく執務ができる。ここに怖さがあると考えてもいい。
 医者・弁護士などに限らず「個人の情報を知り得る立場の人間に課せられる守秘義務」は、公務員にも課せられた義務である。
 米沢市では「納税などに関する個人情報」は守秘義務として担当課が厳重に保管している。
担当課長は「守秘義務があり、担当課から漏洩するなど一切ない。その件についてはノーコメントだ」と語気強く反論するのだが「課長よ、漏洩は事実なのだ。あくまでも担当課からの漏洩でないと断言するならば、ほかに税に関するデーターを保存している機関があるというのだろうか?」それも示さず漏洩は国保・介護課ではないと言いきるには根拠に乏しいというもの。
 まして、それらしき市職員の名や奇妙な行動が囁かれている以上調査追求して、個人情報漏洩の元凶を捉え「市民の信用に応えるべき」が、当局をはじめとする議会の責務であろうと断ずるものである。
永田町政治に毒され、それが政治家の規範だと錯覚しつづけてきた田舎議員諸兄に一言。
諸兄に市民が望むことは「市政の根幹は常に市のためになるかどうか?であり、それが市民のためになるかどうか?を判断の基準とする」ということにある。
 議会は市民がもっとも恐れている「公務員の守秘義務違反」に重点を踏まえ、議会の権威にかけて調査追求をすべきが本筋である。
おそらくは米沢市議会も永田町政治よろしく「ナアナア」の手打ちで当局ともどもお茶を濁すであろうが、それでは永田町くずれの田舎議会の謗りは免れないことになる。
田舎は田舎なりにリーダーの突出によっては、生き返り蘇る田舎もある。
 最近のメクラ判行政の失態などでも分かるように市職員の行政に対する真剣さに欠けていることは事実だ。本会は本音で行政の不条理と思える牙城に闘いを挑んできた。論理が正しければ、難攻不落の牙城といえども「平等・公平」「自由競争の働く経済」の前には揺がざるをえないことわりだ。
いかなる「許認可権」を振りかざそうとも、正論と時代が解決するものである。
その信念こそが市民の市民たる運動を成就する唯一の手段であるそのために日々努力を惜しまないのである。
議会も本筋を見失うことなく市民のために当局を追求する勇気と知恵をもつことだ。

米沢新聞「読者の声」

kage

2005/08/05 (Fri)

米沢新聞「読者の声」

 当会は行政に対して色々進言してきた。
その中でも、過日各紙に報道された「形骸化した判子行政」は、各方面に大きな反響を与えたようである。
本日(8/5)の米沢新聞「読者の声」欄に鈴木吉郞氏の投稿が掲載されたので以下に表記します。

 先日、各紙が報道した米沢市役所の契約"ミス"を読んで、当局幹部らのていたらくさに市民の多くは驚き唖然とした。
 以前から市内産業廃棄物運搬業者の入札制度問題で業者間には多量のマグマがたまっていた。
 それに続いてこんどは金属と古紙の売却契約で売主と買主が逆の文書で締結、このミスが市民グ ループ(鬼の会)の手で発見された。

 しかも決裁に七人の捺印があるなか誰もこのミスに気づかなかった!という堕落さ。ここまでくると従来型の"処方せん"では効き目があるとは思 えない。鼻白む思いだ。
 第一、仕事に対する目的意識をもっているのか。ただ無気力ばかりが漂っているのだ。助役さんは「いちいち目を通していたらつとまらないよ」(鬼の会長談)というせりふは不謹慎も甚だしい。
 いつかも書いたことが ある。公務員には倒産もなく年功序列型で給与もよく、諸手当もがばちょと出る。これらが納税者である住民の不信感を必要以上に増幅させる一面だ。
 職員の机にはコンピューター機器など数多く備え ている反面、職員数は減っていない。何のための機器か。財政危機を控える今日、基盤の立ち直しを…とのぞむ住民に、一事が万事、この調子では幹部としての適格性を欠く所業と映るのである。
 こんなことでは市役所の体力も年々消耗するのでは…と疑わしくなる。 判子を押すのも単なる形式、これでは行政体制は耐用年数が過ぎているといわざるを得ない。ひとこと苦言を呈したい。

米沢市城南 鈴木吉郎

何処も彼処も

kage

2005/08/03 (Wed)

何処も彼処も

 昨日の夕方、千葉県松戸市の住人から電話が入った。
話は、水道局と住民との抗争が長年続き、一緒に闘った多くの同士も一人抜け二人抜け、今は1~2名となってしまい、行政の権力のもとに押し流されそうな現況の時、当会の活動をインターネットで見て、松戸市行政の理不尽な対応に何とかならないかとの苦情と相談であった。

 松戸市と言えば"すぐやる課"を昭和44年に発足以来、「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」をモットーに、市民要望にスピーディに対応する、開かれた行政団体であるとの認識を持っていたが、所詮"御役所仕事"の域を出なかったようである。

 御役所仕事といえば「一般廃棄物収集運搬業の許可」である。
許可を求める業者の十数年来の要望に、昨年6月議会に於いて小島卓二議員は「出すのか、出さないのか」と鋭く質問、吉田環境部長は「出す方向で検討する」と答弁した。
そして今年1月の市政協議会において許可を出すのは"平成17年4月1日"を目指すと当該部長は明言した。

 にもかかわらず、8月になっても許可を出す気配は無い。
その理由を問うと「許可を出すにあたり県に相談しなければならない事項が有る」と答える。
ならば米沢市情報公開条例により「県に相談した日時と回答」を求めたところ次のようである。

県が回答した日 平成17年1月26日
回答内容 「一般廃棄物行政については、市町村の自治事務で、県の指導監督権が及ばない」

 環境生活課が許可を引き延ばしてきた理由、すなわち「県に相談しなければならない事項」「クリアしなければならない法的問題」の何れも存在しなかったのである。
市民にウソをついてまで許可を引き延ばさなければならない理由は何なのか?
現に、当市における一般廃棄物の処理料が他市に比べて割高であるとの苦情を耳にするにあたり、既存許可業者13社の利益を優先するのでは無く、如何にすれば市民の利益になるのかという観点からの発想が必要であろう。

古紙回収、奨励金を搾取・横浜市の制度悪用

kage

2005/08/01 (Mon)

古紙回収、奨励金を搾取・横浜市の制度悪用

 7月20日付け、朝日新聞(神奈川版)の記事によると「古紙回収業者」が回収奨励金をカサ上げして、横浜市から搾取したというもので、8段抜きで報道されている。
奨励金は回収量によって決められているので、実際の回収量の台貫計量を誤魔化せば簡単にできる犯罪なのだ。
ようするに回収業者は回収量を水増しして、横浜市から奨励金を騙しとっていたというものだ。

 米沢市の場合にはその疑いはないだろうか。
市が委託している再生資源協同組合での台貫が、回収量を決定する唯一の計量とされている。が、米沢市は一度も計量に立ち合った事実はないのだ。
疑えば横浜市同様の操作はできる立場にある米沢の協同組合である。
本市の年度ごとの数字を精査すると、無償で提供していた当時の回収量と比べ、市が古紙の売却制度をとった年度は激減しただけでなく、入札制度になって 「北関東通商」が落札した3ヶ月間は 通常年度の約半分の回収量となり、米沢市と北関東通商で問題化され、今以て解決できない状態にある。
 すなわち、米沢市が入札時に示した「過去3年間の回収実績」と実際に納入された「今年度回収量」の落差があまりにも大きく、米沢市と回収委託業者(当該協同組合)と落札業者(北関東通商)との間で話し合いがつかないのである。
北関東通商は訴訟も辞さない構えのようだ。米沢市と協同組合の二者は「北関東が独自でグリーン回収をやっているから古紙の量が減るのは当然のことだ」と主張しているが、北関東通商が保存しているグリーン回収による回収簿の提出を受ければ、事の詳細は判明するだろうが、事態から精査してみると横浜市のような協同組合による計量の操作がなされていない証拠がないのだ。
 計量に市担当職員が一度も立ち合わなかったという事実が判明しているだけに疑義を否定することはできないものだ。

 また、「一般廃棄物収集運搬許可」問題は新たな展開を見せてきた。
情報公開によって行政側から新な資料が示された。
既存許可業者13社は新規許可業者を阻止するために、名古屋市の某弁護士事務所に依頼して、法的に阻止するための意見書「口上書」なるものを、市当局に示したものだ。
 市は「口上書」をもって、顧問弁護士に相談し意見を伺ったところ、顧問弁護士は書面で市に回答してきた。
回答書面によると「弁護士が作成したものとは思えない。"許可を出さないとする法的な問題"はすべて言うにあたらないものだ」と回答。
 許可業者の新規参入を阻止すべく既存の13社は、あらゆる手段を考えているのであろうが、ここにきて名古屋の弁護士事務所からの「口上書」が"許可を出さないとする"正当な理由と判断しにくいことがわかった。
この件に付き、行政側も県に意見を求めたものの「市独自の問題であり、県が関与するものではない」と断られ、新規許可を拒む理由は無くなり、許可は出さざるをえないところまで追い込まれている。が、市当局といえども「許可を出したくない業者」もいるようで、問題は複雑化している。

 長年、委託してきた協同組合の回収量に疑義が出かかるわ「許可は米沢市の問題」だとして、県に突き返されるなど、資源物や一般廃棄物を巡る問題は早々に解決の方向に向かわねばなるまい。
 しかし、横浜市のようなことが起きない保証がないだけに不気味な状況だ。