「市議の滞納」は、いかにして確認されたのか?

2005/07/29 (Fri)
「市議の滞納」は、いかにして確認されたのか?朝日新聞の報道によると昨日開かれた「米沢市議会倫理推進委員会」で複数の議員の滞納を確認したとあるが、小生が傍聴したかぎりでは確認はされなかったものだ。なぜ、朝日新聞だけが確認と断定するのであろうか。朝日新聞はこの問題をスクープした経過から、詳細なデーターを持ち合わせているはずだ。それを人ごとのように「複数の滞納議員を確認した」と報道するのには疑義が深まるばかりだ。複数とは4議員を朝日は指すのであろうが、朝日にリークした肝心の「菁政会」にも1議員がいたことを隠しているようだ。問題の1議員については「菁政会」所属議員が発言している。
正副議長および監査委員の3席を要求するする「菁政会」に対して、各会派が硬化し、あげくのはてに「菁政会」の3席は否決された。そこで会派会長の遠藤宏三議員を中心とした「菁政会」メンバーは報復手段に出ることにした。
そこで他会派にダメージを与えるべく謀議を企てたものの「菁政会」所属議員の中に「未納議員」がいたことに気づいたものだ。それでは作戦にならないとして自会派の未納議員の事実を隠蔽するために会派が納入した上で、朝日にリークしたものであることが議員らの証言でわかっている。
未納・滞納議員とはいえ、期日までに完納していることから「滞納議員」よばわりはあたらない。それでも倫理委員は執拗に詮索することを固めたようだ「16年度は納入したとしても、15年度の支払い情況を精査する必要がある、会に戻って次回までに議員名と実態を報告する」として閉会になった。が、「滞納議員」と並んで「個人情報を漏洩」し、その個人情報を依頼した菁政会がなんの目的に使うかを職員は知ったうえでの情報提供であろうと思われる。
次回の滞納議員の名を公表するならば、噂の「菁政会」議員の名前も加えなければ片手落ちということになり、平等観念に著しく欠けるものとなる。
また、行政は漏洩したと思われる市職員のE・Mなるものに対してなんらかの責めがなされないのでは「市民に対する説明義務」は果たされまい。
「議会倫理推進委員会」の名誉に賭けても今般の職員疑惑を明確にすべきだが、当局との関係から「漏洩職員」を不問にし、議員名だけを市民に曝すのでは大人の解決とはいえない。
謀略に失敗した「菁政会」山村委員だけが「1年以上も滞納した議員がいるのではないか」と、執拗に食い下がり、どうしても議員名を白日のもとに曝したい考えのようだ。しかし、遅れたとはいえ納入した議員に対して失礼な行為で、余計なお世話だといわれそうだ。
「菁政会」寄りの某人間が小生に「滞納議員名」を出すように要請してきたが、議員の名前の公表よりも「市職員の個人情報漏洩の方が重大だし、漏洩の事実を以て市民に公表し、他会派にダメージを与えるべく画策した「菁政会」の議会態度に大いなる疑義があるとして掲載を否したものだ。
安部市長はこの問題を真摯に受けとめているならば「個人情報漏洩」問題をつまびらかにする義務があるはずだ。
市長としての責務をどう果たすおつもりか?

議員の「倫理を問う」倫理委員会を傍聴した。

2005/07/28 (Thu)
議員の「倫理を問う」倫理委員会を傍聴した。「国保・介護」税を延滞している議員が数名いるとして朝日新聞に何者かがリークし、広く報道された事件に関して、米沢市議会は真相を精査し、税を延滞した議員名を公開して、市民の議会に寄せる信頼を取り戻そうとする、2回目の「倫理委員会」が議会の委員会室で開かれた。
議員は各会派から選出された5議員によって構成されている。滞納議員数は5名らしいが、実態の精査なき委員会開催だけに中学生のホームルーム以下の内容のない委員会となった。
「議員の税滞納」を問題にするのであれば「議員全員の税納入の実態」を改めて精査する必要があるだろう。5議員だけを槍玉に絞るのであれば、当該議員を滞納議員と決め付けた論拠に何か不純なものがある。
議員全員を調査したものでなく、特定の議員に絞った想像上からの行為であれば片手落ちというもので、それこそ議員全員の倫理性が問われることになろう。
倫理委員会開催の正当性からすれば、
① 5議員だけだと絞りだすには、議員全員の納税証明を精査しなければな
らない。
② 仮に税滞納議員が5議員だとするには、滞納議員自らの申告によるも
のであるか、どうかが主たる問題だ。
③ 滞納議員からの申告でなければ、だれが、どんな目的で、個人情報を
入手したか?
さらに滞納議員名簿は市職員の手からだれが受け取り、だれが朝日の
記者に渡したものか?問題の骨子は議員個人の情報を知る立場にい
た市職員の中で、個人情報を漏洩した職員は誰か究明を急がねばなる
まい。個人情報と常日頃つきあっている市の職員以外に考えられまい。
本会はE・Mなる市職員の名を挙げたが追求することもなく、問題点の
軌道を変えようとする倫理委員会に幼児性が見られる。問題の原点で
あり、解決の糸口であるにもかかわらずだ。
④ つまるところ、滞納議員を炙り出した事が成功したかに見える某会派に
は次の手もなく、議会を混乱させた責任を回避する手段だけに右往
左往している様子が見えるのは小生だけであるか。
⑤ 漏洩疑惑を当局にぶつけ、議員全員の納税情況を精査することが平等
の名のもとに出来るかどうか。議会にはそれだけの勇気はあるまい。当
局を追求するだけの倫理性は議会にはないとみた。共産党議員のいう
「材料に乏しい状態で調理は考えられない」が正当な意見だ。
「倫理」とは広辞苑には、
①人倫のみち。実際道徳規範となる原理。とある。端的には「道徳」という。
したがって、議員は市民の選良として市民の付託をうけた人物であるから、市民の規範となるような行動が望ましいということになる。本会が記述してきたような議員会派の怨念による他議員の恥部を暴露するような謀略は、あまりにも倫理性に欠けた悪辣なテロ行為だといわねばならない。
蛇足だが、市民の中には滞納者が約2000人いるというが、その中で悪質な滞納者には保険証の交付を止められ、約50人が保険診療を受けられないでいるという。が、仮に議員のだれかが、税滞納のために保険診療を止められている市民と同じような立場にありながら、市職員に圧力をかけ保険診療を可能としている議員がいた場合には、断じて糾弾し、法のもとに裁かねばならないが、納入が遅れただけで、すでに完納しているのであれば問題はないのであるまいか。
議員の全てが国保加入者ではなく、多くの議員は社会保険加入者であることも考慮に入れるとすれば、議員全体の問題として議会がとやかく騒ぎ立てる問題でもないような気がする。
いずれにしても、議会最大会派「菁政会」が正副議長および監査委員の3席を獲得できなかった「腹いせ」から仕掛けた謀略が見破られた以上、いさぎよく敗北を宣言すべきがスジである。
議会の倫理委員会を傍聴してみて、あまりの幼稚さに開いたロがふさがらないばかりか議員らに対する認識に限りなき陰りが出るのを禁じえなかった

公約は膏薬にあらず

2005/07/27 (Wed)
公約は膏薬にあらず安部三十郎市長が公費を使って海外視察に行くと各社が報じている。
市長の海外視察のために公費を使うことには、市民のだれしもが反対するものではない。が、こと安部三十郎氏の場合にはスンナリと承服できないわけがある。
市長立候補の際、彼は市民に対して「公約」したことがある。
市長専用車の廃止と、公費を使った海外視察は無駄だと決めつけて、有権者の審判を仰いだはずである。
市長専用車は廃して売却したが、海外視察の費用には公費を一切使わないと言ってきたことが パフォーマンスだけの選挙戦術であったとすれば「市民を愚弄するのもいい加減にしろ」と市民は激高するどころか、市長の手前勝手な言動に呆れて、ものも言いたくない心境のようだ。
佐藤病院進出を阻み、わが国では初めての、公的な施設を使用しない成人式など、やることなすことに意味はなく無駄が多い。
選挙用の旗印「自由の風」は手前の方にだけ吹かせているだけだ。市長室入口に掲げてある旗印はいち早く撤去せよ。一人悦に入っているようだが、米沢市の恥部行為だと思えないほど頭脳が弛んでいるのであるか。
「公約を修正する時は市民の了解が必要」だとして「市長コラム」で公約の撤回について説明している。と言うが広報で知らせたからイコール市民の了解を得たことにはなるまい。
市民が了解したかどうかは次期の選挙で答えがでるものだ。
市長就任時には「合併問題のアンケート」を実施したが、それは実のない無駄金の使用だった。
以後も数々の失政つづきで米沢市はかぎりなく疲弊の道を歩んでいる。統括力・事務能力・政治力のどれにも欠けた市長をもった市民は哀れなものだ。
安部派の議員いわく「もうアイソがつきた。リコール運動が起こらないか」と心待ちしているような節操のない不埒な奴もいる。革命的な戦士が米沢に誕生し育っていれば「市長のリコール」は成立していただろう。
いずれも、数々の市職員の不祥事は管理能力に欠ける、首長の責任であることは論をまたないが「いつまで続くぬかる溝」である。

「市内有力者たちの市税滞納番付」が暴露された事件

2005/07/26 (Tue)
「市内有力者たちの市税滞納番付」が暴露された事件昭和34年8月1日発行の「米沢ジャーナル」8号が小生の手元にある。やや黄味を帯びたが、約半世紀前の雑誌である。
当時の米沢市議会議員は大物といわれる人達でひしめいていた。
6月議会で社会党の片野議員が、いわゆる「片野メモ」を握って、吉池市長に詰め寄った。
「米沢市には現在5千万円を超える市税の滞納がある。学校ひとつ建つ金額である。法定決算期までに完納していなかったら、名簿の中の有力者を9月議会で公表する」といって片野メモを高々とかざした。
時の唐沢助役は「必ず完納させる」と約束した経緯があった。が、どのような経緯があったかは別として「多額滞納者一覧表」38名の名前を見て仰天したのは小生だけではなかった。いずれも吉池色の濃い有力者たちだけに目を覆いたくなるものだった。
有力織元がズラリ、今をときめく病院と医師個人と県会議員などで目を疑いたくなる有力者の名前が列記されている。
本間議員は「滞納整理のやり方を見ると、無名市民の僅かな滞納にはどしどし督促をして取り立て、しかも延滞日歩や督促手数料を取っているようだが、一方多額滞納者の方はあまり督促もしないし、手数料や延滞日歩もとらない」役所の対応には斯様にムラがあった。
ここでは多額滞納者の氏名を発表することは、故人も多く控えるが、今回のように一部議員の謀略に加担した市職員の場合は、動機に不純さが色濃く感じられる。
市職員による勇気ある「告発」にはほど遠く、公務員が法によって縛られている「守秘義務」を犯した犯罪に属する行為である。
仮に滞納議員の氏名を発表してみたことで、得するのは「菁政会」9名の議員であろう。滞納議員とはいえ納付期日までは完納しているわけだから、公表されたところで問題はない。むしろ「菁政会」にも同じく滞納議員がいたことの論理をどう説明するというのだ。
謀略が見破られ、晴天白日のもとに曝されることの結果を考えて、組み立てた謀議であるか。策謀者はより頭脳のある策謀家によって、いとも簡単に読まれるものである。
謀略が破れたら武士は腹を召したものである。そのような勇気すら持たない議員らが「公費を使う議員として恥ずかしい行為だ」と責め立て、市民受けを狙ったものであろうことは容易に想像のできるところだ。
小生事で恐縮だが、小生の家系は近衛兵で皇居を護った父であり兄であった。だから躾は特に厳しいものだった。
「武士は疑いをかけられただけで腹を切るものだ。疑いをかけられるような振る舞いをするな」が、少年時代から仕込まれた家庭教育だった。だから常に自信に満ち満ちした言動をとって恥じない。それだけの自信が小生にはある。市民として堂々と行動することが米沢の地に合わないだけのことだ。
守秘義務を一部の者に洩らすことによって、大朝日新聞のスクープとなったが、ことの漏洩は山形市からだといい、他県からの情報だとぼかし、言い逃れする有様だ。
27日に開かれる「倫理委員会」は市民の傍聴も許されているから、多くの市民の参加を得て議員たちの倫理にたいする感性をのぞき見したいものである。意外とタマムシ色のシャンシャンと相なるのではあるまいかと想像している。
だが、個人情報を漏洩した市職員の行為は、一市民として迷惑至極な所業だとして究明の手を省くようでは当局も議会も、再び市民の信頼と期待をそぐことになる。

悪質極まる議会怨念謀議!!

2005/07/24 (Sun)
悪質極まる議会怨念謀議!!菁政会所属議員から「会長の書いたものは間違っている」と忠告する電話が入った。
電話によると「遠藤宏三議員は素朴な方で、親戚の職員を使って議員の個人情報を盗みださせ、議員のプライバシィを暴露するなどする方ではない」と、遠藤議員を弁護するのだった。
だが、小生と遠藤宏三議員とは、彼が議員選出の監査委員時に限っての関係だが、素朴な人柄のせいか、鬼の会が行った住民監査請求に、事実を精査する努力もなく、金沢局長が作ったいい加減な書類に、ただメクラ判を押したにすぎない、その能力に欠けた議員だった。
だから小生の疑義にも答えられず怒って、しまいには話の途中で一方的に電話を叩きつけるように切る議員だった。
小生としては素朴だという論理だけで了解できるわけはない。
[ E・Mなる市職員の奇妙な行動が示すものはなにか?]
今月21日の朝まだき、市職員のE・Mは元議長の佐藤俊弘宅を訪れた。
佐藤議員は初対面の市職員の訪問に「用件が何んであったのか考えてみるのだが定かではない」
「一体何が目的で拙宅を訪問されたものやら?」関根地区にある佐藤家の自宅を尋ねたわけは今もってわからない奇妙な行動だった。
[ことのおわりに]
議会の役員人事をめぐって起きた、個人情報漏洩事件が千秋楽を迎えるのはいつの日であろうか。野球をやるのにサッカーのルールを使ってやろうとしても肝心の野球ができるだろうか。
議会を巻き込んだ当局職員の漏洩はそれこそ「公務員守秘義務違反」という法を犯した重大事件である。
まず、当局としても議会と協同で調査することが本筋というものである。議員の個人情報を議長といえども聞き出す権利はあるまい。 無論、議会の権威をもってしてもだ。
それだけ人権に関する問題は難しいものだ。国保・介護保険の未払いは罪ではない。未払い議員本人が保険の便利さを享受できなくなるだけではないか。あくまでも個人に属することを暴露して何とするのだ。それらの行為は傷ロに塩を塗ると同じ行為だと思い至らないものか。議員だからといって特別視する市民も貧しい。それでは貧乏人が議員に立侯補できなくなる論理になる。
だだし、犯罪性のある問題については別だ。過去には酒酔い運転をして議長職をフイにした議員もいる。議長選挙時に駅前の赤根尾で飲食のもてなしをして違反を問われた元議員もいた。それぞれの息子が二人それぞれの会派に属しているではないか。
個人情報を尊重して本会のページに曝すことをやめるが、抗争が長引けば種々の議員スキャンダルも飛びかうことになって得することはない。
ある会派では滞納議員名を発表したがっているようだが、個人の情報を開示して何が残るというのか。本会は隠せというのではない。明らかにせねばならない類のことではないというのだ。
まず、個人情報を洩らした市職員を確定し、違反事実を述べて行政上の処分をすることだ。米沢市の首長の責務として処分できるであろうか。
聞くところでは、E・Mは安部派に属して選挙運動に熱心だったという経過があるから、いかなる処分がくだされるものであろうか。

「迷走つづける混沌議会」と「自失呆然とする米沢市当局」

2005/07/23 (Sat)
「迷走つづける混沌議会」と「自失呆然とする米沢市当局」朝日新聞によって触発された「議員の国保税の未納事件」は、市民に規範を示さねばならない議員にあるまじき汚点だとして、市民は議会に議員名の公開を申し入れるなど、朝日の記事は「市民受けする」報道だった。
ある市民は某新聞の読者の声欄で未納議員の不実をなじった。大方の市民はその尻馬に乗った形で議会の信頼を疑っている。
しかし、現時点で2000人の未納市民がいるというから、市民もまた未納議員だけを責めるのはいかがなものであろうか。
議員とはいえ個人の情報を市民に開示する必要はないのだ。むしろ、市民の最大の感心事は個人情報が「知り得る職域にある職員によって洩らされることの恐怖」なのである。
一連の問題を整理してみよう。
[菁政会議員の野望・謀略]
議員同士は市民の票数によって、議員職が成り立っているわけだから、お互いにライバル関係にあることには異論はあるまい。いわば同業者同士の親睦的な組合制度の色合が強いものだ。悪意な考え方をすれば、議員同士が叩きあいして、議員の失職が本音では望ましいと願っていても不思議ではない。立候補地区を同じくする議員ならばなおさらである。
動物の世界には巌然として生存するための「縄ばり」というものがある。そして「縄ばり」を犯すものには生命を賭けて戦いを挑むものである。人も動物である以上、否定できるものではない。
米沢市議会に限らず、壮絶とも思える戦いが日夜永田町界隈で行なわれている事実は、国民ならだれしもが知っていることである。最近、問題になった国保税未納問題は小泉総理にまで及んだことが、それほど国家を左右する問題となったことであるか。
指摘されて納付した議員をそれでも問題が残るとして国民は追跡しただろうか?
したがって、未納議員を執拗に追求しようとするのはよけいなことだろうと思うのだ。事実があるとすれば完納時がズレただけに過ぎない。むしろ、未納議員を暴露して何が議会に得るところがあるのか疑問である。
今回の問題を調査してみればみるほど、議員同士の叩き合いと謀略とが交錯し、議員本来の責務や倫理とは乖離したところでの、本音行動の醜態が浮かび上がる。
[ささやかれる謀略説の真実とは?]
米沢市議会を構成する28の選出議員たちは、それぞれ政治思想を同じくする議員たちの離散集合によって、米沢市議会では2年ごとに会派を形成して議会活動を行なっているようだ。
正副議長の任期は法律的には4年と定められているが、大抵の地方議会では任期を2年間としているのは地方議会のご都合主義からきているようだ。
その理由はほかでもない正副議長職を欲しがる議員たちのための「盥回し」であり名誉を欲しがる議員たちの多さを物語っているものだ。
米沢市議会の最大会派「菁政会の構成議員は、会長が遠藤宏三で伊藤亮一・佐藤正夫・山田登・佐藤忠次・山村明・鈴木章郎・吉田芳一・川野裕章の9議員」
議会通の論理によると、米沢市議会からは、いわゆる大物といわれる議員が姿をけした現在、若手策士議員は川野と山村だといわれている。
2議員は数の原理から最大会派を形成し、常に議会における存在感を重視してきたが、議員仲間から敬遠されているから、どこの会派からも誘いがない。
そこで今春の会派つくりには、遠藤宏三に擦り寄って「あなたは議長にふさわしい方だが、監査委員を勤められたばかりだから、いったん間をおいてから議長に」とおだてあげ、遠藤議員と仲のよい佐藤忠治次議員とともにゲットし、公明党の2議員に加え、さらに新人議員を加えて議会最大会派の構築に成功したわけだ。
前回の議長選挙では、翔政会との合同会議で話し合いが難航した末に、投票決着となったが、菁政会の中から造反議員が出て、翔政会が漁夫の利で議長職を獲得した。
さて、今春も恒例のごとく菁政会から翔政会に談合が持ち掛けられた「前回は議長をそちらにやったんだから、こんどは正副議長と監査委員の全部を貰いたい」
菁政会のいう議長候補には伊藤亮一議員・副議長は山田登議員・監査委員は佐藤忠次議員の名前を上げての交渉だった。翔政会の返答は「三役全都寄こせとはあまりにも虫が良すぎる」と断わられ、あまりにも横暴な交渉をする菁政会にアイソつかせた翔政会は、菁政会を蚊帳の外におく作戦に出た。
その作戦は、議長をわが会派から出すが、かわりの条件として副議長を櫻鳴会に渡すことに、さらに革新クラブに監査委員の席を決めた。
こうして菁政会の外・内堀を完全埋めることに成功したわけだ。一番の被害者は議長になりそこねた伊藤亮一議員だった。
さて、本会議での決戦を前に、このままでは伊藤亮一議員では勝てないとして、山村明議員が候補として投票が行なわれたが、山村候補が敗退するに至って菁政会の思惑は完全に封鎖されたものだ。

議会千夜一夜から、舞台は一転して「行政の暗夜行路」の場。

2005/07/22 (Fri)
議会千夜一夜から、舞台は一転して「行政の暗夜行路」の場。[税未払い議員の存在をスクープした朝日新聞の立場?]
無論、ニュースソースを明かさないのが報道機関の常識だから、朝日の記者はリークした人物の名を明かすわけはない。当該記者は今年、定年で、おそらく現地勤務で退職になるであろう。
退職を前にして不名誉なリスクは避けたいと考えるだろうから、余程の証拠物件でも無いかぎりスクープは出来なかったはずだ。
緻密なデーター(担当課からの正式な個人データー)が入手できないかぎり記者は動かなかったはずだ。スクープするのに十分な証拠書類が揃っていたからであろう。
[個人情報が漏れるような課の存在は市民にとって迷惑至極だ]
後藤課長がどんなに「法によって守秘義務が定められているから漏洩の事実は断じてない」と切り返しても、事実「議員の個人情報が漏れていた」のだ。
ならば後藤課長は、朝日新聞の報道は「ガセネタ報道だ!」と朝日新聞社を相手どって、漏洩問題で戦う意志と勇気があるとでもいうのか?
それもなくて「一切、コメントはできない」だけの返答では市民を愚弄するだけにとどまる。いわゆる公務員の奢りの発露であり素直さと謙虚さに欠けるというものだ。
[総務課長はかく答えた]
朝日のスクープに端を発した「議員の未払い問題」について、総務部長の見解は呆れるものだった。
「議員の未払い問題がクローズアップされて、市民の大きな関心事になっているが、議員とはいえ個人のプライバシーに関することで、議員が拒否したならば議会といえども捜査権は無いはずだ。それ以上に問題は個人情報が担当課から漏洩していたことの事実の方が、市民にとっては大問題となっている。議会の議員個人の問題より、行政の問題が重要であろう。担当課員を調査して漏洩した職員の確定を急ぐがスジであるべきだ」
総務部長はそれに答えて「朝日新聞がニュースソースを教えてくれないので対応のしようがない」とノーテンキに答える。
常識的に考えてもわかりそうなものだが、朝日の記者が取材のネタの出所を明かすはずがないではないか。米沢市のナンバー3なる者が社会常識さえも理解していないのでは何をかいわんやである。
[問題点をすり替えるズルさと猿知恵の惨めさ]
遠藤宏三の会派にも実は「未払い議員」がおったらしい。
あわてた会派では「未払い議員」の分を支払った上で「当会派には不埒な未払い議員はおりませんよ」と、担当課の記録を確かめた上で、堂々と表舞台に問題を提起してきたことが判明した。
[議会の尊厳に傷をつけても怨念を晴らそうとした菁政会とは?]
確かに菁政会は議員数9名を擁する名門会派ではある。が、二期つづけて議長職を翔政会に奪われている。
6月議会を前にした菁政会と翔政会との人事をめぐっての合同会議の投票での敗北の原因は「菁政会からの造反だった」のではないのか。その怨念をはらすために議会全体を巻き込むというのは「いかがなもの」であろうか。
田舎議員の猿知惠か、報復すること事態がおかしなことだが、議員のプライバシィにまで及んで個人情報を盗み、報道機関にリークするとは、その行為はもはや市民を代表する公人のすることではあるまい。ガキの喧嘩以下の仕業だと言えよう。
これが本事件の全てであり、名門菁政会会長遠藤宏三議員の仕掛けた大罪といえる。
本会議前に議長は「まずは朝日新聞の報道によって一時とはいえ議会の信頼を失ったことを想定できる以上、議長として市民に陳謝し、議会の信頼を取り戻すことが先決だ」と、会派代表を集めて陳謝する意志を告げ、本議会の開催に先立って議長の陳謝がなされた。が、議場にはなぜか遠藤会長をはじめとする菁政会9名の姿はなかった。
この不自然な行動は何を意味するものであるか、リークした張本人会派であったことの証左ともいえるだろう。
本会議場に着席した議員の多くは、菁政会議員全員の欠場に異常なものを感じ取っていたという。まさしく、ガキの未熟な論理をもって、他派に報復すべく企んだ、これまたガキのごとき幼い手段であった。
蛇足ながら菁政会議員の中にも未払い議員がいた事を、本会の知り得る情報として、ことの推移によっては議員の名前を公開する用意があることを伝えておかねばなるまい。

議会千夜一夜物語[国保・介護保険未納]漏洩事件の真相を暴く!?

2005/07/21 (Thu)
議会千夜一夜物語[国保・介護保険未納]漏洩事件の真相を暴く!?米沢市の議員は共産党を除き、大別して4会派に別れる。
まず、最大会派は遠藤宏三会長の率いる9名の議員で構成する菁政会。
次いで第2の会派は議員数8名を擁する鳥海茂太会長の翔政会だ。
それに次いで第3の会派が嚶鳴会の5名で佐藤俊弘議員が会長だ。
そして革新クラブの4議員の会派で会長は佐藤伊左エ門議員だ。
残る2名の議員は共産党議員で会派名はない。
以上の各会派の議員数を頭に叩き込んで「議会千夜一夜物語」を読んでいただきたい。
[親善ソフトボール大会の取り止めのこと]
はじめに、菁政会選出の川野裕章議員が議長で、県会議員の親善野球大会の選手派遣費用が問題になった頃のことである。
議長の川野は時期が時期だけに、いくら親善だとしても取り止めるべきであると結論して、親善ソフトボール大会の参加を取り止めた経緯があった。
[議長選出の談合会議と親善ソフトボール大会の再開]
ポスト川野議長の次期候補をめぐり、菁政会と翔政会との合同で談合が行なわれた時期のことだ。
9対8の会派同士の談合だから、数の論理からすれば当然ながら9議員を擁する菁政会が主導権を行使するが、話し合いがつかず、無記名投票で決着をつける事となり、開票の結果は菁政会から造反議員が3名出たため、翔政会の五十嵐謙一が議長候補に選ばれ、菁政会からの山村明が敗退した。
しかも五十嵐議長は「親善のためならやるべきだ」として、二市五町の親善ソフトボール大会を復活した経過がある。菁政会から参加する議員がなくて翔政会主導の参加となり、以後、両会派にはギクシャクした関係ができていた。
[今春の正副議長選挙と監査委員の選出]
翔政会の作戦は、菁政会を蚊帳の外におく3会派連合対策を敷き、翔政会から議長候補に須藤紘一議員を、副議長候補に斎藤春美議員を決め、革新クラブの高橋義和議員を監査委員に割り振ることにした。
最大会派の菁政会に割り振られた席は、佐藤忠次議員の予算委員長がたった一つという完全な敗北を期したのである。
ある議員の告発によると、怒り心頭に発した菁政会会長の遠藤宏三議員が残した言葉は「このままで済むとは思っているな!」との捨てゼリフで、何を意味するのか後味の悪いものに聞こえたと語る。
まさか、議会を揺るがすような「国保・介護」保険未払い議員をあげつらう作戦に出るとは議員たちのだれしもが思ってもみなかった。
「個人の情報」を菁政会議員のだれかが朝日新聞にリークしたものとされているようだ。
報道によって世論は未納議員の名前探しに狂奔していくことになり一時は騒然となった。
[菁政会会長遠藤宏三議員の報復?]
最大会派の会長として、正副議長および重要ポストの一つも取れなかった遠藤宏三会長はよほど悔しかったものであろう。メンツが丸潰れにされてしまったのだ。この怨念が前述の捨てゼリフとなったものであろう。
遠藤家は遠藤武彦代議士の親戚であり、念願の最大会派の会長にまで昇進することができた。議長職に手の届く位置に登りつめた今、正副議長および監査委員獲得の失敗は、将来に汚点を残すものであると考えた遠藤宏三議員は、他の会派議員を落とし入れる作戦に出た。
それには、議員仲間の日頃の会話から自然と耳に入ってくる国保税未納議員を暴き、広く天下に知らしめて未納議員を市民たちに糾弾させる方法だった。
それにはまず、自派の議員の中に未納議員がいないことを確かめる必要があった。幸いにも未払い議員はいなかったことを確かめると、さっそく他3会派の実情を調べるのである。
[議員の未払い情況を調べることの可能市職員は50人?]
公務員には個人情報を守秘する義務が法によって定められている。が、守秘義務を犯せる立場にある市の職員は50人足らずだ。
その50人足らずの職員から議員未払いの情報が漏洩したことは間違いのないところだが、問題は法を犯す危険性を承知でデーターを遠藤議員に流した職員とは一体だれなのか?
問題の根源は公務員の守秘義務を犯した職員の追求にある。
国保・介護課には課長以下36名の職員がいて、それぞれ分担された職務について働いている。他に税金に関する税務課員などは無理すれば未払い議員を特定できる立場にはいるが、これらの職員たちにとって無意味な行動で法を犯し、処罰されるのを望むようなノー天気で物好き職員がいるとは考えにくい。
だとすると国保・介護裸の36人の職員に絞り込んで考えてみよう。
後藤課長以下職員たちは「公努員には守秘義務が法で定められている」と取材にはコメントを頑ななまでに避けている。が、36名いる中の職員のうち、限られた1職員だけが禁を犯したものだと考えるのが順当であろう。
そうこうしている時、ある議員から以外な情報が飛び込み、市職員のE・M(ここでは名前を秘す)の存在が浮上してきたのである。
[E・Mなる市職員の正体を探る!?]
一昨年暮れに、市中にバラ撒かれた数枚の写真をご記憶の方がおられると思う。
写真内容は前市長夫妻・前助役夫妻に加えて前建設部長夫妻が、除雪事業を行いたいと希望する業者の「そば接待を受けている写真」だ。
すでに市長選挙に向けて米沢市全体が発進している時期のことだった。佐藤忠次議員がその写真集を議会でバラ撒いて高橋前市長を激怒させたものだった。
結果として接待側の業者は除雪作業を請け負ったが、問題の写真を撮影したのが、当時除雪課にいたE・M市職員だったと議員はいう。
問題の市職員は遠藤宏三議員の親戚であり、遠藤代議士とも親戚同士であった。その職員が除雪課から任務替えによって、2年前から国保・介護課で収納係として在席している事実を掴んだ。
名誉棄損を覚悟の前で書くが、彼は遠藤宏三議員と親戚で現市長側についた職員である。しかも、36人の中の個人情報を精査できる立場にあった。
遠藤議員は議員内で噂になっている、おぼしき議員を特定し、未払いの事実を確かめるべく彼に依頼したものであろうことが容易に想定されるものだった。
[各会派に均等にいた未納議員たち]
遠藤宏三議員の作戦は見事に功を奏した。朝日新聞朝刊が大見出しで報じたのである。一番びっくりしたのは新議長に就任したばかりの須藤紘一議長だった。
国保・介護課にしかない個人情報が漏洩した事実関係を追求する以前に、議会の権威を失墜させた責任の重さにとらわれていた。
新議長の立場を考えると同情にたえないが、未払い議員の代表陳謝は事実を精査した上ですべきだった。
議長は新聞報道をあまりにもまともに受け過ぎ、気が動転して、職員が個人情報を漏洩した行為の重大さに考えを及ぼす余裕はなかったものであろう。
市民に向かって陳謝することの一念に凝り固まっていたようだが、職員の守秘義務違反は刑事罰の対象となり、市職員の職さえも失いかねない事件である。
議長のとるべき態度は、まずもって漏洩の事実調査に専念すべきだった。
一方、遠藤宏三会長は自分の会派、菁政会を除いた他の3会派に均等に未払い議員が名を列ねていたことに、おそらく快哉を叫んだことだろうが「天に向かって吐いたツバは本人の顔を直撃する」と故事にあるように、漏洩事件が追求されることによって、痛いしっぺ返しを受けることに思いは至らなかったものか。
遠藤宏三会長の作戦はズバリ図に当たったかに見えたが、未払い事件の哀れな終幕となりそうだ。

漏洩した守秘義務「市会議員の国保不払い」事件の謎!?

2005/07/20 (Wed)
漏洩した守秘義務「市会議員の国保不払い」事件の謎!?米沢市の国保担当職員は口をそろえ、激しい剣幕で「公務員に課せられた法律によって守秘義務がありますから、一切お答えできません」とあくまでも突っ張る。
しかしながら、納付してなかった議員が数名いたことから、議会で議長が陳謝した事実がある。議員個人の申告によって不払いの事実が議長にもたらされたものか?
朝日新聞の報道によって、突如議員の不払いが発覚したものである。確かに市民の負託をうけて議員に選出された人たちである。巷間では「市民の模範となるべき議員が保険料を不払いするとは!」「高額な議員歳費をとっていながら、なぜだ?」などの非難も多い。
不思議なことは鉄壁に守られているはずの個人情報は一報道機関によって漏洩の事実が明らかにされた以上、上記の国保・介護課から漏洩したことはだれが考えても否めないものだ。
仮にそれでも漏洩の事実を否定するならば「真夏の怪談話」でしかないのだが、市投所職員の数々の失態からして一概に漏洩の事実を否定できないものがある。
議会は倫理委員会を発動して「議員の倫理感」を高めるべく準備しているらしいが、問題の倫理委員会は「政治的倫理」であり、個人の「経済的な倫理」を議会が取り上げるのはいかがなものかという迷いもあるようだ。今月27日に開かれる市政協議会は注目すべき会議になりそうだ。
「あるようで無いのが金であり、ないようで有るのは借金」がこの世の定説だ。今回の不払いは議員とはいえ、あくまでも個人的な経済問題から発しているものだ。個人の問題として処理すべきことで、議会が倫理委員会を発動してまで関与すべきことではあるまいか。議員であろうと個人の責務として解決すればそれですむ問題だ。
問題は漏洩の事実を追求すべきがスジというものだろう。議員とはいえ、お互いに経済事情は異なるものだ。ましてや人に知られたくない経済事情というものがある。古い言葉だが「武士の情け」ということもある。議員とはいえ個人の経済的事情を疎かにはできまい。税は期間までに納入すればそれで済むことである。
この不払い事件の裏側には議会最大派閥が、議長どころか副議長、監査委員の「金になるポスト」が取得できなかった怨念がチクったのだとする噂も真実味を帯びてくる。
仮にチクリだとしても不払いの事実を何で知り得たのか? 問題の焦点はそこにある。
国保課が激しい口調で守秘義務を主張するのだが、担当職員の文言とは別のところで「漏洩の事実」は事実として原因を追求しなければなるまい。「課からの漏洩事実はない」と気負ってみても「漏洩」の事実を「知らぬ存ぜぬ」ではすまないものであろう。
市の税務課に聞くと「米沢市の税の収納率は村山市に次いで県2位」だという。報道機関が報じている県最低水準だとするのは「国民年金の収納率」だと語る。
税務課の見解は「議員の保険不払い」の原因は「納税組合の廃止」によるものだと指摘する。納税組合が存続していたら、不名誉な不払いの前にチェックポイント的な関門があって、防げる問題だったのではあるまいかという。便利な機関であっても、古い組織や機関を廃止するキライがあった。これを改革とはいえない。
米沢の疲弊は城下町でありながら旧町名を廃して「単なる背番号的な町名」に変えたことに起因するとは思えないか。
歴代首長には先見の目と町づくりの哲学とに欠けていたのだ。

ハンコ行政の裏側を突く! 本日の記者会見から

2005/07/15 (Fri)
ハンコ行政の裏側を突く! 本日の記者会見から本日(14日)10時、本会は市役所内記者クラブに於いて記者会見を行なった。
米沢市の行政が、いかにズサンなシステムで動いているのかを証明する公文書を、正式に市担当側から入手したからである。
問題の公文書は、米沢市が作成した「資源物売却による売買契約書」なるものである。
驚いたことに、資源物を売却する側の米沢市と、買い受ける側の業者との間に交わされた「契約書」の中身が、売り主と買い主との関係位置がまったく逆くに表記され両者間で取り交わされていたということだ。
売却方の米沢市が買取り方になるという常識を逸脱した売買契約書が作成されていたのだ。
気がつかなかった両者もどうかと思うが、本会の指摘によって新たな契約書が作成されて両者の保持することになった。
本市は、契約実行の手続きとして、まず担当者が契約書を作成し、起案書に契約書を添付して「この契約でよろしいでしょうか」と上司に決済を仰ぐ決まりとなっており、下から順に市長までの印鑑が必要となる。
確かに助役・市長を含め7人の印鑑を得ているのだが、だれ一人として書類を精査するどころか、書類に目を通すことがなかったのである。
いわゆる形式だけの手続きであって、形骸化した実のないハンコ行政であることを立証したものである。
これについて助役は 「私も確かに認め印を押しました。が、内容を見ませんでした」と誠に正直な態度だった。
許せないのは環境生活課員の態度だ。これだけの欠陥公文書を業者と交換しながら悪びれる様子は一切示さないのだ。
課長も課長補佐さえも、問題の原因を契約検査課に押しつけ、責任は検査課にあると言わんばかりの態度だ。
「過ちを糾すに、何をためらうことがある」鷹山公のことばである。が、市職員はあまりにもそれに欠けていた。
本会は米沢市行政の恥部だとしてマスコミに発表することを逡巡した。
そっくりそれは米沢市民の恥となるからだ。だが、依然として環境生活部課の反省は見られず理屈にもならない言い訳をするばかりで、市民側に立って市民の要求に答えようとはしないのだ。
議会への「一般廃棄物収集運搬業の許可」誓願も、共産党を除く議員一致で採択された。が、行政側である吉田一明部長の議会軽視はつづく。
何が担当部を頑なな拒否態勢に追い込んだものであるか。だれが考えても既存13社の圧力と担当部職員の業者癒着なのであろう。
記者クラブは本会との接見の後で助役から事情を聴取したところ、助役は「まったく恥ずかしいことだが、書類の中身を精査する余裕はない」と答えたと聞く。
要するにハンコ行政は必ずしもデタメな手順とは思わないが、市民が信じてきたようなハンコ行政でなかったことが明らかになっている。
議長にも問題の契約書を提出し、議会による行政監査の目を厳しくすべく、お願いしてきた。
議長は 「誓願は議会総意で採択したものだ。行政にはその経過を説明する義務がある」と同時に「議会として積極的に、行政に対して説明を求めて行くつもりでいる」とのことであった。
この問題から市民は目を逸らすべきではない。

現実問題としてガン患者は蘇ることができるのか?

2005/07/13 (Wed)
現実問題としてガン患者は蘇ることができるのか?各地で水害を起こしている梅雨である。それを考えるとうっとうしさを嘆くこともあるまい。恵みの雨だとして草木は勢いを増しているようだ。
小生宅の花壇は例年のような極彩色に色どられた草花はなく、本年は宿根草の百合やアヤメやあじさいが彩りを見せはじめているが、インバルスやベゴニアは白一色に繁茂している。自分では意識して白にこだわった気はなかったが、現実には梅雨の花壇は白一色の花壇が梅雨を謳歌している。
近年、小生は2人の義弟をガンで黄泉に旅ださせている。虚しさが白一色の花壇になったものであろう。若い命がいとも簡単にガンに蝕まれていく現実を直視する中で、小生のなりわいは「ガン撲滅の健康食品販売」である。
無論、小生は義弟たちに向かってガンに有効な食品の説明を続けた。高価な食品ではあるが、商売を無視した価格で提供できる立場から説得するのだが、2人の義弟はすでに再発しているガンの正体をつきとめながら闘う意志を喪失しているのだ。
「これ以上 家族に迷惑をかけたくないのだ」と力なく生きるための意志を失っていくのだ。ガンは生きることを阻む難病であり、家族までも犠性にするという経済的な負担が大きい。だから、看病する家族としては、はじめは本人の命を救うために最大の意志で難病からの生還を願って努力するのだが、膨大な医療費の支払いのために疲れ果てて大抵の家族は、愛情とは別の感情で「治る見込みのない病気ならば、家族の経済的負担と精神的負担からの解放を願わなければならない」のが現実ではなかろうか。
大抵の医師のガン治療の実態は「患者にメスをいれる」こと「抗癌剤を使用する」ことが主なる治療法である。患者は医師を狂信するあまりその治療を拒否することはできない。医師や病院にとって、手術と抗癌剤治療は高価な治療として医師や病院の高額な収入となる。が、杭癌剤による副作用は思考の疲弊した体に容赦なく責め苦を与えつづける。ガンと闘う有能な食品群はいずれも抗癌剤投入によって効果が薄れる性質がある。抗癌剤を拒否する患者には早期退院させる病院もあるかに聞いている。
死亡しても医師によっては死因を「00ガン」と診断書に明記しないためにガン保険会社からの支払いを拒否されるケースもあって、死亡後に医療費が支払えない家族たちは遺体を大学に献体する以外に手はないのだ。
小生は2人の義弟を亡くし、2人の義弟はともに家族のために病魔からの生還を願わなかった事実を目のあたりにして、難病を克服するための経済的精神的な破滅を恐れなければならない医療費の高騰にこそ、問題が山積していると思わねばなるまい。
医師たちの実力とは別にあの高収入はどうだ。国民の不満と治療の疑惑があるにしても、問題はなぜ難病に罹患しないための予防を考えないのであるか。
小生は病気がキライだからという単純な理由で健康保持のためにあらゆる勉強をしている。過去50数年間、風邪にすら見舞われたことがない。無論、生活習慣病の心配はない。72才になるが物忘れや視力の衰えは自覚するにしても、公の「検診」には足を向けないで間にあっている。
問題は生存するための「目的意識」と「健康維持するための知恵」を携えていることであり、人間だれでも馬齢を重ねれば中古自動車と同じく部品が痛んでくる道理だ。だから日々、油を注入しながら長持ちを考えている。
たった-度の人生だ。死んだらすべてがパーである。健康であることの喜びを噛み縛めている次第

誓願採択をも無視する吉田環境生活部長

2005/07/12 (Tue)
誓願採択をも無視する吉田環境生活部長永年にわたり、一般廃棄物収集運搬業の「許可」をもとめて止まない業者が米沢市内に10社ほどある。が、依然として「許可」を出す方向に向いていないようだ。
吉田環境生活部長は議会答弁でも「出す方向で検討している」と言い、業者説明会場でも「6月をメドに出す」と明言しながら実行しようとはしていないのだ。
なぜ発言にブレがあるのか? 理由は市内13社の軋轢と応援にかけつけてきた全国からのオルグに桐喝されたこと、さらに先月、既存業者団体の全国大会が米沢市文化センターで開催されるなど。標的は新に許可業者による業界への新参入を間接的に阻止する意図があったと考えるのが正論であろう。
「業界への新参入によって、既存の業者に倒産などの不幸がおとずれたなら米沢市に弁償問題が発生するかどうかを検討中だ」と、担当部は時代錯誤ともおもえる論点を持ち出してきた。
「現在、2名の弁護士と相談中」だと返してくる。
「弁護士の名前は?依頼して6ケ月も経過しているのに、見解を示せない弁護士とは、無能な弁護士である。まして、依頼した弁護士に対して見解の催促をしない怠慢をどう考えるのだ」と、追求しても黙秘権を使って沈黙するだけの行政担当者たちである。
「一般廃棄物収集運搬業の許可を求める」誓願が6月議会で採択された後の会談でさえ、以上のように一歩も進展しない黙秘権行使がつづくのが現況である。
ところが、本年一月の市政懇話会の記録が本会の手許にあるが、記録の中では吉田部長は「平成17年4月に許可を出す」と発言している。が、「私は4月に出すとは言っていない」と発言記録さえも否定する。
なぜ、これだけの言質にもめげず吉田部長が「許可」を否定するのか?いや「否定しなければならない理由が他にあるのではあるまいか」それは、度重なる既存業者の圧力であるか、全国から集結した業界オルグたちによる恫喝であるか、さらに米沢問題を意識した「業界の全国大会」の圧力であるか。
巷では「吉田部長の理由なき頑なさの裏には買収策の介入ではあるまいか」という、うがった声が蔓延しているのだ。それは公務員としての生命線である。
また、古紙問題、許可問題に熱心な市会議員が「この問題から手を引かないと命の危険がある」として古紙・許可問題から手を引いた議員がいることは確かだ。
命の危険を感じさせながら、外で圧力をかけている人物がいることも確かなようだ。議員に恐怖感を与えるなどして「既存業を守ろうとして他に解放を許さないというには、この業界がいかに甘い汁に温存された業界であるかの証左なのであろう」
民生委員会で発言に立った伊藤亮一議員は「自由競争時代にそぐわない既存業者の圧力をめげず、米沢市民のために新たな許可を出すべきが行政の責務である」と論破し、議会本会議場で共産党を除く全員一致で誓願を議会が正式に採択したものである。
議会の採択すら無視する吉田環境生活部長であれば何をかいわんやである。とまれ!たとえ吉田部長が拒否つづけるにしても、法的には米沢市長の権限である以上、吉田部長には権限はないのだ。
問題の許認可権の真の保有者は安部三十郎にある。問題が表面化して1年半は過ぎた。無駄な時間がむなしく過ぎる点においては「北朝鮮との対話」に似たようなもので「のれんに腕おし」状態がこれからも続くのであるか。

「よねざわ鬼の会」ホームページの効果

2005/07/11 (Mon)
「よねざわ鬼の会」ホームページの効果市民団体「よねざわ鬼の会」が一昨年に開いたホームページにアクセスされた度数は、本日までに15万を越し、市民の関心の度合いの強さに改めて驚いている。
本会の理念は「市民のための行政であるか?」であり、声なき市民の不満の声を堀起こし行政を是正させることが主たる目的である。
成功例として、市民が分別して集積所に出した資源物が歳入になったことである。無論、行政担当者の開眼による努力も無視はできない。
永年無償提供していた資源物が、本会の提言によって昨年度まで4000万円の歳入になった。本年度は本会の提唱によって、売却先の随意契約を廃止して入札制度に改訂され、北関東通商が落札した結果、1億をはるかに超す歳入が見込まれていた。
ところが、米沢市が収集を委託している「米沢再生資源協同組合」がどうした訳か北関東通商の落札に怨念を持ち、折角市民が分別した古紙類を意図的に混在し、商品価値を下落させる行為に出た。
しかも、見積り時に行政の示した古紙類の総量が実際には激減し、予定の半分程の数量に買取り人「北関東通商」は困惑し激怒した。
古紙の売買価格は、総量の多小によって決定する。しかも、古紙類にはおおまかに3種類に大別されて価格設定が異なることから別々の価格となる。新聞紙・雑誌類・ダンボールの3種で、ダンボール・新聞紙・雑誌類の順に価格が安くなる。
したがって、3種の古紙を別々に計量したうえで米沢市からの請求となるが、肝心の価格の高いダンボールに他の品種が混在されているため、メーカーから買取拒否を受けるという損害が生じた。
これに対して行政は打つ手をもたず、収集運搬を依頼している再生資源協同組合を指導することにさえ欠ける行政だった。
問題は簡単だ。市民が分別した通りに業者に渡せば買取業者の価格は維持されるものを、理由は定かでないが価格の高いダンボールに品種混在を計るという、嫌がらせとも思える行為を繰り返し、肝心の高価格品を妨害し米沢市に損害を与えてきた。
したがって、未だに行政と業者との間に解決しない問題となっている。
さらに北関東通商の担当者は「契約では台貫時に所員が立ち合うことになっているが一度も立ち合ったことはない。協同組合の台貫で計量したものを、確かめるために弊社の台貫で計ったところ明らかに減量されていることがわかった。協同組合の台貫計量に疑義を持っている。が、米沢市は聞く耳をもたない」と不満をブチまける。
そこで市役所が発表した総量には疑義が生じている。他市町村が平年並みの総量に対して米沢市だけが総量の半分しか古紙の回収がないという裏には、収集運搬業者が「故意に実際の総量を水増しして収集連搬料を操作、行政を騙して運搬費用のカサ上げをしていたのではないか」という疑問がわいてくる。
いずれにしても行政の監督不行き届きから起きた問題である。役人には「遅れず、休まず、働かず」の「役人3ず」を地で示している環境生活課の現況なのである。
環境生活課は古紙売却問題に対しても対応が粗雑であるだけでなく、許認可権をもった部課であるがゆえにさらなる問題を醸しだす要素を含んでいる。

「うこぎ」で米沢の町おこし!?

2005/07/10 (Sun)
「うこぎ」で米沢の町おこし!?米沢出身で久しく永田町でジャーナリスト活動をしていた知人が「なんちゅうバカなことを考えているんだ!」と、激怒しながら小生の事務所を尋ねてきた。本来、歯に布をきせない舌法が彼を良くも悪くも評価がマチマチな男だ。
彼は「今朝の毎日新聞を呼んで頭にきた」のだと息巻く。彼の言い分はこうだ。
「うこぎ」なんてものは、本来貧乏人の食物だった。それがなんだ「うこぎフェスティバル」を開き、5000円の会費で「うこぎ料理」を食うだとゥ、時代錯誤もいいところだ。
女子短大の教授がパネルデスカッションをし「うこぎの町米沢垣根の会」が主催して本月17・18の両日、上杉城史苑を主会場として行なわれる。うこぎ茶などの販売もある。
彼が怒っている本質をたどれば、うこぎなんてものは雪国の春に貧乏人が食べた緑野菜だ。焼き味噌をからめて刻んだ「きりあい」や「おひたし」などの旨さ、懐かしさは十分にもっているが、うこぎ料理を賞味するに5000円とはふざけた値段だ。
ここに米沢人の正常な価値判断ができないバカさ加減が見え見えする。研究のための費用・その他の費用を合算して、これだけの費用がかかっているから結果は5000円也の料理代となるのであろうが、実際に市場価格を判断するときに「うこぎ料理」で5000円は妥当であるかどうかの判断に欠けている。
彼は言う「たとえ5000円の値打ちがあったとしても、大衆性はどうだろうか?」の判断に乏しいというのだ。この料理を町おこしに役立てようとするならば「価格は?いくらならば大衆に支持されるだろうか?」の思考が必要で、大衆にうける価格を設定したところで「ならば、どうすればその価格で出せるだろうか」の考察と努力が必要であろう。
「うこぎ」の抗酸化作用について研究発表を聞いたことがある。が、その後市場に出回る製品はできなかった。SOD様食品学会での話だった。
「うこぎ」は米沢だけの特産ではなく「高菜」とおなじく九州高鍋藩から鷹山公が疲弊した米沢に運びさせ栽培を奨励したものだ。だから、必ずしも米沢の特産ではないことだ。
それはそれとして「うこぎ」で町おこしするという考えには賛成するものの、あまり気負いする開発は避けたいものだ。
「うこぎ」が現代的にどのような「料理」に変貌して出てくるものか興味はあっても古来からの「切りあい・おひたし」を越える「うこぎ本来の味」が確保されるものであろうか。まことに疑問なのである。
料理法には「煮る・揚げる・焼く・蒸す」の4種が基本的になるが、あの香ばしい「焼き味噌を加えて刻んだ」あれ以上のうこぎの味はどう考えても出来ないような気がしてならない。
郷土の春一番の旬を司る「緑の食物・うこぎ料理」が、春秋を通して食材となりうるだろうか。もともと、うこぎは茶にかわる薬草ではなかったか。
「うこぎ」が5000円の料理に化けること事態に疑問が残るフェスティバルの開催である。どう贔屓目に見ても5000円の会費は郷土離れしているようだ。

ある主婦からの意見(市立六中の旧校舎解体に寄せて)

2005/07/09 (Sat)
ある主婦からの意見(市立六中の旧校舎解体に寄せて)日本人からリリシズムが失われつつあることは哀しいものだ。
かつてリリシズムは日本列島に暮らしする日本人がもち続けてきた伝統的な情感である。
本会に、主婦からの一通の投書が入った。目を通すと市立六中の旧校舎解体にまつわる市教育委員会の対応についてであった。
行政の不手際から入札をめぐり、疑惑騒然とした市立六中の新築工事は完了したが、電気工事の請負会社(山形市)が倒産し、しかもその工事の下受けをしていた2社(米沢市)は、市が禁止している「入札に参加していた会社」であったことなど、行政の甘い監督不行き届きなどが暴露されたいわく付きの工事だった。
問題は旧六中校舎の解体工事に因み、旧校舎に学んだ人をはじめとする米沢市内に住む主婦らが、歴史の温存や思い出を心につなぎとめておきたいものだとする思いから、解体する前に「校舎に残る部分品のひとつ」でも自分の周りに置いておきたいとの願いを、市の教育委員会に申し出たら、委員会では「人々の要請にいちいち対応してはいられない。解体工事は業者に依頼する市の直轄工事だから対応はできない」という返事だったと婦人は嘆く。
市の直轄工事であるならば、なおさらに思い出を望む人たちの願いを叶えるように、細やかな対応ができるはずだ。
行政の怠慢以外に何もない。ことは教育委員会の役割を考えてみるがいい。解体したら行政の仕事は済むのであろうが、歴史は蘇らないのだ。
小生ごとだが、東京駅の解体問題が浮上した時、歴史ある建造物を保存すべきだとして創立された「全国町並み保存協会」の、米沢市ではたった1人のメンバーである。
米沢市は上杉の城下町として観光行政に拍車をかけようとしているが、城下町の風情は何処にも見られない。
これらの原因は歴代首長に環境行政に対する明確な見識と哲学がなかったことにある。
歴史的所産は破壊によって断たれるのであり、歴史の重さはその歳月の長さによって語られるものである。
教育委員会の仕事だから一例を提供しよう。
長野県穂高町に建つ「碌山美術館」は深谷市の旧紡績工場の解体レンガを使用し、長野県人20万人の浄財と、レンガ運びに協力した小学生を含めて建てられたものだ。
国の重要美術品を2点収蔵する全国的に著名な美術館で、経営は穂高町の教育委員会だが、穂高町教育委員会が地元出身の彫刻家、荻原碌山(日本人としてロダンの一番弟子)の全彫刻の原型を何処にも散らさないで保存していた経過が、現在の美術館の意義を深いものにしているのだ。
それに比べ、わが米沢市の行政には人の古きものを忍ぶ心根や叙情的な心を軽んじている貧しさがある。
これでは他市に誇れるような冠たる教育の町とは縁遠い町に落ちぶれてしまったのも、むべなるかなの一言に尽きる。
今や母校を尋ねても校舎や校歌が変わって歴史の重みが分断されている現状だ。子供の頃の懐かしさを求める心では、冷徹な拒絶にあう。
あえていうが、戦後は伝統をわけもなく排斥した教育者たちだ。新しい校歌が必ずしも優れた校歌だとはどう考えても思えないものばかりだ。早稲田大学の校歌は戦前戦後を通していまもって歌いつがれている。伝統というものは歴史を創りあげるものだ。
ご婦人から夜遅く電話がはいった。
ご婦人いわく、教育委員会の方から電話があり「何が欲しいのか一緒に旧六中校舎にまいりましょう」というお誘いがあった、そこで「私の後でどなたかの電話があったのですか?」と尋ねたら「鬼の会から電話があった」と答える。
私は、教育委員会は他の人の電話によってこんなにも簡単に翻意するものかと情けなくなり、途端に懐古する気持ちが消えてゆくのがわかり「丁寧にお断りしたんです」ということだった。
「行政の対応に一市民として情けなさがつのるばかりだ」と言って電話が切れた。
教育委員会さえもこんな有様だから、米沢市が求める観光行政などを成功させることなどはこのままでは不可能なことであろう。
観光とは限りなくノスタルジアを求めて広がるものだ。その求めるノスタルジアの限界は江戸末期がそれであろう。
栃木の江戸村然り、馬籠妻籠の中山道の宿場町再現が最もいい例だろう。もはやコンクリートの高層ビルにロマンを持たない観光客である。
意識をかえ「日本の田舎町」をテーマに人々は忘れかけている日本人のリリシズムの回帰を求めている心を理解し、叙情に徹することが最も近道なのである。
古きものを懐かしむ心さえも理解できなかった行政である。今のままでは教育の町米沢市の建直しや、観光行政は失敗するだけであろう。

「男のロマン」を捨て「金づる」に群がる卑しさ

2005/07/02 (Sat)
「男のロマン」を捨て「金づる」に群がる卑しさいまや死語に近い言葉だが「男のロマン」という心意気を示す人生の指針ともいうべき言葉があった。
連日の報道は道路公団OBによる橋梁談合事件が表舞台に乗せられ、東京高検が強制捜査に踏み切った会の名称は「かずら会」。
自分ひとりで直立できず、地面を這い、あるいは他の物に巻き付いて暮らす植物の茎を「つる」と言い、漢字で書けば「蔓」かずらとも読む。
問題の「かずら会」、名は体を表すというが、彼らは古巣の公団に不正と知りつつ巻き付く談合屋だった。「つる」には「金銭を得る手がかり」という意味もある。
どんなに言葉を飾ってみても天下りとは所詮、退官後に直立できない不出来な茎たちの進む道なのだろう。古巣に顔の利く「金づる」としてからみつく以外に考える余地はなく、この悪しき行為は退官官僚たちに蔓延している。
現実は米沢市役所内部にもある。
「古紙問題」をはじめとする「一般廃棄物収集運搬業の許可」をめぐって、許認可権を握る米沢市の市民環境部も然りで、議会の誓願採択にもめげず、市民に対しても議会答弁においても嘘で固めていることが昨日担当職員の文言で発覚した。
許可を持つ既存業者との癒着の実態は情況証拠においては「あくまでも黒」だが、日々の作業実態から既存業者を保護する文言には呆れるほかはないのだ。
「新規に許可を出したために既存業者が倒産したら市に弁償を求められてくる」ふと盛らした課長補佐の言葉がいかにも業者癒着の構造の実態をゲロしたものである。
現今は競争時代である。業者保護にうつつを抜かしているほど米沢市は「信義に厚く、温情主義」に撤しているのであるか。
高給で採用されているならば、それなりに仕事だけはキッチリとやるべきである。が、担当者から市長まで、メクラ判行政であることも判明した。
担当者が作成した公文書は順を追って市長までまわり、決済をうけた上で正式な米沢市の公文書となって表舞台に出る。
こともあろうに当該公文書は「不備も不備な公文書で、表に出れば米沢市の信用を失墜するような物」だった。
本会の指摘によって、新しい公文書に切り替えたが、これ1件によって米沢市の職員の怠慢とメクラ判行政が罷り通っている事実がつかめた。
間違いを指摘した本会に対して担当部課長・課長補佐ら担当職員は本会を蛇蠍のような目をもって対話の席につく不埒な態度だった。
市民から不備を指摘され、怒りの目を持って対話の席につくという姿勢は一般常識では通用しないものである。
上司から指摘されたなら素直に認めようが、一市民からの指摘には怒りを持って接するものであるか。米沢市の職員教育とは斯様なものであるか。
巷間で「市職員は、遅れず、休まず、働かず、の3原則に撤した公務員の立場にある」と言われている。したがって、ガムシャラに働く職員は同僚に嫌われ、上司に疎まれるという組織間の縛りがあるようだ。
米沢市の職員も官僚組織に類似しているのではあるまいか。在職中は癒着構造を完成し、退職後は癒着して便宜を計った会社の世話になるという構図は枚挙にいとまがないほどだ。が、微温湯に浸かりきった退職職員が、激動の社会で働けるわけがなく末路は哀れなものである。
とまれ!男には「男のロマンというものがある」男なら捨ててはならぬ「ロマン」である。

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