行政に厳しい市民の目を!!

2005/05/31 (Tue)
行政に厳しい市民の目を!!当会は行政に対して常に厳しい目で観察し、提言してきたが、「再生資源物の無償譲渡」が改められ、4千万円が市の収入となったように、微力ではあるが、その効果は上がりつつあると考えている。
本来、市民の不平不満や行政の不備は市議会議員が提言し行政に働きかけるものだが、現在の議員に多くを期待することは無理であろう。
小生は常々、議員とは市民の鏡であると考えている。すなわち、物言わぬ市民なら物言わぬ議員、国保税を納めぬ市民ならそれなりの議員である。
市民はもう、市長や議員が我が米沢市を良くしてくれるだろうなどと言う甘い幻想から覚め、行動を起こす時期に有ることを自覚すべき、と思っていたが五月二十九日付米沢新聞の「読者の声」を目にし、我が意を得たりと感じ入り下記に掲載する。
■安部市長さん説明と釈明をお願いします
五月十五日号「広報よねざわ」に「米沢オフィス・アルカディアの現況」が掲載されました。詳しく説明があり、現況については理解できました。
しかし、市民が最も関心のある南陽市に本拠地のある「佐藤病院」の進出誘致の撤退と、「コールセンター」の誘致断念についての説明と釈明がありませんでした。
平成十六年七月、初めて、前市長から引き継ぎ事項である「佐藤病院の誘致」について部下から聞いた、と言われています。そして八月には、地元上郷の関係者に「佐藤病院は精神病院なので、相応しくない」と受け止められるような発言をしたと聞いています。市議(元地権者の一人)は"俺の土地を勝手にさせない"と市議仲間に怒鳴ったと、聞いております。その後、十月に米沢市では市民各層からなる「オフィス・アルカディア事業検討委員会」を設置、団地のあり方について検討した結果「地域サービス型」の病院等も想定される、と発表されました。十二月のことです。しかし、佐藤病院側は、米沢市の対応不備と建設計画の法的時間制約から既に十月初旬に、進出断念を発表していました。総事業費四十億円、雇用人員二百人、医療福祉施設併設といわれる計画がフイになりました。現代、最も必要とされる精神、診療内科に対する偏見が見え隠れし本当に残念です。「審議会」「検討委員会」の設置も大切な事ですが、今、指導者に求められるのは、スピードと決断それに責任です。対外的交渉や災害時には、特に問われます。
事実の経過と真意をご説明下さい。
また、今年になって「コールセンター」の進出が不調に終わった原因の内容も教えて下さい。
以上、二件について、米澤新聞紙上または、市広報で説明ください。今後の誘致促進に多くの市民の理解と協力が得られるものと確信します。
二十一世紀米沢を考える会有志一同

なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(3)

2005/05/28 (Sat)
なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(3)隣県・二本松城跡通用門そばに「戒名石」と呼ばれる石碑がある。
二本松五代藩主、丹羽高寛公が、藩儒学者岩井田昨非の進言によって、藩士戒めとするため銘を刻ませたものだ。寛延二年のことである。
碑文を紹介する。
「爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」
碑文の解説によると、「お前がお上から戴く俸禄は、人民の汗と脂の結晶である。下々の人民は虐げ易いけれども、神をあざむくことはできない」とある。
ここでいう俸禄を戴く人とは「議員や公務員」のことであり、戒めとして「下々の人民を虐めることなく藩政につくせ」としてある。
そこで米沢市における議員活動や市職員の態度に思いをいたすとき、碑文の戒めを逆行しているのではあるまいか。
どんなに恵まれた給料を得ているとしても、人は等しく「給料が安くて」と不満を述べるものである。
俸給と己れの仕事のバランスを考えた時、不満を持った人たちの仕事は必ずしもバランスがとれているものではない。
仕事の出来る人物とは、仕事に魅力と意義を感じているから給料の中身に不満を持たないものだ。 議員の税滞納も問題だが、市職員は必ずしも市民の対応において市民の側を見ないことが多い。
実例をあげる。再生資源物を市の収入にするには古紙などの分別を厳しくすることが第一義とすることだが、市が永年収集運搬を随意に委託している業者の収集が、その分別において価値を高める作業をするどころか、メチャクチャの収集しかできないのであれば、収集業者に厳しい態度で望むべきところ、市民の分別に問題があるとして随意委託業者側に立って業者を庇う行動をする。
ならば、収集業者も入札制度を導入すべきだと考えるものだが、行政は常に随意契約業者を是とする考え方から出発する。したがって、収集業者の無法ぶりは言語に絶する行為がつづけられている。
再生資源物は市民にとっては不要物であるが、不要物を買取り再生する業務をなりわいとする業者にとっては「商品」である。
分別をしようにも、しきれないような収集しか出来ない業者を是として、米沢市が依頼していることもおかしいものだが、再生資源物を分別によって付加価値を高めようとする努力に欠けているのはなぜだ。
分別が悪いのは市民のせいだとする前に、職員が成すべき仕事とはなにかを考えるべきであろう。分別が悪ければ作業服に身を固めて自ら分別作業を行なうべきではあるまいか。机に座ったままで米沢市の再生資源物の収集分別ができるものではあるまい。
分別を高めて高価に引き取ってくれるよう買取り業者に働きかけるのが事業というものである。
議会には米沢市の歳入に寄与する資源物であることに思いをいたし、担当部職員の仕事ぶりを追求し是正させる義務がある。
環境生活部の奢りとも思える「許可」制度の間口を広くし、業者による競争原理によって市民の経済的負担が軽減されることを考えるべきが筋である。
あたら許認可権を伝家の宝刀のように振り回し市民の負託に答えようとしない職員を議会は無能職員として糾弾すべきものだと考える。

なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(2)

2005/05/27 (Fri)
なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(2)許認可権を持った担当部課は、許可を求める市民または業者に対してとかく厳しい対応をするきらいがあるものだ。
一般廃棄物業はだれでも簡単に出来るものだが、市民から廃棄される生活系ゴミについては許可を必要とする。
たとえば一般廃棄物業者がホテルやスーパーなどの廃棄物を求めたとする。
特にスーパーからは大量の空きダンボールが排出されるので、業者の多くは排出されるダンボール類を求めてスーパーを狙うのだが、排出する側のスーパーとしては業者が求めるダンボール類と同時に調理クズなども一緒に処理してくれる業者の方が便利だとして、必然的に許可を得た業者に依頼することになる。
「許可」を持たない一般廃棄物処理業者はお目当てのダンボール類を貰うためには「生ゴミ」も処理しなければならない。
ところが千代田クリーンセンターでは、許可業者以外の業者が持ち込んだ生ゴミの処理は拒否するという態勢で車はゲートをくぐれないシステムになっている。
そこで許可をもたない業者は仕方なく「許可業者」に頼み込んで処理してもらうことになる。
ところが「許可業者」は足元をみて処理料をすこぶる高値でもって引き受ける。
ここらにスムースに事がはこばない理由の一つがある。
米沢市内には「許可」を持った業者が13社あるが、中には許可をもちながら稼働してない業者もいる。問題になっている「許可性」とは、生ゴミを千代田クリーンセンターが処理を引き受けてくれるか拒否するかの問題だけである。
簡単なようだが、許可を持った業者と許可をもたない業者との実際の比較は、一般的に市民の不要物を処理する費用に大差が出ていることだ。これは市民にとっては迷惑な話で経済的にも負担が大きくなっているという悪癖をどう是正するかにかかってくる。
この「許可」をめぐって昨年度の6月議会で小島卓二議員の質問に答弁した吉田環境生活部長の文言は議会議事録に載っているが「許可は出す方向で考えている」と明言した。
さらに本年1月に開かれた「一般廃棄物業者の許可説明会」の席上において当該吉田部長は「産業廃棄物処理業者に限定して許可を出す考えで進んでいる」と質問に答えている。
さらに「6月をメドとする」と明言した。
ところが約束の6月を目前にして「法律の定めるところでクリアしない点があるので、それまでは許可は出せない」方針に変わっていた。
法は「許可を出すか否かは市町村長の裁量による」と有り、クリアすべき法の縛りは無い。
6月の文言・1月の文言に対する責任はどうするのか?
議会答弁をコケにするのは重大な「議会の軽視」であり、説明会での文言は不届きな「市民軽視」とはならないのであるか。
これを以て議会は担当部を追求し市民を納得させる義務があるはずだ。
市民の負託を受けた議員は公人である。公人であるからには市民の疑問と要求に応える責任の重荷があるはずだ。
本来、議会が成すべき仕事を「鬼の会」の提言と指摘によって「資源物無償提供廃止」となり計4,000万円也が米沢市への収入として実現したではなかったか。
今朝の朝刊には議員の1割が税金を滞納している記事を目にした。市民にとって誠に恥ずかしい公人の実態であった。

なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(1)

2005/05/25 (Wed)
なぜ出さぬ!「一般廃棄物処理業の許可」(1)奇っ怪な噂が巷間に流れている。
本年1月に市の広報によって広く通達された「一般廃棄物処理業に関する許可説明会」には「許可」を求める業者が期待を膨らませて市役所の説明会場に集まった。
しかし、説明の内容は意外にも「許可を出すためには法的にクリアしなければならない問題と県の意向を聞かねばならない二つの問題が残っている」と環境生活部長が説明した。
参集した業者から「許可を得るための所定の書類の出し方などの説明があるのだと理解して出席したのだが、説明会の態を成していない。担当部課職員のレベルこそが疑問だ」とする女性業者の発言に参集した関係者一同は同意した。
事実、説明会は問題が多すぎたようだ。幾多の質問が集中する中で吉田部長は「6月をメドに許可を考えている」と昨年6月議会答弁と同じような発言をして不満の散会となった。
許可を出すということで、騒ぎ立てたのはすでに許可を受けている市内の13社たちだった。説明会開催の前々日に13社が大挙して市役所を訪れ、許可取り消しの抗議集会を開き担当部課職員の翻意を計った。
それでもあき足らず、東京をはじめとする他市からの応援オルグを多数頼み、助役をはじめ担当職員に食事もとらせない缶づめ抗議を続けた。
「どうしても許可を出す構えならば、市役所を多数のバキュームカーで取り囲む用意がある!」旨のおどしをかけたりして担当職員に翻意させたものだった。
オルグの中には右翼もいて担当職員は恐怖に苛まれたのだと聞く。
その右翼とは13社が献金して呼んだものらしい。
その缶づめ抗議集会を境にして担当職員の態度が一変したものだという憶測が流れている。
行政に他市から右翼らの応援を求めた13社の言い分は「自由に出来る業種とは違う。行政から許可を得た業者がやっている仕事だ。これ以上、許可業者を増やした場合、既存の許可業者が倒産するようなことがあったら米沢市に損害賠償を求める考えがある」この発言に担当職員は恐れをなしたらしい。
言を左右にして再度「法的にクリアしてない問題が残っている」として新しい許可を出さない考えに一変した。
「ヤクザの介入によって行政が変わるのであれば、こちらもヤクザを連れてくる」と応酬するものの、よほど右翼の脅しが強烈であったらしく担当職員は貝のように口を硬く結んで一言も発しようとしないのだ。
これが米沢市役所の実態である。
これらの問題は本会のような市民団体がやるべき問題ではなく、議会が調査し解決すべき問題なのだ。
昨年6月議会で答弁した吉田部長発言を追求すべきことが第一、同時に議会発言をウヤムヤにさせないことが、議会軽視をさせないための議員の責務である。
俗にいう「先生といわれる程のバカでなし」が「議員とよばれるほどのバカでなし」とならないよう責任ある議会であってほしいものだ。

「市政のここが聞きたい」川野裕章議員の議会質問より

2005/05/22 (Sun)
「市政のここが聞きたい」川野裕章議員の議会質問より3月議会での「行政改革について」質問に立った川野議員の発言を「議員も捨てたものじゃないよ」と米沢市議会だより91号を持って訪ねてくれた友人がいる。
川野議員の質問は当をえた質問だけに当局にとっては手厳しいものであった、が。
議員質問
「市の職員による創意と工夫によって職務効率を上げねばならぬところ、市長は退職者の補充採用をした。そんなことで本市の行政運営はスリム化していると感じているのか? 市長のいう行財改革の推進とは一体どうなのか?」
と、市長の考えを糾したのに総務部長が代行答弁している。
質問の骨子は米沢市長の責任ある答弁を求めていたはずだ。
総務部長
「簡素で効率的な住民本位の行政運営には職員の意識改革と専門性、論理性、積極性、柔軟性の向上に努める」
総務部長の答弁は役人の役人による答弁としか思えない稚拙なものだった。総務部長は市職員に最も欠けている4項目をよくも上げたもので、実際には望むべくもない論理性はおろか積極性・柔軟性の向上に努める考えであると結んでいる。
問題はなぜ? 首長たる市長が自らの考えを述べず代行させたものか。
議員質問
「平均年収300万円の市民が、平均年収6・700万円の公僕を雇う理不尽について、採用基準・人事の処遇を含めたシステムの導入の検討はいかに?」
総務部長
「本市の給料・各種手当・休暇等については国または県の制度に近い。なお、人事院では地域ごとに反映した俸給表の引き下げを検討しているようだ」
川野議員は、市民給与所得と市職員の給与所得の格差について質問しているのに、それには答えようとしない無責任な答弁だ。
現状を勘案し、市長裁定よる職員の給与システム見直しを期待する、市民渇望の質問であったが、答弁によって、市職員の手前勝手な考え方がわかるというものだった
議員質問
「全ての事業や補助金に市長自ら目を通し、その投資対効果を検討するシステムを導入すべきではないか」
市長
「平成17年度以降、すべての事務事業を精査し、達成目標や職員のコスト意識・市民に対する意識を高めていく」
議会での答弁はきれい事の羅列であるが、基本的に職員が最も不得手なことで出来ないことをやるといって、お茶をにごしている答弁にすぎない。
川野議員の質問は熾烈なものだが、行政はそれに満足に答えない。質問は市民が渇望した内容だっただけに、はぐらかされた議会の質疑のようだった。

米沢市の古紙問題ふたたび (8)「1億5千万円の収入が激減」

2005/05/21 (Sat)
米沢市の古紙問題ふたたび (8)「1億5千万円の収入が激減」16年度の再生資源物の売却代金は米沢再生資源協同組合から米沢市に2千700万円が収められたが、本年度は当該協同組合に対する随意契約を止め、指名入札を採用した結果、北関東通商が買取業者に決定した。
入札は過去3年間の収集量を平均した想定数量で行なわれた。想定量で概算すると北関東通商から米沢市へ納入される買取金額は1年間で1億5千万円強となる。(もっとも3ケ月単位での入札であるから、北関東通商が年間を通して買取業者になった場合であり、金額の中には缶類の買取価格も含まれている)
ところが収集実績(4月分)をみると、古紙の収集量が極端に少なく想定総数量の59.4%に激減している。これら資源物の極端な激減の原因に一体何があったのだろうか?
■4月度分(行政が見積り時に提示した想定数量)
想定収集量(トン) 実際の回収量 想定量から回収量を%で表した
古新聞 183 131 71.5% (28.5%減)
雑誌類 168 76 45.2% (44.8%減)
ダンボール 76 47 61.4% (38.6%減)
総 計 428 254 59.4% (40.6%減)
(古紙の総量によって業者の買取り価格に変動がある。減量は業者の重大な損失になる)
上記収集総量をみると、極端な古紙の減量がわかる。古紙業者の利益は総量によって左右される。したがって、想定総量の見積もり価格を、減量した時点で価格の基準が崩れるから見積り時の買取価格を支払うのは業者にとって酷となる。
業者と異なる立場にある米沢市民にとって、減量は歓迎すべきことに違いない。といって、3年間の平均総量から表の数字が示すように、実際の収集総量が激減したのであろうか。
例えば、単純に考えて、新聞講読家庭が米沢市から約30%も減ったことになる。
買取価格の高価なダンボール類は比較的減量パーセントは低いが、収集時の混積が原因で売却できない不良品が今もつづいており、処置に困った業者は倉庫に保管しているだけに過ぎない。行政は「ゴミ」同様のダンボールについては値引きする処置ですまそうとしているが、行政のとるべき態度とは、収集分別を厳しくして高価格で買取りさせることが本筋であろう。いずれも「検討する」と即答を避けようとしているが、「検討する」という文言は官僚言葉では「検討するだけで実際には何もしない」ということだそうな。
スズメたちの多くの意見は「横流し」に集約されているが、行政側から非分別箇所に名ざしされた「山形大学およびアパート経営者」達は、週明けにも米沢市の担当部課に抗議行動を起こすと息まいているのだが。折角の古紙収入フイにはしたくないものだ。

米沢市の古紙問題(7)「お上に逆らうことの不利益」

2005/05/20 (Fri)
米沢市の古紙問題(7)「お上に逆らうことの不利益」小生の変わらぬ理念は「人は個人を超えなければならぬ時があり、公のために個を捨てねばならない時だ」として、己れの理念にしたがって行政の不条理に戦いを挑んできたつもりだ。
かつて、国家の未来を信じて死んでいった維新時の若き志士たち、そして戦場に散っていった多くの戦士たちの思いはひとしく「公のために個を捨てた」のである。
結果として国民は無条件降伏という敗戦で辛苦を舐めることになったが、彼らの死を犬死だったとするには日本国民としてあまりにも無責任な評価だと思っている。
小生は本会(鬼の会)の代表者として、理念を同じくする会員同士とともに行政の不条理さを是正すべく意見を述べてきたが、行政担当者の不遜とも思える厚い壁は小生らが想定した以上に頑強なものだった。
同じ市民ではあるが立場を変えると斯くも感覚的に相違があるものかと半ばあきらめにも似た感慨に浸り切った時もあった。
しかし、会員たちのすざましい励ましによって運動をつづけているが、市民の評価はマチマチなものである。「会長は右翼に繋がっている人物」だ、などなど悪評がたたみこむようにして聞こえてくる。
右翼的な思想や左翼的な思想に対しても小生らは偏見を持たないから、肯定も否定もしないが、噂によって思想信条を固定化されるのは甚だ迷惑だと思っている。
少なくとも小生には思想的な偏りはなく、正常な米沢市民としての感覚を持ち続けたいものだと思っているだけのことだ。
米沢市の城下町の風土からくるものであろうか「お上に逆らう」ことは異端者のする所業として忌み嫌われるのを承知での行政批判だから、それは覚悟の上だから構わぬが、許せないのは「長いものに巻かれろ」主義をもって無難な生き方をしながら、他人の正常な所業だと信じて闘っている者に対して陰湿じみた批判を繰り返して止まない人達の根性だ。
市民として「怒らねばならぬ時に怒る勇気は必要であり、変えなければならぬ行政であれば市民の手で改革せねばならぬものだ」その改革する前段として本会は提唱しているものだ。
いま米沢市に欠かせないのは知恵のある人は知恵を出し、力のある人物は力を公のために役立てようとする市民性の渇望だ。それ以外に郷士米沢市の進展が望むべくもないからだ。
最近、米沢市長のリコール運動が某市議らの口端からのぼっている。だからといってリコール運動の先頭に立つ勇気もみられない。彼らには「公の前に個を捨てる」勇気に欠けている。こんなザマだから行政の不条理に対して意義を唱える気概さえもない。
本来ならば古紙聞題の不条理を議会が取り上げ調査しなければならないスジのものだが、議員の大方は議員報酬を「生活給」化している現況に甘んじているから本来の議員に課せられた義務でさえも遂行しようとはしないのだ。
本会が取り上げるまでもなく議会が真摯になって取り上げねばならぬ問題なのであろう。
だれしも正常な行政であれば行政批判などに時間を無駄に使いたくない。仕方なく闘いを挑んでいることで「会長は右翼だの左翼だ」のと勝手に解釈した話題は迷惑千万なものである。
行政に楯突く人物とは城下町では危険人物として一括りするものであるか。

米沢市の古紙問題ふたたび(6)「地におちた米沢市の行政感覚」

2005/05/19 (Thu)
米沢市の古紙問題ふたたび(6)「地におちた米沢市の行政感覚」米沢市長名で業者と取り交わす文書を「公文書」として廃棄することはできない。間違った公文書をめぐって、米沢市の行政の怠慢さとチェック機能がマヒしていることはいなめないようだ。
昨日、米沢市役所を退職した友人が小生の事務所をおとずれた。さっそく契約書なる公文書を見せ感想を伺ったところ「ここまで職員は腐ったか。首長もその能力においては多々問題はあるにしても、これでは助役や参与も機能していないことになる」。
彼はつづけていう「公文書を交わすのに上司のチェヅクがあるはずだ。上司も上司、担当職員に任せっきりではすまないはずだ。それが証拠にはこんな契約書が交わされている」
福島市の業者に聞いた。「福島市では公文書は各課で作成した後、総務を通して業者に渡される」という。念には念を入れた処理をしているのだという。
たしかに再生資源物とはいえ、悪い表現をすれば市民たちにとっては不要の新聞紙であり邪魔くさい古紙ダンボール類である。
定められた日に集積所に分別さえしておけば、それを市の委託業者が綺麗に処理してくれ、市民としてはそれだけでも有り難いものである。
だから、それが再生資源物として米沢市が何処に売却しようと焼却処分にふそうと関係のないことと無関心でいられる。
ところが、市民が不要になったものが米沢市民の財産として売却すれば米沢市の収入になるのだという感覚をもってすれば、市民の関心も一段と高まろうというものだが、市民の中には分別作業をわずらわしいと感じている人もいて市民の再生資源物に対する意識はまだまだ低く、実際には単なる「ゴミ」感覚の人たちも多いようだ。
ホワイトカラーで机に座っている他の職員をよそ目に、資源物の担当職員らは常に作業服に身をかためて仕事に従事しなければならない。どうみても陽のあたる場所での勤務だとは思えず同情を禁じ得ないところもあるが職員の仕事には違いない。だからといって仕事に手抜きがあってならないのは世の常である。
本会は行政の再生資源物の取り扱いの不備について長期間にわたって意義を申し立てる運動を展開したところ、無償提供から約4千万円の収入が米沢市にもたらされたものである。
政府の三位一体の方針によって米沢市の財政はますます疲弊することは容易に予想できる現況にあって、「ゴミ不は要物」感覚から米沢市の財産と位置づける市民の意識高揚が必要となってくる。
行政も市民とともになお一層、再生資源物の分別作業を蜜にして「資源物の売却価格」を高める努力をすべきだと考えるものだ。
それには「ゴミ同様の収集運搬技能しか持たない業者」を廃して、売却価値を高める運搬技能を持つ業者を選び、簡略にして確実に収集運搬と買取業者の関係を保つ方策を考えるべきである。
長年にわたる随意契約業者との馴れ合い関係を断ち切る勇断が行政に求められる理由は、収集運搬委託業者「米沢再生資源協同組合(原廣吉理事長)」のデタラメ過ぎる収集業務が証明され、買取業者からの抗議を受けている現状から、そのままにしておく手はないのである。

米沢市の古紙問題ふたたび(5)「役人とは身の保全のためには手段を選ばないものか?」

2005/05/18 (Wed)
米沢市の古紙問題ふたたび(5)「役人とは身の保全のためには手段を選ばないものか?」住民による監査請求とは、行政にたいする市民の疑義を問う機関であると解釈しているが、肝心要の監査委員の中で議会選出委員はともかく、市長認証による民間選出の監査委員に求められる資質とは、まず正義感の強さであろう。が、現実には首長に都合がよく多少のお目こぼしをしてくれる、いわば行政の茶坊主ごとき存在なのであろう。
小泉総理が郵政の民営化に反対する2名の官僚を更迭したごとく、時の首長に逆らうような人材を監査委員に任命することはあるまい。元安田道隆監査委員は前市長との碁仲閒であったという。それだけのことで某建設会社の元経理マンから採用された人物だと聞いている。
監査委員の勤務条件は「常勤」となっているが、監査委員会事務局ではお目にかかったことはなかった。監査の内容や判断については監査事務局長が主としてやることになっているから監査委員の役目は乱暴な表現をすれば、行政上の飾り者だったともいえる。
安田道隆監査委員とならぶ議会選出の遠藤宏三監査委員は文字通りお飾り者であって、彼の言動から責任ある監査報告を成したとは思えない。単に議員報酬に上乗せされる監査委員の手当て目当てにすぎなかったようだ。
■さて、佳境に入ってきた「古紙売却」問題。
実態を観察して、収集運搬業者(原廣吉理事長)の不誠実さと米沢市の対応の生ぬるさをいち早く是正させるために、米沢市(売り主)と北関東通商(買い主)間で結ばれた売買契約書なるものを見る必要があった。
何と驚いたことに、その書類は「米沢市物品贈購入契約約款」となって、米沢市が北関東通商より再生資源物を購入する契約書となっているのだ。
だから米沢市が「買主」であり「売主」が北関東通商となっている。通常、金を払うものが「買主」であり「売主」とは売却金を受け取る立場にあるものを言う。明らかな契約の間違いである。
これにたいして担当者は「関係外の人に答える必要を感じてない」といわんばかりの態度で答えた。「本日、当該社の所長を呼んであるのでそこで協議する」の一点張りで間違いを認めようとはしなかった。
さっそく契約検査課長に聞いてみた。課長は「明らかな間違いです」と答え、助役はあまりの失態に高笑いするだけだった。
役人だからといってもミスもあろうし、間違いもあるだろう。しかし、契約書は公文書である。間違ったではすまないものだ。担当職員は重大な間違いだと気づいたに違いない。ならば事が発展しないうちに素直に間違いを認めるべきであったろう。小生の指摘に素直に間違いを認めていれば、その場で訂正することができたであろう。が頑強に「契約の関係者でもない人にグズグズいわれる筋あいはない。当人同士で協議する問題だ」といわんばかりの態度を貫くだけだった。
小生は「間違いだったことは認めよ」と念を押したがついぞ態度は崩せなかった。役人とはかくなるものであるか? 担当職員の頑強な片意地に出会って、このままでは米沢市は古紙問題で相手と訴訟問題に発展する可能性が大である。売れない物品を売り付けようとする米沢市の態度である。
入札時の条件は「極上の鰻」であったはずだが、入札後あけてみたら中身は「どじょう」であり、しかも商品にならないような「どじょう」であれば買主の北関東通商がむくれるのも当然のことだ。一般社会では「詐欺行為」という。
契約書には安部三十郎名がはっきりと印刷され、キチンと捺印されている公文書なのである。

米沢市の古紙問題ふたたび(4)「一般社会の常識は役人社会では非常識」

2005/05/17 (Tue)
米沢市の古紙問題ふたたび(4)「一般社会の常識は役人社会では非常識」同じ人間社会でありながら役人と一般人との感覚の相違の大差に驚かされる毎日だが、古紙問題は複雑怪奇な行程を経て米沢市と買取業者との間に摩擦を醸し出している。
米沢市が随意契約で収集運搬を「再生資源協同組合」に委託している。委託された「当該協同組合」は収集運搬費を米沢市から得て下新田にある当該協同組合で計量する。計量した古紙を買取業者の北関東通商が下新田の再生資源協同組合まで取りに行くことになっている。
そこまでは納得されるとしても、当該組合員が収集運搬してきた古紙のうち、パッカー車から吐き出される古紙に関するかぎり選別どころか、ゴミ同様の物品である。
平ボデーに積んだ新聞紙や雑誌類は比較的整然としているが、パッカー車は混積できる性質から、通常はダンボールだけを運ぶ専用車でありながら運搬の実情はダンボールに新聞紙や雑誌類はおろかボロ切れまでゴッチャに収集して帰り「これはダンボールだ」として買取業者に渡す。
買取業者は「これはダンボールだとはいえない。このままではメーカーが引き取ってくれない」と拒否反応を示す。
さっそく福島市の業者に実態の写真を見せて意見を求めてみたところ即座に「これはゴミだ。うちのヤードではトンあたり処理料として1万円の請求をもって受け取り、新たな分別のためにシルバーセンターから人員を要請して処理することもあるが、実際には受け取らないことにしている。その他パッカー車による古紙の買取りはしないことにしている」と云う。
つづけて「米沢市の業者に対する対応が十分でない。市職員も立ち合わない計量も疑惑の的だし、なぜ、業者に任せっぱなしにしているのか。なぜ、直接、買取業者のヤードに運ばせ計量に立ち合うことをしないのか。計量の際、買取業者に不都合な収集をしてきた古紙に関しては、買取り拒否も当然ながら起きうる場合もあるだろうから、そのためにも担当職員が立ち合って売却の数字を管理するのが筋だろう。
うちの場合、必要古紙だけを計量して混積された商品にならないゴミ同様の物は運搬者に持って帰ってもらうことにしている。
そんなわけだから運搬する業者とは比較的問題が起こりにくい。米沢市の場合、運搬業者は素人ではなく古紙業者たちであるはずだ。業者の恥を曝すものだ」
と手厳しいが市民としては納得できるものだ。
解決策としては、
① 収集運搬業者を変えるか、行政の指導を厳しくする。
② パッカー車はダンボール収集のみに限定して混積しない。
③ 手間のかかる納入経由を止めて、直接、責任のもてる買取業者のヤードに搬入すれば問題は起こらないはずだ。
行政はなぜ「再生資源協同組合」を基本にした収集運搬計画をするのか?
行政と当該協同組合の癒着の疑いはないか?
市民の疑いはつのるばかりだ。
■混積の原因は米沢市民にあるのか?
市民の皆さんは町内の集積所に再生資源物(ダンボール・新聞紙・雑誌・古布等)は、きっちり分別して出していると思われます。
それが「再生資源協同組合」が混積収集するため、資源物がゴミになってしまい、折角市民が分別に努力したかいが無くなり、市の収入が減っているのです。
このことに行政は「混積の原因は米沢市民にあり、特に山大生およびアパート住まいの人たちに責任がある」として、市民のモラル性に結論づけているが、本当にそうであろうか。
ならば、どの地区の集積所が分別しないでゴミ出しをしているか調査し、担当部課の徹底した分別教育をすべきではなかったのか。これをもって行政の怠慢とはいわないか?
[奇っ怪.減りつづける資源物]
行政は指名業者に見積もり合わせの結果、本年度の再生資源物のうち4月~6月分の買取業者を決定した。買取業者は北関東通商米沢営業所である。
過去3年間の総量を平均して、3ヶ月間に出るであろう資源物量を想定した見積もりであった。業者は当然ながら総量を勘案した上で見積もり合わせを提出した。
ところが実際の総量は行政の提出した総量の約59%に過ぎなかった。おまけに混積による不良古紙が大半でメーカーに納入できない物品であった。
これについては売却方の米沢市の責任であり、米沢市民の財産を下落させる結果となっている。
4月は通常古紙の出る月である。資源物の減量を当該組合の事務員は「おたくがグリーン回収をしたからだ」とこともなげに答える。それにしても減量の度合いは極端である。
勘繰れば協同組合の「横流し」ではないかとの疑義が生じている。行政が成すべき対応は市民の分別に責任転嫁するのではなく、当該協同組合の悪質とも思える収集運搬の怪に徹底した指導の目を向けるべきであり、収集運搬業務に厳しい指導がなされることを市民として強く要望するものである。
また、行政は問題の解決法を北関東通商の米沢営業所の所長に求めているが、所長とはいえ本社の指示を待たなければならない立場にある。
見積もりは米沢の所長名でなされたのであるからというだけでは事の解決にはなるまい。
行政よ!米沢市は「詐欺行為に抵触する行為」をしていることに思いは至らないのか、深く反省せよ!
そして、しがらみを捨て悪質な行為を繰り返して恥ない当該協同組合に向かって厳重な抗議行動を起こしてこそ然るべきだ。

米沢市の古紙問題ふたたび(3)「一般廃棄物収集運搬許可は振り出しに戻る」

2005/05/16 (Mon)
米沢市の古紙問題ふたたび(3)「一般廃棄物収集運搬許可は振り出しに戻る」一昨年からつづいている「一般廃棄物収集運業の許可」問題は、簡単にいえば米沢市長の裁量次第ということになっている。
米沢市には現在13社の許可業者が活躍しているが、許可をもった業者と許可をもたない業者との差は一体どこにあるのか?
「再生資源物」は許可がなくとも集運搬は出来るもののそれ以外の「生ゴミ等」の収集運搬に規制があるのだ。ならば「生ゴミ等」を避けて仕事を遂行すればよいではないかという声も確かなことだが、実際には再生資源物だけの収集運搬をするうえに「生ゴミ等」が介在して実際には本来の業務遂行が出来ないでいるのが現状のようだ。
仮にホテルやスーパーの廃棄物処理に行った場合、目当てのダンボール類だけの収集運搬だけにとどまらず「生ゴミ等」の運搬も実際には課せられるのが実情で、仕方なく業者として応じざるを得ないことがしばしばある。
ところで生ゴミ等を千代田クリーンセンターに持ち込んだ場合、当センターは許可をもたない業者の生ゴミ等の処理に応じないシステムが出来上がっているので、許可業者に高い処理料で依頼するほかはない。ここに問題が生じているのだ。
許可を求めている業者の本音は、町内等の集積所に集まる廃棄物を収集運搬している業者の仕事まで欲しがっているわけではない。
その点を行政が勘案すれば事は簡単に解決するものだが、許認可権をもつ担当職員は頭が堅くて問題にならない。が、議会の追求によって、さしもの頑固な担当職員も許可を出す方向に傾き、今年1月14日の会合で6月をメドに産業廃棄物許可業者にかぎり許可を出す旨を報告した。
ところが、現在許可をもつ13社の業者が結束して市の担当職員に許可を出さないよう抗議する事態が起きた。
事もあろうに東京・仙台・山形・郡山等からオルグを召集し、担当職員を缶づめにして抗議するなど、はなはだ荒っぽい反対抗議が続けられた。
今月12日の担当職員との会話で一旦許可を約束した言質が「許可」を出さない方向に傾いていることを知った。あきらかに許可業者13社と数名の他市からの応援オルグたちの恫喝に考えをかえたものであった。
後藤クリーンは米沢市の代表的な処理業者だが抗議する言葉が奮っていた「これ以上、米沢市が許可業者を増やすならば、仕事の量が減って会社が成りたたなくなる。従業員をリストラする以外に営業の存続はない」また「米沢市から許可をもらって仕事をしてきたのだから、新たな許可業者を増やしたために倒産するようなことがあったら米沢市に損害賠償を求める」などと通用しないような文言を並べ立て、あろうことか担当職員に食事時間もあたえない抗議がつづけられたようだ。
担当職員は震えあがったらしく新たな許可を出すことを止めて、再び法律論を持ち出してきたものである。
[最高裁判所の判例]
松任市での許可問題について、昨年1月15日高裁判所が出した判決は許可をだすことも許可を出さないことも違憲ではない。
ちなみに、一審、二審ともに「許可を出さないのは違憲だ」としている。
米沢市の担当職員の頭は「許可を出さないことも違憲ではない」という判決を支持しているのだ。一審・二審ともに違憲だとしているのに、最高裁判所の違憲ではないという判決を支持することに固まり、許可をだすことの正当性を無理に捩じ曲げようとしているに過ぎない。
県の意見を訊ねてみるという職員に返ってきた県の意見も最高裁判所の判決通り「どちらの処置も裁量権者の市長にあるから、米沢市長の判断で決めるべきだ」と担当職員に伝えてある。
許可を出すことが米沢市民のためになるのか、従来のままで許可業者を増やさないことが米沢市民のためになるのかを考えて見るべきであり、決して己れの都合を前面に出して考えるべきではないはずだ。
得てして公務員という群像は己れの立場を擁護するために責任の所在を他に押しつけておきたいという習性がある。それがたとえ正義ではない行為だとしてもだ。
新しい事には顔は前を向いていても足は常に後を向いているという、淋しい職業の人たちだ。
かつて市役所に採用希望するなどは「でもしか族」だけの人間が選択する職業だった。
優秀な人材は競って実業界をめざしたものである。時代は一変して親方日の丸的な安定した職業と高給が時代の寵児として輝いているから、それはそれとして、現実にそぐわない給料体系に疑義さえもたないでいる。
そんなわけだから縦割り体系の中で、己れだけの保身に拘泥して新たな発想さえも浮かばないのだ。そんな風では米沢市百年の大計はおろか現実には市の衰退を見つめている外に手はないのが米沢市の行政の実態だと言っても過言ではない。
米沢市を再生させるためには、米沢市に埋もれている頭脳を掘り起こし頭脳集団を集結させ生きた頭脳を借用する以外に方法はあるまい。
自分たちが主役となって米沢市の活性と伸張が望めなかったことを謙虚に反省して、主体の座を交替する以外にないということに思いが至らなければ、米沢市は未来永劫にわたり沈滞した街として甘んじて行く外ないだろう。

米沢市の古紙問題ふたたび(2)「問題提起をコケにした監査委員」

2005/05/15 (Sun)
米沢市の古紙問題ふたたび(2)「問題提起をコケにした監査委員」公務員の行為を是とする公務員同士の援護態勢と隠蔽体質が根強く存在し、責任回避することを第一義とする「公務員体質」に市民は辟易させられるものだ。
昨年8月、本会は「担当部課の再生紙現物の取り扱いに不適があることにより、米沢市に多大な経済的損害を与えている」として住民監査を請求した。
監査委員は安田道隆(民間選出)と遠藤宏三(議会選出)の2氏である。無論、監査委員会には監査委員の補助職員として金沢裕局長と数名の補助職員で構成されている部局だ。
民間選出の安田監査委員は規約として「常勤」が義務づけられているが、常勤を証明するものは何も存在しない不可思議な存在である。
本会員が数度にわたり当該事務局を尋ねたが安田監査員の姿を一度たりとも目にすることは無かった。
本会提出の住民監査請求に対する監査委員会からの「報告書」も安田監査委員が書いたものではなく、書いたのは金子裕補助員らであり、安田・遠藤監査委員はめくら判を押しただけにすぎないことが2つの発言から証明された。
金子補助員は本会会長の問に「私が書いた」と言明し、遠藤監査委員は同じく本会会長の質問に答えて「オレは報告書の全文を読んでいねぇからわからねぇげんど、委員会で、これでええべちゅうから、オレもええべちゅうて判を押したんだ」
これが公平な立場であるべき住民監査請求に対する「報告書の作成秘話」の現実であり、一般市民を舐めきった公務員たちの現実の姿であった。
報告書は一方的に市職員側を是とし、精査することなく全てが却下・棄却の結論であった。
あまりのずさんな報告書に、当会は両委員に面会を申し込んだが「報告書に疑義があるなら住民訴訟を起こすべし」と頑なに面会を拒否するのであった。
これが公務員を擁護するためにある「監査委員会」の実像である。そして、金子補助員はこともあろうに本会会員に向かって「私が裁判官だ」と精一杯の虚勢を張って見せた。
本来、住民監査請求とは監査委員は市民の側に立って精査すべきものであろう
「請求の棄却と却下が意味するもの」
・本会の主張は、過去数年間にわたって行政が「再生資源物協同組合」に無料提供してきた資源物は米沢市の財産である。数量と業界相場からその額推定2億円となり、その額の返還を米沢市は求めるべし。
・監査委員会の見解:1千2百万円の寄付(再生資源物協同組合より)が為されたことによって米沢市の損害は治癒された。よって、その件については棄却する。
■寄付金1200万円の疑惑
昨年5月13日に本会主催で「市民と共に一般廃棄物問題を考える会」が市長・助役・担当課職員と市民総勢40名ほどの参加で開催された。
席上、当会は「資源物の無償譲渡は不適である」と行政に激しく詰め寄ったが黙秘するだけで何の返答もなかった。
にもかかわらず、わずか18日後の5月31日の年度会計締切りギリギリに、組合は市に対し「駆け込み入金」したが、不思議なことに行政側は当会・市民には伏せていたのである。
入金の有った事はいち早く当会に知らせて然るべきではなかったか。
この事実は、市民からいわれてやるのでは行政マンの手落ちであり「すでに担当部課が決定しているから余計なお世話だ」というスタンスと考えられる。
それでは、再生資源物無償譲渡の損害に対し、監査委員は「寄付金1200万円で治癒された」と結論づけたが、果たしてその根拠はどこにあるのか。
監査委員はその報告書に、米沢市が受け取るべき資源物の対価はナント相場の46%という超安値で組合が売却したという資料を添付しているではないか。
したがって、相場価格で売却されていれば15年度の米沢市の収入は3000万円を十分に超 えていたことになる。
約2億円にものぼる再生資源物を無償提供してきた米沢市自体にも責任はあるが監査委員会はその報告書で「1200万円の寄付によって治癒された」というデタラメさである。
当会が監査請求を行ったのが8月で、定めにより2ヶ月後の10月に結果を出さなければならない。
監査委員は15年度までの分は寄付と言うかたちで何とか誤魔化したが、16年度分については流石に困ったらしく、4月に締結された譲渡契約を何と9月に「組合は売却額の全額を米沢市に還付する」に変更するという大技に出たのである。
既に双方納得の上で交わされた契約が5ヶ月も経過した後に変更されることは異例中の異例である。
そして16年度分は2700万円が市の収入となったが、これが妥当な金額と理解する。
そこで問題である。
安田道隆・遠藤宏三監査委員が結論づけた15年度分1200万円は誤りであることが明白ではないか。この責任をどう取ろうと考えているのか?
両氏には今年2月16日に書面にて会見を申し入れているが、3ヶ月を経過した現在も返事さえ無く、監査委員としての良識・常識を疑うものである。
ところで、安田道隆監査委員は常勤となっているが、数回事務局に出向いても姿を見たこと無いが本当に常勤していたのだろうか。
それとも、常勤はしていたが意図的に手抜きの監査報告書を作成したというのであろうか?
それでは、出勤したかしないかも分からなく、こんな杜撰な監査報告を行い、市民との対話を拒否し続ける監査委員の報酬とはいか程のものか。
・安田道隆監査委員の場合
給与(年):10,183,296円 (諸手当含む)
退職手当: 9,984,000円
・遠藤宏三監査委員の場合
議員報酬の外:576,0 0 0円
続く

米沢市の古紙問題ふたたび 「これが米沢市の対応だ!」(1)

2005/05/13 (Fri)
米沢市の古紙問題ふたたび 「これが米沢市の対応だ!」(1)本会は市民の財産ともいうべき古紙問題の行政対応の疑義について1年数ケ月にわたり調査および住民監査請求などの運動を続けた結果、行政は平成17年度より、当市が収集した分別資源物の売却は「指名見積合わせ」に改善した結果、買い取り業者が山形古紙回収㈱から北関東通商㈱に移動した。
本会は行政が無償譲渡を廃止し指名見積制に切り替えた時点で行政側の一歩前進と解釈し、ホームページに顛末を掲載することを中止していたところだった。
ところが古紙問題終決どころか、新たな問題が物議を醸し出していたのだ。
[資源物収集運搬]については以前と同じ随意契約によって、従来の再生資源協同組合に委託、当然ながら米沢市は収集運搬の費用を支払う。
[古紙買取業者]山形古紙回収㈱から北関東通商㈱に変更。
が、問題は変更に関して新たな買取業者である北関東通商㈱に対する再生資源協同組合の明らかに嫌がらせともいえる行為がなされている実情が明らかになってきた。
行政側の綿密な計画がなされていなかったことに混乱を招く原因があったとしても業者間の怨念にも似た悪質な仕業は米沢市の恥部を露呈することになって行政はその対策に苦慮することになっている。
[行政が示した買取条件]
数社による見積もり合わせの際、再生資源物の買取り条件として行政が示したのは?
① 空缶 ② ダンボール ③ 新聞紙 ⑤ 雑誌 を分別した買取価格の見積もりだった。
ビンおよび空缶は再生資源物センターで処理または潰す作業をした上で梱包して買取業者に渡すから問題はないとしても、古紙に関するかぎりダンボールはダンボールに種分けして渡すのが常識である。古新聞や雑誌類は比較的種別してあるのだが、嫌がらせの最たるものはダンボール類に混入される異常とも思える量の雑誌・新聞紙類である。中にはボロ切れ類も混入されているのである。このままではメーカーに納入するわけにはゆかず買取業者は混乱するだけの状態が続いている。
市民にとっては不要な古紙であるが、業者にとっては大事な商品である。折角落札したものの「商品」にならないような処置を得た古紙に代価を支払うことに躊躇するのは当然のことであり、見積もり通りに代価を請求するべき行政にも躊躇が見られる。そうなると米沢市民の財産ともいうべき再生資源物の価値はゼロに等しいものになり、市は多大な損害を被ることになる。
ここに浮上してくる問題が再生資源協同組合の存在である。
[再生資源物協同組合]と米沢市との関係。
当該協同組合は米沢市の要請によって「再生資源物の収集運搬事業と分別作業」が主なる目的として設立された組合だ。組合を構成しているメンバーは以前から再生資源物を取り扱っていた業者たちで組合の理事長は原氏。構成メンバーの数は本会ではわからない。
収集した再生資源物を商品として所定のメーカーに買取りさせるには、完全な分別が必要になることから、協同組合は「分別作業所」を独自で下新田地区に建設し、米沢市に対し「収集物を無料で提供」することを要請し市はそれを受託した。
ところが古紙などの売却値が高騰するにつれて市民各位から「無料提供はひどすぎる」などの声が広がり16年度からは売却した金額の全部を米沢市に納入し収集運搬費用は米沢市が拠出することに会計を2分させたものである。
16年度は分別費用を差し引いた売却額が米沢市の会計に収められたが、その額は総額で2700万円となっている。
鬼の会は、再生資源物の無償譲渡は不当であるとし、その対価の返還を求め昨年、住民監査請求を行ったが、15年度までの分として協同組合が寄付という形で市に密かに1200万円強を納めたことにより、当市の損害は治癒されたとして、安田道隆・遠藤宏三監査委員は本会の請求を棄却したのである。
だとすると16年度の2700万円との差額は何を意味するものであろうか。
監査委員が「当市の損害は治癒された」とする15年度の金額は16年度の約半分の額にも満たない。
本会が力説した通りに行政並びに監査委員が動いていれば、15度だけでもおよそ3000万円の収益になり米沢市の財政を豊かにしたはずである。単純にこれだけをみても行政・監査委員の甘さが指摘されるものだ。
[協同組合の対処] 本年度から再生資源物が業者見積あわせ(入札制度〉で公平に売却先が決定されたから、本会の主張を行政側に理解されたものとしておったところ、突然、買取業者である北関東通商から電話が入った。
「収集業者である組合から納入されてくる古紙は売り物になる状態の古紙でなく単なるゴミだ」とする苦情である。
本会が関与するところではないにしても「古紙問題」を取り上げた関係上、慌ててヤードと分別センターに市担当職員と駆け付けたところ、だれがみてもメーカーに引き取ってもらえる商品とは思えないものだった。
問題は収集運搬業務を委託されている「米沢市再生資源協同組合」の仕業であることは明白に映った。
昨年まで当該協同組合理事長の山形古紙回収株が買取業者であり、本年から買取業者が他業者に渡ったという同業者としての怨念はあるとしても、あまりにも悪質な所業と断じざるをえない仕打ちであった。
組合が収集した再生資源物をコンクリートの地べたに排出し「すぐに片ずけろ!」と罵声を浴びせかけ、買取業者が地面に投げ出された再生資源物を地面に這いつくばり手で掬うようにして配送車に入れている姿は実に哀れなものであった。
「これが同業者のすることか!」見ていて怒りがこみあげてくる光景だった。買取業者は水戸市に本社をもち北関東一の再生資源物業者である。この光景を醸しだした原因は一に原理事長率いる当該協同組合による仕組まれた嫌がらせであり、行政担当者の監督不行き届きだけにはとどまらない米沢市民の恥部となる、ゆゆしき行為である。
本日、写真を携えて行政側の担当者に詰め寄ったところ、買い取り業者とは金で解決するからと悪びれる様子もなく「混在した古紙は山形大学の寮やアパート住まいから出されるもので困っているところだ」と責任の転嫁でエツに入っている行政感覚だ。
ちなみに山形大学付近のゴミ集積所に走ってみたところ、行政がいう無責任な集積所は皆無だった。山形大学の学生やアパート住民の無責任分別を名指しでいう前に行政はなぜキチット指導しないのか。行政の責任転嫁感覚には恐れ入った次第だ。
写真を他の同業者に見せ感想をうかがってみたところ「これはひどい!これらの仕業は収集運搬時にしか出来ないことだ。山形大学生などのせいにするのは言語道断、責任転嫁もはなはだしい行為だ!」という。
あまりのひどさに買取業者の北関東通商は訴訟すら準備する勢いだ。もし、訴訟などに発展することになれば米沢市の恥部が天下にさらされ、米沢市民の恥となる。行政は他に責任の転嫁をするのに必死になるだけで、事の善後策は「金で解決」一本槍だ。
仕掛け人の当該協同組合や原理事長に責任の目を向けない不思議。
当該協同組合員は米沢市との契約書に違反して所定の計量をせずに、原理事長が経営する山形古紙回収株のヤードに直接運び入れる「抜け荷」行為をつづけてきたいわば罪を犯してきた組合だ。このたびの悪質な行為を否定するには問題がありすぎた。
これらの問題にかかわって、いつも不思議に思われることは「行政が当該組合側を誹謗することはおろか、むしろ擁護する側にいる」点だ。これらの態度に接する度に「業者から脅かされているか、金員の授受のどちらか」だと疑われるような行動が目につくのである。
いずれ本会は再び住民監査を請求し返答の如何によっては住民訴訟も辞さない態度を決めた。
昨年の住民監査で公正を欠き、行政側を是とし一方的に却下・棄却した監査委員の精査能力に疑問を感じると同時に能力なき監査委員たちにどれだけの報酬を支払っていたかを次回、市民に広く開陳する。
続く

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