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一般廃棄物処理業者に広く門戸を開き競争原理の働く事業奨励策を!!

kage

2005/01/06 (Thu)

一般廃棄物処理業者に広く門戸を開き競争原理の働く事業奨励策を!!

 「広報よねざわ」1月1日号に「一般廃棄物処理業に関する説明会」が1月14日(金)13:30分から市役所701会議室で開催される旨のしらせが掲載されている。
 一般廃棄物処理業の許可を永らく嘱望してきた希望業者にとって永年の福音であろう。この機をもって希望する業者に広く許可が出ることを願うものだ。業者が多くなれば当然ながら競争原理が働き一般市民にとって有り難いことになる。
 現在、許可業者に依頼すると5万円請求されるところ、新規許可業者では1万円で引き受けてくれる業者もいる。この値段格差は競争原理を働かせようとしなかった行政の失態の何ものでもない。

 昨年1月15日に出された最高裁判所の判例は「許可を出さないのは違憲だ」としたが、米沢市は法律の解釈によっては「許可を出さなくともいいのだ」と議会でも突っ張ってきた。
 法律がどちらでもよいと解釈するのであれば、当然ながら行政の立場として市民の側に立ち「どちらが市民のためになるか!?」を考慮すべきことであろう。
 前述のように処理料の格差によって市民の負担が重く課せられている実態を考慮し、希望する業者に等しく許可を出すことが正解というものであろう。
 そこで行政が懸念するように業者を増やした場合、中には「不法投棄などが生じる恐れもある」と、新規希望業者に対して生悪性を議会で唱え、いささか勇み足の感があり傍聴者のひんしゅくを醸し出したものだが、以来、一般廃棄物処理業をめぐる「許可性」と「再生資源ごみ」との問題が相俟って、古紙問題で2004年度は過ぎた。
 本年度に入り「許可性」が行政によって取り上げられたことは一歩前進というべきだろう。が、ここで懸念される問題点がある。
 会の名称は不確実だが、本説明会を前にして「一般廃棄物処理計画に関する市民を交えた諮問委員会」が設けられたと聞く。
 行政が諮問する委員会のメンバーには、えてしてイエスマンだけを選び、さも市民全体の意向として発表されることだ。
 大分前のことになるが、小生も○○委員に指名され初会合に出席したことがある。初の会議で渡された資料はナント数十ページにも及ぶ検討資料だった。無論、その場で目を通す時間もなければ、まして諮問する時間も無い。
 小生は「こんなに多量の検討議案があるのならば、せめて10日前ぐらいに送付され検討する時間が必要だ」と述べ、他のイエスマン委員を尻目にその場で辞退した事実があった。
 こうして行政はいかにも広く市民の検討の結果だと市民を騙しつづけてきた行政が使うズルイ手法なのだ。
 一般の市民は行政マンの説明を否定するだけの才覚に欠けている不幸がある。そこに行政が巧みにつけこむ隙を見いだし市民を籠絡するというわけだ。もし一般廃棄物許可性についてそれらの手法を持ち出してくるのであるならば、もはや市民主権の行政とはいえまい。案ずるあまり小生の意見として指摘しておく次第だ。

 さて、小生の心配をよそに希望する業者に広く許可を与えて、市民の負担を軽くするという市民の側に立った前向きな姿勢を取るならば行政も信じられよう。が、念願の許可を受けた業者は行政の懸念する不法投棄などの不祥事を決して起こさないことだし、行政はいったん許可を与えたとしても不心得者には厳然な処置を行なうべきだ。それには前もって専門の立場から業者に事業の在り方を説明し、行政の立場からさらなる厳しい監督の目を光らせるべきであろう。

 成すべき監督責任を怠ってきたから、契約に明記されている総量の計量さえも業者にポカされる失態を招いているのだ。呆れることにはそんな失態を見過ぎしていながら、山形新聞の取材に「古紙の買取り価格は正常なものであり、1月中には価格が正常であったことを証明する」と今更になってなお業者擁護の立場を崩そうとはしないのだ。
 再生資源物を売却するには、少しでも高価に買取ってくれる業者に運びこむのが行政の立場というものだろう。
 それを市況相場の半値以下で買い取っていた業者の根性もさるものだが、その欺瞞的な行為は行政とともに市民不在の所業だとはいえないか?
 川西町の自治体をはじめ、西部小学校の新潟中部地震災害者義援金のためにPTAがらみで収集した古紙は、米沢市のトラックで北関東通商に運んでいる事実をどう見ているのだ、行政担当者諸君!
 問題は単純だ、買取り価格を見定めた結果ではなかったのか。行政が正当な買取り価格であった証明にどんな証拠を持ち出そうとするのであるか?
 一年間にもわたる古紙価格問題に関心を寄せる市民の声が日々に増大している現今、行政は米沢市助役の「まいったな」と困惑しながら、何度も繰り返し資料を手にしたあの素直な目こそ「公平な行政」を行なおうとするトップの崇高な態度に見えた。
 本会は古紙問題について、一年間を行政の追求と調査のために費やして、市民がもてる権利を行使して「住民監査請求」を提出した。が、市民の権利は行政側のご都合主義によって、市民頼りの監査請求は却下・棄却と脆くも行政に偏った結論によって蹂躙されて返ってきた。一見、本会の敗北に見えた。おかしなことには、監査委員会が添付してきた資料の多くを精査して驚愕した。
 資料の中に行政と業者との「馴合いの実態を証明する資料」が混じっていたのだ。「この資料は何か?」と問う本会に対して監査委員会事務局長はこともなげに「わからない」と言葉を返してきた。
 添付資料が何を意味しているかを答えられない監査委員会が出した却下・棄却である。資料を精査していない監査請求であった。
 議会を代表する監査委員・遠藤宏三氏は「よく読んでいないのでわからない」と無責任にも捺印した人物である。結論として「あの監査報告書は精査を怠ったデタラメな報告書である」と事務局長に申し入れ後日、委員会を訪れ「不誠実な報告書の内容を糾明」する心算でいる。
 少なくとも市民の権利である住民監査請求が蹂躙されたのである。市民の権利を護るための行動だと理解していただきたい。

行政に望むことは「己れは主にあらず」の感性である。鷹山公の教えを思い出す時機ではないのか。