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環境生活課の言い分で市民を納得させられるか?

kage

2005/01/29 (Sat)

環境生活課の言い分で市民を納得させられるか?

 本会が追求した山形古紙回収㈱の古紙買い入れ価格は、平成15年度まで市況の46%という不当な低価格であった。環境生活課は「再生資源となる古紙の買い入れ価格は正当な価格であり1月31日までに正当性を証明してみせる!」と大見得をきったが、期限の月末を向かえて担当課は大忙しの模様である。
 契約には「市況を注視して」と明記されている以上、すぐ隣にある北関東通商の買い入れ価格を参考にしてみた。下図は平成16年の比較表である。
◆大口買い取り価格比較表
年/月 種類   山形古紙回収   北関東通商㈱  
16/1 段ボール     8         12
      新聞         8         10
      雑誌         6          8

    2 段ボール     8         12
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      雑誌        6          8

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      雑誌        6          8

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      雑誌        6          8

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      新聞        8         10
      雑誌        6          8

    7 段ボール     8         12
      新聞        8         10
      雑誌        6          8

    8 段ボール     6         12
      新聞        6         10
      雑誌        5          8

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      新聞        5         10
      雑誌        4          8

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      新聞        5         10
      雑誌        4          8

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      新聞        5         10
      雑誌        4          8

   12 段ボール     4         12
      新聞        5         10
      雑誌        4          8

◆再生資源協同組合は、米沢市全体から収集した古紙を、競争の原理を働かせない超低価格で売却し、利益をあげないように操作していたことが判明した。
今年度の契約により、協同組合の決算に利益が出れば、即米沢市の歳入に繰り入れられてしまうからである。

 本表を見ればあなたならどちらに売却するのだろうか。答えは一目瞭然であろう。 川西町やこのたびの西部小学校が実施した中越地震災害地に義援金を送ろうと各家庭から集めた古紙の売却先は、北関東通商に買い取ってもらっている。 簡単な論理で北関東通商の買い入れ価格の方が優位だったからに他ならない。市の行政担当者も当然ながら買い入れ価格の優位な業者を選ぶべきだった。そのことによって、米沢市には少なくとも2倍以上の返還があったはずだ。 そのように簡単な理屈を今更のように正当な売却だったとして何を?どのように?説明しようとするのだろうか。
 当局者が本会の指摘に反発すればするほど常識的な多くの市民が冷笑するだけである。

 さらに本会は2名の監査委員に対して「監査報告」のデタラメさを、証拠を突きつけ抗議すべく書類を送達した。 監査委員は本会の追求にどんな答え方をするか。

 いずれにしても行政は一般市民を舐めきっている。本会は市民本来の尊厳を守り抜くために、米沢市と職員とを相手に戦うものである。折角、手にした民主主義を官主主義にしてはならないからだ。

またるるは山形新聞2月1日朝刊紙である。

監査報告書に意義あり

kage

2005/01/26 (Wed)

監査報告書に意義あり

 本会は古紙問題に関して行政の対応に問題ありとして、住民監査請求を行い、2ケ月後の所定期日に監査報告書が届けられたが、報告書の中に添付されてきた各種資料を精査したところ新たな問題点が浮上してきた。
 資料とは監査委員が自ら収集した資料で、市役所担当課・再生資源協同組合・業界紙「古紙ジャーナル」などで、一般市民の手では収集不可能とされる資料だった。

◆ ① 所有権の問題がある。古紙に限らず市内から収集してきた再生資源物の所有権委譲は「米沢市と再生資源協同組合との契約」には次のように締結してある。
「市内から収集してきた再生資源物は、当該協同組合所有の資源物分別センターの計測器において、総量を計測した時点において米沢市より協同組合に資源物が委譲される」となっている。
 しかし、住民監査の報告では「総量計測は守られている」からとして問題はないと報告してきた。

[問題点]
ア・後日、ダンボールの総量計測をしていなかったことが判明した。
  総量計測を怠った資源物は今以て米沢市の所有であるにも関わらず長
  年に渡り、山形古紙回収㈱に売り捌いた行為は許されるべき問題では
  あるまい。

イ・行政担当課はマスコミの取材に対して「改善をお願いした」と答弁してい
  るが、米沢市は当組合に対して「売却額」の全額に利子を加えた額の返
  還を要求する責務がある。

ウ・監査報告は明らかに精査されたものでなかったことの証明。

◆ ② 古紙の売却先を山形古紙回収㈱一社に限定した理由の一つは再生資源協同組合の理事長の固有の会社であることと、市況をはるかに下まわる低価格で買い取るなど、それらの行為によっては、当該協同組合の決算を操作し「米沢市への利益返還の時期を遅らせるべき謀議を操り返していた」ことの判明。

[問題点]
ア・米沢市との契約に「市況を注視した販売」がうたわれている。が、古紙
  ジャーナル紙の東北地方相場表の買い取り月別価格表との比較では、
  市況の46%の低価格で当該協同組合は山形古紙回収㈱に売却してい
  る。
   追求に対して行政担当課は「正当な売却価格である。正当であること
  の証明は本年1月末日までに証明する」と大見得をきった。
   証明する期限日が迫っているのだが、1000円で買取りしてくれる古
  紙を460円でしか買い取らない業者に運ぶ人はいないだろうと考える
  のが一般社会常識だろうが、行政担当課はどのような説明で市民を納
  得させようとしているのだろうか。

イ・問題は市民が不用になった廃棄物であることで、その処理に関して意
  識の薄さが業者につけいる隙を与えていたこと。
   感心の高まりはマスコミによる報道と他地域から「米沢は無償だから
  儲かる土地だ」として業界新参入の業者によるチラシ教宣によって、市
  民が古紙は再生紙として金になるものだと知ったこと。

ロ・山形古紙回収㈱は新参入業者の価格にあわてたものらしく3ヶ月間は
  価格を上げ行政の対応を案じたものかどうかだが、まもなくして元の低
  価格に戻している。業者は価格に敏感だが行政担当課はこの変革に対
  して意にも止めなかったのである。

八・行政担当課は確約の今月末までに証明するであろう「46%買い入れ
  価格の正当性」については次のように説明するであろう事が予想出来
  る。「相場は地域性によって異なるものである。当市の相場を精査した
  結果は以下に示した通りであり、正当性が立証されるものである」と、当
  該協同組合員である古紙扱い業者の談合数字を以て証明するのであ
  ろう。
   ならば、現実にヤードを開いて営業している北関東通商㈱の買い取り
  価格をどのように評価かだ。

二・監査報告では自ら添付してきた資料によって、時の相場と山形古紙回
  収㈱の現状買い取り価格表によって不当な低価格が判明したものであ
  り、監査が精査をきわめた作業をしていたら、業者と当該協同組合の馴
  れ合いに気付き、市況に反した低価格の買い取り行為に監査の目が届
  いたであろう。が、報告書は本会の請求をことごとく却下棄却したのであ
  るから、総量を計測していなかった事実だけをあげても精査なき監査と
  して監査委員を監査する手立てを考慮しているところだ。

ホ・当該協同組合と山形古紙回収㈱との謀議によって、協同組合の決算書
  は作為されたものであり、市況相場で売却なり買い取りが正常に成され
  ていたならば、協同組合から返還される売却益は倍増していたはずで
  ある。この矛盾を行政はどう説明するのだろうか。
   行政の目が、委託業者の不正な行為を見逃していた責任は重く、米
  沢市の利益を侵害したことになる。
  行政の随意契約の甘さがこの様な希薄な監査の元凶となっていくのだ。

保守王国に異変か?革命か?

kage

2005/01/24 (Mon)

保守王国に異変か?革命か?

 保守王国山形県に激震が走った。
政治的には無名の若き候補者の誕生である。 はじめ在京の情報通は若き候補者の勝だと断じながら「3人の衆議院議員の意のままに操られるのは癪だな」と苦いツバを吐き捨てながら帰っていった。
 知事選に関するかぎり米沢市の投票率は低く、今回も最低の投票率を記録している。開票情況ははじめ現役優先だったのが、大票田の山形の開票が進むうち大逆転で名もなき若き候補の勝利することとなった。
13市の内訳では斎藤氏が8市、高橋候補はわずかに5市を占めただけで山形市の15,600票の差が命取りになった。米沢市は135票の差をつけ、かろうじて遠藤議員のメンツを保った風だが、川西・小国町の2町だけがそれぞれ242・271票の差で高橋候補を破っているから、置賜地方も保守陣営にほころびが見えてきたといってもよいのではあるまいか。

 不思議なことに加藤議員のお膝元鶴岡市の開票結果を見ると斎藤票が高橋票を8,013と開いたのに酒田市では逆に高橋票が5,244と斎藤票に差をつけているのだ。44市町村別では高橋票が22市町村を占め、斎藤票は20市町村を勝ち抜いた。したがって逼迫した選挙戦でありながら山形市の大票田が明暗を分けたことになる。

 このたびの知事選挙戦は衆参両議員の代理戦争と見られたが、実はもっと深いところで県民の選択がなされていたのではあるまいか。 長期につづく不況の風にもまれながら「日本一高い県職員給与を支給しながら財政再建を語る」高橋知事の経験必要論に県民はひそかに背を向けていた感じがする。
新幹線の庄内延線論では、明らかに加藤議員の影響力を分断しようとする政治的意図が見え見えだったし、二千万円入の笹かま事件をもウヤムヤのうちに闇に葬ったという県民の目が生きていた。

 一方、斎藤候補は知事の給与を20%カットすると明言し、人件費を縮小して200億円の資金を産み出し県内の産業に投下すると言明。このあたりが未知なる候補ではあるが大いなる改革を期待せざるをえなかったのではあるまいか。
事なかれ主義の保守王国の有権者が若き新人候補に賭けた理由には「既成の為政者では不可能な大改革を成し遂げてもらいたい」という一縷の望みからなのであろう。

 足元を見ずして改革をうたい痛みを県民に押しつける県政は、歴史が証明するがごとく悪徳代官などの用いる手法である。「山形の産物を世界に売り歩くトップセールスマンになる」「山形の産米を日本一の米として世界に売り出す」だれに命令するのでもなく自分自身が売りに歩くという気概は山形県のトップには考えられなかった勇気と英断である。

若さをふるに活用して山形県を陽の当たる県にしていただきたいものだ。
発想と英断にエールを送りたい。

雪害と闘う精神を養う

kage

2005/01/18 (Tue)

雪害と闘う精神を養う

 理容所での若い理容士との会話。
「お客さんは災害リュックを用意されていますか?」「いや、準備していないな」と私。「地震や津波がやってきたらどうされるのですか?」「そん時はそん時のことさ」と私。「阪神淡路地震災害の時に用意したリュックの中身が使えなくなって買い替えしなくちゃ」という。 なるほど、若い人たちは報道に敏感なのだと感心することシキリだった。

 15日は久しぶりに青空がのぞき雪おろし日だった。二階の屋根に上っていつも考えることだが、屋根の上にあがって雪おろしをする人たちの中に若い人たちの姿が見当らないのだ。天気の良い日は雪おろしには絶好の日和だが、同時に若者にはスキー日和でもある。
年寄のひがみといわれればそれまでだが、昭和30年代までは雪下ろしや道つけは若者の仕事だった。朝起きて道路の道つけをしてからが朝食の時間であった。無論、雪おろしは小学生の頃からさせられたし、屋根から落ちるなどの心配は皆無だった。学校の低い校舎は小学生の手によっておろされていたし、無論会社などの雪おろしは社員たちの手になっていた。

 私の知るかぎり、米沢での最優良会社といわれた某社でも社員によって工場の雪おろしがなされていたが、ある年から「われわれ社員は雪おろしするために雇われてきたのではない。したがって作業以外、工場の窓ガラス拭きや雪おろし作業などは社員の仕事として認めない」労働組合からの申し出があって以来、窓ガラスは上司の仕事となり、雪おろしは外部委託となった。
それをキッカケに、社会一般常識とされていたものが、否定されて現在があるような気がする。

 時が流れ、毎年学校では年2~3回のスキー授業が恒例のようにはじまる。問題は伸び盛りの子供を抱えた親たちにとって、板や靴などの用品の準備や買い替えにどれだけの加重な負担が課せられていることか。
「スキーも準備できないような家庭の生徒はうちの学校にくるな」とのたまう高校教師もいたことも事実だ。百歩譲ってスキー授業を是としよう。雪のゲレンデを征服することは雪国に住む若者の特権として楽しいであろう。
だが、雪国には雪害を克服するという条理がある。この両面を教育するのが地域に根ざした教育というものであろう。ここに教育者に必要とする勇断が欠けていると思える。
 世界中、どこの国に老人が雪害と闘い、エネルギッシュな若者が雪害をよそに雪国をエンジョイしているだけの国があるだろうか。

 いま、求められるのは若き群像の自主的な発露による「雪害克服隊」なのである。雪灯籠の制作などに見られる陽の当たるような作業も大切なことだが、老人家庭が切実に願っている雪おろし作業などは、最も価値ある若者の社会貢献のための証といえるのではあるまいか。
官民に加えて若者たちのパッションに期待して雪害克服策を米沢市全体で考えて見る必要がある。雪おろしによる二次災害について異論はあるが、老人が問われないで若者の災害が議論の中心を占めるのでは片手落ちというものではあるまいか。屋根から落ちない作業をすることも人間の知恵として体感することが生きた教育だと小生は考えるものだ。


「明日では遅すぎる」のだが、行政の対応はノンベンダラリ

kage

2005/01/17 (Mon)

「明日では遅すぎる」のだが、行政の対応はノンベンダラリ

 書きつづけるのも嫌になるほど行政の対応は天下泰平のんびりムードだ。
 14日に開かれた「一般廃棄物処理許可の説明会」に集まったのはナント40社に近い希望業者たちだった。不況の最中これだけ市民に注目されている業だ。
 熱意ある要望業者に「説明会」と称した会合は「努力しているが法との噛み合わせ」や「上部団体(県)の意向を聞く必要があること」さらに「急造の審議会の決議」を待って結論を出したいのだという。

①…「法律では市町村町長の裁量による|と明記してある以上、県の意向も急造した審議会の答申も必要はないのだ。米沢市長の裁量権が問われるだけのことで、安部市長の音なしの構えは何を意味するのか?

②…上部団体(県)の意向を必要とするならば、なぜ、説明会までに県に足を運ばなかったのか?
 少なくとも1年間近くも担当者は「県の意向」を聞く必要があると主張しながら、今さらのごとく繰り返すとは担当者は仕事の進展を計っていなかったことになる。
 担当者の怠慢であり行政の責任問題に波及する。(事情通から電話が入り、課長補佐が県に出向いて意向を聞いてきたところ、県の意向は許可する方が良い。ということだった〉

③…古代から日本では国民にとって1年の締め括りは、大晦日である。行政の締め括りは申すまでもなく3月31日である。どこの行政も期末を以て1年の締め括りをしている。
 許可の問題でも期末を以て解決すべきことが担当部課の仕事というものだ。それを今更になって「審議会の意向」を持つとは何ごとぞ。

 学識経験者を大学に求めているが、学識はあるとしても仕事の経験者だとはいえまい。しかも審議委員会のご都合次第で期末までに答申されるものかどうかはわからないのだという。一般社会ではそれを仕事だとはいわない。即刻全員、リストラ要員だ。
 担当者に一般社会情勢がいかに不透明な不況の波にもまれているかを理解できる立場にあったら、許可がないばかりに業を伸長させられないでいる市民たちの苦渋する顔の立場に立った発言をせよ。
 市民と同じリングの中で物を考えて見よ。返答に窮する質問に対して貝のごとく口を閉ざせば「少なくとも言質がとられない」とする。これが担当職員のサルも使わない手法なのである。 ④…「1日も待てないッ!」これが許可を希望する市民たちの悲痛な叫び声なのである。
 市役所の駐車場をなんの躊躇もなくわが者顔に無料で占拠して恥ない職員たちである。これを破廉恥な振る舞いだというが「みんなで渡れば怖くない」と個人の批判を避けているだけのことだ。
 これらの観念にドッブリと浸かり、退職間際の上司は部下に言うことば「その考え方はオレが無事退職金を手にしたあとでやってくれ」であり、「前例を調べ、前例のないことはするな」である。 
 社会の発展は前例がないことをやる遂げる人間の手によって発展してきたのだ。バーナードショウは「社会を発展させてきた人間とは、俗にいう話のわからない人間たちなんだ。イエスマンがいくらいても社会は進展しない」

⑤…説明会の席上「古紙の買取り価格が正当であったという証明を部長自ら今月中に証明すると山形新聞で言明されているが、大丈夫証明できるのですね?」に答えて「大丈夫だ」と大見えをきったが、以下のような答えが出てくると予想するが、業界や市民を納得させられるものではない。

 予想…「古紙の買取は市況相場の46%であるとあるが、比較された買取価格は地方によって大きな開きがあること。また 収集運搬された古紙は必ずしも再生資源となる古紙ばかりではなく、ヤードの中でさらなる再生資源となるべく分別作業が必要となっているのが実情だ。ビニールのテープや表紙のビニール加工分を除去するなどの作業に人的費用がかさむ。したがって、その人的費用を加味すれば当然正当な買取り価格だと認められるものだ」
 議会の答弁もそうだったが、あの答弁には期せずして傍聴席は冷笑につつまれたものだった。何処の業者の買い入れ条件も人的費用を勘案して上での価格であるからだ。
 行政は経済的効果に目を向ける必要がある。か、といって建設の競争入札制度の厳しさは存外だが、抜けているところは3月の期末に合わせるようにして余った予算の無駄遣いがはじまる。
 来年の予算が減額されるからだ。

⑥…与えられた予算内で、どれだけ仕事の量をこなし成果をおさめたか、そしてなお剰余金をいくら残せたか。が、本来なすべき仕事というものだ。
 仕事もせずに予算が残りそうだからといって、不必要な物品購入は一般社会では知られたことだが、いずれも卑屈な公務員の姿をかいまみる思いだと商店主は語る。
 市の職員と一般企業に勤める会社員の給料の格差が3:1の割合までに広がっているとい現在、少しは市民に誉められるような仕事を成して退職せよ。
 「明日では遅すぎる」許可要望業者の叫びを聞ける行政担当者であってほしいと思うと同時に「自由の風」が不況に立ち向かう旗印になるのであればいいが、見るところ自分の裁量で決定すべきところ、自分の意見を表明せずに参与の意見だとか審議会の意見に振り替えるようなひ弱な市長を抱えているほど米沢市民はおろか者だけではないのだ。

 裁量者の市長よ! 市民側に立って裁量権を発揮せよ!

 市政に大事なことは、希望する者には公平にチャンスを与え、さらに 「競争原理の働く経済性」を採り入れることによって活性が生まれる。

既存業者の圧力に潰された環境生活課の弱腰

kage

2005/01/15 (Sat)

既存業者の圧力に潰された環境生活課の弱腰

 市民期待の「一般廃棄物処理業許可」を求める人たちを召集した説明会が市役所会議室に許可希望業者約40名の参集を得て開催された。
 参集した業者はひとしく本説明会とは「希望する業者が許可を受けようとするには、準備しなければならない事項と提出書類の書き方などの説明があるものだとして筆記用具を持参した上で出席したが、行政の説明は許可を出すという前向きな考えはなく、審査委員会の結論を参考とし、各上部団体に問い合せる必要があるので今期中には結論が望めそうもない」ことを説明した会合に終わった。

 上部団体とは「山形県」を指す。山形県の上部団体は国の環境省であるが、当省は「許可を出すか出さないかの判断は町長村長の裁量による」と文書にて回答しているのだ。
 よって、米沢市の場合は安部三十郎市長に裁量権が有る訳である。だから許可を出すか否かは米沢単独ですべきことだ。が、担当者は「許可は出す方向で検討しているが法律を精査しなければならない」事を理由に、その時期を明言しない。

 すでに憲法では許可を阻む行為は違法だとしてあるのだ。それにもかかわらず山形県の意向が大事だと説明する。憲法よりも山形県の意向を重視するという米沢市の環境課の考え方に矛盾はないか。

 出席した全員が期待を裏切られた説明会に不満も最高潮に達していった。
 筋の通らない説明会の裏側には、既存許可業者13社の猛烈な圧力がかかっていた。というのが大方の見方だといってよい。

 まず、広報よねざわ誌上に掲載された「一般廃棄物処理業の説明会」の記事によって、まず既存業者が急遽集合し、7日・13日および当日の10時から3度も会合を召集して「新規許可業者を増やすなッ!」と圧力をかけつづけたその結果がこのザマである。
 なかでも13日の圧力集会はナント、午後3時から夜半の8時までに及んだという。さらに当日14日の午前がダメ押しの場となったに違いない。

 「許可を出すか出さないかは、法律を精査し、審議会の結論を参考にして決めたい」と返答するだけの会合となった。ならば法律を精査する時間がなかったのか? 法律より県の意向を大事にするならそれもいい。が、一年間もの問に県の意向を聞いていなかった怠慢はどう説明する。
 なかんずく慌てて造った審議会のメンバー中、利害関係に直接関わる既存業者が2社も含まれているという業者寄りの審議会に期待できるものは何もない。
 行政がよく使う手で、イエスマンだけを集めた審議会のどこに公平さがあるというのだ。

 行政の中でこんなに市民の声から離反した部課はあるまい。昨年春に測量設計社の談合が発覚し公取りによって指名停止を、さらに年頭には建設業者の談合が明るみに出た米沢市行政だ。これも長い不況がゆえに起きるべくして起きた業者の談合破りがその結果だった。業者の指名停止は死活問題である。
 他の業者は安価に良質の公共事業を提供すべく死力を尽くしている現実の厳しさをよそに、一般廃棄物許可業者は談合で高値安定を決め、ルンルンと我が世の春を決め込んでいる。

 ちなみに、平成15年度に既存許可業者に支払われた収集運搬料は1億8千5百万円強であるがその契約方法は、現在問題視されマスコミに大きく取り上げられている、特定業者に固定した随意契約によるものであり、これが競争入札なら少なくとも3割は経費節減出来ると当会は試算する。
 それに加えて、市民が業者に委託する場合、新規参入業者が無い現況に市場原理が働かず割高の経費負担を強いられ、市民及び米沢市に与えた不利益は計り知れない。

 14日の説明会の前に、既存許可業者と7日、13日、14日にわたり10時間を超える話し合いが行われたが、これは市側が招集したのではなく既存業者がこぞって押しかけたものである。
 この件に対して他の業種の業者は「仕事をもらう立場では考えられない業者の行動だ、きっと担当部課職員は既存業者に弱みを握られているんだべ!!」という。
 当会は説明会場にて吉田部長に対して「業者からの毒饅頭は食っていないのか」と言及したおり、部長は「絶対に無い」と言明したが、市当局のあまりの弱腰にそれも甚だ疑わしい限りである。

【当会は重ねて主張する】
  ① 新規許可に対して、法に触れない以上、許可は市民の利益になる
    か否かを判断基準とすべきであり、数十年にわたり甘い汁を吸い続
    けてきた既存業者の利益を優先させてはならない。
  ② 国、地方を問わず財政難の現在において、市が計画しなければな
    らない一般廃棄物処理計画には経済性の原理を盛り込むべきであ
    る。

 6月議会における「確実に作業が遂行されれば経済性は考えなくても良い」との吉田部長答弁は市民として容認出来るものではない。
確実性と経済性の両立が行政の責務である。


怒号飛びかう「話し合い」

kage

2005/01/13 (Thu)

怒号飛びかう「話し合い」

 米沢市の職員がいう。
今月7日一般廃棄物処理業者のうち米沢市から許可を受けている13社がこぞって米沢市役所の環境生活課に押しかけ、先に市の広報に掲載された「新規許可業者に対する説明会」に対して「新規業者の参入は我々の生活権を奪うものだ」として、怒号飛びかう激しい抗議集会になったという。
 「新規参入者を認めるならば、我々は結束して県内外からもバキュームカーを召集して市投所を包囲して戦う用意があるッ!」と担当職員を長時間に渡って脅かしつづけたという。

 本会は「経済性のある競争原理」を主張しつづけてきた。 13社の許可業者に一般廃棄物の処理を依頼した場合、許可業を理由に現実に5万円と見積もられたが、新規許可予定の業者はナント1万円で処理してくるという事例が現実には起きているのだ。
 この処理価格の格差は「許可業者の談合」によるのではあるまいか、という疑念は当然ながら市民の中から湧いてくる。ゴミまたは不要物などは目の前から消えてしまえばそれだけで市民にとってはマルだ。とは言うものの処理価格は安価であることが望ましい。

 米沢市が法にしたがって許可を業者に与えるというのであれば、自動車の運転免許のごとく希望する人たちに一定の運転技術と法規を習得させればいい。交通事故が多いのは運転免許証を多く出しすぎたからという理由で制限するのはあたらない。運転免許証を交付することと、免許するにあたらない人物の仕訳はその後にくることだ。

 同じように廃棄物の許可は、条件を満たし、さらに業として許可を望む業者に広く与えて競争原理の働く経済性を考えるのが開かれた行政というものであろう。許可を与えると同時に誓約書をとり、法外な違法行為が露見した場合は許可の取り消しなどの行政指導による処罰を課せればいいことだ。

 繰り返すが「市民性悪的」な発露は時代錯誤も甚だしい。むしろ性悪な業者は既存の許可業者で、役所に押し掛け担当者を脅しつけた13社の人物なのではないか。

 担当職員よ、既存業者の圧力に弱腰で対処すべからず。多くの市民の目が見つめていることを再認識することだ。13日は改めて13社との話 し合いをもつということだが、せっかく担当者が市民側に目を向け「許可業者を広げる」という市民の声に答えようとしている時に、既存の許可業者の暴言や脅しに左右されるようなことがないことを渇望するものである。

 行政のとるべき態度は常に「この政策が市民のためになるかどうか」が判断する基準となるべきである


全国的な駅伝ブームである。そこで!!

kage

2005/01/09 (Sun)

全国的な駅伝ブームである。そこで!!

 元旦の「実業団駅伝」につづいて「箱根駅伝」と毎年駅伝と共に新年を迎える。わが国の定着したスポーツの祭典である。
そこで、米沢市・会津若松市・喜多方市などの共催による「吾妻・檜原・磐梯・猪苗代・大峠」を駆け抜ける「山岳駅伝」などの企画はどうだろうか。と、前々から考えている。
会津でその話をしたら「そのアイデア会津にもらっていいか?」という話になって数年が経過した。幸いバレ-ラインは有料制度が解けたし時期を選べば実現できる可能性が増えた。紅葉の時期なら最高だろうが若葉の頃も美しい。

 たとえば、米沢市をスタートしてバレーラインを檜原湖に下り、剣ケ峰からゴールドラインに入るか、または猪苗代町に出て磐梯山麓を会津若松市に向かって走る。鶴ケ城を中継点に入れて再び喜多方市から大峠越えで米沢市を終着点とする考えだ。
素人の考えだから総距離を一日で走破できるものかどうかはわからない。場合によっては剣ケ峰から通称ラーメン道路を喜多方市に向かう方法も考えられる。

 箱根駅伝以外に山岳駅伝を知らないが、長距離ランナーの強化にもつながるのではないかと、素人ながら考えている。
テレビによる全国中継などに発展すれば「裏磐梯高原一猪苗代湖一鶴ケ城一喜多方ラーメン」などは広く知られるものだから、それに便乗した米沢市観光策はどうだろうか。

一般廃棄物処理業者に広く門戸を開き競争原理の働く事業奨励策を!!

kage

2005/01/06 (Thu)

一般廃棄物処理業者に広く門戸を開き競争原理の働く事業奨励策を!!

 「広報よねざわ」1月1日号に「一般廃棄物処理業に関する説明会」が1月14日(金)13:30分から市役所701会議室で開催される旨のしらせが掲載されている。
 一般廃棄物処理業の許可を永らく嘱望してきた希望業者にとって永年の福音であろう。この機をもって希望する業者に広く許可が出ることを願うものだ。業者が多くなれば当然ながら競争原理が働き一般市民にとって有り難いことになる。
 現在、許可業者に依頼すると5万円請求されるところ、新規許可業者では1万円で引き受けてくれる業者もいる。この値段格差は競争原理を働かせようとしなかった行政の失態の何ものでもない。

 昨年1月15日に出された最高裁判所の判例は「許可を出さないのは違憲だ」としたが、米沢市は法律の解釈によっては「許可を出さなくともいいのだ」と議会でも突っ張ってきた。
 法律がどちらでもよいと解釈するのであれば、当然ながら行政の立場として市民の側に立ち「どちらが市民のためになるか!?」を考慮すべきことであろう。
 前述のように処理料の格差によって市民の負担が重く課せられている実態を考慮し、希望する業者に等しく許可を出すことが正解というものであろう。
 そこで行政が懸念するように業者を増やした場合、中には「不法投棄などが生じる恐れもある」と、新規希望業者に対して生悪性を議会で唱え、いささか勇み足の感があり傍聴者のひんしゅくを醸し出したものだが、以来、一般廃棄物処理業をめぐる「許可性」と「再生資源ごみ」との問題が相俟って、古紙問題で2004年度は過ぎた。
 本年度に入り「許可性」が行政によって取り上げられたことは一歩前進というべきだろう。が、ここで懸念される問題点がある。
 会の名称は不確実だが、本説明会を前にして「一般廃棄物処理計画に関する市民を交えた諮問委員会」が設けられたと聞く。
 行政が諮問する委員会のメンバーには、えてしてイエスマンだけを選び、さも市民全体の意向として発表されることだ。
 大分前のことになるが、小生も○○委員に指名され初会合に出席したことがある。初の会議で渡された資料はナント数十ページにも及ぶ検討資料だった。無論、その場で目を通す時間もなければ、まして諮問する時間も無い。
 小生は「こんなに多量の検討議案があるのならば、せめて10日前ぐらいに送付され検討する時間が必要だ」と述べ、他のイエスマン委員を尻目にその場で辞退した事実があった。
 こうして行政はいかにも広く市民の検討の結果だと市民を騙しつづけてきた行政が使うズルイ手法なのだ。
 一般の市民は行政マンの説明を否定するだけの才覚に欠けている不幸がある。そこに行政が巧みにつけこむ隙を見いだし市民を籠絡するというわけだ。もし一般廃棄物許可性についてそれらの手法を持ち出してくるのであるならば、もはや市民主権の行政とはいえまい。案ずるあまり小生の意見として指摘しておく次第だ。

 さて、小生の心配をよそに希望する業者に広く許可を与えて、市民の負担を軽くするという市民の側に立った前向きな姿勢を取るならば行政も信じられよう。が、念願の許可を受けた業者は行政の懸念する不法投棄などの不祥事を決して起こさないことだし、行政はいったん許可を与えたとしても不心得者には厳然な処置を行なうべきだ。それには前もって専門の立場から業者に事業の在り方を説明し、行政の立場からさらなる厳しい監督の目を光らせるべきであろう。

 成すべき監督責任を怠ってきたから、契約に明記されている総量の計量さえも業者にポカされる失態を招いているのだ。呆れることにはそんな失態を見過ぎしていながら、山形新聞の取材に「古紙の買取り価格は正常なものであり、1月中には価格が正常であったことを証明する」と今更になってなお業者擁護の立場を崩そうとはしないのだ。
 再生資源物を売却するには、少しでも高価に買取ってくれる業者に運びこむのが行政の立場というものだろう。
 それを市況相場の半値以下で買い取っていた業者の根性もさるものだが、その欺瞞的な行為は行政とともに市民不在の所業だとはいえないか?
 川西町の自治体をはじめ、西部小学校の新潟中部地震災害者義援金のためにPTAがらみで収集した古紙は、米沢市のトラックで北関東通商に運んでいる事実をどう見ているのだ、行政担当者諸君!
 問題は単純だ、買取り価格を見定めた結果ではなかったのか。行政が正当な買取り価格であった証明にどんな証拠を持ち出そうとするのであるか?
 一年間にもわたる古紙価格問題に関心を寄せる市民の声が日々に増大している現今、行政は米沢市助役の「まいったな」と困惑しながら、何度も繰り返し資料を手にしたあの素直な目こそ「公平な行政」を行なおうとするトップの崇高な態度に見えた。
 本会は古紙問題について、一年間を行政の追求と調査のために費やして、市民がもてる権利を行使して「住民監査請求」を提出した。が、市民の権利は行政側のご都合主義によって、市民頼りの監査請求は却下・棄却と脆くも行政に偏った結論によって蹂躙されて返ってきた。一見、本会の敗北に見えた。おかしなことには、監査委員会が添付してきた資料の多くを精査して驚愕した。
 資料の中に行政と業者との「馴合いの実態を証明する資料」が混じっていたのだ。「この資料は何か?」と問う本会に対して監査委員会事務局長はこともなげに「わからない」と言葉を返してきた。
 添付資料が何を意味しているかを答えられない監査委員会が出した却下・棄却である。資料を精査していない監査請求であった。
 議会を代表する監査委員・遠藤宏三氏は「よく読んでいないのでわからない」と無責任にも捺印した人物である。結論として「あの監査報告書は精査を怠ったデタラメな報告書である」と事務局長に申し入れ後日、委員会を訪れ「不誠実な報告書の内容を糾明」する心算でいる。
 少なくとも市民の権利である住民監査請求が蹂躙されたのである。市民の権利を護るための行動だと理解していただきたい。

行政に望むことは「己れは主にあらず」の感性である。鷹山公の教えを思い出す時機ではないのか。


己れは主にあらず

kage

2005/01/05 (Wed)

己れは主にあらず

 正月はテレビ三昧で暮らした。数ある番組の中から小生流に選んで観ていたのだが、教えられることの多い正月ならではの映像だったように思われる。
 まず、青春を駈けた箱根駅伝の熱闘は正に白眉、二日間は中継に釘づけ。シルクロード・ロブノール西南にあるオアシス都市「楼蘭の墓場」発掘。オペラ抜粋・カードマジックなど妻期待の紅白歌合戦には気の毒なことだったが、チャンネル権はひとまず小生好みの番組に集中。
 なかでも、京都の老舗旅館の家訓には教えられることが多かった。「己れは主にあらず」含蓄のある家訓である。薄っぺらな出たがり屋の多い世の中できわめて大切な教訓に思えた。落語の枕に「卜の字とは一の引きよで、上にもなり下にもなる」意味するところは己れの行動を諌める言葉なのであろうが、悲しいかな人は己れの下に人をつくりたがる習性があるようだ。
 地方公務員と一般市中勤労者の年収の差には3対1もの格差が見られ是正する方向にあるとテレビは伝える。昔から役人は一般庶民を一段下の人間として取り扱ってきたきらいがある。今はどうかと思うのだが、やはりそのサガは必ずしも修正されてはいないようだ。

 米沢市長の新春の挨拶はまことに夢のない言葉の羅列だった。だれが言ったか「男モナリザ」の形容にふさわしい市長の謎に包まれた微笑は緊張感に欠けた男の照れ隠しにも見えた。「市長専用車の廃止」はまだしも「図書館の開館時間を延長」にどんな意味があるのだろうか。
 許せないのは「観光事業」のクダリである。観光とは「ヨソ者を応対する事業である」。見かけない人たちに気軽に声を掛けるのも定かでない米沢衆である。いわゆる愛想の良くないザワ衆に最も苦手な事業だとはいえないか。
 それでも観光の街にするという強い意志があるならば観光哲学が必要となってくる。上杉の城下町を観光の基盤とするならば、まず「上杉の城下町」をほうふつとさせる「美観地区の設定」が大前提になるであろう。成功させるには行政主導型から民間型に改め、いわゆる「観光屋」の意見を拝聴することからはじめることだ。観光の主役は観光客であることに異論はないが、もてなすのは米沢市民だ。まず、米沢市民の意識の改革からはじめねばならないだろう。それには殿様商売から脱却した「己れは主にあらず」を実践することにあろう。
 米沢に不足するのは卓越した演出力にある。