「背任か共同謀議か」!? 環境生活部長を追い詰める。

2004/12/30 (Thu)
「背任か共同謀議か」!? 環境生活部長を追い詰める。昨日、本会は先に受理した「住民監査報告書」に添付されてきた各種の資料を逆精査したところ、監査報告書は行政の都合で作成されたもので、米沢市民の監視の目を事実から故意に逸らす目的のために作成されたものであることが判明した。その事実を以て昨日記者会見をして本会の考え方を説明した。
会見当日の山形新聞朝朝刊では次のように報道している。そこから説明する。
[山形新聞朝刊12/28付]
「古紙、超低価買取り・米沢市の問屋、指摘を受け市が調査」
これに答えて吉田一明市民環境部長は「適性と思っているが現在調査中、来年一月中には適性であることを裏付ける調査結果を出したい」としている。また市民団体は「米沢再生資源協同組合」が同市との契約に違反し「資源ごみの総量の計測をしていない」と指摘。市が組合に確認したところ、古紙のうち、ごみ収集軍(パッカー車)で収集運搬しているダンボール類の総量を計測していなかったことが分かり市は「組合側に改善を申し入れた」としている。
この山新の記事から読み取れる行政側の不遜な態度は断じて許すべきではない。
まず、市民の訴える権利を監査委員全体でさんざん蹂躙しておきながら、業界の買取り価格が適性だと業者保護の立場をとり「一月中には適性価格であったことを裏付ける調査報告書を出したい」と調査前に何たる市民への侮辱であるか。
調査とは「両者の言い分を精査してどちらの言い分が正しいかを見いだす」ことである。それを業者は適性で有る事を前提に行う調査に真実の発見はあるのか、調査のこころえに問題があるといえよう。
また、総量計測に欠落があったことが判明したではないか。現在まで行政ぐるみで「計測はしている」として頑固に否定しつづけてきたことが崩れた。「組合に改善を求めている」では済まないのだ。
なぜならば、本契約の根幹を成す重大な条項であり、総量計測義務違反は本契約の目的破棄につながるものであるからだ。
行政よ、市民をあまりにも舐め過ぎているぞ。
◆行政の[背任行為か共同謀議罪か!?]
「米沢再生資源協同組合」は「山形古紙回収(株)」に、市況の約46%の超低価格で永年買取りさせていた事実。
もし適正な市況価格で買取りさせておれば米沢市に概算で1億円の歳入があったことになる。
あえて超低価格で買い入れていた理由の裏面を探れば、組合の理事長と古紙回収の経営者が同一人物であることから、
① 理事長の立場を利用した「米沢再生資源協同組合」に対する背任。
② もし、組合側が了承した上での行為であれば「共同謀議による」背任。
③ 行政が、これらの事実を知りながら野放しにしていたのであれば監督不
行き届きの罪。
④ さらに行政担当者には三者共同謀議の広がりがある。
◆[古紙問題の不思議]
① 市会議員の多くが無関心でいられることの不思議。
(本来は議会の仕事だが、議会にはチェック能力が欠如)
② 怒らない市民性・行政トップの動き。
藩政時代を未だにひきずっているのだろうか、お上に楯突くなどはご法
度の市民性であるか。行政は事の重大さに気づいていない
③ 鑑査請求に対する鑑査委員の不真面目な態度はどうしたことか。
たとえば遠藤宏三議員議会鑑査員の場合。書類に捺印しながら報告書
の内容すら読んでいないことの事実(本人談)。
しかも、議会質問に立つ議員に圧力をかけて質問の内容を変えさせた
事実は何を意味するものかは市民に考えていただきたい。
④ 金沢裕監査事務局長は私の問いに答えて「報告書は私が書いた」と答
えながら、資料について質問すると「わからない」と答える無様はどうし
たことか。
添付した資料の内容も解読できずに作成した監査報告書を正当な報告
書とはいえるものでないこと。
⑤ 金沢裕監査事務局長は本会のスタッフに「私が裁判官だ」と言いスタッ
フを恫喝したが、行政側に媚びた報告書を作成したものの添付資料
が、本会の主張の裏付けとなったことは不覚であった。
◆[毒まんじゅう・毒ダンゴを食った人物はだれだッ!?]
一致する意見として大量の毒まんじゅう・毒ダンゴがばらまかれた形跡があるとして、そのせいであろうか該当者と思われる人物が無関心を装って表舞台に出てこないわけは。
◆[組合から振込まれた謎?の金 12,306,600円]
米沢市との契約上からみて上記金額の位置づけは曖昧なものだ。
行政は寄付金だといい還付金だと使い分けして一向に納得されない金の位置づけである。ここに金の裏面を想定させる灰色の疑惑が残されている。
どう考えてみても金の正体は「便宜供与」のなにものでもない。
[理 由]
① 随意契約の相手からの金であること。
② 契約上では無償譲渡であるから、本年度は適用されるにしても、昨年度
は適用されるものでなかった。
寄付行為は精査して授受しなければならない。便宜供与として行なわれる場合があるからだ。行政が最も警戒しなければならない寄付行為であり、避けなければならない金であった。しかも、市はダボハゼのごとく寄付に食い付き、市の定める書式の作成や決済の期日をまたずに受け取った寄付金?という形の金であったが、あの慌てようはどうしたことだろう。

仕事納めに市長もゴミ分別

2004/12/29 (Wed)
仕事納めに市長もゴミ分別記者会見をおわって市長室のある3階エレベーター前で本会スタッフと待ち合わせていたら、安部市長が自ら市長室から出たゴミを選別しながら捨てている光景に出くわした。
秘書課には人がいるのだが無頓着な表情で作業を見ている。この光景は小生にとても奇怪な風景に見えた。市長がゴミの選別作業をしている姿を見て、これが市長のする仕事かなとふと疑問がわいてきたのだ。周りのゴミは常識的には秘書課員が片付けるものであろう。
市長にはもっと重要な課題が山積しているはずだ。それを考えていたらゴミ程度のものは目には止まることがなかったはずだ。
小生も会社を経営しているのでわかるのだが、自分のデスクのクズ籠に捨てた書き損じなどのゴミなどは、日常忙殺されつづけている小生には気づく暇もないのが小生の常識なのである。わが社の女性スタッフが毎日きちんとゴミを捨ててくれているからに違いない。
役所といえども会社とおなじことで、各々立場によって考えることも仕事の内容も違うはずである。社長が屑籠を持ってゴミの集積場で選別している姿を他人が見たら「あの社長はすばらしい」と評価するであろうか。
首長も同じだ。「米沢の市長はゴミ出しまでやっている」と侮蔑の評価を受けるのではあるまいか。 あえて言うならば「市長のパフォーマンス」とだけしか市民の目には映らないであろう。市長には休息する暇もなく種々の案件に挑戦していただきたいものだ。
市長にゴミ出しまでさせる市職員たちにも問題はあるが、市長の責任の重さを考えたならば自らゴミ出しなどの作業姿を市民の目に触れさせないでほしいものだ。
こまめな市長だなどと評価されること自体が市の恥じたと考えるものだが。

年末に響かせたい第九の歓喜

2004/12/28 (Tue)
年末に響かせたい第九の歓喜年耒の楽しみといえば「NHK全国小中高校の合唱コンクール」と「NHK音楽コンクール」である。
合唱コンクールの質は年とともに向上しているのが伺えるものの置賜地方からの出場校が皆無なのは淋しい。生徒たちの能力に差はないはずだが、各校の指導者による統率力と音楽を解する感性とがその差を広げるのであろう。
米沢市が市政百周年記念事業として行なった山形交響楽団とともに市民有志が歌いあげた第九の歓喜は、毎年末行事として米沢市が行なって然るべき行事だと提言してきた。が、残念ながら米沢市にはその理解する感性がないのだ。
今年は長井市や上の山市で歌われたが、長井市は東京芸術大学と市民とのジョイントであり、上の山市は山響との共演であった。いえることはどちらの市でも会場は聴衆で立ち員が出ていたが、米沢市にかぎって淋しいことに空席が目立つ歓喜の会場であった。
毎年、国技館で行なわれている東京墨田区主催の第九の演奏会には全国各地から参加する歌い手が制限を越える勢いだと聞いている。
必ずしも継続が文化を根づかせる要因ではないとしても墨田区が全国の愛好者の夢を育んでいることは確かなことだ。
昨日、米沢出身のピアニスト大野木はるか氏の演奏会を聴いた。
興讓館から国立に進みピアノ部門を首席で卒業された才媛だと会場で知った。プログラムの多くは聞き慣れない曲で技巧的なピアノ曲であり、リストのラ・カンバネラに至り、ホットするような具合で難曲ぞろいの演奏会であり見事な技術の演奏であった。
こんなに優れた演奏家が米沢に住んでおられることに改めて乾杯しできるなら毎年彼女の定期演奏会を開くことが、市民憲章が唱える文化の町に寄与することになるのではあるまいかと考えて帰路についたものだ。
会場にはなぜか音楽関係者が少なく、やはり米沢かなと思わせる雰囲気を感じとってきたものである。
山の分校で家庭教師をしていた時期に聴いた幻想即興曲が懐かしく青春時代を振り返りながら満ち足りた気分で車を走らせていた。
本物よ、胸を張って世に出でよ。エセ文化人の跋扈を許す米沢市である。
これでは米沢市の文化的未来はない。

教師は若き生徒たちにとって人生の導師でありたい!?

2004/12/23 (Thu)
教師は若き生徒たちにとって人生の導師でありたい!?三位一体の政策も結構だが、いまわが国に望まれている究極の政策は教育の正常化であることは論をまたない。
報道によると大学生たちが卒業を前にして「働くという意味がわからない」などと呆れた新説をほざいて就職活動を拒否している学生が増えているのだという。また、教師の暴力によって頭に傷を負い、体罰を加えた教師が戒告処分を受けたと今日の朝刊は報じている。悪ガキには体罰で望むほかに指導方法はない。それを家族が教師の暴力だとして問題化する前に、自分で子供を教育できなかった不名を反省することのほうが先だと思われる。
こうした親の甘えから子供が正常に育つわけがないじゃないか。相変わらずPTAの役員といえば学校経営にノーを唱えない親たちだけを集めた団体である。
悪ガキには教師の体罰を第一義とするべきものだ。ただし、体罰の前に生徒に対する偽りなき愛情があっての行為だ。
小生は戦中派の生徒として厳しい教育を受けて育ってきたが、教師からは毎日のように体罰を受けながら、今になって有り難いと思っている。
小生は3頭の大型犬を飼育しているが、しつけには体罰以外に方法はないのだ。悪ガキには体罰も必要だが、ひねくれた思想をもった教師も数の中にはいる。
教師も人間であり労働者だと宣う昨今だから、たしかに教育に携わってほしくない教師も見かける。小生のジイさん夫婦も教師だったが、現在と違って貧しさを聖職という名誉な職業だけに耐えてこれた人間である。
今の教師に未来の人間を育てるのだという使命感にあふれた人物がいるだろうか。教師は生徒の見ている前で酔った姿や、ましてパチンコ通いなどの醜態は見せなかったものである。無論、教師も労働者であるというならパチンコ通いも許せるであろうが、小生が中学生の時にパチンコに夢中になっている教師の醜態を見て「オレだけはあんな大人になりたくない」と今もってパチンコ台に触れたことがない。
教師に望むことは教師としての毅然とした哲学をもって生徒たちに接してほしいものだ。そのためには親たちの理解が必要となる。教師に体罰を受けたからと騒ぎたてる親の甘さが悪ガキを増長させることになる。小生の時代は教師の体罰を受けながら「親にはいわないでほしい」と教師に懇願し、親に叱られると「学校には内緒にしてくれろ」と親に頼んで過ごしたものだ。
今考えると学校教育にも偏執の感がある。人間教育をする資格に乏しい教師が多いことも事実だが、一方では教育者を聖職と受けとめ、熱心で使命感にあふれた教師に出会うこともある。教育の成果は十年後二十年後になって教え子たちが社会にどのように関わっているかによって答えが出るものだ。愛情のある鉄拳と憎しみだけの鉄拳とは殴られた生徒が理解するものである。人間の成長期には迷わず体罰することが寛容である。体罰が決して良い教育策だとはいわないが、言って聞かせてわからないガキには「人の痛み」を知らせてやることが大切な教育だと思われる。
この記事を書いている最中に「投書」が届けられた。
内容は教師の暴言にヘキレキして困惑している親からの悩みだった。早速、米沢の教育委員会に善処方を申し入れ調査を願い出た。そして心当たりの中学校に電話をいれたところ、教頭が対応し「当校に心当たりの教師がいるので調査する」とのことであった。
果たして教育委員会の機能が発揮するものかどうか、まずは見守ることにしよう。
【以下、投書の原文】
匿名でのお便り、お許し下さい。
私は川西町在住の者です。貴会のホームページを拝見させて頂き、「この会なら何か解決策を見出してくださるのでは」と思いお便りさせて頂きました。
私は川西在住ですので当然子供は川西の学校に通う事になります。この春、中学校に進学し、親としても少しの希望と不安を持っておりました。が、少しの希望は入学してすぐに打ち砕かれ、すべてが不安に変わってしまいました。
それはたった-人の教師によるものです。
この教師は、米沢市在住で今年米沢の中学から転任して来ました。まず、入学早々、批判から始まりました。
●川西は田舎だ ●お前達は頭が悪い ●レベルが低い学校だ
●校長も大した人じゃない ・・・・ 挙げたらきりがなくなる程です。
入学すぐからこのような暴言では子供達が反発するのも無理がないと思います。
何人かの生徒はこの教師に反発し、意見するようになりましたが、そういう生徒を"悪い生徒"と位置づけし、差別するようになりました。
この教師の暴言は調べればすぐあふれるほど出てきます。
入学して親としてはクラスの様子を知りたい、と考えるのは当然だと思うのですが、この教師はクラス便りをほとんど発行せず、たまに発行したと思うと『汚いロッカー一本勝負』(整理のできていない生徒のロッカーを写真掲載した物)
『うるさい人のせいで希望の高校に入れなかったらどう責任をとるのですか?』といったおおよそクラス便りとは思えないプリントを発行します。
この教師の事を不信に思い、学校や教育委員会に抗議しに行った方もいますが学校からも教育委員会からも保護者に対して何の説明もありません。当然、今現在も教壇に立っているのです
一部生徒が校長室に「あの先生の授業は受けたくない」と直談判に行った事もあります。それでも保護者には何の説明もないのです。
先日、成績表配布で三者面談がありましたが、この席でも信じられない発言の連続でした。クラスがまとまらないのは一部生徒のせいで自分のせいではない、延々と自分を擁護する言葉の連続でした。私はあっけにとられて何も言い返せませんでした。中にはかなり先生に意見した親御さんもいらしたそうですが、皆が皆そういう親ばかりではなく、私のように何もいえない親もいます。
結局は成績表、内申書のためにこのような教師にも親は「うちの子をよろしくお願いします」と頭を下げなければならないのです。面と向かって本人に言えない自分を情けなくも思いますが、これが子供の進学のために親ができる精一杯なのです。
貴会は教育問題にも大変熱心だと思い、お便りしました。どうかこのあいまいな学校体制を公にし、解決に導いて頂きたいとお願い致します。

古紙問題について「横井助役・吉田環境生活部長」に面談

2004/12/22 (Wed)
古紙問題について「横井助役・吉田環境生活部長」に面談面談の結果、行政も不知だった米沢再生資源協同組合側の契約違反は行政側を唖然とさせるものだった。以下、その全容を市民に伝える。
本会の住民監査請求は市民がもつ権利を行使したものだったが、いずれも本会の請求趣旨は行政がらみのエゴによって「却下・棄却」の処分を受けた。が、監査報告書を精査した結果、明らかに行政主導型の報告書の内容であった。
監査報告書に付帯されてきた「資料」の数々を本会が熟読精査したところ、米沢市と米沢再生資源協同組合との間に締結されている契約内容に明らかな違反行為がなされていたのである。
「違反事実」
① 契約書の内容「当該協同組合が管理する資源センターに搬入し計量作業終了をもって譲渡する」となっている。しかし 監査委員の添付「資料13」によれば、搬入先は古紙回収センターであることが報告されていることから、平成10年度から現在に至るまで当該協同組合に譲渡されていないことになる。
この行為は米沢市が財産の管理を怠ってきたことによる。加えて契約書による協同組合への無償譲渡の意義は存在しなかったものである。
② 当該協同組合が古紙回収㈱に売却した単価は過去平均で市況の46%であり、組合理事長と古紙回収㈱の代表者が同一人物であることから、故意に低価格での取引きが成立し、米沢市への返還金が作為の小額となり、しかも返還の時期も遅れたものである。この事実を当局は言を左右にして隠蔽してきた疑惑の可能性があった。
契約書には「処分に当たっては市況を注視して」と定められてあるが、市況を注視した資源物の処分ではなかった。
③ 結論:仮に市況を注視した処分が成されていたならば、米沢市への返還金は12、306、600円だけでなく、長井市と同じ方式で委託契約を為せば年間6千万円相当の経費が節約できた計算が成立する。
以上のデーターは監査報告書に資料として添付されてきたものを精査した結果の数字であり行為の事実である。このデーターが示す事実を行政側は把握しておらず、行政側による隠蔽であったかどうかは定かでないが、面会の席上において助役は資料の数々に目を通して「まいったな」という言葉を吐いた。吉田部長は担当者として事態の重要性に気づき困惑を隠せないものだった。
[問題の摘出]
① 米沢再生資源協同組合原理事長は当該協同組合が売却する古紙を、原個人が経営するヤードに搬入させ市況の46%という安値で買い取っていた。
この行為は当該協同組合理事長の背任行為である。
② 市況の46%でしか買い取りしないことを承知で古紙売却を続けていた行為は当該協同組合と古紙回収㈱との共同謀議によって、米沢市に虚偽の報告をなし多大な損害を与えてきた。
③ もし、これら市況を注視せず市況の半値以下で売却していた事実を行政が把握していなかった事実から「行政担当者の管理不行き届き」である。もし、その事実を担当者が承知の上で虚偽の売却行為をなされていたとすれば、担当者の米沢市にたいする重大な背任行為を犯していたことになる。いずれにしても競争原理を働かせなかった委託業務(随意契約)であっただけに問題は起こるべくして起こったというべきであろう。
[最後に]本会はこれら不祥事とも思われる古紙売却に関わるダーティな資料を幾度となく手にして助役は「これには参った。さっそく調査する」と約束し担当者は調査に入ったようだ。
助役は、前市長時代の産物であり、新市長になって沸き起こってきた古紙問題であるだけに、前市長と同級生である小生によって起こされたことに疑義をもっておられたようだったが、小生は前市長在職中は市政に対して一切の発言をも慎んできた。これについては助役はいずれ了解するであろうが、明言されたことは「古紙問題の積極的な調査と解決、および一般廃棄物処理業の許可を望む市民に門戸を広くし、競争原理の働く作業を進める」というものであった。約1年間の古紙問題、と一般廃棄物の許可については一歩も二歩も前進したことは間違いのないことだ。

いやなご時世になりやした ②

2004/12/19 (Sun)
いやなご時世になりやした ②セクハラ行為をして天職を失うというクダラナイ風潮がつづいている。
イタ公じゃなくても、男が女にチョッカイを出したくなるのはお釈迦さまでも同じ事だろう。男が女を求めなくなったツケが少子化問題を複雑化させているのではないのだろうか。したがって、嫌がる女にチョッカイを出しつづける大学教授らも哀れな人類だが、忘れてならないのは女性の服装や態度であろう。
肌がスケスケするようなシャツや、スカートが極端に短く中身を見せるよう足組む女性も哀れ、高校生からして、スカートをことさらにたくし上げ、寒空に赤紫色に変色した大根足を曝すわけは、たんなる流行のバスに乗り遅れまいとする、けなげに努力する格好だと思うが、体を冷やすことは後顧に憂いがあることも知ってほしいものだ。
許せないのは「へソ出しマラソン選手」だ。男性でヘソ出して走る選手はいないぞ。なにがセクハラだ。「へソが茶をわかす」よ。もてない女性の勝手な論理にすぎない。
ところで、薬事法という法律がある。「病気が治る」という言葉が法律に抵触するというものだ。が、実際に治ったとしても「治る」とはいえないのだ。こんな場合はどうしたものだろうか。
アトピー性皮膚炎という疾患がある。幼児に多く見られ母親を悩ましているものだが、医者は皮膚病としてステロイド系の薬を塗って痒みを止める。痒みは-時だけ止まるものの、すぐに痒みがはじまってくる。皮膚病としか捉えない医師の診断に問題があるのであって、アトピー性皮膚炎の正体を血液の病気だとして捉えた場合、法には触れるが「簡単に治癒する」ものだ。大抵の場合は2~3週間、大人の場合は4~6週間ぐらいできれいに治癒するものだ。
小生が米国から持ち帰った物質で医師は持っていないはずだ。あるとすればわが国からアトピー性皮膚炎などは駆逐されていたはずだからだ。通常の健康食品と違って「売りたくない商品」の代表的なサブリメントなのである。なぜならば、一回の購入だけで大抵の方は治癒して購入する必要がなくなるからだ。こんなに優れたサプリメントがあるのだ。これ以上は薬事法に触れるだろうから、いくら真実を伝えようとしても罪人になるのはゴメンだ。もうひとつ洩らせば「ガンは治る」ということだ。
日本は真実を伝えること事態が罪に問われるという法事国家なのである。

生ゴミ禍いからの解放・京都議定書の実施からゴミ焼却問題が変わる!

2004/12/18 (Sat)
生ゴミ禍いからの解放・京都議定書の実施からゴミ焼却問題が変わる!国土交通省森田弘昭下水道研究室長の談話を引用する。
「都市における生ゴミ等の有機系廃棄物は、臭気による環境の悪化やゴミ収集時の臭気・害虫の発生やカラスによる被害、廃棄物処分場の逼迫等の深刻な都市問題を引き起こしている。また高齢化社会を迎えるわが国にとって生ゴミ搬出労働は重い福祉問題になる可能性がある。台所に設置したディスポーザーで生ゴミを粉砕して下水道に排出し、下水処理場で衛生的に処理する手段は、これらの深刻な都市問題を抜本的に改善できる可能性がある」として、北海道歌登町での実験に期待を寄せているのが現状だ。
歌登町は各家庭にディスポーザーを設置して生ゴミ処理を焼却処理から脱皮した町である。京都議定書の実施を踏まえた町政の知恵であった。焼却による生ゴミの処理はダイオキシンを発生させる元凶だとして、京都議定書の厳しい実施を見据えてのことだった。報告によると生ゴミの処理が万全であると同時に焼却炉の建設に無駄と思える巨額な予算が不要になったと報告されている。 生ゴミは水分が多いため重油を用いて焼却している。燃すことによってダイオキシンが発生するというオマケがついている。現在、考えられている生ゴミの再生はディスポーザーで粉砕された生ゴミを糞尿とともに終末処理場において有機ガスを抜き(有機ガスは燃料となる)1000度の熱で焼き固めてレンガにするという方法がベターだとされている。いよいよ生ゴミ・糞尿までが歩道のレンガとして再生されようとしている。実際には横浜で生産されたレンガは「ハマレンガ」と呼ばれ山下公園などに活用されているのだ。
弊社では数年後に訪れるであろう生ゴミの活用を前に、ディスポーザーの販売を行なっているが「台所の水洗化と生ゴミの処理を同時に行なう」ことのメリットを多くの方々に知っていただきたいとお薦めしている。使っている方々からは一様に賛辞のお言葉を頂いているが、田舎町のことから、なかなか理解を得るまでに苦労がつづくのであろう。小生宅では十数年前からディスポーザーのおかげで、生ゴミゼロの生活をつづけてきたが、生ゴミ収集日までの幾日かを生ゴミに台所を占拠されるのがたまらなく不快なものだった。
「ゴミは出すな、燃すな、捨てるな!」の三原則の縛りで家の周囲には不用品が山となっている。が、業者に依頼すると高額な処理代が請求される。これは許認可をもつ米沢市が希望各社に許可を与えないために競争の原理を省いているために生じる高額な処理料金になっているのが原因。
生ゴミにしろ、他の廃棄物の処理にしろ高値安定企業を構築して市民に不便を課しているのは行政がもつ特権の乱用としか思えない。昨日は情報公開のために定められた時間に市役所に行ったが、行政が業者と締結した契約をいとも簡単に無視する業者とそれを見逃しつづけていた行政に反省はない。
これでは市民はデメリットの中に泳がされているようなものだ。藩政の城下町に慣れ親しんできた米沢市民にはお上に意見をするなどの行為は慎まねばならないのかも知れない。とすると、米沢市民は上意下達の時代錯誤に生きるのが似合っているのであろうか。

シンガポール陥落の秘話

2004/12/17 (Fri)
シンガポール陥落の秘話天気がよいので久しぶりに会津の知人を訪ねてみた。
十数年来の知己の人たちはいつもながら集ってくれる。会津は付き合う人を頑固に選ぶところだから、おいそれとは知己の間柄になれるわけではない。小生がいう会津の人たちとは復古会の大肝入の五十嵐大祐さんであり、毎日新聞の名誉職員である伊藤利博氏らである。
米沢では一文にも評価されない小生だが、なぜか会津では「米沢の親分」の称号が与えられている。同じことだが東京の劇作家の仲間では「山形の親分」と呼ばれ親しまれているが米沢での評価の差異を考えると不思議でならない。
ところで会津では小生が顔を出すと、自然と酒盛りがはじまる。出席者の中に奇怪な風貌をもった人物がおられた。眼光するどく一部の隙も見せないような振る舞いから只者ではあるまいと思いつつその人物の故事来歴を詮索しないでいたが、昨日はその老人の過去を知ることになった。
彼は第二次世界大戦中に中野学校から中国に入り寺の坊さんとなって間諜として働いていた人物だった。むろん国籍を剥脱されての諜報機関員で、シンガポール陥落の立役者だったことがわかった。
「当時、山下泰文はイギリス兵とドンパチの上でシンガポールを占領しようとしていた。私はドンパチをやれば当方にも無駄な戦死者がでる。この戦さは私に任せてもらえまいか、と掛け合ったところ山下はドンパチやらずに占領する方法はあるのかと私に聞く。
私は即座に水を止めればええと答えたんだ」当時のシンガポールには水が枯渇していたから、マレーシアからパイプで供給していたのだという。そこで私はマレーシアの水源を止めた。人間なにがなくても飲料水を止められたのではドンパチどころの騒ぎじゃない。ほどなく労せずシンガポールは陥落した。無論連合軍らに「ブラック・スネーク」の名をいただいて国際手配された人物だった。
戦後、マッカーサーと会談することがあり「私は喘息でタバコが嫌いだ。貴殿がパイプを吸わないと約束してくれるなら会ってもいい」と条件をつけた途方もない人物との迎合だった。こんな人物の住む会津である。
かつて「豚肉文化」の会津に米沢の芋煮を振る舞ったことがある。材料を会津に持ち込んで市長・助役らも含め20人ほどの人たちとの酒盛りとなった。デカイ丼で「うまい旨い」と酒もそこそこに二杯も食い続けたあげく言った言葉が会津人らしい頑固さだった。
「米沢の芋煮は牛肉だが、会津の豚肉でないと腹の座りがもう一つだな」とのたまう頑固なまでに郷土色にこだわる土地なのであるく。その点では米沢は住みやすい所なのかも知れないが「人の足をひっぱり、出る杭を打つ」などの作業にはめっぽう強い習性があるようだ。
独立独歩の考え方が弱いから自分が出世するには邪魔になる人物にはご遠慮願う必要に迫られる。したがって人物の評価に狂いが生じてくる。
他人の評価はともかく、自分の評価を正しく採点できる人物がリーダーとして社会に頭角を現すのであればともかく、自己採点もできないままの議員が多いことも不幸だが、住民監査委員らが住民の権利を蹂躙する行為も許せない。行政がらみの不祥事は天が裁くより早く住民の手で裁く日も間近であろう。

いやな渡世になりやした ①

2004/12/13 (Mon)
いやな渡世になりやした ①遅い雪のシーズンを幸いに、帰省中の文学の友を誘って川西町の湯槽に浸かってきた。料金は大人300円也。風呂場につづくロビーには地元の産物もあり、米沢から出店しているという喫茶部門もある。餅もあれば各種そば類も豊富だ。めずらしいものには子供たちに人気の大盛りの氷水があることだ。季節はずれかと思いきや温泉に浸かったあとの氷水は食指を誘うものらしい。 人造大理石の大浴場からの展望はすばらしく、ダリヤ公園の高台に位置してあることから花の季節には大パノラマが望めるのであろう。 創世資金1億円をベースとして創られた第3セクター方式の温泉保養設備であり、もちろん格安に宿泊設備も整備されている。温泉にゆっくりと浸ったあとは、畳敷きの無料休憩所で大型テレビを眺めながら足を伸ばして昼寝もできる。
小生らは生ビールを枝豆で飲みながら、テレビで女子駅伝を観戦ながら地元の人たちと歓談。合併問題になり、川西町民の多くは米沢市との合併は当然実現するものだと素直な考えを持っていたようだった。どこの市町村もそのようだが川西町の場合は特に町議員のご都合主義を優先させているということだった。 議員職というのは大変なメリットがあるらしく、議員定数が削減された場合議員職を失う危険性がはらむ。町政や町民のことを考えるなどの余裕はサラサラなく己れの失職が重大なのだ。山形・上山が典型的な議員エゴで合併が難破しそうな形相である。よほど議員職とはよかものらしい。
国がよくならないのは、議員たちが必ずしも国政に役立つ人物だけが選出されてこないからだ。市の命脈も同様、議会のチェックポイントがしっかりしていないのが何よりも優先する元凶だ。デモクラシーの崩壊は議員の貧しさとそれを慨嘆するあまり有権者が選挙の手続きを放棄することだ。
いま、国に必要なのは総理ではなく卓越したリーダーの出現である。同じように米沢市民が渇望するのは「リーダー」なのである。形だけの市長や参与はいらない米沢市百年先を見通せるリーダーの存在である。米沢市にはそれが無だ。と いって議会には補填するだけの力もなければビジョンもない。どうする米沢市民。

活力のない市議会にアイソが尽きた!!

2004/12/10 (Fri)
活力のない市議会にアイソが尽きた!!正直言って期待の9日議会は活力に欠けたものだった。傍聴席のだれもが洩らした感想だった。常に市民が傍聴する場であれば、少しは質問に立つ議員も答弁する行政側にも緊張感あふれた議会が成立していたであろう。傍聴席にいる大半の傍聴者は退屈しのぎに議員の後頭部の具合をささやきあっている始末だった。
さて、佐藤議員の古紙に関する質問に期待し多数が傍聴したが、議員の命脈をかけた質問とは思えない腰の引けたものだった。議会内外から相当の圧力を掛けられたらしく「古紙に関する質問は避けたい」と周辺に洩らしていたと聞く。古紙問題を精査し生々しい裏事情を熟知した議員であったが、残念ながら行政をたじろがせるまでには詰めきれなかった。
しかし行政の答弁に、拭いされない文言を引き出したところに佐藤議員の価値が認められた。
佐藤議員:「再生資源協同組合からの寄付行為の意味は?」
◆この質問に答弁した吉田部長の文言に問題が有り、議事録を入手した後に精査する。
佐藤議員:「寄付を受けるのに米沢市の規定を守らなかったのはなぜだ?寄付の申し出があった時点で寄付行為が実行されている。規定では決済があってから受けるという順序になっているが、書面を精査すると決済があったのは寄付を受けてから7日後である。これはなぜだ?」
総務部長:「寄付行為にも色々あって、直接、市役所に現金をお持ちになって義援金として使ってほしいとかがあります。それと同じように規定に反するようなことも起こりうるということであります。総務としては現金を持っているわけにもいかず市のロ座に入れるわけです」
[疑点]寄付金を受領するに、市は規定を設けている。
今回の協同組合からの寄附は普通の寄付金と異なり、一社のみと随意契約をしている業者からの寄付である。「今後も宜しく」と便宜供与を期待する行為として疑うべきで、規定に従い寄付を受領するための検討をするのが筋であろう。
なぜ規定を無視してまで当該組合の寄附を受領したのか?
吉田部長の答弁の文言と照らし合わせ精査し、規定に違反する行為を行った総務部長の行政認識も問題視されるであろう。
[疑点]古紙問題は、再生資源協同組合理事長による当該組合への背任行為であるばかりでなく、米沢市民への重大な背任行為である。だが、吉田部長の答弁より、協同組合と市は納得づくでの行為だと証明されることから、当該背任行為は協同組合と山形古紙回収㈱と市によって実行されてきた共同謀議だといわざるをえない。
鬼の会の住民監査請求に対し、監査委員会は行政の落ち度隠しに狂奔したあげく、行政が監督すべき当該協同組合の謀議を見抜けなかった担当職員も共に、業者との謀議に加担していたものと思われることから、三者で市民に不利益を与えたものだと結論できるものだ。
契約書に、再生資源物は下新田にある「資源化センター」に搬入し分別する事とあるが、驚いたことに古紙・古繊維類は分別の要なく業者ヤードに直接搬入していた事実を多くの市議会議員すらも知らなかったのだ。
このように市議会議員といえども問題意識を持ちあわせておらず古紙問題のカラクリが判明するまでにはかなりな時間を要するだろう。恐ろしいことはこのカラクリを知りながら、議員もまた人の子「甘い汁が浸透していたのか」と疑わしくなってくるのだ。
鬼の会が何度も記述している「長井市のように一般廃棄物処理計画に経済原理を導入すれば、年間6000万円が経費節約する事が出来るのに、なぜ米沢市は特定業者の利益保護に狂奔し、市民の声に答えないのか」の疑問を解消するには相当の時間と忍耐力が必要であると認識した9日議会であった。

五十嵐 章 殿

2004/12/09 (Thu)
五十嵐 章 殿さっそくの反応に感謝いたします。31才の若者とありますが、若いということは未来や可能性が広がっているということだろうと思います。羨ましいかぎりです。
建設業から足を洗われたと書込みしてありますが、だからといって建設に関する一切を熟知していることにはならないと考えられます。
「他の建設業者にたずねたら、ぶったくりの詐欺商法だといわれた」とありますが、あなた方が知らないだけのことで、実際には何十軒の方々が喜んでおられる事実を無視して「詐欺商法」呼ばわりは、その業務を遂行している業者の方に失礼だとは思いませんか。
昨日のニュースで、某、有名大学の野球部員が集団で痴漢行為を行い、逮捕された事を告げていました。だからといって、野球をする人がすべて痴漢だとは言えないように、一面職もない小生に向かって「悪徳業者」「ボッタクリの詐欺商法」というあなたの表現には少々無理があるようです。
以前「DVD機器を無料で差し上げます」とHPに掲載したところ、ナント10名の方々においでいただき、差し上げた事実があります。 小生の仕事柄、そんなこともできるのです。そのことにだれが詐欺行為だとして騒いだでありましょう。
小生のホ一ムページに嘘やまやかしは一切ないのです。それが誇りだからです。あなたのいうボッタクリや詐欺商法を、私がやっていると言うのであれば「詐欺にあった、被害にあった」という証拠を示すべきです。
小生、社会を斜めに見ているような若者は、哀しみをこめて軽蔑するといいました。いまでもその考えに変わりはありません。
本会が追求している古紙問題については、議会が正確に精査し、是正する点を是正する誇りに欠けているがゆえに、本会のメンバー、いわゆる市民有志が問題を提起しているわけで、行政のチェック機関である議会に、市政を見つめる真摯な態度があればと願うわけです。
貴殿には、常に真っ正面から物事を見つめる若者であってほしいと願うものです。
スピード違反をとがめられ「速度違反をしている警察官に、取り締まられる言われはない」との考えには同感です。たとえ相手が官であろうとも、あくまでも意見をぶつけることによって自分なりの納得が出来ましょう。
そこから、社会の仕組みに目を向けることにより、真実とは、必ずしも「矛盾を含まない存在」では無い事をも発見できるでありましょうから。

拝啓 ザワ衆「鷹」殿

2004/12/08 (Wed)
拝啓 ザワ衆「鷹」殿自分のことばに責任をもてない哀れな人間を最高の侮蔑をこめて「ザワ衆」と呼ばせていただく。そして人間ヅラした情けない生きものが米沢市に住み着いていることに幾度も慨嘆してきた。
また「鷹」なるウツケ者の出規である。不似合いにもパソコンなる近代的な機器を相手の、限りなく孤独な人間のようだ。
吐いた言葉に責任をもつ人物は信頼できるが、ハニワ以下の頭脳でありながら「詐欺やたかり」呼ばわりは犯罪につながる行為だということを肝に命じておくがいい。もう一度念を押す。「弊社に対する言われ無き誹謗中傷は、営業妨害罪という確たる犯罪になる」
小生をどんな風に評価しようと構わない。ひとかけらの尊厳をも持ち合わせないウツケ者らの風評にたじろぐような小生でないからこそ、市民がやらない行政批判を行なってきたのだ。結果は議会を動かし米沢市の行政を転換させることは必至だ。その時点でウツケ者らも人間の勇気というものの価値を識るはずだ。
「公務員は業者との接触が癒着につながっていく危険性」に留意することだ。再生資源物にかぎり「市職員と業者との癒着」行為は幾多の資料によって判明され、長期にわたり市民に多大な損害を与えてきたことは明白な事実である。癒着や無駄な出費については、中央官庁に限定されることなく足元の米沢市でも行なわれてきたのである。
「鷹」氏よ。鬼の会はここまで根拠ある資料を基に断言をしているのだ。
書込み氏の大半は、鬼の会の提示する本質に触れず、読者の目をそらそうとする書込内容から、事の真相が暴かれる事に困惑する市職員の手になるものか、業者側の回し者であろう。
「ストレス発散できない悪徳オヤジ集団」というならご心配に及ばない。それより「問題をはぐらかさず読者の琴線に触れる意味の通じる文章を勉強すべし」
いままで書込み氏の中で名を明記した人物は高橋寿氏ただひとりである。もし君が青年なら陰にこもって世の中斜めに見ることなく、素直に真っ正面から凝視せよ。そして一日も早く人間社会に戻れる努力をすることだな。
小生はあえて行政をあげつらっているわけではない。
今後、国が進める三位一体政策は、確実に地方財政を逼迫する。もし再生資源物の処理を長井市と同じ入札制にするなら、年間6千万円の経費節減が出来、5年間で3億円の予算実行が出来たのである。
担当者に少しでも改善する意識が見られるならば、これまで行政を追求することはしなかった。社会通念に大きく離反した行政を死守しようとする強引な態度こそが、米沢市の発展を拙速させる元凶だと信じたから、たとえ古紙問題ではあるが追求の手を緩めなかったのだ。
今月9日午前9:00から開始される議員の質問に傍聴席が満員になる予想である。
「鷹」氏よ、陰にこもらず議会を傍聴し、真面目な米沢市民がいることを目にしてからゴタクをならべよ、名前を明かす勇気もなく、筋の通らないイチャモンは廃棄される生ゴミ同様、焼却して灰にする程度の価値しかない。

これでも市民は怒らないのか! ④

2004/12/04 (Sat)
これでも市民は怒らないのか! ④連日、新聞は「随意契約による弊害」を報道し続けている。
中央官庁では巨額な文具類の随意購入。山形県内では救急車の購入条件にトヨタ車だけが備えている装備を入札条件にした為、条件を満たす車種をもたない会社は競争見積りに応じられない。秋田県では競争入札によってニッサン車が採用きれて不便はないというから、そこには業者との癒着があるのは当然だろう。
発注者の権力の裏には必ずといってよいほど業者との甘い癒着があることは古今東西を通じて否定することはできない。
さて米沢市の環境生活部と当該協同組合と間に癒着構造の疑義はないか?
[疑義発生の問題点①]業者との癒着
吉田環境部長は議会の答弁で「業者との接触は一切ない」と言明している。それならば監査報告書に記載してある「昨年10月から業者と折衝してきた」とあるが、議会答弁と監査報告書の誤差をどう説明する。
[疑義発生の問題点②]決算監査の疑問
当該協同組合の監査する立場にある部長は「適正な決算内容である]と答弁しているが、協同組合の決算報告書のカラクリを知らなかったでは責任上許されない。
再生資源物を市場相場にそぐわない半値以下の価格で、組合理事長が経営する山形古紙回収㈱へ、売却した結果、「組合は長期にわたり利益を上げる事が出来なかった」という重大事項を指摘しなかったところに問題点が有る。
[疑義発生の問題点③]収集運搬業務委託契約の違反
米沢市と業者の契約には、収集運搬したすべての再生資源物は「資源化センター」に搬入し分別すると規定してある。
なぜに古紙と古繊維類は直接業者ヤードに搬入していたのか。分別作業が必要ないのなら「資源物の無償譲渡」の必然性は無く、重大な契約違反である。
これを見逃していた担当部長に責めはないのか。
[疑義発生の問題点④]無償譲渡の条件に違反
再生資源物の無償譲渡の条件には、分別した生資源物の売却は、市況を注視しより売却益をあげることを契約してある。
したがって、高価に買い取る業者が市内にあるのに、それを無視して市況の半値以下でしか買取りをしない業者に対し売却しつづけてきた行為は契約違反であり、その行為を見逃しつづけた部長にその責任がある。
[疑義発生の問題⑤]特定業者への低価格譲渡
市況の半値以下で買取り、ために山形古紙回収㈱が得たと思われる巨額な利益は、便宜供与の見返りとして部長ならびに市のトップ権力者に渡っていたのではなかったか、それらの疑いは十分にある。
随意契約を死守しようとした部長の頑固な文言のはしはしにそれが見られた。随意契約の弊害はそれだけに止まらず、そこから犯罪が誘発され易いものであるからだ。
山形古紙回収㈱に特定して搬入売却しつづけたために 所定の売却益が得られず米沢市に多大な損失を与えつづけてきた責任をどうする。
[疑義発生の問題⑥]寄付金の怪
5月31日、組合より米沢市に振り込まれた12,306,600円は何なのか?
吉田環境部長は当初、再生資源物の「売却益」といいながら、市当局は使途指定の無い「寄付金」として扱っている。
売却益なら計算根拠は如何か?
寄附金というなら、随意契約を行っている特定業者からの「便宜供与を期待する性質のもの」と捉えるのが常識ではないか。
担当者の疑義発生を今ほど強く感じたことばなかった。いやしくも公務員であるからには犯罪的行為は慎んでおったであろう。しかし 住民監査請求は形だけの精査されない監査であっただけに、請求者の手に渡っては困る筋の書類までも添付してきた、これによって疑義が深まったものである。 監査請求に対して、監査委員会は行政の立場を市民に「是」と思わせるためにだけ狂奔したために 表面には出せないものまで添付するという手抜かりをしてしまった。よってさらなる疑惑を醸成させたことになる。ようするに精査しなかったどころか、手前勝手の前に手抜かりが生じたということになる。
権力というものは身を守るために手段を選ばないものである。
◆12月議会の一般質問で「再生資源物について」佐藤忠次議員より質問
がなされる。
9日 9:00より 傍聴席は議会始まって依頼の超満員になる。
続く

これでも市民は怒らないのか! ③

2004/12/03 (Fri)
これでも市民は怒らないのか! ③長年にわたり、再生資源協同組合が得るべき売却益は、当該代表理事の経営する山形古紙回収㈱の利益に流出していったということになる。
風評によると、再生資源協同組合に利益をあげさせれば、当然ながら業務上の施設「分別センター」に補填してきた900万円の是非が米沢市から問われることは必至なので、売却益を低く押さえ、余剰金は山形古紙回収㈱の別途会計としておき、協同組合員で山分け配分をしてきたのだという。したがって、相場の半分以下の売却にもかかわらず長年にわたり、そのカラクリが露見しなかったわけだ。
しかし、行政担当部長は当該協同組合の監査は正当なものだと6月議会で答弁している。こうしてみると、いかに行政担当部長といえども精査能力に欠けているものだと呆れるよりほかはない。
止まれ、北関東なる古紙買取業者が米沢市内にヤードを開設して、山形古紙回収㈱よりはるかに高価買取価格を示していたではないか。しかも、その日に現金回収になり米沢市の歳入になっていたはずだ。担当者が知らなかったでは済む問題ではない。
[問題点⑤]
内部告発がなければ露見しなかったカラクリだが、本会が提出した「住民監査請求の報告書」に添付されてきた書類によって、この悪しきカラクリの実態が判明したものである。
本会が得ようとしても入手できなかった書類だが、これらの書類を無造作に添付してきたということは、監査委員会は本会の監査請求を受理したものの精査に欠けていた証拠であった。
市民になる「住民監査請求」を受理したものの、行政の恥部を露呈するにあまりある内容であるだけに、米沢市の対面を保つためにも市民の訴えを「却下」および「棄却」として、市民に対して「鬼の会」の監査請求は問題にならないものだったとして教宣する必要が至上命令であったに違いない。行政の失態につながる大問題であったからだ。
[問題点⑥]
再生資源物の収集運搬と処理を任された当該協同組合代表理事の立場なら巨額な利益を得たはずの原幸吉氏とすれば、未来永劫にわたり行政との癒着営業を望んでいたはずだ。行政担当者に対する懐柔策がなかったとは常識では考えられないものである。
いわゆる業者からの「毒まんじゅう攻撃」による癒着行為がなかったとは考えにくい。
吉田環境部長は「業者との擦りあわせは一切行なっていない」と言明しながら「毎年の監査は正常」と言い「昨年の10月から寄付金について協議していた」と監査報告書には記載されているのだ。これら一連の食違いや誤差をどう理解すればよいのか判断に迷うものである。
公務員が常に正しいとはかぎらない。悪は権力者が生み出すものだから「桃太郎侍」や「水戸黄門」の出現を待ちこがれている庶民がいることを無視することはできない。
続く

これでも市民は怒らないのか! ②

2004/12/02 (Thu)
これでも市民は怒らないのか! ②市内、下新田地区に「再生資源協同組合」が設置した「資源化センター」なる施設がある。
この施設は、米沢市が業者に再生資源物の処理方を随意契約し「資源物を分別することにより、その売り渡し価格を優位にする作業場」と条項に定められているのである。
[問題点①]
再生資源物収集運搬契約業者は、収集運搬してきた再生資源物は当該「資源化センターに搬入すること」と契約に明記されている。が、実際には 収集してきた再生資源物のうち「缶」類を除いた資源物は資源化センターに搬入しないで直接買取業者のヤードに運び込まれている事が露呈した。
[問題点②]
資源化センターに運ぶ本来の目的は「分別によって再生資源物の価値を高め、売り渡し価格を有利にすること」であった。
しかしながら、分別作業は市民によって行われている訳であるからして、分別センターの機能はゼロに等しく、その左証が「古紙・古繊維類」類の買取業者への直接的搬入である。
[問題点③]
資源化センターは、協同組合の所有施設であるが、施設のための借入金返済(年額900万円)を補填するために、協同組合からの要請によって「再生資源物の無償提供」に米沢市が応じたものであった。
しかし、その施設での役割は市民の手で行なわれており、資源化センターの作業は当初より今に至るまで、現在規模の施設を必要とはしなかった。
米沢市は高額な「収集運搬料」を運搬業者に支払いながら、再生資源物の「収集運搬」と「処理方」を有耶無耶にした随意契約に問題 があった。
[問題点④]
契約の条文には再生資源協同組合は「再生原料の売買は市況を注視し優位な売却をすること」とある。
分別作業を割愛し、再生資源協同組合の代表理事(原幸吉)が経営する「山形古紙回収㈱」に直接搬入し買取らせていた事実は何を意味するか?
売り渡し価格が市況を注視するどころか、市場相場の半値以下で売却していたということは、当該協同組合の売却利益を極端に矮小させていたわけで、米沢市との契約に著しく違反していたということになる。
続く

これでも市民は怒らないのか! ①

2004/12/01 (Wed)
これでも市民は怒らないのか! ①鬼の会のホームベージに関心を寄せている地域のリーダー的な人物との会話だ。特に「再生資源物」による行政との闘いに関心をもたれていたようだった。
「米沢市が現在行なっている再生資源物の収集・処分の裏側が、鬼の会の精査によって行政の汚職がらみが感じられてきた。私どもは、再生資源物を、地域の協力によって日を決めて集め、買取り値段の高いところに売却している。かなりな収入になるので、地域で有効に使っているのですよ」
いわゆる市民集団回収の回帰である。
この連動は何もめずらしいことではない。隣県の仙台市や福島市では絶えることなく今以て続けられている地域の行事だ。
便利だからといって、すべて行政の都合だけに偏る必要はサラサラないのである。行政のご都合主義に右ならいするだけでは「上意下達」なる呪縛と習性から抜け出せないでいる幕藩体制時の庶民感覚としか思えない。
本会はことさらに行政に向かって反抗精神を醸成しているわけではない。できるならば安心して任せられる行政であり、信じられる行政であることを望んでいる。
無駄だと思えるような時間と頭脳を使って、喜んで行政と闘っているわけではない。不遜な文言を許していただけるならば、行政のデタラメさに眼をつむって見過ごしするだけの弱い市民でありたくないという多少の正義感をもちあわせた人たちの会なのである。
本会の開いたホームページには、種々の書込みがある。業者寄りの書込みと思われるものが大半だが、中には個人攻撃のすざましいものがある。これが米沢市民だろうかと疑いたくなる書込みの多いのには慨嘆し処理に窮するものだ。
どんなに悪辣な個人攻撃を受けようと本会のスタッフは動じない人物だけで構成しているから腰が引けることはない。
間もなく12月議会がはじまるが、一連の再生資源物問題をどう決着させるものか「行政と業界の癒着疑義」に発展しかねない大問題である。
聞くところによると議員のだれもが追求したくない問題であるらしい。だとすると癒着構造は議会の中にも蔓延しているものと考えざるをえなくなる。単に問題は「再生資源物」に関する疑惑である。一般家庭から排出された厄介な不要物でありゴミである。したがって、市民がこぞって関心の眼を向けるものでないことは無論承知の上での行政との闘いだ。
これがゴミではなく、もつと市民生活に直結する問題ならば市民も柳眉を逆立てて激怒するのであろう。が、現況の行政には見るべき政策が皆無なのである。
合併問題は尻切れ.アルカデァ敷地への進出希望病院の阻止など、若者たちが米沢市に腰を据えるためには希望のもてる米沢市でありたい。「米沢に文句があるなら来なけりやええべ」では済まないのだ。
続く

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